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はい、皆さんおはようございます。
2024年6月20日、木曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職、ツカサが、日々の仕事や生活の中での学びや気づきをシェアする番組です。
皆さんおはようございます。
今日は木曜日ですね。
明日会社に行けばもうお休みということで、どうですか、調子は?
これからまたさらに頑張れるんじゃないですか、休みが近いと。
さてね、今日お話ししたい事は、選択肢を失った子供がどうなるのかという話をしたいと思います。
この話はね、実は僕の話なんです。
僕の体験を元に、子供と親の関わり方、もしくは孫との関わり方、そういったシェアができたらいいなという風に思います。
もしかしたら、部下との関わり方にもつながるかもしれません。
僕はですね、3人兄弟なんですけれども、その中の真ん中でして、上には姉、そして下に弟がいるんですね。
そして、僕の家はですね、おじいちゃんとおばあちゃんの間に子供ができなくて、幼女としてですね、母親が迎えられて、そこにお父さんが無子に入って、僕が長男として生まれてるんですね。
なので、初めての3代目にしての直系の後継者みたいな感じです。
家は農家でして、実家はですね、それでお米の農家なんです。
おじいちゃんは戦争を経験しているんですけれども、非常に貧しい時代を経験していて、でもですね、なかなかの野心家でして、戦争から帰ってきてから土地をですね、借りて農業を始めて、
やみごめで財産を成して、土地をさらに買い増しして、ちょっと大きめの農家になった人なんですね。
なので、すごい苦しい時代を乗り越えて、厳しい戦争体験をして、そして103歳まで生きた人でした。
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それでね、この話、おじいちゃんの話から僕へのメッセージのストーリーということになるんですけれども、
おじいちゃんはね、すごく孫たちをかわいがってくれたんですよね。
農業もなかなか忙しい仕事なんですけれども、
そんな中、両親が共働きでしたので、お姉ちゃんは年が離れていたから、僕と弟のことをすごくかわいがってくれました。
僕に対してはですね、初めての直系の子どもということで、農業をついでほしいということを小さい頃から強く言ってましたね。
だから、自分がなんとか広げてきた土地、ここにはこういう土地があってとか、ここの田んぼはこうこうでとか、そういったのを見せてもらってくれたんです。
でもね、それが小学校3年生ぐらいまで続いたんですけれども、
その時に僕はですね、周りの家庭が気になるようになり始めまして、土日休みでね、サラリーマン家庭だとね、
それで家族でどこかに旅行に行ったりとか、遊びに行ったりとか、映画に行ったりとか、そういう話を友達から聞くんですけど、
僕の家は実家が農家、両親が共働きだから、土日はね、みんなで農業を手伝うんですよね。
だからどこかに遊びに行ったっていう経験はほとんどないんですね。
だから、おじいちゃんからいろんなことを言われたんですけども、本当に心の底から農業だけはやりたくないっていうふうに思ってました。
だからね、毎朝神様にご飯とお水とかあげて、毎朝拝んで、その後ご先祖様を拝むというかね、そういうことをする家なんですけども、
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神棚に、毎朝みんな拝んでからご飯を食べるんだけど、神棚を拝むときに、もう本当に毎日心の底から農業だけはやりたくないってずっと願ってましたね。
おじいちゃんには本当に申し訳ないけれども、農業だけはやりたくないってずっと思ってました。
だから神様にお願いしたのって、多分それしかないと思うんですよね。小さい頃から。
大人になってから神頼みっていうのはほとんどないですけども、神様に願い事をする時っていうのは、いつもそれが頭をよぎるくらい本当に願ってました。
この話ね、何を伝えたいのかというとですね、選択肢を奪われた時の子供の心理なんですけども、もう逃げられなくなっちゃう。
逃げられなくなって選択肢がないってなると、もう親にも言えないし、友達にも言えないし、もうね、やるかやらないかっていう二択になっちゃうんですよね。
やりたくないってなると、やらないっていう選択肢になるじゃないですか。そうすると、だんだんとね、そこにいていいのかなとか、とても辛い気持ちに子供ながらになっていくんですよね。
自由であるということが必要だとは思いませんけども、選択肢があるということはとても重要なことだと思っています。
なぜならば、自分で決断するっていう選択肢があるからです。
選択肢がないと自分で決断する能力、もしくはそういった経験が奪われるわけですから、自分で選択するための考え方が、考えるチャンスがなくなるんで、将来ですね、すごく苦労するんですよね。
こういった経験は、おそらく小学校だけではなくて、皆さんの中にも、例えば大学を卒業するときとか、あとは社会人になってから上司から指示をされたときとか、あるんじゃないのかなというふうに思います。
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例えばですが、「〇〇くん、これをやりなさい。」って指示を出されたときに、「なんでですか?」って聞きたくなると思うんですよね。
聞いた人もいると思うんです。
そのときに、理由を説明してくれる上司だったらまだいいですけども、
それは仕事だからとか、あとはやるしかないんだからやれよ、みたいなことを言われてしまうと、まず理解ができなかったときに、もう考える余地がない。
そして、やるときにいくつかの選択肢がなければ、選択する思考もない。
仮にそれしかやれなかったとしても、なぜこの選択肢を会社が決断して、僕らがそれに取り組まなければいけないのかということを知ってるか知らないかだけでもずいぶん違うと思います。
今回のシェアっていうのは、選択肢があるかないか、もしくはその人が選べるか選べないかという立場に立てるかどうかによって、
その人の思考回路や、あとは決定する能力というものが大きく将来変わってくるということです。
どうでしょうか、みんなの周りにもそういうの、心当たりないでしょうかね。
ちなみにですね、僕はその後、小学校から中学校に上がるときに、反抗期にもなりましたから、親やおじいちゃんおばあちゃんにも絶対に農業だけはやりたくないというふうに抗言してましたね。
そのあたりがとても理屈っぽくなって、家族や周りにあまり良い印象を与えなかった時もあったんじゃないのかなと思います。
昔から少しだけ無駄な正義感というかね、そういった部分もあって、その正しさとその理屈っぽさを押し通したい気持ちと相まって、少し偏った中学校時代だったんじゃないのかなというふうに振り返って思うんですよね。
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これは社会人になっても、子どもに対してもそうだと思うんですけれども、正しいだけを押し通そうとすると、ものすごく苦しくなると思います。
その人に選択肢を与えるか与えないか、仮に与えて間違えそうになったとしても、誘導というかね、導くだけの選択肢、良い方向に導くだけの説明、そういったものは用意できるかできないかということにね、
決定をするというかね、何かを決める能力をつけることができるかできないか、あとは小さな成功体験を詰めるか詰めないかということにもつながってくるんじゃないのかなというふうに僕は思っています。
今、おじいちゃんが亡くなってから、もうすでに何年だろう、10年以上経ちますけれども、今思うのは、あの時おじいちゃんは本当についてくれというふうに100%思っていたのかなということが思うんですよね。
僕が大人になってから思うことなんですけれどもね。
この次の話にもつながるかもしれないんですけれども、誰かに何かを継がせたいということはとても大事な問題で、おそらく会社の接種問題とか、あとは農業の後継者問題というところに、
つながる共通の考え方、共通の課題なんじゃないのかなというふうに思いますので、次かまたその次かわかりませんけれども、この話はまた別の機会にまとめてしたいなというふうに思います。
ちょっと真面目な話になりすぎちゃって、今日も長くなっちゃって、15分ぐらいになっちゃったんですけどね。
この話が少しでも皆さんの役に立てたら嬉しいなというふうに思います。
ということで、今日も岩手県森岡は非常に晴れ渡っていて、暑い一日になる予定です。
31度かな。
最高の一日を過ごして、夜にはたくさんビールを飲んで豊かな人生を送れるようにね。
ビールを飲むことが豊かかどうかっていうのはイコールじゃないんだけどね。
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皆さんにそういった一日が訪れて振り返った時に最高の目標になったと思えるように願っています。
それではまたみなさんさよなら、バイバイ。
ごめんなさい、失礼しました。
アフタートークということで今回は少しだけ。
今回もね、いいねコメントいただいています。
畑さんはね、コメントいただきました。
ごめんなさい、ややこしいタイトルで大変失礼しました。
これも気づきになります。
僕ね、ビール会社に勤めてるんでね、思わずおつまみの方に見えちゃったんじゃないかなと思いますけれども、
少しタイトルも考えたいなと思いますね。今後は参考にさせていただきます。
ありがとうございました。それではまた、さよなら。