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2023-02-23 1:14:01

第25回 マツタケ目線で世界を見る 〜 『マツタケ 不確定な時代を生きる術』

今回は『マツタケ 不確定な時代を生きる術』(アナ・チン 著/赤嶺淳 訳/みすず書房)を紹介しながら、産業と経済の移り変わりとマツタケの関係や、アメリカでマツタケ狩りをする人々を巡る世界について、マツタケ目線で話しています。

【今回のハイライト】

・マツタケが高級食材に登り詰めるまで

・森が廃れた時、マツタケの時代がやってくる

・何もない荒野に蠢く人々とマツタケ

・不安定だからチャンスがある?

・住みよい環境はその対象によって変わる

・マツタケの受難

【参考まで】
『ノマド 漂流する高齢労働者たち』(ジェシカ・ブルーダー/春秋社)

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00:15
みなさん、こんにちは。この番組は、誰もが知っている名作から、あなたの知らない、日知すぎる本まで、ゆるいトークで紹介する、読書系ポッドキャストです。
改めまして、こんにちは。的文庫です。
こんにちは。梶原コーヒーです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
なんか、あっという間に、もう過ぎていきますけどね、1月。
ですね。
今日、もう末ですからね、1月。
そうですね。
ここでですね、なんと、積ん読ざんまいに初のお便りが、待望のお便りが届いておりますので。
おめでとうございます。
ちょっと、読み上げたいと思います。
ラジオネームがですね、
熊さんという方ですね。
山形一箱古本市に行って、サードマンを購入させていただきました。
相談会を主張させていただきました。
羽田さんの本も読んでいたので、他の方の受け取り方が聞けてよかったです。
死に山、まだ読んでないのですが、前にテレビ番組で特集されていたので知っていました。
こちらも読んでみたいと思います、ということでした。
そうですね。
確かそうですね、この方一箱古本市、12月に山形でやった時にいらっしゃってましたね。
サードマンの本を買われていったなっていうのは覚えてます。
素晴らしい、よかったです。お手紙ありがとうございます。
お手紙本当にありがとうございます。
待ちに待ってましたね。
もう待ちに待ってたので、これに引き続いてですね、皆さんも遠慮なさずに。
勇気を出して。
勇気を出してお便り送っていただければと思いますので。
お待ちしております。
メールフォーム使っていただけると、即名でも送りできますので。
あれですよね、フォームス使ってるんでしたっけ。
Googleフォームス使ってるので、送り先は概要欄にリンクを貼ってますので、そちらから送っていただければと思います。
今回なんですけれども、皆さん大好きというか、日本人の味覚といえばっていうところで上がってくるあれですね。
はい、あれです。松茸。
タイトルが松茸っていうタイトルなんですけど。
それシンプルすぎませんか。
一応副題が不確定な時代を生きる術っていうサブタイトルがついてます。
書かれた方がアナ・チーンさん。
未通書法から2019年に出てまして、現地は2015年に出ております。
中国の方?
そうですね。アメリカ生まれの中国系の方っていうところでしょうかね。
03:05
日本の方が書いてるわけじゃないんですね、松茸の方と。
そうなんですよ。
日本人が書いてるわけでもないし、日本に住んでる方が書いてるわけでもなく、
アメリカ生まれの中国系の方が松茸について書こうと思ったのかっていうすごく不思議なところなんです。
今回この本もテーマに沿ってるというか、おそらく日本人ではこの本書けなかったろうなっていう内容ではありますね。
この本なんですけど、すごく内容がですね、多岐に渡っておいて共通する話とすれば松茸について書いてるっていう。
そこぐらいしか共通とはないぐらい。
いろんな視点で松茸を中心に世界を見るっていう本なんですけど、松茸目線で世界を見るって多分考えたことある方ってそんなにいないんじゃないかと思うんですけど。
そうですね、松茸目線ではあまり考えたことないですね。
松茸になってみるっていう。
腹のバンジュ割りそうですけどね。
これ見つけたのが本屋さんで文化人類学棚?その辺の棚でポコッと松茸っていうのが目について、なんだこれはみたいな。
思いもしないところに松茸があったわけですよ。
松茸の本なのかな?松茸の本だったら生物学とかキノコの?
金類とか。
生物学だったら金類とかそっちでしょうし、あとは山岳とか山野草とかのコーナーにキノコの本。山に生えてるキノコとか。
ああいうところにこういうのってあるんじゃないかなと思ったんですけど、文化人類学のところに松茸が都市をとしてあるっていうのが目につきまして、これ何の本なんだろうなと思って。
そうですね。ちょっと珍しい。
でも松茸って書いてあるぐらいだから松茸の本なんだろうなって思って。
だってそこでそれをチョイスする的さんがまた不思議ですよね。
でもそんな文化人類学の棚に生えてる松茸ってやっぱりこれは何か面白そうな匂いがするじゃないですか。松茸だけに。
確かに。物質に生えてるキノコみたいな感じですよね。
絶対食べちゃダメなやつですよね。
まあちょっとそれもあって、これは多分何かいい本なんだろう、面白い本なんだろうなと思って買ってきて、ただそれをですね、2、3年また寝かしてまして。
市会には入ってはいたんですけど、去年の年末あたりにそろそろこれ読むべきかなと思って。
発行したかなみたいな感じですね。
今こそ松茸がまた私の本棚から生えてきたっていうところでしょうかね。
06:00
読むのに1ヶ月以上かかったね、これが。
どれぐらいのページ数?
カードカバーで400ページ以上なんで、まあまあありますよね。本文が450ページぐらいありましたね、これ。
あと注釈とかが、作品とかが後ろについてますけど、注文もいっぱいあるし、賞立てもかなりいろんな項目にまたがって賞が立てられていて。
文化人類学の本でもあるし、資本主義経済について書かれた本でもあるし、知性学的なところもあるし、産業の歴史みたいなのもあるし、
あと日本の里山運動とかそういった話もあって、とにかくもう多岐に渡ってるんですよ、この話が。
全部で20章ある。
結構ありますね。これはどうやってまとまっていくのかなっていうようなところも、結構読み始めは謎だったし、
読んでもやっぱりすごくいろんなところに話が飛んでいくので、今何の話してんだっけみたいな感じになってくるところもあって、
松茸からこれだけのことを書けるってすごいなって思いながら、
そうですね。
面白く読んでいったっていうところではあるんですよね。
なんか最初松茸のお話って聞いたときに、私は完全に魚とヤクザ?ヤクザと魚?あっち方面かなって。
また松茸を取り巻く闇業界の。
そういう話かなって思ってたんですけど全然違いましたね。
でもですね、魚とヤクザほどではないんですけれども、
そういった匂いも若干無きにしもあらずと言いますか、
松茸マフィア出てきちゃいますか。
松茸マフィアはいないですけど、
お金になるものなので、そういったちょっと雰囲気もありつつ、
ただやっぱり普通農産物とか工業製品とは違ったマーケットがあると、松茸特殊の。
でもそれでもやっぱりグローバルな市場主義の波にどうやって畑で育ててるわけではない。
取れるか取れないかも不確定だし、値段の価格変動もものすごくあるような、
工業製品とは遠いような存在である松茸っていうのが、
どうやってそのグローバルの市場に乗っていって、
その辺のグローバル市場で取引されている商品と同じように松茸が扱われていくまでの変遷みたいなのが書かれてたりとかして、
それはすごく面白かったんですね。
経済学の知識ある方ともっと面白く読める部分もあると思うんですけれども。
これ本当にどこから語っていったらいいんだろうかっていうところがあるので、
今回はですね、内容をちゃんと解説するっていうよりは、読んで心に残ったところをお話ししていくっていうような感じになりますので。
09:06
なんか通読三昧的な感じでいいんじゃないでしょうか。
毎回そうだろうって感じなんですけど。
ちょっと素朴な疑問なんですけど、松茸って、そんなグローバルなところに乗るくらい各国の人は食べるものですか?
食べないですね。でも松茸って意外といろんなところに生えてるんだなっていうのを、
これを機にちょっと調べてみたりしたんですけど、
松茸ってですね、日本でしか採れないものなのかなって思ってたんですけど、
意外と採れるところはいっぱいあるんですよ。
ロシアあたりバンバン生えそうな気がしますけどね。
日本とか中国以外だと、北米ですね。
北米、あとはそれこそ東欧。
東欧?
東欧なんで、ロシアとか、あの辺ですよね。
あとは北欧ですね。
フィンランドとかも結構キノコ文化が盛んな。
北と言って結構キノコ文化が盛んなんですね。
で、これがなんで北米、あるいは東欧とか北欧の方で松茸とかが生えるかっていうと、
これが松茸がなんで効果になってたかっていうのにもつながってくるところはあるんですけれども、
昔から松茸って生えてはいるんですよ。本当にそれこそ万葉の時代から生えてて、
その松茸をすごくただ珍重するというか、
美味しいものとして親しんできた文化があるっていうのは、
もともとは朝鮮半島とかその辺なんじゃないかとルーツは。
奈良時代とかって仏教とかそういうのも一緒に朝鮮半島のほうからいろんな文化が流れてきて、
その中に松茸もあったのではないかと。
松茸を珍重する文化も一緒に運ばれてきて、
で、秋に松茸を刈るっていう文化が定着していったのではないかっていう歴史があるんですけれども、
それとともにですね、松茸って生えるところが結構特殊というか、
あ、そうなんだってこれ読んで思ったんですけど、豊かな森には生えないんですよ。
松茸ってどっちかというと荒れた山とか荒れた林に生えるんですね。
荒れてるっていうのも、もともとその自然が厳しくて、
例えば火山とか氷河があるようなところ、だからロシアって氷河があるので、
他になかなか木が生えてこない、紅葉樹が生えてこないようなエリアだとそんなに土地も豊かではないってなってくると、
ちょっとやっぱりもともと土地が荒れやすいというか、高齢とした土地に松っていうのが生えやすいんですよ。
12:00
で、赤松が生える山って荒れてるんですよね、どっちかっていうと。
それは何でかっていうと、どっちかというとやっぱ里山に近い、人が住んでるところに近い山が荒れやすいんですよ。
なぜかというと、昔の人は燃料とか木を建てるために木を切るわけじゃないですか、伐採するわけじゃないですか。
だから定期的にやっぱり木が枯られていくので、そんなに木が繁もしないんですよ。
となると人為的に荒れていくというか、そんなに森が豊かにならないんですよね。
あるいは焼き畑農業をやってたりとか、ちょっと自然の何も手を入れてないような環境ではないような山っていうところには松とかが生えやすいっていう風に、本の中では書かれてましたね。
だからちょっともともと昔、奈良とかそういう時もやっぱり里山に近い山の方が人の手が生えているので、そういったところに松が生えやすいし、松と一緒に松茸っていうのが生えてくるんですよね。
だからちょっと荒れた時の方が松茸っていうのは生えやすいっていうのは、結構これが面白いなと思ったんですよ。
じゃあなんかこう松茸が、日本でも採れる山は若干荒れている?
そうみたいですね。松茸が採れる、そしてその松茸がすごく豪華になったっていうのが、またなんかすごい長い歴史があってですね。
日本で松茸って、だからその里山が身近にあって、しかもその人々が山に入って定期的に山のその木に手を入れて行ってた時期っていうのは、もう常にその人の手が入っているので、そんなに豊かになりすぎない山が。
だから松茸って比較的生えやすいっていう環境はずっと続いていたので、松茸って結構身近に採れたらしいんですよ。珍しいっちゃ珍しいけど、すごく珍しいってわけじゃないみたいな。
だから秋になったら、松茸刈りに行こうねみたいな感じでみんな山に入って松茸刈りに行って、秋の味覚だねって食べてた時期っていうのがずっとあって、しかもそれが明治時代とかになってくると、今度こう深く強制でもうすごく産業を盛んにしようっていう金が高まってくるので国を挙げて、財務庫をすごい刈るっていうのが国策としてやっていくわけですよ。
そうなっていくと、ものすごい勢いで山の木が刈られていくわけで、ものすごい勢いで荒れていくっていうような、今の自然環境的にあまりよろしくないような状況が起きるわけですけど、ぶっちゃけ松茸にとってはチャンスって感じだったわけですね。
15:01
そうですね。俺たちの時代みたいなね。
そうそう、俺たちの時代だったわけですよ、松茸にとってはですよ。私今、松茸目線で話してるんじゃないかって思いました。
松茸目線ってそういうことかみたいな。
松茸目線なんで、もう松茸的に俺たちの時代が来たって感じなわけですよ。
で、赤松と共に松茸がすごく採れるって時代がですね、1900年代の初めぐらいはすごく松茸が採れた時期があって、だから今みたいにすごく高価なものではなかったらしいんですよね、松茸っていうのは。
想像つかないですけど。
でもですね、これがまた歴史がずっと移っていくと、あで果てた山にこのまた植林をしていくわけですよ、杉とか。
で、まあそれは山を買った後に、やっぱりまた材木を育てなきゃいけないんでって言って、まあその国をあげてまた植林をしていくわけですけど、
ただですね、ずっとそれがまた時代が経っていくと、外国産の木の方が安い。
人間木とか、育てる、育てるっていうか、そのままもう生えてるものを切ってきて輸入した方が安い。
出た出た。
っていうような時代になってきて、今度そのもっともっと刈る予定だった、植林した山をですね、山は放置されていくっていうような時代になっていくわけですよ。
そうするとどうなるかっていうと、山的には豊かっていうか木がいっぱい生い茂ってる状態。
それはそれであんまりよろしくない、まあ環境的にもあんまりよろしくはないみたいなんですけど、まあものすごく木が繁茂してる状態。
手が入らないままあって、松的にもですね、あんまりよろしくない状態なんですよ、それって。
松ってやっぱり日があんまりこう、兼ねてくると伸びにくいっていうか、弱くなっちゃうっていう性質があるらしいんですね。
風通しとか、あと日の光が当たりやすいところに松っていうのは生えやすいらしいので、ただそれがなくて落ち葉もしかもふかふかにこう溜まっていくと、まあ豊かなわけですよ、道場が。
松茸的にはやばいわけですよ。
今、松茸目線だからかなりやばい。
で、しかも松があんまり松的には環境が良くない状況なので、弱ってきたところに松食い虫っていうのが入ってくるわけですよ、外国から。
これまたグローバル化の弊害っていうか、いろんな材木が輸入されてきた材木に松食い虫が入ったんじゃないかっていう説もあるらしいんですけど。
そこから入ってきて、それを目次第とか、材木がすごく取引されるようになった昭和の中期あたりですかね。
そのあたりから一気にそれが日本の山にですね、広がっていって、今ももうすごく深刻な松枯れとか聞くと思うんですけど、すごく深刻な被害が出てるんですけども、それが昭和の中期ぐらいから徐々に起き始めて、
18:07
だから松茸がそれまで取れていた環境っていうのがだんだん変わってきていったんですね。もう1970年代あたりには、昔のその1900年代初頭の半分以下になって、半分以下というかそうですね、本当に取れなくなってしまってたと。
だからものすごく貴重な存在になったわけですよ。
なんか松茸的にはちょっと核が上がっちゃった感じ?
そうなんですよね。なんか取れなくなったから、ちょっと核が上がったのとプラスしてですよ、日本はですね、正直高度な経済成長期に足掛かっているところなわけですよ。
きましたね。
町竹ですよ、そこで。
貴重なものですよ、貴重価値。
そう、とても貴重価値っていうところで、贈答用としての価値がものすごく爆上がりするわけですね。
だって金は唸ることを持ってますから。
そうですね、あれ、突然庶民だったのに。
いきなり成り気になっちゃうみたいな。
なるほど、松茸。
だからそのあたりから松茸ってすごく高級品みたいな扱い方をしてきてバブルに突入するっていうような。
じゃあバブルデビューなんですね。
そう、だから昔からそんなに高級品だったかっていうと、実はそうでもなかったっていう歴史があって、そうなの?っていう歴史も書いてあって面白かったですね。
でもなんか小さい時もさざえさんとか、ああいうので松茸ご飯って言うとペラペラの、姉さん松茸が入ってないよみたいな、そっち側が見えるよみたいな。
そんな感じのイメージだったので、割と昔から高級品だったような気がしてたんですけども、そうなんですね。
1970年代ぐらいから貴重品になってきたっていう。
磯野家もそのぐらいの時代の背景にしてるでしょうから。
ああ、そっか。
だからちょっと庶民の口にはっていうところでしょうし、私なんて松茸の節点あるのって長谷縁のお吸い物ぐらいですからね。
そっか、私大分小さい時ですけど、割と年に1回くらい父親が紙袋に2、3本入った松茸をもらってくるっていうのがあって、めっきりそんなことはなくなってしまいましたけど、
これが松茸か、みたいな。
でもそんな感じでしたよね。
別段、子供にとっては浮かれるようなものでもないし。
でもその時期になるとテレビで松茸が、みたいな。
そうそう。
21:00
テレビで見るものみたいな。
そうですね、磯野家で見るものっていう。
そうそう、ニュースで見る。
あれが松茸と言われるものか、みたいな。
良いの想像が全然つかないみたいな。
だからすごい期待して食べたら、なんだキノコかみたいな。
味は大したことないですよね、松茸って。
香りがって言われても。
香りなんですよね。
でもそれも子供にはちょっとわからない。
子供にはっていうところですし、ちなみに松茸をこんなに陳調するのって日本人だけなんですよね、基本的に今は。
もしくはちょっとアジアの方で、ちょっと有難がられてるけれども、正直他の国の人からしたら、あの匂いって不快な匂いなんですよ。
わかる、なんか。
この本の中で書かれてましたけど、腐った、なんていうんですか、靴下の匂いがするとか。
そこまでひどいか。
ジメジメした感じ?
まあ、菌ですからね。
そう、菌ですからねって感じですけど、やっぱちょっとジメッとした、しめった匂いで、しかもちょっと独特にツンとつくような匂いじゃないですか。
物にもよるんでしょうけど、なんか状態が良くない物とかだと、やっぱり馬のしょんべいの匂いがするとか。
昔は松茸も学名に臭いキノコみたいな学名をつけられてて、そのぐらいやっぱ匂いが不快だっていうので、有名なキノコっていう。
また独特な感性持っちゃってますからね、日本人ね。
納豆の匂いがね、とかね。
虫の声がね、まさにそれじゃないですか。
そうですよね、虫の声ですからね。
外国の人からしたらね、なんだこのノイズはみたいな。いい音じゃないっていうその違い。
でもあれじゃないですかね、やっぱり中国とか韓国あたりだとその感性はちょっと似てるような気がしますけどね。
あると思うんですけど、ただこんなにありがたがって食べるっていうのは日本人ぐらいだし、ありがたがって食べる背景っていうのは先ほどお話ししたような歴史的背景もあるんじゃないかというところでですね。
気分的にはトリュフみたいなものかなと思ってましたけど。
トリュフなんでしょうね、多分その外国人の人、ヨーロッパの人とかからするとトリュフに類するようなものなんでしょうね。
そういう人なんでもトリュフかけますもんね。
そうですね、トリュフはまた独特の食感とか、ちょっとバターっぽい感じとかがあるから。
こっくりした。
そうですね、こってりしたものに合いますよね、あれ。そんな食べたことないですけど。
まあスライスされたのが猫乗ってる感じですけど。
なんかフォアグラの上に乗ってるっていうイメージですよ。
リンコンなイメージですよ。
24:00
確かにこってり系ですよね。松茸ってあっさり系ですよね。
そうですよね。
あっさり文化。で、この著者の方が松茸を初めて料理した時に、間違ってバターで炒めてしまったって。
で、台無しにしてしまったって言ったんですよ。もう食べられたものじゃなかったって。
でも多分何も松茸の文化がない、この方アメリカ生まれの人なので、松茸の文化がない方がきのこを料理しようと思ったら、多分バター炒めとかにすると思うんですよね。
そうですね、普通に。
で、同僚の日本人の人に松茸を取れた時に持ってったら、もうすっごい喜んで、こんなに松茸があるって。
で、その時に松茸料理を振る舞ってもらったんだけど、その時彼女は松茸を包丁を使わずに裂いて、歯は入れてはいけないんだっていう。
包丁、金物で切っちゃうと松茸の香りが飛ぶからダメだみたいな。本当かどうかはわかんないですけど。
でもそういう言われてあるじゃないですか、松茸って。
ありますね。
で、手で裂いて、それをシリンとかがあれば一番なんでしょうけど、火で炙って、それをライムで絞ったのを一緒に食べたらもう最高だったって。やっぱり香りがこんなに最高の組み合わせはないんだっていう。
バター文化とは全く違うところにいますよね、これ。
そうですね。確かに。そう言われるとバター文化のところで松茸があまり受け入れられないのはわかる気がしますよね。
やっぱり塩でもないし、香りっていうか淡白なものとは合わせるというか、油とは合わないですよね、松茸って全然。
そうですよね。日本酒とか酒蒸し的な感じとか。
あとはすだちで、しかも一番いいのは七輪で炙って、ちょっとすにぎりの香ばしさと、松茸の香ばしさとすだちの爽やかな香りってやっぱり香りですよね、これ。
味っていうか油っていうか、うま味とかではなくて、香りを楽しむっていうか、香りを楽しむ方ですよね、これ。
確かに独特。
独特ですよね。
独特ですね。
ただ今回その主な舞台になっているのが、オレゴン酒っていうところが出てくるんですよ。
ここでは松茸がたくさん摂れるんですね。
アメリカで松茸摂れるのかっていうのも結構びっくりだったんですけど、なんでアメリカでこんなに松茸が摂れるようになったのか。
オレゴン酒っていうところに今回はフォーカスしてるんですけど、オレゴン酒で摂れるようになった、そしてオレゴン酒で松茸マーケットっていうのがあるんですよ。
なんだそれはって感じですけど、松茸マーケットが盛んになったっていう、これはまた歴史がありまして、歴史といってもすごくいろんな歴史が複雑に絡まっての松茸マーケットなんですけど、
27:14
オレゴン酒っていうのは、もともと木材の材木業っていうんですか、それがすごく盛んな地域だったんですね。
もうすごく歴史を遡ると、ネイティブアメリカンが住んでた時から森っていうか、そういうものをすごく大事にする文化があったんですけれども、
先住民族を開拓した時にそこを追いやって、ここにはすごく立派な木があるなと、これを売ったらいい産業になるぜっていうことで、そこに松がいっぱい生えていて、すごく大きい立派な松の林があって、
それを買って出荷するっていうのは、オレゴン酒の1900年代ですかね、それも、の一大産業になってた地域なんですよ。
ただですね、そんなに大きい木っていうのは、やっぱり何十年何百年と手入れをしてきて育ててきたからであって、それをまた同じような木を育てるっていうのは相当やっぱり手間がかかるわけですよ。
だから同じように松を育てるっていうのはできなかったですね。春にまかせて、その後はもう何も生えてこないっていう荒れ地になっていくわけですよ。
ものすごい環境破壊があったわけですね。環境だけじゃなくて、そこに住むとネイティブアメリカの文化もなくなっていったっていうような背景もあるわけですが、
でもですよ、ここで私たちはまた松茸メッセになっていくわけですよ。荒れ果てた松林ですよ。
あ、俺たちの時代だ。
俺たちの時代だってわけですよね。松茸的には俺たちの時代なわけですよ。
これいいですね。突然、松茸メッセに、それまでは文化がね、とかそういうのが追いやられてって思ってるけど、突然松茸メッセに自分を落としていくと、俺たちの時代だってなるのがすごい。
面白いですよ。
今回めっちゃ面白い。
そうそう。これ本当に読んでて面白かったですよ。ちょっと悲しいとか、これはどうなんだっていう歴史のデモですよ。そこにはですね、やっぱり絶対いるわけですよ。俺たちの時代が来たって思ってる人ではないけど。
だいぶ地面の、だいぶ底辺の方にいますけど。
でもそれって今回すごくこの本でテーマになってくる話なのかなって思うんですけどね。
そう、松茸からするとビッグチャンスが来たわけですよ。
来ましたね。来ました。
やっぱり大きい木も生えないから日差しもいいし荒れてるから松が生えてくるわけですよ。
松って言ってもなんか低木のひょろひょろっとした松しか生えてこないから、森的にはそんなに豊かにはならないですね。
30:03
でも松茸的には松が生えてるし、生えてくるわけですよ。松茸が。
そうですね。松茸の気持ちだからすごいテンション上がりますよね。
もう松茸がすごくだから生えてきたっていうのもあって。
でもですよ、松茸ってアメリカ人からするとさっきの言ったみたいに腐った靴下みたいな匂いがするんですよ。
アメリカ人別に松茸食べる変化がないので、別に幕竹を買ってたっていうのはなかったんですね。
松茸にとっては天下だったんですけど。
そうですね。
それがまた価値を持つっていうところまではまだ至ってなくてですね。
これが価値を持ち始めるのがですね、1970年代とかそのあたりですよね。
ベトナム戦争はあの辺ってあるわけじゃないですか。1960年代から1970年代あたりって。
それでですね、大量の難民がですね、アメリカにやってくるわけですよ、東南アジアから。
そうするといろんな背景を持った難民の人たちがやってきて、アメリカに移民としてやってくるんですけれども。
この人たちがですね、政治難民みたいなもんなので、本当は福祉の方をね、
対象となる?
そうそう、なるはずっていうか、そういうような約束をされてきたんだけれども、
その時期ってアメリカ景気が悪くなってた時期なので、福祉政策をガッツリ縮小してたんですよね。
だからもう移民に対する福祉はもうカットっていう感じで、ほぼもなく。
ちゃんとした仕事にもつけないし、もうただ狭いアパートに押し込められて生活しなきゃいけない、
すごくつまんない工場とか雇いの仕事をやるぐらいしか仕事がないみたいなところで。
ただ、この人たちって、東南アジアから逃げてきた人たちって、すごいざっくりしたくくりなんですけど、
いろんな人種の人がいて、門族の人とか、昔っていうかこの番組でも前に、
去年のブック・オブ・ザ・イヤーでちょっとお話しした、精霊に捕まってたいろいろな話で出てきた、また門族ですね。
門族ですね。
門族とかミエン人とかニャンマン人とか、あの辺りから逃げてきた人たちっていうのはですね、
もともと畑とか森で生活してた経験っていうのがすごくある人たちが多くて、
畑仕事とか森で何か採ったりとかするっていうのは慣れてるわけですよ。
それはためにベトナム戦争の時にアメリカに森の中をよく知ってるから、行ってしまえば手先みたいな感じで、
33:00
もしアメリカに逃げてきたら生活保障するからっていうことで戦ってたりとかした人が逃げてきたっていうような背景もあるんですけど、
そういう人たちが森に今度行くわけですよ。
行きますね。
森で何か採ってきた森で生活すると。
そんな森にですね、松茸が日本でなんかすっげー売れてるらしいぞみたいな情報が入るわけですよ。
その人たちがキャッチするわけじゃないんですけど、アメリカで日本向けに何か商売ならないかっていうような考えている商社とかがあるわけで、
日系系の商社があって、いろんな商品を日本に輸出してたんですよ。
それこそ材木とか、あとは桜もとか、いろんな商品を輸出する中に松茸すぐ取れるらしいなってことで、
北米産の松茸を売り始めるっていう。
そうするとですね、日本でおりしおも松茸が取れなくなって松茸がすごく高値になって、
松茸を求める需要っていうのは景気がいいから高まってた時代だから、
松茸はものすごく高値がつくんですよ、北米産の松茸に。
これもビッグチャンスだと。
だからにわかに松茸市場っていうのがですね、アメリカで形成されていくと。
しかもその難民として来たアジア圏の人たちっていうのも、工場とかで働くよりだったらお金になるし、
他にもなるんだけれども、何よりも自由だと、そっちの方が。
自由に働けるし、自分の裁量次第でビッグマネーは手に入るかもしれないし。
確かに。
工場行くより全然金になるかもしれないし、これはいいっていうんで。
ゴールドラッシュ。
そうそう、ゴールドラッシュだったんですよ。白い柿っていう風に言われたらしいですけど。
そうですか。
森の中で取れる白い柿。
俺たちを取るがいいですね、松茸目線だと。
しかも豊作の年とかもあったりして、コミュニティの中で、文族とか未演人とかそういった人たちの間で、
松茸狩りに金になるぞ。お前も来ないかっていう。お前もやらないかみたいな、私もやりたいって。
ほとんどのアメリカ人とかは、全然森で起きてることを知らない。
多分世界中に誰も知らないと思うんですけど、ほとんど。
臭いですからね、臭いキノコだと思ってますから。
でも、荒れ果てた、今何もないと思われている、何の価値もないような、あれので、
密かに蠢く人たちと、密かに蠢く松茸たちっていうのがいるっていう。
利害関係が一緒になったっていうね。
一緒になったっていう。で、またそこにマーケットが形成されていくと。
36:03
松茸マーケットっていう、すごくニッチなマーケットができていくっていう。
日本の食材って、意外にニッチ。
あのほら、タコとかもそうじゃないですか。
デビルフィッシュって言われてますね。
え、あれ食べるの?みたいな。
だから、全然違うところなんだろうね。全然、どこだっけ、国忘れちゃったけども、
すごい遠いところで、そこの人たちは食べないけども、日本のためだけにタコを摂ってるとか。
今もそうかちょっとわからないですけどね、そういうのはありましたもんね。
で、やっぱり今はね、日本だいぶ長楽してますから、お金全然ないですけど、
1990年代とか80年代の頃なんか、日本人に何か売れば金になるっていう。
で、何かしら日本人に何か売れないかな、何か売れないだろうかって、
まあ、みんなコシタンタンと考えてた時期だったわけですよ、この時代っていうのは。
で、日本だってやっぱり何かいいものはないかって思ってた時代だったでしょうし、
まあ、そこで松茸ですよねっていう。
当たり障りなく必ずみんな欲しいであろうっていうものの一つでしたもんね、きっと松茸。
でもこの松茸っていうのはですね、これ工業製品じゃないんで、
いつどこにどれだけ生えてくるのかっていうのは全く誰も予想がつかないんですよ。
そりゃそうですよね。
で、天候とか森のコンディションとかにもよるでしょうから、
すごく生えてきてめちゃくちゃ状態のいいものがどっさり取れる年もあれば、
全然取れない年もあるわけですよ。
だからすごく不安定なんですよね、これに頼って生きていくっていうのは。
すごく不安定なところで生きていかざるを得ないっていう部分もあるんですけれども、
あとはこれに関わっていく人たちっていうのも、社会的にやっぱり不安定な身分の人が多い。
多分そういう人たちがこれに関わっている、ほとんど。
難民で普通の賃金労働にはつけないような人たち。
もしくはその白人の人でも、やっぱり失業した人とか退役軍人の人たち、
その退役軍人の人たちっていうのも、やっぱりなかなか普通の仕事につけないんですよね。
戦争の傷がなかなか癒えないので、街中にいてもやっぱりちょっと精神的に無理だ。
特にベトナム戦争って、あの時はそれがすごい問題になりましたもんね。
そうなんですよね。だからPTSDとか、それでなかなか普通の社会には戻れない人っていうのもたくさんいたわけで、
そういう人たちは人から遠ざかった森の中で生活をしているとか、
あとは自由になりたい寄せ人とか、いろんな人たちが森の中に入っていく。
39:05
なるほど。森から出てくるんじゃなくて、今回入っていくパターンですね。
そう、入っていくパターン。今までは出てくる人たちでしたけど、今度は森に入っていく人たちで。
この本自体がグローバル社会とシステム、資本主義ですよね、を巡る話でもあるんですよ。
年々そのシステムの力がものすごく強くなるし、複雑になっていく。
それにつれてですよ、石取りゲームみたいになってるなっていうのは個人的な感想なんですけど、
そこのシステムでやってくる人たちっていうのはどんどん限られていってるんじゃないかと。
これだけシステムが広がっていってるのに、それでやってくる人たちっていうのはどんどん少なくなってる。
これはどういうことだみたいな。
そうですね。
いってる人たちだけなんじゃないか、これはっていう。
だからどんどんそこから脱落していったりとか、せざるを得ない人たちとか、もうそこにいたくはないっていう人たちとかが、
どんどんどんどん増えていく流れなのかなっていうふうに思っているんですけれども、
そのシステムの外に出た人たちっていうのは、何の保証もないわけですよ。
システムってやっぱり、非常っちゃ非常なんですけど、一応保証はしてくれる部分もあるじゃないですか。
はい。
こちらから労働とか何かしらの対価を払うことによって生活が保証されるって部分もあるんでしょうけど、
でもシステムの外っていうのはそういう保証が一切ないところなので、めちゃめちゃ不安定だと。
でも、自分で全部裁量ができるから自由っていうのはある。
それがやっぱり森の中。
なるほどね。救世主松竹。
松竹もですね、読んでてすごい、松竹に目つけたの本当にうまいなと思ったんですけど、
松竹って人の手がある程度入ったあれのところに出てくるんですよね。
こんなもう何もないだろうっていうところに、ここって出てくるみたいな。
だからもうなんかあんまりもうここには何もないんじゃないかっていったような、
システムの外に追いやられて、何かもう希望もないようなところ、荒れ果てたところにも松竹が生えてくるっていう。
なるほどね。
松竹のようなものが生えてくる。
希望なんですね。
希望なのかなっていうところなんですけど。
でも松竹は松竹で生えてくるかどうかわからない。
そうなのね。
でもそのシステム化された資本主義が安定はもたらさないんではないかっていうのをみんなもう薄々わかりつつあるっていうか、
それに気がつきつつあるっていうところで、なんか話がすごく脱線しまくってて、今回聞きづらい回になっちゃってるなって思うんですけど、
42:05
これ読んですごい思ったのが、去年のあれかな、ブックオブザイヤーで話したの、ノマドっていう。
はい、ノマドね。
そうそう、会ったじゃないですか。
会いました。
車中泊しながら、これもアメリカなんですけど、アメリカをさすらいながら、その時その時の仕事をしながら生活していくっていう。
あの人たちも家にずっといたのでは、もうこれは先がない。
もしかも家にもいられない。
もう、じゃあどうすりゃいいんだっていうような時に、なけなしのお金を払って、車を改造して、車で生活できるようしながら、
キャンプ場とか、アマゾンの倉庫とか、そういうところで働くっていうのは、やっぱりシステムの外に出ていくっていうことですよね。
そうですよね。
なんてか読んでて、すごい不思議な独感だったんですけど、それだけ聞くと結構悲壮な感じもするんですよ。不安定なところに身を置いていくっていうのは、なんかそれだけでもなかったような気もするんですよね。
そうですね。でもそれって、たぶん今日本でもすごく多いじゃないですか。
そうそう。
システムからこぼれ落ちた人じゃなくても、自らそこから出て、そんなにお金持ちになるわけじゃないけれども、自分のやりたいこととかで政権を立てていくとか、そういう人が増えてきてるから。
でもさっきの、マトさんもノマドのことを思い出したっておっしゃってましたけども、私もいろんな本が浮かんだなと思って、この増田家の話を聞いたときに、今までこのつんどくざんまいでお話した本の、いろんなアフリカのスイカのお話とか、
なんか集大成?最終回になっちゃうの?みたいな。
そうなんですよね。システムの外っていうか。
今までは日本も先進国もそこを牽引してきた国ではあったので、このシステム、社会主義、社会主義じゃないよ。それ反対ですね。
なんていうか、経済が発展すれば生活も発展していくんだっていうような、そういったシステムがもう機能しなくなってきている。
そうですね。発展してきてる。
行き着くとこまで行き着いてきちゃった時に、これをずっと突き詰めていっても多分希望がないなっていうふうに、気づいた人が自らそこから離れていったり、離れたくなくてもやっぱりイストリーゲームなんで、どんどん椅子に座れなくなっていっちゃうっていう人たちがシステムの外に追いやられてしまうっていったときに、
じゃあそこで世界が終わるのかっていうと、でもそのシステムの外にはまた世界があって。
45:03
そうですね。日常が続いていくわけですからね。
とても不安定なんだけれども、ただもしかするとそこにまた違う世界ができてきているのではないのかなっていう、町竹が生えているのではないかっていう。
最近文化人類学の本とかがすごい色々出てるなっていうふうに見ていて、自分も文化人類学の本を結構読むことが多いんですけど、それもこの社会じゃない可能性は他にないんだろうかっていうのを探すためっていうか、別の世界をちょっと見たいなっていうのもあって、読んでる部分はあるなっていうふうに思うんですよね。
そこからちょっと今後の生き方というか、それを考えるヒントになることがないかなって、たぶんこのままずっとこの世界にどっぴり使ってても、これちょっと行き詰まるなと思って。
行き詰まるし、行き苦しいから、ちょっと別の世界を見て、何かちょっと考えるヒントが欲しいなっていうのもあって、全然自分たちとは違うような生活をしてる人たちの生活の話を知りたいっていうのはすごく今あるのかなって思うし、他の人もそういう思いがあるから、いろんな本が出てきてるのかなっていうのは思ったりしますね。
でも、そのアレで行くと的さん、森に行っちゃいますよね。
森に帰っちゃう。
森に帰っちゃう。
ガールドとしてでもないけども。
なんならもうね、うちの母親も山生まれの人なので、それこそキノコを採ってたりとか。
そうですね。熊の方を読みながら森に行かなくてはいけない感じですよね。
そうですね。タケノコを掘ったりとか。
だからやっぱりこの番組を聞いてると、森に行くことになっても大丈夫っていう。
最終的に。
心強さがある。
熊、戦うかとか。
そうなった時にはどうするかみたいな。
今回一個もないですけど、森に行ってどうするかみたいな。
マスタケの採り方を改善するわけでもなく。
赤松が生えてる。
荒れた土地を探すとマスタケが生えてるかもしれないよっていうのはわかるかもしれないですけど。
でもそこにまたね、魚とヤクザみたいに悪い人たちも入ってきちゃったりするじゃないですか。
そういう高価なもののところには。
そうですよね。
そこが難しいところですよね。
そのマスタケマーケットっていうのはですね、ちょっとさっき話しちゃいましたけど、
オレゴンの地下資源じゃないですけど、非公式なマーケットみたいな感じなんですよね。
だってそこのマスタケ狩りしてる人たちぐらいしか関わりのない市場なんで。
48:03
しかも難民で逃れてきたアジア人なんて、アメリカの中ではもう返協も返協みたいな人たちなわけですよ。
あんまり面に入らないような人たちなんですけど、そういう人たちが形成するマスタケマーケットがまたあって、
マスタケをお金に変えて日本に輸出するって言った時に、
でもマスタケを獲ってる人たちってマスタケがどのくらい価値あるかって全然わかんないですよ正直。
日本でどのくらいの価値を持って取引されるのかっていうのはそこまではわかってないんですね。
これちなみに取材したのって2000年代か2010年代の最初の頃ってところなので、
一般の人が気軽にインターネットに触れられるような時代ではまだなかった頃なんですよね。
今だったらスマートフォンあるので自分で調べたりとかするっていう手段はあるんでしょうけど、
この当時はそういう個人が離れた土地のマーケットを市場を調べるっていう術っていうのはほぼなかったので、
取ってる人たちっていうのはただ取って市場の仲介人たちに売ってそれを監禁してもらうっていう作業が必要なわけですよ。
やっぱり市場なわけですね。市場が必要なわけ。直接取引はできないので。
そこの市場の話もすごく面白かったんですけど、市場っていうのはやっぱり上下があるから面白いんだと。
ゲーム性が出てくるからみんな興奮するんだっていう。熱中するんだっていうふうに書いてあって。
だからそこにもやっぱり資本主義的な状況、世界が広がってきてるわけですよ。発生してくるんですよね。
なんかすごく市場から離れたところにあるようで、やっぱりそこも市場が発生するとそういった資本主義みたいな話が出てくるっていうのもすごく面白くてですね。
やっぱり競争っていうか、一定価格でずっと買ってくれるだと、これは面白くないんですよ、やっぱり。
そりゃそうですよね。
昨日はすごい高値で売れたけど、今日は昨日の半分ぐらいだったみたいな。
明日どうなるかわかんないとなってくると、これはやっぱり面白いですよね。明日もっと3倍ぐらいになってるかもしれないし、ひょっとしたら今日より悪いかもしれないけど、
やっぱりそこにかけてみよう、だし。
もう投資ですよね。
そう、投資ですよ。株ですよね。
そうですね、相場。
そう、相場なんですよね。
しかも、マスタケにしたって、毎回毎回同じところに同じ品質のものが生えてるとは限らない。マスタケなり自体がすごいギャンバル性があるわけですね。
そうですよね。そもそもがね。
それはやっぱり、より人々をマスタケ狩りに駆り立てるっていう。
51:00
ダメじゃないかな。
やっぱりそこには生活をするためっていうだけではない。またやっぱり一つちょっと人間の欲望みたいなのも絡んでくるっていう。
もう脳裏にマグロ漁船。
マグロ漁船がずっと。
私の脳裏に。
1本釣ったら3000万みたいな。
あれもっと釣るんでしたっけ。
今年すごい値段がついたのありましたよね。
ありましたね。大間のマグロ。
やっぱ市場ってそういう風になり立っていくんだなって。
だからどんな小さいところでも、どうしてもポッと発生してしまうものなんですよね。
で、確かアフリカの霊災商人の話でも似たような話があって、不安定だからいいんだみたいな。面白いんだっていう。
不安定だからみんな商売やろうって気になるんだっていう。
確かにね。
だからアフリカの商人一番嫌な状況っていうのは、同じ状況がずっと続くことだと。
状況が変わらないってことは悪くはならないかもしれないけど、これ以上良くもならないから、希望がなくなっちゃうっていうのがすごく面白くて。
だからドラッグに走るとか。
日本人にはちょっと薄い安定を求める。
でも安定っていうのは人間の精神的にはあんまり良くないっていうのは退屈し始めると良くなことを考えないみたいな。
まあまあまあそうですね。
安定の高さ低さも変わりますしね、その時によって。
そうですね。低いところでずっと安定しちゃうとか固定しちゃうとかね。
今みたいに停滞っていう。
そうですね。停滞だとやっぱり多分良くなことを考えないですよね。
そうですよね。
面白いですね。
不安定さっていうのは不安定だからネガティブっていうわけでもないっていう。
まあその不安定さの中にはすごい飛び抜けていい時もあるっていうことがね。
可能性があるわけですよ。予知があるというか。
でもシステムはそれがないですから、もう全部決まってるっていう。
だからそこの外に出ていけば、保証はないけどもしかしたらビッグチャンスがあるかもしれない。
無限大ですからね。
マスタケが生えてるかもしれないわけですし、システムの中にはマスタケは生えてないわけで。
あれのに生えてくるものなのでマスタケは。
でもどれぐらいで取引されてるもんなんですかね。
これが一番高値がついた頃というか1993年のことで1ポンドあたり600ドルにもなったことが。
結構な。それはちょっとアメリカンドリーム。
1本で300ドルを手にすることができた。
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マグロ。小さいマグロ。森のマグロ。
300ドルっていくらぐらいなんですかこれ。
だからその当時だと20年30年ぐらい前か。
30年前だとまだ300円ぐらいするかもしれないですよね。
360円ぐらい。
そしたらまあ。
すごいすごい。
そしたら9万円ぐらい。
じゃあ1本10万円ぐらい。
じゃあ日本でだとそれいくらで。
そこで中華料も入ってくるでしょうからね。
でもすごい。それはすごいですね。
日本もすごい時代ですね。
ちょっとバカだったんでしょうね。
資料がバカになってた時代なんでしょうけど。
それを大き化されたらやっぱり10万円。1本10万円と思って。
森に可能性があるかもしれない。
確かに。
でもそれが取れることを保証されてはいないから。
だからこそ欲望がかきたてられるってことですよね。
そしてほらマスタケって大きければいいって問題もなかったりするじゃないですか。
そうなんですよね。
だからこの日本人の気持ちになって探すのも大変ですよね。
でも結局のところそこはやっぱり取ってる側としてはそこまで情報がないわけなので。
どういうのが高値に取引されるかっていうのも
わからないままとりあえずマスタケ取ってくるみたいな感じなので。
あとはそこの価格っていうのは日本でまた取引される時の価格とは可能性もあってないっていうところもあるみたいなんですよね。
だから現地で取ってきた人たちに仲介人の人がお金払うのと
実際の日本におろした時の価格っていうのはまた違うっていう。
これじゃあ真ん中に入ると難しそうですよね。
日本のことをわかってないと。
そうなんですよ。
グラムで買ったところで値段にならない場合も。
そうなんですよね。
その間に入って翻訳をしていく人っていうか価値を翻訳していく人っていうような位置づけにもなってるっていうのも
結構このマーケットの話で面白かったですね。
別の文化から別の文化に物を売るっていう。
それを全く自分たちが価値がわからないっていうね。
そうそう、価値がわからないっていう。
日本の市場に入って売られていく時の仕組みっていうのもまた結構面白かったんですけど
日本に輸入されていって市場に入ってそれが全部シェリンかけられるかっていうとそうでもないんですよね。
契約してる料亭とかまた真っ先を下ろす会社っていうのがいる。
使う会社っていうか下ろしていく会社っていうのがあって。
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だからシェリンかける前に契約紙買っていくところがあるんですよ。
いいところっていうのはシェリンに入る前に本当にいいところのものをごそっと持っていくんですよね。
あるじゃないですか。
世の常ですよね。
世の常ですよ、それは。
世の常ですね。
手に入る前にいいものは抜かれてるわけで。
分かります。
ただやっぱりこれも本当に感覚でしかなくて。
その入ってきた松茸を選別するときに、これはあの料亭で欲しそうな松茸っていう。
あそこの卸の会社が買ってくれそうな松茸っていうのをまた振り分けていくっていう。
そこでもやっぱり翻訳作業が必要だし、やっぱり独特の知識が。
帳簿としてそれ付けられるのかっていうところですよね。
帳簿が存在するかどうかまた怪しいところですけどね。
商品カタログでも付けられないじゃないですか、そういうものって。
カタログにはできないですよね。
市場ってカタログっていうか、全部企画にして、企画で全部カタログを作って、それによって価格を決めていくっていう流れがあると思うんですけど。
そこにのっとらないものは何かがあるっていうことですよね。
それこそマグロとかタコとか、ああいうのって大体形も決まってるし、あとは大きさとか。
厳密に言えば油の塗り方とかあるのかもしれないけども。
大体形って決まってるじゃないですか、魚の形とか。
だけど町竹ってわーって開いちゃったりとか、いいとされる形が、なんとなくぼんやりみんなこういうのがいい町竹だろうなと思ってるけども、
それが企画としてはあるわけじゃないですもんね、何センチとか。
だからそれはもう感覚、ずっとやりとりしている中で形成されていく合意っていうか。
めちゃくちゃ日本っぽいなっていうか、日本以外でもおそらくあるんでしょうけど、食とかの世界って結構そういう、食材の世界って結構そういうのありそうだなって思いましたね。
でもやっぱりトリュフとかもね、たぶん私たちはよくわからないけれども、あんまり大きすぎてもダメなんでしょうしね、きっとあれも。どうなんだろう、大きいほうがいいのかな。
でもね、色とかツヤとか香りとか、豚さんが探したかとか、なんかいろいろね。
あれ豚じゃないとダメなんですかね。
犬も今探せるらしいですけどね。
でもね、豚さんが探したほうが効果そうじゃないですか。
イメージでしかない。
イメージでしかないですけど。
あれもおじさんたちがこうね、袋に入れて売買するっていう。
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なんかあれもやっぱりマーケットがあるんですよね。
あるですよね。
トリュフマーケットって、それこそ去年見に行った映画で、ピックっていうニクラス刑事が森に陰党してトリュフを取ってる、陰党してるおじさんの役をやってる映画で、相棒にした豚が何者かに連れ去られて、豚を探しに行くっていう映画だったんですけど、
その中で取ったトリュフを取引するマーケットみたいなのが出てきて、多分それが松茸マーケットっぽい感じの雰囲気だったんですよね。
絶対これ非正規な感じのマーケットだよな、取引場だよなっていう、ちょっとアンダーグラウンドな感じの雰囲気のシーンが出てきて、結構こういうのってあるのかな、アメリカとか思いながら。
なんかちょっとわからない世界ですよね。
でもやっぱりハズレ者が関わってるっていうような、やっぱり描かれ方だったので、ちょっと松茸マーケットもそういう雰囲気にあるのかなとか思いながら、その映画のこともちょっと思い出したりとかして。
日本に入ってくる松茸の背景にはそういう、いろんな、まさかそんな東南アジアの難民たちが森に入って取ってきたっていう背景があるなんて、ついも知らず高級料で松茸を食べるっていう。
で、罪深い。またね。
罪深いっていうか、なんか不思議な世界だなっていう。
不思議ですね。でも全然そんなことを考えずに松茸見てましたもんね。
スーパーとかに並んでたりして、あ、高いなーとか、海外産なんだなーとか思ってましたけど。
そのぐらいですよね。せいぜい海外でも松茸取れるんだなーっていう。
中国産が多いですけど、北米産とかもたまに会ったりとかして、アメリカでも松茸って取れるんだーって思ったけど、それがどのような人たちがどのように関わって、どうやって、どういう史上経ってきたのかっていうのって、なかなか考えたことはないし。
松茸が生えてくる歴史っていうのも考えもしなかったっていう。
まさか松茸目線になってみることが人生であるなんて思わなかったですね、私。
松茸、すごい前ですけど、NHKで松茸がどうしたら生えるかっていう実験をしてたんですけど、松茸を研究してる人によると、ある程度風が吹いて松が揺れること、あと雷が鳴ること。
本当ですか?って思うんですけど。
神話の世界みたいな。
神話の世界みたいなんですけど。
でもさっき的さんがお話してた、荒れたところだから、木がちゃんと生えてないっていうか、周りに風を防ぐような木が高い木がなかったりすると、やっぱり風通せが良くて揺れるんじゃないですかね。
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で、イメージ的に雷とかもありそうじゃないですか。
イメージ的に。
なんか広いね、広大な土地に。そうすると松茸が生えてくるんですかね。
最後の方にこれも松茸山を復活させようっていうような、日本の里山活動の取り組みとかも紹介されていて。
この方結構日本の京都とかに行って、そういった研究されてる方とかも調査してたりお話し聞きに行ってたりするんですけど、松茸十字軍っていう章がありまして。
しかもこれ、副題が松茸の応答を待ちながらっていう。
え、更新できちゃう?
その応答?
松茸の声を聞くっていう。とうとう松茸の声を聞き始める人まで出てきましたね。
そうですね、すごい。でも松茸を生やすにはということで、今までの里山とかだと豊かな里山ということで、木をたくさん生やしてっていうようなイメージを、私はどっちかというとそっちのイメージが多かったんですけど。
そうではなくて、一度人が手を入れた森とか山っていうのは定期的に人間がその手を加え続けないと維持できないっていう。
そうですね。
松茸っていうのはさっきお話したよりちょっと荒れてるところの方がいいっていうのがあるので、松茸山復活させようということで、あえて不要度というか、ふかふかに積もりすぎてる。
これ積もりすぎてるととるか、すごく豊かな森ととるかは、松茸目線で考えた時のお話になるんですけど、あくまで松茸目線で松茸にとってのいいコンディションっていうなってくると、ふかふかになってる堆積物ですよね。葉っぱとかの。
そういったものをすいて、木もなるべくまばらにっていうような、松茸にとってコンディションのいいような環境を整えていくっていう覚悟をするたちもいて。
でも松茸って、この話で結構人の集まり、いろんな人がより集まっていくっていうのも一つテーマになっていて。
さっきの市場もそうですよね。松茸買ってきた人たちがより集まって市場を形成して、それを日本に送るっていう。松茸を通していろんな人たちが関わり合っていくっていうのもあるし、日本だとそういう松茸を復活させるためにいろんな運動をしている人たちがいて、
普段だったら関わり合いのないような会社員やってますとか、学生ですとか、そういう人たちが田舎の人たちとつながって、こういったサッター運動をやっていく、松茸を通してっていう。
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松茸っていうんだから、いろんなものとか、植物とかもそうらしいですけどね、松茸を通して松茸で共存している植物とか。
松茸は松と一緒にいるわけで、それだけで成り立っているものではないんだと。そういったこともテーマになっているような本ですね。松茸は松をハートオーナーにして、松も松茸がいるからこそ生きやすいっていうような、そういう環境を作ってもらえるってことですね。
生きやすい。そう。で、人間は、っていうか日本人は松茸が食べたいから、松茸が生えてくるような山を作るためにみんなで集まって、松茸山を作っていくっていう。なんちゃって荒れた山を作るってことですね。
なんかすごい、豊かな環境って、何にとっての豊かな環境によるかだよなっていうのもちょっと今回思ったりはしましたね。本当ですね。確かに、普通の山にとっていい環境と松茸にとっていい環境は違うってことですもんね。
たまらんしも一致ではないんだっていう。そこで利害じゃなくて、利益がある人によってその環境って変わっちゃうってことですよね。そういうことでもありますよね。
山ですよね。木を伐採してっていうのとかも、誰かの都合とか、その時代に必要とされていたからっていうところもあるでしょうし、松茸って結局別にみんな生やしたいから生やせたっていうよりは、なんかそういうものに付随してたまたま生えてきたみたいなところもあるんだけど、今逆に松茸を生やすために環境を整えてるみたいなところもあって。
なんかまた面白いフェーズに入ってきたなみたいな。そうですね。不良がいい歌歌ってたのに、いい歌のために不良を作るみたいな感じですよね。あれ?違う?
でもなんか松茸ってちょっとそういう厳しい環境の方は、俺はそっちの方がいいんだよねみたいな。そうそう。新学校とかちょっといいとこの学校いるのはちょっと言い心地悪いから、なんか不良たちがいる学校にあえて行くみたいな。完全に尾崎豊が今私の頭の中に。
ちょっと言いづらいから、ちょっとあれだ、ヤンキーとかいっぱいいるところにいた方がいいみたいな。そっちの方が輝けるみたいな。いい歌歌えるみたいな。そうそう、いい歌歌える。だから、ちょっとこの松茸目線でもの見ると、豊かさとはとか不安定さとはとか、それって本当にいいものなのか、もしくはネガティブなものなのかっていうのも、
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ちょっと見方が変わってくるなっていう。そうですね、松茸がもし天下取ろうって思っちゃったら、松茸が本気出して天下取ろうと思ったら、もう日本中の山は荒れちゃうってことじゃないですか。そうですね。でもそれがまた松茸にとっていい環境なのかどうかもわからないですよ。
そう、価値が下落しちゃうから。かもしれないし、全部がそれになっていくっていうのは、必ずしも生きやすい世界なのかっていうとまた違うのかもしれないですよね。ああ、難しい。だから、この価値だけが正しいとか、これやっとけば大丈夫っていうのは本当にないんだなっていう。バランス。バランスですよね。あっちに立てればこっちは立たずみたいな。
でももしかしたらこっちにとってはすごくいいことなのかもしれないみたいな。バランスが難しいんですよね。でも何でも多分。一番いいところでっていうのはなかなか難しくて、松茸にとって最高なコンディションでも他の材料にとってはどうなんだっていうようなことだったらもちろんありますからね。
すごいバランスを良くしちゃうと、またそれを安定と捉えて、面白くないっていう人たちもいるわけですよね。アフリカン承認はそれが面白くないわけで、ギャンブリに発ちゃうみたいな。だから民族とか、それでも違うから考え方が。
どこ目線で見るかによって、全然その良い悪いって変わってくるよなっていうのは、この松茸の話を見ながら思いましたし。あとやっぱり、もうここには希望がないかもしれないっていうところにも行くチャンスがあると思って動いてる人もいるっていう。
そこがむしろチャンスかもしれない。システムが行き詰まったってなったときに、そこにもしかしたら活動があるかもしれないっていう。
ピンチはチャンスってやつですね。
ピンチはチャンス。松茸にとって。
今回、だんだんお話が終わりになっていくわけですが、でもですね、松茸今ピンチなんですよ。最近なんですけど、2020年に松茸なんと絶滅危惧種に指定されて。
松茸なかなか受難の時期になっております。
やっぱり、世界的に松茸の被害っていうのがものすごくあるのと、やっぱり環境が激変してきているので、松はやっぱりすごく枯れてるっていうのと、あとやっぱり断角ですよね。めちゃめちゃ枯れまくってるじゃないですか。
アメリカでももう毎年何万トン、何百万トンも刈ってる時期があったりですとか、日本だってもう刈り尽くしてるような状態なので、松茸にとっては今受難の時代で本当に貴重なものになってしまっているというところですね。
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人はね、貪欲ですからね。取りまくっちゃう。
そう、やっぱり欲っていうのは果てしないなっていうところでしょうか。
本当ですね。でも一回ぐらいはちゃんとした松茸食べてみたいなって思いながらですね、荒れた山に行きましょう。
荒れた山に行くか。
ちなみにこの本の現代はですね、世界の終わりの松茸っていう。
でも世界の終わりに松茸は生えてくるっていう。
世界が終わった時に松茸の時代が始まるっていうことですね。
そうか、世界取っちゃうかな、松茸。
でも今度松茸を見た時には、松茸を巡るいろんな世界が香りともに思い出されるのではないですかね。
そうですね。戦争は良くないなって思いながら松茸を見ようと思います。
ちょっと松茸の季節までは遠いですけれども。
長谷園がありますから。
それまではしばしお待ちいただければと思います。
面白かったです。ありがとうございます。
今回はこんなところでしょうか。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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