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2026年度第9回(6月3日)人身の自由
2026-06-03 15:48

2026年度第9回(6月3日)人身の自由

今回の授業は、日本国憲法第31条の保障する適正手続(デュー・プロセス)の重要性や、憲法36条が禁じる残虐な刑罰と死刑制度の合憲性について、日本の最高裁判例や日米の比較を交えて考察しました。台風の影響で急遽、オンラインでの授業になりましたが、Slidoでの皆さんの回答から、難しい問題について考えておられる様子が伝わってきました。

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もし今日、あなたがずっと大切にしてきたお気に入りの色鉛筆を、いきなり政府に取り上げられたらどう感じますか?
まあ、普通は怒りますよね。
ええ。国家の安全のためだからって言われても、ふざけるな、ちゃんと理由を説明しろって思いますよね。
でも、あの、もし自分の命が絶たれる時間をたった1時間前に知らされたとしたら、あなたはどうしますか?
ん?それはもう、色鉛筆とは全く次元の違う話に聞こえるかもしれないませんね。
でも実は、この2つって根底で繋がっているんですよね。
そうなんですよ。今回の深掘りでは、このテーマに深くそもってみましょう。
今日私たちが集めた資料の束、新聞記事のアーカイブとかニュース番組の書き起こし、分厚い憲法の教科書、そして大学生のリアルな声を集めたアンケート結果まで。
はい。滝に渡る資料ですね。
ええ。これらを一気に読み解いていくと、ある筋の凍るような共通点が浮かび上がってくるんです。
今日は、国家があなたから何かを奪うと決めた時、その権力はどこまで包装できるのか。
そして、私たちの権利を守るはずのルールがいかにむろいか、という国家権力の極限状態について深掘りしていきましょう。
そうですね。国家というのは本来、私たちの安全や秩序を守るために存在する強大なシステムです。
ええ、そうあるべきですよね。
はい。しかし、その巨大な力がパニックとか絶対的な管理という方向に傾いた時、個人の尊厳は簡単に踏みにじられてしまうんです。
今日は、具体的な4つの事例を通して、そのメカニズムを紐解いていきたいと思います。
よろしくお願いします。まずは、工事所という密室から話を始めましょう。ちょっと想像してみてください。ある死刑囚がいます。
はい。
2010年に宮崎市で家族3人を殺害し、死刑が確定した奥本松漢死刑囚、33歳です。
彼は独房の中で独学で絵を学び、支援者を通じて26色の色鉛筆で動物や子供の絵を描き続けていました。
ええ、彼はその絵の収益を被害者遺族への謝罪金として送っていたんですよね。
そうなんです。ただの暇つぶしじゃなくて。
はい。彼の描く色鉛筆画は非常に色彩豊かでして、彼自身の精神を保つため、そして何より生身の人間として唯一残された卒在、つまり贖いの表現行為だったわけです。
ところが、2020年に全く別の場所で事件が起きます。東京工事所にいた別の死刑囚が布団の中で自分の首を傷つけて自殺してしまったんです。
前橋市で4人を射殺した矢野死刑囚ですね。
ええ、ありましたね。
ここからがおかしな話なんですが、この一件を受けて法務省は全国の工事所で鉛筆削りの使用を全面的に制限したんです。
さらにその後、ルール自体を変更して色鉛筆そのものの使用まで全面的に禁止してしまいました。
つまり、内部の規則である訓令を改正したわけですね。
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ええ。代替品としてカラーのシャープペンシルが配られたそうですが。
はい。でも芯がすぐに折れてしまってとても絵を描くようなものではなかったそうです。
そこで奥本死刑囚は、絵を描くことは少しでも被害者遺族に謝罪金を渡すための行為だとして、表現の自由の侵害で国を訴えました。
ちょっと待ってください。それっていくらなんでも極端すぎませんか?
よし、ここを少し紐解いてみましょう。
例えるなら、誰かが交通事故を起こしたからといって、全く無関係なあなたから、きょういきなり車のハンドルを取り上げてしまうようなものですよね。
ああ、なるほど。確かにそういう見方ができますね。
一人の自殺を防ぐために、別の死刑囚のあがなう権利すら根こそぎ奪ってしまう。いくらなんでもその管理はやりすぎじゃないですか。
おっしゃる通り、一般社会の感覚からすれば異常ですよね。しかしこれが公治所という密室の論理なんです。
密室の論理ですか?
ええ。法務省、つまり国家にとって、施設内での最優先事項は保安なんです。
死刑囚が刑の執行前に自死してしまうのは、国家による刑罰権の行使が失敗することを意味しますから。
なるほど。国家のメンツが潰れると。
そういうことです。だからこそ、自殺の道具になり得る可能性があるものは、たとえそれが互いのみのための色鉛筆であっても、徹底的に排除する。
リスクゼロを追求するあまり、個人の内面や即材の機械なんてものは、天秤にかける価値すらないとみなされるわけです。
ひどい話ですね。結局、奥本死刑囚の裁判はどうなったんですか?
残念ながら、2024年に最高裁で彼の敗訴が確定しました。
そうですか。
その後、鉛筆削りをつかまなくていい特殊な色鉛筆だけは許可されるようになりましたが、この一連の動きは、国家が管理という名目を掲げたとき、個人の自由がいかにあっけなく制限されるかを示す生々しい実例だといえます。
なるほど。公地上という外部から見えない閉鎖空間では、国家の都合が優先されやすいというのはよくわかりました。
でも、私たちが生きているこの現実社会では、そう簡単に権利を奪われないはずですよね。
と、言いますと?
だって、憲法には適正手続き、いわゆるデュープロセスという最強の盾があるじゃないですか。
国が罰を与えるなら、ちゃんとした手続きを踏んでこっちの言い分も聞きなさいよっていう第31条のルールです。
ああ、おっしゃる通りです。憲法31条は、何にも法律の定める手続きによらなければ、生命や自由を奪われないと明確に規定しています。
ですよね。
しかし、その絶対のルールすら、国家が早々に駆られたときにはねじ曲げられてしまう歴史があるんです。
ここで、1978年の成田空港関西島選挙事件の資料を見てみましょう。
ああ、成田空港の開港直前ですね。
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過激派グループのリーダーの前田道彦らが関西島に侵入して、ハンマーで通信機器を徹底的に破壊し尽くした事件。
ニュースの映像で見ても本当にさまじい暴動でした。
ええ、開港をわずか4日に徘徊した国は、もう完全にパニックに陥りました。
そこで国は、これ以上の破壊工作を防ぐために、成田新法という新しい法律を急遽作ったんです。
新しい法律ですか?
はい。これは過激派が使っている工作物や建物の使用を、国が一方的に禁止する命令を出せるという非常に強力なものでした。
ここからが本当に面白いところなんですが、そこで疑問があります。
いくら過激派が相手だとはいえ、建物の使用を禁止するなら、当然あなたたちの建物を封鎖しますよ。
反論はありますか?という適正手続きを踏むべきですよね。憲法がそう言っているんだがろう。
ところが、この成田新法には、相手に告知して言い分を聞く、いわゆる告知、弁解、防御の機会が一切設けられていなかったんです。
えっと、一切ですか?
はい。手続きを完全にスキップして、即座に封鎖できる仕組みになっていました。
それって完全にルール違反じゃないですか?
例えるなら、刑事事件と行政事件でルールの厳しさが違うのは、サッカーの試合中に突然ラグビーのルールを適用されるような居心地の悪さを感じます。
ああ、面白い例えですね。
ですよね。刑事事件なら本当にやったか証拠を出して言い分を聞くのに、行政が安全確保って大義名分を掲げた瞬間、個人の防御権が後回しにされる。そんな簡単に無視していいんですか?
非常に鋭い指摘です。最高裁でもまさにそれが争点になりまして、1992年に判決が出ました。
最高裁は、憲法31条は主に刑事手続きに関するものだが、行政手続きにも適用され得ると認めたんです。
ああ、認めたんですね。じゃあ違憲に?
いえ、結論としては、この事前の手続きの省略を合憲としました。
ええ?どうしてですか?言い分を聞かないのに合憲になる理屈がわからないんですが。
そこで出てくるのが総合考慮という法的メカニズムです。簡単に言えばバランスを取るための天秤ですね。
片方の皿には個人の権利や手続きの重要性、もう片方には守るべき公共の利益や緊急性を載せるんです。
なるほど、天秤ですか。
ええ、最高裁はあの成田の暴動の過激さと、開港が迫る切迫した状況を重視しました。もしのんびり過激派の言い分を聞くための機会なんて設けていたら、その間に彼らは再び決心してテロを起こすかもしれない。
まあ、確かにあの映像を見ると恐ろしいですが。
だから常に事前の弁解が必要なわけではなく、この得意な状況に限っては手続きを飛ばすことも公益を守るために許容されると判断したんです。
うーん、国家の安全という大義名分が天秤の反対側に乗った瞬間、私たちを守るはずのルールが例外としてあっさり無効化されてしまう、そのあゆさを感じずにはいられませんね。
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そうですね、ジレンマです。
さて、財産や表現の自由が安全のために制限されるメカニズムを見てきましたが、ここからがいよいよ本題です。国家権力の最大の行使、つまり命を奪うこと、死刑における適正手続きという究極の問いに踏み込みましょう。
はい。死刑制度については1948年に最高裁が豪言の判断を下しています。一人の生命は全地球よりも重いという有名な言葉を残しつつも、死刑は憲法36条が禁じる残虐な刑罰には当たらないと結論づけました。
生命は地球より重いと言いながら命を奪う。すでにそこから矛盾をはらんでいる気がしますが、私が資料を読んで一番ショックだったのは、日本の死刑執行の生々しい実態です。
ええ、あまり知られていない事実ですよね。
あなたは知っていましたか?日本の死刑囚が自分が死ぬことを知らされるのは、なんと当日の朝、執行のわずか1時間から2時間前なんです。
そうなんです。毎朝足音が自分の独房の前で止まるかもしれないという恐怖を味わい続け、ある朝突然、今日ですと告げられる。大阪地裁は過去にこの当日告知の運用を強権としています。
その理由は何なんですか?
死刑囚の心情の安定を保つためという理由ですね。早く知らせるとパニックになるからと。そして執行室の構造も非常に得意です。
執行室には3つのボタンがあり、3人の刑務官が一斉にそのボタンを押します。
誰のボタンで床が開いたか分からないようにして、刑務官の心理的負担を軽くする仕組みですよね。
ええ、その通りです。
でも一方で、アメリカのテキサス州の資料を見てみると全く逆のアプローチをとっています。アメリカでは数ヶ月前に執行日が告知され、死刑囚のプロフィールはネットで公開される。
はい、かなりオープンです。
そして薬物注射による執行の瞬間には、メディアはもちろん被害者の遺族や死刑囚の家族さえも立ち会うんですよね。
ええ、全てが公開の場で行われます。
つまりこれってどういうことなんだろうって考えたんです。
日本の当日告知や3つのボタンは死刑囚の心情を安定させるためとか、刑務官の負担を減らすためという理由ですけど、
それは本当は社会全体が人の命を奪うことという現実から目をそけるためのシステムなんじゃないかと鋭く切り込みたくなるんです。
なるほど。アメリカのやり方が道徳的に優れているかという問題ではありませんが、制度としての対比は非常に重要です。
アメリカは情報公開と議論を前提としています。国家が命を奪う以上、その残酷な現実を隠さず市民に突きつける。
議論しろということですね。
ええ。一方で日本は徹底的なブラックボックス化による平穏の維持を選んでいます。
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どちらが正しいかではなく、制度を維持するなら市民に実態を知らせる責任が国家にはあるという視点ですね。
まさにそこです。大学生たちにとったスライドアンケートの結果を見ると、日米の違いを知った学生の55%がもっと早く伝えるべきだと回答しています。
若い世代も疑問を持っているわけですね。
ええ。日米の違いにショックを受ける声が多数ありました。さらに2009年に実際に裁判員を務めた米澤さんの声もニュースの書き起こしにありました。
執行の実態や情報開示がないまま極形の判断を迫られたのは不当だと訴え、議論の場を求めているんです。
市民が裁く以上、情報は不可欠ですからね。
そうなんです。ブラックボックスは本当に危ない。でもじゃあ情報をオープンにしているアメリカなら安全なのかというと、実はそうじゃない。
ここからさらに闇の深い領域に入ります。
安全保障の目の下に行われた人権侵害ですね。
はい。国家の安全保障が絡んだ時、アメリカでさえ適正手続きが完全に崩壊するという暗部を持っています。映画モーリタニアンのモデルにもなったモハメドさんの事例です。
2001年の911テロの後ですね、モハメドさんはかつてビンラリン容疑者の電話が使われたという、ただそれだけの理由でCIAによって拉致されました。
電話が使われただけですか?
はい。そして、キューバの米軍基地内にあるグアンタナモ収容所に送られました。彼はそこで裁判、つまり適正手続きもないまま、なんと14年間も不当に拘束され、激しい拷問を受け続けたんです。
ちょっと待ってください。アメリカの憲法修正第10論条には、デュープロセスによらずに生命や自由を奪ってはならないと書かれているはずですよね。なぜそんな無法自体が許されたんですか?
それは、国家が彼らをテロリストや敵性戦闘員と位置付け、さらにグアンタナモ基地はアメリカ本土ではないから、憲法は適用されないという理屈を作ったからです。
はあ。これってつまり、憲法という重力が一切働かないブラックホールみたいな場所を意図的に作ったということですね。
まさにブラックホールです。
どんなに立派な法律があっても、国家がテロリストというレッテルを張った瞬間、すべてが例外にされてしまう恐ろしさがあります。
その結果が数字に現れています。グアンタナモ収容所には779人が収容されましたが、有罪判決を受けたのはたったの5人です。
779人中たったの5人。残りの人たちは何年も証拠なしで拷問されていたと?
ええ。これが単なる遠い国の話ではなく、どんな民主国家もパニックや過度な安全保障の追求によって、いとも簡単に敵性手続きを捨て去るリスクがあるという強烈な警告なんです。
本当に恐ろしいです。今日見てきたように、国家権力は時に色鉛筆を取り上げ、時に公益を理由に言い分を聞かず、時に秘密裏に刑を執行し、時に法的手続きを無視して人を拘束します。
はい。すべて根っこは同じですね。
なぜあなたがこの知識を持つべきなのか。それは裁判員制度がある日本では、あなた自身がいつかこの命を奪う国権の権力の行使に参加する日が来るかもしれないからです。
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そうですね。他人事ではありません。
ブラックボックスの中身を知らずして私たちは民主主義の責任を果たせません。最後に少しだけ考えてみてください。1948年の最高裁は、一人の命は全地球よりも重いと言いました。
有名な言葉ですね。
では、もし命がそれほどまでに重く尊いのであれば、国家が合法的に命を奪うシステム、つまり死刑を持っていることは、その命の重さを社会に証明しているのでしょうか。
なるほど。
それとも、実は命の価値を根底から始めているのでしょうか。この問いへの答えは、あなた自身で探してみてください。今回の深掘りはここまでです。
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