会社を辞めたいと思った経験と踏みとどまる理由
はい、皆さんこんばんは。2026年3月21日土曜日、ツカサです。 この放送は、現役ベンチャー企業の管理職、ツカサが日々の仕事や生活の中での学びや気づき、そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
皆さんこんばんは。 今日もね、元気にやっていきたいと思います。今日はね、三連休の中日ですけれども、最近私が考えていること、悩んでいることを、ちょっとね、この場で少しだけ
ずらざらと話したいなと思っています。 皆さんは会社を辞めたいと思ったことってあります?
まあ一度や二度はあるんじゃないかなって思うんですよね。 私も何度もそういう経験はありますね。
こんなポジティブなことばっかり言っているように見えますが、私もやっぱりそういうのはありまして。
で、その時っていうのは、私もね、皆さんにもね、お聞きしたいんですけど、どんな時に
会社を辞めたいという気持ちになって、そしてどんな時に
その気持ちが踏みとどまれるような方に戻ってこれるのかというのなんですよね。
というのも、
モチベートしている内発的な動機自体が 崩れ去るものは
何なんだろうなと、どんな時なんだろうなと、やっぱり大事なものが
少し欠けていく瞬間なのかなとか思うんですね。
私の場合はですね、
以前、この放送でも言ったかもしれないですけれども、やっぱり自分よりも年上の、
つまり経営者の人から 自分が考えていることとか、いろんなことを否定されたりとかね、
何というか理不尽な思いをしたりとか、そういった時には
やってられっかよ、みたいな気持ちになることはありましたよね。
で、この話はね、何が言いたいかというとね、
どちらかというと、なぜ踏みとどまるのかっていうところだと思うんですよね。
年度末、すごく思うんだけども、辞める人っているんですね。
会社、うちの会社だけじゃなく、他の会社もそうだと思うんだけれども、年度末の区切りで何か
続ける理由がなくなるのか、 辞める理由ができたのか、
どちらものかっていうのはあると思うんですけども、
転職され方が、どうだろうな、
1年通じると多いような気がします。
で、とどまる方ですよね。 なぜ自分はとどまるのかっていうことを考えて
言語化したことがあるのかなと思うとね、私は
それまで自分がやってきたことに対する積み重ねてきたことと、
もう一つは、仲間がいるっていうことですね。
彼ら、彼女たちを前にして、
自分がモチベートできていないこと、そして退職したいとかっていう気持ちが浮かんでたときに、
その理由なんですかって、これからこういう理由です、そうなんです、みたいなことを
部下の前で言えるのかっていうことですね。胸を張って、だから私はこの会社を辞めるんですっていう風に言えるのかっていうと、
僕はちょっと言えないなと、むしろ本当に自分はそれでいいのかっていうようなことを
また突き返されるような、そんな体験を何度もしていて、だから私は続いているっていうところなんですよね。
「社畜」と呼ばれて感じたこと
だけどね、今回すごく思っているのは何かというとね、
とある同僚からね、
司さんは社畜みたいなもんですねっていうふうに言われたんですね。
で、社畜かぁと、
俺は社畜なのかなっていうふうに思いまして、
そんなことをね、思ってね、ちょっと調べるとね、社畜って会社に飼い慣らされた家畜のように、
自分の生活や健康を犠牲にして盲目的に働く会社員をやゆ、または辞聴する言葉ですということなんですよね。
まあね、そんなふうに言われて思ったのはね、
なんかやるせない。本音としては。
なぜ、こういう人もいる中で、
俺なんでこんなに踏みとどまっているんだろうかっていうね、
寄りどころがなくなってきてしまったような、そんな気持ちになったんですよね。
皆さんはもし、
身内同僚、そうだな、
同じくらいの役職の同僚に、
あなたは社畜ですよねっていうふうに言われたら、どんな気持ちになりますかね。
私はね、悲しいというか、
詐欺すまれた気持ちになるというか、
とってもね、
辛い気持ちになりましたね。
危なく折れそうでしたね、心がね。
「社畜」という言葉の定義と管理職の責任
で、改めて社畜っていう言葉に対して自分で考えるんですね。
会社の中で一生懸命頑張っている人間をそのように表現するならば、
みんながみんな社畜じゃねえかっていう話になっちゃうんだけど、
社畜と社畜じゃない社員の違いは何なのかっていう話になるんだけど、
そこには自分の意思決定があるかないかっていうことになると思うんですよね。
たらし渇いているとかね、
言い慣れになっているとか、
傀儡だとか、
そういったものは社畜というのかもしれないですよね。
傀儡されているっていう意味ではね。
もしそうだとするならば、
ずいぶんひどい詐欺すみの言葉だなというふうには思うんだけれども、
管理職がこの言葉を使ってはいけないんじゃないかなと思いますけどもね。
いけないということはなぜいけないのかっていうと、
それを生み出す立場の人間ではないから、
自らの意思決定で納得感を持って仕事を進められるような、
そういう部下や同僚を広く生きろめていくと。
仲間を増やしていく。
いいからやれみたいなことを言って、
やらせるような、もしくはやらされていることを当たり前と思うような人を一人でも減らす。
そういう立場の人間が、
マネジメントをする人間がですね、
社畜っていう言葉を使ったら、
その時点で自分自身の能力や努力、
あとは仕事自体を放棄しているような、
そんな気になるんですよね。
だから私は社畜っていうことは一度も使ったことがないし、
言われたらそれは悲しくもなるんだけれども。
ということでね、取り留めもない話になりましたけれども、
今日はね、そんな最近思っていること、
悲しくなったことですね。
そして自分が改めてこの言葉に対して、
どういう意味付けを持って認識しているのか、
ということをちょっと整理しようかなというふうに思って、
今回シェアさせていただきました。
皆さんの周りにも、
安易にこの社畜という言葉を使っている方が、
もしいらっしゃるとするならば、
そこにどんなシーンがあるとか、
またはもし自分が使ったことがあるとするならば、
どんな意味付けで使っていたのか、
いろんな人がいろんな解釈をする、
そういった言葉だと思うんですね、この言葉は。
だけれども、僕らが使うときには、
この言葉の一番ネガティブな部分が、
どんなふうに相手の解釈として頭の中に入っていくのか、
それを想定して、
この言葉、社畜という言葉を認識しなければいけないんじゃないかなと思います。
それが認識されているのであれば、
自らの口で言う言葉ではないんじゃないかと思うわけですね。
そんなところを感じたという話ですね。
ということで、今日の放送は以上です。
この放送が皆さんの何か考えるきっかけになって、
前向きになれる気持ちになれたら嬉しいです。
それではまた皆さん、明日お会いしましょう。さよなら。バイバイ。