承認欲求の始まり
2025年3月25日火曜日毎度大きにタートルでございます。よろしくお願いいたします。
いやいやいやいやいやいや、毎日ミーもグーもないようなお話ししてんのに、聞いてくださいましてありがとうございます。
嬉しいことに、昨日の配信にコメント3件付けていただきました。
タカバースさんとカブさんとオルゴールさん、それぞれ違うところにコメントしていただいて、
一人はおはぎの話、一人は藤井和さんの話、一人はインスタの承認欲求の話、
それぞれのところにコメントしていただいたってことは、ポイントが、気づくポイントが違ったのかなと思うんですね。
それはそれでちょっと僕は嬉しいなと思った反面、一方に絞った話できへんのかいっていうことなんですよね。
なんかワンイシューで話をしてですね、それに対して何かこういろいろコメントをいただけたりとかすると、
みんな、他の人が見てもちょっとタメになるというか、そこのポイントについてそういうふうに考えることができるのかってできるかもしれないですけど、
どうしてもね、しゃべってたら脇道にそれたがるんですよね。
思いついたことを何でもその時にしゃべりたくなるから、だんだんこうサイドストーリーに引っ張られていってですね、
ほんで、ああ、ちゃうちゃうちゃう、本題に戻しますって戻ってこれる時もありますけど、
もう一回それた脇道の話でブレてしまってるじゃないですか。
なんかね、思いついた脇道の話はまた別で撮ればその一本の話ができるのに、
思いついた時にしゃべりたくなってしまうというふうなところがありまして、
でもこれを改めようとも実はしていないというところですね。
なんかあんまりそういう決め事をしてしまうと続かないなと思ってます。
思いつきの話が一番面白いと思うし、続いていく要因でもあると思うんですよ。
あんまりきっちり考えて企画してしまうと、ちょっと僕的にはなんか続きそうにないし面白くないなと思うんで、
このままお話しさせていただきますね。
メンタルと反応の関係
昨日その最後のインスタの承認欲求の話、株さんもコメントいただいたんが、
インスタは承認欲求の殴り合いみたいっていう面白い表現していただいて、
おーなるほどと思ってね。
それがスタイフでもあるって言ってあったんで、ちょっとそれは僕も感じるところがあったなと思って、
最近ないんですけど、これ自分の精神状態によるものが多いかもしれないですね。
人の投稿を見たり、投稿を聞いたりした時に自分がどういうふうに揺さぶられるかっていうのは、
自分の精神状態によると思います。
なんかキラッキラした放送を聞いた時に、自分はそこまでキラキラできてないって思う時は、
あんまり自分の身体の健康とかメンタルが弱っている時なんかなと思います。
逆に体が健康でメンタルも安定している時は、人のキラキラ話聞いて、
すごい肯定的にコメントしたり捉えることもできるんちゃうかなと思ってます。
逆にネガティブとか、そっちの方が引っ張られやすいんかなとは思うんですけどね。
引っ張られるっていうのは、どっちかというと人の放送とかいうよりも自分次第なところはあるんですけど、
やっぱりいいねをもらえないとか、フォローを外されるとか、
自分にとって良くないとされる要因があったら、ちょっと落ち込むというか、
その瞬間に自分が風の状態になってしまうみたいなことがあると思うんですよね。
これ僕も経験があるんですけど、今は全くそれが自分ではなくて、
なんでかって言ったら、これは方法論の一つだと思うんですけど、
いいねをもらいたいっていうのは、配信の目的は何なのかっていうことなんですよね。
僕は前から言って、自分のために喋ってますと。
自分のために喋ったことが人のためになったらいいなっていうふうに思ってるんですよ。
このスタイフにおいてはね。
ほぼ遊びで使っているこのスタイフにおいてはですよ。
誰か様に届けたいとかね。
これの話、いい話でしょみたいな。
いいと思った人はコメント、いいねくださいみたいなことを言ったときに
もらえなかったら、いいと思ってもらえへんかったんやって落ち込んでしまいますよね。
そこなんですよ。
自分の配信が誰のためにしてるのか。
自分のためにしてるんだったら何の反応がなくても別に平気やし、
でも人様に向けた配信をしたときに反応がなかったら落ち込む。
なんか承認欲求ありきで配信してしまってるんじゃないかなって思うんですよ。
そういう時期が自分にもありました。
反応してほしいから配信してるのに反応がなかったら落ち込む。
いいねがなかったら落ち込む。
フォロー外されたらなおもっと落ち込むみたいなことになるんやろうなと思って。
でも自分のために喋っていいねがつかへんのは別に何のマイナスもないんですよ。
何ならいいねがついた分だけプラスに思えるっていう。
そういうふうなマインドになれば別に怖いことないなって思ってるんで、
今毎日こうやって喋ってられるんやなと思います。
時間軸と人生の視点
昨日の話を株さんにいただいたコメントやったり自分のこういう話をつまんにしたら、
すごいですよ。また斜め上のアイデアを提案してくれたっていうか、
こういう考えはどうですかみたいな。
うのおとさのおの話し始めて、
それちょっと難しいしいいですとか言って、
冗談を言いながらふんふんって聞いてたんですけど、
それも一理あるなっていう面白い話。
これは思いっきり道それて別の話になっていくんで、
自分が理解しきったらまた別で一本撮りたいと思うんですけど、
うのおとさのおの判断するっていうのもなかなか面白い話やなと思います。
話を戻して、戻したときに先何の話やなって思うことが多いので、
今もそれになってるんですけど、
証人欲求の話ですね。
いいねをもらえなかったら落ち込むじゃないですか。
フォロー外されたら落ち込むじゃないですか。
その悲しいのって一瞬なんですよ。
じゃあ一瞬って言ってもね、
明日、あさって1週間、10日、1ヶ月くらいもしかしたら思い出すたびに落ち込むかもしれないけど、
今まであったでしょそういうの。
もらえなかったいいねとか、外されたフォローとか。
あったと思うんですよ今までスタイフだけじゃなくて、
インスタでもフェイスブックでもなんでも。
で、そのときのこと今覚えてます?
大して覚えてないでしょ別に。
そんなもんないですよ。
結局落ち込むのってその一瞬だけで、
いつまでもその思いってないって分かってたらどうもないんですよ。
これめっちゃ面白い、僕の面白い例えが思い浮かんだんですけど、
時間軸。
今からビョンって30年後に移動したら、
今のそのもらえなかった一件のいいねとか、
外された一件のフォローなんか、
ほんまにどうでもいいと思うんですよ。
30年後の自分からしたら。
でも今、今を生きてる今からしたら、
すごく自分には大きな事のように、事件の事のように思うじゃないですか。
その事件をきっかけに自分が強くなれたとかね、
もちろんそういう風に考えることはできますけれども、
人生の解像度、
昨日の話と同じ話になるんですけど、
人生の解像度を荒くしたり鮮明にしたりすることで、
考え方って変わってくるよっていう。
これの面白い例えができたっていうのが、
YouTube、皆さん見るじゃないですか。
その時に時間軸が左から右にバーって流れていきますよね。
飛ばしたい時って指で右にスライドしたら時間過ぎていくじゃないですか。
戻したかったら指でビューって左にずらしたら戻るじゃないですか。
これね、スマホ縦にしてたら荒いですよね。
横軸が短いからちょっと右にやったら行き過ぎたり、
ちょっと左にやったら戻り過ぎたりするじゃないですか。
これスマホを横向けたら時間軸のバーがちょっと伸びるから、
ちょっと細かい操作しやすくなりますよね。
これスマホじゃなくて、
じゃあタブレットやったらもっと差が出るじゃないですか。
みたいなことで、
細かい凝縮した時間軸で見るのか、
ものすごい広い時間軸で見るのかで、
感じ方が変わると思ってるんですよ。
わかるかな。
縦でスマホ見てる時の時間軸っていうのは、
人類の歴史、地球の誕生から終わりまでが一つの動画だったとしたら、
その中の自分の人生ってめっちゃ一瞬やから、
スライダーを右にするか左にするかで、
なかなか自分の人生のところに合わせにくいじゃないですか。
ちょっと右行ったら2500年、
ちょっと左に戻しただけで縄文時代に戻ってしまうみたいな、
そういう細かい設定できへんなみたいな。
でもね、スマホの縦にしてるYouTubeじゃなくて、
テレビのサイズでスライダーを指でいじくれるとしたら、
ちょっと広くなる、鮮明に細かい調整ができるから、
ちょっと右行ったらちょっと左が細かくできますよね。
それが細かく設定できるのが今を見てるってことだと思うんですよ。
昨日があって今日があって明日があって、
今自分のために生きてて、自分の幸せがあって、
誰かが喜んでくれることが嬉しくて、
自分はこのために生きててって考えるこの今の瞬間。
でも粗く見た、全然自分の人生に焦点が合わない。
けど、確かにそこに自分の人生っていうのは存在している。
めっちゃ俯瞰して見て、めっちゃ時間軸を粗くしたときに、
自分の人生なんて一瞬だって思ったときに、
その今思う位置フォロー外される、
いいねをもらえないなんてことははっきり言ってどうでもいいんですよ。
そんなことは小さいことすぎて。
そういう今ここで悲しいなと思った瞬間ブワーって引いて、
そんなことは人生においては対して記憶にも残らへんし、
あんまりどうでもいいことなんやな。
でも今このスマホを見て嫌やなって思った瞬間は、
ちょっと今を見すぎてる。鮮明すぎてリアルすぎるんで。
もっと引く。
その鮮明にすべきときは自分の喜び幸せ、
最大限に満足を味わいたいときは、
ブワーっとミクロ視点で見て、今をすごい楽しんだらいいと思うんですよ。
でも嫌やなって思った瞬間はブワーって引いて、
こんなことは一瞬、後になったらどうにも残らへん事実、
みたいなことを思ったらどうでもよくなるんちゃうかなっていう、
僕の時間軸の話。
このYouTubeのスライダーがすごくいい例えになったなって、
僕自身は思ってるんですけど、
これがうまいことを皆さんに伝わってたらいいなって思った話でございました。
また明日もワケのバカな話しますのでよろしくお願いします。
ありがとうございました。おっきみでございます。失礼いたします。