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2022-06-25 1:02:56

第18回 棘の間に砂漠を夢見る ~『シャボテン幻想』『龍膽寺雄 焼夷弾を浴びたシャボテン』

今回は龍膽寺雄の『シャボテン幻想』(ちくま学芸文庫)、『龍膽寺雄 焼夷弾を浴びたシャボテン』(平凡社STANDARD BOOKS)を紹介しながら、シャボテンに魅せられた作家の味わい深いシャボテンエッセイや、世の中が緊迫している時に役に立たない趣味をやり続けること、などについてお話ししています。

【今回のハイライト】

・シャボテンに魅せられた人生

・棘の間から砂漠を夢見る

・不思議で合理的なシャボテンの生態

・庭仕事は癒やされない

・戦時下のシャボテン愛好家

・思いもよらない花が咲く

【参考】
・モダニズム文学・新興芸術派・龍胆寺雄
http://www7b.biglobe.ne.jp/~artreb/

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00:15
みなさん、こんにちは。この番組は、誰もが知っている名作から、あなたの知らない日知すぎる本まで、ゆるいトークで紹介する読書系ポッドキャストです。
改めまして、こんにちは。的文子です。こんにちは。梶原コーヒーです。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
もう一月以上経ちましたけど、あっという間に経ちましたね。
そうですね。2年ぶりに対面で開催された、山形ヒトカコフィル本市でしたけれども、天気が素晴らしく良くて、大盛況のうちに無事終わったっていう感じでしたね。
にじまってましたね。
結構、場所離れてるんですよね。市内からは。車じゃないとちょっと来れる距離じゃないから、人集まるんだろうかっていう若干の不安がありつつも、
ふたを開けてみたら、すごく天気は良いし、隣にシベルの工場とか、ついでに来た人が寄って行くっていうような、そういう効果もあったらしく。
あと、ドライブの中間っていうか、結構あそこで休んだりする人がいるので、
なるほど。
だから、ちょうどいい場所でしたね。
でもやっぱり皆さん、2年間待ちに待ったっていう感じの。
ちょっと目出しで熱くなる感じでしたね。
もう2年ぶりにお会いする。
それこそ梶原さんにお会いしたの2年ぶりぐらいでしたよね。
そうなんですよね。
そうそう、なんかこうやってお話ししてみるので、的さんとは。
だから、会ってない気はしなかったんですけども、あれ?みたいな。実際会うのは2年ぶり?みたいな。
そうですよね。なんかちょっと不思議な気分でしたけど。
いつものメンバーが集まっていて。
そうですね。
今回ちょっと通天できなかったんですけども、お客として伺って、すごい楽しかったです。
はい。そこでせっせと私はポッドキャストの宣伝をしまくり。
素晴らしい。
なんと、もう聞いてますというびっくりするようなお声も聞いたりとかして。
よかったです。
今後ともよろしくお願いしますというところではありますね。
そうですね。
今回紹介するのは、ちょうど保身緑が綺麗になってきたなっていう時期なので、
それにちなんだような作品を紹介したいんですが、
でも今回する作家の話は多分あんまり葉っぱ関係なさそうな植物の話なんですけど、
紹介する本2冊あるんですけど、書いてる方が同じ方で、
ゆうたんじ、ゆうという、発説が悪いからちゃんと伝わってるかわかんないんですけど、
漢字もちょっと言葉で説明するとちょっと難しい字を書く方なんですけど、
サボテンの本。
でもこの方サボテンとは呼ばず、シャボテンって呼ぶんですけど、
03:04
シャボテンです。
サボテンのシャボテンっていう。
その方が書かれた、シャボテン幻想っていうちくま学芸文庫から出ている本と、
あともう1冊、りゅうたんじりゅう、焼夷弾を浴びたシャボテンっていう、
これは平凡社から出ているスタンダードブックスっていうシリーズがあるんですけど、
そのシリーズから出たものですね。
この2冊を紹介しようかなと思います。
タイトルにもあるようにシャボテンですね。
この方、もともとは作家の方なんですけれども、
1903年生まれなんで、明治34年に生まれて、
1992年に亡くなられている、平成4年ですね。
までご存命だった方なんですが、
もともとは昭和初期に流行したモダニズム文学で人気作家になった方なんですよ。
作家としてデビューして、一躍有名になった方ではあるんですけれども、
当時の文学者とか文壇とかのあり方に対して、
ちょっと批判とか批評的なことを言ったのが元にで、
その文壇からバンされてしまうっていう。
追放されちゃう感じですか?
そうですね。
作家としてそのまま小説は書いていて、
直木賞の候補になったりとかもしているんですけれども、
作家活動よりは、どちらかというと、もともと育てていったサボテン栽培に傾倒していって、
サボテンについての図鑑とか、あとエッセイを多く残したっていうので、
今はそっちの方が有名なのかなっていうような方ですね。
じゃあ、もともとは別段素植物学とかの方じゃなくて、
趣味から始められている感じですか?
そうですね。植物の専門的なものを学んだっていう方ではないですけど、
趣味の園芸からサボテン愛好家になったっていうところですね。
お好きな方、もう本当好きですよね。
最近も多肉植物とかサボテンって流行ってるっていうか、人気がありますよね。
本を読んでたりとか、今だって百均とかでもいろいろ種類が出てたりとかして、
それだけすごく人気なジャンルなんだろうなと思いつつ、
あれいまいちどうやって育てたらいいかよくわからない植物じゃないですか。
私は苦手です。
それこそ百均のサボテンのように、気がつくとあれ、枯れている?とか。
あとすごく長生きしてくれているサボテンも我が家にいるんですけども、
06:00
その伸び方は正解ですか?っていうような。
そうなんですよね。あれ、なんかすごい成長してるけど、
ちょっとこう自律的なくなってきてるっていうか。
でもなんかサボテンって枯れるとちょっとショックが大きいじゃないですか。
そうですよね。サボテンってなんか枯れないイメージありますよね。
で、あんな、
カラカラの砂漠とかに。
でもね、意外にナイイブで、
そうなんですよね。
ドライになってしまったり。
そうそう。
気持ち的に落ち込んじゃうんですけれども。
綺麗に丸く育てたりとかするのが意外と難しいらしいですよ。あれは。
やっぱり技なんですね。
何気に技が必要らしいですね。
ゆうかんじさんが育ててらっしゃるサボテンっていうのは、
いわゆる他肉と言われているものと同じような種類なんですか?
この人たくさん育ててたらしいので、いろんなサボテンが出てくるんですけど、
サボテンって言っても、
どこまでがサボテンと言っていいのかっていうのが、
いまいちこの本を読んでいてもわからないぐらい広いんですよね。
いわゆるトゲトゲが生えてて、他肉っぽい円筒形のサボテンとか、
あとはジャバラっぽい感じになってて、トゲが生えててっていうのがサボテンとして、
多分みなさんが思い浮かべるサボテンだと思うんですけど、
あと他肉植物とかも一応大きな分類的にはサボテンの一種というか、
一種って言うとちょっと語弊があるみたいなんですけど、
その辺の分類ってちょっといろいろ細かく分かれているので、
ただやっぱりあれもサボテンの親戚みたいな。
テキーラの原料になるっていうのは、
リュウデツランとかアガベって呼ばれるような植物の花の蜜だったかな、
それを発酵させて作るのがテキーラ。
じゃあ、また違うかもしれないんですけど、アロエとか?
アロエはなんか違うらしいですね。
なんか難しいですけど、これちょっと後でも話そうと思うんですけど、
2000年以上生きている植物とか砂漠でとか、
そんな不思議な不思議な世界が広がっているサボテンの世界なんですけれども、
なんでリュウタンジさんはサボテンの世界に足を踏み入れていったかっていうのを、
いろんなところに書き残していて、人にもよく聞かれるっていうのを言ってはいるんですけれども、
それが程よくまとまっているのが、平凡社のスタンダードブックスの方に載っている
空想コマっていう短いエッセイがあるんですよ。
サボテンの話をしつつ、自分のキャリアが折れてしまったと、
一旦挫折と言いますか、そういった苦い経験をしたことに対する
あれがなかったらなあって思いながら、あれがなかったらでも今の自分はいなかったしなっていうような、
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愚痴のような、ちょっとやっぱり恨み事のようなこととかも結構うじうじ書いてるんですけど、
でも何かそれがすごく味になっている。それとサボテンに対する愛情が一体になってて、
味わい深いエッセイではあるんですけれども、その中でよく聞かれることがあると。
あなたはどういう動機でサボテンがそんなに好きになったのかと。
サボテンって多分そんなにメジャーなものではないと思うんですよ。植物の中で。
バラとかランとか、あるじゃないですか、園芸の花形みたいな。
じゃなくてサボテンっていう。ちょっとやっぱり変わってるじゃないですか。マニアック方向。
謎めいてる?
謎めいてるし、あんまりちょっと普通の人手出さないようなっていうのを偏愛してるので、
やっぱり最初そこを聞かれるよね。なぜあなたはそんなにサボテンを愛しているんですかと。
私はその度にジョン・マロニのことを思い出す。そこにサボテンがあったからだと。
意外にちょっとベタな。
そういうふうに言うことにしてると。
もう60歳ぐらいにこのエッセイ書いてるんですけど、サボテンをいじっくり出して30年ぐらいになるんだけれども、
30年って結構大変な時間が経ってるなっていうのを気づきましたっていうのを。
そうですね。たぶんこの方60歳ぐらいにそれを書いてるってことは、30代でサボテンに取り憑かれてしまったわけですよね。
そうですね。30代で虜になって、そこからもずっとサボテンのことばかり考えて生活できましたっていう。
すごいですね。
すごいですよね。その中で語られているのが、さっきのセンチュリーブラントって言ってた、
日本でいうところに有列団とかが属しているアガベカっていう、ランではないらしいんですけど正確に言えば。
センチュリーブラントにちょっと思いを馳せながらまた自分の人生を振り返ってるんですけど、
このセンチュリーブラントっていうのが、たまになんかテレビとかで話題になったりすると思うんですけど、
これが100年ぐらいに育ってやっと花が咲くっていう植物なんですよ。
100年もかかんないらしいんですけど、でもやっぱり咲くのは2、30年に1回咲いて枯れちゃうっていう。
それまではただの葉っぱなんですよ。ちょっと背丈の大きい葉っぱなんですけど、
突然その葉っぱの真ん中からニョキニョキニョキっと3、4メートルぐらい伸びるんですよね、茎が。
で、あっという間に伸びていって、その先っぽからモップみたいな花がですね、咲いて、
で、もうそのまま咲き終わったら、潮れて枯れていくっていう。
大器晩成じゃないですけど、最後にエネルギーを爆発させるタイプ?
12:03
ちょっとこう、無駄なんじゃないですか。
その30年に1遍ぐらいしか咲かなかったら、10分とかも難しいじゃないですか。
なのに最後の最後、そんな3メートルとか伸びるぐらいなら、毎月3センチぐらいで何とか折り合いはつけれたかったんだろうかね。
いやー、でもほら、植物がそれでね、今まで残ってるってことは、多分それがまた一つの製造戦略で多分生き残ってきたっていうところなんでしょうね。
なるほど。
まあそんななんていうかね、20年30年もグッと我慢して、今だってなったら、ニョキニョキニョキっと伸びて、バッと花を咲いてバッと散るっていう。
人肌咲かしてやるぜっていう感じですよね、まさに。
本当そうですね。人間から考えると、花とかセリとかにしても、生中の時が人生の花のような気がしますけれども、彼らにしてみたら別にそこが一番重要ではなかったりする場合もありますからね。
そうそうそう。
でもね、一花咲かせてみたいな。
一花咲かせてっていうのが、この方はやっぱり20年も30年も不遇な、まあ多分本人としてはちょっと不遇なっていうふうに思ってる部分ももしかしたらあるのかなというところもあり、なんかそういう思いをちょっとこのセンチュリープラントの話に乗せながら書いていて。
で、なんかそこのそのセンチュリープラントの話しているところの印象深い言葉がありまして、まあ人間が年をとっても年相に老けられないなどというのは悲しいことであると。
少なくとも50の時は50歳らしく、60歳の時は60歳らしく老けたいけれども、でもまあ老けられないっていうのはそれはそれで哀れなんじゃないかと。
でまた才能なりの仕事をしないでいる、もしくはさせられないでいる不幸な人間なんじゃないかっていうのを語っていて、うーんっていうか、なるほどねっていう。
今だと人生100年と書いて、いつまでもいつまでもやっぱ若く生きることが良いことっていうふうに言われるような社会ですけど、一方でなんかちょっとこの言葉にはドキッとするっていうか。
年相応っていうのがね、理想ではありますけどね、確かにこううんと若く見られるのが嬉しい方もいらっしゃるかもしれないですけど、なんかその不遇な何十年か送ってきた人が言うそのセリフにまたちょっとこう味わいを感じるっていう。
味わいがあるんですよ。俺は本当は何か仕事をするはずだったんだけれども、まあやっぱりちょっと口が災いしたのか何なのか、まあ時代があれだったのかわかんないですけどね、その機会を。
そうまあ難しい人だったらしいですね。なんていうかこううまく夜当たりをしていくのがちょっと難しいタイプの人ではあったらしいです。
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まあただなんか現実感覚が全然ない方ではなかったらしくて、なんていうか戦時中はそれこそ町内会長として結構活躍されてたりとか、まあなかなか実務的に手腕を発揮されたりとかしていて、ただなんか言わなきゃいいのにっていうことを言ってしまったために衝突するっていうのはたびたびあったらしくて、まあちょっと不器用な方って感じだったんでしょうか。
若い時やっぱりそこで分断を起こされてしまって、チャンスを逃してしまったというか、それをやっぱり悔やむ気持ちっていうのはすごくあったんでしょうけど、一方では振り返ってその30年サボテンに熱中していた30年を振り返るに、あの時もしそういうキャリアが折れるとかそういうのがなくて流行作家のまま人気でいたら、多分自分は今の歳まで生きてないなと。
ちやほわされて確かに揺れっこにはなってたんだろうけど、仕事仕事で多分それはそれで擦り減らして死んでたんじゃないかなっていうのを、逆にそういう考えるとサボテンは私を救ってくれたんだっていうふうにも言ってるんですよね。
もうほんとすべてが味わい深いですね。
しみじみといい文章なんですよね。これは本当に趣味の人のよくある言い訳でしかないんですけど、だから家族はこの私がサボテンに対してのめり込んでいっぱいサボテンをコレクションするのを感謝してもいいと思うみたいなことまで言い出してるんですよね。
もうほんと耳が痛いですね。
でも趣味なんて多分そんなもんなんですよね。
人には理解されないかもしれないけれども、それでも私を救ってくれたのはこのサボテンだと。
ご家族にちょっと一応聞いてみたい。
そうですね。家族の方にはその辺どうですかっていうのは聞いてみたいですね。
本当にあまりコレクターも家族を顧みないとなってくると、これはこれであるひとつ集めたプロモデルを全部捨てられるとか、そういう悲劇につながったりするわけですけれども。
本を全部燃やされてしまうみたいな。
でもどれくらいそれがその中とかを閉めていたのかというのを考えると、本当に奥様の一度言葉を聞いてみたいというか。
そうですね。サボテンも混乱なところに自生しているものが多いので、温室が必要なんですよね。
ガラスで囲ってあげて、日当たりの良くしてあげるっていうのが必要らしくて。
だから戦時中とかそのガラスがすごく貴重品だから、援援をされてた方っていうのはガラスを手に入れるのがすごく大変だったとか。
戦時中じゃなくてもやっぱりそういう施設をちゃんと世の中に整えるのはそれなりに金もかかるし手間もかかるし、土地も多分必要でしょうし。
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だからまあ分担を抑えてしまったという話でしたけども、そこそこちゃんと材のある方っていう感じはしますよね。
そうですね。
特に特訓を得られるっていう。
分担を抑えたとはいえ、やっぱり食うに困らない程度にちゃんと稼いではいるっていう。
そこらへんは結構地に足ついた方ではあったんですけれども、やっぱり人間関係とか世の中のあれこれに疲れた時に温室にサボテンを見に行くわけですよ。
そうするとサボテンはあらゆる植物の中でもっとも遠近的で、人が嫌いな感じで、孤独な寂しい独特な性格を持っているので、こういう人間が生き抜きにいじくる植物としてはもってこいであるっていう。
サボテンに来たら家迷惑ですよ。
サボテンにですね、この人は砂漠の幻想を見てるんですよ。
寂しい何にもない渇ききった砂漠にポンツンと孤独にひっそり生活しているサボテンっていう。
捉え方がそれは結構みんな違うかもしれないですね。
あの人はサボテンのトゲの間から砂漠を見てるんですよね。
そう、行ったこともない世界の荒涼な砂漠を見て癒されているっていう。
これがいいんだよっていうのを最後に書いてこのエッセイは終わっていますけれども。
面白いですね。
面白いですよね。
砂漠にそんな寂しいイメージはなかったので、今なんかすごく面白いなと思いました。
砂漠ってなんかでもなんかこうちょっと寂しいっていうか、暴漠とした感じはするじゃないですか。
どこまでもこう何もなく砂だけがあるみたいな。
でもほらこうなんかすごい暑いから寂しいとか言ってるじゃないのかなって。
確かに。生きるか死ぬかみたいになってくるみたいな。
寂しいとかそういうセンチメントに浸ってる場合ではないみたいな。
あーなるほど。でもなんか昔の歌で月の砂漠っていう歌とかあるじゃないですか。
やっぱりちょっとあれも物悲しく幻想的な砂漠っていう。
そうですね。でもなんかもうほらサソリとか。
確かに。なんか西部劇的な。
そうですね。なんか私の中では西部劇的な感じたんですよね。
夜になるとめっちゃ寒くなるし、昼間はすごい暑いし、でこう蜃気楼が見えるみたいな。
結構過酷な環境ではあるんですけど。
だから月の砂漠とかはなんだろう、日本の九十九里浜とか。
鳥取砂丘とか。
あまり命に関わらないところの歌はセンチメンタルな感じかもしれないですけど。
そうですね。私の中では生きるか死ぬかでしたね。
結構過酷な生存シーンになれるっていう感じですよね。
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でもなんかわかんなくはないですね、その幻想抱くって。
やっぱりこの方の世代的なものかもしれないですし、
この他のエッセイにも書いてるんですけど、砂漠といえばアラジンとかアリババとかシンドバットのような話とか、
あとはそのシルクロード。
多分ああいうなんていうかちょっとロマンチックな、エキゾチックなロマンチックなイメージとかも混じり合ってるような、
心の中にあるいろんな殺伐とした思いみたいなのを投影するには、砂漠そしてサボテンっていう。
サボテンの形もすごくいいじゃないですか。この奇妙さっていうか、
他の星から来たのかな、これっていうような形をしてる。
なんでこんな進化を止めていったのかっていう。
それについてもこの本の中で詳しく解説してたりするんですけど、
やっぱりうまくできてるんだなと思いますね、このサボテンの話。
読むにつけ、サボテンって蛇腹みたいになってる形のサボテンあるじゃないですか。
アコーディオンみたいな感じの。アコーディオンを一周させたみたいな。
トゲが生えててっていう。
あと普通の丸いサボテンとかあると思うんですけど、あれってやっぱり中に水を溜めてるんですよね。
さっきの蛇腹のサボテンを例にどうやって適応してきたのかっていうのを、
推測なりデータなりで解説してるエッセイもあるんですけど、
蛇腹にすることによって、まずメリットとしては日差しを受ける面積を小さくする。
全部丸いと全部当たるじゃないですか。
でもこの蛇腹にすることによって影になる部分があるんですよね。
それによって強い日光からいくらでも水を蒸発させないようにするっていう効果があるんではないかっていうのと、
もう一点、砂漠って言っても寒気と雪みたいなのがあるので、
水を得られる時期は限界ギリギリまで水を蓄えておくわけですよ。
これがただ丸いタイプのサボテンだと、丸いタイプのサボテンでも縮んだり膨れたりはするんですけど、
蛇腹にすることによってその面積を膨らますことができるわけですよ。
へー
波動するわけですよ。蛇腹のところが。
へー膨らむんですか。
膨らむんですよ。水を溜め込む能力も高くできると。
さらに一応サボテンって光合成を行うので、光合成を行うには今度やっぱり面積はそれなりにやっぱり必要なので、
蛇腹だとその表面積っていうのを普通の円筒形とかにするよりは多く取れるので効率が良いと。
うまく考えられてるなって感じですよね。
すごいですね。
めちゃめちゃエコシステムがすごいっていう。
じゃあ丸い子はどうなり?
丸い子はたぶんまた…
どうなり?
どうなりというわけじゃないんですけど。
たださっきのお話、最初の冒頭の話でサボテン育てるの結構難しいっていう話が出てきたじゃないですか。
24:05
その土地にすごく特化して進化を遂げてきた種がほとんどらしくて、
その土地の気候に合わせて、その土地のしかも微妙な気候ですよね。
それで進化してきたっていう。
なのでその一個一個の個体で特性がだいぶ違うと。
意外と繊細なんですよね、サボテン。
結構温度変化が急激なところじゃないと育たないとか。
暑けりゃいいってもんじゃないよっていうようなサボテンとかね。
夜はやっぱりぐっと寒くなって、昼は50度ぐらいまでなるっていうところで適応してきたサボテンとか、
まあいろいろいるので。
あとはやっぱり暑くないと、ある程度の温度がないと育たないっていうのがあって、
日本では育たない種類のものとかももちろんありますし。
なんかすごくその辺が意外と繊細らしいですね。
なんか最近はいろんな形の他肉植物売ってますけど、
ふと昔前、ふた昔前、自分の祖父母の時代って、いわゆる丸くてぼんやりした子たち。
ぼんやりした。
なんかあまりそんなに生きる種類を考えずに縁側で育ってきた子たちみたいなのがすごく多かったイメージがあるんですけれども、
やっぱりああいうところで育ちやすい子たちだったんですよね、きっと昔のサボテン。
だいたい丸くて、表面がもやもやっとしてる子か、ぐっとしてる子か、
でもジャバラっていうよりはぼんやり生きていける子たち。
日本の気候に適してる子たちだったんでしょうかね。
日本のベランダとか縁側とかに適してる子たちだったんでしょうね、きっと。
だって本場のサボテンとかはデスバレーとかに、それこそアメリカのデスバレーとかなんて、
遮るものが何もないみたいな。そこの谷に迷い込んだ鳥とか焼け死ぬみたいな。
だからデスバレーですよ。もう屍しか転がっていないぐらい暑いっていうような超過酷な環境でもサボテンが生えてるっていう。
そんなところに生えてる子たちとかもいるわけで。
逆にそこに適応しちゃうと、なんかちょっと他の生ぬるい環境に行ったりすると逆に適応できないみたいな。
ほら、ブラック企業とかにすごく慣れてくると、すごくこう、のんびりした、いい感じの環境に行くと物足りねーなーって調子でねーなーみたいな感じになってくることってあるじゃないですか、人間も。
私も同じことを今考えましたよ。それはまあ昔からね、歴史のすごい昔の田沼とか広川とか、そこはね、やっぱり悪い人たちの政治になれちゃうと、正しい政治に物足りなさを感じてしまうみたいな。
27:07
サボテンの話してるんですけどね。
でもなんかね、そういう、サボテンも同じなんだろうみたいな。
今回サボテンの話するっていうんで、ネットでサボテンのことを色々調べてたんですけど、
まあやっぱりサボテンの世界にもね、気候変動っていうのは、まあやっぱ影響は出てきてまして、
さっきも言ったように、サボテンってすごく微妙な気候に、その土地その土地の微妙な気候に適応をしてしまっているがゆえに、ちょっとしたその変化に弱いらしいんですよ。
意外とね、繊細なんですよ、だから。
だからその気候変動によって、絶滅していくサボテンの種っていうのが、レポートも読みまして、
まああったかくなるからサボテンにとってはいいんじゃないかと思いきやそうでもないっていう。
なるほど、頑張り屋さんだけど繊細なんですね。
そうなんですよ。
サボテンがなくなると何が困るんでしょうね。
いや、別にミスっているわけではなく、なんかね、こう自分たちが全然気づいてないだけで、
何かあるからたぶん残ってきてるんじゃないかなと思うので。
何でしょうね。
だからサボテンが絶滅したったら、まず癒されてた人たちが悲しむっていうのもあるかもしれないですけど。
あとやっぱりサボテンを餌にしている動物っていうのも、やっぱり砂漠を生き延びる者たちとしては、
イグアナとか、ああいう動物たちはサボテン、まあトゲがあってありますけど、
でもイグアナは結構そのトゲを気にせずバクバク食べるみたいな。
そこから水を得たり、ミネラルを得たりしてるっていう。
そういう食物連鎖もあるでしょうし、
あと困るかどうかわかんないですけど、メキシコとかの先住民族のシャーマンとかがですね、
サボテンから取れる幻覚剤でトランスに入るっていう、あるサボテンの種類から取れる幻覚剤というのがあって、
人の文化の中にもやっぱりサボテンっていうのは密接に関係していたりとか、
あとサボテンで、南米の方だと何メートルもあるような大きくて固い筒みたいなサボテンがいっぱい生えてるんですけど、
それを切って家の柵に使うとか。
へー、そんなに必要度があるんですか、サボテン。
そう、あるらしいですよ、サボテン。
あと乾かせ、楽器にするとか。
なくてもいいのかもしれないですけど、地域の人にとっては身近な有用な植物としてあるサボテンっていう側面もあるようですね。
奥が深いですね、意外に。
奥が深いんですよ、サボテン。
だからこそ多分この方、この奥の深い沼にはまってしまったということですね。
バラではなくサボテン。
そうそう、バラもやっぱり沼深そうですけど、あれ。
っていうか園芸って結構沼意外と深いっていうのは、園芸の本読んでると思ったりするんですけど、
30:05
サボテンってなおさら日本で自生してるものではもちろんないですし、
日本の気候に合わせてどうやって育ったらいいのかっていうのを愛好家の方たちは思考錯誤しながら育てていって、
うまくいかなさ加減が楽しいみたいな、うまくいかないから愛しく感じるみたいな。
やっぱり人権ストレスを欲しますからね。
そうですね、心地よいストレスみたいな。
なんか園芸癒されるって言うけど、全然癒されない気がするんですよね。
枯れたらどうしようとか、あの株分けはどうしようとか、天気が悪くてとか。
有名な園芸エッセイとして、カレル・チャペックっていう人が書いた園芸家12ヶ月っていうのがあるんですよ。
チャペックも作家で園芸にハマってた人で、
その園芸を通じてやはり人生を考えたエッセイで、これもすごく名作なんですけど、
まあ大体もう植物に翻弄されている日々っていう感じで、全然心が落ち着いてないなっていう感じですよね。
旅行に行くくだりの話とかすごく面白くて、
バカンスには行きたいんだけれども、その間水やりとか草むしりとかどうしようっていうのをすごく揉んで、
隣の人にだったか友達だったかにそれ頼むんですけど、旅行中も気になって気になって仕方がなくて、
手紙で、当時は第二世界大戦前ぐらいの話なので、毎日のように手紙書くんですよ。
あれはこうしてくれとか、ここはあまり火を当てると枯れちゃうから、あの火を当たらないようにしてくれとか、草むしりはちゃんとやってくれとか、肥料はこの通りにしてくれとか、毎日届くんですよね、その手紙が。
もうストレス。
帰ってきたら帰ってきたで、もうちゃんとやってなかったじゃないかってなって。
もうだって死なっちゃう。
寝ても覚めても庭のことしか生活になっちゃう。
離れた方がいい。園芸から。
でも園芸からは離れられないというか、それが生き甲斐になり心配の種でもあり、なんかこうつくづく人間の業みたいなものを見てしまうんですけれども。
そうですね。なんていうか、25っていうか、ろくぶかさじゃないけど、なんでしょうね。やっぱり5なんですかね。
うちの母親も今も好きなんですけど、今よりまださらにエネルギーがあった頃ですよね。
本当に園芸にハマってた時期があって、その当時ちょうど今家があるところに引っ越して、念願の一軒家を買ったんですよ。
庭付きで、庭って言ってもでも、庭なんだか駐車場なんだかわかんない猫の額みたいな、しかも赤土。土としては最悪なんですけど、
それでも庭があるっていうのが母親にとっては何よりの喜びだったらしく、そこから園芸熱にハマっていくわけですよ。
ホームセンターとか、あとは道道祭堂とかに園芸店っていうのが地方ではありまして、暇さえあればそういった園芸店に入り浸っては苗を買ってくるんですけど、
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それに私も同行させられるんですけど、子供なんで、そんな花とか全然興味ないんですよ。こっちは。母親はもうちなまこになってあれこれ買ってるんですけど、
よくわかんない花って不気味だし。わかります。奥の方に行くと、うっそーとしたコーナーがあって、そこに南国の謎の植物がいっぱい置いてあるコーナーがあって、不気味なんですよ。
臭いきれの青臭い独特の匂いがして、蜂とかも飛んでくるし、気持ち悪い形のサボテンとかがいっぱい置いてあって、
もう早く帰りたいよって思いながら、でも母親は苗を必死になって選んでるみたいな。取り憑かれてますから。
でもなんか、わかります。植物って不気味ですよね。
そう。
エタイの知れない生命力もそうですけど、卵とか。
そうですね。
やっぱりちょっと怖い感じはわかります。
それを母親がせっせと飼い込んできて、庭とも言える、庭ではないんですけど、そこら辺住人も植えまくるんですけど、カオスな空間がですね、形成されてまして。
そうですね。なんかこの年になって、やっとわかったんですけども、あれ、センスが必要なんですよね。
いりますね。
廃絶っていうか、ここの木はこういう感じで、だからガーデニングっていうのかもしれないですけど、何もそういうセンスがないと、本当にひどいというか、我が家がそれなんですけども、プリット目のない状態になってしまうっていう。
それに夕方になったら水やりをしてくれって言われるんですけど、なんかジャングルみたいになってるし、虫もすごいことになってるし。
本当にその水やりが結構憂鬱な時間だったなっていうのを思い出しますね。
ほら、やっぱり癒されない状態ですよね。
そう、癒されないんですよ、庭で。
でももう2つちょっと思うのは、山形の人、しかも知らないっていうのはあるんですけども、みなさん苗が好きですよね。
うん、苗好きですよね。
うん、だからこう長い冬が終わって、わーっと花を見ると定期するんですかね。
ちょっと紅葉してくるんですかね。
そうかなーっていう気もしますよね。すごくみんな苗を。苗を、苗を。
何かに取り憑かれたら刈り立てられるかのように苗を買ってくる。
そう、毎週苗を買ってくるっていう。
うちそんな広大な庭はないんだけどなって思いながら。
それは癒されるのか、どんなのかもわからないですね、特物。
でも、なんかこのりゅうたんじにゅうみたいに、もしかしたら母親もあの花と花の間から何か別の世界を見てたんだろうかっていうのをちょっと思ったりもするんですけど。
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なんかそうどうなのかもしれないですね。
なんだったんだろう、何を見てたのかちょっと怖くて聞けないな。
憧れなのか、逃避をしていたのか。
おそらく何かしらの幻想を見てたんじゃないかなっていう、ちょっと熱狂っぷりでしたね。
省内柵を見てたんです。
平和だな。
メロンが咲いてる。
メロンが咲いてる、そして今は亡き湯の浜ランド。
人は植物の間に何か見るんですね、宇宙を。
そんなことを思いつく。
あとなんかこの話、本の中でいろいろサボテンについても話してますし、サボテンだけではなくてちょっと珍しい不思議な植物についてもお話をしていて。
リュウゼツランですね。
30年に一遍一花咲かせて枯れてしまう潔い植物もあれば。
あとはですね、ヒソウテンガイっていう日本名がついている、これも砂漠に咲いている、咲いているっていうか、咲いている草ですね。
あっと見草にしか見えないんですけど、ウェルウィッチアっていう名前、学名がついてるらしいんですけど、これがですね、葉っぱが2枚しかないんですよ。
で、この2枚の葉っぱがまだちげれながらぐしゃぐしゃになりながらも、この2枚の葉っぱだけがずっと伸びていって、なんとそれが2000年以上生きる。
だからもうちょっと違うところにパワーを。
そう。なんでそこなのっていうようなところにエネルギーを注いでいくっていう。
面白いですね、サボテン。
面白いですね。サボテンとか、さっきのセンチュリープラントにしても、ヒソウテンガイにしても、そっちの方向で製造戦略を取っていくのかっていう。
でもほら、砂漠に育てば、砂漠なんて他の植物育とうと思わないじゃないですか。
ちょっとここやめとこうかなってなるじゃないですか。やめとこうかなっていう前に、たぶん生きていけないしっていうような。
あえてそこに進出して、そこはもう自分だけのものになるわけじゃないですか。
イーロンマスクですか。
シェアは全部自分のものみたいな。
過酷すぎません。
誰もついてこれないところに行っちゃうっていう。
ここまで行かなくてもみたいな。
極端というか。
でもそこを選んだ植物を選ぶ人だから、やっぱりちょっと変わってらっしゃるかもしれないですね。
別にサボテン愛好家の方が変わってるっていうわけじゃないですけども、やっぱりその作家の方の性格とかが伺えるような感じはしますよね。
39:00
しますよね。でも、サボテン好きの話もちょっと出てきていて、あれも結構面白いんですけど、
サボテンに行くビッタケになって、サボテンが大好きみたいな人の中には、植物みたいに枯れてるじゃないですけど、淡々とした性格じゃなくて、
もっとなんか積極的で、能動的で、エネルギッシュで、脂っこくて、敵味方の観念が強くて、
ニコ的で闘争的で、どうにかするとどんなんでっていう。その友達で時に意地悪な感じもするような、なんかこの人は油断ならない働き者だなと見なされていると言われるようなタイプの人間が仲間入りしていることがよくあるっていうふうに書いてみて、何があったんだよって感じなんですけど。
あのなんだろうな、特定的に何も書かないけれども、すごい何かあったんですねってわかりやすい方ですよね。
ちょいちょいそういうの挟んでくるんですよ。
なんかすごいわかりやすい日常がなんかありましたねみたいな。
そうそう。にじみ出てくるんですよね。そこら辺に。でもなんかそういう人にとってのシャボテンっていうのは、孤独な感じ。荒野に孤独に生きていかねばならぬっていう。
絶対にそれ嘘ですね。
感じにやっぱ惹かれるよねっていう。
そこまで言っておいてまだそれ言いますかっていう感じ。
この文章の最後の終わりが、その人とのいさかいなの、衝突なので疲れ果てて帰ってきて、サボテンを見ると、やっぱりサボテンの孤独と彼の孤独がじっと静かに対峙してるだけなのだっていうふうに書いて。
こういうシーンには心優しい普通の植物が好きっていう人にはわからないだろう。
こういう人たちはもう常に成仏してるから、サボテン好きってなかなか業が深いから、悪人だからやっぱりそのシャボテンをもってして成仏するべきなんだっていう。
シンナーもびっくりだよっていう。
びっくりですよ。
話なんですけど。
解釈打たらですよ。
シンナーそんなこと言ったっけみたいな感じなんですけど。
いやいや言ってないから。
言ってないと思うよみたいな。
全部サボテンにつながってくるんですよ、自分の人生が。
ちょっと離れた方がいいよって私もお友達だったら言いますね。
でもサボテンにこの方は救われてるので、サボテン育ったら寿命が伸びたって言ってるので。
救われてるんだかなんなんだかっていう感じも。
でも趣味って極めるとそんな感じになってくるんじゃないですか。
本当に何か現実世界でうまくいかなかったとか、屈折がないとこんなにはまらないと思うんですよ。
屈折ないとたぶん現実世界で大体満足できるんで、成仏してるんでそれこそ。
成仏できなかった方々が何か他に。
そうですね。やっぱり豪深いんですね。
そう、豪ですね。
豪ですよね。だって本人は満足してないけれども、周りからしてみたらたぶんいい人生だったと思うんですけれども。
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やっぱり足りない、足りないってきっと何か思うところが本人には。
そう、こんなはずではないやっぱり何か後悔するものが。
コンプレックスが。
サボテンに私がお向かわせる。
でもその方って戦争もまたいでるってことですか。
そうですね、戦争もまたいでますね。
その戦争の最中のサボテンとの暮らしっていうのも普通じゃなさそうですよね。
普通じゃない。
大変な時期だけども、人とは違う大変さを持っていそうな気がしますけどね。
なので、平凡者の本に載っているのが、これ副題がそのまま焼夷弾を浴びたサボテンなので、
戦時中にサボテンとどう向き合ってきたかというか、
戦時中のサボテン愛好家たちの話とか、
こういう自分が関わったサボテンの疎開の話とか、
そんなものをまとめた長いエッセイがあって、
まあまあこれもすごくしみじみ読むいい文章なんですけれども、
この方は神奈川のちょっと田舎の方に住んでて、
まあただその東京にちょいちょい出てきて、サボテン好きの人たちを見舞ってたりとか、
あとはそのサボテン園本位にしていた売ってるお店ですよね。
が、やっぱりいくつかあって、東京にも。
で、そういったところを歩いた日々を書いたエッセイが載ってるんですけれども、
この方はさっきもちょっとお話ししたように町内会長をやりながら、
街をどうやって空襲から守るべきかみたいなものをちゃんと考えながら、
一方でやっぱりサボテンどうしようみたいなことをずっと考えてるんですよ。
そうですよね。絶対そうですよ。
だってね、これだけ愛を注いでいるものだから、やっぱりこういう時でもサボテンのことは考えずにいられないんですよ。
で、いろんな植物園を管理してるところに行ったりもするんですけど、
やっぱりもうこのご時世サボテンなんて言ってらんないよみたいなご時世になりつつなってはいるんですが、
そこに来たお客さんで知り合いのサボテンマニアの人と久しぶりに再会して、
またちょっとサボテンの話に花が咲きみたいな、やっぱりいいなサボテンはっていうようなところなんですけれども、
そんな話もしつつ、ここにあるサボテン、貴重なサボテンをどう疎開させたらいいのか。
疎開させるって言ってもね、その運ぶのどうしたらいいかとか、そんな話とか。
こういうご時世だけど、東京のサボテン愛好家がこの間また会面を開いて、
サボテンについてまた熱く語ってたみたいだよみたいな話を聞いたりとかしてたりとかして、
なんなんだこの話をみたいな。
強い。
そう、みんな強いなっていう。
すごくその中でも印象に残ってるエピソードがいくつかありまして、
お寺のご住職がまだ若い方だったらしいんですけど、
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その寺の境内の一角でサボテンを育てていて、
そのサボテンがすごくいいコレクションを持ってたらしいんですよ。きれいにしてて。
その戦争の最中にサボテンを見せてもらうんですよ。
世間はすごく殺伐としているのに、なんて天国みたいな空間なんだって、
こんな空間まだあったのかって思いながら、夢のようだったって書いてるんですけど、
結局その寺物とも空襲で亡くなってしまって、
人は無事だったらしいんですよ。ただやっぱりそのサボテンは跡形もなく。
他のサボテンに、これサボテンだったかなっていうような愛が残ってるだけでっていう。
あそこにあったサボテンって幻だったのかなっていうお話が残っていたりとかですね。
切ない。切ないですよね。
やっぱり良くないって思いますね。
あとは地方でサボテンを育てている結構お金持ちの人がいまして、
ただそのあっちはもう戦争に行ってるからずっと留守で、あんまり世話もされてなくて、
ちょっとここもどうしようかなってなってるから、あなたちょっと植物詳しいって言うから、
整理するのを手伝ってくれないかって呼ばれて行くんですよ。
すっごく立派な温室で、すごく立派なコレクションを持ってて、
ただやっぱり世話をちゃんとされてないから半分ぐらいしなびてた。
でもまだ大丈夫そうな貴重な品種だけでもなんとか救出して、
他に疎開するとか、もらい手があるところはもらってくるとか、自分で引き取れるものは引き取るとかするってことをするんですけど、
結局その広い立派な温室はもう食料がないから野菜畑にしますっていうので、
こんな時にサボテンなんて居てられないんですよって言うと、そういう時代があったわけだよっていうのを書いてたりするんですよね。
ちょっと人間食べるには大変ですもんね、サボテン。
サボテンね、イガナじゃないからね。
ちょっとこう水分とかね、取れればもうちょっとキヤフヤしてもらえたかもしれないですけど、サボテンもその時代。
今回の戦争とかも、動物のことはすごい、やっぱり自分も犬を飼ってたりするので、
ペットをすごい抱えて逃げる人たちの記事とかもすごい読んだんですけど、
動物園のお話とかもですね。
そうですね、動物園のお話もそうですし、結構ね、動物飼ってる人が多いところだったみたいなので、国的に。
だからね、動物のケアとかする方も多かったというか、そういう記事をどうしても自分が拾って読んでしまうんですけども、
この話を聞くと、やっぱり植物とかにもすごく愛情を注いでいた人たちもいたんだろうって思うと、
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また今のちょうどね、この戦争と重なるところもありますよね。
そうですね。動物だとやっぱり放っておくわけにもいかないしっていうのは、まだ出やすいのかなと思うんですけど、植物とかね。
そういうのってやっぱりちょっと、そんな時にサボテンとか言ってる場合じゃないでしょっていう風に。
優先順位的にはちょっと低くなってしまいますよね。
ひっ迫した世常になってくると、こういったなんていうか、何も役にも立たないって言ってしまうとあれなんですけれども、
実用的でないものっていうのは真っ先に切り捨てられていくし、やっぱりその、今こんなことをしている場合じゃないでしょっていう。
もっと世の中の役に立つ、今の状況を良くするために働くべきじゃないか。
そのサボテンとかに向かってないでっていう風な、なんかこう圧力ってやっぱり出てくると思うんですよ。
私これ読んだのがですね、ちょうどそのコロナがすごく蔓延し始めたっていうか、
一番最初の緊急事態宣言が、全国的に全部ほとんど独断みたいになってた状況の、
ちょっとそれが開けてやっと外に出られるけど、まだそういうなんか出ていいんだろうかみたいな、
まだすごく緊張をしていた最初の時期に本屋に行って、植物の棚を見たらこれが置いてあって、
表紙がすごく可愛かったので、サボテン柄なんですよ。
想定がすごく可愛らしい想定で、サボテンの方置いてあると思って買って、この話が載ってて、
とても印象に残ったんですよね、この焼夷弾浴びたサボテンの下りが。
なんていうか、戦争で一番逼迫したものの、最たるものの一つだと思うんですけど、
それでもサボテン愛好家の人って集まってサボテンの話してたんだっていうのを知って、ちょっと勇気出たんですよね。
そういう時でも好きなものだけで役には立たないけど、大好きなものを好きなままに愛するっていうのって、
意外とこれやろうと思っても、なかなか難しいと思うんですよ。
そうですね。そういう戦争とかがあったとしても、それに並行して自分の人生は続いていくので、
そこで今の世の中だと、結構芸術性のあるものとかが、コロナの時なんかは割とないが減ったじゃないですか。
そうなんですよね。
でも今は、芸術とか言ってる場合じゃないでしょってなりがちではあったけれども、
人生は続いていくんだから、やっぱりそれを切ってしまうっていうのは、
良くないって言うとまた言葉がちょっと違う気がするんですけども、
切れるはずがないっていうか、好きなものとか、そういう自分が愛しているものを嫌いにはなれないですよね、やっぱり。
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大変なご時世だから、それを忘れなさいとか言われて忘れられるものではないっていう。
なんですかね、これ日本人独特なんですかね、もしかしたら。大悪感的なものって。
そうですね。不謹慎じゃないかみたいな。
あの雰囲気はちょっと結構怖いなと思ったんですけど。
外国とかだとどうなんですかね、ちょっとわからないですけど、そういう時だからこそ歌は必要じゃないかとか、
なんかあるかもしれないですけど、どうしても日本だと不謹慎枠に入ってしまうっていうか。
そうですね。だからそういう時に、いやでもサボテンだしみたいな。サボテンは好きだしみたいな。
人の大事な点を疎開させたいとか。
だいぶ結構白い目で見られたんじゃないかなと思うんですけど。
サボテンじゃないだろう、今みたいな。
思うんですけど、でもそれをやったっていうのは結構なかなかこれはすごいことだなと。
強い愛をないとやれないですし。
今の時代だったらSNSとかで、うちのサボテンを誰かみたいなことを言えば、もしかしたらそれを拾ってくれる人がいるかもしれないですけども、
その時代ってたぶんお手紙とか、そういうのをしたためて疎開させていただけませんでしょうか。
でも意外とこういうマニアの世界ってネットワークがすごく発達してるというか、
狭い世界だから、あの人だったら何とかしてくれるだろうとか、お手紙書くみたいな。
集まりって大切ですね、会合。
会合大事ですね。
会合大事ですね。
それこそソーシャルネットワークですよ。
本当にお深い大切みたいな。
本当つくづく。コロナの時期に読んで印象に残ってるのがサボテンの本っていうのはよくわかんないですけど。
でも一般的ではないと言われているけれども、実際はとても本質的な大切なものですからね。
なんかそういう気持ちって。
ちょっとやっぱりこう、どうしても世間がピリッとしている時は、
なんかみんなキュッとそっちの方に行って、今まで楽しんでいた、行ってしまう無駄だし何の役にも立たない、
ただの楽しみのためにやっているものっていうのを、なんか一気に何が示されていくっていうのは、それはそれで怖い世界だなって思ったので。
なんか無駄なものこそね、人生を豊かにするような気はするんですけども。
無駄にこそね、豊かさもあるだろうっていう。
だからまあ、それが何か豊かじゃないと、そういった無駄もなくなっていくっていうことなのかなっていう。
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サボテンがある限りは。
サボテンがいたから長生きできた的なところは、でもそれは本当にあるかもしれないですよね。
だってサボテン残して死ぬわけにはいかないっていう強い思い。
疎開させたサボテンを引き取らなくてはいけないという使命感とか。
下手したら町内会長の仕事をやるよりそっちの方が、心配で心配にならないみたいな。
あのサボテンをどうしよう、あのサボテンをどうしようみたいな。
自分の持っているサボテン以外のことも絶対心配すると思うんですよね。
あそこにいたサボテンはちゃんと無事に生きるかな、元気にしてるかなとか。
あそこのうちのサボテンはとかね。
人知れず、なみなみならぬ苦悩をして。
そっか、でもちょっと思いが至らなかったですね、そこまで。
そういう戦時下で植物に心を痛めるっていう。
なんでもそうなんでしょうけど。
そうなんですけど、農作物とかだったらまたね、ちょっと違うじゃないですか。
植物ってなんて言うんですかね、あえて育ててるっていうものだから。
野菜見たら必要だから育ててるとかじゃなくて、あえて育ててるっていう。
サボテンはちょっとペットっぽいですもんね、そして。
なんかね、ちょっと肉感があるっていうか。
そうそう、なんか言葉通じるんじゃないかって思わせる何かがこう。
まあでもこの人の場合は通じてましたから。
この俺の孤独とこいつの孤独が響き合って、砂漠の風景が見えるみたいな。
そうですね、サボテンはハッピーなタイプだったかもしれないですけどね、本当は。
そうですね、そんな悩んでないみたいな。
割とドライだったかもしれない。
砂漠の、砂漠草地だらけに。
本当に死刑っぽいことを言うな、この人は。
そう、なんか変なとこ来ちゃったなーって思いながら、サボテンはすくすく育てたのかもしれないですけど。
面白い、面白いですね、サボテン。
そしてこのおじさんがすごくまた。
ちょっと読みたい、それは。
味わい深いんですよ、本当。
なんていうか、味わい深いというか、もう本当オタクステーみたいな。
これ読むとサボテンやっぱり欲しくなるんですよ。
オタクの人がものすごい勢いで、自分の好きなものを買ってる時の愛を浴びてる感じ。
文章はまたやっぱりいいんですよ。
一回負けてしまったものの、なんていうか、悲哀みたいなのが滲み出てって。
さっぱりしてないとかまたいいんですよね。
淡々としてるんですけど、なんか怨念みたいなものが集まってたりとか。
なんか引っ張りますよね。
そうそう、よっぽどなんか悔しかったんだなーっていうのはありつつ。
でも、需要してるんだかしてないんだか、この感じがやっぱりたまらないなーって思って。
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そう、なんかね、わかる。その文章読んでないけど、たぶんこんな感じだろうっていう。
まあ、めんどくさいと思うんですよ、だからこれ身内にいたら。
でも、なんていうか、やっぱりそういう人だからこそこういう面白い、独特の世界観を持てるのかなっていう。
そうですよね。
めんどくさくない。屈折してない人はこんなの書かないですよっていう。
悪い人じゃないんだよっていうので、つまされる人っていうか。
その点々にいろんなものが含まれてるんですけど。
つまってるっていう。
ただ小説は今読むってそんな面白いのかみたいな話もちょっとネットで拾いつつ。
やっぱりサボテンの栽培家としての面の方が、この人にとって大きい。
世間的に大きい。それこそセンチュリープラントじゃないし、ひと花咲かせたのかなーと思いますけど。
確かに。そうですね、ひと花咲かせましたね。
ひと花咲かせたんだと思いますよ、この人はそれで。
だってこれサボテンで今も調べると、この人の名前が必ず出てきますし、
昔のサボテンの図鑑とか版集とか、序文書いたりとか解説書いたり、結構やってるんですよ、そういう仕事。
最後の最後に2m伸ばした感じですね。
2m、3m伸ばしてバッと咲くっていう。
パッと咲いたっていう。
そこにやっぱり自分の姿が重ねてたんじゃないですか。
俺は作家としては折れて20年も30年もサボテンを育て続けたけど、
サボテンだけは誰にも負けんみたいな。
だって世界的にも結構有名だったらしいですよ、サボテン界では。
すごい。
いろんな研究所とかでもやり取りして、苗分けてもらったりとか、データ送ってたりとか。
何者なんだよって思うんですけど。
オタクほんと世界超えますからね、こういう系のオタクは。
でもなんかほんとそこまでになるんだったら、そこにサボテンがあったからだけじゃなく、本当に何があったか教えてほしいですね。
本当のところはどうなのって感じですよね。
そんなに面白くないんですよね。ただちょっと買ってみたとか。
多分そんなのだと思います。流行ったら死んですね、その当時。
博来もちょっと物珍しいというか。
多分それで買ってきたものに30年。
30年というかもう30年以上ですから。
時計の間から砂漠を見続けて。
幻想を見続けて。
なんかそんな死刑っぽい幻想を見るような人ってなさそうな気がしますけどね。
なんかそんな感じするんですよね。
でもやっぱり多分対外的にはそんな風に見えないよね。
結構仕事バリバリやるしみたいな。
ちょっと癖があるけど、いろんなところに交流がもって。
だから外に閉じこもるタイプの人じゃないんですよ。
ただ人と関わるときに言わなくてもいいようなこと言っちゃったりとかして。
誰にも言えない孤独があるわけですよ、そういう人にも。
いやーどうかな。
サボテンと向き合うみたいな。
俺はやっぱりこいつの孤独がいいんだよって勝手に一方的に幻想を抱いて癒される。
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どうだろうな。やっぱり恋に恋してるみたいな感じがする。
なんかそういう感じが渦巻いててすごく面白いんですけど。
面白そう。
この人については。
よかった放されて。
だから結局人生ってわかんないですね。
うまくいったからいい人生だったかっていうと、最後に花が咲くかどうかですよ。
途中まで良くてももしかしたらそこで終わっちゃうかもしれないじゃないですか。
一撃バズったけど。
だって無理やり咲かせた花とかも本人はやったって思うけども、周りから見るとなんだろうなあの花みたいな。
だって花とかだったら。
そういうときに周りもわーって思うけれども、サボテンのそういう、何年に一度見たろうって。
本当の花だってわかる花のサボテンはいいですけど、咲かすぞ咲かすぞみたいにして飛びて、
ふわって出るのって意外と地味っていうか。
回ってた割にみたいな。
どんな花が咲くんだろうって楽しみしてたあれみたいな。
なんだあれみたいな。
あれみたいな。
思ってたのと違うのって。
だからそこら辺のギャップっていうか、
彼もまた一花咲かせてやったぜってきっとサボテンで俺は一花って思ってるけども、結構周りから見たら。
なんかよくわかんない。めんどくせえ親父やなっていう。
結局ファニアにはすごいウケるっていう。
成功というか何をもって成功するかっていうか、わかる人にはわかるっていうか。
もうオタク妙儀に尽きるって感じですけどね。
オタク妙儀ですね。植物の間から皆さん何かを見ているんですね、別の世界の。
そうですね、ちょっと聞いてまわりたいですね。
そうですね。
何見てますか。
何見てますか。
聞いてらっしゃる方で好きな方にもぜひ的さんに何を見てるかをメッセージ。
ぜひ何か見てる方は送ってください。
じゃあ今回はこんなところでしょうか。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございました。
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皆さんからのお便りお待ちしております。
それではまた次回までさようなら。
さようなら。
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