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2024-11-03 26:54

「信仰の基本、神の御声を聞いて分別する 」2024年11月3日のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2024年11月3日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書) ローマ6:16知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。 

ヨハネ5:20父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。 

メッセージ題 : 信仰の基本、神の御声を聞いて分別する(ローマ6:16,ヨハネ5:20

*私たちの信仰は儀式と本質があります。儀式は器のようなもので、本質はその内容物です。
私たちの信仰の本質、核心は?神様との親しい関係の中で、神の御声を聞いて従うことです。
ここで親しみが大事であり、御声を聞いて従うことが大事です。神の御声を聞くことが可能ですか?神を体験する本を通して。神は聖霊を通して、聖書と祈りと環境と教会を通して語り掛けられる
*神の御声を聞こうとする我々にいろいろな声が?神様から、自分から、サタンから。分別が必要
1.先週の復習、サタンの声をきくことについて
#サタンの声には特徴があります!1)罪を犯すように誘惑します。 2)易しい道、近道に導きます。3)真理ではなく偽りに導く。4)臆病の霊!不安と恐れを抱かせる。<-これは皆知ってます。ところが、5)サタンの声は・・・肉を誇るように! 肉とは?この世的なもの。6)サタンの声は・・・この世的な強さを誇り、求めるように。―>しかし問題は?十字架の力が消滅される。私たちはただ、イエス様だけに委ね、イエス様を誇らなければ!例)私の過ち!イエス様だけを誇る

2.自分の声を聞くことについて。
*エペソ2:1-3原罪の下にいる人間は、サタンの支配下で、自分の欲に従って生きるので…ヨハネ8:44パリサイ派の人の父は悪魔?父の欲を満たそうとして?サタンの声を聞く=自分の声
*自分の声を聞く理由は?1)疑うの故!分かれた心。2)自分の主張、自己目標が強すぎて。マタイ13:14そうするなら神の声を聞くことはできない。―>自分の声を聞くなら?葛藤と混乱が
3.神の御声を聞くことについて。 神様の御声であるなら?
1)内的に、ありのまま分かります!どのように分かりますか? 平安が来ます。ヨハネ14:27聖霊様が語られるなら平安が、サタンが?疑い、不安、恐れが。 信仰が来ます。ローマ10:17 熱望が生じます。ルカ24:32 2)聖書に当て嵌まります。Ⅱテモテ3:16 3)神の主権を現されます
*このように御声を聞くことが大事な理由?ヨハネ10:10神の御旨が成し遂げられ、豊かな命が#この説教を準備しながら・神様は何を願われる? タダの知識ではなく、正しい姿勢と行いを・・・*私たちは、なぜ神の御声を聞こうとするのか?牧師たちはなぜ聞こうとするか?信徒たちは?神様は、神の御旨が成し遂げられるように、主の栄光の為に御声を聞こうとするなら、神様はどれほど喜ばれるでしょう。
―>このために大事な姿勢は、神様との親しみを求める姿勢。神様を愛し、神の御顔を求める姿勢です。イエス様はいつもそうでした。そうしたら、ヨハネ5:20神様もイエス様を愛されすべてを教えて下さった =これは主の祈りで、御名が崇められ、御国が、御心が・・
@私たちの信仰は=神様との親しみ+神の御声を聞いて従うこと。その為には、親しみを大事にし、神の御声を聞くのは必修! vs. 御声を聞かないで自分の考え通り働くなら?自分の働きになる。使徒13:22神様がダビデについて、私の心に適う者、私の思うところをすべて行う? 私たちも!

00:01
教会は今、信仰の基本ということを、いろいろ皆さんに申し上げているところなんですけど、今日は信仰の基本、神の御声を聞いて分別することについて、見言葉を分かち合いたいと思います。
私たちの信仰生活には、 儀式的な部分もあり、本質的な部分があります。
儀式は、器と同じです。本質は、そこの中に入れる内容物です。
大事なのは、儀式よりもっと大事なのは、中身を入れる内容物です。本質です。
私たちの信仰の本質は何でしょう。
私たちの信仰の本質は、神様との親しい関係性の中で、神様の御声を聞き従うことです。
これは非常に難しい言葉です。ここで、神様との親しい関係性が大事であり、
また、関係性の中で、神の御声を聞いて従うことが大事です。
ところが、皆さん、神様の御声を聞くことはできますか。
神の御声を聞くのは、ありえないと思われる方がいらっしゃるかもしれません。
神の御声をどう聞くのでしょうか。私も疑問を持ちました。
ところが、私は、ヘンリー・ブレカビ先生の、神を体験する本で詳しく教えてくださるので、
それを通して学びました。
ヘンリー・ブレカビ先生は、神様は精霊を通して、
聖書と祈りと環境と教会を通して語りかけてくださる。
神様は精霊を通して、聖書と祈りと環境と教会を通して語ってくださる。
そこから、神の御声を聞かなければいけません。
これは皆さんに、どのように聞くのかということを前回、詳しく分かち合いました。
ぜひとも、前のことをいろいろと聞いていただければと思います。
ところが、私たちは神様の御声を聞きたいのですが、
神の御声を聞こうとするときに、神様の御声だけ聞くのではなくて、
いろいろな声が聞こえてきます。
それが、サタンの声もあり、自分の声もあり、また神の声があります。
これを分別することが非常に大事です。
私がよく見ていますと、ほぼほとんどの方は自分の声を聞いています。
ある人は、サタンの声を聞いている人も、たびたび見かけることもできます。
03:03
これは非常に大事なことです。
なぜなら、ローマ詩6章中6詩で、こう言います。
知らないのですか。あなた方は誰かに奴隷として従えば、その従っている者の奴隷となる。
つまりあなた方は、罪に従う奴隷になって死にだろうか。
神に忠順に仕える奴隷になって、気にだろうか。どちらから。
皆さん、間違えれば死にだろう。
これは怖いんじゃありませんか。
また、ローマ詩6章中6詩には、サタンが来る目的があると言います。
これは、盗んだり、放ったり、滅ぼしたり。
サタンが来て、声をかけて、その声を聞き入れれば、その人のことを盗んでしまう。
これは怖いですね。
イエス様が来られた理由は、羊たちに命を与え、もっと豊かに与えるため。
ですから私たちは、サタンの声を聞いてはいけません。
自分の声も聞いてはいけません。
イエス様の声、神様の声だけ聞き入れる。
これが信仰生活で非常に大事です。
初めの人、アダムとエバがなぜダメになりましたか。
蛇として現れたサタンの声を聞いた。
イエス様の弟子、イスカリテユダがなぜダメになりました。
サタンの声を聞いたからです。
サタンの声を聞いた人は、聖書でたくさん現れるんですけど、
全部ダメになりました。
私たちは、神の声を聞かなければいけません。
神の声をよく分別する能力、力を持たなければなりません。
それを今日、分かち合いたいと思います。
先週、サタンの声を聞くことについて、皆さんに申し上げました。
少し復習してみましょう。
サタンの声は、私たちを罪に導く。
罪を犯すように誘惑する。
サタンの声は、いつも優しい道があるよ、近道があるよ。
なぜこんなに苦しい道、細い道、狭い道に行こうとするのか。
広い道があるじゃないか、そこに行け。
しかし、狭い道は命に至る道。
広い道は死に至る、滅亡に至る道。
これをよく考えなければならない。
また、サタンは偽りの父だ。
サタンは偽りのものです。
だから、サタンは真理を大嫌いです。
真理が語られ、真理が述べ伝えるところには、サタンが妨げます。
また、真理を真理じゃなくて妥協するように、
何か、真理が少し歪曲されるように、私たちを導きます。
これは全部悪魔、サタンの声です。
また、サタンは臆病のものです。
06:01
臆病の霊だから、私たちはここに心配を入れます。
不安を入れます。恐れを入れます。
だから、サタンの声を聞く人はいつも不安です。
イライラします。
どうしよう、どうしようと言います。
これはサタンの声を聞いているからです。
それを知りづけて、神の御声を聞いたら、これは素晴らしくなります。
今日、ぜひ聞いてください。
これは、先週申し上げたんですけども、
私が先週のメッセージを準備した理由は、
このプラスはまだあります。
先週強調したかったものは、
サタンは肉体を誇るようにします。
肉体は何ですか?
この世のものです。
社会的な地位、財産、学歴、また、社会的な背景、
また、信徒たちには、業界。
自分の教会はこんなに素晴らしい。
僕の先生は学歴が…。
こんなことを誇るように、それを大事にするように、
サタンは促します。
また同じことですけど、
サタンはこの世の強さ、強いことを誇り求めるようにします。
ところが問題は、この肉を誇り、世の強さを誇るなら、
中直下の力がなくなってしまうということです。
これが一番問題です。
皆さん、私たちの教会は素晴らしいよ、素晴らしいよと、
この世の中のことを誇るなら、
その教会には中直下の力がだんだんなくなってしまう。
教会は立派だけど、中直下の力がなくなったら、
神の御業はできなくなります。
ここに誰でも優しく騙されます。
なぜなら、人間は三つの欲があります。
肉の欲、目の欲、この世の奢りという欲があります。
だから人間は欲があるので、
強いこと、偉いこと、素晴らしいことに、
いつもそれを誇る、その心に持ちたいと思って、
それを誇り始めたら、中直下の力がなくなるんです。
以前、私もそこによくよく騙されました。
いつか韓国からある先生が来られました。
先生が集会をされるときに、
私は教会の兄弟たちを紹介しながら、
ああ、この兄弟は慶応出身ですよと先生に言ったんです。
そしたら、その先生が私を見て、
なんとかその目、目つき、
お前何言っているのかというような気がしました。
今、この勉強をしながら考えてみたら、
あなたは中直下の力がそれによって消滅されるのにも関わらず、
世の中のことを誇りに思っているのか、
陸大のことを誇るのか、
という表情を私にさせたことがあります。
09:04
まあ、私は学歴が好きで、
ある人が偉い大学とか偉いなんとかするなら、
そこに弱くなってしまいます。
私はそのことを悔い改めなければなります。
以前はそれを誇ったりしました。
恥ずかしく思います。
これからはイエス様だけを誇りにする信仰を持ちたいと、
持ち続けたいと思います。
そうしなければ、教会は力がないんです。
イエス様の中直下の力がなければ、
教会の力は何ですか。
何にもないんです。
さあ、今日は2番目。
自分の声を聞くということを分かち合いましょう。
エピソード2章2節には、
この世を支配する者、
かの空中に勢力を持つ者、
すなわち不従順の者たちのうちに、
今も働く霊に従い、
過ちと罪を犯して歩んできました。
私たちは、いつも今まで、
世の中の何か霊に支配されてきたんですけど、
それをよく見たら、その霊が、
サタン、空中の勢力を持つ者、
不従順の者たちに働く、今も働く者、
そこについてきて、
私たちは、そこに支配されてきたんです。
世の中を支配する者、誰ですか。
サタンです、事実。
この世の神と言ったら、サタンと言います。
だから、この世の神、サタンと、
罪を犯して、原罪を持っている私たちの心は、
一つです、同じです。
サタンと、罪の中にある人間は、
同じだと、一緒だということを考えていた。
だから、サタンの声を聞くことと、
自分の声を聞くことは、
全く同じことです。
なぜ自分の声を聞くのか、
自分の声の裏にサタンがあるから、
そのサタンの声を聞くことと同じです。
今、8章44節に、イエス様はバリサイ人に、
お前たちは、お前たちの父、悪魔の欲に従って行う。
バリサイ人の父が悪魔だと言っている。
いや、違う。私たちはアブラームと言っているのに、
イエス様は違うんだ。
あなたたちの父は悪魔だと。
だから、バリサイ人たちは、
神様が自分たちを認めて、
自分は神の声を聞いて語るんだと、
思ったかもしれないけど、
事実その声が悪魔の声であり、
自分の声だったということを、
私たちが理解しなければなりません。
私たちが自分の声を聞く理由があります。
まず、疑いがあります。
昔、私はそうでした。
神様は本当におられるのか。
見たこともない霊を信じなきゃいけないから、
神様は本当におられるのか。
もっともっと私が難しかったのは、
イエス様がもしかして宇宙人ではないかと思う。
それが私を長く長く、
12:01
疑いを持ったらしいです。
だから、この疑いが入ってくるときは、
心が定まれなかったときは、
本当に苦しむんですね。
信仰ができないときは一番苦しむんです。
どうしよう、どうしようと思っているとき、
あるとき、ある集会で、
聖霊様がパッと示してくださった。
それを、聖霊がおられるから、
私がイエスを主だと言って、
ああ、聖霊の働きがあるから、
イエスがおられることを信じて、
イエスが私の主だということを告白した。
それが信じられたら、
そこから疑いがシャーッと消えてしまいました。
疑いがある信者、力が全くありません。
かわいそうである心が非常に難しいです。
また、自分の主張が強い、
自分の目標が強い人は、
自分の声だけ聞きます。
神の声を聞くことができません。
イエス様が来られたとき、
ユダヤ人、バリサイ人たち、
自分たちは、
自分の信仰が一番正しいと思いました。
どれほど正しいと思っているのか、
イエス様が指摘してくださっても、
信じませんでした。
だからイエス様は何と言われるのか、
あなたたちは聞くには聞くが決して理解せず、
見るには見るが決して認めない。
それほど彼らは自分たちの考えが強くて、
それだけ正しいと思いました。
神様が来られて、
お前間違えたと言っているのに、
自分が強い、
自己主張が強い人は、
自分の声しか聞こえません。
神の声は聞こえません。
もしくは自分のビジョン、夢とか、
自分の声が強い人は、
多分神の声を聞くのは難しいのではないかと思います。
ですから、
まず自分の考え、
自分の主張を下ろさなければ、
神様に従うことはできません。
自分の声を聞いたら、
葛藤、
混沌があります。
人々の心がどれほど度々変わりますかね。
朝変わり、
夜変わり、
また環境によって変わります。
状況によって変わります。
ただその変わりに従って、
自分の信仰が変わるから、
心が変わるから、
人が本当に辛い思いをするでしょう。
今日、教会学校、
教会学校で一番大事なことをメッセージされました。
イエス様が、
あなたたちは私をどう思っているのか。
主はキリスト、神の子です。
信仰告白がペトロから出たんですね。
さあ、今日教会学校のクイズで、
イエス様はどんなお方ですかって言ったら、
子供のユナさんが、
真が強い方というように。
わあ、これすごいことだよなと。
真が強い。
15:00
どうしてイエス様はそうできますか。
神の御声を聞いて従っているから。
真が強いんです。
自分の声を聞いたら混沌です。
もうイライラするでしょう。
サタンの声を聞いたらいつも不安、
心配、悩みばかりでしょう。
イエス様は神の御声を聞いて従っている方だから、
真が強いんです。
一番確信を持って働く。
これは素晴らしい働きができた理由は、
事実イエス様は神の御声を聞いて従う方。
私たちも神の御声を聞いて従うなら、
殉教される場合があっても、
自分の信仰は崩れることはありません。
しっかり保つことができるでしょう。
だから神の御声を聞くこと大事なんですけど、
今日信仰告白の場面で、
その子供からその話が出たという。
嬉しく思いました。
拍手したいと思いました。
では3番目。
神の御声を聞いたらどうなるのか。
神の御声だったらすぐ分かります。
ありのままで、直ちにこれは神様の御声だと。
神の御声だったらどうしてすぐ分かるのか。
神の御声を聞いたら平安が来るからです。
イエス様はこう言います。
私は平安をあなたたちに与える。
この平安は世の中が与える平安とは違うよ。
神様の平安。
シャロムことが与えられます。
だから神の御声を聞く人は、
世の中のいろいろな心配があって、
いろいろな問題があったとしても、
平安があります。
これほど強いものはないでしょう。
また神の御声を聞いたら信仰が来ます。
創世紀中号書で、
悩んでいる、心配ばかりやっているアブラモー。
神様がテントから連れ出して、
空の星を見ろ。
あなたの子孫はこのようになる。
そう言っている間に彼に何が来ました。
信仰が来たんです。
神の御声を聞いたら信仰が来ます。
そこでアブラモーが信じますと言いました。
それで神様がそれをアブラモーとギッとされたと言います。
神の御声は平安が来る。
信仰が来ます。
皆さん悩んで問題の中で祈るでしょう。
神様に祈って、この祈りは必ず応えられると、
確信はいつから持つことができるのか。
祈る間に平安が来ます。
だったらこれは確かにできると確信している。
これは神の御声です。
また神の御声を聞いたら、
私たちの心に絶望が生じます。
神様に対する燃える心が生じます。
ああ、私は主のためにこの働きをしたい。
大抵この場面で献身するんですね。
18:00
主よ、私を使ってください。
私はあなたのために一生を捧げます。
私はここにいます。私を使わせてください。
イザヤがそう告白しました。
そうです。神の御声を聞いた人は、
神に対する熱心、熱望が生じます。
また神の御声は聖書と一致します。
必ず私が神の御声を聞いたとするなら、
聖書と比べなきゃいけません。
聖書と違うならこれは大間違いしています。
必ず神の御声は聖書と一致します。
また神の御声は神の主導権、神の主権、
神様が王様であり主であることを示します。
神の御声は神自身と神の目的と
神の道、目的を成し遂げる道を示してください。
また神様の御声はイエス・ギリスと明かしします。
サタンの声を聞いたら自分を誇ります。
世の中を愛するようにします。
しかし神の御声は神様に焦点を合わせ、
神を愛するように導きます。
ですから私たちに神の御声は非常に大事です。
この大事なこと、ヨアネ・チッショ・チュセツは
盗人が来るのは盗んだり葬ったり滅ぼしたりするため他ない。
私が来たのはあなたたちに命、
また豊かな命を与えるためだと言っています。
私は今日神の御声を聞くメッセージを準備しながら、
私たちはこの知識が大事ではなくて
その通り生きることが大事なので、
たとえら私たちはどうするのか、これをいろいろ考えました。
みなさん、なぜ神の御声を聞きたいと思いますか?
たいてい、私みたいな牧師は他の先生にもよく聞くでしょう。
私はイギリス先生を考えたらいつも羨ましく思います。
ある時、妬みも生じます。
その先生はよく聞くのに、
どうして私はよく聞こえないのかということをいろいろします。
そうするときに私は、私も早く聞きたい、聞きたい。
そのようなことで神の御声を聞こうとするなら、
それは大間違いですね。
またみなさんはどうですか?
もしか神の御声を聞いたら、
私の仕事がうまくできるし、
また勉強がうまくできるし、
私の人生にうまく何か道が開かれるのではないかと、
そのようなことで聞こうとするなら、
それは合理悪敵ですね。
私たちは神の声を聞く。
なぜ聞こうとするのか。
私たちがやるべきことは、
この日本で神の御胸が成し遂げられます。
この日本で神様が栄光を受けられますように。
また神様の御国が日本で成し遂げられますように。
そのような心で神の御声を聞こうとするなら、
21:01
どれほど素晴らしいかと思います。
まずは大事なのは、神様の親しみをもっともっとうまく持っていきたい。
神様を愛していきたい。
そのために神の御声を求める姿勢で、
神様を求めるなら、これは良いでしょう。
イエス様はこうされました。
ヤワネ古書20節
父はこう愛して御自分をなさることを全て御に示して下さい。
イエス様は神様に何を要求したんですか?
イエス様は神様のための事実を全て下ろして献身します。
フィリポン2章5節からそっと見たら、
神様と同じ三位一体の神様が、
この世で神の身分さえ捨てて、
この世で来られて、一番低い身分として来られ、
十字架で死ぬほど神様に従順された。
イエス様は神様に求めるのは何もなかった。
ただ主に対する献身。
主に対する犠牲。
主に対する種。
もうそれだけだ。
だから神様がイエス様を愛して、
神様の全てをイエス様に示して下さい、教えて下さった。
だからそれをもってイエス様が働きができたということ。
それを考える時に、
私たちもイエス様のような姿勢で、
これからもっともっと神の御声を聞こうとする。
それで神様だけ、神様が栄光を受けられますように。
イエス様が主の祈りで、
皆さんこう言われました。
私は主の祈りの初めの3つのテーマが出ます。
皆があがめられますように。
御国が来ますように。
御心が天で行われたように、地でも行われますように。
私、この3つのテーマが、
事実、私がこれから主のために献身しながら、
主のために必ず成し遂げなきゃいけないことだと、
私は思っています。
これを決まり文句として、
さらっと言ってしまうことじゃなくて、
この1項目、1項目、1項目、
それをもって、神様、主の皆があがめられますように。
主の御国が来ますように。
主の御胸がこの地でも成し遂げられますようにという、
1つ1つの項目に対して、
主に私たちの心を尽くしてお祈りをし、
そのために私たちはできることだったら、
全てを成し遂げていく働きができるなら、
神様がどれほど私たちを愛して、
イエス様を愛して、全てを見せてくださったように、
私たちも愛して、全て見せてくださるでしょう。
じゃあ、最後です。
私たちの信仰生活は、
神様との親しい交じりの中で、
神の御声を聞いて従うことです。
24:00
ここで神の御声を聞くことは必修条件です。
もし私たちが神の御声を聞かないで、
自分勝手に働くなら、
この働きが神様の働きではなく、
自分の働きになります。
それを一生がやったと思いましょう。
そして最後に死んで、主の前に立つなら、
その人はどうなると思いますか。
だから私はいつも、
神の御業に献身したと思いながら、
最後の主の前に立って、
お前は世の中で何をしていたのか。
お前のことばかりやっていた。
私の声を聞いて、あなたはしたことがあるのかと言われたら、
どうされるのかといつも思います。
ですから私たちは、
自分のことを卸し、純粋な心で、
ただ主の栄光のために、
主のために御声を聞き、
従う私たちになりたいと思います。
これが信仰の基本の基本であります。
司徒行伝中3章22節に神様がこう言います。
サウルを知りどけて、ダビデを王と王に付け、
彼について語を宣言されました。
私はエッサイの子、私の心にかなう者、
ダビデを見出した。
彼は私の思うところをすべて行う。
神様が世の中でダビデを見出した時に、
神の心にかなう者、
私は彼を通してすべてを成し遂げたいと言われました。
どれほどダビデが神の御心にかなう働きをしたでしょう。
ぜひとも私たちもダビデのように、
神様が喜びを持って、
私は彼を通してすべてを成し遂げたいという、
そのような人になりたいと思います。
ぜひともそれを私たちの教会に成し遂げていきましょう。
お祈り出します。
主よ、何週間にわたって信仰の基本を分かち合いました。
本当に大事な基本、
私たちがこれをしっかり受け止め、
それを実践することによって、
うさぶらない、触れない、
しっかりした信仰にならせてください。
11月になりました。
1年間神様が与えてくださった恵みを振り返ってみて、
感謝する時期です。
本当に感謝する項目はたくさんあります。
その感謝を一つ一つ数えてみながら、
神様に感謝をする、
感謝が満ちあうれる教会にならせてください。
イエス様の源を通してお祈り致します。
アーメン。
26:54

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