過去の衝撃体験
始まりました〜。始まりました〜。
イェーイ。
どーん。いぇーい。つくらじ。つくりかけのラヂオ。
ラヂオ〜。第99回。第99回でございます。
イェーイ。
バシバシバシバシバシバシバシ。
ゾロめっちゃん。
イェーイ。どーん。ラスト1回。
いきましょう。
カントダウン、いきましょう。
はい。
今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ヨウヘイです。
かんなこです。
さてさて、本日はですね、我々未来志向すぎて、いつもの将来のことばっかり話してるので、
ちょっと過去にタイムスリップしてみようかなと思いましたと。
はい。
で、ちょっと私が知りたいというか、興味があるのが、ヨウヘイさんの過去、人生で、ヨウヘイ史上衝撃的だった出来事、ありますか?というものなんですけど。
なんだろうな。
いけそうですか?
なんか一個パッて思い出したのがある。
え、じゃあぜひそれを。
ぜひそれを。
あのね、僕の両親は、なんか学生時代に海外のホームステイサ系なんか知り、ホームステイのコミュニティで知り合った人たちらしくて、大学時代のね。
すごいですね。
だからその、定期的にホストファミリーのとこに遊びに行くみたいのをやってたのよ、俺の親は。
子供がちっちゃい時は、僕はだから小学校低学年ぐらいまでなんだけど。
で、結構長く外のホームステイ先遊びに行ったことがあって。
で、その時に僕が覚えての衝撃的だったのは、まだ小学校前半ですよ、たぶん2年生とか3年生ぐらいの時に。
で、ホストファミリーにいて、で、その家もさ、なんか若い夫婦も住んでたの。隣がアパートみたいな感じになってて。
で、その夫婦の若い夫婦の2人がキスしているところを初めて見たとき。
普通に日常のシーンでチュって、今はよくチュってほんと挨拶がてらのチューなんだけど。
小学生2年ぐらいで見たとき、なんかあの衝撃感、たぶん初めて見たんだろう。
もしかしたら、キスしたら赤ちゃん生まれちゃうじゃないぐらいの思ってた時期なのかもしれないし。
かわいい。
分かんない分かんない。でも本当にびっくりして、見ちゃいけないもの見ちゃったかもみたいなのを思ったのを今、衝撃っていうキーワードだと思って。
日本人の育ちとスキンシップ
なるほどね。そっち方面来ると思わなかったですわ。意外性の塊だったわ。
面白いよね。
あ、そっか。確かにでも、なんかよく言われますよね。日本人はあんまりそういうなんか夫婦感もそうだし、子供に対しても、なんか、アイラビュー的な言わないじゃないですか。
そうそうそうそう。
え、キモみたいな。
今となれば多少あるけどさ、スキンシップっていうものもあまりないじゃん。
ない。
昔は特に。
うん。
なんか今だとさ、握手とかハグとかさ、普通になんか日常的にあるけど、なんかそれすらたぶんね、30年前とかだとなかなか目にする機会もなかっただろうし。
確かに。あ、そうですね。
手繋いでるカップルとかさ。
あー、あんまりなんかそういうのオープンじゃないですね。確かに。
大人が手繋いで歩いてるとこなんか多分あんまり子供時代に見たことなかったんじゃないかな。
あー、今普通だけどね。
そうそうそう。
確かに。なんかやっぱそれは日本人の奥行かしさ的なやつにつながってるのかな。
自分の親世代が腕組んで歩いてる姿とかさ、あんまり想像つかないよね。
つかない。全然つかない。
だってさ、昔さ、チャーミーグリーンのさ、CMでさ、なんかおじいちゃんおばあちゃん手繋いで歩いて可愛いみたいなのが絵になっちゃうような状態のCMを覚えてるからさ、ってことはやっぱさ、希少なんで。
確かに。
そんな中で育った、昭和で育った僕からしたら、普通に日常ですれ違いざまにチューンみたいなのを見せつけられたときにはすごいカルチャー、まさにカルチャーショックだよね。
何が起きたんだと。
それはなんか、それを見たことによって何か変わったんですか?
変わりはしないだろうけど、変わりはしないよな。
まあでも傭兵さん的に大人になったのかもしれない。
まあそうね、そうね、そうかもしれない。
そういうこともあるよね、みたいな。
家族のスキンシップ
そっか、確かにそうだな。
そういう衝撃の捉え方か。
ごめん、趣旨と違ってた。
いやいやいや、なんかどんなの来るかなと思ってたんですけど、意外なところが来ましたね。
本当にこう人間のすごい根っこの部分まで掘ってみました。
急にね。
でも逆になんか今、傭兵さんお子さんいるじゃないですか。
子供に対してはどうですか?スキンシップは。
いや、ドーオープン、ドーオープン。
なんか普通に行ってらっしゃいばりになんかラブユー的な。
子供なんかね、うちの中、挨拶としてハグとか特にあるわけじゃないけど、なんか結構触れ合ってるよね。
それは冗談半分だけど、我が家だとなんかいたるとこで、ケツ触ってんじゃねえよみたいなのがお互い。
おもしろい。
お互いがお互いこう。
僕の奥さんが息子のお尻触って怒られてるとか、僕も娘のことツンツンってやって怒られてるとか、なんかその逆もしかりとか。
なんかめちゃくちゃいい家族ですね。
でも娘さんはあれなんですね。お父さん嫌いみたいな。ちょっと触んないでキモいとかじゃないんですね。
いや、なるなる。だから触ってんじゃねえよってめっちゃ怒られるんだけど、お互いが負けずになんか付き合ってるみたいな。
おもしろい。
で、僕と奥さんが子供たちの前でなんかベタベタとかしてると、キモって言われながらもなんか気にしてないとか。
子供時代の親同士のスキンシップと文化の違い
両親はそうだよね。勝手にやってくれよって。
でもなんかそういうの大事かもしれないですね。そのちっちゃい時というか、まあちっちゃくもないですけど、子供である時代に親がきちんと、なんだろう、親同士でのスキンシップをとっているのを見るっていうのは。
大人の階段登って。
まあまあね。
なんか、そうですよね、確かに。なんかね、それは確かに衝撃につなげるとすると、そこから。
私結構自分的には当たり前で、人から結構ビビられるのが、男女とか関係ないし、年齢も関係なく、普通になんか人類みんなどうぞみたいな感じで結構挨拶ハグみたいなのするんですよ、私は。
それが、おいおいおいおいってなった瞬間とか大人になってから、やっぱりあって、あれこれ普通じゃないのみたいな、私的におはようございますぐらいのハグなんですけどって思ったんですけど、向こうがすごいぎこちないハグをした時があって、
あ、そういう文化じゃない日本はって思いました。
だからそうそうそう、そういうのはね。
生まれ日本育ちだけど、なんかね、でもそれはやっぱりその家庭環境とか、育ってきた学校の雰囲気とかはめちゃくちゃ影響してるんだなと思って、
なんか、うちの家族はたぶん、じいちゃんばあちゃんも含めて、みんなおはようのハグぐらいの、おい、みたいな感じでやってたから、なんか人と会ったらハグするのは当たり前だよねぐらいの。
だからそういうことで。
だから大人になって、あ、違うんですね、みたいな。
意味合い、なんかさ、こっちはそういう意図としてないけど、そういう意図として取られる可能性もあるじゃないですか。
あ、なんかこの人、俺のこと好きなんだなって勘違いさせてしまう可能性もあるんだなって。
そうね。
そう、っていうことを大人になってから学びました。
そう、だからまあまあそういうのあるよね。
だからさ、社内チャットのハートマークだけドキドキしちゃう上司とか。
何の意味もねえよっていう。
こいつ、男性社員なのに俺にハートつけてきたら、俺どうしようって思っちゃったよ。
そわそわして。
絵文字の難しさと異文化交流
だからそういう意味では、絵文字もすごく難しいなと思って。
なるほどね。
なんか、ありがとう、ハートみたいに送ると、もうもう危ないじゃないですか。
別にこっちとしたらびっくりマークだろうが、ニコニコマークだろうが、ハートだろうが変わんないんですよ。
でも受け取った側からしたら、あれ、ハートがついてきたぞみたいな。
確かに。
そう。
カルチャーショックですね。
それはカルチャーショックだよね。
はい。
え、かなこさんの衝撃体験は?
え、何だろうなあ。
衝撃なことが多すぎて、日々衝撃すぎて。
衝撃すぎて、一個絞れないけど。
あ、でもなんか結構、ちょっとヨヘさんとまた違う軸の衝撃体験ですけど。
初めて多分、外国人の人と、なんか言葉はわからないけど、なんとなく心が通じ合ったような体験はしました。
へー。
それはそう、なんかね、多分ね、6歳とか7歳とか、本当に小学校ていねえ。
はいはい。
そう、だったんだけど、なんか盆踊り?地域でやってる盆踊りの夏祭りみたいなのあるじゃないですか。
うんうん。
あれに参加した時に、なんかたまたま沿道というか、ちょっと腰かけられる段差みたいなところに座ってたら、オーストラリア人だと思うんですけど、お姉さんが座って隣に。
うんうん。
で、耳を見たら、なんかすごいかわいいイルカのイヤーカホしてたんですね。
うんうんうん。
で、めっちゃかわいいなと思って、めっちゃかわいいねって日本語で言ったの。
おーおーおーおー。
でも向こうはもう多分わかってないんだけど、ありがとうみたいな感じになって、いいなーってすごいずっと見てたら、そのお姉さんが、なんかすしばらくなんかあれはなんだ、これはなんだみたいな話になり、
まあ説明できるわけもないんですけど、なんか一生懸命こうジェスチャーで頑張ったと。
うんうん。
で、なんか最後別れ際に、じゃあなんかこれかわいいって言ってくれたからあげるよって言ってくれたんですよ、耳のイヤーカフ。
うんうん。
で、代わりに私なんか頭にたぶんかんざしみたいなのさしてたんですけど、それあげて。
かっこいい。
そう、異文化交流した。
かっこいい。
そう。
すげー大人ー。
そう、でなんかそれもなんか未だに、確かたぶんね、なんか割れちゃったんだけど、どっかにとってあるイルカの耳。
へーかっこいい。
うん。
なんか嬉しかった、あ、言葉通じなくても心通じるんだみたいな。
やっぱさ、自分が持ってないものに触れた瞬間っていうのがやっぱ衝撃として残るのかね。
自分が持ってないものに触れた瞬間の衝撃
残る残る。
見たことないとかね、空気とか匂いとか。
うん。
風景。
なるほどな。
結構鮮明に覚えてますね、その時のことは。
うん。
ちっちゃかったけどね。
うん、すごいすごいすごい。
だから逆に言うとさ、そういう体験をやっぱ自分だけじゃなくて自分たちの周りの子供も含めてどんどんさせてやらなきゃいかんってことだよね。
そうなんですよ。で最近。
ありふれたさ、もので多くの人がやることだけじゃなくてさ。
うん。
ほんとに全然ね、衝撃的なこと。
そう。
なんかそういうでも機会に知るんじゃなくて体験できることって最近なんか結構少なくなってきたなと思って。
ライブ感と体験
要はインターネットでも情報なんていくらでもあるじゃないですか。
だからなんとなく知ってるみたいな気になるんだけど、実際それどうなんみたいなのはやっぱ体験してみないとわからないから。
いかにそういう体験をなるべく子供たちにしてもらうのかみたいなのはすごい私考えてます最近。子供いないくせに。
だからそのライブ感大事さだよね。
そうそうそう。
自分がその時どう思ったのかっていう自分の感覚値を養ってほしい。
それが別に人のためにどうなるとかじゃなくて、自分のため?
だし、なんかそれを語れる、自分の言葉で語れるっていうのはある意味知らない人に経験者としてこういうことだったよっていうのを伝えることができるから、なんかダブル美味しいなと思って。
そう。だからそういう意味だとさ、さっきの親の背中も含めてだけど、うちの娘が十数年ぶりにサッカーのスタジアム復帰してさ、自分から見に行きたいって言って、自分のお小遣いでユニフォームを買っちゃってさ。
だからそれも多分僕はずっと生き続けているわけじゃん。
息子たちと行ってた時期もあり、息子たちが忙しかったら僕一人行ってた時期も含めてあってさ。
でまたさ、なんか多分物心ついたぐらいから全然スタジアムから離れていった娘がさ、時を経てまた戻ってくるみたいな。
多分そのサッカー好きじゃなくて、あのスタジアムの空気感。
あー、ライブ感みたいな。
そうそうそう。
なるほどね。
求め出しててさ、面白いよね、それって。
気づいたんでしょうね。
意外と好きだったかもしれないみたいな。
へー。
ただやっぱ、そうですね、これからもそういうライブ感を大事にしていきたいなっていう話になりましたね。
体験の価値
そうですね。
まあでもそういうなんかね、いわゆる現体験って言われてることを多く作り出してあげたいよね。
そうねー。
なんかこういうことがあったからこういう風になりましたみたいなのって、あると強いですよね。
なんでそれやってんのって言われた時に、いやいやちっちゃい時にこういうことがありましてって言えるから、
それはなんだろう、誰にも否定しようのない事実じゃないですか。
やっぱファクトベース強い。
だって俺が考えたんだもん。
そうそうそう。
思っちゃったんだもんって。
そう。
っていう話だもんね。
いやー、いいな、いい回になりました。
よかったです。
はい。
じゃあ、ハッシュタグありがとうございます。
ハッシュタグ係どうぞ。
衝撃的な現体験を多く作るぜー。
いえーい。
いえーい。
ありがとうございます。
ではまた来週ー。
また来週ー。
ばいばい。