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2024-02-18 30:41

「神の訓練をどう担うべきか」2024年2月18日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2024年2月18日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch/
 (聖書)サムエル下7:14わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。 
エレミヤ29:10-11主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。

 

メッセージ題 神の訓練をどう担うべきか
*人生は苦難の連続です。ヨブ記5:7では苦難の為に生まれたとも言われます。なぜ苦難があるのでしょう?創世記3章の原罪によるものですが、苦難が来る理由は罪と過ちによって、また神様からの訓練でくる場合もあります。ですから苦難のときは分別が大事です。悔い改めるべきか、誠実に自分の内なる人を錬磨するべきか。新年の初めから様々なことが起こっています。すべて意味があるはずなのに・・・上手く対処して、自分が成長し、神様に用いられますように・・・

1.神様は、すべての僕を、必ず訓練をされて用いられます。
*なぜ訓練をされるのでしょう?例えば、イスラエル民が出エジフトされ自由になれたのに、相変わらずエジフトの奴隷の根性を?どう取り除くことができるのか!私たちも同じです。結婚はしておるのに、夫と妻としての準備が?また子供は産んだのに、親としての内面性はできていない会社に入ったのに職場人としての資質が?マラソン、サッカー、野球の立派な選手になる為には*しかし誰も訓練は願いません。苦しいから。苦労しないで、やさしく、幸せに訓練はできませんか*辛い訓練を良く担ったヨセフ、モセ、ダビデは神様に美しく用いられました。しかしサウルは?

2.ところが、神様は何を持って訓練されるのでしょう?このとき、大事なのは何ですか?
*サムエル下7:14人間の杖、人の子らの鞭をもって・・・
1)人間の杖とは?私たちの周りに、苦しめる人を通して。その人は悪い人ではありません。夫婦お互いに!生まれた赤ちゃんが!また嫌な人の可能性もあります。大事なのは、絶対逃げてはいけません。担おうとする心が大事です
2)人の子らの鞭とは?私たちが担う様々な病、事故、貧しさ、失敗など人生の事件らを通して。神様はあるときバビロンの手にイスラエル民を引き渡されました。なぜ?エレミヤ29:10-11訓練
#訓練の目的は?エペソ2:10神様が備えられた善い業の為に。簡単に、第1、第2の戒めの為
例)大宣教命令?「すべての民を私の弟子に」この命令に従うのは神を喜ばせる第1の戒め。人を救うのは、人を愛する第2の戒め。しかし弟子にするのは、ただ伝道とは異なり、自分が弟子に

3.神様から与えられる訓練を上手く受ける為には、どうすれば良いでしょう?
1)自分の身の回りに行われるすべての事に対して、それは偶然ではなく、神様からの示しがあると信じて、良く反応すること。神様に聞かなければ!なぜこんなことが起こったでしょう?神は絶対善!活かすために、機会を与える為に!ルカ22:21-22イスカリオテのユダを救う為に!しかし彼は*訓練を上手く担ったダビデ!油注がれてから、サムエル上18:7,8サウルの妬みに反逆しない?サムエル下16:10シムイの呪いに対して?
 2)神様からの訓練を誠実に担うこと。神は心によって見る。*訓練を上手く担ったヨセフ!中東地域の救いの為に、夢を、エジフトの奴隷で、家庭総務、牢でも総務、ついにエジフトの総理に。大事なのは誠実に担うこと。さもないと 
3)神様の目標は?イエス様に見習うこと。エペソ4:13「イエス様ならどうされるから?」@結果は友、新婦

サマリー

人生は苦労の連続であり、その中で苦労を受ける要因として、彼らの罪や過ちがあります。また、神様は彼らを訓練するためにも苦労を与えます。そのため、彼らは苦労を担うときにその要因を理解し、適切に対応しなければなりません。 ナーマン将軍の皮膚病が癒された後、彼らは神の訓練を受けることが重要であり、身の回りの出来事をメッセージとして受け取り、誠実に訓練に取り組むことが求められます。また、神の計画に忠実に挑み、苦難を乗り越えることで神様が彼らを使って大きな業を成し遂げることができます。 試練に耐えることを信じて、神の計画に従い、イエス・キリストの模範になるための訓練を受けることが重要です。また、訓練を忠実に受け入れて神の用いられる人になることを目指します。

苦劣の要因と対応
今日は、神様からの訓練をどのように担えばいいでしょう、という対応をもって、メッセージを分かっちゃいたいと思います。
人生は苦難の連続です。
呼吸五章七節に見れば、人は苦難のために生まれた、という。
人は苦難を受けるために生まれた、それほど人生は苦難が多くあります。
苦難は誰も嫌がります。
ところが、なぜ苦難があるでしょう。
そのもともとは、創世紀三章から始まったんですけど、
苦難を受ける大きな部分は、私たちの罪と過ちのゆえに来るんです。
もう一つの部分があるんですけど、これは神様が訓練をするために与えてくださることです。
ですから苦難を担うとき、この苦難は私の罪、過ちのゆえにある苦難なのか、
神様が訓練の目的として与えられた苦難なのか、その対応が違います。
私の罪、過ちのためだったら、悔い改めなきゃいけない。
しかし、訓練のために与える罪だったら、
変に助ければ、これは余計に邪魔になる可能性もあります。
だから、苦難があるときに、これをどのように理解すればいいのかということが非常に大事ですけど、
これは勝手に考えてはいけませんね。
ですから、よく分別して、よく対応しなければいけないということです。
2024年度、新年の初めから、教会でいろいろなことが起こっていますね。
私はこれは決して神様をご存知ではない、
偶然に起こったことでは思いません。
何か意味があるから、何かくださったんじゃないかと思いますけど、
私たちに与えられたこの苦難をよく対応して、
まず私自身が成長し、また神様を喜ばせ、
そして大きく用いられる私たちになれればと思います。
今日は、神様からの苦難をどう対応するべきか。
まず、神様が用いられるしもべは、必ず訓練をもって使われます。
神様はなぜ自分の民を訓練されるのか。
神様の訓練とは
例えば、イスラエル人たちがエジプトから出自エジプトしました。
自由になりました。
エジプトとは関係なく、これから神の民としての素晴らしい神業、
主治エジプト19章5節6節、あなたたちは私に宝物だ、
最始の王国になれという夢を持ってこれから導くんですけど、
彼らの心には相変わらずエジプトの奴隷の状態です。
いつも不平不満、また人が卑屈です。
自己中心的な人です。
そうしたら神の素晴らしい神業に用いられないんですね。
それをどうしたらいいんでしょう。
ですから神様は彼らをアラノで連れ出して、そこで訓練をし始めました。
私たちも同じです。
結婚をしたのに、夫と妻としての準備がまだできていない。
だから神様は何をされるんですか。
訓練されるんです。
赤ちゃんが生まれたのに、母親と父親としての内面性が全くできていない。
どうすればいいでしょう。
だから訓練をされます。
会社に入社したのに、社員としての姿勢が全くできていない。
だから会社でOJTといってオン・ド・ジャップ・トレーニング、社員教育をします。
また皆さん、マラソン選手、サッカー選手、野球選手、今訓練を受けているところですね。
日本が誇る大谷選手、訓練、練習なしでそれができたと思いますか。
それはありえないんです。
しかし人々は誰も訓練を願いません。
訓練は辛いからです。
訓練をするときは今まで使ってなかった体全体の筋肉、神経、生活習慣、すべてを直さなければいけないからです。
苦しないで優しく幸せに訓練ができますか。
訓練できません。
しかし辛い訓練だとしてもよく受けた人、ヨセプ、モーセ、ダビデ、この人たちは神様に立派に用いられました。
聖書の中でも本当に素晴らしい人として用いられました。
しかし訓練がなかった人がいます。
これはサウル王です。
サウル王は訓練がなかったゆえに神様がイスラエルの初代王としてすべての栄養、すべての権力を与えたのにもかかわらず、
その祝福を担うことができなくて、家族みんなが滅ぼされてしまいました。
神様がくださった素晴らしいことが、これが担う力があれば、管理ができれば素晴らしいものですけど、
それが管理ができなければ、それによってむしろ自分がダメになってしまうんです。
だから訓練が必要です。神様は訓練なしには良いことをくださらないんです。
ところが神様が訓練されるときに何をもって訓練されるのか、
訓練の目的と忌ましめ
今日のサムエル経の7章14節です。
人間の杖、人の蔵の持ち、それで訓練されると言います。
では皆さん、人間の杖って何でしょう。
これは私たちの身の回りに存在する、私たちを苦しめる人を意味します。
ところがこの人は悪い人ではありません。
夫婦はお互いに訓練者です。
夫婦を愛して結婚するんですけど、結婚してから始めはよく合わないんです。
性格も合わない、いろいろなことが合わない。
だから夫婦喧嘩をします。
しかし夫婦は愛してるから、我慢して、我慢して、
それでお互いに仕えているところで、
ふさわしい妻、ふさわしい夫として変わっていき、
それで美しい家庭が建てられます。
赤ちゃんが生まれたら、赤ちゃんが親を訓練されます。
赤ちゃんはひきりなしに泣きます。
もう昼も夜も泣きます。
可愛いから、可愛いから母親、父親が赤ちゃんを面倒見ている間に、
母としての内面性をしっかり備えるようになります。
しかし、訓練者の中で可愛くない訓練者もたくさんいます。
しかしこれをうまく担わなければなりません。
訓練から逃げるんだって訓練がなくなるのか?
いいえ、絶対なくなりません。
私の経験です。
私が初めに就職した、昔々です。
就職した職場。
職場に入っていったら、私の上の部長、上司が無能力で、
私、信用社員としては納得いけない人でした。
私はそんな人間の舌ではもうはだきたくないと思って、
辞めて他の会社に行きました。
ところが、他の行った会社は、以前の会社の上部長よりもっと酷い部長がいました。
いやー、大変だなと思いました。
深刻な状態でどうしようかと思いました。
その時、息子が生まれました。
家庭の責任を取らなければいけない。
また他のところに行っても、職場はみんな同じだなと思いながら、
なんとかそこで我慢してやっていこうと思いました。
そしたら、その上司が会社を辞めてしまいました。
それでそこで長く長く勤めることができたんですけど、
それは三村でした。
皆さん、神様が訓練のために与えてくださった人、環境、
訓練のために与えられたのに不平不満してそこから逃げたら、
もっと難しいところに入れられます。
もっともっと難しいところで、その訓練をしっかり受けなければいけません。
だから、訓練だと思ったら、そこで私が何を直せばいいのか、
しっかり自分自身を鍛えていく。
その覚悟をして、そこで耐えていく。
これが大事です。
また、人の頃の無知ということ。
人の頃の無知は、私たちが担う病気とか、事故とか、貧しさとか、
いろいろな失敗の経験とか、いろいろな事件を通して訓練することです。
神様があるときは、イスラエル人たちをパヴェロンの手に渡されます。
それがエルミア29章中世説の中世説です。
主はこう言われる。
パヴェロンに70年の時が満ちるなら、私はあなたたちを帰りみる。
70年間パヴェロンの下で訓練を受けなさいということです。
私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。
私はあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。
それは平和の計画があって、災いの計画ではない。
将来と希望を与えるためだ。
結局、パヴェロンで70年間苦労することは、神様から与えられたイスラエル人たちの訓練だということです。
訓練の目的は何でしょう。
エピソード2章中世説には、私たちを救われた目的が書かれてあります。
神様が前もって準備しておられた、その良い目的のためにあなたたちを救われ、
そして神様のことをされたと言うのですが、
簡単に言えばそれは何でしょうか。
二つです。第一の忌ましめと第二の忌ましめ。
神様の訓練の目的はこの二つです。
第一の忌ましめ、神様を愛しなさい。または神様に仕えなさい。
二番目、第二の忌ましめ、人を愛して人に仕えるものになりなさい。
例えばイエス様が天に昇天されるときに私たちに大選挙命令を与えました。
マタイ28章19節。
だからあなたたちは行って全ての民を私の弟子にしなさいと言いました。
この神様の命令に従うことが、神を愛すること、神様を喜ばせることです。
またこの命令に従うことは、人を救って天国に導くことですから、
これは第一の忌ましめ、第二の忌ましめが当時に成し遂げられることです。
ところが全ての人をイエス様の弟子にするためには、
まず私自身がイエス様の忠実な弟子にならなければいけません。
私は時々こう思うときもあります。
なぜ神様が私たちに天道しなさいと言わないで、弟子にしなさいと言われたのか。
皆さん、天道は私が変わらなくてもいくらでもできます。
例えばレチオキ家の故所にナーマン将軍が出てきます。
ナーマン将軍の奇跡的な癒し
ナーマン将軍は重い皮膚病、他の言葉で言えば雷病にかかった人でした。
その家にイスラエルから連れてきた女奴隷がいました。
この女奴隷がナーマン将軍を見て、
イスラエルに行ったら、イスラエル預言者のところに行ったら癒されるはずなのにと言いました。
ナーマン将軍は自分の病気、病気の癒しがどれほど切実だったのか、
その話を聞いてすぐイスラエルのエリサのところに行きます。
そこでエリサによって病気が癒されました。
このように天道はその人の深刻的な問題を知って、
その問題を解決する方法を伝えれば天道ができます。
今私たちは何ですか。私たちのすべての問題の解決はイエス・キリストです。
イエス・キリストが答えです。
それを伝えることならその人が癒され、救われできます。
しかし私たちの救いは天道だけで終わることではありません。
大勢の人の中で天道を受けて病気も癒されても、
いくらでも信仰から離れる場合があります。
福音書でイエス様についていたおびただしい人たちがいました。
最後どうなりました。
全部逃げてしまいました。
イエス様を捨てて逃げて。
みんなが天道されて、そして御言葉をいただいて、
それで病気も癒されて、パン一つ、魚二匹で奇跡も見ました。
しかし信仰から離れてしまいました。
だから天道だけで救われるのか。
いいえ、そうではないです。
ですから私たちはイエス様の弟子にならなければなりません。
しかし弟子は、指導と話を聞いて弟子になることではありません。
弟子は成長しなければなります。
そのために私自身が弟子になったくらい、その人が弟子になります。
天道は一言で天道できます。
しかし弟子は、私自身が変わらない限りその人は弟子になりません。
今私ちょっとこのメッセージを準備すると思いました。
今田さんが弟子になっているか。
のぞみさんが弟子になっているか。
弟子になっていなければ、私自身が今イエス様の弟子になっていないからではないか。
いろいろ思います。ぜひ弟子になってください。イエス様の弟子。ぜひぜひ。
神からの訓練を受け入れる
皆さん、弟子訓練ということは非常に大事です。
大事なのは神様は必ず訓練を通して人々を立てたり人々を使ってくださるんですけど
では神の訓練をうまく受けるためには私たちはどうすればいいでしょうか。
今日2つだけぜひ覚えてください。
まず私たちの身の回りに行われたすべてのことは空前ではない。
私を訓練するために神様がくださることだと信じてそれで私はすべてを対応することです。
周りに行われていることはすべて空前だと思ったら絶対訓練はできません。
神様が私を訓練するためにくださったとそれを信じてそれで対応することです。
だから身の回りで何か起こったとしたらまず神様に聞かなきゃいけない。
神様はなぜですか。なぜですかと聞くことです。
そうしたら神様は私たちにその意味その理由を教えてくださるでしょう。
その理由をわかったらそれをもって神様の前で毎日毎日自分自身を鍛えていく。
それをどうして神様が計画されていることが成し遂げられますか。
神様は絶対前です。
私たちを生かすためにくださることであって私たちにチャンスを与えるためにくださることです。
例えばルカの22章21節22節はイエス様がイスカリテユダが隣にいるので隣にいるイスカリテユダにこう言います。
身を私と共に手を植木の上に置いている者が私を裏切る者である。
人の子は定められた通りに去っていく。だが人の子を裏切る者は不幸だと言います。
二人が隣にいます。その人に直接この話をします。
なぜでしょう。イエス様はイスカリテユダを救いたかった。
生かしたかったんです。
だから非常に分かりやすく、具体的に教えてくださった。
そしたらイスカリテユダの立場でどうすればいいですか。
主よ、私は悪い思いをしていたんだけど、許しください。私は悪いことをしました。と言うべきでしょう。
ところがこのように分かりやすく教えてくださるのに取り戻さないで自分の願い通りにやってしまいました。
結局イスカリテユダは地獄の一番底まで落ちてしまいました。
私たちが学ぶべき人物はダビデです。
ダビデは油注がれてから苦難が始まります。
少年ダビデはコリアテとの戦いで勝って戻ってくるときに、サムエル城の18章7節8節に
女たちが笑いながら歌い交わした。サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。
比較するのは良くないんだけど、女たちがそれで笑いながら歌いながらダビデは万を打ったんだけど
サウルは千を打った。その話をしました。
その日以来サウルは激怒して悔しがりながら、サウルはダビデを妬んで殺そうとしたんです。
サウルがダビデを殺そうとするときに、ダビデは王に対して悪感情を持って反逆したり報復したりしようとしませんでした。
神様から建てられた油注がれた賢者を私が敵対するのは神に敵対することだと思って
彼はサウルのことを全部避けていきます。逃げていきます。
神様はこのダビデの心を見ておられた。
またアプサロムが反逆したときにダビデは逃げていきます。
その時シムイという人がダビデを呪います。
サムエル系の16章中節です。
その時ダビデはこう言います。
放っておいてくれ。神様がダビデを呪えと命じられたからあの男が私を呪うのだと言います。
神様がシムイを通してダビデ自身を今叱っていらっしゃるんだと思って
神様のメッセージだと思ってシムイを殺さないで
それを自分を反省する、鍛えるその道具として用いていきます。
要するにダビデは自分の身の回りで行われる全てのことを
神様からのメッセージだ、訓練だと思って誠実に訓練を受けました。
その結果、使徒行伝中山書22節を見ますと神様はこう言います。
私はエッサイの子を私の心にかなうものダビデを見出した。
彼は私の思うところを全て行おうと言います。
しかし皆さん、新約でサウル、バウルと名前が変わるんですけど
そのバウルは諸大業界とキリストたちを迫害し殺したりしました。
その時、イエス様が現れてこう言います。
使徒行伝26章14節
サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか。
棘のついた棒を蹴ると酷い目に遭うぞ。
悟らなければ自分だけ苦労しているんだということです。
だから私たちは神様のこのメッセージ、神様のサインを
これをよく受け取ってそれで偶然だと思わないで
真実に苦難を乗り越えていく、受けていくことが大事です。
毎日毎日身の回りで行われることが神様の訓練だと思ったら
皆さん、人生が慎重になります。
ある人の一言が私に対して重く受け止めることができます。
そうする人が神様の前でよくなる人です。
2番目、神様がくださる訓練を誠実に受け入れることです。
神様は適当にされることはありません。
全てのことに対して私の心の中心を見ておられます。
神様の私たちの心の動機を見ておられます。
神の計画に忠実に挑む
あなたがうまくやったことじゃなくて
なぜあなたがこれをやったのか、あなたの心の本音を見ておられます。
だからいつも神の前に本音が見られています。
注意しなきゃいけません。
神様は中東地域を貴賓から救うためにヨセプを準備されます。
どう準備されるのか、2度同じ夢を見させて
それでヨセプをエジプトの奴隷として売られるようにされます。
そしてパラオの自住町のポティパール家で家庭奴隷になります。
その時家庭相模の働きをします。
その時ポティパールの妻が誘惑します。
若い男性、美しい妻が誘惑するんです。
それを知りどけます。すごいでしょう。
信仰によって知りどけるのに状況はますます悪くなって
ぬれぎるに着せられて牢に入ります。
牢に入っても誠実に行います。
私たちは信仰によって生きるのに状況があまり悪くなれば
神様を恨みますね。
いや、信仰を持ってやっても意味なかった。
神様は私を何とか嫌がるのか。
反発するはずなのに彼は一切これありません。
牢に入ったら牢で忠実です。
それで牢の総務になります。
それで結局彼は牢から出てエジプトの総理になります。
よく見てますと、初めからポティパールの家の総務、
牢になく悪に入っても総務、そしてエジプトの総理。
神様は彼を総理として使うために計画を持って
初めから一つ一つ一つ一つ訓練されたんです。
ここで一番大事なのは
私たちが神の計画に忠実に誠実に挑むことです。
絶対全である神様を信じて我慢しながら
神様は私を良くしてくださるために今苦難をくださるんだと
これをずっと信じていくなら
時になった時に神様が想像もできない大きな身技に
私たちを使ってください。
その時、難しくて我慢できないと思うところがあったら
神様が避ける道も備えてください。
訓練の時に大事な聖書が第一コリンテは十書十三説です。
あなた方を襲った試練で
神の訓練を受けることの重要性
人間として耐えられないようなものはなかったはずです。
神は真実な方です。
あなた方を耐えられない試練に合わせることをなさらず
試練と共にそれらに耐えるように
逃れる道をも備えてくださるんだ。
ですから神様の計画
絶対善の計画を信じて最後まで耐え忍ぶなら
必ず神の結果は絶対善です。
結局神様はそれを通して
私たちをイエス・キリストに見習った人として立ててください。
私たちの完全な模範はイエス様です。
信仰と働きと生活がイエス様のようになることを
私たちは訓練されます。
ですから神様の働きがよく見えない時には
イエス様だったらどうされるかなと質問しながら
神様に聞いてみますと
神様が全てを教えてくださるでしょう。
じゃあ訓練なしで使う人はいません。
神様の訓練をよく受けるためには
全てのことを空前はない。
それを受け止めて真実で狙っていく。
訓練を受け入れて神の用いられる人になる
今日もし
あゆみちゃんとかゆなちゃんとか
私に一言言ったことも
牧師はよく受け止めて
神様はもしかしてゆなちゃんを通して
あゆみちゃんを通して私に一言言ったんじゃないかと
そのような姿勢で全てをやっていく。
皆さんこれが正しい姿勢です。
じゃあ最後に
訓練がうまくなったらどうなりますか?
これが創世紀24世一世
神様の全てを任せてください。
神様がアブラームに
何事においてもアブラームを祝福された。
旧約聖書はアブラームを神様が私の友と言いました。
しかし新約聖書では
私たちをイエス様の神父と言います。
花嫁と言います。
花嫁の素晴らしさは
イエス様と全てを共有します。
イエス様と隣に座って
イエス様と全てを共有しながら
全世界を統治する権利を与えてくださいます。
結局この世で私たちがしばらく受ける訓練
苦難は
これは永遠の永遠の祝福を与えるきっかけになります。
数えてみました。
ヨセプは13年間訓練を受けました。
それから80年間
エジプトの総理として働きました。
モーセは80年間訓練を受けました。
それで40年間
素晴らしい働きができました。
ダビデは20年間訓練を受けました。
それでエルサレムで40年間
王様としての働きができました。
この中の詳しいことは
またいつかメッセージをしたいと思いますけど
皆さん私たちがこの世の中で信仰を持って
神様早く何とかしてくれないかな
また出世させるように成功するように
何か早くしてくれないんで
信仰はこんな浅いものではありません。
軽々すぎるものではありません。
信仰は永遠に祝福されること
この世の100年
天国地獄は永遠です。
永遠に祝福されるため
また短い100年だとしても
100年間神様から立派に
立派に用いられる
使ってくださるために
くださる訓練だから
私たちはこの訓練をうまくうまく受け入れて
神様に用いられる
一番祝福される人になりたいと思います。
ぜひともこの二つ
偶然はない
全て神様が私にくださるメッセージだ。
もう一つはそれを受け止めて
誠実に忠実にそれを担っていく。
それができれば私たちも立派になります。
ぜひとも私たち
まずは私からやっていきたいと思います。
お祈りいたします。
主よ、新年の初めから私たちに
たくさんのことが起こりました。
これが偶然ではなく
絶対前である神様が
私たちにもっとイエス様に祈りなさい。
もっと神様に近づきなさい。
と導いてくださることだと思います。
そして結局私たちに
祝福してくださることだと信じます。
私たちにはイエス様しかいません。
全てを通して
ただイエス様だけ委ねて
イエス様だけ愛する
私たちにならせてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン。
30:41

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