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2025-08-24 39:46

「今の時代、神様が探される働き人」2025年8月24日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2025年8月24日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)使徒言行録6:1―7 そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。2 そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。3 それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。4 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」5 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、6 使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。7 こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。

 

 メッセージ題 : 今の時代、神様が探される働き人 (使徒6:1-7)
*神様が一番大事にされることは何でしょう?「神の聖さ、神の御名、礼拝、御言葉、教会、イエス様、聖霊様!」 *その中で「教会」この世に存在する神の国(神の国の模型)、聖霊の不思議な働きによって人が集まる、働き人が必要になった。*また教会に対する霊的な攻撃、聖霊の導きに従ったら、教会はもっと繁栄した?!聖霊様に従順する働き人が必要に。今の時代も働き人が

1.使徒6章では、また教会内に問題が・・・それは救済に対する問題だった。 使徒6:1
*五旬節に世界から集まってきた、散されていたユダヤ人。その中にはヘブライ語を使う、ギリシア語を使う人も・やもめたちの救済について、ギリシア語を使うやもめは軽んじる傾向が、不満
*教会内で、差別され、さびしい思いをする人があってはいけない。なぜなら、そこから問題が生じる
*一日、何千人が集まってくる中、12使徒の働きとしては・・・執事を立てようとした。2-4節。使徒たちはお祈りと御言葉に専念するように。執事を立てることで・・7節、御言葉も、弟子たちも・成功
#大事なのは教会内で疎外される人があってはならない。教会の招き、使命も、安定的な運営も

2.その為に立てた7人の執事の中で一人が、ステファノだった。
*ステファノはどんな人?3節、聖霊と知恵充満、教会で褒められる人、5節、信仰と聖霊に満たされた人、8節、恵みと権能に満ちた人だった。―>彼がどんなことをしたのか?9節で、ユダヤ人たちと議論をした。そのユダヤ人とは、奴隷として売られ全世界に散されたが解放されエルサレムに戻ってきた人たち。彼らは自分たちの信仰の為に、律法と伝統、また神殿を大事にする人たち
←その人たちにステファノはどんなメッセージを?「神殿と律法が救いの道ではなく、十字架でかかり死んだイエス・キリストに救いがあると!神殿と律法は陰に過ぎない、実体であるイエスを信じなければばらない。イエスこそがメシアである。」 旧約の神殿と律法はユダヤ人だけのものだったが、新しい時代、イエス・キリストの十字架はユダヤ人だけでなく異邦人、全世界の救いの道!
#6-7章のステファノの説教は革命的であり、神の世界経営を貫く重要な説教。そこにサウルは

3.今の時代、私たちがステファノのように伝えるべきメッセージは?
*ステファノが殉教しながら伝えた新しいパラダイムの信仰?イエス・キリストの十字架によって、新しく解釈された神様の救いの計画!神殿と律法ではなく、イエス・キリスト。この上、私たちは十字架の福音を・・・ポイントは?何が、神様が願われる正しい信仰なのか、正しい信仰と偽りの信仰の分別。そこに聖霊様の働きがあるから! *自己中心的な信仰は偽りだ。自分の熱心で?自分の方法で?自分の目的の為に?いくら熱心にやっても、その信仰は神様が喜ばない。―>神中心的な信仰へ!ただ恵みで、ただ十字架で、ただ聖霊で、ただ信仰で、ただ御言葉で、その上、本質を求める信仰を(神を知り神を愛する) *以前、超先生の叫び?イエス様を信じて豊かになろう!ご利益、律法主義、人本主義だった私の信仰?変えて下さった神様に感謝。新しい革袋を

サマリー

このエピソードでは、現在の教会における問題や神様が求める働き人の役割について掘り下げ、使徒行伝を通じて信仰の重要性が語られています。特に、教会内の差別や不満、そしてそれに対する使徒たちの対応策が紹介され、教会を守り成長させるための指導的マインドの重要性が強調されています。さらに、ステパノという働き人がイエス・キリストの真実の救いの道について語り、立法や神殿の重要性を超えた信仰の必要性が強調されています。このメッセージは当時のユダヤ人社会にとって革命的なものであり、ステパノはその信念から殉教します。また、神の働きにおける信念の必要性と、聖霊の導きに従うことの重要性が強調されています。特に、個人の熱心さだけでなく、神の意志を聞いて従うことが真の祝福につながるというメッセージが伝えられています。今の時代においては、神様の働きを信じる教会であることが重要視されており、聖霊の導きに従った信仰生活の実践が求められています。

教会の問題と働き人の重要性
今日は、「今の時代、神様が探しておられる働き人」というお題をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
今、私たちは、ペンテコステのリバイバルが来た、これが使徒行伝2章、それからずっと今、使徒行伝をメッセージをしているところです。
私は他のところにメッセージをしようかなと思ったんですけど、使徒行伝をメッセージすることが、今、非常に大事だと私は思っているので、これを続けてやっているところであります。
理解して、これを一生に参加していただければと思います。
今日は使徒行伝6章のところです。6章、7章のところです。
神様が一番大事に思っていることは何でしょう?
私は今、鳥無し祈りに対して、いろいろ資料を準備したり、研究したりしています。
その中でたくさんのことが現れているので、いつかまた鳥無し祈りについて、皆さんと分かち合う時間を持ちたいと思いますけど、
そこに私たち神様が熱情を持って守っておられることがあります。
これが何かと言いますと、何より神様の皆です。
神様の皆、また神様の器用さ、それで神様に対する礼拝、また神の御言葉、主の教会、イエス様、聖霊様、
この7つを神様が熱情を持って守っておられる、大切にしておられる。
この一つ一つが私たちの信仰について非常に大事であり、
神様が私たちをいろいろ助けたり、守ったり、恵みを与えたりするのに、
この6つの7つのことをもって、神様は私たちにいろいろ恵みを与えてくださることが分かります。
この中で教会です。
皆さん、教会はこの世に存在する神の国です。
神の国というよりは、神の国の模型、モデルハウスということを考えていいでしょう。
神の国をどうして分かるかといったら、教会に行ってみたら分かるように、
モデルハウスみたいなところが教会です。
この教会は聖霊様が来られることによって建てられました。
また教会はどうすれば成長するのか。
聖霊の働きが与えられたら成長します。
聖霊の働きがいろいろ行われたら、周りの人がびっくりして教会に集まってきたんです。
それで聖霊の働きが強くなればなるほど、教会にたくさんの人が集められました。
もう初めは使徒たちが少なかったんですけど、
毎日3,000人、5,000人、もう1,000人ずつずっと集められたら、
教会は中仁指導だけで教会を収めることができないほど、教会が大きく必要になりました。
だから教会に働き人が必要だったんです。
また教会に対する攻撃がある。
敵の攻撃があるんで、外からの攻撃、中からの分裂、いろいろなことをもってサタンが働くんですけど、
働き人が自分の頭で、自分の何か感情じゃなくて、
聖霊の導きに従って対応したら、サタンが退けられて、また教会が大きく成長するんです。
ですから教会は働き人が大事ですけど、
初代教会の課題と解決
聖霊様に従う働き人が大事だということが分かります。
これを考えながら、今日神様が願っておられる、探しておられる働き人はどなたなのか、
今日はステパノという人を通して考えたいんですけど、ぜひ一緒に考えていきたいと思います。
使徒行伝6章で見ていますと、教会でまた新しい問題が生じました。
いつも問題だらけです。
外からの攻撃、中に問題、いろいろあるんですけど、使徒行伝6章にまた問題が生じました。
これがどんな問題かと言いますと、救済に対する問題だったんです。
一節見ていますと、使徒たちが大勢集まってきた。
事実これはペンテコステの時に、世界から集まったユダヤ人たち。
ユダヤ人はなぜ世界に散らされているのか。
イスラエルがアシリアに滅ぼされました。
バベロンに滅ぼされて、また連れて行かれました。
その時、イスラエルに住んでいたたくさんの人が、全世界に奴隷として売られるケースがありました。
それが、エルサレムに戻ってきたんですけど、戻ってこないで、全世界に散らばされている人たちがたくさんいて、
その人たちをディアスポラと言いました。
その人たちがペンテコステのように、杉越の祭りのように、大事な大事な祭りの時は、
エルサレムに集められて、また散らされていた。
その中ではヘブライ、ユダヤ人世界の中で、ずっと過ごしてきたヘブライ語を使う人もいたんですけど、
キリシャ語を使う人もたくさんいた、異邦人の世界で。
そこで生まれ育てられた人は、キリスト語、キリシャ語を使うべきだと。
そのキリシャ語を使う人たちが約20%に当たったということです。
その中で一番弱い人たちがヤモメたち、カフたちなんですけど、
その人たちが集まってきたんですけど、初代業界の中で少ない人数のその人たちがいました。
ところが、初代業界でセイリー様が怒られてリバイバルが来て、
それでみんなの心が開かれて愛が注がれて、もう他の人のために私のものを売り払って、
それを施すいろいろな活動があったんですけど、
ヘブライ語を使う人はもう人たちと同じ言葉を使うから、このうまく助けるんですけど、
キリシャ語を使う人たちには人たちもキリシャ語ができなかったので、
その人たちを助けるのには少し難しさがあった。
だからキリシャ語を使うカフたちの中で、
私たちは差別される、軽蔑されるといういろいろな文句が、不満が出たんです。
だからそれが教会の中の問題として現れました。
じゃあ皆さん、その問題に対して私たち、使徒たちはどうすればいいでしょう。
皆さん考えてください。今、集まってきたのが1万人が超えるんですよ。
その中で何人かが不満をするんだって、それで皆さんそれを大騒ぎする必要はないじゃないですか。
私たちがどうすればみんな助けられますか。
そのような言い訳をしながら、そのような文句をすることもできたんですけど、
使徒たちはそう思わなかった。
皆さん、教会の中で一番問題は何かと言いますと、
寂しい心を持っている人、また恨めしい心を持っている人、
そのような人たちを教会がうまく面倒を見ていかなければなりません。
もし、使徒たちの中で、この教会は私を愛してくれない。
もし誰かが、もう公に言い合わせることはないでしょう。
心から、この教会は私を愛してくれないんだと思う人がいたら、
その方は礼拝参加が気持ちよくできますか。
また、牧師のメッセージが耳に入ってきますか。
また、使徒たちの交わりにいろいろ参加したくありますか。
だから、その方たち、もしこのような人たちがいるなら、
その方たちはだんだんだんだん、教会から心が離れていきます。
信仰が難しくなっていく。
だったらどうするんですか。
その方たちも大切な神様の人ではないでしょうか。
神の子供ではないでしょうか。
使徒たちは、自分が何かしようがなかった。
私たちはもう手がないからという文句、言い訳をしないで、
その方たちを積極的に助けたかったということです。
皆さん、この心が大事です。
もし、教会の中で寂しい思いを持っている方がいらっしゃるなら、
皆さん、その方たちを優先的に助けなきゃいけない。
これが、今日の使徒たちが教えてくださることです。
じゃあ、どうすればいいのか。
私たちは12人しかいないんじゃないか。
今、こんな人をたくさんどうすれば助けるのか。
ここで使徒たちは、七字を立てようとする考えを持つことができたということです。
それが2節から4節までです。
兄弟たち、あなたたちの中から、礼と智慧に満ちた評判のいい人を7人選びなさい。
彼らにこの仕事を任せよう。
私たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。
この七字を選ぶのに、なぜ、精霊と智慧が満ちた人、その人を選ぶのでしょうか。
救済の活動は、自分勝手にすることではなく、神様の御心を聞いてからやらなければなりません。
大勢の人がいます。
誰を面倒見るべきか。
これを、使徒たちは、精霊の導きに従おうと思ったのです。
ですから、ここに、礼的な分別力が必要です。
また、教会を建てるマインドを持っていることが大事。
教会は大事だと。
なぜなら、今、心寂しい気持ちを持っている人は文句がいっぱいあります。
その文句を聞いてあげれば、自然に自分も文句を持つようになってしまって、
教会の成長と役割分担
教会の中にいろいろ文句を話す人になってしまったら、
これは教会をどうする。
建てる人じゃなくて、ピースメーカーじゃなくて、トラブルメーカーになりかけない。
だから、なりやすいんですね。
ですから、教会を建てるしっかりしたマインドを持っている人が、
この七次になる必要があります。
ですから、この七人を選んで、七次として任命したということです。
だったら、使徒たちは何をするのでしょう。
四節にあります。
私たちは、祈りと見言葉の奉仕に専念しますと言います。
ここで、役割分担をします。
私たちは、教会家族の面倒を見る。
私たちは、神様から与えた使命のために、祈りと見言葉。
ここで見言葉が先じゃなくて、祈りが先ということは、
祈りが何より大事だということを教えてくださるでしょう。
このように、使徒と七次の役割分担をしっかりしたら、
教会がどうなったのか、七節に。
こうして、神の見言葉はますます広まり、
弟子の数はエルサレムで非常に増えていった。
祭司も大勢この信仰に入った。
皆さん、祭司は、立法学者パリサイビと、このような人と仲間じゃありませんか。
しかし、この人たちの中でも大勢の人が、
初代業界に加わって神徒になったということは、非常に大事です。
要するに、教会の中で寂しい心を持っている人を絶対手放ししてはいけない。
その方たちを面倒見なければいけない。
これが教会が、しっかりこれから思っていかなければいけないことです。
また、教会は教会の招き、神様から与えられた使命があるから、
それを人たちがしっかりしながら、教会をしっかり立てていく。
ステパノの紹介と信仰
だから、神徒たちも助けながら、使命をうまくやりながら、
教会の運営もしっかりしていくような働き人を立てること。
これが、神徒たちが考えた働き人だったんです。
この7人の中で、今日皆さんに紹介したい人が、ステパノーという人です。
ステパノーはどんな人なのか。
3説を見ますと、精霊と智慧に満ちた人。
また、神徒たちから褒められる人だった。
称賛される人だった。
また、5説を見ますと、信仰と精霊に満たされている人。
8説を見ますと、恵みと力に満たされている人だ。
この人は、内面性も素晴らしかったんですけど、
パワーもあり、また皆さんから愛してもらう素晴らしい人だった。
彼がどんな働きをしたのか。
9説に、ユダヤ人たちと議論をした、論争をしたと言います。
この9説に、解放された奴隷の街道に直されている人々だった。
ユダヤ人の中で、なぜこんな人がいるのか。
旧約聖書でアシレアの奴隷になって連れて行かれた。
バーベロンの捕虜になって連れて行かれた。
この人たちは、事実奴隷としておられた人がたくさんいました。
この奴隷の状態から、自由人になって、それで解放されて、それでエルサレムに集められた人です。
この人たちは何を考えるんですか。
自分たちがなぜ奴隷になったのか。
これから私たちは信仰をしっかり持っていかなきゃいけない。
それで彼たちがエルサレムに戻ってきて、自分たち自由になった人たちの集まりを作って、ここで信仰生活をもっともっと熱心にするんですけど、
彼たちが持っていた信仰の道、素晴らしい信仰の道は何かと言いますと、立法を守る。
もう一つは、神殿をしっかり守る。大切にするということです。
だから彼たちの頭の中では、信仰の道は何か、立法を守る、神殿をしっかり私たちが支えていく、奉仕していく、このようなことを、
それをうまくやっていくことが神様が喜ばれる信仰だと、それが救いの道だということを考えたんです。
だから、神殿中心的な里会品を大好きだし、立法を中心としたバリサイ人たちも、その人たちを大事に応援してくれたと思います。
ところが、このように人々、宗教主導者たちに愛されているこの人たちの群れに、ステパーノが一体何をしたのか、
あなたたち、これから聞きなさい。
神殿と立法が大事ではなく、宗教で神で復活されたイエス・キリストが大事だということ。
イエス・キリストが救いの道だ。
神殿の立法をうまく守ることが救いの道ではなく、イエス・キリストを信じることが救いの道だということ。
皆さん、考えてみてください。今まで自分たちは神殿の立法をしっかり守ること、これが救いの道だと思って熱心にやったんですけど、
それじゃなくて、イエス・キリストを信じること、十字架にかけられたイエス・キリストを信じることが救いの道であり、これが正しい信仰だと言うから、
正しい信仰が一体何なのか、救いの道が一体何なのか、
ユダヤ人たちとステパノのような初代教会のメンバーたちの間に、いろいろな議論、論争があったということ。
事実、立法は何ですか。
イエス・キリストが立法、立法の見言葉はイエス・キリストを表すことであり、神殿はイエス・キリストの体を表すことです。
昔はなぜ立法と神殿を与えてくださったのか。
イエス・キリストが来られる前だから、イエス・キリストが来られるということを示すために、立法と神殿を大事にした。
しかし、立法と神殿の救わせつは陰に過ぎませんけど、立法と神殿の本体である、実体であるイエス・キリストが来られて、
立法通り、十字架に架けられ、死んで、それで蘇られて、それでイエス・キリストが私たちを救いの宮城、完成されたものですから、
旧約聖書を成し遂げたものですから、これから立法の神殿ではなく、イエス・キリストを信じるべきだということ、これをステパーノが言ったんです。
事実はこれを聞いたとき、旧約聖書の時代に住んでいた人たちが、それが理解できたでしょうか。
私たちは今、全部わかっているから、旧約聖書は来られる名詞や、イエス・キリストが来られるよということ、
新約聖書はイエス・キリストが来られたよということ、また目白くはイエス・キリストが再び来られますよということ、教えることだということ、私たちは理解しているんですけど、
旧約聖書の時代に住んでいた人たちが、これをメッセージをすれば、それが理解できるかということ、旧約聖書の時代に神様が神殿を大事にし、立法を大事にした理由は、
その神殿立法がイエス・キリストを表すものだから、神殿立法を通してイエス・キリストだということ、イエス・キリストが来られました。
忠実化と復活によって救いの見業を完成しました。
だったらこれからは立法と神殿ではなく、イエス・キリストその方を愛し、その方に従うべきだと、これを私たちは今理解しているんですけど、旧約聖書の時代に住んでいる人たちは理解ができなかった。
自分たちは相変わらず神殿と立法をしっかり守ることが救いであり、それがユダヤ人の誇りだと、それがイオン人の人たちとの選民意識、区別される大事なことだと、私たちはこれを大事にしていかなきゃいけないと、それを執著するんです。
じゃあ皆さん、ステパーノのこの気持ち、皆さん理解できますか。
正しいことはこれなんですけど、旧約聖書の時代に住んでいる人たちは相変わらず神殿と立法を大事にしている。
それをどのように理解させて、それでイエス・キリストを信じるように導いていくか、これがステパーノの悩みであり、それがステパーノが語ったメッセージなんです。
当時そのメッセージは革命的なメッセージでした。
そのような大事なメッセージを誰がしたのか、人たちがメッセージをしたとしたら理解できますけど、執事がメッセージをしたんです。
今に言えば、牧師がメッセージしたのではなく、教会学の先生がこの大事な革命的なメッセージ、旧約聖書から新約聖書に変わった、このパラダイムが変わったというメッセージを教会学の先生が語ったんです。
そのような大事なメッセージを、聖書の中で私はこれが一番大事なメッセージではないかと思います。
立法と神殿の議論
受け入れるのに難しかったでしょう。
それで、ユダヤ人たちは怒りながらステパーノを殺しました。
だからステパーノは殉教されました。
その主導者はどなたか、その人がサウルだったんです。
パウルに変わったサウルでした。
私がなぜこのことを強く皆さんに申し上げるのか、これが今私たちには何と同じなのか、
私はいつも申し上げること、信仰はただ熱心にやることが大事なことではない。
イエスサムのように聖書通りやることが大事だと。
問題は、自己中心的な信仰です。
みんな自分の熱心にやります。
熱心にやれば正しい、熱心にやればこれは素晴らしいことだと。
これはバルサイビとは熱心にやります。
これは立法主義と言います。
自分を守る、自分の努力を誇りながら、神様私が守ったから私に祝福してくださいということが立法主義。
守ったから私はこんな素晴らしいこと、人々から賞賛されてもらいたい、これが立法主義なんです。
また自分のやり方、自分の方法、これが人本主義と言います。
また自分の目的を成し遂げようとする、これはご利益信仰と言います。
これは神様が喜ばれることはありません。
自己中心性を捨てて、信仰を捨てて、神中心的な信仰に変わらなければいけません。
ただ恵みによって、ただ十字架によって、ただ精霊によって、ただ信仰によって、このような信仰生活が、考え方が変わらなければなりません。
皆さん、私たちが熱心にやるんだって教会成長しますか?
教会がリバイバルできますか?
人間的な熱心は意味がありません。
精霊が働かなきゃいけない。
皆さん、教会は精霊が来られるよう出てきて、精霊の働きが現れるたびに教会が大きくなりました。
人間的な熱心によって人々を呼び集めて、
ああ、私たちの教会いいから来てくれ、来てくれ、来てくれ、それで人々の熱心、
ああ、もう人間関係を通して何とか教会を何とかしようとする努力はいいんですけど、
それによって教会は成り立たない。
教会は精霊の働きによってできることだということです。
ステパノの殉教とメッセージ
また、私たちの信仰生活は、神の手を求めることではなく、神の御加を求める信仰、
または、儀式的、形式的、習慣的な信仰ではなく、
神の御加を求める信仰に精霊の働きがあるということです。
ですから、イエス様がマルコ2章22節、
新しい葡萄酒は新しい皮袋に入れるべきだ、
新しい皮袋ではなく、古い皮袋は葡萄酒もまた皮袋も、これを破るしかない。
だから新しい皮袋が大事だと言われたのは、このような信仰なんです。
旧約聖書と新約聖書が変わるこの時代、
イエス・キリストの十字架の事件によって、神の救いの御業が完成された。
それによって信仰のやり方が変わった、パラダイムが変わった。
これを悟ることができない人々に、ステパーノが命を懸けながらメッセージをされたように、
今の私たちに次第、ステパーノの純教のような働きを通して語るべきメッセージがあります。
これが正しい今の時代、正しい信仰を求めましょうということです。
私が信仰生活に入ったのは1979年度。その時私は信仰に入りました。
その時、韓国の中で一番有名な先生がどなたか、ジョヨンギ先生でした。
ジョヨンギ先生が何というのか、繁栄信学と言う。
ジョヨンギ先生の素晴らしいメッセージが、
私たちもイエス様を信じて、私たちの運命を変えてみましょう。
金持ちになりましょう。これがジョヨンギ先生のメッセージの本質です。
私たちもイエスキリストを信じて、今のこの貧しい中で、運命の中で過ごす私たちの人生を返してみましょう。
祝福してもらいましょう。金持ちになりましょう。これがジョヨンギ先生のメッセージの根幹です。
神の祝福を求める熱心
それが全てのメッセージがその下であるから、
みんなが私たちも良くなりたい、幸せになりたい、祝福してもらいたい、金持ちになりたい、
熱心を持っている人たちは主の前に出て、熱心に頑張りました。
私もその中で一人でした。
だから私はもう毎日早天の祈り会、水曜日の祈祷会、金曜日の徹夜祈祷会、
また主の日を午前中の礼拝、午後の礼拝、夕礼拝、全部守り、教会の奉仕に熱心にやりました。
なぜ?神様から祝福してもらいたかった。
当時私は貧しかったから、貧しい人生をやめて、これから幸せ、祝福の人生になるためには、
神様からの恵みが欲しかった。神様から祝福が欲しかったです。
だから私が主のために熱心に働いたら、主が私を思い順番に祝福してくださって、
世の中で一番偉い存在として作成してくださるんじゃないかという、
その強く信念が常義先生のメッセージから私に注がれました。
そして私は牧心人までなりました。
2005年度牧会を始まって、2001年度牧会を始まって、2005年度に私は完全にためになりました。
家族みんなが倒れてしまいました。
なぜ家族が倒れるのか、私が先に立って、
「ついてこい!」って言いながらもう熱心に前に行くんで、妻がついてこらない。
子どもたちはついてこらない。妻がもう倒れてしまった。
家族みんな倒れてしまいました。
私はなぜ、命懸けて主のために働いているのに、
なぜ私はこんなにうまくできないのか、理解ができませんでした。
祝福されるべきなのに、なぜ私がためになるのかということです。
だから2005年度、九州の教会の主人たちが、
誤った信仰の認識
先生、韓国に帰って家族の面倒を見てください。
それで追い刺されることによって、韓国に戻りました。
韓国で3年間浪人しました。
3年間、何にもない韓国。
本当に、教会があるんですけど、皆さん、教会の牧師が教会に行ったら嫌がります。
その教会の牧師が私を歓迎しません。
だから私は、行く教会もないし、毎日早天の祈り会で泣くしかない。
そこで出会ったのが、十字架の福音だと。
十字架の福音を学びながら、何が間違えたんでしょうか。
何が駄目なんでしょうか。
私の熱心が足りなかったんでしょうか。
もっともっと熱心にやればよかったでしょうか。
毎朝、泣きながら祈りました。
そこで悟りました。
私は、実行中心的な信仰生活。
立法主義、陳本主義、五略信仰の塊だった。
私がそれを求めながら、それを中小で熱心に教えてきたということです。
私が一番驚いた聖書があります。
これが、いわわね古書中7節と、中9節と20節です。
イエスをお答えになった。
私の父は今も働いておられる。
だから私も働くのだ。
はっきり言っておく。
子は父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。
父がなさることは何でも、子もその通りする。
父は子を愛して、ご自分のなさることを全て子に示してくださる。
イエス様は自分からは何にもできない。
だから神の働きを見る。
神様は自分を愛しているから、神様が働きを全部見せてくださる。
だから見せてくださることだけ、ご自分は何でも神様を見せてくださることを行った。
イエス様は自分が考えて、自分が頑張ってやったことは何にもない。
神様が見せてくださることをついてやったことだけだということです。
それから見てますと、私は全て私が計画を立てて、私の熱心で、私が全部やってしまいました。
間違いた信仰はここにあるんです。
どうすればイエス様のようになるか。
私の信仰を少し変えてできるものではなかった。
初めからやり直しをしなければいけなかった。
結局、私がやるのか、精霊様が働くのか、どちらか。
皆さんの人生、皆さんの働き、今精霊の働き、精霊様が働きますが、
皆さんが何とかしようと思って、焦りながら、
これやらなきゃいけないのにどうしよう、あなたもやりなさい、あなたもやりなさい、
頑張れ頑張れと言いながら、自分もやるのか。
神の働きは私たちが頑張ってできるものではありません。
神の働きは神様がなさいます。
私たちはどうするのか。
神の見こえを聞いて、これをやりなさいと言ったら、ここに従えばいい。
ここをやりなさい、ここに従えばいい。
しかし、私は全て計画を立てて、これがいいから私はこれをやろう。
他の人より私は先にこれをやろう。
日本の他の先生より私は一番偉くやろう。
何でもうまく私は先にやろうという、この野望に満たされている私。
私がこれがいきなりできますか。
私の人生を始めからやり直しをしなければいけなかった。
どうすれば私が働くのではなくて、
神様が働く、精霊様が働く、イエス様が働く、信仰ができるのか。
これが神様との親しい交わりの中で、
PLを、祈りながら、聞きながら従う。
これが皆さん、私じゃなくて、私のうちにおられるイエス様、
新しいメッセージの重要性
私のうちにおられる精霊様が働く方法なんです。
事実、神様は誰を使うのか。
精霊の働きをうまくついていく人を使います。
自分が全部やってしまう人は絶対に使わない。
自分が全部やってしまう人は神様より先に全部やってしまう。
神様願ってもないことを自分がやってしまう。
こんな人を使っていいでしょうか。できません。
神の働きは神様が主観、神様全てを持って、神様に従う群れを使うんです。
皆さん、今も考えてみてください。
自分は絶対そうじゃないと思いながら、今それをやっているから、今私たちが。
なぜならそれは癖になって、もうこれが慣れているから、
もう誰より先にそれができてしまうんです。
これを一度下ろしておく。
私じゃなくて、主がなさることは何なのか、何を願っておられるのか、
それを神様から尋ねて、聞いて、従う信仰にならなければ、
神様に用いられる人には絶対ならないんです。
私たちに大事なのは、自分が働くことではなく、
私のうちにおられるキリストが働く、精霊様が働くことです。
このようなパラダイムの変化。
これが、皆さん、2000年前、福音書で、弱音の福音書で、これが全部記録されています。
しかし、これが全部記録されていて、みんな読んでいるはずなのに、
私が悟ったのが2005年度、それを悟りました。
この間にどうしたのか、自分のやり方通りにやったんです。
これを私がやったんじゃありません。
上院義先生から教えてもらって、また他の先生たちから教えてもらってやったんです。
だったら見てみますと、上院義先生も他の先生たちも、
全部、イエス様の働きをやるんじゃなくて、
自分の熱心で働いたんです。
このようなパラダイムの変化を、今の人々に伝える役割が、
この役目が、私たちにあります。
理解できますか。
ステパーノが、神殿と立法ではありませんよ。
その影に過ぎないこれを、実体が来られたよ。イエス・キリストなんだよ。
イエス・キリストを悔い改めて、イエス・キリストを信じる人が救われるよ。
そのパラダイムが変わったことを、ステパーノが語ったのに、
それを理解できなかった人が、ステパーノを殺したように。
今の時代、私たちは、自分の熱心で働くことではないよ。
精霊の働きが大事だよ。
精霊の働きを、私たちは受けようとするためには、
自分自身のことをやめて、神の見こえを聞いて従うことが大事だよと、
私たちが伝えなければなりません。
それが何なのか。
イエス・キリスト様が言われた、新しい革袋の教会。
皆さんが働きますか。
精霊の働きを待ちながら、精霊の働きについていく人々。
みんな自分が先にやってしまう人ではないでしょうか。
私から、これを変えていかなければ。
神様は使うことはできない。
だからイエス様は、新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるものだ。
これをイエス様は強調されたんです。
今、私たちの時代、私たちが伝えるべきメッセージはここにあります。
これが、今までやった人たちは、それが頭にシャーッとあるから、
今、私たちみたいなメッセージをする人を嫌がります。
その人はもう殺されるかもしれません。
それほど前の人たちの考え方が強い。
私たちはこれをどうすればいいのか、これは非常に大事なんです。
これを聖書を始めから最後まで貫く盗撮力を持って、
私たちはこれから神についていかなければなりません。
本当に難しいことは、過去長い伝統を持っている教会。
そこで、ステファナのようなメッセージ、
また、私たちの今のような聖霊様に従わなければいけないというメッセージをするなら、
なかなか受け入れられない。
なぜなら、長い歴史、長い伝統を持っている教会は、
自分なりのやり方が定められています。
だから、ここでそれが正しいことではありません、
聖霊の働きを受けなければいけません、
いうようなメッセージをするなら、受け入れられないんです。
事実、私たちは何回も経験したことではありませんが、
ところが、今までそれを伝えながらイエス様は十字架で殺されました。
ステファナも殺されました。
しかし、私たちには可能性があります。
なぜなら、今私たちの教会、小さくて何にもない教会ですけど、
私たちの教会は、初めから開拓の時から、
十字架の福音を私たちは分かち合いました。
それを学びながら教会を建て上げたので、
真と皆さんが十字架の福音のマインドを持っています。
新しい川袋のマインドを持っています。
信仰生活の重要性
ですから私たちは、これから聖霊様が来られるなら、
人たちのように初代教会を建てられるこのような雰囲気、
まだこの中身の信仰を持っています。
私たちは可能です。
皆さん、よく見てみてください。
長い伝統をもって人々がたくさん集まっているところには、
十字架の福音を伝えて、自分が頑張るんじゃなくて、
神の親しい交わりの中で、神の御声を聞いて従わないといけない。
分かっています、分かっています。分かっていながらできません。
私たちの考え方、今、変わりが見えています。
しかし、自分の考えが強すぎたら変わりません。
だったら古い川袋に留まるんです。
私たちは今、自分のマインドを聖書通り、
イエス様はどうされたのか、聖書は何を言っているのか、
私が頑張ることではないよ。
神様が、あなたが頑張るので神様の働きができることではない。
神様が指示されることを聞いて働きなさい、
いうようなマインドを持って、
精霊に従っていく私たちになれれば、
私を通して、これから神様が大きな御業ができると信じます。
サイズが大きいか小さいかではありません。
当時、宗教主導者たちの世界に対して、
中人使徒ということはもう存在もいないような存在でした。
しかし、神様は中人を通して全世界を描いているんです。
私たちも、皆さん、人数ではありません。
希望ではありません。
数ではありません。
サイズではありません。
このような新しい川袋のマインドができているか、いないか、これなんです。
このように私たちの信仰、
これを聖書全体的な監督、
統率力を持って、これから私たちの信仰をしっかりやっていきたいと思います。
初代教会と聖霊の働き
お祈りいたします。
主よ、初代業界のステパーノの信仰と働きを学びました。
ユダヤ人たちは、神殿と立法に救いの道があると信じたんですけど、
この神殿と立法は結局イエス様を示すものでした。
この本体を知らないで、影だけ握って信仰生活を貫こうとしていたユダヤ人たちが、
ステパーノを殺してしまいました。
しかし、ステパーノは正しかったです。
今の時代、聖霊様が働く教会、
その教会のためには、
十字架の福音と神に中心的な信仰生活が大事だということを学びました。
これを実践しながら、周りの方たちに教える私たちにならせてください。
私たちの教会は必ず、新しい川袋の教会になって、
新しい不動主を受け入れ、
そして主に大きく用いられる教会にならせてください。
イエス・キリストの皆を同してお祈りいたします。
アーメン、アーメン。
39:46

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