記事の分かりにくさ
今朝、新聞見たら、一面にちょっと気になるタイトルがあったんで、見ちゃいました。
ただね、読まないと、よくわかんないんですよ。読み返しちゃいました。
この疲れ、どっから来るんでしょう?
思考は完成させなくていい。
TheThinkingTrack~気になったテーマを深掘り
改めまして、今回のテーマは、読めば分かる、が一番疲れる―
読者の時間を奪う記事の正体、ということで
朝見た一面の記事、新聞記事の分かりにくさについて
話を進めてみたいと思います。
どういうことかっていうとですね
タイトル的には、とても大きな数字が載っていて、気になったんですね。
およよよよよ。でもね、よくよく読むと、見出しから読み始めたんですけども
集合がないんですよ。集合が。
その数字、日本の話、国内の話なのか、世界全体の話なのかも分からない。
もっと言うと、全体の傾向を語っているのか、個別の何かを語っているのかも分からないんですよ。
で、ずーっと読んでいって、読み返して、やっと分かりました。
特定の一つの投資信託の残高の話だったんですよ。
最初からその個別名称を出して、それがそうなったっていう話を書いてくれるんですけど、そう書いてない。
冒頭にあえて名前を出してないんです。
これ偶然でしょうか。
それとも読ませるための設計でしょうか。
それとも、特定の個別のものを一面のトップに取り上げるまででもないという選択なんでしょうか。
いやね、もちろんね、よーく読めば分かるんですよ。
確かに分かる。
でもね、分かるまでに疲れちゃった。
へぇーって。
なんでこんな頑張って読み解かないといけないんだろう。
なんか、この記事そもそも読解力を前提にした設計をされているわけなんですよ。
で、思いました。
あのさ、分かるってことと、すぐ分かるってことは別物ですよね。
え?そう思いません?
でも一方で、やっぱ若い時、新聞読んでそんなこと感じなかったんです、私。
自分が変わっちゃったのかしら。
ああ、年取って老化してね。
老眼になって、眼鏡かけないと見えなくなったし。
集中力とか、読み解く能力、体力が低下する。
同じ脳を使うんでも、時間をかけないと処理できない的な。
そんな風に自分が退化しているのかもしれません。
メディアの役割
若い人は同じことを思わないかもしれないですね。
でもさ、でもですよ。
新聞のカツ字の大きさって、それでも私は読めませんけども、
昔に比べたらだいぶ大きくなりましたよね。
読みやすくなった。
視力が落ちた人でも読みやすい。
それって甘やかしい、甘えなんでしょうか。
でもそうでもないですよね。
進化。今どの新聞も文字大きいじゃないですか。
で、あるとするならば、文字が昔より大きくなった、新聞読みやすくなった。
それについてと読解力も同じではないでしょうか。
読み手が読むリテラシーが高くないといけない記事じゃなくて、
読み手のリテラシー問わず読みやすい記事になってもいいんじゃないでしょうか。
なんて思ったわけですよ。
ものすごいだって、インターネットもあるし、
テレビだけじゃなくて、新聞だけじゃなくて、
情報量、世の中爆発的に増えてますよね。
一方で、我々の箇所分時間って減ってません?
やること多くて。
もう察して読めとかっていうのは、もう贅沢な時間の使い方で、
察する余裕がないわけですよ、我々。
つまり、分かりやすく記事を作ってもらうってことは、
我々独占への配慮であり、出版社側から見れば、発信側から見れば、
編集力を問われているのではないかと。
簡単なことと浅いことって別にイコールじゃないです。
難しいことを分かりやすくっていうのが私の理想。
分かりやすいってことは、知性が低いわけじゃないんですよ。
知性が低い人は、分かりやすいことを分かりにくいわけですよ。
話戻しますと、なんで個別の名前を最初に出さなかったのか。
一般論に見せたかったんですかね。
個別の名柄をフューチャーしたくなかったんでしょうか。
あるいはミスリードさせて関心を引きたかったのでしょうか。
釣りですよね、釣り。釣り乱し。
あるいは特定の商品だと読まれないから、
最後まで読んでもらいたいから、最初出さずに小出しにしていく。
作戦だったんでしょうか。
何かしらの意図を感じずにはいられません。
でもさ、それって我々読者の時間を使って気づかせるような設計って、
もうそれって情報提供じゃなくて誘導?
誘導ですよ、誘導。
もっと客観的に、ただ発信してほしい。
特に新聞には。
色を付けないでほしい、なんて私は思います。
そもそものカツジ離れが最近語られていますけれども、
その話をしたいんですが、
別に私はカツジを嫌っているわけではないです。
ただ疲れるのはやっぱり避けたい。
つまりは疲れるカツジからは離れたい。
皆さんもそうなんじゃないでしょうか。
結論としてはですね、読者の時間と頭脳、過剰に消費する記事。
それだけでもうその記事って、記事そのものの価値既存してないか。
記事の価値を下げてないか。
分かりにくい記事って価値ありますかね。
逆に分かりやすいってことは、時代へ迎合しているわけではなくて、
我々読者に対する誠実さなのではないでしょうか。
我々が読者が読み解けることと伝わることって別の能力。
カツジ離れって言ってしまえばそれまでなんですが、
配慮離れですよ。
配慮がないから、配慮がないカツジからは皆さんが離れていってしまう。
これからマスメディアはやっぱり我々の時間を尊重する。
我々の時間を尊重して我々のタイパーを上げてくれるメディアが選ばれていく世の中になっていくのではないでしょうか。
はい、それでは今回はこの辺りで。
最後にお断りです。
この配信は身の回りでセイラー爺が感じたことを基に、
ネットやAIなどから得た情報も参考に構成しています。
正確性についての保証はいたしかねますので、くれぐれもご自身で最終判断をしてください。
うだがわ式情報やお気づきの点がございましたら、お知らせいただけると大変助かります。
The Thinking Track
思考は途中にこそ価値がある。