1. 現象のラジオ
  2. #388 承認欲求に悩まない方法..
2021-07-15 15:28

#388 承認欲求に悩まない方法 〜自己実現に惑わされる人類へ〜

spotify apple_podcasts
マズローの欲求階層説を再解釈。承認欲求に悩むまでもない、という事実に迫る!/こちらでも日々色々と話しています!【脳内議事録】 https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5 /シソフレ(思想フレンド)募集中!【秘密結社S.A.B】 https://forms.gle/cDFpZtHra1dAkPR66 /うえみずゆうき【@y_uemzu】  https://twitter.com/y_uemizu
00:06
皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、承認欲求に悩まない方法という話をしたいと思っています。 僕は秘密結社サブというですね、コミュニティを運営しているんですけれども
決して怪しい、名前は怪しいですけども、怪しい活動をしているわけではなくて、 自己を再定義するという目的で活動をしています。
サブというのは、サウナ、アート、ブックの頭文字なんですけども、読書会を開いたりとか、いろんなアートとカッコつけてですね、新しい言語を作るとか
いろいろやっているわけですけども、自己を再定義するっていうのは、なんていうか、大人になってくるとどんどん凝り固まっていきますよね。
無意識レベルでいろんなものを決めつけてしまうがちになると。 別にアップデートする必要は僕はないと思っているんですけども、凝り固まって同じものの見方しかできないというのはとても
悪いことだなぁと思っているので、再解釈して、そして再定義する、し続ける、そういう場として現状に甘んじない、本当にそうなんだっけって問い直すっていう場としてですね、
そのコミュニティを作っています。 その中でですね、リンというルームをクラブハウスで月2回やってるんですけども、そこはですね、まさに車輪のリンでぐるぐる回るという
哲学的な対話の場ですよね。なんか本当にそうなんだっけってことを、何度も何度も問い直すという中で、再解釈を試みるというようなルームなんですが、そこで話したことがですね、結構面白かったので、今日は
そのご紹介をしたいなと思っています。そのリンはですね、次回7月21日水曜日夜10時からまたクラブハウスであります。毎月第1、第3、水曜日の夜10時からやってますんで、雰囲気とかもね、味わいたい方は是非足を運ぶ、足を運ぶじゃないね、
スマホ上なんですけど、来ていただけると嬉しいなと思います。 その何が面白い話だったかっていうと、マズロの欲求談会説って結構有名だと思うんですけども、あれをね
再解釈したよっていうお話です。で、結果ね、タイトルにもあるように、もう承認欲求に悩まなくていいですよっていうね、そういう話になります。今までの、何だろう、承認欲求に悩まない方法って結構意識高い方向、そのより上位の方向にね、承認欲求突き抜けて自己実現の方向に行こうぜっていうようなアプローチって多かったと思うんですけども、そういうアプローチではないのでご安心して聞いていただけるといいんじゃないかなと思います。
で、そもそもなんでそんな話になったかっていうと、そもそものそもそもは覚えてないんだけども、なんか宗教の話をしてたんですね。で、宗教が何を、人々の何を救っていたのかみたいな話をしていて、別にみんな教養がある人たちで話してたわけじゃないので、事実に基づいているかどうか知りませんけども、そこで出た話としては、すごい昔っていうのは、雨漕いとか病気を治すとかっていうそういう生命レベルの、もう生きていくっていうレベルの人々の救済だったんじゃないか、
03:14
そして中世とかになってくると、キリスト教社会じゃないですけども、宗教自体が社会システムというか市民権とか身の安全を守ってくれるシステムであったと。で、現代になってくると、それを国家とか社会システムとしてその生命とか所属っていうのはある程度担保してくれてるようになってるから、もう宗教っていうのは今度コミュニティ的なもの、所属とかもう承認とかそういった方に役割がチェンジしてるんじゃないか。
で、マズロー的に言うと、自己実現みたいなところまで行くと、今度神っていう存在がちょっとバッティングしちゃうから、自己実現ってですね、ちょっと邪魔になっちゃうんじゃないかってことで、宗教のアッパーって承認欲求を満たすとこまでかなみたいな話をしてたんですよ、そのたまたまね。で、そこの流れからマズローの欲求談会説の話になっていきましたと。
まあ、マズローの欲求談会説がちょっとわからない方ももしかしたらいるかもしれないので、簡単に説明しますと、アメリカの心理学者マズローが、人間は自己実現に向かって絶えず成長すると仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである、自己実現理論、自己実現論、欲求談会説、欲求5段階説など別の異なる故障があるということで、ウィキペディアを参照して説明させていただきます。
で、その5つの階層があるということで、その下の方の欲求から上の方の欲求に向かってちょっと段階的に説明していきますと、生理的欲求というのがまず最低ラインにあります。これは生命維持するための欲求。食事をするとか寝るとか排泄するとかっていう、ほんとね、生物レベルの生きていくための欲求であると。
これを充たされるとその次の欲求、安全の欲求ですね。紛争地帯とかだったら安全じゃないですよね、とか、家があるとかね、守られてますよね、雨風から守られてるとか、経済的な安定性があるよねとか、良い健康状態が維持できる状態とか、良い暮らしの水準が維持できそうな状態、事故が起こらない状態とかっていう感じで、あとはセーフティーネットとかもそうですよね、何かあった時に社会がセーフティーネットとして支えてくれるみたいなところも含めて安全の欲求だと。
こうして生きていくということは、生理的にも環境的にも満たされた時には、人間は社会的な欲求に向かっていく。それが次の欲求ですね。愛と所属の欲求ということで、自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚、情緒的な人間関係についてや他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚というふうに言われています。
で、その所属が満たされると、今度承認欲求、いよいよ承認欲求ですね。最近よく聞く承認欲求。低いレベルの承認欲求というのは、他者から尊敬されたいとか、その地位、すごいねとかね、名声、利権、注目などを得ることによって、その承認欲求が満たされますと。
06:02
で、承認欲求でも、もうちょっと上の承認欲求があって、今度は自己承認ですね。自分で自分のことを承認できるとか、自分が持っている力、能力とかを自分で承認できるとか、自分を信頼しているとか、自立性を得ていると自分で自己評価できているという状態が、自分で自分を承認するというのも承認欲求には含まれます。
で、いよいよその上の欲求として、自己実現の欲求というのがありますと。自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなり得るものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機がこの欲求に帰結されるようになるというね、まあ何だろうね、才能が爆発している状態というか、その才能を爆発させて社会に還元させて、それがすべての動機になっているみたいな。
で、そして社会にも何かね、こう影響を与えている状況みたいな感じなのかなと。まあ、生理的欲求、安全の欲求、所属の欲求、承認欲求、自己実現の欲求という5段階があるよ、というのはよく言われるマズローの欲求段階ですね。
で、そのクラブハウスで話していたところですね、まあ3人で話してたんですけども、全員ね、マズローなんかしっくりこないんだよねっていう話になったんですよね。
しかも僕の感覚からいくと、現代人が承認欲求に毒されているみたいな話っていうのは、あれは承認欲求なんじゃなくて、どっちかって言ったらこう、スマホの通知のドーパミン依存的な欲求であって、なんていうのかな、承認欲求ではないというふうに僕は見ています。
で、ちなみに僕自身もマズローがしっくりこないんですけども、その理由としては、まず所属、あえて所属の欲求っていうのはよくわかんないし、承認欲求っていうのもよくわかんない。別に承認されなくてもいいしって思う。
だから僕は長らく、別に自分は自己実現ゾーンにいるのかなとかって思っていたんですけども、とはいえ別に何者にもなりたくない、なり得るものにならなければならないとかっていう欲求は全くないし、可能性を最大限発揮しとかもない、心地いいことを確かにしていたいという気持ちはあるから、すごい拡大解釈すればこうなのかな、でもなんかしっくりこないなみたいな感じでした。
まあしっくりこないよねーっていうトークをしてたんですが、突破口を開いたある例題がありまして、ちょっと不謹慎なんですけども、台風の日ってワクワクしませんか?みたいな話があったんですね。
本当不謹慎ですけど、僕は結構ワクワクするんですよ。なんなら台風の中、外に出て風を感じに行ったりとかするんですね。もちろんそれは危険だと、バカなんじゃないかってツッコミが入ると思うんですが、それがすごくワクワクするし、生きてるなって思うので、台風の時には外に出るようにしているんですけども、安全なところから、比較的安全なところから、あえて危険なところへ行くと。
で、この欲求って僕すごくしっくりくるんだよねっていう話をして、そこにいた3人って分かるわみたいな。自分がキャンプに行く理由もそれなんですよねみたいな。一人キャンプに行くのって、もちろんそんなすごい危険なところでキャンプするわけじゃないけども、自然の中で一人で家の中にいるよりも危険ですよねみたいな。
09:13
そういう危険の中に身を投じることでワクワクする感じ、生きてるって感じってあるんですよねみたいな話をしてて。そう考えると意外とこの安全の欲求ゾーンの、あえて危険に身を晒して、そして安全な場所に戻ってくるみたいな感じで、この安全の欲求を楽しむみたいなことって人間やってるよねって思うんですよね。
一人キャンプっていう例もありましたけども、例えばバンジージャンプなんかもね、明らかに危険じゃないですか。紐で繋がってるから死にはしないでしょうけども、危ないですよね単純に。とか怖い話とかホラー映画とかも、わざわざ怖いっていう危険な気持ちに自分を晒して、ホラー映画が終わって安全な場所に帰ってくるみたいな感じで、危険っていうのはある程度この動物的にというか人間は楽しいんじゃないかなーっていうことをちょっと思ったりしました。
その安全の欲求というのは実は鍵だなぁと思っていて、もう一回読み上げますけども、安全性、経済的安全性、良い健康状態の位置、良い暮らしの水準、事故の防止、保障の強固さなど予測可能で必要だった状態を得ようとする欲求、病気や不良の事故などに対するセーフティネットなどもこれを満たす要因に含まれるということで、安全の欲求って結構ね広いんですよね。
僕の解釈、昔の解釈だと家があるとか仕事があるとかそういうレベルで思ってたんですけども、結構幅広いんですよね。保障の強固さ、良い暮らしの水準が維持できるとか健康状態が維持できるって、あと経済的な安定性があるとか、ありますか皆さん。
僕はね、確かに今定職に就いているし、毎月決まったお金が入ってくるって意味では経済的安定性があるかもしれないけども、会社っていつ潰れるかわからないですよね。もっと言うと、日本がいつどうなるかとか、そういうことを考えていけば、安全なんていくらでも疑ってかかることができると、常に危険を想定する、リスクを想定しようと思えば、この安全の欲求って完全に満たされることってないと思うんですよね。
極端かもしれないけれども、僕は割とそういうふうに考えているので、この時気づいたことは、そもそも安全の欲求が満たされていないゾーンの人間だったみたいな。だから所属とか承認欲求とか自己実現とか、そもそも理解できるはずがないレイヤーに自分はいるんだなというふうに感じたんですよね。
そこにいる3人は、たまたまその安全の欲求が満たされていないゾーン、常にリスクを想定しようとする、リスクに身を晒そうとするので、安全の欲求が永遠に満たされないようにあえて生きている人たちだったので、それが一致しているから話がかみ合うみたいなね。
世の中にはでも一方で、安全の欲求が満たされて承認欲求が、所属愛と所属の欲求って言ってる人たちもたくさんいるわけじゃないですか。それっていうのは、安全は欲求としては満たされているということだと思うんですよね。
12:01
それは欲求として満たされているという分には、確かに否定はできないんですけども、本人の主観なのでできないんですけども、結果その上の所属とか承認欲求でつまずいてしまうぐらいであれば、僕はですね、もっと安全に目を向けてもいいんじゃないかなというふうに思うんですね。
というのも、世の中で自己実現してそうな人っていうのを想像するに、大体ものすごくお金持ってたりとか、楽しい予定で埋め尽くされてたりとか、自由に移動ができる、世界各国を自由に移動できるぐらいの経済力や予定の調整できる余裕があると、自由を手に入れているっていう人たちがちょっと浮かぶと思うんですよね。
なので、世の中でいう承認欲求満たされないなら、自分を承認してとか、自己実現していこうぜみたいな意識高い方向っていうのは、僕は相当間違っていると思うんですよね。
というのが、さっき言ったみたいに、安全の欲求は満たされているかもしれないけれども、現実的には満たされていない人はいっぱいいると思うんですね。本当に安全ですかっていうね。
確かに日本っていうのは生活保護とか国民会保険制度とかあるから、比較的セーフティーネットとかも充実している国だと思いますけれども、だからといって、自信満々でね、よし生活保護もらおうとか、国民会保険制度があるからもう病気になりまくろう、病気になっても安心だなって思ってる人がどれくらいいるんだろうと、常に病気には怯えているし、生活には怯えているんじゃないかと、
本当に助けてもらえるって心から安心してますかと、どこか没落しないようにみたいな感じで、自分に鞭を打ってね、無理し走ってるんじゃないのっていうふうに僕には見えるんですよね。
だから、証人欲求を満たそうとかじゃなくて、いやいやいや、もう一回安全とかに目を向けて、現実的にその安全の欲求だけでなくね、現実を直視したらまた不安になるから、安全の欲求が満たされなくなるから、その中でまた一つずつ安全を満たしていこうよ、そうした方がいいんじゃないかなというふうに思っています。
なので、証人欲求がつらい、満たされなくてつらい、どこかに所属できなくてつらいじゃなくて、まず生命維持できるだけの安全な環境を本当に構築できてますかってことを問い直して、案外そこって満たされてないはずだよねって僕は思うので、そこをしっかりと見る、現実的に安全なのかってことを見てリスクヘッジしていく。
その中で一つ一つね、こういったところのリスクヘッジができたな、できたな、できたなってことで、欲求が満たされて生きてるなって感じがする、心地いいなって感じがするってことで、変にね、上位の欲求に向かっていくよりは安全の欲求を一つ一つ満たしていくってことが現実的な生き方、そしてそれはとてもね、幸福感があるんじゃないかなって思いますね。
一つ一つ満たされない欲求をちゃんと直視して、一個一個満たしていきやすいね、クリアしやすい欲求だと思いますので、安全の欲求に目を向けて生きていくっていうのは、いいんじゃないかなと思ってます。それでね、それこそ、ありとあらゆるリスクヘッジができてっていう時に初めて、本当の意味でね、所属の欲求とか、証人欲求とか、自己実現って本当の意味で訪れるんだと思うので、なんか、事実誤認による、まやかしによる、平和ボケによる証人欲求っていうのは、あの、あんまり良くないと思いますので、
15:14
その時に満たしていくってことが重要だなというふうに思ってます。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
15:28

コメント

スクロール