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2025-09-30 25:06

【特別回】私の人生遍歴(社会人編①)転職とベンチャー企業とイベント販売


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サマリー

このエピソードでは、ツカサさんが転職やベンチャー企業での経験を通じて、ジビール業界に足を踏み入れるまでの経歴を語ります。彼女は創業期の厳しい状況やイベント販売の工夫、さらにマイジョッキクラブを立ち上げるまでの道のりを描きます。転職とイベント販売の経験を通じて、人との接触を増やしながらビール販売の新たなスタイルを確立する物語です。また、ゴミ問題に対するリユースカップの導入や、ファン化の重要性についても語っています。

00:05
はい、みなさんこんばんは。
2025年9月30日、えーっと、今日は火曜日ですね。
ツカサです。この放送はベンチャー企業の管理職、ツカサが日々の仕事や生活の中での学びや気づき、そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
えー、みなさんこんばんは。もう9月もね、最後になりましたけれども、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
えーと、昨日ね、本当は放送しようと思って収録していたものが放送されずに、いやー、本当に悔しいんだけど、これもう本当にね、みなさんにはわからない話だよね。
本当は違うんじゃねえかと、サボったんじゃないの?と思われるかもしれないけど、ちょっとね、あのー、下書きはしておいて、あのー、お話しする内容をね。
で、準備はしていたんですけれども、音声も録っていたんですけれども、ちょっとね、あのー、3回ぐらい収録し直したら、忘れたわけじゃないんだけど、あのー、ちょっと送りそびれたという経緯があります。
すいません、なんか本当に言い訳地味な内容で大変申し訳ないです。
さて、今日はね、その昨日放送予定だった内容を改めて本日お送りしたいと思います。
月末なんでね、あのー、月末の話をしたかったんですけど、それはそれとしてまた後ほどお送りしたいなと思っております。
今日の放送はですね、あのー、まあね、私の人生編歴をたまにはお話ししようかなと思いまして、
前回ですね、何ヶ月か半年くらい前に放送した時には、入社するまでのね、酒に翻弄された、ビールに翻弄された人生をお届けしたんですが、今回は入社してからの話をご紹介したいと思います。
まあね、人それぞれいろいろな場面で意思決定をしていると思うんですけれども、そういう議論があったのかというふうに感じてもらえると、私の人となりというものは少し理解していただけるかなというふうに思います。
さて、私の人生編歴の一部です。
転職の決断
まずは転職と創業期の話をしたいんですね。
社会人3年目で、私ね、銀河高原ビール就職した後に3年目で今のベアレンビールに転職したんですね。
創業期の会社に声をかけてもらうということで、これね、いわゆるヘッドハンティングなんだけど、今言えばね、当時その創業期の会社に飛び込もうっていう人がそもそもいなかったんじゃないかなと思うんですよね。
ましてやね、そのよくわけのわかんないジビール、2003年という年が一番肝になるんですけど、2003年というとジビールが解禁になったのが1994年ですよね。
細川内閣が自由化をしてですね、ビールって免許制度なんですけど、それの規制をぐっと緩和したんですよね。
それでポコポコポコポコ日本各地にジビールがバーッと出たわけですね。ピーク時には300社くらい出来上がって、2000年に入って一気にブームが去ってどんどんやめたり廃業したりということで、どんどん手を引いていって。
2003年にビール作るって言ったら、マジで?みたいな感じで周りがもういぶかしむっていうね。そういう時代でしたよね。それにも関わらず、銀河高原ビールと言えば当時はね、ジビールの中では大規模で、今でもね、
今思い返してもすごく大規模展開してたんですけど、工場がね、岩手県と栃木の那須高原、日田高山工場、熊本の阿蘇、4カ所ですね。
4カ所に工場を作って、相当量作ってたんですね。だから、周りからしてみれば、すごいこう、大きく伸びゆくジビールのフロント企業というかね、走ってるそういう企業の中で3年過ごしているにも関わらず、やめるというかね。
しかもわざわざ、軌道に全く乗ってないゼロベースの会社に入るということで、相当ね、おそらく身内から反対されましたね。
前職の人でも、前職銀河根源ビールにいた中でね、その中でも何人かこのベアレンビールに声をかけてもらってた人がいて、実際その人は、ベアレンはちょっとって言って、日本酒の会社に行ったりとかね。
タイミング合わずに転職しなかったりとか、そんなこんなでね、振り返ってみれば全てはタイミングだったなというふうに思うわけですね。
で、私自身はとにかく面白い方を選ぶっていう、なんかね、非常に危険なマインドなんだけど、そっち選んじゃったんだよね。
なぜならば、僕はビールが大好きだから。で、もともとビールを作りたいと思ってたから、より小さい規模の方に、そしてよりリスクの大きい方に行こうというね、そういうマインドでしたね。
イベント販売の挑戦
で、まあ、思えばね、2003年創業のベアレンだけれども、入ってからがね、めちゃくちゃ大変だったんですよね。
で、創業2003年の後、最初の5ヶ月ぐらいはイベントも全くなかったっていうね、会社に入った後気がついたんだけど。
何でかっていうと、やっぱり全く知らないビール会社だから、まず普通の一般流通でもね、超苦戦するんですよね。
というのもね、トン屋さんが全く扱ってくれなかったから、ちょっとね、とある事情があって扱ってくれなくなって。
で、その上、夏ね、4月に開業して、夏イベントシーズンにイベント販売すればいいじゃんみたいな気持ちになるかもしれないですけど、イベント販売はね、全く声かからないんですよね。
なぜなら全く知られてないから。
さらに言うと、当時はね、地ビールが全く下火だから、今でいうクラフトビールフェスみたいな、オクトバーフェスみたいな、そういうフェスみたいな、ビアフェスみたいなものがほとんどなかったんですよね。
なくなってったんですよね。だから、呼ばれもせず、売ることもできず、まあとにかくね、大変だったんですよね。
まあ唯一、その中でも森岡のサンサ踊りっていうね、夏のイベントがあるんですけども、森岡のお祭りね。
そこで一箇所、酒屋さんが僕らに声かけてくれて、販売させてくれたと。
それしかなかったんだよね。
結局ね、その後も依頼がなくて、5ヶ月経って、ようやく知り合いの人とやって、今もやっている路上市、森岡の良市っていうのに、9月から入れてもらったんですよね。
例外的に入れてもらったんで、本当にね、まあ苦しかったんですよね。
ところがね、この良市っていうのを始めても、全く売れないの。本当に。全く売れない。
泣かず飛ばずってこういうことなんだなって思ったくらい売れなかったですね。
2年目から、私がその良市っていうイベントを担当するんだけど、毎週土曜日だから、4月の第1土曜日から11月末の第1土曜日までやるんで、
毎週土曜日だから、ここから先10年、12年かな?は良市を担当してたんで、本当に毎週土曜日、土日っていうお休みなかったですね。
イベントもあったっていうのもあるんだけど、土曜日は必ず良市に来たんで。
娘が生まれたのは土曜日だったんだけど、娘が生まれた時も良市に来ましたね。朝病院に行って、妻の出産立ち会って、その後すぐ戻って良市やるっていうね。
そのくらい、とにかく毎週土曜日に行ってたんですね。
私が創業から2年目、2004年からこの路上市を担当して、少しずつ形になっていくんだけれども、最初の打ち手っていうのは、今で言うSDGsなんだけど、おかわり割引だったんですね。
おかわりの度にプラカップを交換してね、この当時ね。とにかくゴミが出ると。
ヘビーユーザーは、ビールって飲むか飲まないかで、飲んだ人はおかわりするんだよね。
おかわりするから、特定の人が特定の銘柄もしくは種類を何回かおかわりするっていうことで、
おかわり割引したらよっぽどゴミ出ないんじゃないかっていう話で、当時ね、1個10数円だったんで。
カップ代がね、仕入れでね。これ10個で100円以上でしょ。100個で千数百円以上。
それ毎週毎週やってたら、すげー経費になってるじゃんってことで、おかわり割引を始めたんですよね。
そしたらリピーターがね、増えてくれて、ゴミは3分の1に減って、経費も下がるってことで、すごいいい循環が生まれたんですよね。
これが最初の僕のイベントの成功体験ってことで、当時はね、これすごいじゃんってすっごいびっくりしたんだけど、
たかたか10円の割引だけどね、かなり僕の中では革命的な割引、成功体験だったっていうところですね。
そんなことをしながらやっていくと、おかわりって基本接触回数が増えるから、そうするとね、接触頻度が増えて、
僕は基本毎週土曜日その場にいるっていうことで、毎週土曜日の同じ時間、同じ場所に立ってるわけですよね。
同じお客さんがおかわりを何度もしてくれて、1年35回あるから土曜日は、4月から11月まで。
35週間、お客さんからすると2、3倍おかわりするんで、100回以上会うんだね、1年間にね。
そうするとね、すごい仲良くなって、その人たちと一緒に飲みに行ったりとかもするようになったんですね。
そういう中で、常連のお客さんから、飲んでる時にね、塚田くんは割引SDGs、プラカップでおかわりをして、ゴミを出さないっていうのもいいんだけど、究極はやっぱりジョッキだよね、みたいな話になってね。
ジョッキクラブの発展
ジョッキかーって、路上でジョッキで飲ませるってどうすりゃいいのよっていう話だったんだけど、
まあでもね、やっぱり飲んだ席での話っていうのは結構アイディアが面白いので出てくるから、これちょっと何とかやってみないかっていう話で、
ジョッキクラブっていうのを始めるのね。路上でマイジョッキでビールを飲むっていう、そういう部活形式みたいな感じでね、ジョッキクラブってのを始めて、
当時はジョッキに名前のシールを貼って、特定のお客さん、特定のあなたのジョッキっていうね、マイジョッキっていうのを作ってあげて、
それを毎回私が100個くらいだけど、持ってきて、「〇〇さん、今日もありがとうございます。今週もありがとうございます。」って言って、
その人が来たら、その人の専用のジョッキを取り出して、ビールを注いで販売するというようなマイジョッキを販売してね、
で、皆さんにはそれで飲んでもらうという、マイジョッキクラブっていうのを始めるんですね。
そしたらね、土曜の昼下がりに、ただビール飲んでるだけでも結構珍しかったんだけど、当時はね、
昼からビール飲むっていうのは全然文化的になかったから。
でも、さらにジョッキで飲むっていうところで、すごい目立つんだよね、視覚的に。
視覚的に目立つから、自然と人が集まってきて、集客効果が抜群だったんだよね。
終わったら、そのジョッキを回収して、会社に持ち帰って、洗浄して、乾燥させて、翌週また持っていくっていう。
これがね、すごい大変だったんだけど、とにかくね、一人で全部これやってたんだよね、僕はね。
で、軽ワゴン車で移動して、ワンオペでやってたんだけど、軽ワゴン車って積載量が350キロだから、
そうすると、この350キロのうち、ビールがだいたい200キロくらい?
200リッター持っていくと、270キロくらいの樽の重量も含めると。
それ以外に、椅子とかテーブルとかテントとか、ジョッキとか、椅子、いろんなものを持って行ってね。
で、やるんだけど、そうするとね、運用の限界が見えてきて、運用はね、上限100かな?みたいな感じになったんですよね、ジョッキのね。
それ以上を、なぜならば詰めないっていうね、そんなことになったんですよね。
で、これはね、ジョッキクラブの上限100になった段階で、物理的に無理ということで、持ち帰りクラブっていうのを始めて、それで拡大を狙ったんだけど、
やっぱりさ、毎ジョッキを家に持って帰って、また持ってくるって大変じゃん。
だから結局ね、そっちはね、そんなに広がらなくて、で、プラカップがまた増え始めたんだよね。
リユースカップ導入の背景
で、人気が出てくるんだけど、人気が出るほどに、周囲の出店者からは、プラカップのゴミが増えるとか、行列が長くて困るとか、結構厳しい声が来て、
そこでね、ゴミ問題を解決しようとして、いっそプラカップやめっかって話になってね、それで全部デポジット製のリユースカップにしたんですよね。
大カップ、中カップ、小カップで。
つまり、1杯目はカップ代プラス中身代で、中身が例えば500円だとして、カップ代が200円、で、700円でビールを販売すると。
で、おかわりは中身代だけで500円で販売すると。
で、最終的にカップを返却すると、カップ代200円返却するという感じですよね。
おかわりを1回する人、例えばビール買って1回おかわりするって人は、最終的にはカップを返すから、3回目また来なきゃいけないということで。
このね、リユースカップへの完全移行はね、ゴミゼロにはなったし、ゴミが出ないからめっちゃ注目されて、商店街から苦情はまずなくなるんですよね。
言えないしね、やっかみも結構あったと思うんだけど、あいつらゴミ出してねーからしょうがねーなって感じ。
ゴミはうちらの店にありませんよ、という話ですね。
ぶっちゃけ痛快だよね。
で、さらに言うと、ゴミは減って、副産物として接触回数が増えるから、アプラカップの返却、リユースカップの返却をするときにもう1回お客さんに会うから、
そのときにまた来週もよろしくお願いしますとか一言かけるわけね。
そうすると単純接触効果が1.5倍から2倍くらいになるわけね。
すると、もちろんファン化が進むわけね。
例えばだけど、今まで500人くらいに販売してたビールが単純に返却でもう1回来るから、1000回ですよね。500人×2で1000回。
おかわりこれ1回していれば1500回接触するということで、僕とか一緒に働いてる人の顔がどんどん売れていくわけ。
さらに言うと、接触回数が増えるからファン化が進むということで、行列ができてね。
さらにまたファンになってくれて人が増える。ファン化が進んでお客さんが増えるということで、今度は行列はすごく長くなっちゃったわね。
今度この行列どうするかっていうと、僕の場合は誘導する人を増やせとかいろんなことを言われたんだけど、
何したかっていうと、行列になる前にビールを早く注いに来るという解決方法で、売上と行列の両方を解決するということを考えて実行するんだよね。
実行したら今度は圧倒的な販売数量になってきて、いろんなアイディアでそれらをクリアしていくと。
そうするとお金と時間と人、全てが潤沢ではないんだけど、とにかくオーソドックスなこうするしかないよねみたいなものを全部、さらにもう一歩先の回というか答えを作るっていう訓練を重ねて、今のヨイチっていうイベント文化につながってると。
ベアレン・ビールのね、そんな文化につながってるということなんですよね。
ファン化と販売戦略の進化
ちょっと長くなりましたけども、まとめなんだけど、僕がこの人生編歴の中のイベントにちょっと今日はフォーカスして話しましたけども、やってきたことっていうのはまずやってみるっていうね。
しょうがないよねをしょうがなくさせないっていうことをとにかく自分に課してやってました。
上司がめちゃくちゃ厳しかったんで、今も厳しいけど、人を従わせるとか、従うとか、そういうことじゃない方向で人間は行動するっていう。
それで行動した人はファンになるっていうことを言われ続けてたんで。
とにかくね、みんなが気持ちよくビールを飲むためにはどうすればいいのか。しかもお金をかけず、人をかけず、時間をかけず、そしてバラエティ豊かにビールを出すみたいな。
無理系じゃんとか思ったけど、何か突破口は必ずあるんだよね。考えれば考えるほどに。
そういったことを今まで僕はやってきて、今に至るんだけど、まとめますとね、皆さんへのシェアになるかどうかわかりませんが、
売れない時期から出発して、今回はプラカップ問題に向き合って、おかわり割引からのジョッキクラブからのビュースカップ完全移行と段階的な打ち手を重ねて、ゴミゼロ、経費削減、ファン化、接触回数増という複合的な成果を作っていくっていう。
そういったことをやってたんですよね。何が言いたいかというと、限られた資源でも、正解なのか不正解なのかわかんないけど、とりあえず全然今までにない界をやってみるっていうその発想、まずやってみる文化っていうものがあれば、前には進むんじゃないかなというふうに考えています。
目的自体の言語化と優先審議の明確化で、最終的にはここまでやれた、次は何をするかっていうふうに考えられるというかね、前に進めるんじゃないのかなっていうふうに思うんですよね。
これがね、僕の社会人編歴の一つの事例なんですけど、これだけじゃないんだけどさ、まずは今日のシェアはちょっと長くなっちゃったんでね、23分かかりましたけれども、そんなこんなでございますということです。
もしも皆さんが森岡に来る機会がありましたら、土曜日ぜひいらしてください。土曜日の15時10分から18時30分まで森岡市在木町というところで、毎週土曜日ですね。
4月から11月まで開催しているこの在木町与一、ここでベアレンビールが飲めます。そして僕が今語ったね、作り上げてきたシステムというか、こういう販売がね、どんな風になっているのかっていうのを実際に見ることができると。
ちょっと異様な光景です。歩いてる人たちがみんなリユースカップかジョッキを持って歩いてビールを飲んでるっていうね、そんな風景に変わってしまったこの在木町の与一をぜひ一度ね、体験していただけたら嬉しいなというふうに思います。
これの中心人物が僕であるということは、僕は間違いないと胸を張っているんですけど、今はね、後輩にやってもらってますけれども、そういった経験を踏まえて私の社会人としての今があるということでございました。
はい、ということで、あまりね、こういうことを言うとね、過去の成功体験に縛られている痛いおっさんみたいになっちゃうからあまり言わないんだけど、今日はね、あえてご紹介させていただきました。
はい、ということで、今日の放送は以上です。長時間お付き合いいただきましてありがとうございます。それではまた明日お会いしましょう。さよなら、バイバイ。
25:06

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