日常生活におけるコミュニケーション
はい、皆さんこんばんは。
2025年11月4日、火曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職、ツカサが、日々の仕事や生活の中での学びや気づき、
そして、リールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
皆さん、こんばんは。
えーと、今日はね、連休明けということで、皆さんお仕事、大変だったんじゃないですかね。
私もね、インフルエンザ中ですけれども、自宅からリモートで既に仕事再開ということで、
もうね、今ね、出なくても仕事できちゃうからね。
とりあえずね、5連休とかないから、管理職にはね。
ということで、普通に仕事をしておりましたということですね。
さて、今日のシェアは、やっぱり行動は言葉を介して伝えるべきというようなシェアをしたいんですよね。
これ何かというとね、僕の今朝の話をシェアしたいんですよね。
毎朝私、朝ごはん作ってるんですね。
ここ1ヶ月ぐらいなんですけれども、朝ごはんを作って、家族の分ですね。
で、食卓と並べるんだけど、私が今インフルエンザなんで、
同じ食卓でご飯を食べるのを不快に思うわけですね、妻がね。
で、私はもうちょっと、今更かなと思いつつも、じゃあ離れて食べますよということで、
食器を持って10メートルくらい離れてるところでご飯を、同じ空間ですけどね、ご飯を食べるということをやっているんですね。
で、これって、誰が不快に思うのかって話なんだけど、
一緒にご飯をその場で食べることを不快に思うっていう人もいれば、
僕からすれば、もはやそんな飯食ってる時に飛沫なんか飛ばないからっていう話で、
コロナの時に散々やった話だから、そういうことを言われること自体が不快っちゃ不快だったんだけど、
まあでもね、この議論は擦り倒されてる議論なんだけど、改めていいやと思って、
普通にこの食器を持って別の場所に移動してね、もくもくと食べてるわけですね。
で、今朝ですね、私がその食器を持って移動しようかなと思った時に、
お盆にね、食器を乗せてるわけですよね、妻がね。
で、それを見た私は、高々10メートル移動するのに、わざわざ食器をお盆に乗せてね、
これどういうことなのっていう話をしたんですよね。
食器持って移動しやすいようにしてるんだけどっていうことを妻から言われるわけです。
で、私からすれば、高々2、3メートル、10メートルもないけど、
そのぐらいの距離を1往復するぐらい何のことはないんで、
わざわざトレイに乗せてね、準備されてしまうと、
もっと遠くに行けっていうことかっていうような解釈をしてしまうわけですね。
で、そういうことを伝えると、今度は妻のほうから、
わざわざトレイに乗せてあげたのに、というようなことを言われるわけですね。
もうね、全く話が噛み合わないんですね。
で、このことからせやしない話っていうのは何かっていうと、
親切心でやってることを親切として受け止められないような、
関係性において、やっぱりその行動の意味をきちんと伝えないと、
やればわかるだろうっていうのは、僕はね、高度なコミュニケーションだと思うんですよね。
エピソードの共有と考察
ましてや、仮に同じ1つ屋根の下で過ごしていて、この状況ですから、
一般的に会社においても、こんなことは日常茶飯事で、
自分がよかれと思ってやっていることが、もしかすると、
相手にとっては不快に思うような行動になっていたりもするかもしれないということはあるんじゃないかなと。
特に、村社会みたいな環境になっている、
最小単位の組織は家庭だと思うんだけど、家庭とか、または中小企業とかにおいては、
より一層その色が濃く出るということだと思うんですね。
なので、言葉が必要だと。
例えばですよ、京都出身の人がいて、早期逆さまに吊るされていたら、不快に思うわけですよね。
帰れってことかよ、みたいな。確かこういう意味だよね。早期逆さまに吊るすって違った結果とかね。
あとは、何かトイレじゃないけど、どこか話ししているときに、話が一段落したときに、
出口はそちらですよ、みたいなことを言えば、
例えばこの発言というのは、アメリカ文化圏の人、アメリカというかヨーロッパではどこでもそうかもしれない。
日本語でもそうかもしれないけど、出口はそちらですよって伝えたら、早く出てけっていう意味だしね。
そういう空中戦みたいになってくるんだよね。文化圏が違うとね。
文化が違うと、行動とか、あとはやっていることの意味がまた出てきちゃうから、
いちいちやっぱりそれは教えた方がいいと思うんですよね。
わかっているだろうという前提のもとに行動するっていうのは、やっぱりすごく不愉快に思う人も中にはいると思うんで、
説明が必要なのかなというふうには僕は思っております。
こういうことは皆さんもあるんじゃないかなって思うんですよね。
突然相手が腹を立てたとか、聞いたらたわいもないことだったみたいな。誤解ってやつですよね。
だけど誤解によって不愉快になることもありますけれども、話してその関係性が修復するのであれば、
それはいい関係性が作れているってことだと思うんだよね。
反対に、誤解だと思っていて話してもやっぱり関係性が修復しないっていうのは、
それはやっぱり悪い関係性というか、やっぱりこいつそういうやつなんだって思えるっていうことだと思うんですよね。
その辺は伝えて相手が素直に聞き入れられるかどうか、もしくは自分自身がですよ。
相手から指摘されたときに、ああそうなんだねって素直に聞き入れられるかどうかっていう、
そういう最終的には人の素直さっていうところがコミュニケーションにおいては非常に大事なのかなって思うので、
話をまとめると素直になろうねっていうことだと思うんですよね。
ちなみにですね、今朝のこのエピソードについては、
トレイに、トレイというかお盆に食事を持って、私は結局少し離れたところでご飯を食べて、
またトレイの下に帰ってくるっていうね、高々10メートル、10歩くらいの距離をね、そういうことをやったっていうことなんだけど、
これ皆さんだったらどういうふうに感じますかね。
僕はね、親切とは受け取れなかったですね。
これをね、人によっては心が小さいとか狭いとかいうふうに表現されるのかもしれませんけれども、
こういうときの自分自身への対処法としては、
達人モードに自分をスイッチ入れて、
そういうこともあるよね、ありがとうございますという、話す言葉はありがとうございますという感謝で、
心の中ではそういうこともあるわなというふうに受け止めていくというのがとても大事なのかなというふうに改めて思いました。
はい、ということで今日の放送は以上です。
この放送が皆さんのお役に立てたら嬉しいです。
はい、それではまた皆さん、明日お会いしましょう。さようなら、バイバイ。