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みなさん、こんにちは。この番組は、誰もが知っている名作から、あなたの知らない日記すぎる本まで、ゆるいトークで紹介する特書系ポッドキャストです。
改めまして、こんにちは。的文庫です。
こんにちは。梶原コーヒーです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回、クマの話をした時に、祖父がマタリをしていてという話をしたんですけれども、ゴールデンウィークの時に、実家に帰った際に、その山に行ってきたんですよ。
ツイッターに載せてらっしゃいましたよね。
そうそう。10年ぶりくらいに、母親の生まれ故郷の村に行ってきまして、ちょうど山桜が咲いていて、すごく綺麗だったんですけれども、母親が山菜も取りに行こうという話をし始めて。
タイムリーじゃないですか。
ちょっと山菜ポイントのところに車を止めて、ここから歩いて5分くらいの林みたいなところに入って、コシアブラっていう木の芽ですよね。
はい、美味しいですよね。
そうそう。天ぷらにするとすごく美味しいんですけど、それを取りに行ったんですけれども、私はもうクマが気になって仕方がない。
もうクマがいつ出るか、いつ出るかっていうのが、クマ界をやったばかりなのでね、どうしても脳裏に散らついて仕方がないですよね。
めったに我々山には行かない人間ですが、特に。
そうそう。
で、怖いですよね。
そう。でも母親は、クマなんて出るけど、ここは出ないから大丈夫だよっていう、なんかよくわかんない、全然大丈夫じゃねえだろっていうような返答しか返さず山菜を取ってきたんですけれども。
ただ山菜を取っている時って、やっぱり一つ見つけると、あそこにもあそこにもあそこにもっていう感じで、なんていうんですかね、森の中の解像度が上がってくるというか。
1個見つけると、なんかあっちにもこっちにもあるなっていうのがだんだんわかってくるんですよ。
なのでそれを取るのが楽しくて、だんだん夢中になっていって、私と山菜のみの世界になっていくと。
そうするとやっぱりね、道にも迷うし、クマにも遭遇するようなっていうのを楽しみながら実感した山菜取りでしたね。
そうですね。的さんと山菜の間にクマが忍び寄ってくるっていう感じですよね。
そうそう。こうしてやっぱりそのクマ遭遇の事故というのが起こるんだろうなっていうのを身をもって知りながら、山菜は美味しくいただきましたけれども。
よかったです。
はい、無事に下山できてよかったです。
結構無事で。はい。
今回はまた森から何かが出てくるシリーズになるんですけれども。
なんかいいですね、そのシリーズ。
はい。今回はノモレという本を紹介します。書いた方は国文博文さん。この方ですね、NHKのディレクターをされている方なんですね。
へー、ドキュメンタリー級ですか。
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そうですそうです。NHKスペシャルでアイアマゾンっていうシリーズを昔やっていて、それのディレクターをされていたんですけれども、ヤノマミっていう、やっぱりそれもアマゾンの森深くに暮らしている先住民ですよね。
それを追ったドキュメンタリーがあって、それがかなり話題になったんですよ。放送された当時。
で、本も出て、それも2011年の大谷総一ノンフィクション賞を取っていたりですとかしたりして。
で、あとこの本の他にもガリンペイロっていう、やっぱりこれもアマゾンで財金取りというか、金を求めて、金庫で働いている、いろいろわけやりの人たちが集まってくる金庫を追ったドキュメンタリーを撮っていたりですとか、そういったアマゾンシリーズっていうのはあって。
で、このノモレもその中の一つで、大アマゾン最後のイゾラドっていう番組があって、それの取材をもとにして書かれたノンフィクションということですね。
寺田 何かちょっと聞き慣れない単語がいっぱい出てきたね。
寺田 このノモレもそうですし、イゾラドっていうのもそうなんですけれども、今回テーマになっているのが、アマゾンに暮らしている全く文明と接触したことがない先住民族がテーマなんですね。
さっきのヤノマミもそうなんですけれども、ヤノマミよりもさらに謎の多い民族と言いますか、先住民族って、そんな人たちが森の中に未だに住んでいるっていうのも、現地の人たちも知らなかったっていう。
ただ森の奥深くにひっそりと暮らしていた先住民族が、近年続々と森の周辺の村に出現してきていると。
寺田 続々と?
寺田 それはなぜなのかとか、実際出現したイゾラドたちを追って、調査に行く人たちっていうのを追って、イゾラドが今どういう状況に置かれているのかといったようなことをまとめたノンフィクションになっております。
寺田 イゾラドって何ですか?
寺田 まずイゾラドって何ぞよっていうことなんですけども、これはノンフィクションの舞台になっているのが、ペルーですね。
アマゾンっていろんな国にまたがっているでっかい密林ですけれども、今回はその中でもペルーのアマゾン。
寺田 なので今回はペルーの話になるんですけれども、ペルーの政府が公的な用語として文明社会と接触したことがないかあっても、偶発的なものに限る先住民のことを言うっていう。
単一の部族を示すのではなくて、文明社会と未接触の先住民を表す総称としてイゾラドっていうのを読んでるんですね。
なのでその部族とかそういうのは全然関係なく、全くこちら側の文明と接触したことがない人たちを総称する言葉だと。
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寺田 こっち側が認知していない人たちっていうことですね。
アマゾン そうそう、そんな感じですね。この本の中でもうあと2つ先住民のことを表す言葉が出てくるんですけれども、
一つはマシコピーロっていう、これもペルー語ですかね。ただこれはあんまり良くない言葉で、凶暴で野蛮な人間っていうような意味で使われる。
だからちょっと別称みたいな感じですよね。あいつらマシコだから、みたいな感じで言う。
あともう一つがこの本のタイトルになっているノモレっていう言葉ですね。これが今回ちょっとキーワードになってくる言葉なんですけれども、
これは友達とか仲間っていうような意味ですね。
寺田 ちょっとフレンドリーな。
アマゾン そうそう。このノモレっていう言葉はイネ族っていう、ペルーの先住民のイネ族っていうのはいるんですけれども、そこの古い言葉らしいんですよ、ノモレっていうのは。
で、そのノモレっていうこの古いイネの言葉っていうのが出てきたかっていうと、今回そのドキュメンタリーの主人公になっている人がいまして、
それがロメウさんっていう人がいるんですけれども、この人はそのアマゾンの川沿いに住んでいる、昔からの先住民のイネ族の子孫と言いますか、
子孫というか先住民の人なんですけれども、今は森から出てきて、森の近くで昔ながらの生活を送っている村で生まれて、ただこの人は結構今もう40代ぐらいですかね。
寺田 でもまだ若い。
寺田 若い世代の人なんですけど、この人自身は町で学校教育とかを受けて、今はちょっと政府と関わりのあるような仕事、その村と政府とのつなぎ役みたいなことをしていたり、
もうこの若さで村長をやっていたりとかするような人ではあるんですよ。
寺田 このドメウさんの生まれた村にはですね、ちょっと不思議な言い伝えがありまして、それはどういう言い伝えかっていうと、おじいさん、そのまたおじいさん、ひいじいさんぐらいの代にあった話だと。
昔先住民として森で暮らしていたときに、その森の中に侵略者がやってきたと。その侵略者から自分たちは森から連れ出されて、五無園に連れて行かれて、五無園で働かされていたんだと。
農園では重労働と、あとは伝染病ですね。それで連れていかれた先住民の多くが死んでいったと。このままだともう俺たちは全員死んでしまうと。
だからここで決断しなければいけないと言って、その五人の稲の男がですね、白人のパトロンを殺すんですよ。
そして仲間たちを奴隷小屋から救い出して、みんなで森に逃げるんですね。自分たちが元いた故郷の方向に逃げるんだけれども、でももちろんすぐ追手がやってくるわけですよ。
で、向こうは馬とか持ってるわけで、馬とか銃とか持って追いかけてくるわけで、このままみんながまとまって逃げていたら全員捕まってしまうと。
なのでここは二手に分かれて逃げよう。そしてまたいつか森の中で落ち合おうって逃げたんですよ。そしてそれっきり会ってない。
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そのじいさんたちが亡くなっていくときに、この森のどこかにその二手に分かれた仲間たちがどこかにいるはずなんだと。森を右に行った者たち、自分たちは故郷に戻ることができたけれども、左に行った者たちはその森のどこかに別のとこで暮らしてるかしてるはずだと。
だから森に別れたのまで仲間を、息子たちを探してくれよと。っていうのを子供たちに言い残して、代々みんな死んでいったわけですよ。
おー、なんていうかちょっと不謹慎ですけども、ロールプレイグゲームの始まりみたいな感じで。すごく不謹慎だと思うんですけども。
映画の始まりみたいな。そういう異地帯があって。実際、のめんさんたちも一旦町場とかで暮らしてたり、別の集落で暮らしてたりしてたんですけれども、異地帯を忠実に守って。
とうとう森の近くにですね、もといった集落があった森の近くに引っ越して仲間を探しに行こうっていうので、田ん家族と一緒に森の奥に移り住んで、仲間を探すっていうことをするんですよ。
あら、冒険の書が開くんだね。
そう、冒険の書が開くっていう。そんななかなか現実離れした話がですね、展開されていくわけなんですけれども。
そうやって森の近くに移り住んで、しばらく森で暮らしていたらですね、ある時、とうとう森の奥から見知らぬ人がやってくるんですよ。
それは素敵。
しかも、その見知らぬ人たちは見知らぬ人たちなんだけれども、自分たちと顔立ちがよく似てる。
でも何も着てないですよ、すっぱらかだし。手には弓矢を持ってて、こっちに向けてくると。
もう屈強な男たちがですね、何人かやってきて、弓を向けるわけですよ。
おー、出てきた人たちが。
そうそう。村の人たちは、こういう時はかける言葉があるんだと。
で、それは笑顔で大きい声で、のもれだ、俺たちはのもれだ、お前たちはのもれだっていうように声をかけるんですよ。
敵ではない仲間だと。で、それが伝われば仲間のはずだし、自分たちの古い稲の言葉でのもれだっていうのは伝われば、やっぱりどこかに稲のルーツがある人たちなんじゃないかっていうのはわかるから。
そういうふうに声をかけるんですね。そしたら向こうも警戒はしてるんですけれども、弓を下ろして、お前たちはのもれなのかっていうふうに聞いてくるんですよ。
ちょっと映画じゃないですか、もう。
本当にあるの?こんな話って感じなんですけど。
持ってないですか?
持ってない、持ってない。
すごい。
でも何者なのかっていうのは、その時点でまだ聞けるような関係ではないし、俺たちはお前ののもれだ、お前たちは何者なんだっていうのを言って、そこでは特に衝突もなく生えていくっていう。
それを何回か繰り返しているうちに、森からやってくる人たちはどんどん人数が増えていって、会う時間も増えていくっていう。そんな接触が何回か繰り返されていくっていう。
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のもれの方々は意外と近い森にいるんですかね?
もしかすると、のめえさんたちが住んでいる村っていうのも、本当にかなり森の奥ではあるんですけれども。
奥といえば奥なんですけど、でも多分出てきた森の人たちっていうのは、おそらくそんなに遠くはないんじゃないかと。ただどこからやってきてるのかっていうと、全く音は気配がしないらしいんですよ。
全く気配をさせずにやってくるから、方角っていうのは全くわからない。消えていく方向を追ってた時に、どこに消え去ったのかっていうのは全く見当がつかないっていう。
それだけ身体能力が森にで暮らすように特化してるんですよね。
あれ、ちょっといいですか?これっていつぐらいの話なんですか?
これなんですけど、一応のめえさんが住んでた集落に、イゾラドの人たちが現れたのは2013年の頃ですね。
最近じゃないですか。
最近なんですよ。まだ10年経ってない。
めっちゃ最近の話じゃないですか。え、もう10年前。私かなり大人ですけど。そうですか。
そう、10年前なんですよ、これ。
えー、なんか10年くらい前にまだそういう未知との遭遇が世界にはあるんですね。
なにこのSFみたいな。10年前ですよ。
えー、10年前ですよね。
でも、それが例えば1970年代とかだったら、なんとなくなくはないかなと思いますけど、2000年代も2000年代じゃないですか。
もう21世紀入っても。
あー、すごい。
でも、やっぱりこれって私たちもびっくりしますけど、この現地の人もびっくりしたらしくて。
そうね。
21世紀に入って、まだそんな森の中にその未知なる人が暮らしてるなんて思いもしなかったと。
えー、なんかいろんな意味でショック。すごい。
すごい。
っていうのはあったんですけども、ただそれ以来いろんなところで森の中の人たちっていうのは現れ始めるんですよね、あちこちに。
で、その野名さんの村にやってきたイゾラドの人たちっていうのも何回も会いに来ると。
で、会いに来るたびに野名さんの村の人たちは贈り物をあげるんですよ、バナナ。
たくさんのバナナをあげて、お土産として持ってってくれと。
で、みんなで食べてくれ。また会いに来てくれよって、そのやりとりが繰り返されると。
で、お前たちはどういう暮らしをしてるんだ、どのあたりに住んでるんだっていうのを、ちょっとずつちょっとずつ話を聞いていくんですけれども、
でもやっぱりなかなかそこは教えてはくれないし、でもバナナはよこせていているしっていう。
なるほど。話はなんとなく通じる感じなんですかね。
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そうですね。たぶん細かいところまでは伝わらないけれども、その古いイネ族の言葉はどうやら通じるらしいと。
片言程度であれば交流を持つことはできる。
なるほど。バナナをよこせぐらいのことはわかると。
あとはなんていうか、身振り手振りとかで。
すごい。
すごいですよね。ただ、その交流っていうのは1年ぐらい、1年あったのかなっていう感じなんですけど、突然終わるんですよ。
しかも結構ショッキングな出来事がきっかけで終わってしまうんですけれども、それはどういう出来事だったかっていうと、
その日、村の人たちが選挙に行くだか何かで、ほとんどの村人が選挙に行くために船に乗って町場に行ってて、
で、残ったのは4,5人ぐらい。だからお年寄りと妊婦さんと子どもと、あとなんか体の悪い男の人だったかな。
その4,5人ぐらいしか家に残っていないときにですね、イゾラドの人たちがやってくるんですよ。
しかも集団でやってくるんですね。
はい。
明らかに敵意を持って。
へー。
で、なんで敵意を持ってやってきてるのかっていうと、さっきバナナのやり取りをしてたじゃないですか。
はい。
でもバナナも村で取れるものではないから、町場から取り寄せて買ってきてたりとかしてたんだけれども、やっぱり何回もそのやり取りをしてるうちに、
お金もなかなかね、もうなくなってきて、今回バナナないんだよっていうようなことが続いたりとかして、
なんだないのかみたいな感じで、でもバナナが欲しいんだって向こうがあっち行ってくるし、でもバナナはないんだっていうやり取りもあったり、
あとは、イゾラドの人たちって自分たちが見たことがないものとか、特に音ですよね。聞いたことがない音、エンジンの音とか、そういう音に対してすごく恐怖を抱くらしいんですよ、ものすごく。
で、人がいない時に現れて村を襲撃するんですよ。
バナナをよこせ戦争ですか。
バナナのせいなのかわかんないんですけど。
本当にちょっと命が狙われてるんじゃないかっていうぐらい、もう村が徹底的に破壊されて。
村人たちは特に怪我とかはなく、殺さないでくれっていうふうに言ったら、そのまま引き上げていったっていうような。
ただそれ以降、二度と姿を現すことはなかったっていう、そんな出来事がまずありまして。
それから2年後っていう、月日はたちっていうところなんですけど、あ、そっか、これ2年後っていうか1年後ぐらいか。
そんな話がありましたよっていうのはまだあり。
で、また別の集落にイゾラドが出たっていう情報があり、ドメルさんに政府から調査に行ってくれないかっていう依頼が来るんですよ。
で、なんでそれドメルさんに来たかっていうと、昔イゾラドが出た村に住んでたからっていうのもあると思うんですけれども、
あと教育を受けてたりとかするから、政府とのつながりもあるしっていうところもあるんですけど、
イゾラドを調査する、イゾラドと接触もしするってなった時に、
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白人とか外部から来た人間とかよりは、もともと先住民ルーツのある人にそういう役割をやらせた方がずっとスムーズに接触ができるんじゃないかっていうのを考えられた結果、
ドメルさんに視野派の矢が立ってやってくれないかということで招集される。
ところからまたお話が現代の話として始まっていくんですね。
何人かとチームを組んで、出現したと言われる川岸の方に行って、小屋で作戦会議を練りながら、イゾラドがいつ現れるんだろうかっていうのを待ってるんですよ。
そしたらとうとう出てきたんですよ。彼らが。
来ましたか。
森から出てきたんです。
最初は2人の男が出てきて、1人は30代ぐらい。もう1人は10代半ば。2人ともちろんは来てない。
向こうもこちらの気配を指して姿を認めて、川を挟んで対峙するんですよ。
やっぱりここは伝統的なイネの言葉で、ノーモレダ、俺たちはノーモレダっていう言葉をかけるんですよ。
それに対応して、川岸の男たちも言い返してくるんですよ。
それをドメルさんははっきり聞き取ることができたと。
傷ついた仲間がいる、助けてくれ。だから言葉わかるんですよね。
なるほど、すごい。
だからドメルさんにとっては、イゾラドといえども、全くその未知の人っていうわけでも全然ないっていうところがあるんですよ、この人にとっては。
まあそうですよね、ルーツ。
でもここで一つ問題なのが、向こう岸に助けを求めている人がいると。
これが普通だったら助けに行きますよね。
ただその相手がイゾラドとなると、またちょっとこれがですね、ややこしい事態があるんですよ。
文科省の役人からドメルさんは、こう目じられてたと。
イゾラドとは接触するなと。
これはですね、ちゃんと理由があるんですよ。
法律でも決められているんですけれども、
隔絶されて未接触で生きる先住民である限り、彼らの存続を守るために、彼らを不可侵の存在とするという政府の宣言があるんですよ。
これなぜかというと、イゾラドは長く文明側の人間とも接しずに自分たちだけで暮らしてきているわけですよ。
だから病原菌に対する免疫がないんですよ。
それですよね、でも大概それですよね。
伝染病にかかってしまえばあっという間に死に絶えてしまうと。
ハシカとかインフルエンザはもう致命的だし、
私たちにとって全然軽い症状で済むような風邪だとしても、肺炎を発症させて重篤な状態になることが多いと。
それでも一瞬にして一部族全部全滅するとかも全然普通にあるんですよ。
だからこそ、不要意に文明側の人間はそのイゾラドたちに接触してはならない。
ねえ、先教師とか言っちゃいますからね。
良くないと思って言っちゃうから。
ただしイゾラドとの接触には例外規定を設けられていて、それが5つあると。
公的な人間に限って5つの条件のうちどれかを満たせば接触が可能となると。
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それがイゾラドの健康被害、転生病が確認された場合、
イゾラドの移住地に侵入者が認められた場合、国家の安全が脅かされる場合、
生物の多様性への影響が認められる場合、専門家による理事会が危険な状態だと承認した場合。
今回のケースはこの5つの条件のうちどれが当てはまるだろうか。
微妙なところAのイゾラドの健康被害、転生病が確認された場合なのかなと思いつつ、
こんなの許可取ってたら何週間かかるんだよって話になるので、
ロメウさんは報告はせず、明日ちょっと助けに行くからちょっと待ってくれと。
で、医者を連れてきて翌朝対岸に渡る。
そして初めて対岸のイゾラドたちと接触を果たす。
でも今の5つのお約束あったじゃないですか。
あれもなんかうさぎに聞こえますけども、こっち側の都合ですよね。
そう、あくまでもこっち側の都合であって、
もうイゾラドはそんなことを知らないわけですよ、向こう側の人たちが。
勝手に決められた枠内でそれに従うじゃないですけど。
ねえ、なんかちょっとどうなのって思っちゃいますよね。
それが今後の話にも出てくるんですけれども。
で、お医者さん連れてきて怪我をしている子供ですね。
ジャガーに足を噛まれて、ちょっと傷口が可能しちゃってると。
このままだとやっぱりちょっと足が餌食してしまうかもしれないから、
簡単な消毒をして、あとちょっと様子を見てもらうと。
ただ、薬を与える、治療するって言っても、
普通だったら抗生物質飲ませてみたいな。
あとは傷口は可能しないように消毒して、
抗生物質飲ませて感染しないようにってやるんだと思うんですけど、
まずそういう一般的な治療も難しいんですよ。
だって文明側の人間は見たこともないし、
ましてや注射器だの、薬だの、そんなものを見たことない人たちに
いきなり目の前でそれを見せてたらパニックになるじゃないですか。
そうなんですよね。
だからできる治療もすごく限られていて、
ガラス瓶に入れたとても薄めた消毒液と可能度目の塗り薬と、
あとは溶かして飲むタイプの栄養剤も一応持ってったけど、
全部使えるかわかんない。
でも最悪、殺菌と抗菌だけできればなんとかなるんじゃないかと。
あと、もし栄養剤も飲ませられれば、病気であれば抵抗力つけるぐらいはできるんじゃないかな。
でも全部それはできるかどうかもわかんないけどっていうような状態で行って、
それで治療をするっていう。
ここはやっぱりイゾラドの人と接触するのはどれだけ難しいことなのかっていう。
そうですよね。ちょっとまた話が逸れちゃうんですけど、
アフリカでエボラがすごく、あれも周期で結構発生しちゃうんですけども、
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いまだに医療が逆効果だと思っている人たちも多いんですよね。
結局病院に収容して、自分たちこちら側というか、
医療側としては治そうと思って収容するんだけれども、
エボラの病気の特性から言うと、
亡くなってしまうことの方が多いわけですよ、やっぱり。
そうですよね。
それを見て、現地の人たちはあそこに行くと殺されるみたいな、
あそこに行くと死んでしまうから、あそこには行くなっていうような、
噂が流れるっていうか、そういうことがやっぱりすごい最近ですよね。
ここ10年くらい前にわっと流行った時もそういうふうなのがあって、
なかなかそこって難しいですよね。
見たことのない治療方法だったりとか、
それこそ他の国から来ている人たちが治療に当たったりするので、
治療に当たる人たちも命がけなんだけれども、
やっぱりちょっと理解されないっていうか、分かり合えない部分があって、
なんかずっと大変っていうのを読んでいたので、
医療と現地の人たちの信頼性を最初に結ぶのって、
すごい難しいんじゃないかなっていう気がしますよね。
だからそのイゾラドの人たちに予防接種を打たせるっていうことも、
やっぱりしなきゃいけないシーンとかもあったりするみたいなんですけど、
ただ予防接種を打たせるまでに、どれだけの信頼関係を築けるかっていう。
逆にその信頼関係を築けなかったら、予防接種はいくら頑張っても打てないっていう。
逃げられるとか、攻撃されたりとか。
だからその病気を治療するっていうのって、
実は結構信頼というか、同じ文化を共有していないとできなかったり、
あとその文化を共有したとしても、やっぱり信頼関係が成り立っていないと、
いろんないざこざとかトラブルに発展してしまうっていうような、
そういう問題の、これかなり極北の例だと思うんですけれども、
言葉も通じない、まず文明もそもそもあまりにも違いすぎると。
そういった人たちに医療を施すってなったときの難しさとともに、
イゾラドと治療といえども、接触しないといけないので、
もうそのメンバー誰一人として体調不良の者がいないかどうかってのを、
もうすごく神経質に確認するんですよ。熱が出てる人はいないか。
咳をしてる者はいないか。喉が生えてる人はいないかとか、
今までちゃんとマシンとか天然痘とかオタフ風邪とか予防注射打ったかとか、
全部確認をして大丈夫だってなって、初めていけるっていう。
それを怠ると本当にもう取り返しのつかないことが起きてしまうからっていう、
そこを毎回念入りにやっていく。
ただ今回は無事に治療も終わり、その治療をしている最中に、
治療されている女の子がお医者さんに一言、「ジャガーを殺したことがあるか?」って聞くんですよ。
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これどういう意味なんだと。そのお医者さんは白人系のお医者さんなので、
何言われてるかわかんない。何でそんなことを聞いてくるのかわかんないし、
そういうことを言われたんだっていうのをドメウさんに話して、
殺したことはない。それどころか、私はジャガーすら見たことがないんだというふうに結局返したら、
その女の子からは、「なんだよ。」みたいな感じで押されたと。
で、何でそんなふうに女の子を思ったのかっていうのを、ドメウさんはそういうことかっていう感じで、
後でから解説したんですけど、ジャガーっていうのが森の王者みたいな、
やっぱりすごく危険な動物だけれども、それ故に森の王者だと。
で、それを仕留められるかどうか、殺したことがあるかどうかっていうのが一人前の男の証なんだと。
だからお前はジャガーを殺したことがあるのかっていう問いっていうのは、
こいつは一人前の男なのかどうなのかっていうのを聞いてきたんだっていう。
ただその答えが見たこともないっていうのは、こいつはもう使えねえなっていうような判断をされたんだろうっていうので、
みんなで笑うっていうシーンがあるんですよ。
まあ価値観ね、価値観の相違。
そこではちょっとこう相手にされなかった。
相手にされなかったっていう。
そんな難しいこともありつつ。
そこからですね、川岸の人々との交流が始まっていくんですよ。
で、毎回会うたびに人が増えていくんですね。
だいたい10人ぐらいでみんな会いに来ることが多くて、
最初のその2人はやっぱり親子だったと。
30代ぐらいの男がクッカっていう。
この人は一家の王様みたいな感じの。
で、連れてきた息子はカナイっていう。
これは長男で。
あと妊娠してる女の人と、その夫みたいな2人組も来て。
で、その妊娠してる女の人はクッカの娘だと。
で、まあだいたいこの4人ぐらいが毎回来る。
毎回そうやって会って、今回も贈り物としてバナナをあげるんですよ。
あげないほうがいいんじゃないですか、バナナを。
ちょっと前回ごともあるので。
バナナじゃないほうが。
ただやっぱりドメイとしてもドメイさんとしても、
この人たちがどこに今住んでるのかっていうのを調査しに来てるので、
また会うための材料としてあげてるっていうのもあるんですよね。
で、なんとかお前たちは今どういう暮らしをしてるんだ、
どこにどのぐらいの人数で住んでるんだっていうのを
なんとかして聞き出そうっていう。
その目的っていうのは、やっぱり彼らを保護するためっていうところもあるんですよ。
ただやっぱり向こうの家族の人たちも、もうすごくやっぱり警戒してるので、
甘い質問をいやつに場合にされると、
お前何がしたいんだっていう、
お前何が聞きたいんだってうるさいなっていう感じで帰ってっちゃうっていう。
まあそういうことを今回も繰り返していると。
バナナ無毒的。
そう、バナナ。
やっぱりバナナは甘いし、焼いたりしなくてもすぐ食べられるから、
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すごく喜ばれるっていう。
なるほどね。
でもバナナに虫とか大丈夫なんですかね。
そこはちょっと心配だけれども。
なんか前に的さんが紹介してくれた、
精霊。
精霊に捕まって倒れる。
精霊に捕まって倒れる時も、難しいなって思ったんですけど、
こういうのって、
なんかあの話はもっと昔の話でしたよね。
いや、あの話は、あ、そうですね。起こったのは、
1980年代にあった話ですね、アメリカで。
でも今回もっと近い時代じゃないですか。
もっと近い時代、2010年代ですかね、これ。
ここでの話ってなると、またちょっとこう。
それがちょっと後半に話が出てくるんですけれども、
なのでドメウさんたちとノモレたち、
ドメウさんとしては自分たちを仲間だっていう意識で言ってるんですよ。
あれはイゾラドとか、ましてやマシコピーロとかではない、
野蛮な人たちとかではなくて、
自分たちでどこかルーツのつながっている仲間なんだっていう意識で言ってるので、
政府としては保護のためっていう名目でやっぱり使わせてる部分もあるんですけれども、
ドメウさんとしてはやっぱり2年前に一旦は自分たちの前に現れたけれども、
いなくなってしまったあの人たちとどこかでつながってるんじゃないかっていうのを、
言葉もちょっと通じるみたいだし、
きっとどこかでつながってるんじゃないかっていうのを期待してるんですよ。
期待というか、そう思ってるところもあって、
で、なんとかお前たちはどこに住んでるんだとか、
どういう暮らしをしてるんだとか、
で、バナナをあげながら、
なんとかこのつながりを足したくない。
で、向こうのノモレたちもだんだんドメウさんたちに、
ドメウさんだけですけど、
心を開いてくるんですよ。で、いろんなことを話してきたり、
あとはドメウさんたちがやってる仕草を真似たりするんですね。
例えば会った時にハグするとか、
あとは次に会った時は、最初会った時はすぐ髪とか全然切らないので、
ボウボウにこう生やして、腰までみんな長い髪だったのを、
次に会った時は一家の王様クッカーさんは、
髪を切ってくるんですよ、短く。
なんとオシャレな文化が。
そうそう、お前の真似たんだよ、みたいな。
お前の真似してみたんだ、どうだ、みたいな感じで、
髪の毛を切ってきたりするんですよ。
基本的に向こう岸に渡って交流するってことはないんですけれども、
船越しとかに話をするって感じなんですけど、
1回だけそのドメウさんが泳いで見せたことがあったらしいんですよ、川を。
それがそのノモレの人たちにとってはびっくりしたみたいで、
泳ぐっていうことがないらしいんですね、イゾラドの人たちは。
お前はなんかカワウソみたいに泳ぐなっていう。
お前すごいな、カワウソみたいだな。
じゃあ今日からお前のことカワウソって呼ぶよって。
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困っちゃう。困っちゃう。
ヨツトレっていうカワウソっていう意味を持つ名前をドメウさんにつけたりして、
すごく距離が近くなっていくんですね。
大切ではあるんだけれども、距離が近くなっていく。
とうとうそのノモレたちは、会いに行くたびに、
お前の家族を見てみたい、お前の家族を連れてきてくれないかっていうふうに匂いになるんですよ。
俺たちの家族も会わせたから、今度はお前の家族を会わせてくれないかっていうような、
そんなところまで仲良く、仲良くというか距離が縮んでいくんですけれども。
ただイゾラドの人たちに置かれている状況っていうのは、
この後ちょっとだんだん雲行きが怪しくなっていくんですよ。
そっとしておいたほうが良かったんじゃないですかね。
結局、なんでイゾラドの人たちが町とか森から出てきて村に現れるようになったのかっていうのが、
後半に書かれていくんですけれども、
これは本当に読んでて辛い部分ではあるんですが、
もともとその先住民が侵略者に捕らえられて、
ゴム園とかその後バナナのとか、その後は採掘とか、
そういう森を開発する時に奴隷として使われていったっていう歴史があるんですけれども、
今の時代はですね、さらにその上を行ってまして、
昔はそれでもバカなの知れてたんですよ、人が入れる距離なんてのは。
結局カヌーで行ける距離とかでしか入っていけなくて、
ものすごい山奥、山奥っていうかものすごい森が深いので、
もうそんな人力で行ける距離なんてただ走れてたので、森の奥に逃げれば、
まだ暮らせるところっていっぱいあったんですよ。
ただ、やっぱりどんどん文明の力が発達していくにつれて、森の道路が開発され、
森を切り開くにしても、昔の木こりの時代ではなくて、チェーンソーもあれば地域もあるし、
トラックだってある。そうなってくれば、もうどんどんどんどん切り倒されていくし。
そうですね。
だから、陸地もそうだけれども、川ですよね。川を使えばもっと奥に行けるわけですよ。
それだって、エンジンを積んだボートとか、そういったものがあれば、どんどん奥まで分け入っていけるわけですよ。
そうなってくれば、どんどんどんどん人は奥に入っていく。森の奥にある、いろんなお宝があるわけですよ、森の奥には。
いろんな資源とか、あとは動植物を密流したりとか。
あとは、これは全く人ごとではないなと思うんですけど、森を開発する利権っていうのも、いろんな国にやっぱり売りに出されていて、それを買ってるのは先進国ですよね。
もちろん日本だってそれを買ってるわけですし。それで買って、森を切り開いて工場を建ててっていうようなことを、
どんどんどんどんやっていくうちに、昔はすごく広かったアマゾンが、今では本当に見る影もないぐらい切り開かれていって、
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残っている密林なんて本当に一握りになってしまっていると。
なんかそのテレビで、NHKスペシャルのアウラ最後のイゾラドっていう、これもそのアマゾンをテーマにしたドキュメンタリーをこの間見たんですけど、
その時に番組の中で、この30年あまりにどれだけの森が開拓されていったのかっていうのを、シミュレーションで見せている映像があったんですけれども、
本当に恐ろしいスピードで開発されていって、昔は30年前は本当に森の奥地でこんなとこ人も入らないっていうようなところが、今ではもう街ができていると。
どんどんどんどんそのイゾラドが住んでた森が開拓されていって、暮らすところがない。だからその不意な接触っていうのがあるっていう。
あともう一つ本当に恐ろしい話があって、結局森の奥で密流とか違法伐採とかやっている輩たちが、イゾラドたちと接触した時に、もちろんイゾラドたちも弓矢とかで攻撃するじゃないですか。
でも入ってくる侵入者たちなんて銃を持ってるわけですよ。森の奥で戦争が起きていると。
ただ本当にこれはどうしようもないというか、まあそりゃそうだなってなるんですけど、その銃を持った人間と対峙したイゾラドは絶対勝てないと。絶対にそれはもう勝ち目がない。
だから森から逃げてくるイゾラドたちっていうのが今増えているんだと。
だってまたちょっと不謹慎かもしれませんけれども、この間のクマと同じじゃないですか。
そうなんですよ。
結局は森の中とか山の中で暮らせるはずだった者たちの場所までを奪ってしまっているんですよね。
でもだってあんな狭まってきてるといっても、せいぜい行ったとしても数百人レベルでしか多分今はもういないだろうと。
いろんな要因でもどんどん減ってしまったイゾラドたちってせいぜい今そのぐらいしか残ってないだろうと。ただその数百人ですら進めない現状っていう。
なんかこれ本当遠いところの話ではあるんです。距離的には。でももう本当密接なんですよね。自分たちの生活と。
そうなんですよ。
結局食料が足りなくなるっていう未来があって、その食料のために土地を開いていっているっていうのもあるし、またちょっとコーヒーの話になっちゃいますけども。
コーヒーもお金になるってわかってしまった人たちがどんどんそういう森を開いていっちゃうんですよね。コーヒー農園にしたらお金になるからっていうので。それはアマゾンではないですけれども。
やっぱり山一つ軽くなくしてしまうんですよね。目先のお金ってやっぱり大切じゃないですか。生きていく上で。
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その土地の人たちは。だから他人事ではないんですよね。
しかもやっぱりペルーとかブラジルもそうですけど、この南米のあたりってまだ発展途上にある。今からこれから発展したいっていう。なった時に経済を優先するっていうところがあって。
ペルー政府も2000年代に入ってきて、イゾナドたちというか続々と出てきて、周辺の村の人たちと抗争が起きたりとか、最悪村人が殺されるとか、そんなことがあったりとかしてるので。
ただやっぱりイゾナドだからといって攻撃するわけにもいかないし、どのように保護していったらいいのかっていうのを考えるにあたって、このドメルさんとかを派遣してたりするんですけど。
ブラジルみたいにそういう行動プログラムがなかったので、2015年あたりにイゾナドと会った時にどうするか。イゾナドたちを今後どのように保護していくかっていうようなプロトコルを制定するんですよ。
ただ、このプロトコルに沿って今後はイゾナドたちをどのように接触したいのか、もしくはどのように保護していくべきなのかっていうのを定めたっていうところではあるんですけれども、やっぱりこれにしたって、こういう創立は作ったけれども。
こちら側のわがままですよね。
こちら側の都合で作ってるものだし、あとこれを作った背景っていうのも、まだちょっといろいろ考えるところがあるんですけれども、やっぱりそのペルー政府としても、これから発展、途上していくと。
育った時に何で発展していくかっていうと、今ちょっとコロナ流行ってからまた考え方変わってるかもしれないんですけど、この時期って観光っていうのが一つの産業として大きかったと。
ペルーだとやっぱりマチピチュとか、そういう古い文化とかもあるので、世界中からやっぱり観光客が来てるわけだし、それでもっと発展していこうっていう政策もすごく活発な時期だったと。
ただ、そんな時に森の奥からよくわからない人たちが出てきて攻撃してくるとかになってくると、対外的にもあんまりよろしくない。
だから保護するというのはあくまでも名目であって、どのようにそこと織り合っていけばいいのかっていうような目論みもやっぱり見え隠れする。
もうそこに人権はあるのかって話になりますからね。
でも結局そうなのって本当に、もともと住んでた人たちの意思なんて全く関係ないところで話がどんどんどんどん進んでいくと。
ただ、イゾラドの方とか、調査に30年ぐらいずっとやってきてるメイレレスっていうオイちゃんがいるんですけど、この人は30年もこの話をずっと追ってる人ならではの視点っていうのがあって。
確かにイゾラドっていうのは今まで住んでた、今まで通りの生活をさせてあげられるのが一番だと。それがやっぱりベストだと。
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それが本来であればするべきだと。それは俺もわかると。ただ、今はもうそんなこと言ってる状況ではないんだと。
森の中で何が起こられてるかわかんない。やっぱりその実際、森の奥で侵略者に殺されたようになったから助けてくれって逃げてきたイゾラドたちを保護したこともあるけれども、
その時に森に帰りたいかって、この3人に聞いた時に、いやもう殺されるから帰りたくない。俺たちはもう帰らない。
なった時に、自分はそのイゾラドをどう保護していくべきかっていうのを決めたんだと。
確かに元の生活をするのはもう、一回その文明側に接触してしまったら無理だと。もう元に戻ることはできない。
でも、やっぱりそれでも生きている。生きて暮らすことっていうのが大事なんじゃないかと。
もうイゾラドとして暮らすことは無理だとしても、それでもやっぱりこの今生きている状態、生きているっていうのを保護するっていうのが一番大事なんじゃないかと。
確かに元の通りに暮らせたらそれが一番いいんだけれども、もうそんなことを言ってる状況ではないんだ。
深すぎてわからない。
本当に。
でも、ぶっちゃけちゃえばって言ってもあれなんですけど、暮らし向きは今の文化に沿っちゃって、もう慣れてしまえばすごい楽手はあると思うんですよね。快適っていうか。
たぶんバナナは手に入るし、ジャガーに襲われることはないし、危険度合いっていうか、そういうのは一時的に低下するわけじゃないですか。
そうですね。
医療とかにしても。
そう、安全は保証されますよと。ただ難しいのは、でも今までは森の中だったら、お金を払わなくても、狩りに行けば食べるものは確保できるし、寝るとこだって、ちょっとホッタテコなやとか建てれば寒くないんだ、あっちは。困らないし。
そういう生活をしてきたと。でも街に出れば、その生活を維持するのは全部お金がかかるよねっていう。
働こうにも、まず言葉も通じないし、スキルもないってなってくると、結局その政府の延長とか、そういうものに座っていかなければいけないと。そうなっていくと、人っていうのは誇りがなくなっていくよねっていう。
確かに生活は、生活保護的なものを受ければ維持はできるけれど、保証はできるけれども、人としての尊厳はどうなんだっていう。でも一旦その文明に触れたイズラドっていうのはもう元には戻れないなっていう。
そうですよね。
もう全然答えが出ないっていうか、読んでて本当に何が正解なんだっていう。
でもそうやってどんどん森がなくなっていってしまって、動物もいなくなってしまったら、最終的にですよ、もう今今じゃなくて、本当何年後かはもう飼いもきっとできなくなってしまうし、結局はそういう資本主義悪みたいな。
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その恩恵に預かって、もうずっと生きてるので。
そう、だからこれから逃れることはできないのか、この森の奥に住んでる人ですらっていうのを読んでてすごくぐったりしながら思ったりもするんですけれども。
そうなんですよね。たぶんこういう道のりって、たぶんどの文化の人たちも通ってきた道ではあると思うんですよ。
そうですよね。
でもあまりにも早いんですよね。あまりにも早すぎるんですよ、その速度が今は。
そうですね。
だって普通だって100年ぐらいかけて起こるような話が10年とかで起こっちゃうってなってくると、もうついていけないですよね、いろんなことが。
なんかそれがすごく、なんていうか、このイゾナドの話もそうだけれども、他の最近の出来事を見てると、あまりにも速度が速すぎて、もうちょっと時間をかけてだったらそんなに摩擦も起きないことがあまりにも早く起きすぎるっていう。
負荷がかかるんですよね、きっとそのスピードには。
そうなんです、不自然なくらい早すぎるっていう。そしてその最後の方で結局、この対岸の家族ともまた別れがやってはくるんですけれど、その別れのエピソードも、なんていうか、本当に文明側の本当に嫌なところというか、
でも自分たちもこの場にいたら多分きっと同じことをするだろうなっていうような、本当にもうげんなりするような話で終わっていくんですけれども、結局そこのまた出来事を境に、この家族とも会えなくなってしまう。
でもドメウさんはいつかまた彼らとも再会できるんじゃないかと思いながら、今もその調査に加わってはいるっていう。
もう調査しないでって思ってたけど。
でもほら、ドメウさんとしては仲間なんじゃないかと。
そうなんですよね。
自分たちのあれは未知の先住民とか野蛮な野人とかじゃなくて、俺たちの仲間だし、もしかしたらあの時逃げた傍れの人たちなんじゃないかっていう望みをかけて接触をしてるってところがあるので。
望みと呪いはね、ほんと背中合わせですよね。
本当にこの、読んでて何とも言えない。
でもなんか本当に読んでて文明って愚かって思いながら、現代人って愚かだなっていうふうに言ってしまえば楽なんですけど、そこで安定できるので。絶望するっていうのも結構そこで安定してしまえば。
そうなんですよね。絶望って楽なんですよね。
楽なのかなって思うんですけど、でもそのイゾナドもどうやったらこの人たちを、すごく傲慢だってのはわかってるんだけれども、でも何とかこの人たちを生き延びさせることはできないんだろうか。
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自分たちのこのシステムに巻き込まれて本当に申し訳ないんだけれども、何とかいくらでもマシな方法で生き延びさせることはできないんだろうかってすごくもがいてる人たちもいるっていうのを見てると、
絶望するだけだと何も解決はしないよなっていうのにもちょっと傷つかされるなっていうような本ではありましたね。
本当に人類。
そしてこれが2010年代に起こったっていうのが信じられないんですけど。
本当に。だから本当直近まで多分、今きっとそういう問題は加速してるはずですもんね。
だからこの2014年ぐらいの時点で大体100人前後なんじゃないかって言われてたイゾラドの人たち、今どうなってるんだろうなっていうのは。
なんかすごく昔、自分がまだ子供の頃、カットしてもらってもいいんですけど、カットしてもらった方がいいかもしれないんですけど、ブッシュマンとかかな。
やっぱりね、そうやって未開の土地に住んでる人たちを見せ物にするような番組とかもあって。
で、ちょっと面白半分にコーラかなんかをあげたんですよね。
そしたらその瓶で奪い合いがあったのが、ちょっとうる覚えなんですけども、その瓶で殺人が起きちゃったんですよね、確か。
その瓶で殴って、なんか殺してしまったみたいな。
なんてなんかこう、ね、傲慢なんだろうって。
面白半分に与えたもの、渡したもので、そういうふうな、なんかしなくてよかった争いをしてしまうとか。
だからさっきの、イゾラドを訪問するって言っても、だから全くその文化の違うところに、文化が違うとしても、日本から別の国に住むとか、そういうレベルではなくて。
本当になんて言うんだろうな。異世界に連れてかれるぐらいの、異世界転生するぐらいの勢いじゃないですか、こんな。
言葉も通じない、まずもう、見るものが全く見慣れないものに囲まれて、言葉も通じないっていうような世界に連れてきて、どこまでそれを面倒見れますかっていう。
そうなんだよね、わかる。
そういう責任なんですよね、その責任どこまで終えるのかっていう。
保護するっていうのは、言葉では簡単だけれども、その人たちが自力で生きていかなくちゃいけないじゃないですか。そこの責任を誰が負うのかとか。
それは、なんていうか、先住民の保護する、保護って言っていいのかわかんないようなこともあったりはしましたけど、例えばイヌイットとか、あとはアメリカのネイティブアメリカンの人たちとか、そんなのは多分世界中にどこでもあると思うんですけれども。
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それをまた別の文化に入れ替えるってなった時に、いろんな悲劇が起こってきたっていう。結局そこにうまくなじめなくて。
だって今までは別に自分たちの文化の中で過ごしてたら、何の苦労もなく生活できていたのが、その他の文化に入ったら何もできないっていう。
だからそれがすごく、その人の尊厳をすごく傷つけてしまう。それによってアルコール依存症になってしまうとか、精神病になってしまうとか、結局自殺してしまったりっていうのはすごく大きな問題はあったわけで。
ストレスたるやですよ。かかる。働く場を設けたとしても、ちゃんと対価は支払われるんだろうかとか、本当に難しいですよね。
タダでさえちゃんとした支払い、賃金の支払いとかがされているのかどうかわからないところも多いじゃないですか。
まあ、言葉わかんないから適当にやってもいいよねとか、そんな感じでごまかされたりとかっていうのもあるだろうし、やっぱり劣った人間だっていうふうに見られて。
受け入れる側だってそんなにスキルがあるわけじゃないから、きっと。これだけ速いスピードで全てが動いていく中で、先住民の人たちもついていけないし、受け入れる側となる方っていうか、こっち側も全然そういうスキルがない中でやっていかなくちゃいけないっていうのは悲劇的ですよね。
なんか、それをまた精霊に捕まって倒れるの、門族の人と井上崎のアメリカの人たちの激突っていうのとも、やっぱりちょっとリンクしてくるのかなと思うんですけれども。
それ以上に本当に、先住民全く森の中で原始的な生活をしてた人たちが文明に触れるっていう衝撃なのかなっていうのは。
そうですね。もうすごく無責任な発言をするとすれば、これがどうなっていくのかっていうのを30年後とかにも振り返って見せてほしいなっていう気はしますけれども。
レポートで。
レポートとして。でもその30年間生きるのは彼らだから、私たちはそういう知識とか教養とかとしてそれを受け取りますけれども、その中で生きていく人たちにしたらたまったもんじゃないですよね。
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これは答えが出ないですね。
本当そうですね。
また新しいセンスだと思います。
これ何年前だったかな。2018年に出た本ですけれども、読んでも5年ぐらいは経つんですけど、やっぱり未だに思い出して手に取る本ではありますね。
本当に答えが出ないし、文明っていうものを必ずしも良いものではないというか、文明の持つ法罪の罪の部分ですよね。それをちょっと考えさせられる。発展することが必ずしも本当に良いことなんだろうかと。
でも発展はし続けてしまいますからね。
そうなんです。本当に上がらんようのないグローバル化の波というか。
もう食いつぶしてしまうしかないんですもんね。最終的なゴールはたぶん食いつぶすだけですね。
その中で揺れ動くというか、巻き込まれていく人たちとか社会とか。
医療とかにしても、医療の発展は私たちの生活を良くしていますけれども、それによって人口の増加っていうのもあるわけじゃないですか。
みんなが健康でいるのはすごく良いことだけれども、そうやって人口がまた増えると、結局は自然とかをなくしていかないと生きていけなくなってしまうから、やっぱり何かを手に入れたら何かを失うようなシステムには大きくなってるんだろうなとは思いますけどね。
自分たちの生活を豊かにするっていうことは、何かを失ってるし、誰かの何かを奪ってるっていうことが隠されちゃうから、今の世の中。
やっぱり気づかないし、私だって普段から人のものを奪っているんだなと思いながら生きているわけではないので、ザイアニズムを常に感じながら生きているほど得のある人間ではないので。
でもやっぱり考えちゃうことは多いですよね。歳をとったからっていうのもあるかもしれないですけど。
いやーでも本当にこれ、アマゾンの森の奥なので、もう全然自分の生活にどこら辺にその関わりがある話なんだと、こんななんかSFメイター話があって思うんですけど。
でも読むにつれ、いやでもこれはどこかで絶対繋がっている話だなと思いますし。ただ、世界中が今もう瞬時に繋がっていく社会じゃないですか。
それもなんかね、最後その別れのきっかけになる話っていうのも結局そこにかかってくるんですけれども、ちょっと気になる方読んでくださいって感じなんですけど、その瞬時に拡散されて繋がっていくっていうのも本当によしやしだなーっていうのは、その最後のその出来事を読んで続くと思いましたね。
57:12
どこまで行っちゃうんですよね。運命。
本当。今回は何ともこう、苦い後味の残る。ただ、でももしかしたら少しだけその絶望しかないんじゃないかって中でも、諦めないで、何とかより良い方向はないんだろうかっていうのをもがいている人たちっていうのもいるんだなっていうのを知るっていうのも知って、ちょっと自分たちもただただもうこの世はダメだと、この世はどうしようもないっていう、嘆くだけではないんじゃないかっていう。
そうですね、儚んでいるばっかりではなくね。
自分たちにできることはあるんじゃないかっていうのを考えなきゃいけないんじゃないかっていうようなことをちょっと思った一冊でしたかね。
今回すごく真面目に終わってしまった。
絶望っていうか、食い潰すスピードも早いけれども、血の力というかリカバリー力だって多分ついてるはずなんですよね。
そういう力も信じたいですよね。リカバリー力というか、抗うぞみたいな。
絶望するにはまだ早いよと。
その力の一つに少しでもなれたらなと思います。
今回はこんなところでしょうか。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
本当に真面目になっちゃったな。
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皆さんからのお便りお待ちしております。
それではまた次回までさようなら。
さようなら。