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2026-02-04 07:46

TTT/校章が消えた日 ― それは合理化か、思考停止か/

ある中学校が、制服につける金属製の校章を廃止することを決めた。
 
理由は、製造を委託していた業者の経営不安定化と、別業者に切り替えた場合のコスト上昇。
 
「この機会に廃止する」という判断だったという。
 
では、校章とは本来、
 
コストが上がれば簡単に手放せる程度のものだったのか。
 
それとも、意味を問い直す前に、ただ惰性で続けられてきただけなのか。
 
同じ「廃止」という結論でも、
 
それが供給側の事情によるものか、
 
学校が主体的に必要性を考え直した結果なのかで、
 
教育機関として子どもに示すメッセージは大きく変わる。
 
伝統を守るとは何か。
 
合理化と、思考停止の境界線はどこにあるのか。
 
校章の話をきっかけに、
 
学校という組織の“考える姿勢”について掘り下げる。
 

サマリー

ある中学校では、供給の不安定さを理由に校章の廃止が決定され、その背景には社会的ニーズの変化があると考えられています。廃止の理由や思考停止の可能性について、教育の場での価値観の見直しが求められています。

校章の廃止
ある中学校で、制服につけるあの高照金属製の、あれを廃止したそうなんです。
理由が製造委託していた業者が不安定になった。供給がね。
で、別業者を検討したら、コストが上がりそうだと。
で、この機械に廃止するという判断をしたそうです。
思考は完成させなくていい。
TheThinkingTrack、気になったテーマを深まる。
改めまして、今回は校章が消えた日 ― それは合理化か、思考停止か、をテーマに進めてまいります。
冒頭のお話聞いて、なんかピーンと感じた方いらっしゃいましたか?
私ここでね、え?と思ったんです。
なに?そんな簡単にこの機械に行って消せるものだったら、もう特にいらないじゃんっていうこと。
はい。そんなに必要性がないのに、なんで今まで続けてきたんでしょうか?ということなんです。
コストが上がったぐらいで廃止できるんだったら、なくても困らないし、そんな必要じゃなかったってことの裏返しではないでしょうか。
なんか象徴的に大事っぽいみたいな、重要だとか、あって当たり前だとか、その当たり前は怖くて、
ただ惰性で、前例当衆で前からあるから続いていた、考えなしに、という可能性を感じてしまったんです。
大切で意味があるから、考えがあって残していたのではなくて、特に読める理由のない頃、見直してなかっただけだ、というふうに感じてしまったわけです。
で、業者が経営不振になるっていう話で、それは理由として仕方がない、見直せざるを得ないっていうふうに考えるのは、そこには異論はないんですが、
それって実は、もっと深く読みすると、需要が変化しているっていうことの現れ、業者が供給不安定になるってことは経営不安定ってことだと思うんですが、
たまたまじゃない気がしたわけです。
一つは、そういったニーズが下がっている社会的な、会社のバッジなんかもうないですよね。
昔サラリーマンの方はですね、私もつけてましたけども、会社のバッジをジャケットにつけてましたよね。
当たり前でした。今ほとんどなくなってきてます、それ。
そういった社証なり交渉っていう製品の価値が変わってきている。
儀礼とか記号への関心も薄れている。
となると、そう考えればですよ、このような事例は今後加速していくことは考えない。
社証もそう、交渉もそう、そうです。
他にもきっと記念品とか形式だけの伝統とか、儀礼的なアイテムってあると思うんですが、
何か思いつきますか?
で、私はその結論を出した結論にどうこうよりも、その結論の出し方がとても気になったんです。
今回の革新はそこです。
今回は明らかに供給側の理由、外圧型なんですよ。
今までやってたものが普通にできなくなったから考え直した。
主体的には業者が続かない、値段が高くなる仕方がないから辞めました。
言い換えれば思考停止してないか、そういう思考停止型の廃止パターンだった。
一方で逆のパターンが私としては納得しやすいんですが、主体的な理由、内政型って言うんですか。
そもそも意味って何でしょうかとか、今の政党にちゃんと機能しているんでしょうか、必要なんでしょうか。
他のやり方はないのか、他の象徴の持たせ方はないのか。
そういうことをきちんと問い正した上で、今風に現時点で考えると、
20年前、30年前、50年前は必要だったけど、今は違うんじゃないか。
あるいは他に変えるものがあるんじゃないか。
進化しても良いのではという思考が、外圧がかかるまでなかったんじゃないかってことなんです。
教育現場の価値観
だから同じ廃止という結果であったとしても、教育的に受け止められるメッセージって真逆になります。
これを決めたのが学校という教育機関だった。
学校って判断を教えたいとか、生きる術を教える側、上から目線じゃないですか。
尊敬されるべき立場にある人たちが、価値を問い直す姿勢を背中で見せて育てていってほしいというのが私の願い。
なのに前例が、とか考えなし、ボーッと生きてるんじゃねえよ、ちこちゃんですよね。
業者がダメだったから、高くなるから、他の理由によってそうせざるを得ないからやむなし的な判断してると、かっこいいっていうか。
そんな判断する大人を増やしたくない。
どっちかというと、もっと主体的に新しい価値を想像するような未来の大人を育てる場所じゃないですか、ということなんです。
子供に、この判断効果のないんだって、子供に何を示したかというと、考えなくても社会は回ってるから、何か必要になったら考えればいいんだよ、私そうやってますっていうことを背中で見せちゃってますよね。
最悪の提言を学校が見せてる例になってしまうのではないかということです。
交渉が消えたこと自体が問題なんじゃなくて、なんで今まで続けていたのか。
どうしても続ける必要があったら、業者がどうの関係ないですよね。
他の業者でまた続けますよね。
そんな業者が変わったぐらいでやめちゃうような話をなんで今まで続けていたの。
ごめんなさい考えなくて、ごめんなさい気づかなかったっていうようなメッセージがあればまた違うんですけども、それもない。
自分のやってきたことは全て正当的な発信の仕方だったことが問題ではないかと、私はそう考えました。
進化しない学校、伝統を守っているのではなく、考えていることを放棄しているだけかもしれません。
はい、今回はこの辺りで。
最後にお断りです。
この配信では身の回りでセイラージーが感じたことを基に、ネットやAIなどから得た情報も参考に構成しています。
正確性についての保証はいたしかねますので、くれぐれもご自身で最終判断をしてください。
疑わしき情報やお気づきの点がございましたら、お知らせいただけると助かります。
思考は途中にこそ価値がある。
ここだけの話ですけどね。
そんな批判的な強い意思はないんです。
だって人間の脳ってそもそも変化を嫌うそうなんですよね。
だから考えるの疲れちゃう。
いわゆる省エネっていう動物的本能なわけですよ。
それは生身で生きている学校の先生も同じですからね。
あなたの身の回りに辞めた理由を説明できない慣習ありませんか?
なくなっても誰も困らない症状とかありませんか?
もし見つけたらこっそり教えてください。
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