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2025-08-17 36:46

「聖霊と教会、私がアナニアです」2025年8月17日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2025年8月17日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)使徒5:1-11 ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、2 妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。3 すると、ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。4 売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」5 この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。6 若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。7 それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。8 ペトロは彼女に話しかけた。「あなたたちは、あの土地をこの値段で売ったのか。言いなさい。」彼女は、「はい、その値段です」と言った。9 ペトロは言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」10 すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。11 教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。

 

 メッセージ題 : 聖霊と教会、私がアナニアです。(使徒5:1-16) 
*今日は聖霊と教会について。教会は聖霊様が造ってくださいました。五旬節の日、聖霊様が来られて一人一人の上に臨まれたが、不思議に、彼らは集まりました。それが教会の始まりです 
教会は聖霊様によって成長し発展します。聖霊様がおられる教会は?例え、士師記のサムソンに聖霊様がおられるときとおられないときのよう。今日は、聖霊様によって発展する教会の為に ! 

1.聖霊と教会 
*使徒言行録は初代教会が建てられ発展する過程を・・・1章で、聖霊の器を造ったら、2章で、聖霊のリバイバルが、人が集まりましたが、2:47神様が ! *人が集まることを見て、宗教指導者たちが迫害します。牢に入れたり、脅迫したり、鞭を・・・それを祈りで神に委ね耐え忍びます。祈りによってリバイバルが、迫害でもっと教会が繫栄します。その後、使徒5章では、内部に問題が・・・ 
*大抵、教会は外部の迫害には強いが、内部の分裂には弱くて倒れます。リック・ジョイなの例え 
#初代教会に対する悪魔の内部的な攻撃は何だったでしょう?それをリーダーたちは聖霊に委ねて良く解決しました。それによって5:12-16では、教会はもっとしっかり立てられましたが・・・ 

2.使徒5章では、アナニアとサッピラの事件を記録しています。 
*初代教会に聖霊が来られると?神の愛に満たされ、各々自分の財産を売り払って施すことに 
使徒4:36レビ人バルナバの美談が・・・羨ましかったのかアナニアとサッピラ夫婦も。しかし信仰が足りなくて、一部だけ払いながら全部だと?誰も知らないと思ったのに聖霊様が。5:3-5、10その日、夫婦が死んだ。どうしてこんなことが?9節、聖霊様を試したと!悪魔が教会を狙う隙を 
#私たちは献金の件で夫婦が死んだというのは、酷いと思います。しかし教会の中で偽りを容認するとき、真実で聖くなるべき主の教会が、偽りで染まるようになります。ガラテア5:9わずかなパン種がこねたこな全体を膨らませるように。教会が小さな偽り、騙し、罪を軽く思って放置するなら、それが、悪魔が狙う隙になって教会が生命力を失い無気力で倒れます。神様は夫婦を通して教会に畏れ敬う心を。真理である神様は偽りを嫌われます。教会は偽りと一緒に行けません。真実に 
#そのときのエルサレムの雰囲気は宗教指導者たちの攻撃?しかし神様が守られました。むしろ5:12-16聖霊様がもっと強く働かせ、又大きなリバイバルが起こりました。大事なのは聖霊様 
*思い出された過去の罪、過ち !真実ではなかったこと、教会の間に分裂を呼び起こすことらが 

3.教会は、聖霊様が働かれる教会になる為に・・・これからもっと気をつけるべきこと?聖さと真実さ ! 
*私は以前の大きな過ちを犯した者として・・・こんな人間にも神様が共に働いてくださるのか?悩み !悔い改めと共に、いつも気をつけています。そして、教会として求めることは?「御言葉と聖霊様に従う・・・真実で聖い信仰共同体を !」 @結論です。教会の頭はイエス様、私たちは体の一部分、それを繋がってくださるのが聖霊様。聖霊様の働きによって、教会は全知、全能、愛の働き
 

サマリー

このメッセージでは、聖霊と教会の関係について考察し、特に初代教会におけるアナニアとサフィラの事例を通じて偽りの危険性が強調されています。聖霊が存在する教会は、信徒たちが神や隣人を愛し合う共同体として成長することができる一方で、偽りが入り込むことで教会が脅かされる可能性について警鐘が鳴らされています。聖霊の働きが教会の成長にどれほど重要であるかが語られ、アナニアとサフィラの事件を通じて偽りや罪が教会に与える影響について深く考察され、信徒たちが清さと真実さを保つことの大切さが強調されています。このエピソードでは、聖霊と教会の関係について述べられ、特にアナニアとサフィラの事件をきっかけに聖霊の働きが強まることが強調されています。教会が清さと真実さを保つためには、聖霊とのつながりが不可欠であると語られています。

聖霊と教会の関係
今日は、聖霊と教会、私はアナニアですという対応をもって メッセージを分かっちゃいたいと思います。
聖霊と教会の関係性。 聖霊様と教会はどんな関係を持っているのか。
教会は、聖霊様が来られて作ってくださいました。 もちろん、聖書も聖霊様が作ってくださいました。
ペンテコステのリバイバルが来た後、 聖霊様が一人一人の上に炎のような姿で入られたんです。
だったら、その人たちがみんな聖霊に満たされて、 それでこれから自分が分からないことをするんですけど、
その一つの特徴があるんです。 これは何かと言います。
同じ霊を持っている、同じ聖霊様がおられる人々は、 集まったということです。
同じ霊を持っている人々は、磁石が鉄を引っ張るように、 お互いに集まる不思議な属性があります。
これで、お互いに集められたそのところが教会です。
マルコ三書で、イエス様がこれと思う人を 呼び集められたと言います。
その共同体を、教会と聖書は書いておりません。
しかし、この後、イエス様の十字架の地上の厚労によって、 悔い改めて罪を許され、救われた群れ立ちの集まり、
その人たちの中には聖霊様がおられ、 その人たちが二人また三人がいるところに、
私もそこにいると言いながら、それを聖書は教会と言われたのです。
とにかく教会は、聖霊様が来られて作られたのです。
また教会は、聖霊の働きによって発展し、成長していきます。
聖霊様がおられる教会と、聖霊様がおられない教会を どのように区別することができるか。
これが旧約聖書の詩式のサムソン。
サムソンが主の霊が共にいたら、彼がどうしたのか。
彼は老婆の顎の骨で一千人を打ち殺します。
武器ではないのです。顎の骨だけで一千人を打ち殺します。
聖霊様が共にいるとき、しかし彼に聖霊様が離れてしまうと、彼は無力になります。
それでペリシティの人たちに捕まえて、両目をえぐり出されて、それを鬱を引くような立場になります。
主の霊が共にいたサムソンと、主の霊が離れてしまったサムソン。
これが、聖霊様がおられる教会と、聖霊がおられない教会の違いです。
また弟子たちも、イエス様と共に行ったんですけど、
聖霊様が来られなかったときには、お互いに誰が偉いのか、もっと偉いのか、
誰がもっとこの世的に偉いのか、喧嘩問題だらけでした。
しかし、聖霊様が来ていたら、ビリッポの七次一人がサマリアに行って、
一人七次を、サマリア地域を、これを殿堂にします。
このようなパワーが、聖霊様が共におられるのか、おられないのかの違いだと、私たちが理解していいでしょう。
ですから、聖霊様がおられなければ、教会の発展、成長、
その中で素晴らしい働きは期待できません。
今日は聖霊と教会、この部分に対して考えながら、私たちは教会はどうなのか、
これから私たちはどうすれば、これをうまくできるのか、それを考えていきたいと思います。
初代教会のリバイバルと迫害
首都行伝は、初代教会が建てられ、発展する過程をずっと記録しています。
首都行伝1章は、聖霊の器を準備をしました。新しい革袋を準備しました。
そしたら、2章初めに、ペンということでリバイバルが来て、
それから聖霊の働きが現れるんですけど、人たちが集まってきたんです。
聖霊の働きを見て、人が集まってくるんですけど、3000人、5000人が集まってきます。
それを、首都行伝2章47節には、神様が人々を起こってくださったと言います。
だから、この五輪際伝道、聖霊様を起こられること、不思議な宮座を見て人々が集まってくる、
このような伝道も素晴らしいんだなと思います。
じゃあ、人々が集まってきたら、何の問題もないのか、そうではありません。
人々が集まってきて、人たちを通して、いろいろな働きを行ったら、妬む人がいました。
それが宗教指導者たち。
宗教指導者たちは、まず彼らによって初代教会が迫害を受けます。
牢に閉じ込められ、脅迫され、無知を打たれ、これから二度もイエスの名によって話をしたらいけない。
しかし、彼らは祈りながら、その働きを続けていきます。
その迫害の中での祈りによって、リバイバルがまた来ます。
また迫害によって、信徒たちの心が強くなり、教会がますます繁栄していきます。
また、迫害の中の教会は、命の働きがものすごい力があるんです。
どうすろうともできないパワー、それによって福音が全世界に広まるようになります。
じゃあ、外部からの迫害、これはある意味から見ますと、福音の働きの役に立つと言いましょうか。
次に、使徒御殿古書で見てますと、外部的な迫害が静まったら、内部的な問題が起こります。
もともと、外部的な問題より内部的な問題が、もっと致命的です。
大抵、教会は、外部からの迫害はうまく耐え忍びます。うまく乗り越えていきます。
しかし、内部に問題があって分裂が起こったら、教会はほとんど倒れてしまいます。
今日、初代業界は、どんな内部的な問題があったのか、これをどのように乗り越えたのか、それを学びながら、私たちの共同体もこのような可能性があります。
また、私たちが集まる共同体は、みんなそのような問題があるので、私たちはこのような問題をどのように対処していくべきか、それを考えていきたいと思います。
アナニアとサフィラの事例
それを教えてくださる聖書は、今日読んでくださった司祷行伝5章です。
そこには、アナニアとサフィーラという人の知見を記録しています。
初代業界に聖霊様が来られたら、各人に、聖霊様が神を愛する心、隣人を愛する心を入れてください。
聖霊様の働きは不思議です。神の御言葉通り、私たちに色々な悟り、または御心を与えてくださいます。
そうしたら、もう神徒たちはみんな、神を愛することはもちろん、隣人を愛する心になって、
もう貧しい人とか色々な苦労をしていらっしゃる方を見たら、自分の持ち物を持って、これをその人に配ってくださいと言って、
神徒たちが自分の持ち物を人たちの足元に置いて、それをみんなの必要に通り配ってくださいと言います。
これが初代業界の素晴らしさです。
司祷行伝4章36節といいますと、バラナバというレビビトがいます。
この人は、またレビビトはもともと自分の財産を持つことがあまりないので、彼は土地と家を持っていったんですね。
それを売り払って、神徒たちの前に置いて、これも分け合ってあげてくださいと。
それで神徒たちの中から、バラナバは慰めの人だと称賛するようになりました。
それが初代業界の神徒たちの間で、ものすごい憧れる存在になったんですね。
それがアナニア・サッピラーが見て、私たちもそのような人々のように人々から称賛されてもらいたい、憧れの人になりたいと思ったんでしょうか。
私も私の財産を売り払って、それを教会に献金しますと大げさに言ってしまいました。
ところが彼らが自分の家の財産を売り払ってからは、信仰が弱かったから、それを全部払うことはなかなか難しかった。
ですからこの一部を隠しておいて、それで献金するんですけど、全部献金しますというような話をして、偽りの話をしたんですね。
それは誰も知らないと思いました。
ところがペトロは聖霊によってそれを分かって、なぜあなたたちは聖霊を欺いて神様を嘘つくのかということで叱られました。
その話を聞くとアナニアは倒れて息を絶えた。
ひどいですね。
当時叱られると死んでしまったという、これはものすごい怖い事件が起こりました。
それから3時間後、妻サフィラも入ってきたんです。
サフィラにもあなたが売ったお金がこれなのかと聞いたら、そうですと嘘ついたんです。
そうしたら彼女もペトロの足元に倒れて息が絶えた。
じゃあ初代業界は今まで問題なかった。もう素晴らしい働きばかりでした。
しかしなぜこのような深刻な働きが、そういうことが発生してしまったんでしょう。
献金ということ、これは当時みんなの前で自分の財産だとこれを足してみんなお分け与えてください。
そして素晴らしい人、立派な人と葬さんされる、その雰囲気が初代業界にあったかもしれません。
業界もそうですね、献金してくれるということは感謝ではありませんか。
全部献金するか、一部だけ献金するか、献金してくれることだったら業界は感謝するべきなんです。
しかし今日の聖書は聖霊を欺いたと言います。
聖霊を欺く、このことが教会に大きな問題になりますか。
なります。なぜなら偽りによって悪魔に教会を攻撃する隙を与えてしまった。
今まで聖霊の働きに満たされ、教会が発展し、どんな迫害を全部耐え忍ぶことができるパワーを持っていたんですけど、
そこに隙が出てしまって、そこに悪魔の働きがあって、それから教会がだんだん命の力を失ってしまう。
このような危険性を人たちが考えたのではないかと思います。
でも私たちは、「いや、こんなことは誰もあるでしょう。いいんじゃないですか、人間的に。みんなそのような気持ちもあるんだから。」
しかし今日の聖書で神様は絶対許されなかった。
そして結果は死でした。
それによってみんな恐れた。神様は恐れたと言います。
私たちはこの夫婦が共に死んだ事件を見ながら、神様はひどすぎると思うかもしれません。
まだ共同体の中でこんなことあるでしょうと思うかもしれません。
しかし、人たち、神様は共同体にこのような偽りを許すとき、罪を許すとき、
真実で清い共同体であるべき初代教会が、これからだんだんだんだん偽りによって染まってしまうようなようなことを懸念したかもしれません。
彼らや後書・旧書でこう言います。
わずかなパン種が、こねた粉全体を膨らませるように、
教会も小さな偽り、小さな嘘、小さな罪だとしても軽く考えてそれを放置してしまうなら、
イエス様が3年間精一杯、弟子たちの共同体を作り上げて、このようなリバイバルが来て、初代教会ができるまで苦労された全てが無駄になる可能性があります。
ですから、今日の聖書は夫婦の罪を厳しく取り扱うことによって、
初代教会の信徒たちに神を恐れ敬う心を植えられた。
神様は、もう昔の神様は今も神様、同じ神様です。
神様は真理の神様ですから、偽りを嫌がります。
教会は偽りと共に働くことはできません。
皆さん、一部だけ献金しますということも素晴らしいことです。
全然払わないことよりは、うまくやったことです。
その時は、私は全部じゃなくて一部だけ売り払って、それで献金しますよと言えば、
それでみんなが感謝します、素晴らしいです、いいですと言うべきです。
大事なのは真実さです。
私はもう、ある部分だけそれを売り払ったものだから、それを教会に受け止めてくださいと言えば、
真実に行けば、言えば、それはいいんです。
大事なのは心であり、大事なのは真実さです。
しかし、アナニアとサフィラは、この部分を部分的にやっていることを全体だと言いながら大げさで、
今日私は反省しましたけど、大げさで話をして神様を欺いたということを、
それが夫婦が死んでしまう事件があった。
今日この部分を聖書は厳しく言われることは、本当に私たちはたくさんのことを学ばなきゃいけないだと思います。
ところが皆さん、当時の雰囲気はどうですか?
宗教主導者たちは、使徒たちを攻撃、迫害して、何とかしてこの初代教会を潰そうとしている、これの雰囲気で、
教会の中で二人の人が死んでしまった。
聖霊の重要性
これを噂に出てしまったら、イエルサレムの中でどうしますか?
もし皆さん、私たちの教会で、もう一人でも二人でも、いろんな何か問題が起こったとしたら、
テレビに出ますよ。
テレビで一度ニュースに出てしまったら、教会も本当に扉を閉めなきゃいけない状態になります。
ところが、神様はその教会を守ってくださった、守ってくださったということです。
じゃあ、アナニアとサフィラの事件を聖霊の導きによって解決することによって、
むしろ、聖霊様がもっともっと強く働かれて、それで教会に大きなリバイバルの働きが起こります。
これが5章12節から16節。
首都立ちの手によって多くの印と不思議な技が民衆の間に行われた。
じゃあ皆さん、この大きな働き、この不思議な印の働き、これは聖霊様が働かれる。
結局、私たちがやるんじゃなくて、私たちと共に俺らの聖霊様が働くことが大事です。
ですから、教会で偽り、罪、これを許してあげて、だんだんそれが膨らんで、
それで全体的に影響力を持ちながら教会を堕落させていくなら、聖霊様が働くことができなくなっちゃうんです。
そうしたら、教会がいくら大きくても、いくら立派だとしても、何の意味もない。
小さくてもいいから、器用さ、真実さを保つ信徒たちによって、
聖霊様が共におられることがもっともっと素晴らしいことだということ。
大事なのは聖霊の働きです。
アナニアとサピラの教訓
これから見てますと、今の教会で聖霊様の働きがなかなか見当たらない理由、これは何でしょう。
私たちは教会が大きい、立派、こうするなら良い教会、もう良いと言います。
しかし、このような観点から見てますと、今の教会の中で、
聖霊の働き、聖霊様がおられるのか、聖霊様の働きだと言えるものがどのぐらいあるのかといったときに、
私たちの教会が、偽り、嘘、またいろいろな神様が嫌がれる、聖霊様が嫌がれるような罪を、
悪魔の働きをたくさん、私たちが許しているのではないかと思います。
私たちは聖徒と言います。聖徒ということは、聖なる群れということです。
聖なる群れが、聖なる群れとしての心、また信仰、そのようなことを私たちが持っているのか、
それを持って教会ということをやっているのか、これを反省するべきことではないかと思います。
ここで私は、上の水が進んだら下の水も進むという気持ちで、
私は皆さんの前で悔いを改めることがあります。
これは、初めに皆さんに申し上げることなんですけど、
私は事実、10年前、セムルケル宗教宗教団から追い出されました。
あるとき、私は10年前ですよ、
韓国で集会があるから皆さん行きましょうと言って、私も行ったんです。
その集会で、私はこの集会のすっと後ろの川でうろうろしているので、
四字文先生がメッセージをしながら、
今日、ああ、いろいろメッセージに妨げがあって、メッセージがなかなかできません、こうなんでこう言うんです。
まさかそれが私のことなのか、全然分かりませんでした。
これは後になって、ほかの先生たちが、
あなた、どうしてここに来たのかと言われ、
来るのは当たり前で、私はなぜここに来たと、何ということですか。
人々は私を警戒しているんです。
後になっては分かったことですけど、
セムルケルのリーダー先生たちは、
これからファンというものは、
セムルケル集会には来れないように、
立ち入り禁止ということが私には足されているそうです。
皆さん、こんなことあったのありますか。
どこの集会に行っても、
ある人は来ないでという、
その人は入って来ないようにと、
これを言うことは、見たこともないし、聞いたこともないし、
私がそのような相手になるとは思ってもしていなかった。
驚きました。
それから私は日本に帰ってきて、
10年にたった今も、
祈るときに、いつも考える、なぜ私はその時、
ユズボン先生とまたセムルケル先生たちから、
追い出されるようになったのか。
私は今まで信仰生活しながら、
これは私がまさかそんな人になるとは思いもしませんでした。
工夫しながら、私なりにいろいろ理由を考えながら、
悔い改めたり反省したり、
これから二度もそんなことがないように、私は考えています。
私はある意味から、
それが神様から私に与えられた警告だと思っています。
それで一つ理由として考えられることが思い出されて、
これは10年前のことですけど、
ユズボン先生が私の教会に集会に来られました。
それで私にUSBを送りながら、
この中であるファイルをプリントして、
今日の夜の集会で皆さんに配ってくださいと言いました。
私はそれを開いてみますと、
これはアレアハングルという韓国で使うワードプロセスのソフトだと。
日本ではこれを使っていません。
私はそのソフトを持っていません。
私はコンピューターをあまりうまくできない人間なので、
息子だったらいいかもしれない。
アレアハングルのファイルをどのようにプリントすればいいのか分からなくて、
それで頭にパッと思い出せるのは、
これの後ろのHWPをDOCに変えて何とかプリントするなら、
何とかできるんじゃないかと。
ところがそれをユズボン先生からもらったUSBの中で、
新しいファイルを作ったり何とかいじったりするなら、
もっと失礼だなと思って、
これを一旦私のパソコンにダウンロードしてしまいました。
それでDOCに変えたらプリントができました。
その場面をユズボン先生が見た。
隣で。
それで私がコピーしたでしょう。
バラッと。どうしようと思いまして、
そこで何とか言い訳を言えばよかったのに、
言うことができませんでした。
ユズボン先生の立場から見ていますと、
この人、私のファイルを盗むんじゃないか。
私のデータを盗む者に良心不良な者ではないかと。
勝手に私を許してないのに。
多分そのような印象が、
ああこの奴はもうダメだ。
この人はもう嘘をつくのは簡単にやる人間だから、
これからこの奴は使ってはいけない。
もしかしてそのような時に、
そのようなことを考えられたんじゃないかという。
私はそれを深く反省して、
その時に先生に言えばよかったという。
先生、一日これこれなんで、これこれだから、
このようにやりますけどいいですかと。
言えばよかったのに、
このような優しさが、細かさが私にはないんですね。
アラネアがこれ全部じゃなくて、
私の一部だけやったことなんで、
それでも教会を研究します。
だったらなんでも問題なくみんな住んでたのに、
私はそれを言ってなかったということが、
今になって私自身が悔しく思っていることです。
2番目、またありました。
私は事実、聖モルキューレ宣言が許されない働きをしました。
これは私はクンミドゥン教会という教会を、
昔から知っていたところだから、
そこからたくさんのマウントを学んで、
またその上、聖モルキューレ宣言からの教えを頂き学んで、
両側に二股掛ける私の働きがありました。
それでクンミドゥンのキモキョン先生にも教会を招いて、
集会までしました。
その話がその先生たちが聞いているでしょう。
皆さん、二股掛けるなら必ず叱られます。
これはいい、どっちでも歓迎されません。
だから私は御手からも学ぶし、御徳からも学ぶ、
このような、当時はそれしかなかった。
私は両方全部教えて大事に思っていたから、
そこを両方二股掛けたことが、
その先生たちにはふさわしくないと思われたかもしれません。
もう一つ思われるのは、
聖武力教宗教団は夫婦の働きを大事にします。
聖武力教宗教団の働きは、みんな先生と奥さんと一緒に働きます。
私はそれができないことが、たぶん私の致命的な弱点であり、
妻もいないのに一人で働くことが、
その先生の目にはあまりふさわしくないように見えたのではないかと思います。
私はこのようなことをいろいろ考えながら、
当時そのような理由で私は、
あなたはふさわしくない、聖武力教に来ないで、
立ち入り禁止されたのではないかと思います。
悔しい部分はありますけど、私は理解しています。
なぜなら当時、聖武力教はリバイバルが起こっているところでした。
神道たちが増えて、参加する業界が増えていて、
大きな御業が行っているところで、
使徒行伝交渉のアナネアのような、サピラのような事件が発生しないように、
気をつける意味で、私を立ち入り禁止されたのではないかと思って、
真実と清さの必要性
私はその先生たちの決定を尊重し、
私は理解して深く反省しているところであります。
皆さん、教会が発展して、救いの御業が活発的に行っているその働きには、
聖霊様の働きがあります。
この聖霊様の働きを逆らうことが、教会の中にあってはいけません。
じゃあ皆さん、偽り、また嘘、罪、
また神道たちの間で、裏でいろいろな悪口をすること、
またいろいろなことを、教会がそれを我慢して許してしまえば、
教会にだんだんそのような働きが膨らんで、
結局、聖霊様はこの汚い雰囲気では働けない。
むしろ悪魔が働いて、隙を狙って教会を潰したり、
またいろいろな悪いこと、
皆さん、悪魔が働いて教会に悪いことをしたら、
神道たちの過程が、だんだん問題の中で巻き込まれるようになる。
これは私たちは、徹底的に、初めから断ち切らなければいけない。
そうするためには、今日大事なアナニアとサピエラのような事件の可能性を、
私たちは徹底的に悔いをあらためて、徹底的に防ぎ、
また、神道一人一人を私たちが保護していかなければいけない。
保護していく。これが大事だと思います。
神の国、また、聖霊の働きには、義と清さ、真実さが何より大事。
この義ということがベースになって、神の国が立て上げるものですから、
これが偽りになってしまえば、そこには神の国が立てられません。
悪魔の国がなるしかない。
だから私たちは、軽く考えることもできるような、いろいろな問題でも、
教会は厳しく悔いをあらため、それをやめるように、
みんなが保護しながら助け合っていかなければいけないなと思います。
まことに、聖霊様が働く教会になるためには、
これから私たちが気をつけて求めるべき方向性ということは、
清さと真実さです。
まず私が清くなること、また私たちの心から考えること、
口で語る、全てが、考えることさえ全てが清くならない、
真実さ、正しいことだけやりましょう。
何か嘘つくとかいうことをやりましょう。
私はその間にいろいろ不安がありました。
なぜなら、聖モルケル宣教会から追い出された私が、
聖霊の働きと清さ
日本で教会をするなら、聖霊様は来られますか?
向こうから追い出されたのに、資格がない人間が。
だから神様が来られなければどうするか。
私はこれが一番の心配でした。
だからもっともっと清く、もっともっと真実で、もっともっと正しく、
だから教会のこのベースをしっかり正しい、
木というベースを作らなきゃいけないと思います。
ここで私が、牧師がしっかりしなければ、神と皆さんはどうなりますか。
だから上手の水が済んだら、下手の水も済む気持ちで、
私がまず悔いを改めます。
それを見て皆さんも、教会はこうするべきだと思って、
ぜひともぜひとも、聖霊様がおられる、
聖霊の働きに邪魔にならない、妨げにならないような、
私たちの神との心ができればと思います。
私は前からずっと、中尾先生を私の教会に呼びたいと思っていました。
なぜ私が中尾先生をいろいろこだわったのか。
今まで私が見た日本の先生たちの中で、
中尾先生ほど清い、真実な人を私は正直見たことはありませんでした。
だから私の後に中尾先生が来られたら、
聖霊様がもっと素晴らしく働かれる、
そのような教会になるんじゃないかと思いました。
私は長い職場の生活の中で、ビジネスマインドということを言いましょうか、
商売人の心、何とか表と裏が違うような、
いくら一致しようとしても、これはもう身体に慣れている、
これの部分がたくさん出てくることを見たので、
私の今の姿では、難しいなと思いながらもっと清い、もっと正しい、
その方たちを憧れたんです。
中尾先生どうなるか分かりませんけど、
とにかく私たちの教会、これからの私、また教会は、
真実さ、清さをこれから保っていきましょうということを、
今日皆さんに申し上げたことです。
教会の使命と一体感
アナニアとサピラの事件の後、聖霊様が大きく働いてくださった。
これから教会はますますリバイバルに起こります。
皆さん、外部的な迫害があったって教会は潰されません。
内部的な働き迫害問題もうまく乗り越えれば、教会はもっともっと発展していきます。
なぜなら、聖霊様が働くからです。
それによって初代業界は深い正しい土台を作って、
それから世界選挙に向かって頑張る業界ができました。
結論を申し上げます。
教会はイエス様が頭であり、私たちはイエス様の体の一部分部分部分です。
ところがイエス様と私たち、また体の部分部分をつなげてくれる、
このつながりの役目を誰がするのか、聖霊様より。
聖霊様はつながりの役割、神経また血管のような働きを、
体全体が一致できるような働きを聖霊様が働きます。
聖霊様が働きがなければ体は動けなくなります。
命がある教会、命がない教会の区別は聖霊の働きです。
ですから私たちはこの聖霊の働きを大切にしながら、
私たちの教会をこれから作っていきましょう。
願わくは私たちみんな一つの心になってほしい。
また真実さ清さを保っていきましょう。
またここではこんな話、そこには違う話、
これは表裏違うようなことはやめましょう。
今まであったとしてもこれからはやめましょう。
またいろいろ批判的な、また共同体を何か傷つけられるような行動を考え、
またこの全てをやめましょう。
なぜなら教会は聖霊様がおられる清い素晴らしい神の宝物だからです。
じゃあこのような素晴らしい教会、
また皆さんの体は聖霊様がおられる神殿ではないでしょうか。
ですから私たちが聖霊様を受け入れ、
そのともに働くことができる私たちの心、体の状態、
そのことをしっかり保ってこれから心一致していくなら、
必ず神様は私たちの教会を使ってくださるし、
教会を通して神の御業が成し遂げられると信じます。
これから聖霊様の働きを大切にしていきましょう。
お祈り出します。
教会はキリストの体であり、
聖霊様がおられる神殿ですけど、
その神殿が汚くなっているなら、
どのように聖霊様がおられ働くことができますか。
今日私たちの過去の恥ずかしい罪、過ちを告白しました。
私はこのことで神様の警告があったと思います。
これからこのことはないように、
真実で清い心で聖霊様にうまく従う私がなりたいと思います。
どうか主よ、私たちの教会に恵みを与えてください。
救い主、イエス・キリストの皆によってお祈りいたします。
アーメン。
36:46

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