1. とりあえずベンチで
  2. 【#82】「自分」とは一体何者..
2025-12-22 1:05:43

【#82】「自分」とは一体何者?、自己評価・他者評価を通して考えてみる

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■お品書き

・自分がどういう人間であるか主張したくない

・自分がどういう人間であるかは周りが決めて欲しい

・自己評価と他者評価の矛盾

・自己評価と他者評価にギャップを感じた大学時代の経験(※音声では他己評価と言い間違えています、正しくは他者評価でした。すみません!)

・自己評価と他者評価を一致させる

・他者に対して真に理解は及ばない、だから見える範囲の評価を事実とする

・自分自身も自分がいかなる人間なのか分からないままでいたい

・「自分の底が見えるのが嫌」理論

・他者に見える自分の一面を一貫させたい

・なぜみんな鉛筆を裏切れるのか

・鉛筆を使う責任を誰かが取ってくれたならやめられたかも

・シャーペンしか使えない訳ではないのに、みんな鉛筆を捨てていく恐怖

・そもそも何の話だっけ

・ヤンキーも「かくあるべき」に従っているのが解せない

・外的要因によって変化する自分

・社会人としてのかくあるべきには疑問がある

・このさき自分がどういう人間になるかもブラックボックスに入れる

・ささおと逆のキョウスケの考え方

・過去の自分が想定した26歳の自分ではない

・過去においても未来においても自分を変化させる無数の変数がある

・どういう自分になるかはアンコントローラブルである

・過去の自分を振り返って、未来になりたい自分を想定する

・他者評価によるギャップ、未来に控えた無数の変数、それらを考慮するとなにを自分として設定すればいいか分からなくなる、それが怖い

・自分の人生に必要だったものを振り返る

・利他的なエゴイストになるという目標

・大学生までは人は独りなんだと思っていた

・ただ独り無くなることへの願望

・自分のためだけに生きていくのは辛いのだと分かってきた

・キョウスケは自分起点、ささおは他者起点の「誰かのため」

・自分にとっての当たり前を疑う

・他者の考え方に対する興味がある

・生きた人間ってめちゃくちゃ面白い

・その人間のそれまでの過去の積み重ね、その最先端に今がある

・「自分がどういう人間であるか語りたくない」ということを語ってしまったのでどうしようか

・人間のちょっとした話を聞けるおすすめのポッドキャスト「岸政彦のちくわ日記

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■喋っている人

・ささお / キョウスケ

■とりあえずベンチでとは

・「とりあえずベンチで集まろうぜ」、そんな感じで集まって珍妙なトークが始まるポッドキャストです。

■利用楽曲

・曲名 『Dream』『Book』『Dull』

・作曲 RYU ITO 

・https://ryu110.com/

サマリー

このエピソードでは、自己のアイデンティティを探求し、自己評価と他者評価の相違について議論しています。就職活動や日常生活における自己表明の負担や、それに伴う感情について考察しています。自己評価と他者評価を通じて「自分」とは何かを深く考察し、他人の評価を気にせずにいることや自己理解の難しさについての見解が述べられています。自己評価と他者評価の観点から「自分」とは何かを考察し、中学校のルールの変化やそれに伴う価値観の移行について議論しています。自己のアイデンティティについて考えるこのエピソードでは、過去の体験から生じる価値観や未来の自分への期待が自己評価に与える影響を探求し、他者の視点から見た自分の評価とのギャップについても考察されています。このエピソードでは、「自分」とは何かについて深く考察し、自己評価と他者評価の関係性を探求し、自分を疑い、他者との関わりを通じて新しい視点を得ることの重要性が強調されています。

アイデンティティの探求
とりあえずベンチで、とりあえずベンチで。
どうも、ささおです。
キョウスケです。
ささおが、なんか疲れてるらしいので、ちょっと話を聞いてあげてください、皆さん。
いやー、もうね、もう何者でもないんですよ、俺は。
何者でもない。
急に話が、何者でもないと。
いや、なんか、最近ね、多くて、そういうものが。
うん。
まあ、どうだろう。
いや、なんか、なんだろうな。
うーん。
まあ、〇〇を押してますとかもそうだし。
押し勝つね。はいはいはい。
押し勝つとか。
うん。
まあ。
まあ、まあ、いろいろあるけど、その。
まあ、何かしら、界隈に所属するみたいなところ?
そうとか、まあ、行き過ぎた男の女だとか。
ああ、その、男性はこうあるべきだ、女性はこうあるべきだ。
ひるがえって、そういう区別はもっと柔らいで、男性らしさ、女性らしさみたいなものから別の価値観に移行してこうみたいな、次の。
考え方みたいな。
もあるし、それに反発してそっちが強いパターンもあるじゃん。
ああ。
もう逆に役割分担したほうがよくないっていうね。
そうそう、それの反発の意見で出てきたりとか。
うん。
まあ、それに伴ってかわからないけど、それに紐づいた恋愛のやつとか。
その。
ああ、デートで男性がお金を払う、払わないみたいなね。
そうそうそうそうとか。
ありますね。
前にもやったけど、そのMBTI診断とか。
16、そうだね。
16のタイプの。
ラブタイト診断もそうだし、みたいなね。
だし、とか、何々界隈とか。
まあ、さっきもちょっと言ってたけど、何々界隈とか。
所属してる、貴族意識みたいな。
とか。
なんかこうね、そういうものに自分を代替するとか、そういうのでして。
就職活動の困難
自分が何者であるかというか。
はいはいはいはい。
俺は○○だみたいな。
俺はこういう人間だと。
そう、俺はこういう人間だっていう。
ビッグダディー。
ビッグダディーそう。
ビッグダディー。
ビッグダディーよろしく。
よろしく。
俺はこういう人間だっていう場面。
場面をよく見るというか。
うん。
多いなーっていうのを最近感じて、すごいですね。
ヘキエキとしてるんです。
自分が、そういうのが全く、どっちかというと本当にしたくなくて。
私がこういう人間ですっていう主張をしたくない。
うん、言いたくないです、一切。
あー、面白いね。
それさ、笹尾が一番これ嫌だなと思ったのは何の時だった?
あのねー、まあ、なんかこう、自己紹介とかもそうだし。
多いね、確かに。仕事の時とかね。
マジで大変だったのは就活の時とかね。
あー、就職活動の時。絶対あるもんね。
学生の時やってきたこととか言わんとかもね。
あれはいかにさ、自分が何者であったかを有弁に語る場じゃん。
そうよね。
一番やりたくないですよね、それが。
だから本当にきつかった。ないものを探すというか、ことを強制されたので、本当に大変だった。
あー、なるほどね。
就活は確かに顕著な、顕著というか、一番結構色濃く出るよね。
私がこういう人間ですというものを主張しないと始まらないものというか。
そう。
私は何者か語りませんが雇ってくださいが通らないもんね、就職活動においては。
特に大卒の就職活動においては。
だから知らない人の前でやることだしね、やっぱり一層自分の口で語るのが一番早いというか。
他者評価と自己評価の乖離
あるんだろうけど。
それで言うとどっちかというと、勝手に決めてくれみたいな感じだよ。
俺がどういう人間かお前らが決めてほしいのっていう。
そう。
本当にいいなっていうぐらい。
俺からは行動とかで、じゃあこういう人なんだってなるのはいいけど、俺はこういう人間ですっていうのが嫌だって。
自分から言うの嫌なんだ。
嫌だ。
嫌じゃない?嫌じゃない?
俺嫌じゃないからそうなんだと思ってるんだけど。
嫌じゃない。
会社とかで、じゃあ笹尾さんはこういう人ですねって。
例えば仕事ぶりからとか評価されるのは別に適切というか。
自分の価値観には沿ってるものではあるよ。
でもね、入り混じる嬉しいっていうのと、いいことだったときに嬉しいのと本当にそうなのかなっていう疑念と
違いますよっていう否定が同時にわけよくある。
複雑だな。人間らしい感情だな。
だからなんか言われたときに難しい顔するかもしれない。
返答に困るわ、なんて言えばいいんだろうなって思う。
じゃあ笹尾の人事評価として、笹尾自身が自覚してない部分を褒められたときにはそれでいいな、
つまり笹尾自身は自己表明しないけど他者からそういう評価を得てるってことに対して環境としては自分のいいなと思う状況ではあるけれども、
それが本当に自分のものであるかどうかっていうのに疑念というか疑問があるというか。
疑問もあるけど一方で、気づかれたというかさ、要は自分に自覚がないから、
持たないようにしてるというか、そういうとこもあったんだっていう嬉しさもある。
そう言われたことに対してね。
じゃあそれではいって言うと、そうじゃないとダメなのかなってなったら嫌だしとかさ。
だからそういう人間ですって言いたくないなってそう言われたとしてもね。
っていうのはある。
ちょっとなんか具体的な話にさ、聞きたいんだけどさ、じゃあそういうふうにして言われて、
嬉しかった経験としたらどういうものがあるの?
でも最近それで言うと、その正手じゃないけどそういうのあって。
年末ですね。
年末なんでね。
なんか吸収力が高いみたいな感じで言われたとか。
はいはいはい。
言われると、ああでもまあ嬉しい。
まあ悪いことじゃないじゃん、そのもの自体は。
うん。
だからまあまあまあまあまあそうかみたいな。
嬉しいの悪いのが多いな、そういう時は。
で、これがでも不思議なもんで、というか、
佐々木さんにとっては、私は吸収力がある人間ですというのは嫌なんだ。
嫌だ。自傷はできない、それで言われたとしても。
自傷はできないけど、そういう評価を得られるのはいいんだ。
俺自身、じゃあ覚えがいいかって言うと、
で、その今までのバーッとしてきた仕事のことを考えてみると、
そうかなーって思い合ってるところがあるから、
じゃあ100%そうですと言えんなっていう感じですよ。
ああ、そういうこと。
じゃあ今まさに、
うん。
自分にとっては自己表明することは避けてきたけど、
じゃあ他者からその評価を得られた時に、
うん。
本当にそうかという矛盾というか、
うん。
抱え始めてるところではあるんだ。
嘘が発生するようにそう言われた時に。
あー、なるほどね。
いや俺はね、俺の話になるんだけど、
うん。
それが大学時代だった。
ほう。
大学の時に、
うん。
なんか、相談ごとを受ける時があって、
というかそれまでの人生は相談ごとをよく受ける側の人間だった。
相談する側じゃなくて、相談を受ける側の立場だった。
うんうん。
で、大学の時に受けた相談が、
うん。
それは個人的な話になるから具体的な話はできないんだけど、
とにかくそれを聞きながら、
なんでこの話を俺にされてんだろうっていうふうな疑問を持ったの。
ほう。
結構だから重みというか真面目な質問だった。
うん。
で、それを聞いた時、それを質問を受けてる時に、
このレベルの相談を俺にされてると、
俺側がこいつに相談できなくなるなと思ったの。
ほうほうほう。
で、今自分が他者から、
キョウスケは頼れる人間だというふうな評価を受けてるってことを気づいたの。
ああまあそういう話もできるっていうぐらい、
そうね。
まあ確かに信じようしてるというか。
うん。
これは嬉しいことだ。全然悪くない。
うん。
だけどそれまでの人生を振り返った時に、
人生って言っても当時だから19年か20年かそこらのあれだけどさ、
うん。
その時に自分はそちら側、つまり相談される側の人間として評価されてる。
うん。
けど、俺って別に人に相談しないとどうにもならないことっていっぱいあるくない?って思った。
ここで自己評価と他個評価の差があるってことに気が付いたの。
自分は相談しないと解決できないこといっぱいあるはずなのに、
他の人から見たら、
そういうものがなくて解決案を持ってきてくれそうな人間であるってことを。
うんうん。
評価されてるときに気が付いた。
うん。
で、このまま自己評価が他者に伝わらないままずっと相談され続ける人生をこのままもし十数年間送ってきてしまったら、
うん。
自分は他者に相談できなくなる人間になってしまうなと思ったわけ。
ほー。
このまま他者に寄り添い続けていくと。
うん。される人間になっちゃう。
そう。で、俺はそれが危機的だと思って。
うん。
俺は人に相談したいから、なるべくフラットにしようと。
自己評価と他個評価に差があるんじゃなくて、
そこの差がどんどんなくなっていくように振る舞おうと思ったのが大学の2年ぐらいのときだった。
へー。
で、今に至る。だから俺の中では自分はこういう人間ですと表明することは大切で、
なぜならそれは自己評価と他個評価の間の差分をなくしたい。
あー、コントロールしてそこを。
そう。
上手いこと、その自分の身、そのなんか相手から見える人間性を調整して、
えー、いい感じにするっていうか。
言ったことを。
その通り。
えー。
じゃないと、高く見積もられることが嫌なの。俺は自分自身を。
こう、正当に見てほしいとか正確に。
正当に見てほしい。
あー。
正当に見られて初めて褒めというものに対して、私もそこ褒められたくてやってますから嬉しいですの気持ちが出てくるから。
あー、自覚しているところで褒めてもらえれば正確にというか。
うん。
確かにそれは、自分の中に説得力があるよね。
言われたときに納得いくというか、言われた褒めに対してね。
そうなんですよ。私そこ嬉しいんですよってなるじゃん。
もしでもそれが相手から見てる自分の姿、理想的な姿をもし何か見出していて、それを褒められた場合はそこは偽りがあるはず。
私でない私の部分を相手は見てしまってる。
あー、ちょっと盛られちゃっとるというか。
そしたら、私である私ではなく他者が見てる私の姿に俺は寄ってかんといかんというか。
あー、その人の像に近づける、逆に。
それは嫌なんですよ。
うーん、それは嫌だ、確かにそれは嫌だめっちゃ。
辛いというか。
うん。
自己評価と他者評価
だから笹尾は他の人からこう見られてるっていうところを、なんだろう、よしとするというか、いいと思ってるっていう価値観があったって言ってたけど、
俺は逆で、人からどう見られるかという評価は常に自分はこういう人間であるという評価と一致させてたいと。
ほー。
から、俺にない価値観だなと思って聞いてた。
え、実際問題コントロールできる?
あー、俺の中ではしてるけどね。
多分ね、諦めがある、俺そこに。
その、もう、そこを、そういうのはなんかあの、及ばない範囲というか、自分の。
あ、及ばない範囲だと思ってんだ。
そう、だから、まあどう思ってもらってもいいけど、みたいな感じにしといた方があれなのかなっていう。
なんで及ばない範囲だと思うんだろうね。
いや、だから、どうだろう。
まあ、基本的に、なんかこう、要はまあ、人を、他人をというか、想像するときに、やっぱりどうしても、
なかなかさ、相手の思考というか、他人の思考を、全く自分とは別のものとして考えるって難しくない?そうでもない?
あー。
共感しないってことかな。
要は、まあ、なんだろうな、多分自分が、あの、人によって性格を変えるようなものじゃないと思っているから、
じゃあ相手も多分、干渉できないんだろうな、みたいなのがあるんだろうなと。
だから、互いに及ばないんだろうなと思って、好きにしてくれ、させてくれよ、みたいな。
相手のほうにも、俺のほうは多分及ばないからというか、相手が、互いに干渉できない、自分の性格を。
性格というか、どうやって見えているかを、干渉できないというか、相手がそれぞれ自分の思っている相互に自分の思っている、
相手もできないって思っているんだろうな、みたいな。
互いに思っているからやらないみたいな。自分もそうだから。
笹尾起点で笹尾自身がこうであるから、だから他者に対して、あ、違うか。
笹尾に対するどういうふうに思いを持っているかっていうのは、笹尾目線で見えないっていうのが相手も同じだから、
お互い分かり合えることはないよね、みたいな。
だから、お互いの見える範囲のところで思っていることっていうのを事実として受け入れましょう、みたいな。そういうことかな。
多分そういうこと、そういうこと、そういうこと。
自己理解の難しさ
なるほどね。
っていうふうに思っているから、コントロールできるみたいな概念がないというか、俺には。
分かんなくね?って思ってるわけだ。
そうそうそうそう、思うことなんか分からなくないっていう。自分もそうだよ。
自分の中で完結してるようにしてるじゃないけど、それが全て相手に見えてないように、
相手の思っていることも見えてないんだから、分かり合わないよね、みたいな。
互いに。
今さ、それはさ、笹尾がビョンっているじゃん。真ん中にボーンと置かれてて、
それに対面する誰かがいて、その間の中で起こる話の分かんないから良くないになってんじゃん。
そうじゃなくて、他者の人は一旦もう去っておいておいて、笹尾一人がポチンと会ったときに、笹尾自身に対する話はないの。
俺が俺にどう。
そう、俺が俺にどう思うのかみたいな。
あー、だからそれもね、なんか持ちたくないなーと思う。
あー、それも持ちたくねーんだ。
だから自分自身でさえ、自分がどういうものであるかを持ちたくもないというのもあるから、
本当に分からなくしたい。
これは分からないじゃなくて、分からないようにしたい。
したくてやってる。
それが2パターンあると思っててさ、これから笹尾自身のそういう思いが変化するから分からないままにしておきたいのか、
もう変わらないから、このままもう分からないまま置いといても自分はこのままでい続けるだろうっていう、
そういう続きものとしてあるのか。
いや、あとね、変わりうるから見たくないのと、
あとね、やっぱりバレるのが怖いわ、自分の。
あ、出た。
なんか前も言ってた、自分の底が見えるのが嫌だみたいな。
そうそう、それが多分それなんだろうなと思うけどね。
人間性の底理論。
価値観のフィルター
あー、そこなんだ。
自分自身で自分がバレるのが嫌なんだよね。
自覚的になるのが嫌なんだ。
そう、バレるのが一番嫌だ、怖いわ。
自分がどういうものっていうのがもうバッて出ちゃったら終わるじゃない、そこでもう。
もう私はこれですってわかっちゃうのが嫌だ。
なんか結構今までいろいろ言われてきたのが、やっぱ真面目とかって言われる。
真面目かなっていうのがやっぱあって。
あるよね、俺も言われるけど。
そう、だからね、じゃあ俺これ真面目な人間だ、俺はってなったら、
もうバレるじゃん、バレたじゃん、もう。
終わりじゃん。
もう終わりじゃん。
はいはいはい。
バレた、もう。
真面目な人間ってバレた、俺もこれで。
うん。
ずやじゃん、めっちゃ。
だから真面目じゃない部分みたいなの残しときたいけど、淡いとして。
そう、ないと嫌だから。
じゃあそうしたら真面目な人間って言い切れんじゃん。
うん。
っていう曖昧な状態ですね。
あー。
でも笹穂自身はそれがさ、こう、笹穂さんこういう人ですよねって言われたら、
それの影響を受けやすいってのもあるのかな。
ある。
それもあるんだ。
いや確実にある、それは。
あー。
笹穂さん過目ですよねって言ったら喋らんくなるってこと?
あー、こいつに喋るんだってなるじゃん。
おもろ。
喋るんだってなるじゃん、だから。
それが何かなーってなるじゃん。
それもなんか、やだなというか、申し訳ないっつうな。
何申し訳ない?
いやなんか、相手がビックリしたらやじゃん。
俺が喋っただけでビックリしたらやじゃん、何か。
なんで俺が喋っただけでビックリさせなあかんのってなるじゃん、相手が過目だと思い込んでるから。
確かに。
ゆえに。
だからじゃあもう喋りたくないなってなるよ、そしたら。
一貫性を重視してるんだ。
入所してるんだ いいまあ相手から見える面のところは
それをもしかしてやっちゃうかも そういうことか
だからこそ多面持って持ってるとか見えない 面がありますよって自分の中に思っとか
ないと 怖いなってのあるのかもね
防衛するというか見えないところで例えば 高校3年間誘うちょっと振り返ってきた
ときにさ 確実に寡黙な人間であったわけじゃん
寡黙な人間だったよそれはだったよ 1日の1日のうちさ一番大きい音が
シャーペンのシーン出す音かもしれん わけじゃん笹尾の中で
いや全然あったと思う 全然あったらおかしいだろ
なんなら俺シャーペン使ってなかったでしょ 鉛筆だったでしょ
鉛筆だったのお前? そうだよ マジで?なんで?
いやこれも1個あってちょっと いや俺たぶん言ったことないって
これ誰にも誇ったことないんだけど1個 家族ぐらいにかなちょっと言ったの
いや俺ねこれずっとおかしいと思っとって 世の中が世の中がおかしいんだけどこれは
俺がおかしいじゃなくて お前じゃなくて これだけ言っときて俺がおかしいじゃなくて
世の中がおかしいっていう前提のもと 聞いてほしいその
なぜか小学生まで鉛筆しか使っちゃダメだ って
ダメだった なのにじゃあ中学生になったらシャーペン使えるよってなったじゃん
なんでみんなシャーペン使いだしたの?どういうこと? あれはどういう理屈なのあれ
シャーペンの方がやっぱ大人っぽくていいじゃん ほらおかしくないかそれとも
常々思っとる なんかそのねそれも嫌なのよなんか
格あるべきみたいなやつ あーそういうのも嫌なんだ
そうそれも嫌で 何でそんな中学生になったらシャーペン使いださんっていかんの?って思っちゃう
そこで あそこで? そう
あーなるほどな 俺別に鉛筆でいいのに周りの人がシャーペン使ってるからシャーペンにするのは違うだろうと思ったんだ
明確な理由なくない?シャーペンにする理由が シャーペンにする明確な理由はない
なんだったら 周りが使ってるからが一番大きいかもしれない
そうそれ以外ないのになぜかみんな使いだしたのがよくわからんくて なんでそんな簡単に6年間ずっと今まで使ってきた鉛筆を裏切れるの?と思った
お前鉛筆と信頼関係結んでたのかよ いやてかその何なのこれと思った
何なのこれっていうその意味がわからんかったそもそもそれが へー
大学生に入ってから初めてシャーペンに移行したの 持ってたりとかはあったけどほんとに全部ほんとに鉛筆ほぼ本当に
試験とかも鉛筆だって受け入った? だってさそれこそ大学入試マークシート式だったじゃん
我々の時代センターだったけどセンターだったんで だから鉛筆用意してくださいって言われた時に鉛筆みたいな
もう無いんだ何だったらもう無いんだけどみたいな 感じだったけどお前はいやいや鉛筆なんて毎日持ってるでしょ
鉛筆しか持ってないよって感じ いやみたいなそういうのもあったりして
そうだからそういうので言うと逆に鉛筆しか使ってないになっちゃったけど 書くあるべきもあんま好きじゃないんだよなそれで言うと確かにそれもある
鉛筆でもさ鉛筆を使ってる理由は スタートの部分は気にならないんだ
えでも鉛筆だけしか使っちゃダメって言ったじゃんって感じだけど俺からしてみたら じゃあ最初からどっちでも使っていいしてくれたらいい
あーそっかその時選択しますからって そうだってその時もなかったじゃん別に鉛筆
じゃあシャーペン使っちゃいけない理由もなかったんよ多分 じゃ誰が説明できたか話をあの時に
あー
シャーペンと鉛筆が中学校になってシャーペン使っていいってことになった時にさ 周りの子たちがみんなシャーペン使ってはいるじゃん
もちろん彼ら自身はシャーペンが周りの人たちが使ってるからとかシャーペンの方がかっこいいからみたいな理由でやり始めるじゃん
それを見て笹尾自身はいやいやいやみたいな なんで鉛筆やめるんだと思うわけじゃない
でも笹尾自身にもシャーペンを使うという選択肢は残されたわけじゃない それを取らなかったのは鉛筆を使っているからっていう理由だけだと
あでもそれで言ったらそう シャーペンに対するそれこそかっこいいとか
その芯をしまえるから筆箱が汚れないみたいにそういう実績の部分は全部一切無視した上で鉛筆を利用しているからという一貫性の部分が優先順位として高かった
そう鉛筆を使うって言ったなら使うみたいなそれはだって 使うじゃん
なんだろうなぁまあ誰かに責任を取ってほしかったよね 俺が鉛筆を使い続けざるを得なくなったわけで
鉛筆を使いなさいって言われた以上はもう鉛筆だけを使ってたけど そこもそれも
誰かから責任を取ってくれたらやめたかもしれないですよ それに対して
というかなんか 笹尾自身は世界が間違ってるって言ってたけど絶対笹尾が間違ってるからなこれ
いやいやいや 絶対間違ってる
ルールの変化と価値観
だって鉛筆しか使っちゃダメって言ってたじゃん意味がわからない 鉛筆がそれだったら最初は意味がわからないし
中学になったら使っても意味がわからないんだよ
なのに意味がわからないことに中学になった瞬間に受け入れたら意味がわからない
なんでみんなその約束を捨てたんだっつって
そう その簡単にじゃあ何が変わったのって小学校と中学校の狭ざま
ただその1年経っただけの間のそこに何があったの シャーペンと鉛筆を切り替える何の差があるのって話じゃん
ルールが変わったんだろルールが
いやいやだけど人間として何の差はないじゃん そこに別に明確な差はない
さかだか1年の差だわ
グラデーションならいいよ 徐々に変わっていくなら
徐々に変わっていくなんてことある?鉛筆からシャーペンに
だんだん週7から週5鉛筆週2シャーペンみたいな感じで切り替わっていくならいい
何だそれ
筆箱の本数が入れ替わっていくみたいな割合が
とかだったら納得るけどそんなにそんな一瞬の天気で変わるって怖くすぎないかそんなのって
なるほどね
だってそんなさその1号令が出てさパッて変わるのめっちゃ怖くないかそんなの
鉛筆からシャーペンにその瞬間から入れ替わるのって
合わせてってこと?
そうで別にシャーペンしか使っちゃダメって言ってるじゃない
それが怖かった
シャーペンしか使っちゃダメって言われたら俺もシャーペンに変えたけど
シャーペンも使っていいですよって言い出しただけなのにみんなシャーペンになったのが怖かった
えもう鉛筆でいないの?みたいな
そうだって別に鉛筆も使っていいのにさもう鉛筆はダサいみたいな風潮あったちょっと
まあ確かに鉛筆ってねえよみたいな
だって小学生が使うもんでしょみたいなね
そう
おかしくないかっておかしくないかって話で
踊らされてる大人たちに踊らされてるそれは
仕組みに仕組みにしてやられてるそれは
あーなるほどね
っていうことを俺が言いたい
だからその鉛筆を使い続けたっていう価値観
これ何の話だっけちょっと待って
分かんなくなっちゃったんだけど
そもそも何の話だっけ
自己評価と他者評価
いや何の話だっけ
何の話だっけ
クラスの中で課目だという風に言われたら課目な一面を生徒の人たちに見せてたわけですねっていう話をしたかった
あーはいはいはいはい
話はものすご
ってことだよね
っていうことになるな
その人たちに課目な一面を見せてたっていう形かな
俺の解釈としてはね
じゃあ鉛筆も同じで鉛筆使ってくださいねっていう話を小学生の時に言われて
中学校に至っても高校に至っても鉛筆を使うってことは許容されてるんだから
じゃあ鉛筆使いますよねっていう話なのか
そう
と俺の中の価値観として書くあるべき
それならそうあるべきみたいなのに言語をしすぎるのもどうかなみたいな
っていう考え方もある
シャーペン使うべきじゃねかっこよくねみたいな方に流されるのも嫌なんだ
そう
いやこれちょっとこれそれで言うと俺の代表的なこの考え方の1個あるのとしては
あんまり言うとあれかもしれんけどなんかこう
中学の頃とかもさ
いわゆるヤンキーみたいに人っていたじゃん
いたねいました
俺あれあんまり好きじゃなくて
ヤンキー嫌い
でこれ何が好きじゃないかっていうと
まあもちろんよくないこともしてるわ
いろんなよくないこともしたりしてたのもあるけど
何が一番嫌かって
格好が全員同じになること
あー確かに
これがね一番納得がなくて
なんかたんらん
そうたんらんとかぼんたんとか髪型をなんかね
あのあれの髪型にするじゃん
リーゼントとかみたいなね
そうそうそうでみんな原付みたいに乗ってとか
あと裏ボタンね
そうそうそう
天下統一みたいな漢字書かれた裏ボタンとか
そう
であれも要はなんだろうな
あんまり言い方はあれだけど
はぐれたというか
はずれたって言ったらあれだけど
ちょっとねそういうこう
立ち位置に立ち位置になったのになったのに
ヤンキーとしては格あるべきはやるんだっていうところ
うーん
が俺らもルールを守って制服をちゃんと着こなしてるのと変わりないのよ
やっとることを
根本はそれがあんまり好きじゃない
なるほどその道は外れたけど隣の道路走ってますよねみたいな
そうだけだけ
なんか好きじゃない
外れたならもっとめちゃめちゃやればいいのにって思う
はいはいはい
その限らずじゃあ赤色の
赤色だとちょっとあれかもしれないけど
例えばこうペイントしてきちゃうとかね制服にとか
本人がやりたいようにやればいいのに
あの世界の格あるべきをやるじゃん
あれがなんでっていう
がどうしても聞きたい
なんでやるのそれをっていう
ヤンキーたちに
そう見とるとやっぱやだなと思う
ゲーゴーじゃないけど格あるべきみたいな
せっかく自分でやりたいようにできるのに
じゃあ格あるべきに
なんであんなに入り込むんだろうって
それはでも多分中学校入ったタイミングで
みんなシャーペン乗り換えるのと一緒だと思うけどね
でしょそういうことでしょ
だからさっきのそういう価値観ってことでしょ
それがやっぱなんか納得いかんだよね
そういう価値観っていうのだと
こっちの方がかっこよく今までと違うじゃんみたいな
そういうところで選んでる不足はあると思うけどね
でもそれ誰かが用意したやつじゃん
そのせっかく外したもん
将来の可能性
せっかく外したそれはそうだね
そのシャーペンのかっこよさにしても
ヤンキーのかっこよさにしても
結局前の誰かが見出してたものではあるよね
やったことあるやつじゃんって言う感じじゃない
がなんかなーって
それはそうかもしれない
やったことあるやつをわざわざ選ぶじゃん
それもなーって思うし
強制されたらそれやるけど俺も
こうしなさいって言われたら
強制力あればしますけど
そうでない限りは
いや思ったのは
笹尾自身の人間性の変化というか
私はこういう人間ですというものの変化が
基本的には外的なものの要因でしか変化しないってのはよく分かった
だから笹尾自身が他者から評価されるっていうのは
外からの変化でのみ自分の変化があるっていう前提のもとで
成り立ってる価値観なんだろうなと思ったね
おそらくだけど
仕組みとはちょっと違うかもしれんけど
ルールとかさっきのシャーペンとかとはちょっと違うかもしれんけど
なるほどね
外のものによって形作られるというか
それがそこで決まってくるというか
広がったりとか狭まったりとか
笹尾さんじゃあさ
例えばこのざっくり
なんで働いてるんだろうみたいなのは思わないの?
今学生からガーって上がっていって社会人になった
で社会人は働くべきだっていう風に言ったら格あるべきがあるわけじゃん
それをなんで働かないといけないんだろうみたいな疑問は思わないの?
いや思ってるよ
思ってるんだ
ずっと思ってる
ずっと思ってるんだ
ずっと思ってるし
今は本当に思うし
だけどまあ
これでは
それで言うと
そのなんだろうな
自分のためだったらもうやってないかなと思う正直
真面目にやってないだろうと思う
だからまあ
結婚して家庭もあるから
自分以外の生活もかかってるし
そう別にね
俺のためじゃなかったら別になんかやれる自然に別にその
ある意味で言うと
自分のためじゃないしというか
っていうのであれば
またそれは別になるというか
位置が変わるんで
ただ自分が辛いだけだったら耐えられないものも
それ以外のものもあるしなっていう
そういうふうな考えになっている
そうそうそうそう
みたいなのにして何とかやってるけど
まともに自分の中のものとして仕事として受け取ったらそうなる
なんでなんだろうってなるよそれは
なるほどね
笹尾自身はさ
この先今笹尾がそういう価値観だとしてさ
この先どうなるかはやっぱりそのわからないという
ブラックボックスの中に入れておくんだ
入れておきたいもしかしたら
仕事が好きでたまらんくなる可能性もある
あるめちゃくちゃある
し絶対にやりたくないものになる可能性もある
なるほど
からどの可能性も一応に置いておきたいというか
自分の中で答えを出さないようにしといて
今はそのためにというか
しておけば一旦俺のための部分は考えずに進むというか
考えようができるかなっていうのはある
分かってきた
俺とお前を対比したときのどういう違いがあるか分かってきた
笹尾自身は笹尾が今現時点で26歳のお前がこういう人間であるってことに対して
わからないなりにも確実性があるというか
積み上げがあると思ってる
ある
積み上げ
そうきちっとこうなんていうの
維持できてると思ってる
自分がこういう人間であるというの
自分がこういう人間であるって持たないっていうので言うと
それはやってる中もずっとそういう風に
なるほどね
分かりました
俺とは価値観が逆に近いかも
逆に近い
俺の場合お話しするんだけど
まず俺は変化というものを取り入れてる考え方をしてて
笹尾と一緒なんだ
今の自分が未来その俺も仕事そんな好きじゃないけど
仕事が好きになる可能性含んでるし
どうなるかわからないってところ笹尾と一緒なんだけど
今現時点の瞬間の自分がこういう人間であるってものに関しても
過去の自分を振り返って今ここの自分であるってことを
約束された未来はどこにもなかったと思う
過去の自分のどの瞬間においても
つまりその例えば26年間の人生の中で
今26年目の自分が今こういう人間であるってものになった結果だけを
振り返ってみたときに
こういうことがあったなあいうことがあったなっていうのはわかるんだけど
その瞬間瞬間を見たときに
じゃあ26歳の今の自分に目指して生きてたかっていうと
全くそういうことはなくて
常に無数の変数の予想もできないものの変化の結果が
今の自分であると思ってるから
この先にもその変数たちが無数にあるっていう想定を置いてる
だから自分が今この瞬間自分であるということが
未来約束されてはないし
自己評価の変動
過去の自分が想定した自分でもないと思ってる
だから自分がどういう人間かを確定させることはできなくて
常にアンコントローラブルなもんだと思う
だからじゃあ何をするかっていうと
過去の自分の中が
どういう価値観で変化して生きてきたかっていうものを
一つ一つなんかこう見ていって
その中で自分はじゃあこういうことがあったから
今こういう人間なんだ
だから今後あるであろう変数ってものを取る
直面した時になるべく自分のものをコントロール下に置こうとした時には
じゃあこういう価値観でしてこうみたいな
未来の自分のこうなりたいみたいな目標みたいなものを含めて
自分ってものを設定してる
分からないなりにとか分からない分
今までので分析しといて
次になった時のように
そこでコントロールできるようになるべくしとくみたいな感じで
真ん中のアンコントローラブルな自分の今の自分を
持っていけるようにしていくというか
それがきっかけになったのが大学2年生の
なんか高く見積もられてるなっていうところからスタートして
そこのギャップが埋まらないまま
変数がどんどん自分の時間の流れの中であるわけじゃん
そうしていくと自分がこの先どうなるか見据えてもいない
他の人から見られてる自分もずっと違うまま
そうなるとその変数による変化と他の人から見る
自分の差っていうものがどんどん埋まらなくなってて
どんどんどんどん差が出てくるというか
そうなってきたら本当にどこが自分軸で生きていけばいいか
分かんなくなっちゃうから
俺はそれが怖くて
なるべく今後の変化とこれまでの変化っていう
どういうふうにこれまで生きてきたか
この先自分はどうなりたいかを含めて
自分というものを定めてる
他者評価とのギャップ
おお
だから一貫したものはない俺の中で
きょうすけもないそれは
一貫したものはないね
常に違う自分があると
振り返って26年間どういう人間だったかっていうのは考えるけど
それがこの先26年間約束されたものではないと思ってる
おお
最近やったのが
これまでの人生の中で自分にとって何が必要だったかっていうのを
考えた時があって散歩しながら
時代をね小学生までと中学生と高校生と大学生と
あと社会人に分けて
その26年間を5つの段階に分けた時に
それぞれの段階で何が必要だったかっていうのを考えて
その必要だったものがこれまでの人生は必要でした
じゃあこれからの人生
じゃあ次自分が必要となるものは何かっていうのを考えて
向こう25年どういう人間になるかみたいなのを考えてた
えー次
次何か一体何必要になるか
次はね理他的なエゴイストになるっていうのが俺の目標だね
おお
自分を変えるというか
そこに変化させていって
なんか26年振り返った時に
当時25か
25年振り返った時に
なんかもう
自己中心的な人間だったなっていうのが
創価っていうのが25年の
えっそうなの
自分の利益だけを追求していけばいいわけだ
今はエゴイストに生きていけないじゃない
まあまあ一面もある
そうそう
だから自分の進路だって
何かしらの制限はあったけどどこ行ってもよかったし
生活が親によって守られてる
保障されてるからこそ
自分が思うようなところに出ていけば
そのルートすらも守られてる状態だった
だから自分勝手に好き勝手に生きててもよかった
なっていうのが25年間のエゴイストだったの
っていうことの理屈なんだ
この先25年はそうではない形にしよう
という風になるのが俺の中の目標で
でも25年間の中で培ってきたものは確かにあって
自分のために自分が心地よい選択肢を取る
っていうことはめちゃくちゃ得意だと思う
自分自身が
自分のためだったら仕事も辞められる
自分のためだったら新しい趣味も始められる
だけど他人のために仕事辞められるかとか
他人のために新しい趣味始められるかって
そうじゃない気がしてて
これまで自分のこと
そうじゃなくて
自分のために行動はするんだけど
結果的に他人のためになることは何だろうな
っていうのを考えて
それをやるっていうことを一つの目標として定めた
未来の目標
っていうのが俺の今後の自分の目標ではあるね
おー
その目標に対していろんな
ライフステージの変化とか
経済状況の変化とかあるわけじゃん
その変数を取り込みながら
大体の方向性に向かって
自分の性格とか価値観を変えていくっていうのが
俺のやり方とか
すげー
ティンドーの取り方だね
すげー
すげーしか出てこない
えー
なんかキャリアって
すごいな
なんていうかその
人間としての
キャリアって言うと
キャリアはね
確かに興味はない
興味ないって言ったら
あんまり考えてないけど
人間として
そう人間としての
行動になりたいみたいのはあるね
えー
じゃあ次のフェーズというか
段階で
人のためにというか
うん
っていうところ主人公におけるかどうかみたいなところを
ちょっとやってみたいみたいな
そう
おー
なんだろう
だからね自分自身がそうしないと
行動できないっていうのもあると思う
あー
具体的に
人のためにで
言うと
こういう目標がないと
こういう風になりたいなみたいな
やっていきたいみたいなのがないと
ないと
できないなっていうのがあるから
おー
あー
でも
うーん
なんか
それで言うと
うん
まあ
確かに言われてみれば
今までの人生
それで言うと
なんかこう
一人で
本当にね
高校生ぐらいまで
大学もかな
途中ぐらいまでは
あの
本当に人は一人なんだと思ってずっと
孤独
うん
そう
あの
デフォルトの孤独というか
あー
一人
っていうのが
あの
あるべき状態じゃないけど
うーん
一匹狼がいいと思ってたってこと?
そう
まあそう
違うか
簡単に言うと
簡単に言うとそうなんだけど
子として強いみたいな
強いというか
子が
人の
そういう
最小単位みたいな
そう
そういう
あるべき形
その
一人
でいいんだみたいな
はいはいはい
それプラス
うん
あの
あれもあったよ
そのね
何もせず
何も起こらずに
ただ
亡くなっていきたいみたいな
思ったんですよ
願望として
すげー
何だろう
みたいなのがあって
あーはいはいはい
そう
でなんかこの
人が一人で生きていくべきなんだっていうのは
俺が
テストっていう存在に
どっぷり使っとったもんで
そういう思考になっとったのは
あー
今振り返ってみると
はいはいはい
あれって結局一人でやるじゃん
最後は
うん
私一人の
結果として出るし
全部が一人に
集約される
あの
あの
その
テストっていうジャンル
そのコンテンツ
うん
あれしかなかったもんで
そういう思考になっとったのは
その
うーん
ていうのと
なんかね
まあその孤独上の
そういうので
希望がなくというか
うん
ていうのがあって
かわからんけどあってそれが
うん
ていうのが
合わさっとって
でそれで生きてきたもんで
うん
結構ずっと
もうね
今ようやくかもしれんけど
もう自分のために
生きるみたいなのが
結構しんどいなみたいな
もう正直
あー
なるほどね
っていうのは
分かった
のは
あー
最近っていったらあれだけど
もう
俺のためにやろうとすると
しんどいなみたいな
もう正直
あー
なるほどね
自分のためにやろうとすると、仕事もやりたくないしとか、デフォルトとして最終形態がこれだから、何もせず何も起こらずに消えていくが、もともと俺の理想だったもんで、一人で。一人で何も起こらず何もせずに消えていくが、その完成形だと思ってたもんで、なると、もう俺のためにやろうとすると、ここに行き着いちゃうから、
もう自分のためじゃないようにしておかないと、ここに行っちゃうなっていうのはあったかも。それで今、いろんなところに。
新しいものを見てやってるわけだ。他の人のためみたいなのが。
そう、俺以外のゴールにしておかないと、違う道にしておかないと、行っちゃうから、みたいなのはちょっとある。だから、仕事も自分のためじゃないようにしてるのもあるかも。
ゴールがそこだもんね、今、俺の中で。
ささおとはちょっと違ってて、俺はあくまで自分のために行動するけど、それが結果的に他者のためになるっていうのが今の目標だから、ちょっと違うんだよね。
俺はまだ子供らしい、子供っていうか、子供っぽい思想ではある。ささおの方がまだ、人のためっていう意味で言ったら、社会的である大人的な発想の中にあると思ってる。
いやー、どうだろう。俺もでも、これは事故があった上でやる方が俺は大人だと思う。あえて自分があってもそれでもいい。
俺は、それで言うと、ないって言うとあれだけど、依存って言うとまたそれもちょっと言葉強いけど、傾けてないと破滅していくんだよ。俺の考えとしてね。からっていうのがあるよ。
傾けてないとってどういうこと?傾けるかわかんないんだけど。人に傾けてないと、その向きを。俺のルートを行くと絶対破滅するもんで、どっかにどっちかにとか、何かに傾けてないと、やばいかもしれないみたいなのがあるのはある。
自分の道のまっすぐのところに行くともう終わるもんで。絶対に終わるもんで。っていう思い込みかもしれんけど、それは。からとかがあるから、またちょっと大人方とまた違うかと自分の中では思ってる。
自己評価と無責任
そういう意味で言うとめっちゃ無責任だわ。何か悪いことあったとしたら、これも変数の一つだと思っちゃう。だから常に自分のせいにはならないと思う。常には嘘だけど、何か物事があったときに悪いことがあったらそれはその一つの変数で変化を求められてて、ただこれは自分の責任かって言ったらそうではないと。
だから常に無責任であり続けられるから、変化っていうものに受け入れしやすい土壌になってしまってる。だから常に俺傾いてるんだよ、他の人に、他のものに。
俺が言うと正路じゃないけど、自分の道自体をそういうふうにいろんなとこに行って、くれぐれって行って、それでも自分の道というか。だから、そこに戻ってこれるというか。
話ちょっとそれだけど、自分が当たり前だと思ってるのを疑うのが半分趣味で。何か前も話したけど。何かこれってこうだよね、みたいな当たり前だと思ってるものが覆されるのが結構好きなの。
何かそれも、何かこれまでの自分の価値観というものが確定したものではないと思ってるっていうのが前提にもある。
変えれるというか、そこも。変えれるからこそ。
自分の視点とか価値観というものが絶対的に正しいものではないっていう前提がずっとある、常に。
だから、何だろうな。そういう本読んだりとか、それは趣味だけど、そういうふうな考え方を変えるみたいなのをやってきたりする。
でも、あれがすごいよね。自分をあえて疑ってみたりとか、否定というか考え方を変えるようなことをしてみるというか、あえてね。
わからなくなったりするの。行方不明になったりとか、壊れたりとか、歪んだりとか、曲がったりとかしたりするの。
何ていうか、歪む、そう、何かこうなったりはしてんの。変な方向いちゃうというか。
それが怖いのよ。俺だから、自分の心というかそれに形があるとしたら、そうやってグッて曲げちゃったりすると、折れたりとかするかなとか。
だからあんまりきっきりの状態にしとけば、触れずに触れんじゃん。自分で掴めんから。わからんままだ。わからんままで。
他者評価の重要性
そういうことは起こり得ないから、きっきりとか水とか、そういう形の方がいいなと。自分の形に当たるとしたら。
そこはね、マジで大丈夫って言ったらなんか、ない。影響ないな、そこは。
あー、いける。受け入れる、ちゃんと。受け入れれるというか、ちゃんと。
受け入れられる。自宅境界がかなりあるとか、色濃い。
他の人が置かれてる他の状況に対して、自分にはそれはないなと自覚して、
なぜそれが起こってしまったのかという理解を及ばせたいなって思いはあるんだけど、
その人が置かれてしまっている状況を経験しない自分は悪い人間だみたいには思わない。
それは知らなかったって状況が自分にとっては問題ではあるなと思ったとしても、
それを気にやむとか、それを今までできてなかった自分がひどい人間だとか、みたいなのは思わないかも。
おー、そうか。
かもしれない。あくまで26年分なんで。まだこの先あるんで、半分以上。
それが怖い。だから今までやってきたことが間違っとって実はとかさ。
あー、でもあるよね、そういうのね。
そう、だから良かれと思ってやってたことが、本当に創作じゃなくてもあるじゃん、そういうのってやっぱり。
あるある。代償はまだまだある。
そう、だからそれで気づいた時に、じゃあ違うようにしようって思ったら今までのことを否定することになるじゃん。
それをした時のストレスって半端なくなって。
だからそういうのが嫌だなって思って、だからそれ占いだったら、わからんままの方がいいなって。
でもなんかね、人に対する興味あるかもしれない。他の人が何考えてるのかっていう、お互いに興味があると思う。
その辺もあるよな。他人に対する、他人がどう思うか感じるかとかね。
どういう考え方をしてるかというか。
一番手軽に楽に手に入るのが動画とか本とかだから、そういうところで一番手軽で触れやすいけど、生きた人間ってやっぱりリアルだからね。
うん、本当に目の前にいる人とか、職場の人間とかもそうだし。
状況が違う人とかね。
自分になかった経験とか状況とかがあるから、今この人はこういう人間なんだなみたいなところがわかるし。
うーん。
ていうのはあるよね。
ある。
それに対する興味がある。
それも最近、今までの一人で生きていけばいいとかもあったから、あんまり関わらないでしょって言ったけど、やっぱり社会になると膨大な人と関わるようになるじゃん。
いやマジでさ、客含め社内含めめちゃくちゃね。
だりぃなぁと思うよ。
両方の数の人間が出てくるじゃん。
登場してくる。
めんどくさいって思うとき、めちゃめちゃ多いけど、確かにたまにめちゃめちゃ面白いなってなるときあるんですよ。
人間のあれこれのときとか。
いやでもそうそうそう思う思う。
俺もだってさ、その、例えばお客さん、社内でもいいんだけどさ、そのなんか人となんか喋ってんじゃん。
で、その人が俺よりもめっちゃ先輩で、俺が高校生のときにもう仕事、なんだろう、その10年ぐらい働いて、今20年目だったかな。
もししてたら。
とかしたらさ、こいつって言っちゃった。この人ずっと働いてんの?みたいな。
ここで。
分かる分かる分かる。
俺が大学入試の勉強頑張ってやってる間に、この人、この会社で働いてたの?みたいな。その時からこの性格なの?みたいなとか。
そういうのってなんかちょっとおもろいというか、積み上げたものの違いがありすぎるなっていうところはちょっとあったりする。
うーん、とか、いやすごい、なんかその、及ばないさ、もう絶対に追いつけないというか、もうね、その時代の違いもあるですよ、もはや。
とか。
この価値観とかね、働き方もそうだし。
そう、だからすごいなというか、なんか。
うん、それはそうだね。
なんかAもBも面白さがね。
うーん。
とか、俺面白いのは、なんかその、本当に生の人間が、同志が、ちょっと、揉めてんなじゃないけど、その、みたいなのも、結構、面白いって言ったらちょっとあれだけど。
うーん。
なんだろうな、あれ。たぶんなんか、世の中のさ、いろんなコンテンツとかあるじゃん。その作作品だったりとかの、たぶんこれを再現したいんだろうなっていう、元の面白いところみたいな。
うーん。
を感じる。そういう、いろんな。
うーん、なるほどね。
たまにあるから。
うーん。
うーん、そう、おーと思うんですよ。そういうのは、なんか、何にも買い方が面白さがある。そこに。
はいはいはいはい。
たまに。たまに、本当にたまに。大半全部めんどくさいけど。
あとあれだよね、その、なんて言うんだろう。会社とか同じだけど、その日常生活の時なんてめちゃくちゃそういうのいっぱいあるよね、その。
ある?
駅とかでさ、なんか、すごい騒いでるおじさんとかいるじゃん、たぶん。
ああいうの見ると、この人間の多様性を感じるというか。
あー、いやどうか。俺、もうちょっと近づいたら感じるかも。ちょっとまだ遠いわ、俺それぐらいの距離感だと思う。
あ、まだちょっと遠い?
ちょっと隣まで見えたら面白がれると思う、その人の。今までちょっとどういう人間かまでわかったらたぶんめっちゃ面白いけど。
あー、なるほどな。
うん、そこだけだとむずいかもしれない。
なんかそういうさ、人生の一瞬の瞬間に、それまでのそいつの人生のすべてが集約されてると思ってるから。
あー、今までのやつがあって、今そこにあるみたいな。
この瞬間初めてそこで発露したものではなく、絶対になんかあるの。いろんな経験と積み重ねがあって、それも途中で何か大きな変化もあったかもしれないしなかったかもしれないしみたいな。
そういう本人の何十年分かの人生のその最先端の部分で、駅員にブチギレてるとかあるわけじゃん。
あー。
それをしょうもないと思うと同時に、駅員さんには悪いけどちょっと面白いなと思ったりもするわけよ。
人間の多様性への興味
そこで、選ばれてる馬声の言葉ですらその人の経験の中の語彙に含まれてるわけだから。
あー。
それすらちょっと人間に対する興味って、おもろいなと思っちゃう。
あー、確かに。そう言われたらそこを切り取っても確かにそうだ。その人のっていうのが現れた一種の。
うん。っていうのが、俺の中ではありますね。
あー。いやー。なんだかんだ面白いなやっぱり。
こういう話はね、おもろい。
ただね、やっぱり時間をとって話さないとなかなか話さない話じゃん。だって普段だったら趣味の話とかになるじゃん。それもおもろいんだけどさ。
うーん。なかなかね、ここまで深いというか。
人間に対する興味の話かも。後に回されちゃいがちだしね。
うーん。
あと、そんな感じですかね。大丈夫?笹尾。
あともう一個というか、ここまで言っといてあれなんだけど、今だからこれでしちゃったわけじゃん。俺がどういう人間か。
だから、どういう人間かっていうのを思いたくないっていう人間だってことを言っちゃったじゃん。
今言われました。
これをどうしようってね、次。
それは知らねえ。複雑になってきたな。
もう一回今、中から裏返さんといいかなって今。
確かに。
今ちょっと周知されちゃったもんね。
それをどうしようって。
それを脅威してしまった方に、もうそれをバレてしまってるわけだからね。他の人に。
そうそうそう。あ、じゃあ今、笹尾はそういう人間なんだってなっちゃうじゃん。
うーん。なっちゃう。
それをどう今。今なんとかして、また自分の中で裏返さんとさ、それなっちゃうんですよ今。どうしようって今。
段階になっちゃったっていう。
だから変数が多いからこの先変わるかもしれないですよ側になれば、今の俺も恥ずかしげ、俺も別にいいと思って、だってこの先約束されてたんだからどうなるか。
これがこの録音が終わった瞬間に、や、やめようみたいになる可能性を俺は含んでるわけだから。
あー。
まあそうなるか。
そっち側になればいいのか。
確かにな。
自分の中で今こうなんとかしようとしたけど。
まあまあまあいろんな考え方ありますからね。
あるね。
なんか最後にその俺がその、こういうそういうちょっとした人間のエピソードみたいなのが面白いなって思った話をしたと思うんだけど。
おすすめのポッドキャストがあって、えっとですね、これはあれですね、視聴してる人向けの話なんだけど。
うん。
岸正彦のちくわ日記っていうあのポッドキャストがあるんだけど。
えーうん。
岸正彦先生っていう社会学の先生がそのやってる、これは個人のポッドキャストで、視聴者の人から送られてくる、なんかこんな話ありました、こんな経験してきましたみたいな、
本当にちっちゃい小話みたいなのを聞いて、岸正彦先生が人生やなーって言ってしみじみするっていうポッドキャストなんだけど、
これが面白いです。いろんな話聞いてて面白い。
自己評価と他者評価について
あーその人の話というか、なんかこうなんでもないじゃないけど、その人の人生のこう話というか。
いろんな視聴者さんの人生の話もそうだし、岸正彦先生の話もそうだし。
それはかなり面白いので、見て、見てというか興味あったら聞いてください。
おー。
はい、こんなとこですかね。
こんなとこだー。
なんかね、みなさんもなんか、私こういう性格なんですみたいなね、まあ、教えてくれることがあったら何でも教えてください。
確かになんかあればね、こういう感じのなんかあればね。
このポッドキャストでは、みなさんからのお便りをお待ちしております。
お便りのホームリンクは概要欄から、メールアドレスはとりあえず.bench.gbl.comでお待ちしております。
はい、本日はここまでありがとうございましたー。
ありがとうございましたー。
さよならー。
とりあえずベンチででは、リスナーの方からのご感想、ご質問などお待ちしております。
宛先のホームリンクは、ポッドキャストの概要欄をご確認ください。
よろしくお願いいたします。
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