TRAIL HEADへようこそ。TRAIL HEADはトレイルランニング コミュニティで活躍するキーパーソンに、なぜ走り始めたのか、何のために走り続けているのか、そしてこれからどこへ向かって走っていくのか、彼らの走る原点である登山口を探るポッドキャットです。
放送は僕、香港出身、日本在住のマルコと、イブ在住のチバジャンでお送りします。
久しぶりだね、これのイントロ。どういう風にやってたか忘れたね、もはや。
というかもう今年ずっとサボってたもんね。クランクナリア番外編やってから全く何もしてない。色々してるけどね。
忙しかったからね。忙しかったから。
富士どうだった?
富士はね、でも評判は良かったかなと思うんだけど、自分がいろんなものに来てるやつを、何とか自分ができる範囲で打ち返しただけで終わったんで、他の人たちがすごく頑張っていただいたなっていうところがあるんで。
今年一年で乗り切った感があるから、来年は自分が主催者としてより良くしていく方向にやっていきたいなと思ってるけどね。
チバジャンにでもポジティブだよね。
そう思わないとやってらんないよ。
日々落ち込んでるから、特にマウントホジティブの件に関しても日々落ち込んでるね。
だけど誰も慰めてくれないから、自分でもう慰めて頑張るぞっていう、そこまでセットっていう。意外と見えないからね、僕の仕事って。
黒子だからね。
そうそうそうそう。やっぱり自分で盛り上げないとね。
マルコも今年は頑張ったじゃないですか。
頑張ったね、頑張ったね。やっとあれは終わったね。Chasing Stars、南ケイスケの映像。
作る旅は、見せる旅も終わったんだよね。みんなにお披露目の旅も。
そうそうそう。ちょうど今週ね、このエピソード公開する前に、多分一般公開されたんですけど映像自体は。
やっと終わった感じで、もう本当に命削ったくらいじゃないかって。
結構ほら、上映会後回ったじゃない?ラウンドしたじゃない?あれ基本全部行ったの?主要のところ全部行ったんでしょう?
パタコニア主催の4カ所、フィルムツアーは札幌、福岡、東京、大阪は全部行って、
でその後、マシコピとトジキやって、で自分が最後に行ったのは千葉ジャンのところね。
あーありがとうございます。
ITJベースで。
でもいい雰囲気だったでしょ?最高の雰囲気で良かったよ。
最高。屋上でやってて、でかい画面、何インチだった?150インチだった?
150インチだね。
いやもう最高だったね。
あの度に借りて、電飾版の度に全部つけて、料理もあの度に準備して。
でもマルコのおかげで、いずからそういうアウトドアムービーをしっかり見せるみたいなやりたかったことが一つ叶えてられたからね、本当に感謝してるんですよ。
ありがとうね。わざわざ自然にやってくれて。
楽しかった。
で、もう今見れてるんだよね。一般公開されたタイミングなんでね。
いやーみんな見てほしいね。本当に。絶対見たほうがいいよあれは。
今回の番外編はまさしくITJベースの上映会の後のトークイベントのそのままなんですけど、
だからぜひね、映像見てからエピソード聞いてほしい。
そうだね。
ネタバレばっかり。
そうだね。まず映像をね、見てもらって、まずは見てくださいってところからだよね。
見てなかったらここでストップしてちょっとYouTubeのほうに。
あんまり言えないね。見てない人いるかもしれないから。まずはChasing Sunsを見てくださいっていうね。
じゃあそんな感じで。
じゃあ改めまして、Chasing Suns南雄の今映像を見終わったところで、
ちょっとお二人に、南さんとマルコにお話を聞きたいなと思うんですけども、
僕も実はこれ初めて見ましたんで、ちょっと想像と全く違う映像だったんで、
見てるときに何を聞こうかななんていうふうに思ってたんですけども、
僕はちょっとマルコとね、いろいろどういった計画でやってたかっていうのをちょっと聞いてたんで、
まずね、いつぐらいの話だったかってまず皆さん聞かせてあげたほうがいいと思うんですけど、撮影期間ですね。
あ、出てない。
そう、なんか出てない。
あ、低いかな。
ちょっと上げてもらって。
撮影時代はJR店は去年の9月の末から10月上旬くらいの10日間。
スタートの日はある程度その日かその月の日が決まってて、天気を見て展開したんですけれども、
最終的には天気は半分くらいは悪かったんですけどね。
割と温かい、言っても9月くらいの話だったんですよね。
だから僕も雪が降ってたりとか、あと天候のことも知らなかったんで、
こんなに悪天候の中で知らなかったんで、なかなか大変だったんだろうなっていうのと、
あとスタッフがね、出てきたのが丸子と新平さんと、あと以前出てきた方、一郎さんと、あとパトグニアム氏も来てくれたんだっけ。
タグジさんは最初の5日目までは行って、
彼も100マイルランナーで、自分はボルガリアのレースの帰りついでにちょっとフランス寄ろうかっていう気持ちで来たら、
走れる人間だったらちょっと走ってもらうことにして、最初の5日目までのランカメが彼を押さえてもらったんですね。
映像を見てる中で僕が一番思ったのは、野党とかもその日のうちにその日を押さえてるこの人たち。計画立ててないもんですよ。
一応計画は立てる。
立てれないけどなかなか。
どうしてもずれてくんで。
あれすごいよね。
あれもうオーバーシーズンなんですよね。9月終わりって。ネットとかで見ても載ってない。
っていうか、電話してくださいって書いてあるんですよ。
で、フランスの田舎で、英語も多分通じるところはあるんですけども、現地の言葉、フランス語喋らなくちゃかなり厳しかったんじゃないかなって。
で、一応さんは30年いる。で、フランス語ペラペラだからうまく宿見つけてくれて。
だからこう、大まかなスケジュール立ててるけど、どこで終わるかわかんないから、宿押さえてないんだよね、基本は。
押さえてない。
当日お昼過ぎぐらいは、今日はここまで行くから、その辺のCP、チェックポイントの近くの宿を探す。
で、オペレーション的には車2台で、一郎さんのサポートカー、映像に映ってる車が彼のサポート専属車として使われてて。
で、僕の身辺はレンタカーで撮影、2人でまた別のホールをしてるから。
だからまずその日どこまで走るか、途中チェックポイント全部撮影してるわけじゃなくて、先回りして撮影良さそうなポイントに登って行って、
彼を待つことも結構その日によっては多かったりとか遠かったりとかするので、最後にその日のゴールあって、
今日はここに終わるんだって。時間見たらもう10時じゃん。
今日も宿ないときもあるから、ちょっとギリギリなんとか上手く行ったんだね。
たまに車で寝てる映像があったんだけど、それでもう次の日とかってのもあった?
いや、車で寝ることはない。紙ぐらいは。
だけど2人ともJR天王初めてだったんですか?
僕はこれ去年なんですけど、一昨年、中間の300キロぐらいは一郎さんと5日間ぐらいかけて思想行ってたんです。
で、ピレネはその300キロとかそれ前後ぐらい、中の500キロぐらいだけきついんじゃないかって勝手に思い込んでて、よしこれで大丈夫だって思って、
いざやったらもう最初の200キロ以外はもうずっときつくて、アップダウンがきつくて、もっとちゃんとロジック組まないといけないんだなって勉強になりましたね。
マラコは初めて、ロゲ版無しだよね?
そう、当日、2ヶ月前ぐらいに本を買ったんですね。JR天王というガイドブックがあって、
そのガイドブックに3、4ペグメートルあるんですけど、45ステージ分けてて、その914キロ。
普通の人はそれぐらいの時間かけて、ステージごとにヤドが情報も入っているので、それを彼は一時20コマぐらい走るわけよ。
それがなかなか勉強するのも大変で、もう地名も読めないし、
次の日はこれぐらいの空間走るから、東高線を見て、良さそうなところを新米と相談して、そこまで行って待とうかみたいな日々を決めて撮影する感じ。
今ね、撮影の専門の方もいらっしゃいますけど、ロゲ版ゼロでやってるっていうのが本当にいいと思いましたよね。
これはありえないんですか?普通じゃあ。
だって、どうですか?ロゲ版ゼロでやってるんですよ、これ。
その割にはちゃんと撮影ポジションが決まってるように見えるんですよ。
そうなんですよ。犬とか雑貫とかもちゃんとインサートされてて、よく撮れたなと思って。
いいよいいよ、全然全然。
よくやったね。
いやだってさ、話した時に、ちゃんとイメージしてたの?初めのこの時代のね。
そう言ってたから、よく先に映像撮れたなと思って、綺麗にいろんなものがインサートされてたりとか。
やっぱ地図見るのが一番大きかったかもしれない。本当に地図見て、東高線見て、ここコールがあるから、コールってなんだっけ?
峠。
この峠だったら2500だったら、東大南北も話し良さそうって言ったら話してて、そしたらもう行く。
でも行っても、じゃあここでストップして、そこで待ち構えるのか、もうちょっと先行くかっていうのを新米夫と2人で話してて、
でも都度で決める、で待つって感じですね。
南さんにも聞きたいの。今回撮影プロジェクトでもあるけど、南さんにとっては、FKTのチャレンジじゃないですか。
当然マルコと新米君とかは、撮影クルーではあるんだけど、サポートクルーでもあるんだけど、
一方でなかなかロケハブもしてなかったりとか、万全体制っていうのはなかなか取れずらかったと思うんです。
撮影は結構大変だったっていうのはなかったんですか。
それは全くないですね。僕的には、彼のことも信用してるし、できるんじゃないかってすごく思ってて、
あんまりカチカチ決めるタイプでもないんですよ、マルコも僕も。新米君は割と決める方かもしれないですけど、
それが普通ですけど、日本人的には普通で。
全員それだったらやばかったと思うんですよね。もうめちゃくちゃになってたかもしれないですけど、
なんかあとイチローさんもいて、イチローさんも結構しっかり決めてくれるとか、締めるところは締めてくれたんで、
なんかのびのびできて、結果的にこういうね、うまく映像化されてたから、全然良かったんじゃないかなって。
全然不安は僕はなかった。不安あった?
ない。
よくやったなと思って。
ノリでやっちゃうんですよ。
すごいですね。車壊れたりね。
それもあったね。
詳細はトレイルヘッドに。
トレイルヘッドに載ってるんですけど、彼一回車壊れて一回バルセロナで帰ってきて。
僕じゃない、新米が送ってきて。
ちょっとおさらいとしては、5日目、Day5の最初の撮影ポイント行くところで、
ジャリ道結構急遽で、新米は国内のレースをよく活躍してカメラマンであって、
自分は四駆のエキストレイルを走ってるんですよね。
その感覚で海外の連打感も、これだったらいけんちゃうじゃないかって言ったら、
もううちらが借りてたのはBMWのセダンだったんで。
それも初めて違いがあったんだよね。
行ってみようか言ったら、そこが結構いけないなと思ったら、
折り返してパーンって音が出て、気がついたらもうダッシュポットがエンジンオイル漏れてますよって言ってて、
それを無視し続けたら煙が出てきて。
なんで無視し続けるのかよくわかんないけど。
なんとかなるというと。
なんないからシルバーに出てんのか。
それはなんとかならなかったかも。車はね。
それはさすがになんないなってのを伝え続けてて、
劣化者要望しかなくて、
そこでタクチさんがその日にバルセロナ、場所としては、
5日目はちょうど900のドマナガぐらい、400くらいのところで、
どこもないんですね。アクセスすごい悪い。三角地帯なんで。
なおかつ日曜日だったんで。
何か仕事しようかなと思って。
地元にいても東京とか大阪とか大都市にいると、
またそういう繋がりがあるから良くないなと思って。
でも働かなきゃいけないって。
そうだなって。
あったかいところに行きたいなと思って。
小笠原行っていい?って言って親に言ったら、
いいよって。
小笠原だったら週に1回しか便がなかったりとか、
孤島で孤立してるから、誰も知り合いもいないし、
そこだったらいいなと思って、
Googleに無人島アルバイトって入れたら、
小笠原のお仕事がヒットして出てきて、
そこから行くようになって。
環境保全の仕事とか、今でも毎年冬は行ってるんですけど、
そこで環境系の仕事をするようになって、
より自然のことを考えるとか、
そういうふうにはなってきましたね。
僕に1年後に、あれ1位になったってことですか?
あれ1位です。
僕もすみません、あんまり本格的にドラッグやったことないんで、
あんまり分からないんですけど、
これ分かんないんですけど、
要は、そういう生活してきて、
1年後でトイレランニングに優勝してて、
細かったんですけど、
足の筋肉とかは割としっかりされてて、
走ってたのはいつぐらいからなんですか?
走っててはいたんですか?
走って、中学生でサッカー辞める前はスポーツやってたんですよ。
その後はクラブに行くようになって、踊りに行くんですけど、
クラブも夜10時、11時ぐらいから朝の6時ぐらいからロンストップで踊るとか、
あと海外のフェスとか行ったら、
1週間ぐらいは音なりっぱなしなんですよね。
だから何日間踊れるかなとか、
そういうものをやってたりはして、
だから今の100マイルとか200マイルに続けるものは、
でも踊るにしても体力が必要だし、
バックパックやってて、僕は20キロとか30キロぐらい背負って、
世界中を旅してたんで、
それでも体力が必要だから、
基礎的な腹筋、背筋だったり、上腹5、6キロぐらいですかね、
とかはしてました。
トレーニングとしてのランニングはやらずに?
やらずに。
すごいですね、それって。
すごいよね。
ドラッグ辞めて1年後にトレーナー大会優勝できるっていうことだよね。
誰でもできると思う。
ちなみに、
違う番組みたいになってきましたよ。
2年前に僕肺の年齢測ったんですよね。
その時60歳って言われて、
いろんなものを吸いすぎて、
僕はすごく弱いんですよね。
だから僕は走るのがあんま得意じゃない。
速く走るのが。
フルマラソンとかは最初から無理だと思ってたんですけど、
でも肺年齢だったり走力がなくても別に100マイルも
総合力が必要だから、
だからいろんな人にね、
私走るの苦手なんですとか、
そういう人がいても、
違うところのものを伸ばしていけば、
全然すごく、すごくっていうか、
大幅にね、
結果を残せると思うので、
それがすごいところだなと思いますけどね、トレーナーも。
あとは自然が好きとかそういうところもあると思うんですけどね。
うちの社員もね、
明日から走ってくれるんじゃないかなと思いますけど。
今日はトレーランニングじゃない方も結構いらっしゃいますので、
もう大抵いけるだろうと。
これだったらね、いけるだろうと思うんですけど。
でもやっぱり強烈な経験とかっていうところがあったっていうのは、
でもお母さんもおっしゃってましたけど、
あの経験がやっぱり逆に、
本人だったら最悪な経験だと思いますけど、
今を振り返ると、あの経験が今すごく生きてるなと思うんですけど、いかがですかね。
最悪なのは、僕が感じさせた、
そのマミちゃんだったり、
母親だったり、周りの人なんですよね。
僕は全く最悪じゃなくて、
すごい、いやっちまったなっていうところがすごくあるんですけど、
今回もGR10を走ってたり、
僕は100マイルも走るんですけど、
もっと州でやってるのは200マイルとかそれ以上の距離なんですよね。
で、走ってくる24時間とかでは、
なんか落としきれないっていうか、
この普段の生活で何気ないやり取りで、
こんなこと言っちゃったな、傷つけてしまったなとか、
なんか変なこと言われたなとか、
満員電車乗ろうとしてて、
ぶつかってもいないのに下打ちする人とかいるじゃないですか。
今、いるんですか。
います、います。結構いるんですよ。
クソが。とか言われたり。
で、なんかそういうのでも、うわ嫌だなって思ったことも、
いろんなものが体の周りについているような感じがするんですよね。
で、24時間走って経過した時に脳も停止してきて、
なんかそういうもの、外側にあるものがどんどんどんどん
削ぎ落とされていく感覚があるんです。
で、最終的に残るのは自分の心が残ってきて、
で、すごく綺麗な、その時走ってる時の景色だったり、
その時感じる朝日の暖かさだったり、
その風に乗ってくる朝日の暖かさを肌で感じる。
で、それを心で全部感じるから、
この5日目からは。
ちょっと補足すると、
南をChasing Starsというタイトルにするんですけど、
彼のドキュメンタリーを撮る、GR10を撮るといったとしても、
そのドキュメンタリーの要素、そのテーマは何なんだっていうのはわからなかったんですね。
でもとりあえず撮るってことになってたんで。
タイトルは3日目くらいですかね。
彼がフランスの最南端にある、
FKT最速記録の記録を追う。
彼の名前は南だから、最南端、南。
その記録を追う南が、僕ら、僕の真兵が彼の姿を追うだから、
Chasing Starsだなっていうのがタイトルを決めたんだけど、
でも彼は何で走るんだっていう。
それこそトリューヘッドもそういうテーマが、
自分が一番気に入っているところというか、知りたいところであって。
しかも彼は長い、
彼との付き合いも7年8年くらい友達で、
そもそも何でこの人はこんな距離を、
自分を虐待するというか、
それくらい走りたいんだろうっていうのがまだ見えてなかったんですね。
さっき彼が言ってた5日目くらいに、
ちょっと自分が今まで傷つけた人たちの痛みを知る必要があるんだなっていうのを、
その時は多分まだ言葉自体がそこまで言語化されてなくて、
ただ8日目でまた大雨で停滞温床になりかけたところで、
車に入って出て、その後に10キロくらい一緒に走ったんですよね。
そこでやっぱり自分の疑問だったのは、何のために走るんですか。
もうそろそろ200キロくらい残ってるんですけども、
終わるのは見えてる。だったらどうなの。
900キロ走ったんだけど、すごい。だったらどうなの。
っていうのを質問に対して彼は、さっきの言葉の雛形が出てきたんですね。
マミちゃんのことだったりとか、痛みのことを知りたいっていう言葉。
もしかしたらそこがもうちょっと深掘ることによって、
この映画のテーマになってくるんじゃないかなっていうのがあって、
全部終わってからインタビュー、3時間くらいかけて、
彼の話毎日どうだったかというナレーションの部分ですね。
もう一度聞く。そしてさっきの締めの言葉。
トリュフランニングを教えてくれたことが、
それだったなっていうのがすごい風に落ちてて、
南を追う、彼は何が追ってるかっていうのを
根本的なところが見えてきたっていうのがあるんですね。
それがさっき彼が言ってたエピソードだった。
今回FKTって話を聞いていたんで、
当然記録のチャレンジっていうのはあったんだろうなと思うんですけど、
作品を見てる中で、
意外ともちろん時間がないとかって話とかがあったんですけど、
そこは見ててもあんまり実は大切なことではないんじゃないかなって、
記録が切れないっていうのが途中でわかるところであっても、
そこにも我々の関心はなくて、
もっと南さん内面とか違うところにも関心が写ってたなと思ったんですけど、
南さん自身もちろんFKTのテーマとして設定はされたかと思うんですけども、
途中でもう間に合わないっていう話になったときに、
普通は記録だけだったら辞めちゃうじゃないですか。
辞めたくなっちゃうとかってあると思うんですけど、
そこはもうその時の気持ちはどうだったんですか?
もう間に合わないっていう。
これも9日と9時間っていうのは、
FKTっていうアメリカのサイトがあるんですよね。
最速記録の。
そこでルートを見たら、
エリックっていうフランス人のランナーなんですけど、
そいつがやったのは9日と9時間で、
東から西に向かうルートの記録はFKTのサイトに載ってるんです。
で、僕がやった方は、
西から東、大西洋から地中海っていう方は記録がなかったんで、
これ完走すれば記録になるんだなっていうふうに思ってたんです。
ただその指針として、
彼が9日は西方向なのか東方向かでだいぶ違うかもしれないんですけど、
指針として9日と9時間って決めてスタートしてたんです。
ただその完走すればFKTだと思ってたから、そこまで焦ってはいないんですよ。
で、一番最後の最後で、
気持ちも折れちゃって、体中も痛いし、
一番最後の10日目。
で、チェックポイント一つごとに1時間ずつ遅れてた。
で、このままチェックポイント過ぎていったら、
その10日以内のゴール、
9日と何時間でゴールしようって決めてたんですよね。
FKTになるのは確実だろうって思ったので、もう完走もできるし、
だったら9日台でクリアしたいなと思ってやってて、
で、結果9日と21時間っていう記録になって、よし終わったと思って。
で、日本帰ってFKTのサイトに申請したら、
ダメですって言われて、え?ってなって、
なんで?って思って、その方向によって全然違うじゃんって言って、
そういう話もしたら、いやGR10はそういうのは関係ないって。
そのサポートがありなしかとか、宿泊をするのかとか、
なんかそういうカテゴリーの違いだけで、
どっち方向で始めようがGR10は関係ないんだって言って、
なんかプレミアム10っていうコースがあって、
それがアメリカのアパラチアントレイルとか、コンティネンタルリバルトレイルとか、
そういう指定された10本は、北方向、南方向とか東方向、西方向ってあるんですけど、