大自然の中で、身一つで、体一つで、進むということを、私の生まれつきを持っているものを、叶えてくれる場所というのが、トレイルランニングだと思います。
TRAIL HEADへようこそ。
TRAIL HEADは、トレイルランニングコミュニティで活躍するキーパーソンに、
なぜ走り始めたのか、何のために走り続けているのか、そして、これからどこへ向かって走っていくのか、
彼らの走る原点である、登山口を探るポッドキャストです。
放送は、僕、香港出身、日本在住のマルコと、伊豆在住の千葉ジャンでお送りします。
後半ですね。今回は、前編と後編は、同時にアップロードする、公開する予定ですけれども、
このインタビュー時代も、彼のTGRのような、なかなか終わらない。
終わらない。
後半も聞き応えたっぷりだからね。
まず、引き続き聞いてもらおうか。
そうだね。多分前回聞いてる人ばっかだと思うので、ぜひご編聞いてください。
はい。岩崎さん、ラウンド2。
よろしくお願いします。
時間が空いちゃったんで、どこまでお話ししたっけと思ったの。
テレビに取り上げられたエピソードはやって、その後、家族から出るなって話になって、
その時、四国にいたから、いろんなアクティビティをやって、
2回目で確か、感想でしたよね。そこあたりまでは言ったような。
そうですね。トランスジャパンアルプスレースの、一旦怪我をして、
一時、トレイルランから離れて復活して、トランスジャパンに再出場したのが2012年で、
2014年、16年と重ねて初感想を果たしたというところに入るところで、一旦続くになりました。
そうですよね。だから、復帰して初回は確か感想できなくて、
その次の時に、確か、かなり自信を持った準備ができましたっていうような感じの、
2人でのケツ切りで行くぞ、みたいなお話だったような気がしますけど。
そうですね。まず、実質的に復活、再挑戦をしたのが2012年になります。
この時は、結果として最終関門でタイムオーバーになり、時間オーバーで大浜海岸までたどり着いたというところで。
これがNHKに取り上げられたというやつですね。
そうです。ところが、ゴールは太平洋までは繋がったんですけれど、時間内にゴールできなかったというところで、
次の自分の中のステージと言いますか、すごいモヤモヤ感が非常に残りまして。
2014年に2年後、再挑戦したんですが、この時は台風スタートのタイミングに合わせて台風が来てしまって、
結果として、北アルプスの上高知の関門に間に合わずに、非常に残念な結果だったんですけど、北アルプスでのタイムオーバーということになってしまったと。
話しましたね。思い出しました。天候がかなり悪くて、引き返されるかどうかというときですね。
そうですね。前に進むべきところを逆に後ろに数時間の工程をルースして、それが結果的に、
それが一番の大きい原因だったという。
敗因だったということですよね。
そうですね。そこで最後の挑戦として位置づけたのが2016年。
この時はもう二位転と言いますか、ここまで回数年月かけて挑戦している選手がいなくてですね。
これで完走できなかったら本当に、もうこのトランスジャパンから去ると言いますか、身を引こうということで挑んだ大会が2016でした。
そこでどうだったんでしょうか。
今回はですね、その2016はまず完璧な準備をしました。
何かと言いますと、トランスジャパンっていうのは2年、昨年開催で偶数年の開催だったんですね。
2016年の大会に向けて2015年、それから遡ることを、実は2014年の前年の2013年にも単独で富山湾、
偶数をスタートして静岡の大浜海岸までっていうのを投資で415キロ行きました。
じゃあもう達成してるってことなんですね。
実はそうです。2012年にタイムオーバーして、14年に向けて2013年、それからまさかダメだったんで2016年に向けて2015年にも
いつもやってるので、既に2016年の前にも3回投資で行ってるんです。
それも時間、要は競技で言うと8日間以内でしたっけ。そこのタイム満たしてたんですか。その完走要件を満たしてたんですか。
タイムに関してはちょっとオーバーしてたんです。
ただしですね、この時は一応基本的にはルールにのっとった装備ですとかではいたんですけど、
事前の調査、どこでどういうものが補給できるかですとか、水場はどうだとかっていうのを調べるための調査の時間も含めていたので、
要は寄り道したり、寄らなくてもいいとこもちょっと寄ったりしてたので、これで大体時間内に行けるっていう確信に近いものは実は得てたんです。
特に2015年の時は、私一人の個人的な調査と言いますか、個人的なチャレンジだったんですけど、静岡市に住んでいる友達が応援をしてくれて、
応援としてももちろんノンサポートレースなので、食料とかそういうサポートはないんですけど、応援で何回か途中で見送ってくれたりはしてたんです。
ちょっと走ってる、一緒に行くとか、そういうペーサー的な感じですか、我々言うところの、装備とか全部そのままでとか。
そうですね、ペーサーとまでは行かないんですけど、車で待機して、今ここまで来てるよっていうのをずっとウォッチしてくれてた感じです。
その中には本当にトリランをしない方もいたんですけど、すごくそういう一人だけだとどうしても誰も見てないので。
安全上の危険、安全上の問題が発生しますもんね。
そうですね、気持ち的にもやっぱりそういう誰かが見てるっていうだけで、いい意味の緊張感があって、ゴールまでちゃんと走り抜けられました。
それで迎えた2016年だったんです。
なるほど、じゃあちょっと今までとは全然違う感じで、どういう感想というか、時間的なところも割と挑戦的な設定にしていくぞみたいなそんな感じだったんですか。
その時のレース目標っていうのは。
そうですね、これまでは初期の頃は行き当たりばったり、なんとかなるぞっていう適当だったんですけど、
さすがにここに来て計画、この日はどこまで、どれぐらいのタイムで行くんですとか、ここで何を補給するっていう綿密なちゃんと計画を立てて、それにのっとっていくと。
いつも毎回最高日の方で、岩崎大丈夫かなって心配されることが多かったんですけど、ちゃんと全体のボリュームゾーンの中で、しっかりちゃんとレースをしているような展開で臨みたいというふうに思ってました。
実際、大会を迎えた当日、2016年スタートしてからなんですけど、本当に万全の準備をして臨んだつもりだったんですが、予期せぬことが次々と起こってきまして。
そのまず一つは、最初の30キロのロードを終えたところで足が痛くなって、走れなくなったんです。
ストックがあったので、ダブルストック、ポールを使って、足の負担を軽減させながら、痛みが収まる、せめて走るような状態に体を回復させようということで、
ポールを使って、ちょっとペースも意識的に落として進んでたんですね。そういうまず、足の異変というのが想定外の一つでした。
三宅さん、30キロって言いました?
三宅さん、30キロですね。
なかなかつらいですね、いきなり。
トータルが419キロ、30キロすでに足痛いっていうのは、なかなかつらいですね。
なんでこんな、初っ端からっていう。テレビにも映っているんですけど、本当はもっと先まで初日進む予定だったのを、早めに休んで足を回復させるために、当初予定してたよりももっと手前のところで、
野営をしまして、とにかく体を回復させるっていうことを、まずは優先して、初日を終えるようにしてたんですけど、もう一つのちょっとイレギュラーが、ポールが壊れまして、
それまでずっと何年も愛用してたポールがあったんですが、結構年数使い込んでて、ある程度ダメージも受けてるかと思って、全く同じ商品の新品を買って、新品を投入したんです。フレッシュな状態。
そしたらそれが初期不良で、折りたたみ式のポールだったんですけど、紐が中身で途中で引っこ抜けてしまいまして、ポールが固定できないような状態になっちゃったんです。
そうすると足が痛くて、ポールを使わざるを得ない状態になったのが、そのままだと使えないので、アクシデント用に持っていた強力なテープ、ガムテープの強力版みたいなやつがあるんですけど、
簡単に言うとダクトテープみたいな、テープでバラバラにならないように接続の部分を巻いて、ポールは幸い引っ張りには力が弱いですけど、付く力に対しては紐がなくても耐えますから、
結局、進めました。最後まで。
ポールアクシデントは何キロ時点だったんですか?
ポールがバラバラになったのは、剣を越えた後です。
何キロぐらいになるんですかね?すみません。
距離から言うと50キロぐらい。
全然前で、足みたいなポールがなかなかつらいですね。
最初は、欲もあって、中盤で正気をうかがって、前の方に行ければいいなっていう、カラザインを使ってしてたんですけど、
この頃は本気で、これは北アルプス、上甲地の関門に間に合わないんじゃないかというような危機感がいっぱいでした。
感想すら危ういんじゃないかっていう。
上甲地だと南アルプスにすらいけないっていう。
北アルプスを追えたところが上甲地ですから。
なかなかの船出がでしたね。
そうですね。そういうのがまだ続きまして、今度は夏の高所って日差しが強いので、
日焼け止めクリームは割と体のコンディションを維持する。疲れにくくもなるし、
肌ストレスとか免疫とかも維持できるので、真夏のアルプス行くときは塗るんですけども、
新品で買ったボトルって大きくて重たいので、100均で買った小さいケースに小分けで補充して持っていったんです。
小さい小瓶に。
その小瓶が日焼け止めの液体と反応してケースが溶けたっていうか、壊れちゃったんです。
そしてそれを最初、荷物見てたらなんかベトベトになってて、それがもうこぼれてしまって。
うわ、なんだっていう。そんなもう持ち物がベトベトになるという。
っていうのがまず最初の初日でした。
大変ですね。
そうですね。
なのでこの時思ったのは、最初の足の痛みっていうのはこれは全くの想定外でしたけれど、
ポールにしても日焼け止めの小分けにした入れ物にしても、この時初めて使ったので、
ちゃんとぶっつけ本番ではなく、事前にあらかじめ試しておくべきだったなっていうのを学びました。
知ってるつもりだったんですけど、大事な時にこういうことが起きたと。
そんなこんなだったんですけど、
上口の関門は関門の1時間ぐらい前に無事通過できまして。
でも1時間前だと割とその先は結構余裕がない設定になっちゃうんですか。
そうですね。もともとのプランよりも全然遅いので、
その時点でまだ足が痛い。
まだ痛いんですね。
まだまだもう全く余裕、ゆとりはない状態で。
まずはその関門を通過した後に、
上口の綺麗な川。
川ありますね。
これからどうやって立ち直していくかなっていう風に考えながら、
先へ進んだっていう状況でした。
足の痛みは結局、
足の痛みは結局、
足の痛みは結局、
足の痛みは結局、
足の痛みは結局、
足の痛みは結局、
ずっと痛かったって話なんですか。
ずっと痛かったって話なんですか。
それともどっかで緩和するというか、何か起こったんですか。
そうですね。
幸い、
幸い、
弱まるのか、消えるのかは、
えっと そうですね 2016 あ そうですね はい その通り おっしゃったとおり
はい
で この時は本月昌吾選手が大会4連覇と
はい
5日を切ってフィニッシュしたってことですよね トピックスとして
そうです
そうですよね
素晴らしい記憶力
すいません あの 見てます ごめんなさい シーティングしてる
はい
はい
はい
はい
はい あの その通りです
はい
なるほど
はい あ そうですね えっと そうか 20 出場者29名で最終的に21だから
8 8人抜いたんですかね
はい
はい えっと とにかく 南アルプス の後半で一気に次々と みんなこう
フラフラになったりしてる選手 が多かったんですけど
はい
はい
はい どんどんどんどん追いつき 追い抜きで 無事明るい時間にゴール
できました
あ もうこの時ってGPSデータとかで もうみんな見れてたんでしたっけ
あの そうですね あと思います
じゃあ結構 不安の皆さんは怒涛の 追い上げで結構盛り上がったんじゃない
ですか じゃあ岩崎さんの怒涛の 追い上げが
そうですね
すごい
あの 本当に大浜海岸に着いたら すごいたくさんの人がゴールで
待っていてくださって もう本当に すごい感動しました
ドラマティックですね でも今回 その初感想もかなりドラマティック
な 多分応援してる方は本当に 結果としては一番楽しめた展開
ですよね
そうですね その時のゴールって 僕 今までの人生の中で一番すごい
感動できた瞬間でした ゴールした 時の瞬間って
どういう気持ちになるんですか こんだけ長い距離をやってきて
レースも長いんですけど 達成するまでの 期間ももう結構な人生の時間
お使いじゃないですか みたいな 気持ちになります 多分なかなか
体験できないので
はい そうですね その時の本当に 正直な感覚というのは まずゴール
のフラッグを越えた後 ほっとしました 心からほっとしたのと 喜びももちろん
あるんですけど これまでの積み重ねて いた思いが全部消え去るような
もう体の中が透明になるような 感覚をその時受けました ファー
っと ゴールする まず海岸線の ゴールの旗が見えた時に それまで
の疲れが全部 体中からなくなって 砂浜 走ってても全然 痛みも疲れも感じない
もちろん感覚だけの問題だと 思うんですけど そんな感じで ゴール
まで行ったら やっと達成することができた っていう ほっとした安堵感が一番
大きかったですね
すごい もうしばらく 余韻に浸ってる 感じですかね 今までにない感覚が
あったと
そうですね 特に体の反応 体中の 痛みや疲れが全部 体中から消え去って
しまうような そんな不思議な感覚が その時受けられまして もうこれは
今までで最初で最後です 現時点で
そういう感じになるんですね
そうですね
それが2016年ですよね
6だね 16年
この9年間って 味わってしまった この感覚は またさらに改めて もう一度
味わいたくなるんですか この9年間は それとも もう一度味わったから
次のことに向けて 違うことするの どうだったんですか この9年間
そうですね 結果的には ちょっと 燃え尽き小国みたいに一瞬なりました
もうそうですよね
何度も挑戦して跳ね返されて 下向きにトランスジャパンを時間内
完走するぞっていうことで 一途に 慣れていたんですけど 一度完走して
しまったら 当然 翌年ももっと 8回以内じゃなくて7回以内とか
今度は記録をより目指していこうっていう 思いも当然起きるんですけど
純粋にそれだけを突き詰めるような 気持ちになれなくて
モチベーションが維持できなくなりました
トランスジャパンに向けて
それでも2018年に出場に向けても 当然やりますし
そこから次の目標を探すようになりました
それもトランスアルプスジャパンレース じゃない目標のほうがいいという
そういう意味ですか
はい そうです
それで その時に 次は何を目指せば いいのかなって思っていて
日本 トランスジャパンを本当にやっていると それだけになってしまうので
これまで行きたいと思って行けてなかった 海外レースに挑戦しようというふうに
思いまして
そのトランスジャパンをやりながら 次に目指したいのがトルデジアンだったんです
トルデジアン
トルデジアンに2018年に2月プレエントリー したんですけれども
実は抽選で落ちまして
はい 人気大会ですからね
そうですね
ウエイトリストのほうでも番号が100番ぐらい
まずこれはもう無理だなというふうに ちょっと思って
何に出ようかっていうところで
その年の1月に六高さんでトレランの 合宿を有志でやってまして
その時に二羽香里さんのほうから
ウルトラゴビレースっていう中国の 400キロのノンストップレースの話を
ちょっといただいてたんです
もともとは二羽さんがその大会のオーガナイザー から招待を受けてたんですが
二羽さんはその年100マイルレース UTMBのほうで
ランキング上位を目指されていたので
ウルトラゴビレースのほうはちょっと 辞退をされるようなお考えだったんですね
その時に同じ
その大会に代わりに出ないっていうふうに 言っていただいて
同じ出るんだったら完走できる可能性のある 人に出てもらいたいっていうことで
もし僕がその時はまだトルデジアンに まず出たいと思っていたので
1月なのでトルデジアンにもし出れなかったら ちょっと相談させてくださいっていうふうに
その時お話をして
トルデジアンがダメだったので
その次に考えてたウルトラゴビ400キロに 2018年出場しました
初海外ウルトラトレイルレースで 無事完走することができました
日本人初
その時はどうでしたトランスジャパンの時のような 感覚はどう味わえたんですか
感覚は残念ながら得られなかったです
もちろん大会でのいろいろ受けた感銘とか 経験はすごく大きいものがあったんですけど
自分の中ではその400キロのレースでは 一度完走ができてるっていうことで
未知の世界ではない
自分の中では400キロ 2012年13年15年にも
距離に関しては自分で一人 自分の足でノンストップでやってるっていう
4回の実績があったので まずいけるだろうという
なんとなく手応えがあったので
その
なんて言うんでしょうか
できるだろうかっていう怖さはなかったんです
ただもちろんそんな決して甘いもんではなくて
ウルトラゴビってゴビ砂漠のレースエリアを 使った大会ではあるんですけど
さはら砂漠のような
暑いコンディションではなくて
マイナス20度ぐらいの
標高4000メートル以上上がる
標高もありますし
井戸が
ちょうど下北半島 北海道と本州の間ぐらいの井戸で
開催時期が10月ということで
時期的に気温がそんな高くない
なおかつ標高が4000メートル以上上がるということで
マイナス20度っていう環境でのレースっていうのは
自分では未経験だったので
そこが自分としては初めての
ちょっと挑戦っていう感じです
さらって言いましたけどマイナス20度って言いましたよね今ね
マイナス20度です
いやさらって言ったけど結構すごくないですか
感覚がよくわからないんですけど
そうですねマイナス20度だと
どうなるんですかマイナス20度
給水するのにソフトフラスクを持って行ってたんです
少しでも当然
マイナス20度だと水凍りますんで
凍らないように途中に一応給水所っていうのが
10キロごとに水とお湯を補給できるポイントがあるんです
そこでなるべく温かいものを飲みようと思ってお湯を入れるんですけど
そのお湯を入れた後がだんだん凍ってくるんです
シャーベットみたいに
それで凍ってしまうと
水として飲めなくなるので
ソフトフラスクの先端のシリコンのところを凍ってきたら噛み噛みしながら
完全に凍結しないようにしてたんですけども
寒い時には気がつかなかったんですが
標高が高いところからまた低いところに下がったり
日中になるとプラスになるので
そうなると先端から水がピューって噴水のように
水が漏れてくるんです
なぜかと言いますと
歯で先端を噛むんですから
噛んで凍った氷かけの部分を凍らないように
砕くんですね
砕いた時に飲み口の部分に細かい亀裂が入ってしまって
そこから水がスプレーのように漏れてくることになってしまうので
もうソフトフラスクが使えない
もちろんそれ使えなくなったので
先端は捨てたんですけど
ということが起きたり
防寒対策で
走ると体温が上昇するので
体がちょうどいい温度になるんですけども
歩くと体から生成される熱が少なくなるので
寒くなるんですね
ウェアリングの調整は
走っている時はダウンジャケット1枚
歩く時はダウンジャケット2枚重ねにする
そうしながら
ウェアの調整は
スピードで調整するという感じでしたね
生成される熱量を
加減しながらベースコントロールするという
そういう状況でした
飲んだら下痢がピタッて止まりました
なので薬が効いてる間は走れるんですけど
薬が切れるとまだ下痢が始まるんです
精露ガンでだいたい8時間を
8時間を間開けてくださいっていう風に
買ったやつに書いてありまして
8時間ごとで1日3回飲めるんですけど
飲んで薬が効いてる間は大丈夫で
切れるとまた下痢するので
最初の初日は8時間ごとに
精露ガンを飲んで進んでたんです
これで何とかいけるわと思ったんですけど
薬が切れるとまた下痢が始まるので
これはちょっとラチが開かないなと思って
次に考えたのが
胃腸を空っぽにしてしまえば
出るものがなくなるだろうと思って
固形物を取るのをやめたんです
胃腸を空っぽにする作戦に出まして
そしたら一応運動強度を落とすので
糖質に頼らないで
体の体脂肪とかを使って
結構動き続けられるということが分かったんです
何も食べずにずっと進み続けられると
ということで2日ぐらい
2日目から本当に何も出なくなって
もうこれで安心だと思って進んでいったら
胃腸が休まったのか
食欲が出てきたんです
エイドで用意した食べ物を食べても
お腹が壊さなくなったので
2日目の日1日半ぐらいしてから
少しずつ食べ物を食べ始めて
お腹壊さないということが分かってから
だんだん食べる量を増やしていって
より走れるようになっていきました
内容もそのものが面白いんだけど
でも今2018年の話が
昨日帰国したばっかりのような
僕先週末やったレースさえ覚えてないのに
すごい1個1個TJRもそうだけど
すごい具体的に全部覚えてるのは
すごい感心しました
やっぱりそれほどインパクトがあったというか
2018年のウルトラ予備の時も
初日の時点でせっかく時間とお金をかけて
出場した初海外ウルトラトレールレースなのに
完走すらできないんじゃないかっていう
もう痛烈な危機感
サバイバル的な
こういう時はどうすればいいんだろうかっていう
究極の判断を迫られてた場面だったので
鮮明にその時の状況を覚えてます
それでもTJRの時の
何とも言えない感覚にはならなかったってことなんですね
そうですね残念ながらその感覚には至りませんでした
でもそうなっちゃうと
燃え尽き症候群から逃れたくて
5位に出ることになって
取りたいじゃん出れてないんですけども
自分の気持ちの持ってき方とか
結局解決したのか
結局萌え萌えが取れてないじゃんっていう感じだったのか
その時はどうだったんですか
そうですね
萌え萌え今は完全には払拭できていないんですけど
ただだいぶそれが取れてきた
ようやく取れてきました
今の話今2025年の話をしてます
そうですね今2025年の話ですけど
すごいですねかれこれ10年近く経ってやっと少しっていう感じなんですね
だいぶですね
それはどういうふうに
気持ちを持っていたんですかそれは
それの大きなきっかけっていうのは
去年出場しました
グレートヒマールレースっていう1700号のレース
このレースを出ることで
ようやく出口が見えてきたっていう感じです
出口っていうのはどういう意味の出口ですか
もう引退する出口なのか
年齢には逆らえない部分があるので
必ずこういう挑戦し続けることの終わりは来ると思うんですけど
モチベーションというか
最初2016年完走するまでに自分にとってのトランスジャパンっていうのはすごく大きな
前に立ちはだかった壁岩だったんですけれど
それを超えて月の壁がなかなか見えなかった
ウルトラゴビーとか例えばトルデジアンだったとしても
もちろん一つ一つ大きな壁であることは間違いないんですが
なんとなく自分の中ではどうすればそこを超えられるっていう
手応えみたいなものがこれまでの経験で得られてるんですね
そうですね
ちょっとそういう大きいより大きい壁っていうのがなかなか自分の身の回りになかったんですけど
グレートヒマールレースの1700キロっていうこれまで自分が経験したことがない距離
レース期間が50日間っていうスページレース
最高標高5800メートル
5000メートルを超える峠が8つほど途中にあると
これまで最も高い山でも4000メートルぐらいですし
長い距離といっても415キロで行ったり
全然これまで自分の経験したことがないものがいっぱいあるので
それに挑戦するっていうときに初めてまた新たな未知への挑戦っていう
危機感といいますか
ちょっと真剣に取り組まないとこれはちょっと跳ね返されてしまうなっていう
思いを持つことができました
今それに向けてというかまだ出られてないということですよね
去年出場しました
出場したんですけどちょっと一部跳ね返されてしまったんです
問いますのは
問いますのは全部で50ステージあるんですけれども
そのうちの44ステージをしかクリアできなかったんです
完全には終わってないってことですね
クリアできてなかったところというのは
途中でお腹を壊してしまって
そんなにもともとは体弱いわけじゃないんですけど
振り返ってみると結構大事なところで
体調を壊すなっていう風に
ウルトラゴビでもそうですしなんですけど
何よりも向こうは衛生環境があまり良くないということと
標高が高いんですね
だいたい平均標高が3000メートルぐらい
最高標高は5800メートルぐらいで一番低いところは150メートルぐらい
高いところも低いところもありながらずっと3000メートル
日本のアルプスの寮船がだいたい基準みたいなところをずっと走り続けるので
やっぱり気づかないうちに高度障害も受けると思うんですある程度
それで空気も乾燥してますし
衛生状態もあまり良くないので
だんだん自分の免疫が削られているところで
何がトリガーになったか
はっきり今でもちょっと正直わからないんですけど
まだ序盤の4日目か5日目の時に
夜お腹すごい腹痛がしまして
トイレにかけ込むんですけど
もう上から下から両方同時に出るような状態
で数えたんですけど20回ですね
すごい
今までそんな激しいことを経験したことがなくて
トイレから出られない状態です
すごいその状態でちゃんと数数えるってすごいですね
上からも下からもって話だけど
どっかに冷静で今何回目とか
そこら辺は割とどっかで冷静な分析ができてるのも
すごいなって今思ったんですけど
今までの自分の知識経験の中で
自分の体がどういう状態で
何をしないといけないかっていうのを考えるのと
ちょっと症候状態に落ち着いた時に
レースの出場選手28名の中に
1人医師がいるんですね
フランス人で一応
選手兼オフィシャルの医療スタッフといいますか
メディカルスタッフという立場で
同行してくださる方がいて
ただ下痢等々してたのは深夜未明の間だったので
この人がどこにいるのかも分からなかったので
まずそれどころじゃなかったんですけど
自分の体が今どういう状態にあるかっていうのを
ちゃんと把握しておかなければならないと思って
下痢等々しながら
ちょっと落ち着いた時はちょっと横になって
また模様した時にすぐトイレに駆け込んで
出るものをすべて出して
脱水症状になるのも目に見えてましたので
ミネラルウォーターにスポーツドリンクの
タブレットとかパウダーを持って行ってたので
それを飲んでた
水分だけの補給は怠らずに
飲みつつ戻してたっていう感じです
じゃあそれを今51ステージ中44ステージなんで
これはあれですか
スキップできるんですか
途中でこのステージでこのステージはちょっとやめていって
っていう形で
大会期間は51日間全部消化するけど
全部の41ステージ今クリアしてるとか
そういう感じのやつなんですか
そうなんですこの大会が面白いところは
距離も期間も長いので
第2回大会だったんですけれども
第1回からスキップをしても
一応完走としては認められるんです
当然順位付けをする際には
全てのステージを完全に
ちゃんとコンプリートした選手の中から
所要時間の短い選手から
順番にまず順位付けがされまして
その順位が終わった後に
クリアしたステージ数によって
順位がまた付けられるという
2段階の順位
一応全員フィニッシャーという扱いにはなる大会なんです
はい
もちろん僕はできるかどうか正直わからないけれども
フルコンプリートするつもりで望んでたんですけど
はっきり言ってもはや
レースへの復帰できない体調になったので
さすがにちょっとこれは
一時離脱をして
なるべく早く体調を回復させて
なるべく早く復帰をするしかもうすべがない
っていう風にちょっと考えまして
結局その時はまず
ゲリトー等がちょっと落ち着いて朝を迎えた時に
日本にいる同じトレランで知っている
大阪で病院を医師をしている方と連絡をつけまして
まずその方に相談をしました
今こういう状態どうすればいいかっていう風な相談をしながら
フランス人の方にも一応状況は伝えてはいるんですけど
やはりコミュニケーションがなかなかうまくいかない
オーガナイザー主催者の方もその大会に選手として出場されてまして
その方に
一応ちょっともうやむなく一時離脱をするけれども
また復帰することはOKだっていう確証をちゃんともらった上で
一旦そこで離脱をすることになったんです
そうですね
そのステージにみんなが再スタートした日
要は私がレースから離脱したその日1日目は
そこの宿で寝てたんですけれども
翌日に一旦ネパールの首都のカトマンズに戻って
そこの病院で診察とか診断を受けるということで
まずはそこでちょっと待機してたんですけれど
その選手が再スタートした選手が一旦また戻ってきたんです
そこに
最初ちょっと訳わからなかったんですけど
一旦出た選手は当然先にゴールに向かって
もう会うことはしばらくはないはずだったのが
戻ってきたっていうのは
10年ぶりかなんかの大雪で
当初予定していたコースが進めないっていうことになって
全員選手がそこからUターンをして
北周りの標高が高いルートを通る予定だったのが
南周りの高所を迂回するルートで行くっていうことになって
結果的に全選手が一旦私が療養してた
家まで戻ってきたんです
そしたらネパールのガイドと
一緒に走ってた選手の2人が私のところに来て
すぐ出発する支度しろって言うんですよ
僕はもうこんな状態だから走れないって言ってるのに
もう半ば強引に
もう一度お前もレースに復帰ここから復帰できる
厳密に言うと当然ペナルティと言いますか
一部走ってない区間があるので
そこはマイナスになるとしても
レース自体は一応復帰できるので
いきなりもうとにかくもう強引に首の根っこ掴まれて
それで行かれたみたいな感じで
そこからレースに一旦一時復帰したんです
ところが当然復帰はしたんですけど
前日当日とまず何も食べてないですし
まだ体調が回復してないんです
それでも一応進んだんですね
何も食べなくても人間って進めるんですよ
さっきおっしゃってましたね
語尾で経験してたので
それは分かってるんですけど
スピードが出ないながらも
その日の区間は一応ゴールまで行ったんです
ただ食欲が全くないのもそうだし
何か食べたらまた下痢をするんじゃないかっていう
その恐怖心みたいなのがあって
その日の日も結局宿では食べられなくて
現地のものを食べるのが怖かったんです
何食べてももう焦がすんじゃないかっていう
持っていたアルファ米を
翌日の朝食で一応それだけちょっと食べたんですかね
ただその翌日もレースにまた復帰して
ステージ進んだんですけども
行動中は全く何も食べられなくて
やっぱり怖いんですまだ
で進んでたら
やっぱりもうこのままで仮に動いてたとしても
持っても2日か3日がだろうと
自分の
体の筋肉ですとか
体を分解しながらエネルギーに変えて
進んでるわけですから
当然筋肉とかダメージを受けながら本来進んで
それを食べることによって補わなくてはいけないのが
加速するわけじゃないですか
それも分かっていたので
このままでやったら本当にもう動けなくなると
レースに復帰することすら多分回復するまでにできないんじゃないかなと思って
その日
体を壊した翌日と翌々日のステージ
を進んだ後にそこで改めて正式に
一旦離脱をしました
はい
それでカトマンズに戻って数日回復させて
完全な回復にはいたらなかったんですけれども
ちょうど実はその時に私が出場していた
グレートヒマールレース1700キロという大会のカテゴリーと
半分のヒマールレースという800キロぐらいのレースが
遅れて開催をするっていうプログラムになってまして
お前はヒマールレースに出場しろと
選手として
するとその選手っていうのは実は中間地点からスタートするんですよ
途中はグレートヒマールレースの選手とヒマールレースの選手が
全く同じ工程を進むので
ちょうどその選手と一緒に行くと合流できるからということで
なのでその体調は完全に回復してないんですけれども
ヒマールレース後からスタートするヒマールレースの選手と一緒に
その選手の
スケジュールと一緒に動くことによって
もともと私が出ていたグレートヒマールレースの選手と合流することになるんです
すごいちょっと遅くて感動というかみんな
途中で再会できて
お前元気にしてたかっていう風に
仲間が迎えてくれるんですけど
てことはまだ完全コンプリートはしてないんで
今はもしかしてこれの51セクション完全制覇ということを
目標になってるってことですかもしかして
そうですね
全てのフルコンプリートはもう終わってるんですけれども
少しでもそのグレートヒマール
グレートヒマールトレールっていうものを
自分の足で歩きたいっていうそういう夢があったので
レースを走ることによってその夢の実現に近づける
のとその一応そこから途中からでも最後まで行くことによって
ゴール地点のフィニッシュをすることができる
っていうことで
途中合流してから離脱することなく
進み続けることが次の目標になりました
じゃあ結構フィニッシュまでは行けたということですか
いく何個かやらなかったけど
フィニッシュはしたということなんですね
フィニッシュまで何とか行けました
ちなみにそのフィニッシュの時はもうやっぱりこの
TJRみたいな特別な感覚は降りてこなかったってことですか
そうですねそこまでは行かなかったです
ただやはりそれに次ぐらいの感覚はあったんですけども
そうですねそこまで行かなかったですね
理由は一つはフルコンプリートではないっていう部分が
ちょっと大きかったのかなとは思います
ただその50ステージの中の44ステージでも
毎日が本当に無我夢中だったの
ステージレースっていうのは毎日1日1日の区間が終えると
寝ることができるじゃないですか
食事して休むことができる
ノーストップレースと違って
体をリカバリーすることができるっていう点は
大きな違いであってっていう部分はあったんですけど
毎日毎日が本当に大変だったので
全く余裕はなかったです正直
1日1日
それで何とか最後まで行けたっていうのは
ゴールした瞬間の感じとしては
トランスジャパンと違った点もあって
長かったっていうのと
その50日間
途中一部抜けることはあっても
その間も