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今回はですね、皆さんからいただいた資料、大学の抗議録音とか憲法の教科書、あとフランスのペットショップ規制に関するYouTubeの書き取り、これらを使って表現の自由について、ちょっと深く見ていきたいと思います。
この自由がなぜ大事なのか、それから現代でどんな課題があるのか、特に規制の難しさとか、SNS、ヘイトスピーチみたいな、そういう具体的な点ですね。ここに焦点を当てていきましょう。
よろしくお願いします。
まず抗議でもありましたけど、表現の自由は民主主義の土台だっていうのは基本ですよね。
そうですね、そこが揺らぐと社会全体が、なんていうか、自由な議論ができなくなってしまいますからね。
ただ教科書で指摘されてた、萎縮効果ってやつがなんか気になって、規制されるかもって思うだけで、みんな言いたいこと言えなくなっちゃうっていう。
ああ、萎縮効果、それは非常に重要なポイントです。
あの映画、宮本から君への助成金の問題なんかは、まさにそういう話なのかなって。
そうですね、直接禁止されなくても、これはまずいかなって自分でブレーキをかけてしまう。
それが自由な表現とか活発な議論を妨げる大きな要因になるわけです。
規制の話で言うと、教科書では表現内容規制と表現内容中立規制って分けてましたね。
はい、そうです。前者はそのメッセージ、内容自体が問題だっていう規制ですね。
例えば、名誉毀損を禁じるとか。
校舎は内容じゃなくて、例えばデモの場所とか、ビラ配りの方法とか、そういうやり方を制限するものです。
なるほど、でもその内容に触れない中立規制っていうのでも、使い方次第では特定の意見を抑え込むために使われちゃうんじゃないかっていう指摘が講義でありましたよね。
まさにその点が重要なんです。
立川の自衛隊幹社のビラ配くぶりの件が例でしたけど、住居侵入っていう形はとってるけど、実際はハンサンビラっていう内容がターレットだったんじゃないかみたいな。
そういう疑念はありますね。形式的には中立に見えても、その運用のされ方によっては実質的に内容に踏み込んだ規制と同じ効果を持ってしまうことがある。だから慎重な判断が必要だとされてるわけです。
いやー難しいですね。現代ならではの課題というとやっぱりSNSですか。
そうですね、SNSの存在は非常に大きいですね。
講義データにもありましたけど、特に若い世代にとっては主な情報源だし、自己表現の場でもあると。
ただ最近アメリカとかオーストラリアで子供の利用を制限すべきじゃないかっていう議論が出てきてますよね。これはその自由と保護っていう2つの価値がぶつかってる例です。
子供を有害な情報から守りたいっていうのはすごくわかります。でもSNSがコミュニケーションとか情報を集めるのに欠かせないツールになってるのも事実で。
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その通りです。
そういえば資料にあったフランスのペットショップの規制動画、あれも動物を守るっていう目的とお店側の営業の自由とのバランスみたいな話ですよね。
そうですね。まさにどうせんびきをするかという問題です。SNSの場合はさらに教科書にもあったアテンションエコノミーが絡んできます。
アテンションエコノミー。
つまりプラットフォームは利用者の注意、注目を集めてそれで利益を得る仕組みですよね。そうするとアルゴリズムがどうしても過激な意見とかセンセーショナルな情報を広めやすくなってしまう。
なるほど。
結果としてフィルターバブルとかエコーチェンバーって言われるように、自分の見たい情報ばっかりに囲まれて多様な視点に触れにくくなる。それが社会の分断を深めるんじゃないかとも言われていますね。
プラットフォーム側がどういう基準でコンテンツを管理しているかっていうのも見えにくい権力になっているみたいな議論もありますよね。
まさにそこも大きな課題です。
そしてもう一つ、これも本当に難しいのがヘイトスピーチの問題。
ヘイトスピーチ。
抗議では在特会のデモとか特定のマイノリティの方々へのひどい差別的な言葉が紹介されていました。これはもう明らかに有害なんですけど、なんで法的な規制がこんなに進まないんでしょうか。
それはですね、ヘイトスピーチを規制するっていうことがまさに表現内容そのものに踏み込むことになるからです。憲法21条が保障する表現の自由とどうしても緊張関係になってしまう。
うーん、なるほど。
日本のヘイトスピーチ解消法に罰則がないのは主にそのためですね。啓発が中心になっている。川崎市みたいに罰則付きの条例を作ったところもありますけど、まだ一部です。
はい。
つまり何を言っちゃダメかっていうのを国が決めることへの強い警戒感があるんですね。それが権力によって都合よく使われて、例えば政権批判とかそういう正当な言論まで奥厚される滑り坂になるんじゃないかと。
被害を受けている方々をどう守るかと、その自由の保障と、このジレンマは本当に深い問題です。
こうして聞いてみると、表現の自由を守るって単に政府の検閲犯罪みたいな単純な話じゃないんですね。
ええ、そうなんです。
新しい技術とか、社会の中にある偏見とか、規制のあり方自体とか、なんかいろいろなものが複雑に絡み合ってるんですね。
そこで最後に皆さんに一つちょっと考えてみてほしい問いがあるんですが、
はい。
これまで表現の自由にとっての脅威っていうのは主に国家権力だと考えられてきましたよね。
そうですね、政府とか。
でも現代において私たちがどんな情報に触れるか、それをある意味コントロールして、時には世論まで動かす力を持ってるのはもう政府だけなんでしょうか。
ああ。
それとも私たちが毎日使っているSNSとか、そういうプラットフォームを運営する巨大なテクノロジー企業、
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彼らが使うアルゴリズムが、気づかないうちに私たちの考え方を方向づけているとしたら、それもまた自由な思考や議論に対する新しい、しかもちょっと見えにくい脅威と言えるのではないでしょうか。