どちらなのかというのが問題になるとかの時に
生き埋めにされたかどうかというのが問題になるという感じですかね。
そういう感じです。
もちろん殺人事件とかは私は全然取り扱っていないので、
試験問題とかでよく見るなという感じですけど、みたいな話ですよね。
発見状況だけを見たら、生き埋めの可能性が高いというふうに
一般的には思ってしまうかもしれないんですけれども、
埋められているから。
本当に生きたまま埋められたのではなくて、
先ほどのように車で離れられたとか、何らかの手段で死亡させた後に
死体が埋められた可能性も十分にあり得ます。
なぜかというと、殺害の方法として土の中に埋めるというのは、
被害者ももちろん抵抗することに加えて、
土によって確実に窒息されることはそれ以上に大変なことなので、
一概に発見状況だけを見て、
生き埋めの可能性が高いとは言い切れないという形です。
これ法理学に関係ないかもしれないんですけど、
腕が縛られているかどうかにもよりますよね。
腕が縛られているのであれば、生き埋めっぽい感じがしますよね。
だって亡くなっているんだったら腕を縛る必要はないから。
なんですけど、腕が縛られていないのであれば、
土とか砂とかって手で払いのけられるし、
どんどん入れていくことによって穴がどんどん浅くなるわけだから、
上ってきたって出てくるとかそういう話もあるから。
生き埋めって実は結構難しいみたいな話があったりしますね。
ということか。
はい、そういうことです。
先ほどのように、生きても埋められたのか、
死亡してから埋められたのかによって、
両権に違いが出てしまうので、
法理学の観点からは、生き埋めにされたこと、
すなわち死亡するまでに多かれ少なかれ、
土の中で多少生きていたことを示す呼吸とか血液の循環の痕跡があること、
そして結果として窒息したことを、
死体の状況から読み取ることによって、
事件解決を図ったという事案です。
もしかしたらどこかで説明があるかもしれないですけど、
あれですよね。
肺の中に砂が入っているみたいなことがあるのかないのか、
口の中ぐらいまではもちろん、
亡くなった後でも入るんですけど、
死亡していなくて生きている状態で生き埋めになると、
もっと奥の方の肺まで土が入っているというところから、
埋められた瞬間はまだ生きていた、
みたいな話が分かるとか、そういう話があったりしますよね。
はい、そういうことです。
ここから具体的な事件に入っていこうと思うんですけれども、
今回は袴田事件について扱ってみようと思います。
先生、ご存知ですよね。
もちろん。詳しいかと言われるとちょっと自信ないですけど、
いわゆる冤罪事件として有名ですよね。
はい、そうなんです。
まずはざっくりと袴田事件がどういう事件だったのか
ということについてご紹介しようと思います。
まず事件の概要としては、事件日としては1966年6月30日、
静岡県清水市、現代に言う静岡市清水区の
味噌製造会社専務宅が全焼するという火事が発生しました。
焼け跡からは専務当時41歳のほか、専務の妻当時38歳、
17歳の次女、14歳の長男の4名が刃物でめった刺しにされた死体が
発見されたという事件です。
警察は当初から味噌工場の従業員であって、
元プロボクサーであった袴田岩尾氏を犯人であると決めつけて
捜査を進めた上、同年8月18日に袴田氏を逮捕しました。
袴田氏は当初犯行を否認していたのですが、
警察や検察からの連日連夜の厳しい取り調べによって
交流期間満了直前に自白したのですが、その後後半、裁判において
犯行を否認したというざっくりとした概要になっています。
事件の経緯としては、警察は逮捕後、連日連夜、
猛暑の中で取り調べを行って、便器を取り調べ室に持ち込んで
トイレにも行かせない状態にしておいて、
袴田氏を自白に追い込みました。
袴田氏は9月6日に自白して、9月9日に起訴されたのですが、
警察の取り調べは起訴後も続いていて、
自白聴取は45通にも及んだそうです。
なお、弁護士が袴田氏に会った時間は、この間の合計で
30分程度という非常に短い時間になっています。
これはとんでもない話ですよね。
これだけでもすごいなと感じます。
袴田氏の自白の内容は日替わりで変わっていて、
動機についても、当初は政務の奥さんとの
肉体関係があったための犯行などと述べていたのですが、
最終的にお金が欲しかったための強盗目的の犯行である
ということになっています。
おそらくこれは言わせたんでしょうね。
きっと奥さんと肉体関係でもあったのではないか、
どうなんだ、はい、みたいなことなんじゃないかなと思います。
さらに当初から犯行着意とされていたパジャマについても、
広範の中で静岡県警の行った鑑定が果てにならず、
実際には血痕が付着していたこと自体が疑わしいことが
明らかになってきたところ、事件から1年2ヶ月も経過した後に
新たな犯行着意とされるものが工場のみそだろの中から
発見されて、検察が自白とは全く異なる犯行着意に
主張変更するという事態になりました。
第一審の静岡地裁は、自白された旨が記載された聴書のうち
44通を無効とし、1通の検察官聴書のみを採用しました。
しかし後から発見された5点の異類に関しては、
袴田氏のものであると判断をして、袴田氏に有罪を言い渡しました。
その後、この判決は1980年11月19日に
最高裁が上告を帰却して、袴田氏の死刑が確定しました。
その後の事件経過については、最新請求が申し立てられたのち
2024年9月26日に静岡地裁が袴田氏に最新無罪判決を言い渡して
その後、2024年10月9日に検察官が上訴権を放棄したことによって
無罪判決が確定したという流れになっております。
一度有罪判決が確定してしまったんだけれども
最新請求という裁判のやり直しを求める手続きによって
無罪判決が今度は確定したと。
それが判行日時とされている1966年から
膨大な時間が経った2024年10月9日にようやく無罪が確定したという