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2023-10-15 40:23

「私たちが夢見ている教会」2023年10月15日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年10月15日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら
https://listen.style/p/tokyovinechurch/

マルコまた、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革 袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。

サマリー

創立5周年記念礼拝として、彼らは夢見ている教会についてのメッセージを分かち合います。感謝の気持ちとともに、神様の御意図と目的を考え、教会の変革に向けて前進しています。エルサレム教会とアンティオキア教会が言及されました。エルサレム教会は中心的な教会であり、アンティオキア教会は宣教に特化した教会でした。教会は大きさや使命によって異なる役割を持ち、信徒たちは教会を通じて共に成長し、イエス・キリストを伝えることが重要であるとおっしゃりました。彼らは1週間祈りながら、見事な装飾を工夫しながら、緊張していることでしょう。スミナル教会のイエス様は、何とおっしゃるでしょうか。

感謝と神からの恵み
今日は創立5周年記念礼拝として、私たちが夢見ている教会という対応をもってメッセージを分かち合いたいと思います。
創立5周年記念礼拝、創立記念日を迎えて感謝することしかありません。感謝です。
まず神様がこの教会を建ててくださり、今まで守ってくださったこと、本当に感謝します。
また、イエルサレムに初代業界が始まるときに、場所を提供してくれたマルコの家がありました。
そのようにこの池袋で、この良いところに神様がこの場所を提供してくださった町池に感謝します。
また、この熱心に感謝します。
また、何にもないところで、これを教会だと思って5年間も熱心に参加してくださった皆さんに感謝します。
皆さんのおかげで、教会は一度も礼拝を休むことなく、教会の扉を閉めることもなく、
5年間、教会の働きを続けることができたことに本当に感謝します。
私は5周年の記念礼拝ですが、私は喜ぶよりは、恐れる心でいっぱいです。
重い心でいっぱいです。
なぜならそれは、私たちは神様が見られるのに、正しくやっているのかという心配があるからです。
すべて作られたものには目的があります。
すべて作られたものには目的があるんですけど、その目的通りふさわしく用いられていなければ、
それは神様の前と人々の前で無意味な存在になるでしょう。
例えば、ここにテレビがあると思いましょう。
いくら操作しても画面が出てこない。
例えば皆さん、そのテレビをどうしますか?
愛深い神様だとしても、そのようなテレビをそのまま置いておきますか?
多分、そのテレビを捨てて、画面がうまく出る新しいものを置いておくんじゃありませんか?
ですから私は今日、創立5周年を向かって、私たちの教会、今神様が見られるのに、
これをそのまま続けるように神様が考えておられるのか、そうじゃなければ、
その教会はもうやめた方がいいと考えておられるのか、
そのここで私はすごく心配しながら、今日の見言葉を通して、
今の教会、そのままでいいのか、これから私たちはどのように変えなきゃいけないのか、
そのことを考えて、みんなが一つの心を持って、新たに始まるチャンスになれればと思っています。
じゃあまず初めに、すべて作られたものには、作った方の行為と目的があります。
神様が天地万物を作られた時、天地万物の中には神様の御意図と目的がありました。
創世記一章一節、初めに神様は天地万物を作られたと言います。
神様が天地万物を作られた時、何の目的もなく、ただ作られたんでしょうか?
そうではないでしょう。その天地万物の作られた目的は何だったんでしょうか?
また人間を作られて創世記一章二十八節には、すべてを守り管理するように任せられました。
神様が初めに天地万物を作られた目的は、創世記二章で見てますと少しわかります。
すべての非常物が神様と美しい環境の中で、立派な環境の中で幸せに豊かに過ごすことが神の計画ではないかと思います。
また人間はその管理者として人間を作られたことがわかります。
そして管理する、働きをする人間には家庭も与えてくださり、すべて必要なものを満たしてくださいました。
神様との愛の関係の中で、すべての非常物が幸せと豊かに生きる世界、
これが天国ではありませんか。神様が作られた天国のようなこの世の中を守り管理することが人間がやるべき仕事だったんです。
ところがそのように幸せに過ごしているある日、蛇として現れたサタンが人間を誘惑して罪を犯させ、神様との関係をダメにするんですけど、
一人一人の個人的な使命
第1話の3章8節で見ますと、罪を犯した人間は悪魔に直します。悪魔の奴隷になってから神様の想像の計画はすべてダメになりました。
人間の罪によって神様のすべての計画がダメになった時、神様はどれほど悔しかったでしょう。どれほど胸が痛かったでしょう。
また、善悪の知識の木の実を食べた人間に対して神様はどんな心を持っておられたのでしょうか。
しかし神様はその人間を愛してくれる、この人間を救おうとされました。
それから神様の計画は、創世紀3章15節、女の子孫として名者を約束しながら、
誘惑者、悪魔を滅ぼし、全人類を救うこと。これが神の計画になりました。
これはヨハネ10章10節の言葉です。神様はその働きのために一つの民を作られました。それがイスラエルです。
その民がエジプトの奴隷の生活をする時に、神様がその民を救いながら、
こう言われます。シュチエジプト19章5節、6節です。
今、もし私の声に聞き従い、私の契約を守るならば、あなたたちは全ての民の間にあって私の宝である。
世界は全て私のものである。あなたたちは私にとって祭祀の王国、聖なる国民となる。
これがイスラエルの人々に語るべき言葉である。
この意味は、イスラエル民を通して神様は全世界を救いたい。
だからその働きは祭祀の王国になれということです。
しかし神様がいくら待っても、そのイスラエル民は神様が願われる働きには関心がなかった。
自分たちが願う働きばかりです。
そのイスラエルを神様がパベロンの捕虜として滅ぼされます。なぜでしょう。
神様は彼らを作られた目的と行為を悟ることができなく、違う働きばかりやっているからです。
時が満ちて約束された女の子孫イエス・キリストを人類を救うメッシャーとして起こってくださったのですが、
ユダヤ人たちは、創世紀3章中古措置にもかかわらず、このメッシャーを受け入れませんでした。
むしろメッシャーを十字架にかけ殺し、自分たちを救おうとする神様の恵みを受け入れませんでした。
神の身むねを悟らない彼らを神様はAD70年度ローマを通して滅ぼして、全世界を散らされます。
そして初代業界にペトロを通して、第一ペトロ2章9節ですけど、
あなたたちを祭祀の国として全世界を救いたい、もう一度お話しされます。
そしてヨエル2章23節に、春の雨のように、秋の雨のようにリバイバルを送ってくださる約束をされます。
その予言通り、春の雨としてペンステコステの聖霊のリバイバルを送ってくださりました。
力強い聖霊の降臨によって始まった人類の救いの働きが、
イエルサレムから始まって、ヨーロッパ、アメリカ、中国、ロシア、中東、そして最後にイエルサレムに戻ってくるなら終わりになる。
これがマタイ24章14節です。
その終わりの段階に様々な印があると、マタイ24章にはお話しされます。
先週、イスラエルとパレスティーナの間の紛争がありました。
パレスティーナということは、昔ペリシテのことです。
昔ペリシテとイスラエルの戦いが、今もパレスティーナとイスラエルの紛争まで続いているところです。
これが皆さん、終わりの時の印です。
終わりの時がこれまで近づいているということは、私たちが大自然の治療温暖化だけじゃなく、
戦争を通してもよくよく分かります。
今は終わりの時です。
終わりの時に神様が約束されたのは、秋の雨として、春の雨、秋の雨、これが順序が変わりますけど、
この秋の雨として、終わりの時にリバイバルを送ってください。
このリバイバルを通して、この世の中で大収穫を起こるようにして、地の果てにまで福音を述べ伝えることができるようにしてください。
そのリバイバルを受け入れる器として、イエス様はマルコ二章二十二節、
誰も新しい葡萄酒は古い皮袋に入れたりはしない。
この新しい葡萄酒ということはリバイバルです。
リバイバルは絶対古い皮袋には入れてくれない。
新しい葡萄酒は新しい皮袋に入れるものだと言われました。
今は新しい葡萄酒を受け入れる、新しい皮袋を準備することが今の時期の神の御胸です。
それを悟ることができなく、古い皮袋でもいいんじゃないかと、これを固執するなら、
神様がこの教会を、その教会を使ってくださらないでしょう。
そして準備ができている他の教会を神様が使ってくださるんじゃありませんか。
私の心が重い理由はこれだけなんです。
私は私たちなりに熱心に教会生活しています。
熱心に教会生活される、その意味は単純な宗教的な義務感によってそうされるのでしょうか。
あるいは自分の人生に問題を神様の力によって解決したいというご利益的な目的で
神を探しているのではないかということです。
神様は私たちの心の中心を見ておられるから、
今私たちの教会が神様が願われる、神様の行為と道理の教会の働きをしているのか、
神様はどう見ておられるのか、それが私が心配していることなんです。
私たちは中治会の福音で学んだでしょう。
イザヤ1章中1節、こう言います。
お前たちの捧げる多くの生贄が私にとって何になろうか、と主は言われる。
御羊、越えた獣の死亡、斧を捧げ者に私はあいた。
御牛、御羊、親羊の地は私は喜ばない。
当時イスラエル人たちは熱心に礼拝を捧げました。
なぜでしょう。
自分たちに祝福してください。自分の問題解決してください。
しかしその時代に対する神様の身旨、神の目的には関心がなかったんです。
ですから神様は彼らの多く捧げるこの生贄、献身を喜ばない。
結局彼らはバビルロンに滅ぼされて、保留として連れて行かれるようにしました。
はじめから深刻なお話をされてごめんなさい。
ですから私たちは神の身旨と神の目的を良くして
信仰生活しなければいけないことを申し上げたいということです。
まず一人の個人と一つの教会には神様の大きな計画があるということを知らなければなりません。
まず一人の個人に神様は大きな身旨を持っておられます。
一人の人がこの世に生まれること、これは神様に対してはすごく大事な働きです。
モーセが生まれました。サーモエルが誕生しました。
先例者ヨハネが誕生しました。
この方たちはただこの世に来たではありません。
この方たちはその時代に対する神様の大きな任務を持って生まれました。
モーセはシュチエジプト、イスラル人を救うためにこの世に来ました。
サーモエルはイスラル国をカナンに建てるために、この初めの大事な信仰の柱を作るために来ました。
先例者ヨハネはメイシアの道を準備するためにこの世に来ました。
この人たちがこの世に来られて、神様が自分に与えられた大きな使命を悟るまでは時間がかかりましたけど、
しかしそれを悟った後はその働きに大きく用いられて、世の中で一番祝福される存在になりました。
ですからこのように一人の人がこの世に生まれることは本当に大きな意味があるんですけど、
ほぼほとんどの人たちは自分が何のためにこの世に生まれたのかわからなくて、
ただ熱心に食べて、熱心に生きるために努力しながら、虚しいと言いながら死にます。
気の毒ですね。
エペソン2章1節から10節までは、神様は過ちと罪によって死んでいった私たちを、
恵みとして恵みを持って救われる時には、良い技のため、良い働きのために私たちを救われたとします。
ですから私たちはこの世で他の働きができなくても、神様が私たちに与えられた良い技、
それは必ず解決していかなければなりません。
なぜなら、人は一度死ぬこと、そしてこの後には裁きがあるからです。
裁きに何を聞かれるのでしょうか。
あなたはこの世でどのように生きたのか、それを聞くためですか。
私はそうじゃないと思います。
あなたは目的があってこの世に生まれたんだけど、その目的をあなたはどうしたんだ、
それを神様が聞かれることが裁きではないでしょうか。
ですから私たちは、死ぬ前に神様が私に与えられたこの働きがうまくできたのか、
それを考えなければなりません。
ここの中には韓国から来た方がいます。
韓国からなぜ日本に来ているんですか。
また日本の方の中でこの教会に来られた方がいます。
なぜ神様がこの教会に私たちを送ってくださったと思いますか。
たくさんのいろいろな教会があるんだけど、偶然にこの教会に来ました。
いいえ、そうではありません。
必然的な神様の計画があります。
その理由を分かって持ちられるとき、神様が喜ばれます。
また神様に祝福される存在になるでしょう。
アブラームは自分が生まれた理由を分かりませんでした。
75歳になったとき、自分の存在の意味を分かって、
それから神様に大きく持ち入れられました。
モーセはなぜ自分がエジプトの奴隷の中で生まれたのか分かりませんでした。
80歳になってから自分が生まれた存在意味を分かって、
教会の役割と使命
それから120歳まで神様に持ち入れられました。
パウルはダマスコの丘でイエス様に出会ってから、
その14年間、アラノ、アラビア、またダルソ、そのところに行って、
14年間神様と工夫しながら自分の存在意味が分かりました。
それで大きく持ち入れられました。
ところがアブラームと一緒に旅立ったロット、
アブラームは持ち入れられるんだけど、ロットは自分の人生の意味を分かりませんでした。
またイサクは神様に持ち入れられて、イシマエルはなぜ神様が生まれたのか分かりませんでした。
ヤコブは神様の身分をよく分かりました。しかしエッサウは分かりませんでした。
イエス様の十二弟子の中でペテロ、ヨハネ、ヤコブが神様に持ち入れられる間に、
イスカリリユダはその意味を全然分かりませんでした。
大きく持ち入れられるシモイたちのすぐそばで、
いながらも神様の身分を全く分からないまま見捨てられた人たちが大勢います。
皆さん、この世は100年ですけど、天国地獄は永遠です。
この世の100年の目的は何でしょう。
私は今68歳、69歳になりますけど、70年この世で過ごしながら、
あっという間ですね、私はある時期、勉強に熱心になって、また会社に入って命がけて働いたところに、
いろいろな時間がありました。その瞬間があっという間に過ぎてしまいました。
それから私はこれから年寄りの体になって、今気起こりがなくなり、いろいろな問題が生じて、
ああ、間もない時期に私は多分死ぬかなと思うんですよ。
この私の人生の目的は何なのか。
会社で熱心にするために、また勉強して出世するために、そのために来たのか。
生活のためにこの世に来る必要ありますか。天国をもっといいところに。
この世の中は使命があるから起こってくださったんじゃありませんか。
生活のためではなく、何か働きがあるからこの世に来たでしょう。
マルコ1書17節、イエスは私についてきなさい、人間を捕る漁師にしようと言われました。
魚を捕る漁師は、これは生活をするために生きる人です。
しかし、人間を捕る漁師、人生の海の中で苦しんでいる人々を救って、天国に導く人間を捕る漁師。
この方たちは、使命のために生きる人を意味します。
神様は、使命のために働く人たちは、必要なことをすべて満たしてくださるんだと約束をあります。
まず、神の国と神の気を求めなさい。これらのことをすべて加えて与えられる。
マタイ6書33節、約束しているんじゃありませんか。
ですから私たちは、100年この世の中で勉強し、お仕事もする、いろいろなことをやりますけど、それは手段であり、
私たちの目的は、その働きを通して出会うすべての人に、人生の海からイエス・キリストをみんなによって救って、彼らを天国に導く、人を捕る漁師になる、この役割をうまくやるべきではないかと思います。
一人の個人が神様に永遠に祝福される道は、イエス様を信じてまず自分自身が救われること。
そしてイエスを伝えて他の人々を救うことです。
全世界よりもっともっと大切な一人の人を救うこと、これよりこの世の中にはもっと大事なことはありません。
それために神様は教会を建ててくださいました。
教会は神様に対して本当に特別なところです。
一つの教会には神様の大きな計画があります。
皆さん、教会は建物ではありません。イエス・キリストを信じる二人、まだ三人がイエス様の皆によって集まったところです。
皆さん、神様がこの世に対して働くときに、神様が何を持って働くでしょうか?
誰が神様の働きをしてくださいますか?
国、会社、学校、どんな団体も神様の働きをしてくれません。
神の働きをしてくれるときは唯一、教会だけです。
教会は見言葉と精霊によって、祈りによって神の御業、働きをするんですけど、神様のすべての関心は教会にあります。
ここで教会論ということが大事ですけど、神様に用いられる教会になるためには、
まず教会が聖書に対する正しい理解、正しい信学を持って、
精霊様に対して開いている、精霊の導きをよく受ける教会にならなければなりません。
また、教会の主体であるすべての信徒たちが、イエス・キリスト、頭であるイエス・キリストにうまくついていって、
この頭であるイエス様が支持されるなら、よく従う教会にならなければなりません。
また、教会各主体の間に緊密な連絡をして、この信徒たちが心ひとつじして、一人のように働く教会にならなければなりません。
第一コリント中年賞には、イエス様が頭であり、イエス様にくっついている私たち各一人一人の方たちが、
その方たちに神様が精霊の賜物を与えてくださり、いろいろな職務を与えてくださったことに対して話をするのですが、
教会に与えられた各主体は、一人一人が本当にみんな大事な大事な存在です。
各々持っている神様が与えてくださった賜物、また職務に、その才能をうまく合わせて活用するとき、
教会がうまく立てられるし、神の御業がうまくできます。 また教会は霊的な家庭です。
皆さん家庭の中には父親がいるし、母親がいるし、姉、兄、また妹、弟がいるでしょう。
お互いに影響を受けて、お互いに助け合って、また父母から教えてもらって成長し、それから結婚して分岐をするように、
共同体の中でみんなが貸し入れられるイエス様の関係の中で、自分が与えられた職務、また賜物を良くして、
教会の中の他の方たちとうまく付き合いをし、助けることによって、自分自身も成長し、教会も成長していくことをよく知らなければなりません。
家庭なしで子供を生まれて成長できないように、信徒たちは教会の中で生まれ、
信徒たちは教会の中で成長します。 ですから、教会中心的な信仰をしなければなりません。
旧約聖書には、一人の人に聖霊の油注ぎを与えてくださって働きをされたんですけど、
新約聖書には教会の上に聖霊を与えてくださり、教会中心的な働きをされます。
ですから、また18章20節には、2人また3人が私の名によって集まるところに、私もその人たちのうちにいると言います。
ですから、私たちは教会中心として働くことが非常に大事。
しかし、一つの教会ができる働きは限界があります。
ですから、教会は他の教会と力を合わせて、聖霊の導きに従って働く方法を学ばなければなりません。
このために、教会お互いの役割と対応性を分かって協力することが大事です。
ここで少し難しいんですけど、各教会に対する分別が大事です。
教会は、聖書等を読んでどのように理解するかによって、多様な進学を持っています。
ですから、教会は世の中には千差万別の教会があります。
極端的には異端の教会もあります。また、生徒的な教会もあります。
古い顔袋の教会もあるし、新しい顔袋の教会があります。
様々な教会があります。
信徒たちが好きな教会もあるし、牧師たちがいい教会だと思っている教会もあります。
何より大事なのは、正しい信仰感の上、美言葉と聖霊の調和がある、
そして礼拝と使命が正しく実践される教会が大事です。
では、教会別に使命と役割が違います。
すべての教会がすべて同じ使命を持っている、同じ役割をすることではありません。
では、聖書の中で教会を調べてみましょう。
教会の中心性と連帯
エルサレム教会、アンティオキア教会。
エルサレム教会は、ある意味から見たらセンター教会、中心的な教会です。
アンティオキア教会は、中心的な教会よりは、
ある特別な使命、宣教という使命に特別されている教会でした。
だから、エルサレム教会はセンター教会として中心的な働きをし、
アンティオキア教会は宣教に夢中になりました。
ゴリント教会は、聖霊の賜物が強い教会でしたけど、
神様が喜ばれる教会ではできませんでした。
ための教会でした。
また、目白区の7つの教会があるんですけど、
7つの教会は、神薬時代に現れる全ての教会を、
7つの部類に分類できるほど、この大きな意味を持っている教会です。
その中には、エペス教会、サルデス教会、ラオティキア教会のような大きな教会もあったし、
ビラデルビア教会、サメナール教会のような小さな教会もありました。
皆さん、大きい教会が良い教会ですか?
大きい教会の良い面は、その時には神徒も大勢いるし、研究もたくさんあるから、
システムがうまくできています。
信仰と関連して、多様なサービスを受けることができるから、
神徒たちはその教会を通して、たくさんのことを学ぶことができるでしょう。
しかし、難しいことがあります。
私は韓国で、私の当時一番大きな教会である、中原教会という、
金明三大統領が出席する教会に通いました。
そこで私は、その信者たちを何年間もずっと見ていました。
神徒たちの心がひとつになるのは、ひとつに非常に難しいです。
信仰の純粋さ、器用さをまめるのは難しいです。
自己中心性を捨てることも難しいし、
古い革袋と新しい革袋、また、この世の中と神様を二股かける信仰、信者が大勢います。
神徒も多く、研究もたくさんあって、豊かに見えるかもしれませんけど、
神徒たちと神様との関係性はバラバラです。
大きな教会と小さな教会
正直に礼拝に出たのか出なかったのか、分かりません。誰も分かりません。
礼拝に出なくても分かりません。
私たちの教会は小さいから、一人が来なければすぐ分かります。
また、どんな信仰生活をしているか、全く分かりません。
信仰生活をするけど、訓練は嫌だという信徒が大勢います。
エペス教会、当時何万人と言いました。
ラウティギア教会、サルデフ教会のように、
神様、イエス様から褒められることもありましたけど、
叱られることがたくさんある教会もあります。
ここで、大きな教会にイエス様をどのように評価されたことを見るなら、
その教会の内部事情がよく分かるでしょう。
エペス教会には、目白く2章4節5節を言います。
しかし、あなたに言うべきことがある。
あなたは初めの頃の愛から離れてしまった。
だから、どこから落ちたのか思い出し、悔い改めて、
初めの頃の行いを取り戻れ。
もし、悔い改めなければ、私はあなたのところに行って、
あなたの職体をその場所から取り除けてしまう。
エペス教会には、昔はよかったけど、
今、あなたたちは初めの頃の愛から捨てた。
それを取り戻さなければ、私はあなたのところから職体を取り除けてしまう。
職体というのは、教会の意味、アイデンティティ、大事なことです。
教会として認めないよ、ということです。
エペス教会はそのような状況でした。
サルデス教会にある天使に格好をかけおくれ。
神は七つの霊と七つの星を持っているお方。
次のように言われる。
私はあなたの行いを知っている。
あなたは生きていることはなばかりで、父は死んでいる。
父は死んでいると言いました。
オカノム先生が、韓国のサランの教会に、
サルデス教会と同じだと言われたことが、私は覚えています。
大きな教会では、みんなが生きていると言うんですけど、
神様を見るのには、死んでいるということです。
また、ラウティケア教会。
暑くも冷たくもない、生ぬるいので、
私はあなたを口から吐き出そうとしている。
口から吐き出そうとしている教会です。
皆さん、このような教会を神様が用いてくださるでしょうか。
神様が喜ばれるでしょうか。
ですから、信仰の先輩たちは、
大きな教会の陰で安住しないようにと、
いろいろな注意されたことがわかります。
地獄に行くキリスト社という言葉が、そこから出たんです。
しかし、小さな教会。
ピラデルビア教会、スミナル教会、アンティグア教会。
小さな教会は、信徒たちの心が一つになりやすい。
同じ信仰を持ちやすい。
みんなが協力しなければ、教会運営ができない。
ですから、みんなが働き、
みんなが主人意識を持ちやすいです。
だから、みんなが働かなきゃいけないから、
教会学校の先生、そうでしょう。
今週、私がメッセージだと言ったら、
スミナル教会にイエス様の言葉
1週間ずっと祈りながら、見事場をいろいろ工夫しながら、緊張するでしょう。
そうです。
神様の前で緊張して、
いつも見事場10万、精霊10万を求めるから、
だから、その教会は、神様が持ち入れやすいです。
じゃあ、スミナル教会にイエス様は何と言うんですか。
目白2章10節です。
うまくやっている。死になるまで忠実にやれ。
そうすれば、あなたに命の冠を預けよう。
ピラデルビア教会はこう言います。
目白3章10節から違ってありますけど、
地上に住む人々に試すために、
全世界に来ようとしている試練の時に、
私はあなたたちを守ろう。
あなたたちに栄光の冠を授けよう。
あなたの名前を命の詔に書けようとします。
神様はピラデルビア教会、スミナル教会には祝福ばっかりやっている。
皆さん、このような教会、神様が使ってくださるんじゃありませんか。
キリスト教の歴史の中で、神様から大きく用いられた教会をご覧ください。
イエス様の十二弟子、マルコのアッパルーム、アンティオキア教会、カタクモの信仰教徒体、
みんな小さいんですけど、信仰的に一つになって、神様に用いられた教会でした。
ここで私たちは、私たちの教会のアイデンティティを探さなければなりません。
小さいですが、一つになって、特別に与えられた使命を、革新をもって用いて、
リバイブルを受け入れて、大衆化を準備する教会としての使命を、うまく担わなければなりません。
神様は教会のサイズ、大きいか小さいか関係なく、
神様の目的、御意図に忠実な教会を祝福し、使ってください。
ですから私たちは、教会のサイズが問題ではなく、私たち二人、まだ三人いれば教会ですか。
二人、まだ三人が、神様が私たちに与えられた使命が何なのか、ビジョンが何なのか、
それを一つの教会で心で受け入れて、そのためにみんなが心を合わせて進めていく、働いていく。
その教会になれれば、小さいか大きいか関係なく、神様はこの教会を使ってくださるし、その教会を祝福してくださるということです。
私たちが目指す目標はここになければなりません。
ところが神様が与えてくれたビジョンは、私たちの世代で全部成し遂げられない場合もあります。
アブラムに与えられたビジョンが、イサク、ヤコブ、ヨセブによってこのビジョンが継承され、それで与えられる。
また、モーセに与えられた働きが、ヨウシワの働き、カレブまでいって、それでかなに神様の御国を建てることができたように、
私たちにリバイバルと大収穫の働きも、信仰の継承が必要です。
ですから私たちは、私たちだけ上手くやるんじゃなくて、私たちの次の世代もこのビジョンの継承ができるように、
よくよく教えながら準備していかなければなりません。
また、いつも申し上げるんですけど、選択と集中が大事です。
私たちのような小さな教会は、全てが足りないんです。全てが足りない。
ですから、他の教会がいろいろな働きをしたら、私たちも働きたいと思うことは理解できます。
しかし、私たちに与えられたビジョン、使命、それをしっかり分かって、選択と集中、それをやっていくことが大事です。
ですから私は、毎年創立記念日を通して、私たちのアイデンティティが何なのか、
私たちが用いるべきビジョンと使命が何なのか、それを皆さんと共に確かめているところであります。
いろいろ物足りないことがいっぱいあるんですけど、与えられたビジョン、使命を集中的になって、
最後の時、神の身実を成し遂げる、成し遂げてあげる教会になりたいと思います。
私と天道寺さんは、このようなことをいつも思えて、5年間、教会を運営してきました。
皆さん、よくよくついてきてくださって、本当にありがとうございます。
これからも皆さん、よろしくお願いいたします。
お祈りいたします。
主よ、教会創立5周年記念礼拝を捧げることができて、本当に感謝します。
神様の最大の関心は、主の教会にありますけど、教会のリーダーとして、教会をうまく導いてきたのか、心配、恐れがあります。
私たちに間違いがありましたら、過ちがありましたら、教えてください。
願わくは、リバイブルを受け入れる、新しい革袋の器をよくよく準備して、
私たちが生きている間、神様が送ってくださるリバイブルを見ることができるように、祝福してください。
これから、今まで5年間、本当にうまくついてきてくださった皆さんに感謝します。
これからも5年間、教会と信徒たちを神様、保護して導いてください。
これからすべてのことを、神様がいろいろ悟らせてくださり、教えてください。
そして、私たちの教会が最後の最後まで、神様に祝福される教会にならせてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。アーメン。
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