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はい、みなさんこんにちは。2025年6月21日土曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職、ツカサが日々の仕事や生活の中での学びや気づき、そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
みなさんこんにちは。
今日も週末のね、暑い1日ですけども、いかがお過ごしでしょうか。
サービス業の方で外の方はね、本当に熱中症に気をつけなきゃいけないですよね。
今日シェアしたい話っていうのは、熱中症対策にまつわる書類が届いたわけですね。
私がいる会社に。その書類にまつわる話をちょっとしたいんですね。
これ何かっていうと、まあ今年の6月1日から、熱中症対策の義務化、なんだっけな、対策するのが義務化じゃない、対策したものを職場に掲示するっていうことが義務化されたわけね。
要するに、誰かが例えば熱中症で倒れちゃわないように手順書を作りなさいと。
1時間に1回水分補給をするようにしますとか、責任者○○ですとか、もし仮に倒れたらこの時はこういうふうに行動して、それでも反応しなければ救急車呼びますとか、そういう何かあった時のマニュアルを貼りなさいって話なわけ。
これを責任者とともに、責任者の名前とあとは連絡先、そして病院の名前と病院の連絡先を明記して貼らなきゃいけないってわけね。
これが6月1日から義務化されてたんだけど、ちょっと僕ね、全然知らなくて恥ずかしながら。
この書類自体は総務部っていうところに入ってきて、総務経由で安全衛生委員会っていうのがあって、そこに行くわけね。
会社自体は大した大きい会社じゃないから、この組織の流れもしょうがないんだけど、だんだん会社が大きくなってくれば。
だけどどうなんだろうかっていうこともあるんだけど、ちょっとそれは一旦置いといてね。
そういう名前で情報が実は行っててね、社内に通達されてるんだけど、部門長の私には全くないわけね。
まずそれに一点ね、どうなんだと思うことはあったわけ。
なぜならば6月1日から義務化されてるのに、昨日の段階で私は知らなかったのね。
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知らなかったおじさんになりたくないから、いるじゃない、会社で。
別に批判するわけじゃないけど、聞いてないんだけどみたいな感じになっちゃうのも嫌だし、聞けるような仕組みというかね、
そういう情報取りに行くことも必要だなとか思うから、あまりそういうこと言いたくないんで。
なんでこれ着てないんだろうと思うわけですよね。
で、なんで俺には着てないんだっていうことに気がついたかっていうと、部下から、野外のイベントの担当者からね、
そこのイベントの場所にね、同じような通達の紙が着てたわけですよね。
罰則がありますよと、義務化に伴って罰則がありますみたいな紙が着てるけど、
うち作られてないですよねっていうふうに私に連絡が来たんですよね。
で、その部下も、イベント担当の部下も、私も知らなかったんだけど、
知らないから聞いたら、総務部というところにはもう書類がきてると。
安全衛生委員会にも話し合ってると。
で、6月1日から義務化されていて、昨日は6月20日なんだけど、現場ではそれがまだなされてないという話で、
早くやんなきゃダメなんじゃないですかって話をね、私が言うわけですよね。
だけど、担当部署はどこどこだからとか、そこに責任を持ってやってもらってるんで、私はその連絡を待ってますんでとか、
担当部署の方、部署というかね、委員の方では委員の方で検討はしてるようだけど、まだ決まってないようだとかみたいなことを。
誰が責任を持ってどう動いてるんだみたいなことが、全部曖昧だったのね。
これってさ、どうなのって思っちゃったのね。それで。
モヤモヤすんな、これって思って。
だけどさ、いつも思うんだけど、僕はさ、現場の実行部隊をずっとやってたわけね。
誰かがやらなきゃいけないわけ。誰かが責任を取らなきゃいけないっていうことが目の前で常に進んでるわけね。
まったなしの状態で、どうする、ああする、私じゃない、俺じゃない、みたいなことになってると、ふざけんなって思っちゃう。
これでもし誰かが倒れちゃったらどうすんだって話。とりあえずいいから作って貼っとけばいいじゃんって。義務化になってんだし。
そんなこんなで、僕はね、こんな言い方はしませんけどね。
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いやいやもう、叩き合いでも作っちゃって、もう現場貼りますねって義務化されてるし、罰則ありますから。
ご存知の通り、各担当、僕は知らなかったけれども、他の方々がご存知の通り罰則あるっていうことになってますから、
私はそれを知ったんで、もう進めますねって話でね、進めて貼りますと。
責任者は私の名前にしててくださいと。何かあったら私が責任取りますからということをね、貼ってね。
現場の方には水分補給ちゃんとやれよと。倒れそうになった奴がいたら休ませろよって話をしてね。
病院は一番近くの病院の電話番号を書いておいて、119番ちゃんとやれよと。
もし万が一なんかあればね、その前に俺に連絡しろよって話をするわけですよ。
で、まあね、この話、何が言いたいかっていう話なんですけど、
この話で私がいつもこういうモヤモヤすることがいっぱいあるのよ、組織って。
だいたいモヤモヤするときって、責任の所在がモヤモヤしてるのね。
いや、これは俺だからと。何かあったら俺責任取っからって人っていないんだよね、そういうときって。
めんどくさいことに限って誰も責任取らないから、めんどくさいことはやりたがらないわけよ。
だけど成果は欲しいって奴がいっぱいいるんだよね、この大人の社会の中にはさ。
で、大意外にそういうとこに俺刺さってて、取り仕切ったりなんかするんだけど、成果は誰かが持っていくってことをされてるとね、
いや、ふざけんなよって思っちゃったりするんだよね。
分かってる人は分かってる、見てる人は見てくれてるんだけど、
だけどさ、一番困るの現場だから、まず走り出しのときって、誰かがちゃんと責任を持って進めてくれよと。
困るのは俺たちじゃんっていうかね、巡り巡って組織だから困るのはっていう話なんだよね。
そういうことを思いながら、今回ちょっと冷静になって考えますと、
社会学者の方が言っておりました話をふと思い出したんですね。
それは何かっていうと、日本はやっぱり責任と成果を曖昧にする文化だっていうわけね。
責任と成果を曖昧にするっていうのはどういうことかっていうと、
誰かが成果を出したら、誰か一人のものじゃなくて、俺たち頑張ったよねっていうふうになると。
誰かが責任を取らなきゃならなくて、頭を下げたとしても、いやいやあなただけのせいじゃないよというふうになると。
ちょっと村境みたいな感じなんだけど、だけどそういう価値観が日本の組織の中にはあるということなのね。
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これ一方でね、そうじゃない社会もあるわけ。
根底にはこういう価値観が流れているかもしれないけれども、
でも一方では、個人名とかは別に言うつもりはないし、どんな人とかっていうこともないんだけど、
立場や人の性格によっては、この成果は俺のものと。
お前らちゃんとやれみたいな、そういうリーダーシップを取る人もいるわけですね。
そういう人は絶対間違い認めないわけよ。
だって責任の所在がはっきりしちゃうから。
それを押し付けちゃったりするわけね。
こういう責任と成果をはっきりさせていくような社会が、社会の方に振られていくと、
責任を取りたくない奴らばっかりだから、基本責任を認めないんだよね。
責任を取りたくないから認めない。
非を認めない。
そういう組織に偏っていくっていうね。
その代わり成果があれば、それ俺んだっていう話になるわけね。
そういうリーダーシップを取ってる人ね。
そういうリーダーがトップにいる組織っていうのは、成果独り占め主義だからさ、
同じような部下ができていくわけよ。
同じような部下ができるんだけど、
同じような部下は当然ながら成果独り占め主義なんだけど、
責任を認めたくないから、責任を取りたくないわけ。
責任を取りたくないから曖昧になっていくんだよね。
謝らない。曖昧になる。
誰も責任を負いたくないみたいな感じで、どんどん耐え回しにしていくと。
悪いところばっかりを、悪いところというかね、
むしろいいところなのかもしれないけど、その人にとってはね、
成果は取るが責任は取らないみたいな感じになるんだよね。
そんな組織になり始めたら、俺は腐り始めてると思ってて、
そういう人を許しちゃいけないっていうか、
あんまり評価されないようにしないと、
だんだんモチベーションが下がっていくと思うんですよね。
だからね、話は戻りますけれどもね、
さっきの熱中症対策の施策を誰がやって、誰が責任を取るんだっていう問題に関して言えばね、
どんな会社でもどんな組織でも同じようなことっていっぱいあると思うんだけど、
まず、やろうぜってちゃんと言える人がいないとダメよってことね。
第一情報を持った人間がよ、それは。
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第一情報を取った人間がそれ言わなきゃダメって話だよね。
で、その人が振らなきゃダメよ。
あなたの責任でやってくださいなのか、私の責任でやりますからなのかさ。
できないなら、できるやつに仕事振ってくれって話。
俺にやらせろって話。
そのぐらいだったらさ、どうせやらなきゃいけないんだから、
そのぐらいだったら私責任取りますからって。
本当に、俺の首でよければ差し出しますって話だわけね。
この程度のことでさ。
なんてことを思った週末だったんだけど、
このね、誰がやるんですか問題っていうのは、
皆さんどうお考えですか?本当に。
私はそんな風に思う。
責任の素材を曖昧にして成果も曖昧にするのか、
責任の素材をはっきりさせて成果もはっきりさせるのか。
で、僕は責任の素材を曖昧にして成果も曖昧にするっていう、
そもそもそういった文化が流れてるわけだから、
その中においては、
はっきりと、これは俺の責任でやろうぜ、
という風にやる人間がいて、
その人間は何かの過ちがあったときには、
ごめんごめん、間違ったって言える人間であるということ。
そういう人間をリーダーに立てていった組織は
必ず強くなるんだろうなって僕は思うんですよね。
なぜならば根底には優しさがあるからね。
謝る組織のリーダーに対して、
そうだ、お前のせいだとは多分言わないと思うんだよね。
いや、あなただけじゃないからって言って、
もっと前を向いて頑張りましょうってなると思う。
じゃあ頑張ろうぜって言って。
そういうリーダーは成果があっても、
いや、俺一人の成果じゃないから、お前らの成果だからって言って、
そうじゃないですよみたいな感じになるわけだよね。
そう信じてる。
だから僕は、
組織のリーダーっていうのは謝れる人間であり、
かつ、決める人間であると思うんだよね。
ちょっと熱くなりましたけどもね。
こういうことで僕は熱くなっちゃうから、
向かないって言われるのかもしれないね。
リーダーとして向いてないのかもしれない。
別に感情的になってるわけじゃないんだけどね。
単純に感情的になってないんだけど、
たまに言われちゃうの。
こういう熱いから。
熱くなってるのと感情的になってるのは違うんだよね。
だけど、僕が熱くなって語ると、
感情的になってると思われて、
それを指摘されるのがまた俺は釈然としないっていうね。
いう人間なんだけどさ。
このラジオは、
今日はね、昨日の今日だったんで、
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その熱量が冷めないんで、
そのままにお話をさせていただきました。
はい、ということで、
今日の放送は以上です。
週末の放送でちょっと長くなりましたけれども、
皆さんはどうお考えでしょうかね。
責任とか、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
責任と成果。
なんかね、そんなことを考えるとね、
何が正解で何が正解じゃないのか
よくわかりませんけれどもね。
ただ俺は、
うん。
俺が責任を取るから、
お前ら、まずはやってみろっていうような
リーダーについていきたい。
うん。
だから僕はそういうリーダーになろうと思う。
うーん。
自分のリーダーがそうであるかどうかをベストして。
でも俺はそうなるって思っています 慣れるかどうかは周りが決めることだけどね
リーダーにするかどうかはね周りが決めることだけどね はいということで今日の放送は以上です
この放送が皆さんの役に立てたら嬉しいなというふうに思っています はいということで
それではまた皆さん明日お会いしましょう さよならバイバーイ