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2023-08-17 12:27

「ネットに落ちてるもの」は価値がない?

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ネットに落ちているという表現に違和感!
違和感ハンターからの違和感ネタです。自分のことです。

ネットにあるって一体なにか。
当然自分の恩恵を得ています。ですが、あるからそこは共有財産?であり自由に使えるかというと、それもまた違うのかなと。

少なくとも無料で手に入れられるから、その価値が低いってのは想像力が低いのかなと。つまり、手に入れられるのと、その価値性は別だと。

発信コンテンツが誰かと同じでも、それは主体が違うので別の意味で価値があるみたいなことを話してみましたが、やっぱそうであるなと。

当然絶対そうではないですし、価値が低い、薄いこともある。ですが、それはネットにあるから、他にあるからということとは切り離したいなあというところでした。

#ネット #コンテンツ #価値
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サマリー

インターネット上にあるものの価値や意義について考えるエピソードがあります。特に、ネットに落ちている情報についての違和感や価値観の相違について話されています。

ネットに落ちているものの価値
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回ですね、気になった言葉ですね。言葉シリーズ、言い回しですが
インターネットですね、ネットなんて、ネットネットですね、言ったりすると思うんですが
そのネットにですね、落ちている、ネットで拾えるという言葉、激しく違和感を覚えまして
それぞれですね、少し話をしていきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、ネットに落ちている、ネットで拾えるという
ネットに情報があるよという意味合いかなと思いますが、たまに見たりします。
具体的にはですね、状況までは共有はしていかないんですが、ここで推測ですね
その発言者の人が何を想定しているかというとですね、僕が見かけたのはある本ですね
読んでいた本のレビューを見ていたときにそういう書き込みがあったと
いろんな本があるので、期待値とずれているという意味で書かれたのかなと思います。
その場合の期待値というのはですね、インターネット上にあるよと
例えばですね、僕がアイデア発想だと言っていて、ジェームズ・ダブル・ヤングさんですね
アイデアの作り方という古典的な本があるんですが、そこに書いてあることってすごく参考になるし
その通りだなと思うんですよね。という意味で、僕自身がアイデア出しという
例えばですね、インプットだ、試行ですよね。試行してアウトプットするよということを言ったとしてもですね
そういうのも既にあるじゃないって言われる感じなんですよね。別にそう言われたことはないですよ
そういったことはないんですけど、そう言われる感じがすると。
例えです。つまりですね、本の著者の立場、別に僕がその著者の立場、知り合いでも何でもないんですが
出している内容が価値がないというか薄いというのだったら、その理由を述べてもらえればわかるんですけど
インターネット上にあるから、落ちているから価値がないという感じを受けたんですが
その言葉から。それはないんじゃないかなという話なんですね。
これも僕の例えでいくと、例えばこのラジオでいろいろ話してますよね。
例えば最近だとネタとして、ポイカツ事業を調べたとか、聞いてくれた方がいるかわかりませんが
アイデアも話もしてますよね。こんなアイデアどうか。あと調べてみたら味噌市場とか調べてよとか
もちろん味噌市場を調べることはできると思うんですよ。検索してね。
それなんかわかりやすいんですけど、調べて出てこればいいんですけど、当然ですけど
それを出せない部分もあったりすると思うんですよね。着眼点とか切り口とか。
それはもう信じていただくしかないというのと、別に適当に言っているわけじゃなくて
根拠とか論拠があるので、その算出方法が気にならなかったり、それはどうかなと思えば
そういう突っ込みがあると。それだけなんですよね。そこは精度高くやっていきたいと思うので
そういう話であると。僕がラジオで喋っていることも無駄話というか
価値がない話をお届けしたいなんてことは一回も思ったことはなくて
同様にブログとか書いてますし、いろんなところでアウトプットを実質というか無料でしているわけですよね。
有料コンテンツとか配信も可能ですし、ショートしてやる場合は有料ではありますけど
そういうことをやっていると。それが例えばブログですよね。記事を書いて
そんなのはこの人も言っているし、見られるから価値がないよねって言われると
一緒かなと思ったんです。僕からの反論というか違和感というのは
例えばインターネット上にある検索して見つかった、そういうことだったら
価値が低くなるのはそりゃそうですよね。例えばお店で食べたい
お勧めのお店、飲食店で焼肉とか行って、そういう情報がいっぱいあって
であればこのお店お勧めって言って、他のサイトでもあるよって言うのであれば
確かにその情報の独自性がないから価値は薄いというのは分かるんですよね。
ただ、その独自性がないとか、他のサイトにもあったというのであっても
これは発信者側の立場で言うんですが、同じ意見でもその人が考えて得たもの
調べて得たものであれば、僕は価値があると思っているんです。
これはかなり大事な話でして、意見が同じだとか、そういうことはどうでもよくて
例えば本のレビュー数が本の価値を決めるみたいな話があるとするじゃないですか。
もちろんですよ。ある本のレビュー数が100あるのと10しかないから
10しかない、少ない方が100あるものの10分の1で価値がないとかそういうことではないんですけど
一応、いろんな人が読むということは人気があるから、よくまるくもそれは売れているし
その経済的価値があると、影響力があるということは言えると思うんですよね。
一つ一つの手と物差しとしてね。
そういうときに100個意見があるときに面白かったです、面白かったですみたいに
一言コメントがいっぱいあって、そのレビューはあまり参考にならないとか
同じようなものだったりするとき、確かに価値は低いような気がします。
ですが、その面白かったというのも、それぞれの人が全然違う人が同じように思ったことを
もうちょっと細かく書いていって、こういう点で面白かった、こういう点で面白かったので
こういう人のおすすめですとかっていうのが、全く違う人が全く同じことを書いている
違う人が同じことを書いていたら、それは信頼性が高まるんじゃないかなとすら思ったんですよ。
つまり、出てくるアウトプットですよね、ブログとか。
いろんなコンテンツのアウトプットが同じだから評価できないというよりも
同じだからこそ価値があるんじゃないか。
むしろそれが違う人が同じことを言っているのであれば
なんかそれって価値になりませんかって思ったんですね。
これはもうリスナーのあなたにも聞いてみたいんですけども
どういうものが結局価値と感じるかっていうところの相違もしくは同意というか
共有が取れなかったってことなんで、もちろん価値観があるので
本によっては薄いなとか思うことももちろんありますが
ネットで落ちているとかネットで拾えるというのはすごい違和感があったんですよね。
ちょっと話を戻してまとめていくと、そのインターネット上にあるものっていうのは
誰かが勝手に上げているわけじゃないはずなんですよね。
もちろんGoogle検索っていうのはクローラーっていうのが走って
プログラムを収集してそれで検索できるから成立してますが
それを例外として捉えても、誰かがコンテンツ
例えば僕のアイデア発想に関する記事が出てきたときに
それは僕が書いてるんですよ。
僕が書いててそれが見られるだけであって、見られるようにしてあるだけなので
それをまとめていろんな人がネットに書いてあるんで
ネットコンテンツの独自性と価値
拾えるから別に大したことないよねって言われても
ちょっとはてなっていうところなんですよね。
つまり発信者サイドという意見になるんですが
もちろん見る側は残酷にも非常にもそういうふうに言うことはもちろん自由ですし
批判してもらうのは全然アリなんですけど
その作ったもののデータがネットにあると
インターネット上にあるということは一体何ぞやと
誰かが作ったり調べたりして出ていると
もちろんそれをGPTではないですが
勝手に量産してよくわかんないものをポコポコ貼り付けて
意味が通らない文章を貼り付けていたらそれはダメですよね
ですが一定程度考えたものであれば
価値がないとか他であるから薄いっていうのも
どうなのかなって思いました。
もっと深読みするとその発言者の人にとっては
その内容がそのまま貼り付けたようなものに感じたのかもしれません。
なぜなら本もウェブ記事の焼き回しみたいな感じもあって
僕自身はそのサイトを最初知らなかったんですけども
インターネットの持つ意義と価値
それはそもそも知られなかった知ってなかったってことで
別に本からアクセスしてそういうふうだったってことなんで
特に何か疑問を感じたとかないんですよね。
見せ方を変えたらいいんじゃないかとも思っているので
ここが難しいところですがそこを割引いて取ったとしても
ネットにあるとは何ぞやということを
ちょっとよく考えてみたいかなというふうに思っています。
当然ですね、僕自身もネットにある調べたことが出てきたから
それで役立っているってことはめちゃくちゃあったりするわけですよね。
例えばGoogle検索、知らない言葉で探した
その語源とか言葉の意味を
字典とか意味では限られているんですが
その語辞典とか意味を調べたときに
その字典のコンテンツに対して価値を払っているかというと
払ってませんよね。通信費とかね。
しかもGoogleとかいっぱい出てきちゃいますよね。
簡単に出てくるなって。便利になっている。
そのときに払ってないわけですよ。
ネットにあるからもちろん辞書を買わなくていいとか
インターネットで済むから買わなくていい。
これですね、新聞とかいろんなメディアとか
いろんなものに言えるんですけど
コンテンツを制裁する人にお金が行かないって
すごく問題なんですよね。問題というか
そもそもコンテンツが生まれて何なんだとか
いろんなことを考えていかないといけないんで
難しいなとは思ってますけど、少なくともですね。
少なくともすぐ解決する問題とか課題ではないんですけど
インターネットの落ちてるっていうのは
なんかちょっと違うよなっていうところでした。
学生さんとか若い人がそういう感覚でいて
それでいいやっていうのはありかもしれないんですけど
コンテンツを作るっていうのはですね
一つの作品を仕上げるとかね
ものすごい労力がかかるっていうことが
1ミリでもわかっていれば使わない言葉だと思うんですね。
そのコンテンツがすごく優れて売れているとか
そうでなくてもですね
僕自身も電子書籍とか作ったことあるんですけど
そういうのだけでも全然労力使うんで
ぜひですね、リスターの人にはそんな人はいないかもしれないですが
ネットに落ちているとかっていう感覚とか
それは別に否定しないし僕もあるんですけど
なので良くないとか価値がないっていうのは
ちょっと違うんじゃないかなっていうところ
そんな雑談じゃないですか、トークだとなります。
今回は以上となります。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
職員ラジオ大橋でした。
本日も人知お疲れ様でした。
それでは失礼いたします。
12:27

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