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皆さん、こんにちは。この番組は、誰もが知っている名作から、あなたの知らない日記すぎる本まで、ゆるいトークで紹介する特書系ポッドキャストです。改めまして、こんにちは、的文子です。
こんにちは、梶原コーヒーです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回なんですけど、今年の一冊と言いますか、今年読んだ本の中で、特別印象が残った本ということで、ブック・オブ・ザ・イヤー2022をお話ししようかなと思います。
はい、よろしくと思います。
どうですか、梶原さん。今年の読書生活的には、どんな感じでしたかね。
なんか、このポッドキャストで、壮南シリーズやったじゃないですか。
2月にやりましたね。
そう、そのために壮南本を読み返したんですよ、私、今年。
そうでしたね、ずっと壮南シリーズだったから。
そう、そしたら、壮南から逃れられなくなってしまって。なんか、ポッドキャストの収録が終わった後も、ずっと壮南本を読んでいて、ずっと迷ったまま、春が終わってしまった感じで。
戻ってこないって思いながら見てました。
戻ってこない。
春の雪かけとともに、エコーが戻ってきたかなっていう。
そうですね、そんな感じで。だから、1月とか、壮南本をやたら読んでいたので、すごい読んでいる気になったんですけども、蓋を開けてみたら、もう壮南が終わったら、めっきり読まなくなってしまった。
だから、殺数的にはそんなに読んでないですね。
そうですか。
漫画はなんか、スルスルっと。さっき打ち合わせの時にも話したんですけども、漫画は飲み物なので。
飲み物ですよね、ぐらいの。
よく共通認識ですよね、ぐらいのノリで言われて。飲み物でしたっけ、みたいな。そうだっけ、みたいな。
漫画は飲み物なので、カウントには入れてないんですけども。
漫画はお勧めされたのは、Amazonさんとかからもお勧めされますし、ツイッターとかでもフォローしている方がお勧めしてくださるものは、結構わーっと読んだんですけども。
でもね、その飲み物をカウントに入れていいのかっていうところとか。
だから、一応、葛司の方で。ということで、私も2冊用意いたしました。
わかりました。
はい、そういう的さんは。
私の方もですね、今年は全然読んでないですね。今の時点で50冊も行かず、多分30冊も行ってない状況で、これかなり読んでない年かなっていう感じですね。
そうですね、でも的さん、なんかちょっとお忙しかったですよね。お仕事とか、あとなんか資格の勉強とかあって。
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そうですね、途中の何か資格の勉強し始め、毎日2時間くらい勉強しないともう。
受験生かな、みたいな。
受験生でもこんな勉強しなかったよっていうぐらい毎日やってるんですけど、結局勉強すると、それにちょっと脳のリソースが食われてしまって、もう何も入る余地ないんですよね、これ。
あー、そうですよね。
読んでも全く入ってこないんですよ。
そうそう、だから多分なんですけども、この集中力がどんどん落ちてくるじゃないですか、若い時から比べると。
そうなんですよ、本当にそれは本当に日々、日々実感してますけど。
そうなると、その余力が残ってないから、そこで読書への集中力には触れないから、私は飲み物に逃げてしまうんですね、きっと。
どっちかっていうと今、ポストキャストですね、それが。読ませると、もうダラーって引けるんで。
そうするとポストキャスト効いてますね。
なかなかやっぱり、画筋を読むって集中力使うんだなっていうのは思いましたね。
選ぶ本自体が、昔は小説とかだったので、まだスルスル読めてたんですけども、小説でもちょっとジェンダーとかフェミニズム系とかになってくると、また削るものが出てくるので。
そうですよね、噛み応えというか、噛み砕く力もちょっと必要になってくるというか。
そうそう、自分がまだ疎い分野なので、そういうところをブラッシュアップするぞって思いながら読んでると、なかなか進まないですよね。
そうですね。
読むにしても、自動運転じゃないですけど、100%娯楽みたいな感じの小説じゃないと、こんなに進まないんだっていうのを実感した年でした。
確かに。
そんな中で、2人が選んだ本、これからお話ししていくんですけれども。
じゃあ、私の方からなんですけど、やっぱり30冊ぐらいしか読んでないと、ものすごい買っ飛ばした本っていうのに出会うっていうのがなかなか難しいなっていうところではあるんですが、
その中でも印象に残った本というので、4冊持ってきたんですけど、珍しく小説というか、フィクションの本で読んですごく印象に残ったというか、
その時は普通だったんですけど、結構後々ジワジワきたな、これっていう本がありまして、それがですね、チェイホフのワーニョおじさんっていう。
なんかおっしゃってましたね。
そうそう、偽曲なんですけど、ワニョおじさんって話題にはなったんですよ。映画のドライブマイカーでしたっけ?
それになんかちょっと取り上げられてた作品中で、私映画見てないんでわかんないですけど。
チェイホフは昔読んだけど、そんなにハマんなかったんですよね。なぜかというと結構淡々としてるなと。
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面白いところがよくわかんないまま終わっちゃうっていう話が多くて、偽曲の話だと特に。
若い時はやっぱりこう、全部盛りましたみたいな、ドフトフスキーとかの方に行っちゃったわけですよ、全部盛りみたいな。
そうですね。
ジロー系の、もう全部バシバシみたいな。
ちょっとお得感もあるみたいなね。
お得感もあるし、3冊もあるみたいな。
チェイホフもロシア文学だしなと思って、読んだものの全然覚えてなかったんです。
この年になってですね、ワーニャーおじさんを読むとですね、わあ、これが刺さる刺さるっていう。
刺さりまくるっていう。
え、カウントダウン書いてたっけ、この人っていう。
ちょっとまた新しい出会いがあった作家ではあるんですよね。
あらすじをかいつまんで話しますと、ワーニャーおじさんっていうのが主人公なんですけど、この人も50近い人、アラフィフですか。
の人で、ずっと田舎の領地を、人から管理を頼まれている領地があって、親戚の。そこの領地の管理をずっとやってた人なんですよ、真面目にコツコツ。
だからといって特にドラマチックな人生があったわけではなく、真面目に仕事をしてたと。
好きな人もいたんだけど、その人は親戚の、その領地を管理する貴族の年寄りと結婚して。
なんであんな若くて綺麗なのに、そんな年寄りに行くんだろうなみたいな。俺の方がまだいいじゃんみたいな、くすぶりを持つ。
で、たまに帰ってくる夫婦を見ては、なんでこの年寄りと結婚したんだろうな、この女とかを見ながら仕事をしてるんですけど。
でもですよ、それでも我には毎日真面目に仕事をしてて、そんなに仕事に対して、自分の生き方に対して疑問を特に持ったりっていうのはなかったんだけれども、
なんかこの年になって、いきなり突然ですね、なんか自分の人生なんもねえなっていう。なんもなかったな、自分の人生っていうのに思いにたるというか。
そんな考えとらわれ始めて、なんかこのままこの先生きてても楽しくないんじゃないかっていう思いにとらわれるっていうお話で。
でも誰の人生にもこれありそうな話だよなって思うし。あとただやっぱり結構読んでて新鮮だったのは、普通のそのお話だったら、やっぱりそこでドラマが何かしらあるとは思うんですよ。
例えばワーニャーがとんでもないことをし始めるとか、昔の小説だと結構こういう時にいきなり死んじゃうとか、発狂するとか、とんでもない血輪喧嘩を始めるとか、なんかそういう方向に行きがちなんですけど、そういう話にもならないんですよ。
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というか、なりかけるんですけど、全部それがとんだするっていうか、ピストル自殺をしようかってなって、周りの人が止められて、もう先回りしてそのピストルも取り上げられて、死ぬにもしれないし、年老いて結婚した好きな女の人をまだ好きだなって思ってるんだけど、
俺にはワンチャンあるんじゃねえかなと思ってるんだけど、でもその女の人はワーニャーの友達っていうかの医者、その医者は自分と同い年なんだけど、ちょっとイケメン系なんですよ、ちょっと腫れた系の、そっちに行くんですよ、その女の人は。
聴いてるだけ刺さる。刺さるというか、わかる。
うわーってなるような、200年ぐらい、150年ぐらい前の話なんですけど、話聞くよみたいな感じになりますよね。
これ今でもよくある話だなと思うし。
人間やっぱり変わってないってことですか?
全然変わってないし、やっぱりあとはそれでも簡単と人生が続いていくんですよね。
残酷なぐらい死にもできないし、だからといってロマンチックな方向に走れるわけでもないし、しかも最悪なことに今までコツコツ真面目に管理してた領地も、年寄りが自分はもう年だし、仕事を今引退したから、この先収入がなくなっていくから、この領地売ろうと思ってるんだってことを言い始めるんですよ、いきなり。
ありがち。
だから我には仕事もなくしちゃうっていう。もう何なの、この人生みたいな。
でもね、ほんとそれ50近くなってくると、ほんとある話ですよね。
ほんとそうなんですよ。
なんかすべてにおいて、あれ知り合いの話かなみたいなね、今想像。
やっぱり自分にも降りかかりそうな。こんなにどん詰まり人生の一つもなかなか大変だと思うんですけど、でもなくはないな、これっていう。
だから1人の人の人生にはないけれども、50歳の人を10人集めたらその本と同じっていう感じが。
そうそう、何かしらあるっていう。
うまい手法。
何かに逃げられるかというと、やっぱり逃げようがないっていう。昔だと宗教が助けてくれたっていう。
最後は神にっていうような話って、昔のキリスト教系の話だと結構ありがちなんですけど、それもなんかないんですよ。神様も助けてくれないみたいな。
助けてはくれないですからね、でもそこに住まればっていう。
望みもなく終わっていくんですけど。
でもなんていうのかな、現実ってオチがないじゃないですか。
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そうです、以前もおっしゃってましたよね。
それですよね。
本当それだなっていう。
起承転結が、日本人は好きだから結構小説に起承転結あるじゃないですか。
絶対ケツっていうかオチがあるけれども、割とオチのない部位ってありますよね。
そうですね。
映画とかもそうですけど、えーみたいな。ここでーみたいな。消化不良すぎるみたいなのがありますけど。
でもロシア文学ってオチがちゃんとあるのもあるけど、そういう現実味のある話を書くイメージがあります。
やっぱチェオフの時代になってくると、もうその社会も結構万弱だったロシア帝国っていうのがなくなって、革命が起きた革命前夜ぐらい年代なんですよね、この方って。
だからそうなってくるともう社会が今まで通りではないし、今まで通りだったら貴族は貴族で、下についてる人は召使いとしてやってくんだっていう人生が。
ある意味自由じゃないから、もうそれでも決まってるんだ自分の人生はっていうふうに思えたから、辛いけどまあそういうもんだろうっていう感じで諦め落ちたっていうか。
他に選択肢がないですからね。でもそこから自由に身分も解放されて、自由にやってもいいんですよっていう時代に移っていくときに、選択肢が増えるっていうのが逆に重りになるっていうか。
自分はこれもできたんじゃないかっていうか。なのにこんな人生みたいな。
この手たらくぶりみたいな。
そうそう。でなんか親とかにも、あんたは全然ウダスが抗らなくてとか言われて。
オロクソに言われるんですけど、なんかこれ聞いたことある話。
これね若い時読んでもやっぱりわかんないですよね。
全然わかんなかったです。なんかもうしょぼいおっさんがなんかぐちゃぐちゃ言ってるぐらいの酷い感想しかなかったんですけど。
でもやっぱりこのだんだんこう、いろいろ可能性はあったかもしれないけど、今からやるにしてはなっていう年代になってくると、やっぱりちょっと我にゃのこの袋小路ぶりっていうのがちょっと身に染みてくるっていうかリアルに感じられてくる。
なんかこう所漏の思春期っていうかね。
ヒットライフクライシスっていうんですか?
あ、そうなんですね。あ、嫌な言葉だななんか。
中年期の危機っていうのがあるんですね。
ミッドナイトなわけですね。
ミッドナイト、やばい。真夜中。
ミッドライフクライシスですね。
ミッドライフか。
中期のっていうことですね。
ミッドライフ。やだな。その言葉もやだな。ミッドライフ。
あと本当にチェイホフの小説って本当に何て言うんですかね。身も蓋もないようなところがあって。
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我にゃおじさんっていうので、おじさんなんですよ、我にゃおじさんって。
誰にとっておじさんかっていうと、妹子がいるんですよ、ソーニャっていう。
その妹子と一緒にその領地の管理をしてるんですけど、
ソーニャっていうのはまだ若い、20歳になってないかなぐらいのなんですけど、
ただ言い方がないとそんなにパッとしない感じの見た目の子なんですよ。
でも真面目でいい子で、仕事も一生懸命やってる子なんですけど、
我にゃの友達のお医者さんにやっぱ片思いはしてるけれども、
ちょっと告白も頑張ってするんですよ。
でも断られてしまって、結局美しい女性の方とちょっと恋に落ちるみたいな。
ソーニャもそういう体験をしてしまうんですよね。
結局見た目じゃねえかよみたいな。
もう気づくどうしたみたいなね。
結局今だったら、いや見た目じゃないよ人はっていう感じなんでしょうけど、
でも結局人って見た目に惹かれる部分もあるよねっていう、思ったもなさみたいな。
真理だね。
でなんかソーニャが、確かエレーナっていうのが美人の白尺夫人なんですけど、
エレーナからあなた髪の毛がでも綺麗じゃないのっていうふうに褒められるんだけど、
見た目が私はそんなじゃないから、そういう人に対しては髪の毛を褒めるのよっていう。
言うっていうのがすっげえリアルだなっていう。
もう何それ。
うわーっていうね。
今の話じゃなくてそれっていうね。
なんかそれを150年前にこんなになんか身の負担もなく描くかっていうところにチェイフォフの恐ろしさを感じました。
恐ろしいチェイフォフ、ツイッター向き。
チェイフォフツイッターに向いてる。
短い短文いっぱい書いてる方なので。
だってそういうネタがいっぱい溢れてるじゃないですか今。
そうそうそうそう。
SNSっぽい。
チェイフォフってすごく若く40代くらい亡くなっている方ではあるんですけど、
人生の真理というか荷物蓋のないところを描いたなっていう作家で。
なんかほら日本の作家さんともやっぱ違いますよね。
あがくじゃないですか。
昔の三島由紀夫にしても太宰とかにしても、
俺は人と違うんだ的な何かそういうところを出さないのがまたね。
この方は医者なんですよねチェイフォフって。
お医者さんなので人間の生き死にというかどうしようもならないようなところもやっぱり立ち会わなきゃいけないっていうのを見てきた人だからこういうのを描いたのかなっていうことも思いつつ。
こんな150年前にこんな恐ろしい話を書いてる人いたのかっていうのが。
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ホラーですよ。
本当にリアルホラーだなと思いながら。
でもやっぱり年取らないとわからない作品ってあるんだなっていうのは最近すごく思ってますね。
そうですね。それは本当に年取らないとわからないっていうよさが。
そうですね。なんかいい話だったかって言われると全然いい話じゃないんですけど。
だからといって本当にどんづまいの絶望感かっていうとなんかそういう感じでもなくて、これって結局何なんだろうなっていうのはずっと考えてましたね。
なんでしょうね。同じような人がいるっていう安心感なんですかね。
でもやっぱりバーニャマにはなりたくないなって思いました。正直。見ないフリをしてやり過ごして、もうなんか取り返しがつかないところで、俺の人生何もなかったっていうのはちょっとそれを避けたいなと思ったりはしましたけど。
またね、ある意味年末にふさわしい本家も読むんだったら。
いやーちょっとこれはならないと来年みたいな。
そう、来年俺は戦うぞみたいな投稿みたいな。
そうそう。バーニャにはならないって書くっていうね。
そうそう。バーニャも別にこうなりたくてなったわけじゃないし、怠けててこうなったわけじゃないっていうのがまたなんていうかやるせないところですよね。
なんだろう、氷河期にありがち。
生まれないよっていう。
なんか我々世代にありがちな話ですよ、それ。
たまに小説読んで、この人はどうしたら幸せになれたんだろうなっていうのを考えちゃう時あるんですけど、なんとなく。
いやーちょっとバーニャどう頑張ってもここから先、心を鏡のように生きるにはどうしたらいいんだろうな、このバーニャって思いながら。
なかなかちょっと答えが出ないですね。やっぱり何か趣味を持った方がいいんですかね。
趣味、趣味かな。
そうですね、なんか。
蕎麦を打つとか。
やっぱりそっち。妙齢の男性、蕎麦を打っちゃいますかね。
蕎麦を打ちがちですよね。
あとは陶芸とかかな。
陶芸ですかね、盆栽とか。
サボテン育てるとかですかね。
そうです、モテない。
モテない、ダメだ、ダメだ、非モテだこれ。
ちょっとこうね。
ギラギラするほうがいいですか。
そうそう、ワインとかソムリエになるみたいなほうがね。
いやー、まあ嫌ね、今からソムリエ目指す。
でもほら、日曜日の夕方とかやってそうな番組に出てくるおじさんってそういう人いるじゃないですか。
だっさらしてみたいな、なんかわかんない、イメージ的に。
人生の怪談とかですね。
そうそう、そういう。野菜育ててるとか。
そうですね、田舎に。でもこの人田舎なんですよ、もともと住んでて。
移住はできないですよ。
ああいうの見てて、本当私心が荒んだ人間なので、でもこれはやっぱり都会の人なんだよなと思いながら見てたんですよ。
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そうなんですよ、つくづくそうなんですよ。
だいたいこうね、ああいう人が移住するとこってあったかいとこじゃないですか。
そう、山形とかじゃないですよね。
山形とか来てみろよと。
50過ぎてから山形はこれ体に応えるぞっていう。
だいたいあったかいところで野菜を育てたりして、余裕のある暮らしは勝者か何かに努めてきたかみたいな。
本当そういう日読み根性で生きてますよね。
そうね、雪の積もる山形なんかにいると本当に思考がキュラキュラになる。
私ももう来年40ですから、やっぱり40となるとまだまだ若いわよって言ってもらえなくなる年になるなっていうところなので。
やっぱりちょっとワーニャーの話されるなって思いながら読みましたね。
そうですね、頑張ろうと思いますね。
そうですね、投根って感じですね。
で、2冊目なんですけど、女の答えはピッチにある。
はい、いいですよね。
これ柏さん去年紹介されてたような気がするんですよね、ちらっと。
韓国のフェミニズム系のエッセイだけど、暗くないんだと。
そう。
ほら、女2人暮らしてますの、確か会の時に暗くない韓国のそういうフェミニズムもんっていうのを確か紹介してた気がするんですよ。
本屋で見つけて、これ柏さん言ってたやつかなと思って、暗くないんだったらちょっと読んでみようかなと思って。
暗いフェミニズムもんとかもちょっとそれつらいなと思って。
ちょっとやっぱ入りやすいとこから入っておこうかなっていう甘い考えですね。
で、読んでみたんですけど、これすごく面白くて、確かにあんまり暗さがなかったんですよね。
そうですね。
で、なんか短いエッセイが20本ぐらいあって、これ私、職場の休憩中に毎日一遍ずつ読んでたんですけど、職場の休憩中に15分ずつぐらい読むのにすごいちょうどいい長さで。
内容的にもそのぐらい、一遍ずつ毎日休憩中に読むにはちょうどいいような内容だったんですよ、これ。
なんかドラマ化してほしいな、これっていう内容で。
できそうな話ですよね。
そうそう、すごいエッセイなんですよね、これ実際には。
で、なんかこの著者の人が全然そういう運動経験は特になくて、でもサッカーが大好きな人で、このキム・ホンビさんのホンビっていうのはこれペンネームらしいんですけど、
で、ペンネームの由来がサッカーSSとも手がけるイギリスのサッカーニック・ホンビっていう、確かホンビさんってサッカーやってた方だったのかな。
なんかそのぐらいサッカーは見るのは好きで、ずっと見てたんだけど、自分もサッカーやりたいなってなって、女性でもサッカーできるチームないかなって探して、
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あったから参加してみたっていう、その体験を綴ったエッセイなんですよ。
で、その中に初めてアマチュアサッカーチームに参加した時の話とか、あとそのチームのメンバーの話とかも出てくるんですけど、まあこのメンバーの人たちでキャラの濃さですよね。
でもいるなんだろうな、わかるわかるっていう感じの。
そうそう、キャラ渡ってるんですけど、こういう人いるよなっていう人たちが出てくるんですよね。
イザコザがちょっとあるじゃないですか。あのイザコザも、なんかわかるわかるみたいなイザコザなんですよね。
あのエピソードも結構この中では1,2を争う印象的な話なんですけど、チームなんでいろんなとこに遠征行ったり、あとは遠征だけじゃなくて飲み会とかだったりとかするんですけど、
そういう時に下働き的な、例えばスケジュール調整したりとか、車を手配したりとか会場を手配したりとか、コマンはあといろんな総務的な仕事をする方がいるわけじゃないですか。
その人がそういう係をやってるってわけじゃないんですけど、自然とその人が結構そういうことをやってるよねっていうポジションにいる人っているじゃないですか。
そういう会とかあると。でもその人はその人で、やっぱりいろいろ気を使ってそういう調整をしてるんだけれども、これがですね、すごく面白いし難しいところだな、人間関係と思うんですけど、その人が仕事がすごくできればできるほど、その人が仕事をしてるってことを皆さん全く意識しなくなるっていうのは、
与立に現れてる会で、それでいざこざが起きるっていう。
ね、これ現実社会本当、会社とかでもありますよね、職場でも。
会社でもあるでしょうし、あとは家庭の中とかでもよくありがちですよね。
ありがちなお母さんがすごく、まあお母さんとかありえないでしょうけど、よく出るのはやっぱり主婦業をすごく頑張れば頑張るほど、家族が全然それについて気づいてくれないみたいな。
見えないところ、気働きをする人の仕事の凄さは誰も気がつかないっていう、この虚しさっていう。
ね、それで突然発狂するみたいな感じで。
どっちかというと、仕事をお願いしてしまう人、あまり気働きをできない人なので、誰かがその分やってくださってるんだなーって思いながら、そのことについて全然気がつかないっていう、このどうしようなさみたいな。
そう、なんか一応フェミニズム本にはなっているけども、そんなにこう、こわだかにいろんなこと言うわけじゃないんだけども、なんか端々にちょっと気づかされるのが挟まれてて、そういうライトさもすごくいいですよね。
ガチで戦うぞっていうのだと、マウントを取ってくるおっさんと試合する話。
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でもあれは面白かったですよね。
ドラマがありましたよね、あれは。
ありましたね。
ああ、でもこういう人いるよなっていう。
ね、でも細やかなところとかは、女性が読んでても、あ、私ついついこれしちゃってたなとか、そういうのも出てくるから面白い。
まあ女性のっていう部分ももちろんあるんですけど、女性がその社会で生きていく、でやっぱり打ち当たるその壁みたいなのというのももちろんあるし、そこを超えた話もやっぱり結構出てきて、なんていうんですかね、やっぱりさっきの人間関係の話とか。
あとは何だったかな、あとこれもすごい面白かったなっていうのは、そうそう、ライバルチームが応援しに来る話とか、あれめちゃくちゃ胸熱だったんですけど。
あれよかったです、あそこのシーンとか。
焼肉旅に行くところも。
焼肉旅、あれ焼肉旅に行くって話でしたっけ。
あれ2つぐらい出てきません?ライバルのところの話。
最初は確かそのライバルチームに全然勝てないというか、ちょっと格上、ちょっと自分たちよりちょっとだけ強めのチームがあって、ちょっとまあだからあの、傾向してる感じなんですよね。
ただ向こうの方は力はあるかなっていうチームがあって、クソみたいな感じになってるんだけれども、今度確かその作者が、作者というか著者が所属しているチームが、もっと格上の、正直自分たちよりは全然格上のチームと対戦するってなって、もうボロクソに負けるっていう話があった時に、なんとそこにそのライバルチームが応援しに来て、お前ら本気出せよみたいな。
ナイザーが本気出してねーんだよみたいな。葉っぱをかけに来るっていうシーンがすごい胸熱っていう。
スポーツ小説みたいなね。スポーツエッセイみたいな。
これそういうの見た?見たことある?みたいな展開が。なんていうか、それはやっぱりこう流れでずっと読んでいくと、またグッときて、これドラマ化してほしい本当にっていう。
エッセイの中でも、毎回結構希少転結、それこそチェ・ホフトは真逆で、希少転結があって、で、何かテーマがあって、ちょっと感愛させられたり、笑ったりできるっていうようなエッセイ集でもあるんですけど、エッセイ集全部で読むとすごいやっぱり、またそれはそれでストーリー性があって、読みごたえがあるっていう。
で、これどこに置くんだろうなっていう、本屋の中で置くとしたら、どこに置くんだろうなって感じですけど、なんかフェミニズム本か、もしくは私見たのはサッカーの棚でこれ見たんですけど。
なんかスポーツ系に置いてあってほしいですよね。この方が。
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でもなんかフェミニズム本かサッカーの棚ってなると、あんまりそこって人いかない棚なんですよ。そこに興味がある人しかいかなそうな棚にこれ置かれるのすごいもったいない本だなと思って。なんかもっとこれはジャンルレスで読まれてほしい本だなっていうのはすごい思ったんですよね。
で、フェミニズムってまだ関心のある人はすごく関心があるけれども、昔に比べたらすごく本は出てきて目につきやすくはなったけど、やっぱり関心を持つ層というのはまだ限られてきてるなって思うし、
なんかいっぱい本が出てるけど、どこから読んだらいいかっていうのもあるし、やっぱりちょっと怖いのかなって落ち込んだりするのかなっていう。
なんていうか、ちょっとまだネガティブな印象っていうのはあるかなっていうのは正直個人的にあるんですけど、やっぱりそれを蹴散らすこの明るさというかパワーですよね。
まあいろいろあるけど、でもサッカーやってる時はものすごい夢中になってやれるよねっていう。なんていうんですかね、出てくる人たちが本当に。まあいろいろあるけれども、なんかやっぱり前向きというか明るさがすごく。
私はその他のまあいろいろ考えなきゃいけない問題とかもあるけれども、その明るさにやっぱり引っ張られて、あんまり抵抗なくというかスルッと読めて、そこをきっかけにやっぱり考えるところもあったので、やっぱり入り口ってどういうとこから入るかって結構大事だよなっていうのはそう思ったんですよね。
ね、この本と女二人暮らしていますが、並べてちょっといろんな人に手に取ってもらいたい感じはしますよね。
そうですね。別にね、女二人、これ両方とも女っていうのが出てくるんですけど、別に同じじゃなくてもいいかなって感じもするし。正直そんなになんか性別のことを言わなくてもいいような社会になるのが一番いいんでしょうけど。
なんていうか、取っ掛かりとしては、ペンギンズムだけどサッカーの本でもあるけど、最終的に読んでいくと、本当に人間関係とか生きるとはみたいな。楽しく生きるとはって、さっきのワーニャじゃないけど。
ワーニャさんに読んでほしい、まずは。
ワーニャこれ読みな、サッカーしようみたいな。サッカーすればいいのかなって。
モテるよっていうね。
チーム11人集めるの大変そうだなって感じですけど。
でもほら、ワーニャが入っていけばいいんですよ、チームに。
そうかそうかそうか。
おじいちゃんチームと戦うみたいな話とかもありましたよね。
おじいちゃんチームと戦うのも結構好きでした、あの話も。
そう、みんな同じ顔に見えるみたいな。
でもあのシーンで、戦ってたおじいちゃんの中の一人が亡くなって、
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ああそうか、そういう年だよな、この人たちっていう風に。
あと、校庭もどうするか。
校庭の話もね、なんかありがちですごい。
リアルだなこれ、みたいな。
なんか笑いだけど、ところどころにちょっとうっちゃないか、
リアルに遭遇する、これどうしたもんかなっていうような話が顔を出してくるっていうね。
それででもあれも、ちょっと潤覚えなんですけども、
作者の人がサッカーのチームに入った時に、何か目標にしてることがあったじゃないですか。
最終的にそれは叶わなかったんだけれども、みたいな感じで終わりません?
え、そんなありましたっけ?覚えてない。
なんかこう、私もちょっと最近読んでないからですけど、
なんかでも、その最初に立てた目標は、まだ到達していないけれども、
よしとしようみたいな感じで終わってるところが、またすごくいいなと思って。
その、到達してなくて悔しいとかじゃなくて、
よしとしようぐらいの気持ちっていうのが、すごく読んでても楽っていうか。
そんなに、作者の方も私に比べては若いけども、うんと若い人でもなかったじゃないですか。
そうですね、たぶん30代?
それぐらいだから、そういうちょっと肩の力が抜けた感じっていうか。
あー、そうですね。
なんか深く、悩みすぎない。
あー、思い詰めすぎないというか。
激しく、そうそう、怒りすぎない。
そういうほどほど感が、また読んでていい本でしたね。
そうですね、なんかこう、達成できないからダメなんだとか、なんか即発しないというか。
そうそうそうそう。
どっちかっていうと、どうやって人間関係を良くした方が良くしていくかみたいな。
そうですね。もちろん人間関係とかもあるし、でもサッカー上手くなりたいっていうのがあって、ずっとこう選手で選ばれないっていうのが悔しいって。
もうなんか、みんなが試合やってる、練習試合やってる時に一人でなんかこうボールをずっとつけてなきゃいけないとか。
で、でも選手になってフィールドに出たら、ピッチに出たらピッチに出たで、やっぱり全然力がないんだっていうのを思い知らされるとか。
え、何したらいいんだろうみたいなね。
そうそう。でもそうやってなんかやってるうちに、やっぱり自分もそのチームの中で、やっぱり必要な人間になっていくっていう。
まあ、でも一応ちゃんと成長物語にもなってるっていう。でも本気でこう、何かでもガリガリやるっていう感じでもなくっていう。
何かにこだわりすぎるっていうのはそんなに、まあこだわりもあったりするけど、だんだんそれを、いや別にそんなに、そんな風に思わなくても良くないっていうのを
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自分の中で気づいたり、他の人に言われて気づいたりっていう。
でもやっぱりサッカーって11人いるから、やっぱりそのぐらい人数でいると、気づきもあればめんどくさいことも起きてくるっていうのに、ちょうどそういうのが起こりがちな人数なんだろうなと思います。
そうですね。
社会単位として。これ多分もっと多いと、人数多いと、もうちょっと人間関係薄まりますよね。
そうですね。11人ってちょうど丸く収めることもできるし、なんだろう、一騒動起きちゃうときは起きちゃうよっていう人数ではありますよね。
そうですね。鎌倉殿の13人じゃないですけど、だいたいあの村の人数って結束もするけど、派閥もできるというか、派閥を作ろうとも作れちゃうっていうような。
そうですね。
これもうちょっと10人以下っていうか、5、6人とかとまたちょっと違うよなっていう感じですけど。
そうですね。5、6人だとまた今度別れちゃいそうですね。
そうですね。
2対3とか、なんだろう、3対3とか、グループがまたできちゃいそうですけど。
11人ぐらいの社会ができてくるというか。
だからサッカー自体がそういうところで完成されたスポーツなんでしょうね。ちょうど社会姿勢があるっていうか。
そうそうそう。やっぱり人間とは違いますよね。
協力して。
そうそう。誘導的にやっぱり人が動いて、でもやっぱり自分がここは取りに行きたいっていうときに勝負入れるみたいな。
そうね、サッカー。
チームとして勝ちに行くのか、個人として勝ちに行くとか、そういうところもあるじゃないですか。
ね、こないだのね、ワールドカップでも人間性が出ますよね。
そうですよね。
いや、本当にそうですよ。
ね、すごいなって。
でもやっぱりああいうときに、人としてはこいつもう全然気が合わないわっていうような。
人だったとしてもやっぱりそこの試合で勝ちに行くってなったときは、そいつにボールを持たせて、いかにボールさせるかっていうのを考えたりっていう。
でもそれをどこまで割り切れるかですよね、人として。
へー。
でもプロの集団だから、それはやれるでしょって思うけれども、でもやっぱり人間なので出ると思いますよ、いざっていうときに。そことの葛藤なのかなって。
まあ一瞬一瞬ですからね。他のスポーツもそうですけど。
アフラ人数でやるってなると。
ラグビーとかバスケットとかもそうかもしれないですけど、常に動いて同じ状況じゃないスポーツだとね。だからまたエッセイのモチーフとしても面白いスポーツですよね、きっとサッカー。
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そうですよね。これ野球だと多分こうはならなそうな気がするんですけど、どうなんでしょうね。
野球って結構役割がっちり決まってるじゃないですか。守るフィールドも決まっててっていう。でもサッカーってまあ一応役割決まってますけど、ずっと動いてるじゃないですか、あれ。
たしかにゴールキーパーもゴール取りに行くっていうような話がありましたけど、ゴールキーパーなのにゴール取りに行くゴールキーパー。
いましたね。
いましたよね。
えーみたいな。
なんか自分がゴール外して攻められると、もう猛ダッシュで自分のゴール守りに行くみたいな。何してんだよみたいな。
いましたいました。
チラベルトっていう人でしたけど。
そうなんですね。名前まではちょっとわからなかったですけど。
南米のどこかの国の選手でしたけど、だいぶ昔の話ですけどね。
スポーツに明るくないけれども、面白い本でした。
いろんな意味で読める。いろんなジャンルの本として読めるので、ぜひ本当にジャンルレスでおいてほしい本だなと。
だからサッカーとかで知らない人にもちょっと読んでほしい本ですよね。
そうそう。サッカーは知らないし、フェミニズムもそんなに興味ないんだけど正直っていう人でも、明るく読めると。
明るい話っていうか、煮つられて読んだ本だったなっていうのであげましたね。
この2つが2教だったなっていう感じですけど、結構今年ならではみたいな感じで、ちょっと印象残っている方が2冊ほどありまして。
3冊目がですね、若干暗いかなっていう話ではあるんですけど、パントノイチゴっていう戦火のセルビア食物の記録っていう本をちょっと今年読んでて、
これはですね、ユーゴスラビア軍曹を体験した人にいろんな聞き書きをしていったっていう本なんですよ。
作者の方は山崎太夫さんというんですけど、この方も今サラエボに住んでるんですね。
ずっと住んでいらっしゃるので、紛争があった時代もずっと住んでるんですよ。
だからご自身もそういう紛争を体験していて、戦火の下でずっと生き延びてたっていう方で、
友達とか知り合いの人たちに、あの時何食べてたって話を聞いたり、あとご飯食べながら、
いやーなんかそれはあの時さーみたいな感じで、出てきた話をメモして、後でまとめた話っていうのが載ってるんですね。
今ね、本当に2月に戦争が始まってしまって、本当になんていうか、これは何なんだっていうような、21世紀のにまだこんなことってあるんだなっていうのは本当にショックで。
しかも自分がやっぱり興味をずっと持ってきた地域で、そういう戦争が起きてしまったっていうのは本当にショックだったんですね。
本当にショックすぎて試験勉強を始めるっていう、なんかよくわかんない展開になってるんですけど。
42:04
そうでもしないとちょっと気分があまりにも沈み込んでしまうので、そんなこともあって勉強してるっていうのはあるんですけど。
そうですね。でもあの侵略というか、あれが始まって、やっぱりちょっとそっちに気を取られがちになったので、読書がすごく進まなかったような気もします。
まあそれはそうですよね。ちょっとダメージが大きすぎてですね、自分の中では。
ただやっぱりその今起きていることを理解するときに、今そのSNSとかでもすごくその情報が流れてはくるんですけれども、それはすごく貴重な情報ではあるんですけれども、個人的にはあれは何なのかっていうのを振り返るにやっぱり少し時間はかかると思うんですよ。
やっぱり今起きていることっていうのをやっぱり俯瞰してみるっていうのは、なかなかそのリアルタイムに見るって難しいんですよね。やっぱりずっと話が。
なので、そういう時にやっぱり昔に書かれた、今との状況にちょっと近いもので、テーマで何か書かれた本はないだろうかっていうのを探していた時にですね、この本が復刊されたんですよ。
3月か4月ぐらいにこれが復刊されて、こんな本あったのかっていうので、読んでたんですよね。本当に何というかすごい話がですね、ずっと続いていくんですけど。
でもですね、やっぱりもう本当に家に破片液砲を打ち込まれて、もう家から人も出られないけれども、家の中には食い物があったと。だから3ヶ月ぐらい家の中にこもってひたすら焼肉してましたっていう人の話とか出てきたんですとか。
あとは本当に命からがら逃げてきて、命からがらって本当にもういろんなパターンがあるんですけど、もうちょっとここにはいられないなっていうのがわかって、ある程度荷造りをして逃げていったっていう人もいれば、もう本当にもう気のみきのまま逃げなきゃいけなかった。空爆が始まっちゃったから、もう本当に気のみきのまま逃げて。
なんとかもう間に合ったっていう人もいれば、もう逃げることもできないから空爆に耐えながら、逃げる農場生活みたいな。本当にいろんな話が出てくるんですけど、それも何かしら食べてるっていう。何か食べてるんですよね。
そういう中でも、やっぱ食事っていうのがあり、日常ではないけれど生活のようなものがやっぱりなくならないっていうのが、すごく興味深かったし。でもやっぱりこの地域の話でも全然知らなかったなっていうのが正直あって。でもそれこんなに昔じゃないんですよ。1990年代から2000年前半ぐらいの話なので、そんなに昔じゃないです。
45:00
もう最近ですよ。
そう、私たしか小学校ぐらいにニュースでやってたなーっていうのをちらっと覚えてるぐらい。でもそんなに昔の話じゃないんですよ。だから出てくる話とか、でも冷蔵庫とかみたいな話が出てきて、冷蔵庫とか普通にあった時代の話なんだよね。テレビもあったしっていうような、たった2、30年前の話なんですよ。
この地域、いろんなセルビア系の人って、あとクロワチア系。今回サッカーも出てましたけど、クロワチアのチームは。そこで民族紛争がすごく激化して、もうすごい紛争だったのが、ナトがまた介入して、それでまたすごく話がこじれてみたいな話で。
ただやっぱりその紛争が起きるまでは、同じ街にセルビア系の人もいれば、クロワチア系の人もいれば、あとアラビ系の人とかもいて、いろんな人種の民族の人、いろんな背景を持つ人が隣人として暮らしてて。
結構やっぱりこの話の中でも、昨日までは仲良く暮らしてたのにねっていう。こんな戦争始まる前まではこんなにみんな仲良く暮らしてたんですよって、その宗教とか民族の背景は違うけれども、普通に職場とかでも仲良くしてたんですよっていう話があって。
なんかやっぱりその感覚、日本人あんまりないよなっていう。なんかちょっと想像しづらいよなっていうのは正直思いましたね。でも海外とか国境が接しているような国だと、それは普通にあることなんですよね。どこの国に住んでるからこの国の人しかいないっていうのはまあないことなんです。
だからやっぱり戦争になった時、そこがすごく痛ましいなって思いましたね。
だって今回のもそうですけどね。近いところだから、やっぱりコーヒーもそうなんですけども、チームで世界選手権みたいなのがあるんですけども、コーヒーの中にも。カッピングにしてもロースティングにしても、いろんな部門でチームで参加したりするんですよね。
その中にやっぱりウクライナの方とロシアの方とポーランドとか、あの近辺の人たちがみんな同じチームでやってたりしたから、すごい難しかったんですよね。
コーヒーの団体があって、そこではもう団体としての声明としては、攻撃というか侵略に対してはもちろんノーだけれども、個人としては排除しないっていうような声明を出してたりもしましたね、最初。
ねえ、それってアフリカとかでもよくある話ですけども。
まあそうですよね。紛争とか、そうですね、民族間の紛争とかあったりすると、まあ今回もやっぱり親戚で普通に、親戚間とか夫婦間で敵同士になっているとか、今回読んだパンとノーイチゴの地域でも、親戚夫婦とか親兄弟とかで全然違う民族だからっていうような話も出てくるんですよ。
48:28
それで一方はすごく入軍されて、一方はすごく迫害されるっていう。
すごく無情だなと思いますよね。実際に攻撃された分じゃなくても、そういうところで引き裂かれてしまったりとかっていう。
なかなかでもやっぱりこれって日本に住んでると、あんまりピンとこない話だなって正直やと思いましたね。
やっぱり日本はめっちゃ特殊ですもんね、そういうところで言うと。
なくはないんですよ、もちろん。なくはないんですけど、でもそこまで普段から意識するっていうのは難しいですよね。
そうですよね。
だからその辺、やっぱり読んでて、やっぱりちょっとまだ想像力追いついてないなっていうか、実感としてはちょっと薄いよなっていうのは読んでて思ったりしましたね。
でも食べることってやっぱり止まらないですからね、生きていく上で。
だからそういう題材っていうのはすごく興味深いですよね。
そういう時でも人はやっぱり美味しいと思ってしまう時もあるし、喉通らない時もあるだろうけれども、食ってすごいですよね。
あとこれちょっと読んで思い出したんですけど、それこそ3.11の震災の時の、確か1年後ぐらいにやってた展示で、3.11の次の日にみんな何を食べてたかっていうのをメディアテイクでそれを展示していて、すごい話でしたね。
やっぱり市内もあの時はライフラインが全部止まって、1週間ぐらい、私が住んでたエリアだと電気は1週間ぐらい来なかったし、私はちょっともう実家に避難してましたけど、ガスも2週間、1ヶ月来ないとか。
あと海側の方なんてもうそれどころではないっていう話とかもあって、でもやっぱりこんな時にもう食欲なんてっていうようなシチュエーションも正直あるんですけど、家族見つからないけど、でもお腹って減るんだなっていう正直な話が出てきて。
あーでも子供が今どうなっているのかわかんないけれど、でもやっぱお腹は減るっていう。あの時食べたお人形美味しかったっていうふうに正直に書いてる人とか。やっぱこれがリアルの話だよなっていう。これが現実だよなっていう。
ね、それを美味しいと思うか美味しくないと思うかまた別として、やっぱり食べることっていうのはね。
やっぱり生きていくというか、それでも現実はずっと続いていく限りお腹は減るっていう。
51:03
えー、的さんは何を食べましたか?
あれですね、その避難っていうか、家に帰れなくて、そしたらすごく優しいマダムがですね、見知らぬマダムが私の家に泊まりなさいと言ってくださって、知らない人の家で一夜を過ごしたんですけど。
すごいですよね、その話ね。
で、次の日確か、そこの家にはですね、あのカセットコンロがあったので、ガス電気水道全部止まってましたけど、カセットコンロでご飯を炊きたてのご飯を食べてました。
で、私たちはですね、ただ何が起きてるかって分かんなかったんですよ、あの時。テレビ見れないしラジオも聞けなかったんで、インターネットも見れなかったので、あんなに大変なことになってるって分かんなかったんですよ、ほんとに。
で、次の日に朝、新聞が出たんですね。あんな日に新聞が来るのかって思って。
それは河北新報が、仙台の地元で河北新報ってのがあるんですけど、その河北新報が新潟の確か死者にデータを送って、で、新潟臨天橋を回してもらって。
すごい。
で、それを召喚として、もう本当に陸路を道がたがたを中を持ってきて、で、配れるところから配ったっていうすごい話があるんですけど。
それを朝、マダムの家で、「え、この時に新聞が来るんだ!」って言って、その新聞を開いた時の壊滅的な沿岸部の話が、写真が載ってて、当然としたのを覚えてますね。
言葉が出ないって、ああいうことだなって本当に思います。これ本当に起きてることなんだろうかっていうのを2人で、「これ本当に起きてることですかね?」っていうのを。
温かい食事を食べながら、その新聞を読んで言葉を失うっていうのは、いまだにやっぱり昨日のことのように思い出しますね。
3.11の時に何をしてたかっていうのって、すごい覚えてますよね。
覚えてますね。
なんかその以前は9.11だったんですって。
9.11の衝撃があるじゃないですか。
ご存知でもない世代の方もいるかもしれないですけど。
歴史の話だっていう人もいるんでしょうけど。
でも9.11の時も、世界、まあそれを見ている人ですけどね。
世界中の人たちが自分が何をしていたかを覚えている瞬間というか、地域を越えて自分が何をしていたかを覚えている珍しい日なんですって、9.11って。
まあ確かに。
どういうシチュエーションで見たか、あの映像を。
あれをやっぱりみんなちゃんと覚えていて、僕はどこどこで見ていたとか、私は何をしているときにあれを見たとか、覚えている日らしくて。
それが3.11の時は、日本人は3.11の時に何をしていたかっていうのを覚えているって。
54:05
みんなが記憶に残している日っていうのかな。
何をしていたかを鮮明に覚えているっていうのって、やっぱりないんですって。
確かに。
だから結構3.11の時に何食べてましたかって聞くと、結構みんな覚えたりするんですよね。
まあね、そこでしょうね。
だから苦しい時とか、辛いね、戦争の中にある時に食べたものって結構。
覚えてますね。
覚えてるんだろうなって、どこの国でも。
そんな昔の話を読みながらちょっと今のことを理解しようかと思って読んだ本だったりですとか。
あとサイモンは全然こう、またそれとは打って変わってなんですけど。
これもですね、ちょっと知られざるっていうところであるんですけど。
ひょういとていこうという、現代モンゴルにおける宗教とナショナリズムっていう。
去年紹介したモンゴルヒップホップの書者の方がですね、島村一平さんがまた新しい著書を出してきまして。
今度は何を書いたかというと。
2010年代の初めぐらいにですね、モンゴルでものすごくシャーマンが流行った。
最近。
しかもシャーマンが流行ったっていうのも、爆発的に流行ったっていう感じで。
1%がシャーマンになるっていうぐらい。
みんなシャーマンになるっていう現象がですね。
そんな風になれるの?
社会現象としてもなるぐらい起こっていて。
人口の1%なので、人口に占める割合が相当あるわけで。
実はシャーマンってそんなにいるもんじゃないじゃないですか。
それ需要が?
でもそれでなんでそんなにシャーマンが流行ったかっていうのを、文化人類学的に考察したエッセイだったりとか。
だからこのシャーマンの話すごい面白いんですよ。
シャーマンって人から依頼されて、祈ってもらったりとか、先祖の声を聞いたりとか、そういうような感じで思われるかもしれないんですけど。
それもあるんですけど、それと同時にですね、シャーマンになることは自分を救うというか。
そっち側?
自分が救われるというか、そういった側面もあるんじゃないかっていうのも、シャーマンが激増した位置じゃないかっていうのを、
ちょっとその社会の構造の、もうすごく今変わってきているので、文化の社会というのは。
もうすごい勢いで近代化されてきた中でも、社会の歪みとか、そういうものがシャーマン激増、大爆発っていうところに現れたんじゃないかっていう。
57:01
ああ、救い?
よくそれこそネットで漫画とか、いろいろ紹介するような広告がありますけど、やたら転生者ってあるじゃないですか。
何とかに、何々転生したら何々だったみたいな。それとそれの似たような話で、生まれ変わりっていう人たちっていうのがいるんですよ。
けしん玉って言うんですけど、けしんってバケルに神体の神って書いて、けしん玉たちの世界っていうのを、生まれ変わりの人類学っていう章で紹介してて、これまさに転生なんですよね。
仏が、昔その偉い僧僧とか仏が、現世に転生するみたいな。その転生した人たちの、今現在けしん玉として活動っていうか、転生されたと言われて、そういった僧になっている方の話とか。
ただこれが昔、モンゴルって共産主義の時代もあったので。
あ、そうですか。
ちなみにモンゴルってソビエト連邦の杉に共産主義国になった国なんですよね。
そうなんですね。
いち早く共産主義になった国でもあるんですけれども、共産主義の時代って宗教を禁じられているので、けしん玉たちっていうのはすごく弾圧されて死刑とか、
縮成の対象になったりして、結構生き延びるのが大変だった時代なんですけど、ただその中でも共産党の地方幹部みたいな位置に立って、
人々にこうね、地方行政を携わった人とかもいるんだけど、実はあの人はけしん玉があって。
そのけしん玉がどうやって共産主義だった時代に対応してって、それを周りの人がどういうふうに受け止めていったかみたいな話とかも書いてあって、これもなかなか転生者としてはなんか面白い話だったなとか。
あとは、モンゴルの民族衣装あるじゃないですか。よく白鳳さんが着てたりとかするような、あの衣装って実は昔からああいう衣装を着てたわけではないっていう。
そうそう、だんだんコスプレ化してきてるっていう話が出てきてまして、それはどこから端を走ってるのかっていうのを解説してたり、とにかくすごくニッチな話ではあるんですけれども、たぶんおそらく大体の人が知らないであろうモンゴルの話っていう、絶対滑らないモンゴルもっていう。
でもモンゴルってすごい面白いですよね。そういう話がすごいいっぱいある。
そうだし、結構モンゴルって近くはないけれども、同じアジア圏にあるじゃないですか。
1:00:04
ありますよね。
なんというか、私たちのイメージって全然更新されてないんだなっていうのを、この島村さんの前回のヒップホップの話もそうですし、今回のシャーマンの話とか読んでても、つくづく思わされたんですよね。いまだにスーフォーと白い馬のままだな、自分っていう。
いや、そこまでひどくはないにしても、だいぶ古いイメージのまま止まってるなっていう。
へー、シャーマンですか。
そう。だって12階建てのマンションあったとしたら、ワンフロアに1人ぐらいはシャーマンいるぐらいの人が増えてたみたいな話とか。
シャーマン用のテレビ番組とかも普通にやってたりとかしてるらしいですよ。
シャーマンに向けた、シャーマンのための。
へー、すごい。
面白いなっていう。
何が流行るかわかんないものですね、世界って。
他の国のことって全然知らないことばかりだなっていうのを、さっきのパンとノイチゴにしてもそうですし、このモンゴルの話にしてもそうなんですけど、思ったりとかしましたね。
へー、また、なんていうか、的さんの読む本の広さが伺える4冊でしたね。
いやいや、どちらかリプリがすごいですね。
全ジャンルいけますみたいな。
私の方からはそんなところでしょうかね。
じゃあ私の方、私の方はですね、一応、そうなん本にやられてしまっていたので。
そうなん本のベストはちなみに何だったんですか。
ジョン・クラカワの空へでしたっけ。
あれとミニャコンガ。
ミニャコンガ。
でも良いミニャコンガと悪いミニャコンガがあって、どっちだっけな。
この間、それこそ一箱フルフォン市で売ってしまったんですけども、聖都市のミニャコンガかな。
それが悪い方じゃなくて。
そっちが悪い方だったっけ。
梶原さんに、あれ本当にひどかったんですよって話をいつかのポッドキャストで聞いた気がしますね。
本当に絶対ダメっていう感じの本だったんですけど。
聖都市のミニャコンガは良いミニャコンガ。
良いミニャコンガ。
悪いミニャコンガは探した気もないんですけども、若者がパッと行っちゃったやつ。
引き返す点とかをいくつもあったのに、なんか行っちゃえみたいな感じで行ったのが悪いミニャコンガ。
それはダメなパターンですね。
ダメなパターンです。
でも聖都市のミニャコンガは、日本で初めてアタックしようっていう国挙げてのプロジェクトだったので、
1:03:01
ちょっと日本の戦争と似てて、実際に上る人たちと指揮する人の間に熱量に違いがあるというか、
現場にいる人と現場にいない人のありがちな発行打算的な本だったので、
長口とかでミニャコンガをアタックしちゃダメだよっていうような。
ちょっと軽く言ってますけど、結構内容がヘビーだったので、
でも聖都市のミニャコンガはおすすめっていう感じですね。
そうなんぼはそうなんぼで話したので、置いておいてっていう感じなんですけど。
一応2冊はあげてみようかな。
じゃあ1冊目が、これはフランスのレティシア・コロンバニさんが書いた、
あなたの教室っていう本なんですけども、
これはですね、フェミニズム系の本ではあるんですけども、
舞台がインドで、カースト制度によって身分が分けられているじゃないですか。
そういうところとか、女性の地位の低さとか、
そういうのをフランスの方が書いてるっていうのがまたちょっと面白かったんですけども、
このコロンバニさんは何冊かそういう感じの本を書いてるんですね。
それで一応、ベストセラーみたいな感じになってるんですよ、国では。
でも日本だとなかなかそういう本ってあまり手に取られなかったりするんですけども。
実はこれ、早川書房さんが一般の人にゲラを読んで感想を求めるっていう、
そういう企画があって、それで参加させてもらったんですね。
そうなんですね。
まあ重い本だったので、テーマも重かったですし、内容も重かったので、
感想と言われても、わりと絶望的な感想しか私の中にはなくて。
でもその時に思ったのが、結構他の人の感想とか読むと、小説なので、実際にあることではあるんだけども、
一応小説なので最終的には、結構オチとして希望的な終わり方だったんですよね。
そうなんですね。
希望のある終わり方で、でもその終わり方を見た時に、この終わり方は逆にないだろうって思っちゃったんですよ、私は。
そうそう、現実社会において、やっぱりここの部分ってすごいファンタジーになっちゃってるんじゃないかなって、
1:06:03
希望的観測というか、こうあってほしいっていう終わり方で、なんとなく自分の中では釈然としないで終わったっていう。
だから若い時だったら、たぶん、よかったこれでって思うんだけども、この年になると本当に差に構えてしまって、すべてのことに対して。
そこはやっぱり経験値と言いますかね。
文学を楽しめなくなったなっていう感想がすごいあったんですよね。
本の内容とかよりは受け止める自分に対してのショックが割とあって。
本の感想じゃなくて、大変申し訳ないんですけど。
いえいえいえ。
自分の中になって申し訳ないんですけど。
いえいえ。
で、その時に思ったのが、よくよく私から出るワードなんですけども、
年のせいにしてはいけないんですけども、年齢を重ねて精神力がなくなってくると、本当に絶望って探しやすいんですよね。
手に取りやすいっていうか。
いえいえいえ。
もう、わーって一面絶望が広がっていって。
なんか、わー絶望拾い放題だーってなってるところで。
嫌だ。
その中で、本当にキラリと光る希望を探すってすごい大変って思って。
私、こういう本実は向いてないっていうふうに。
あれだけ去年とかも、韓国のね、重いくらい辛いっていう感じの本を。
30句。
30句を読んで修行したつもりではあったんですけれども。
韓国の本って、割と暗い重い辛いの中の希望って、本当に小さい光で現実味があるんですよね。
これを光って言っちゃうんですか、みたいな。
えーっていうのが多いんですけど、今回の読んだ本は、割とわかりやすく希望だったんですよね。
だったから、それに対して濡れない自分っていうのにショックを受ける夏でした。
すみません。なんだろう。
でも、さっきの私のワーニョおじさんも、多分この歳だから、あのエンディングに納得っていうか、まあそうだよなっていう。
だからワーニョおじさん。
若い時、やっぱりまだ早かったんですよ、それ。まだ希望が欲しいっていうか。
だから多分これは若い人に向けたわけじゃないかもしれないけども、若い人が読むと、その先につながっていくんじゃないかって思うような本でしたね。
内容的にはすごく良かったので、お勧めはしたいところではあるんですが、ぜひとも読んで、希望の歌詞を私に教えてほしい。
1:09:10
希望の探し方を来年は。
希望の探し方を。
なんかダメ、希望見失っちゃって、自分に引かせるっていうか。
そう、だからワーニョおじさんとか読んだほうがうんと楽だと思うんですよ、もう。
わかるわかるでいけるから。
なんですけど、そうなるかなって思っちゃう自分が本当になんか心が貧しいというか、心がひもじというか。
いやいやいやいや。
なんかそういう気がしましたね。
希望っていうか、若い時っていうか、20代とか下手したら10代ぐらいの時から優しい世界的な話って本当に苦手だったんですよね。
なんだろう、だってでもこれ読んで、まあ確かにお話の中では優しい世界かもしれないけど、現実の中では全然そうじゃないから、なんかこの肯定さじゃないですか、ギャップになんかさらに余計参るよって思って。
なんかつらいわ、余計つらいわみたいな。
それだったらもう読む世界もうなんていうか、本当に救いはない話の方がまだいいよって、まだいいってわけじゃないですけど。
ギャップがないから、そこはそのギャップに気づかなくていいっていうか、ギャップにつかれなくていいっていうのは、なんか思っちゃってますよね、昔から。
だから、うつぼんみたいなのが1回すごい流行った時期があったじゃないですか。
イヤミスとか。
そうそう、イヤミスとか、すごい嫌いだったんですけど、私。でも、ああいうのが流行る気持ちはわかると思って、やっぱり人間絶望の方に傾くのってすごい楽なんですよね。
そうですよね。
そうそう。だから、ただ絶望してればいいだけだから。
それで固定されるからいいですよね。安定するというか、絶望で安定するというか。
だから、何でもそうですけど、戦争とかもそうですけども、周りから見て一緒に絶望してれば楽だけれども、そこからそれじゃダメだって言って、良くしようとする力って本当にパワーを使うじゃないですか。
そうですね。
だから、そのパワーは持ち続けたいとは思ってはいるんですけども、優しい世界が苦手ではあるんですけども、私自身がそんなに優しい人間ではないので、もともと。だから常に優しくあろうとは心がけているわけですよ。
そうですね、私もそうですね。なんとか放っておくと本当に、ろくでもないことになるので。
そうなんですよ。
意識して取り組むって感じですね。
意識して少しでも良い人間でありたいと思って生きているところはあるので、まだまだ修行が足りない。
1:12:09
えー、もうずっと修行しなきゃいけないんですか、これは。
でもね、これはずっと修行ですよね。希望を捨てないぞという気持ちで、勇気やいろんなことに取り組んではいるんですけども、本当に優しくなりたいみたいな。
いやー、でも本当に体力がないとか疲れてる時って本当になんというか、自分の普段はなんとか意識して人としてやってる部分がやれないっていうのが、あーこれ自我でが出てきてる、自我でてるみたいな。
そうね。
あーみたいな。
だから疲れてる時でも人としてのラインを保てるように。
そうですね。
どうしたらいいんでしょうね、筋トレですか?筋トレするしかないのか?体力をつけるしかないんだろうかっていう。
でも私本当に何年か前から、もう30くらいの時から、さすがに手帳とか使わなくなったので、手帳買うことないんですけど最近は、年の初めに手帳を新しくするじゃないですか。
まず彦大さんのところに人に優しくって書いてましたからね。
昔そういうドラマなかったでしたっけ?人に優しくっていう。
あ、ですか?でもなんか人に優しくあることっていうのは毎日書いてましたね。書いとかないともう人に優しくできない。すぐ忘れちゃうと思って。
なんかそれを思い出させる本でした。
いや、でもまだ心がけようと思うだけでもいいのかもしれないですよ。ちょっとそれもないな、この人っていう。人のことを言うのもあれですけど、それもちょっとその努力をしなくなってきたなってなると、これはもうっていうところですからね。
だからね、そこは保っていきたい。
私もそう思います。
本の感想なんですかね、これ。
一年の自分の感想みたいな。
反省と来年の反省みたいになってますけど。
そんなところから、最初は紹介する予定がなかった本なんですけども、今現在読んでいる本で、でもこの本は好きだなっていう。
多分今年の1年の中で読んでよかったなと思う本の一冊で、電気グルーヴが書いている。
そこで電気グルーヴって書くんですか?
電気グルーヴを書いているメロンポクジョウという本が、私の好きな対談本なんですけど。
この度出まして、それを寝る前に数ページ読みながら寝落ちするっていうのが最高にハッピーな時間なんですけども。
卓球さんがいるじゃないですか。
彼はとても優しいんですよね。
1:15:03
人としてできてるんですよ。
その本をずっと読んでいると思うんですけども、こうしたら相手が行きづらくなってしまうだろうっていうところを考えて、そういう行動に出ないっていうか。
だから、卓球さんがちょっとね、おつかまりになった時があったじゃないですか。
そうですね。ありましたね。
あの時のエピソードとかがちょうど載ってる感なんですけど、今回。
あまりにも自分が謝りすぎたりとか、周りに対してね。
世間に対して相方が悪いことをしましたとか、言い続けてたら、卓球さんが戻ってきた時に自分に微妙を感じてしまうんじゃないかと。
悪いことしたって思っちゃうから、なんか俺に対して悪いことしたなって思わないようにずっと暮らしてたみたいな感じの、簡単に言うと。
でもそういうのって本当の優しさなんだよなと思って。
そうですね。
私のしている優しさはやっぱり偽物なんだっていうと。
なんて言うでしょうね。
なんか、本質が結構書いてあって、いつもハッとさせられるんですけど。
そうですね。だから、なんかやっぱりそのね、あの騒動の時、当時とかやっぱり、実際それはどうなんだっていうふうに言われてたなっていうのもちょっと記憶にあるんですけど。
でもやっぱりそれは何でだったかっていうのを聞くと、なるほどなっていう。
なんかいろいろ、たくさんのことだけじゃないんですけども。
たくさんのところで面白かったのは、自分のお母さん。
宅急さんのお母さんから、あなたちゃんと謝りなさいみたいなことを電話で言われたらしいんですよ。
で、お母さんが台本を書いてあげるからぐらいのことを。
母ちゃん強いな。
そうそう。でもまあ母心ですよね。
でもそんな時に、パッと気づいて、待ってお母さんみたいな。
それって何年間前にあった寮邸の話と同じだよって。
寮邸で不祥事があった時に、そこの大狼みたいな人が息子にやりなさいみたいなことを言って、悪く収めようとしたみたいな。
でも俺大人だからみたいな。
そうですよね。
みたいなことをお母さんに伝えたとか。
ちゃんと大人としての年相応の考え方とかがずいそずいそに書いてあって。
別にそれを悟ったわけじゃないんですよ。ただ面白おかしく話してるんですけども。
でもなんかためになるなと。
1:18:02
そうですね。
毎回こうなんかね、ハッとすることが書いてあるんですよね。
なんかさっきの謝りすぎるとっていう話とかも、もしかすると普通の人だったら結構自分も多分そうなるだろうなって思うんですけど、やっぱすごい謝ると思うんですよ。
じゃないとやっぱり今後のっていう風に活動とかにも影響があるし、やっぱりここはちゃんと謝っとかないとってなっちゃうんですけど。
さっきの話じゃないですけど、謝ったとか楽な時もあるじゃないですか。
そうなんですよ。だってそれで相手が許してくれれば。
そうそう。それで少しでも自分が世間からあいつ謝ったからみたいなこと言われれば、すごい楽な選択なんですよね。ある意味。
だけどそうしないっていう方が、もしかしたら世間の一般から見たらめっちゃ逆に大変じゃないって思っちゃうけども、自分が謝ることじゃないことに謝るのもなんだしみたいな。
ごもっともな話なんですけども、そのごもっともさっていうのがやっぱりずれてきてるところがあるんだなっていうのを気づかされるっていうか。
そうですよね。
ごもっともな話しかしないんですよ、彼は。
そう、なんかエキセントリックなイメージがあるんですけど、人として素晴らしいなと。素晴らしいって言っていいのかな。でも、人としてちゃんとできてるんだなって思って、教科書のように読んでいます。
教科書のタイトルではないですけど、メロンボクジョーですね。
人に優しくとか正しいって本当に難しいなって、つくづく最近思うんですけど、なんかそれが暴力になるときとかってすごくあるなっていうのは。
そう。
なんなんでしょうね、正しいっていうところにだけフォーカスして何かしたりすると、本当に謝った方向に行くなっていうのを。
ね、本当ですよね。
そこに何の変えりみもなく、それだけになっていくと本当おかないなっていうのは思いますね。でも、それってすごく楽なんですよね、その思考って多分。
そうなの、正義とかもすごいね、また楽なときもあるじゃないですか。
もう殿下の宝刀みたいな感じじゃないですか、これ。
そうそう。なんか楽な方に、なんだろう、平均年齢が上がってるからなんですかね、ダメな方向に行くのって。
それもあるでしょうし、考えるための弾力がなくなってきてるなっていうのは思うし、あと社会の動きがものすごく早いですよね。
1:21:03
確かに変化にしても出来事が、あまりにもいろんなことが次々大きすぎてきてて、これを一個一個考えていくっていうのはやっぱりちょっとついていってないなっていうのは、ついていけないなっていうのは本当に何年も前から思ってるんですけど。
そこに加えてまた弾力もなくなってくるってなると、正義のひとまんになった方が楽だなっていうのはありますけどね。
だからね、もうちょっと日本も若い人が増えてくるといいなって。
そうですね。なんかでもちょっとあまりにも若者に期待をしすぎてて、申し訳ないなって思ったりはしますけどね。
そうですね。おばあちゃんたちも頑張って鍛錬しますから。
そうですね。筋トレを。
きっと大探せるように頑張ります。
最後の一冊は、また今年、新ウルトラマンがあったじゃないですか。
去年出した新エヴァンゲリオンの話を。
そうですね。エヴァンゲリオンの話をしてましたよね。
そして、なぜかそこからの今日、ウクナツヒコっていう謎すぎる展開みたいな。
そうなんですけど、新ウルトラマンでちょっと消化不良を起こしたので、私。
えー?みたいな感じ。
面白かったんですけど、でも新ゴジラをくよなく愛してしまっていたので。
これはちょっと自分の中で、なんとかこれを消化しようと思ってですね。
ずっと欲しかったんですけど、手を出していなかった。
アート・オブ・シン・ゴジラという方。
やっぱゴジラじゃないですか。
そうなんです。アート・オブ・シン・ゴジラという本をですね、この度、金道で購入しまして。
3月ぐらいですかね、新ウルトラマンを見たその日の夜に買ったので。
上書きしたみたいな。
そうなんです。ずっと欲しかったんですけど、私、金道になって知らなくて。
本の大きさがまずA4サイズで、オールカラーで560ページなんですよ、本は。
ちょっと待ってください。A4で560ページ、なかなかの大きさじゃないですか。
置けないと思って、もう置けない理由に買ってなかったんですね。
ちなみに本体価格9800円。
ちょっとそんな大きいものは買えないと思っていたんですが、この度金道になっていたので、置き場所は大丈夫と思って。
でも金道でも8800円、なかなかのお値段なんですよ。
なかなかですね、学立本家って感じですね。
でも、もうやっぱりね、ページ数があるので大変充実していたんですね。
全部ゴジラの話になってるんですよね、500ページのページが。
1:24:03
そうそう、大概そうなんですけども、アートワークに携わった方とか、色々なカメラマンの方とかが、
なぜこのシン・ゴジラに関わることになったのかというところから、インタビューっぽく書かれているページがわーっとあるんですけど、
もうですね、そのインタビュー一つ一つ読んでいくと、もうほんと庵野さんが何を言ってるか本当にわからなかったと。
本当につらかったと。
もう、読む人読む人、大体はそれなんですよね。
庵野さんの映画に参加できるなんて、夢みたいみたいな感じで入っていくわけですよ。
それで途中から、庵野さんが何を言ってるか全くわからない。
それで、その後、もうダメかもしれないってなった後に、ちょっと庵野さんのことが理解できてきたみたいになって、
最終的には本当に参加できてよかったですみたいなのが、テンプレなのっていうくらいずっと繋がっていくんですけど。
どうやってそのシーンを撮っていったかとか、細かいことがすごく書かれているので、
シン・ゴジラオタクの私にしたら夢のような本だったんですけども。
でもその中に、この間のサメ会であったんですけど、2011年ぐらいからサメのどうしようもない映画がワーッと出てたっていう。
あれとシン・ゴジラがリンクしてて。
リンクするんですか?
そうなんですよ。あの時、ちょっと私もチラッと言ったような気がしたんですけども、iPhoneで撮影可能になったので、
結構シン・ゴジラもiPhoneで撮ってる場所が何かあるらしいんですよ。
え、そうなんですか?
そうなんですよ。だからサメ会の時に、もしかしてこのサメの映画が増えたのはiPhone?って思ったのは、この本を読んできたおかげなんですけど。
なるほど。
そういうところとかも面白いなと思って。
iPhoneの登場によって、いろんな文化が変わってきて、カルチャーが変わったんだっていうのとかも、
読んでてすごく面白くて、本当読んでよかった一冊でしたね。
全く人生のためにはならないんですけど。
でもiPhoneとか、自分もiPadでポッドキャスト編集してますけど、
なんか本当に、今iPhone1個で動画編集もできるし、音声編集もできるし、画像編集もやろうと思えばできちゃうし、
あれもう、なんていうんですかね、機材ですよね。
本当に機材だなって、完結しちゃう。
すごい発明だなって。
本当そうですね。もうタブレットなしで、私ポッドキャストで編集できないですからね。
1:27:04
パソコンで追いつかないですよ、これ。
そうですか。
パソコンでやってる作業もあるんですけど、
それは音質を加工する方は、いまだにちょっとパソコンじゃないとできないんでパソコンでやってますけど、
音声を切り張りしたりとか、BGMつけたりとか、そういった作業は全部iPadでやってますね。
iPadの方、精度良くできるので。
発明でなくなった職業もたくさんあるだろうし。
本当そうですよね。
あとは、私、若い時って高校生ぐらいの時、映画撮りたいとか、そういうのちょっと興味あったんですよ。
放送、それこそポッドキャストみたいなことをやりたいなっていうのをかすかに思ってたんですけど、
もう機材がないからできない。機材あっても高いし、
使い方も結構本当にプロ仕様だから、素人はおいそれと手が出せないみたいな感じだったんですけど、
今はもうiPhoneでできちゃうんで、そういう夢が叶っちゃうんですよね。
才能があって、規格力とかそういう力がある人だったら、
iPhoneに限らないと思うんですけど、スマホ1台で世の中に出られちゃうっていうような、
その垣根がちょっとなくなってきているのかなと思いますね、プロと素人の。
そうですね、ドキュメンタリー映画祭とかでも、ミッドナイトトラベラーとか、あれもずっとiPhoneで撮ってるはずですし、
あとリトルパレスチナとかも、やっぱりiPhoneとかこういう小さいもので撮ってたりするんですよね。
だからドキュメンタリー系なんかは、結構これでいけちゃうんだと思って、
こんな大きい目立つカメラとか持たなくても撮れるから、そういうところはいいですよね。
確かにドキュメンタリー映画祭の中でも、最近スマートフォンで撮った映像を編集して出すっていう作品って増えてきてるなと思いますね。
見つかりづらいですしね、撮ってるのが。
作品内容によっては、スクープじゃないですけど、カメラを担いでっていうのでは撮れないような場面で撮るとか、
逆にセリフデポートじゃないですけど、すごく個人的なことを撮るときに、すぐ撮って出してっていうような形で使えるスマートフォンっていうのが。
スマートフォンで撮るっていうことに、やっぱり意味があるというか、そういう時になってくると。
とても身近な、とても素敵なという意味では。
そうですね、素敵な感じになりますよね。
とても個人的なっていう。
そうそう。
1:30:01
カメラって、ごっつい撮影用のカメラってなってくると、やっぱりなんていうか、それはプロが使うものであって、公的なっていう感じはしますよね。
そうですね。ちょっとインタビューするじゃないですか、ドキュメンタリー映画祭とかに出てくるような映画の中でも、
その街の人にインタビューするときとかも、多分大きいカメラで撮影してるときの表情と、こういうスマートフォンで撮影したときだとちょっと違うんですよね。
構え方が相手の。何撮ってるの?みたいな感じの。
そうですよね。
相手も。
どういうシチュエーションに効くかっていうところですよね。それによって答えも変わってくるでしょうし。
そうですね。画像が身近になってきてるなっていうのは改めて思った感じですね。本を読んでもそうですけども。臨場感っていうか、そういういろんな意味で面白い本でした。
ごすすめです。
ファン仕様の本って感じですね。
そうですね。ただ、KindleだとPDF化されてる感じなので、すごい読みづらいんですよ。Kindle仕様になってないので。
そうなんですね。
だから本で読んだ方が絶対面白いけれども、寝る前にとかはちょっと読めない重さなので。
そうですね。昔のZexyみたいな感じだったよね。Zexy関東版みたいな。
どうやって読むんですか?みたいな。
ドンキかな?みたいな。
まさにドンキ本ですよね。
ドンキ本ですね。でしたでした。だからね、本当にKindleになっていただいたおかげで、そういう大きくて厚い本もサクサク読めるようになったので、ありがたいってずくずく思いますが、すいません本屋さんと思いながら。
いえいえいえ。いえいえって私はもう本屋にいませんですけど。
どうなんでしょうね。でも本屋にも本当は何か還元できるような仕組みがあればいいんでしょうけど。
でも逆に確かに、本屋通さなくはなっちゃったけど、漫画はもう今全部全紙版で買っちゃってますね。
どうしたらいいか。そうですね。
増えるので、やっぱそこを気にして買わないっていうよりは、その気にする必要がなくなったっていうのはすごくありがたいというか。
心に余裕ですよ。本当に。
手が出しやすくなったっていう本はすごく増えましたね。一時期より。
そうですね。今までだったら、ちょっと置き場所とかも考えて買わなくちゃいけなかった本でも、スルッと買えるので。
でもこの間、一箱振る本市があったじゃないですか。出た時に、あまりの本の少なさに私、はーって持っていける本がないみたいな。
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仕入れを今回しなかったので。だから弊害って思いましたけど。
私でもあれですね。活字はやっぱりまだ物理的な本じゃないと読めないですね。
雑誌と漫画はもうKindleとか電子版で置き換えてますけど、活字はやっぱりものじゃないと読めないですし、付箋をつけながら読みたいんですよ。
付箋派なんですね。
そうじゃないと頭に入ってこないんですよね。すごくアナログな作りの人間になってるので。
でも付箋って書くんですか?メモでここに何書いてあったとか。
書かないです。書かないです。
そうすると何の付箋かわかんなくないですか?
結構覚えてますよ。ここにグッときたポイントこれかみたいな。
メモとかその後ノートに取ってたりする時も、ホットキャストで話す用とかで読んでる時は、後でそこを書き出したりとかしてましたけど。
そうなんです。付箋派じゃないので、付箋を使ってる人の本って結構わーっと付箋が挟まってる時あるじゃないですか。
わかるのかなーってずっと思ってたんですけど、わかるんですねやっぱりね。
付箋はなんていうか、Twitterで言うとこのいいねなんですよ。
なるほど。わかりやすい。
いいねって感じで。付箋の量がすごい本はめっちゃいい本だったなっていうか、自分的にはグッとくるポイントがいっぱいあった本だなこれっていうのがわかるんですよね。
あー、それいい使い方ですね。
そう、読書の熱量っていうか、目安になる。
電子ってなんか頭に入ってこないんですよね、活字が。データとして読んでる感じがするんですよ。データなんですけど本も。なんか入ってこないんですよね。まだインストールされてないです、私の頭の中に。
あとですね、もしかしたらなんですけども、私も最初Kindleとかこういうので読んでる方が、バックライトなしには読めないと本が。
こうしたっていうのを読んで、は?って思ってたんですよ。バックライトがないと読めない?何言ってんの?と思ったんですけども、バックライトがあると大変読みやすくなってくる。年齢的なんですよね、きっとこれも。
そういうこともあるんですね。文字がはっきり見えるっていう。
少ないも出来ますからね。
そうなんですよ。この漢字どうなってんの?っていう時に、こうわーっと大きくして、なるほどーと思って、それをコピーして、辞書アプリで調べるっていう。
それがね、出来るのがすごくでも楽。辞書アプリ使えるのが。
あれ、ちなみに作品とかっていうのは電子版で買うと飛べたりとかするんですか?作品とか。
多分飛べると思います。使わないですよ、私は。
1:36:00
それはすごいですね。
基本的にやっぱり最初から最後まで読んでいきたいし、1回読めばどこら辺にそれが書いてあるかっていうのは電子の方でわかるので、作品使って飛ぶことはまだないんですけど、でも多分使い出しちゃうとそれすごい使っちゃうだろうなって。
それとか、なんか込み入ってる本とか作品で探すとか。
込み入ってる本はいいですよね。ただ、込み入ってる本がKindleのそういう仕様になっているかどうかはまた別なんですよね。
そうですよね。
込み入ってるやつは読みづらいと思います、きっと。
いやーまだ、発字はまだあれですね、物理で買いますね、私は。
やっぱり値段も高いんで、物理で買った方が本屋さんの利益にはなるかなっていうね、ちょっと若しの言い訳みたいな感じで。
いやいやいや、でも大切だと思います。
言い訳ですよ、それは。ただの欲望に負けて買ってるだけですからね。
あとはもう、読む場所かな。
そうですね。
多分、私もずっとお風呂で読む人なので。
そうなんですね。
前も本をお風呂に持ち込んで読んでたので、だから必ず2冊買わなきゃいけないんですよ。
保存用とか。
そうです、そうです、そうです。
だけど、もうKindleで済むようになったので、漫画なんかもずっと楽ですね。
漫画は本当にいいですね、これ。
本当に好きな作家とか、あと紙とか想定がいいからとか、でもやっぱりそれでも棚の中からゴソゴソ探さなきゃいけないっていう、手間もなくすぐ読めるっていうのはね、これに勝つ。
あとは発売日にすぐ読めるじゃないですか。
そうなんですよね。
0時になります。
こんな嬉しいことはない?
ないですね。
ないけど、実際読むかって思わないですけど、予約して時間があるとき読もうみたいな感じになっちゃいますけど。
そうですか、私12時からダウンロードができるようになってから読むことが増えちゃいました。だから寝不足です。
でも贅沢だなと思うし、まだ体力があった若い頃にもしKindleとかあったら、本当に多分夜通し読むみたいな。
漫画とかワクワクしながら待ち遠しくなってた時とかね、そういうのあったらなって感じですけど。
なんかいいのか悪いのかわからないですね。
そうですね、変えてすぐ変えて、タイムラグなく楽しめるっていうのも楽しいけど、それこそ高校とかの時に続きものの小説とか読んでて、この先の続きすごい気になるけど今もう夜中の12時とかで、
もう読みたくて読みたくて、朝が日が出てお店が来るのがもう待ち遠しくてしょうがない。早く読みたいって焦燥感っていうか、なんかそれはまた良かったなって風情っていう感じ。
1:39:12
風情ですね。
風情がありみたいな感じの。本当それ込みで思い出す本とかもいっぱいありますからね。それが今ないっていうのは、確かにすぐ読めていいっていうのはありますけど、
あの時間、それもまた良かったなって思いますけどね。
そうですね。
ノスタルジーですかね、ただの。
いや、でもまあそういうのがね、それ込みで多分本の楽しさじゃないかなとも思いますけどね。
はい、なのでちょっとペラッとしていますが、私からは以上でございます。
そんなことはないですけど。
来年に向けてまた着々と多分、寸読が積み重なってると思いますけど。
なんか来年読みたい本とかありますか?これ読もうかなっていうような。
今のところは、読みたい作家さんで貯めてるのがあるので、それを読もうかなって。
ヨシオさん。なんだっけ?
ヨシオさん?ざっくり好きなのに。
すごい忘れちゃった、今。豆大福とコーヒーの方です。
片岡?
そうそうそうそう、片岡さん。片岡ヨシオさん。
私片岡ヨシオさん好きで、でも最近ちょっと片岡さんの本を後回しにしがちだったので。
そうですね、片岡さんの本を読みたいですね。
小説が全然読んでないな。なんだろう、ほんと。
ちょっと小説読みたいかな。
私も小説読みたいなっていうのはありつつ、全然手を付けてない。
全然買ってきてもないっていう。本当に小説読まなくなっちゃったな。
でも、それこそ今年のワーニャオニさんじゃないですけど、やっぱり読むと面白いなっていうのもあるので。
言わず嫌いじゃないですけど、めんどくさがらずに読んでいくべきだなと思いつつ。
でも今読んで面白いのは松茸ですね。松茸面白いですね。
松茸マーケットっていうのがあるのかっていうのを知ったら面白かったし、
松茸を買ってる人たちの社会背景とかも、東南アジアのそれこそベトナム戦争とか、
ああいう紛争をしたいとか、難民としてアメリカに渡ってきた人たちが、
主に松茸買いに参加してたりとかしているっていう。
またそこでも色々再文化がありみたいな。
同じ人たちに見えて全然違う文化背景を持っててみたいな。
松茸ひとつこんな世界があったのかっていう。
1:42:02
すごいところに目つけたな、この著者の人って思いながら。
来年ぜひやってほしい感じがしますね。
松茸から見える未知の世界っていう。
来年ぜひ松茸と小敷きしたい。やってみたいかなって思ってます。
ちょっと来年試験勉強が忙しくなってくるので、
シーズン1がどこまでやれるかというところはありますけれども、
春先ぐらいまではなんとかのらりくらりやっていきたいなというところですね。
ぜひお願いします。
来年というかそうですね、これ多分放送されているのも2023年になると思いますけれども。
よろしくお願いします。
そんなわけで今回はこんなところでしょうか。
はい。
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皆さんからのお便りお待ちしております。
それではまた次回までさようなら。
さようなら。