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「信仰と、希望と、愛」2026年6月28日のメッセージ
2026-06-28 38:52

「信仰と、希望と、愛」2026年6月28日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年6月28日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

▼メッセージをスライドで: https://x.gd/0dA0T

▼ポッドキャストへのご感想はこちらへ!: https://forms.gle/fHcRBqaFSat8EQfE9

▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら: https://listen.style/p/tokyovinechurch


(聖書) Ⅰコリント それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。 Ⅰヨハネ4:9-13 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。
 

メッセージ題:信仰と、希望と、愛 (Ⅰコリント、Ⅰヨハネ4:9-13)
*以前、私が属されていた宣教団体の先輩がレビ記を講解説教した理由?私が今日のメッセージを?Ⅰコリント「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である?」この三つのキーワードが、なぜ大事なのか?またその中で、第一はなぜ愛だというのか・・・

1.先ず、信仰です。
*私たちの信仰生活のすべては?信仰によって。ヘブライ11:1,6 信仰は大きいな力があります。アベルは、エノクは、ノアは、アブラハムはどのように?信仰によって神様が願われる働きを・・・神様を喜ばせることが
#信仰はどのように生じるか?ローマ御言葉を聞くとき+聖霊の照らしによってできた信仰が驚く働きを
*マルコ5章、長血の病の姉妹の癒し?イエス様の噂を聞くとき、聖霊様からあなたもイエス様の衣を触るなら
ある姉妹の母親が・・・葬儀を頼む為に?死ぬ病気ではない。その信仰で助けると生き返られ、今は元気に
*このように、御言葉を聞くとき、聖霊様が照らしてくださるなら?若い人も、年取った人にも信仰が生じます。
*韓国のある教会。牧師の口癖、「私たちはどのように過ごすべきですか?」そうするなら、信徒たちが、「信仰によって行かなければなりません」→その素晴らしいキーワードに引っ張られ、信仰体験して大きいな教会に

2.2番目の大事なのは、希望です。
*この世の神は悪魔です。悪魔はイエス様を憎まれたように、キリスト者も憎まれるので、キリスト者は多くの苦難が! また、私たちには大宣教命令、命の救いの使命があります。そこには霊的な戦いが。
また、信仰生活は自分を捨て、自分の十字架を背負って、狭い門、細い道を行く、孤独の道です。一体誰がこの道に従って行けるのか?希望を持つ人、天国の希望を持っている人だけが。ローマ
その希望は聖霊様によって。 また、キリストの新婦である私たちは、新郎、イエス様を待望する人。この世の様々な誘惑を勝ち抜き、待ち続けるのには希望が! #神様が私に下さったメッセージ?「この世は100年、天国地獄永遠。」この100年の意味は、天国の準備!その希望の為に。ヘブライ *世の中の人々の考えは甘い、死んだら終わりだ?また死んだら良いところに行かれたでしょう?天国に対する希望が・・・私たちを正しく信仰に導いてくれます。*韓国のソマン教会?天国に対する希望で

3.3番目の大事なのは、愛です。
*日本でも韓国でも、一番多い教会の名前が愛の教会です。 なぜなら一番大事であることを共感!
#信仰と希望は自分の為に持つ傾向が。しかし愛は・・・神様の為、他人の為に持つことなので大事!
*世の中の根本問題、人々が持っている根本問題は?愛がないから、愛を受けることが出来ないから
愛がない状態で語るすべての言葉は、反発心、心の傷を残す。大きな賜物、能力を持てたとしても愛がなければ。自分のすべてをもって献身、殉教をしても愛がなければ。しかし愛があるなら下手な話でも、人々の心を動かす感動力が・・#信仰が幼い状態でも聖霊様が照らされるなら、強い信仰も、強い希望も可能。しかし愛は聖霊の照らしで簡単に愛はできません。イエス様を学び見習う信仰訓練の完成の段階でやっと愛が可能です。聖書が言われる愛の定義?Ⅰコリント13:4-7これはまさに神様の御心。神様は愛である。Ⅰヨハネ-12。悪魔は愛ができない。神様が愛なのに、神様と親しみがないから。#パウロも幼いとき、強い信仰、希望がありました。それでキリスト者と教会を破壊した。成熟したとき、世界宣教の為に苦難を・・@信仰と希望、愛を備えて主に用いりましょう。また愛は信仰の完成

感想

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00:02
今日は、「信仰と、希望と、愛」というタイトルをもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
以前、私のある先輩の僕先生が、旧約聖書のレビキを豪快説教をされましたが、
その理由は、自分は他の聖書はたくさん読んでいる。
他の聖書は引用して、また説教をたくさんやります。
しかし、旧約聖書のレビキだけは、
聖書をずっと読んでいながら、レビキを読む時には、ササササッと読んでしまう。
もう全くこの部分は恵みにならないということで考えたそうです。
同じ神の御言葉なので、私はなぜこのレビキ、
もう先輩の聖書の特にこのレビキの部分を、自分は差別したのか。
これが思い出されて、
いや、神様の前で、御言葉の前で、私はある御言葉を無視するとしたら、これは大きな罪ではないかと思いながら、
自分はこのレビキを、私は本当に初めから最後まで、
部分部分部分的に、公開説教をしようと思ったそうです。
そうしながら、ものすごい大きな恵みをいただいたと言うんですよね。
私はこの先輩が、レビキで大恵みをいただいたということは、これはすごいなと思います。
レビキを読んだら、全く恵みにならない言葉ばかりなので、
それを通して恵みをいただいたことはすごいことです。
私は先輩と同じような心で、今日のメッセージを準備しました。
先週、私たちキリスト者が持つべき、大事な3つのキーワードがありますと言いながら、
第一コリントの13章にありますよねと言って、これを何々ないと言うべきなんですけど、
これが思い出されなかった。
あ、どこにあることはわかっているんですけど、その3つのキーワードがパッと思い出されない。
皆さん、これはキリスト者として失格なんですよ。
教会学校の子どもたちも全部覚えているものですから。
だから私はもう年取っているから、なんとか言いながら、この話をしましたけど、
後になって、私は本当に神の御言葉の中で、
一番大事な愛の章という第一コリント13章をあまり大事にしていなかった。
また、その部分を最近あまり引用していなかったし、読んでもなかったことが思い出されて、
今日はこの第一コリントの13章に大事な3つのキーワードを絶対忘れないように、
03:00
これをもってメッセージをして、それから皆さんと私がこれを覚えて、
私たちの教会のものにしていきたいと思って、今日のメッセージを準備しました。
今日のメッセージ、大事なのは、私たちの信仰生活で大事なキーワードが3つあるので、
これが第一コリント13章13章、それゆえ信仰と希望と愛、この3つはいつまでも残る。
その中で最も大いなるものは愛である。
じゃあ、この3つのキーワード、なぜ大事なのか。
また、この中で最も大いなるものは愛と言われるんですけど、
なぜ愛は最も大いなるものなのか。
この部分を皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
じゃあ、初めのキーワード、信仰ということです。
私たちの信仰生活のすべては、信仰によって成し遂げられます。
じゃあ、ヘブラリー書11章は信仰の章と言われるところですね。
1章6章です。
信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
信仰がなければ神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は神が存在しておられること、
また、神はご自分を求める者たちに報いてくださる方であることを
信じていなければならないからです。
じゃあ、信仰は大きな力があります。
ヘブラリー書11章、信仰の章では、
信仰生活、私たちの遥かな先輩たちの信仰に対して書きながら、
この信仰はどれほど大きなパワーが持っているのかを教えてください。
じゃあ、この初めに、
信仰によってアベルは礼拝を通して神様からギトされた。
皆さん、世の中の人々の中で、
神様からあなたは正しい、あなたは一番うまくやっている、
これを認めるのは礼拝を通して、
アベルはギトされた。
世の中で一番神様が、
あなたはうまくやっているんだ、あなたは正しい、
何によってそれができますか?
信仰によって、礼拝によって、
アベルはその神様から賞賛されたということです。
また、エノクは本当に素晴らしいです。
エノクは死なないで神の国に行きました、天国に行きました。
みんなこの世で死んで天国に行くべきなんですけど、
死なないで天国に行く、
どうしてこれができますか?
信仰によってできたんです。
信仰は素晴らしいですね。
また、ドアは信仰によって、
全人類が洪水によって滅ぼされる時、
箱舟を作り、
06:00
自分の家族と世の中で全て生き物を救われる、
この素晴らしい働きができました。
世の中が滅ぼされる時、
救われる、このドアの中で何があったんですか?
信仰があったんです、信仰が。
信仰によって自分の家族を救い、
世の中で生き物たちを救う、
素晴らしい働きができた。
また、信仰によってアブラムは、
アブラムはもともと不倫の妻、不倫の家庭でした。
子供を産むことができない家庭でした。
しかし、天の星のように、海の砂のような、
このイスラエル民族、
また、この後続くキリスト者たち、
もうアブラムは全ての人たちに対する、
この全ての準備をされる、
この信仰の先祖として持ち入られた。
これは全て何によってできたのか?
アブラムは信仰によってできた。
信仰はすごいですね。
ですから、ヘブライ賞、
11賞で現れている信仰の先輩たちは、
神様が一番願われることを、
信仰に思って成し遂げられることによって、
神様から喜ばれた、
神に栄光を与えたと言います。
ここで、素晴らしいこの信仰、
信仰はどのように生じますか?
ローマ賞、10賞、17賽、
実に信仰は聞くごとにより、
しかもキリストの言葉を聞くごとによって、
始まるんだと。
詳しく申しますと、
信仰は見言葉を聞くごとに時、
精霊様がそれを照らしてくだされば、
私の心から信仰ができます。
その時、頭で信じる理論ではなく、
心から信じる信仰ができるんです。
例えば、マルコ高所である女性がいました。
彼女は女性の生理がとどまらない、
不潔な女だと言われて、
本当に12年間、長い間苦労されました。
しかしある日、
彼女がイエス様の噂を聞きます。
イエス様があちこち行きながら、
大勢の人々を癒されるんだという噂を聞く時に、
精霊様が彼女に、
あなたがその方に衣服を触ろうとさえできれば、
あなたは癒される、
というような信仰がパッと入ってきたんです。
だから彼女はこの信仰を持って、
イエス様のところに行ったんですけど、
人々が多すぎて、
またイエス様の前ではそれができないから、
後ろからイエス様の衣を触れました。
そうしたら自分の体から病気が癒されることを、
自分の体で感じたという、
すごいことが起こったんです。
皆さん、信仰によって病気が癒されるんですけど、
09:03
この信仰は、
イエス様の噂を聞いた時に、
精霊様はあなたがイエス様の衣を触れるなら、
あなたは癒されるという確信を得られて、
その道理をしたら治った。
これが信仰ができるもの、信仰ということ。
以前、私たちの教会もあるでしょう。
ある母親が教会に、
自分の娘の葬儀のために、
葬儀をやってくださる牧師を頼むために、
私のところに行ったんですけど、
その時、伝道師さんと一緒でした。
何かを頭でパッと聞いたことは、
彼女は死なない。
葬儀を準備することではないと言われることがあって、
それで伝道師さんに行ったら、
それから伝道師さんが彼女の病院に行って、
見言葉とお祈りを持って彼女を助けた。
彼女はもう死ぬ彼女が生かされて、
今も子どもをよく育てながら、今もうまく生きています。
信仰によって与えられた確信を、
その通り実践したら、
病気が治ったり、生かされたり、全部するんです。
事実は皆さん、私たちも神の言葉を聞く時に、
聖霊様が教えることを通して、
私たちが今救われたり、また癒されたり、
奇跡も見たりしたんです。
これからも私たちが想像もできない、
素晴らしい見業も信仰によって成し遂げられるはずなんです。
信仰は見言葉を聞く時、
聖霊様が照らしてくださって、
それを受け入れるなら、私たちは信仰はできますけど、
信仰の素晴らしさは、信仰生活を長くして、
また信仰人格と言いましょうか、
何か準備ができる成熟した人にできるものではなく、
見言葉を聞く時、聖霊様の働きがあるなら、
信仰が幼くても、年を取っていなくても、
信仰生活を守らなくても、信仰はできるということです。
だから信仰は、とにかく見言葉を聞いて、
聖霊様の働きがあればできるものですから、
ですから私たちは信仰は、本当に誰でも持つことができる、
誰でもできることです。
以前、私の韓国の弟が通っていた教会、
韓国の明順教会というんです。
大きい教会。
大きな教会の建物が二つあります。
繋がっています。
大きな大きな教会。
その教会に行って、その僕先生のメッセージを聞いたら、
12:04
教会が大きくなる理由があることがわかります。
その先生のメッセージはシンプルです。
その先生はいつも口癖のようにこう言います。
私たちはどう生きるべきですかと言います。
だったら信徒たちは、
口を揃ってみんな同じ言葉で、
信仰によって行かなければなりません。
これはもう、その教会は誰に聞いても、
私たちはどう生きるべきですかと言ったら、
信仰によって生きるべきです。
誰に聞いても、信仰生活はわかりやすい。
本当にシンプルです。
もう牧師が、教理が、カルマン同士で、
なんとかなんとか詳しい話、複雑な話、全くありません。
簡単に、私たちはどう生きるべきですかと言ったら、
信仰によって生きるべきです。アメン。
信仰によって、モーセはもう海を陸地のように渡りました。
信仰によって、ヨウシャワは難航不楽の城を倒しました。
信仰によって、信仰によって、信仰によって、信仰によって。
だから信仰によって生きるべきです。
わかりやすい。
そのキーワードに引っ張られて、
そして大勢の人たちが信仰の体験をして、
そしてその教会が大きくなったんですけど、
そこに、もうその教会で有名な、
総天の祈り会。
皆さん、総天の祈り会に、教会も大きいですけど、
2部捧げる教会、初めて見ました。
午時で午時1部、午後6時2部、
また特別機関の中には3部があります。
3部祈りを朝、総天の祈り会から人々が集まって、
カーッと祈らせる。
そのようなパワーを持って、今その教会が大きくなりましたね。
これから私たちもやってみましょう。
皆さん、私たちはどう生きるべきですか?
皆さんは信仰によって生きるべきです。
これから信仰によって生きる。
これを私たちはしっかり覚えていく。
そうするなら、奇跡を見ることができるんでしょう、ということ。
このことが、信仰を強調するその教会。
また私たちも信仰、大事なものですから、
だから私たちもシンプルで、
私たちはどう生きるか、生きるべきか、
信仰によって生きるべきだということを、
しっかり覚えていきましょう。
2番目、希望です。
この世の中は悪魔の世界です。
第二五輪と四章四節、この世の神が、
この世の神が誰かと聞いてみたら、
悪魔ということを聖書が教えてくださいます。
世の中は悪魔の世界です。
ですから悪魔がイエス様を嫌わって、
イエス様を苦しめられました。
同じように悪魔はキリスト者を嫌がります。
15:00
だからキリスト者のこの世の生活には、
苦難があります。
また私たちキリスト者には、
イエス様から大選挙命令、
命の救いの使命があります。
しかし命の救うためには、
悪魔の支配から悪魔の奴隷状態になっている人々を、
救われなきゃいけないものですから、
悪魔が自分の支配しているこの人々を、
失いたくない、奪いたくないと思って、
悪魔が私たちを攻撃します。
だからキリスト者の伝道の活動には、
必ず礼的な戦いがあります。
難しいです。
また信仰生活は、
自分を捨てて、自分の十字架を背負って私に従いなさい。
狭い門から細い道を通して、
信仰生活ができるものだから。
その信仰生活は非常に孤独なんです。
孤独。
ある意味から見てますと、
大勢の人々じゃなくて、
何人か歩む道かもしれません。
また自分一人で歩んでいく道かもしれません。
みんなが孤独ということは、
みんな怖がります。
広い道、大勢の人々が行ったら、
みんな行くから、これは地獄か天国かわからないけど、
とにかくみんな一緒に行くから、
一緒に行こうと思うかもしれないけど、
これが真理だ。これが正しい。
この道は、もうこの道しかないと思って、
その道に行く人たちは孤独だから、
そこに難しいことがあります。
この道を誰が歩むことができるのか、
これは天国に対する希望、
イエス・キリストに対する希望がある人だけが、
歩むことができるんです。
先週申し上げましたけど、
ローマ書15章13節、
希望の源である神が、
信仰によって得られるあらゆる喜びと平和等で、
あなたたちを満たし、
聖霊の力によって、
希望に満ちあおれさせてくださるように。
じゃあ、希望は誰が与えてくださるんですか?
聖霊様が与えてくださります。
聖霊様が与えてくださる希望が私たちあるなら、
世の中でいくら難しい状況、
いくら難しい場面があるんだとしても、
信仰はしっかり守り抜くことができるんです。
特に私たちはキリストの神父、花嫁です。
結婚前のキリストの花嫁は、
キリストが再臨なさること、
キリストが来られることを待ち望む人です。
しかし、世の中のキリスト者たちに誘惑がたくさんあります。
悪魔が誘惑します。
世の中の富が誘惑します。
世の中の出世、
世の中のいろんな良いこと、
目の欲、肉の欲、この世の奢り、
いろんなことが私たちに誘惑して、
18:02
イエス様を愛するように、
それを愛するように私たちの心、関心を引っ張ってしまいます。
そこに奪われたら、もう下院の女になってしまう。
そこに心を奪われないで、
最後までイエス様、再臨なさるイエス様を
待ち続けることができる、
心を一つにして待ち続けることができる人は、
この再臨の希望ということ、
イエス・キリストに対する希望、
これが大事なんです。
本当に大事なのは、
最後まで信仰を貫く、
守り抜くことができるかということ。
今、世の中で、キリスト者でありながら、
心を変えて、
世の中に流れてしまう人がたくさんいます。
イエス様の時代にも、
弟子たちのほとんどが、
イエス様から捨てて逃げてしまって、
むしろ、イエスを十字架につけろ、
こんな話をした人ばかり。
それを、希望がなければ、
それを信仰を持ち続けることはできないんです。
神様は私には、
一つに感謝し、
いいことをくださったんですけど、
私に、この世は百年、
天国地獄は永遠、
このキーワードを私にくださった。
もちろん、他の方たち、みんな知ってますけど、
私はこれをしっかり持っています。
この世で百年間生きる理由は何でしょう?
この世でうまく食べて、うまく生きて、
この世で楽しんで生きるように、
与えられることではありません。
百年の間に、イエス様に出会って救われるように、
イエス様から与えられた使命を担うように、
また、天国に入る準備をしっかりするように、
だから、それが百年です。
だから、百年の間に、
世の中で有名な人になって、
自分の名を高ぶりながら、
これで百年過ぎた。
これで、ヘブナイショキューション27歳。
人は一度死ぬこと、後には裁きがある。
裁きの前で、
私が今までこんなことをやりました、
と言ったのに、神様が、
私はそんなことをあなたに求めていない。
あなたに本当に求めることは、
これだ、救い、使命、
イエス・キリストの花嫁としての
自分の人生をしっかり守ること。
これだと言ったら、私は知りませんでした。
これで何ができますか。
裁き主の前で、
私たちはもう天国か地獄しかないんで、
だから私たちは、
世の中で百年間何をやるべきなのか、
何が一番大事なのか、
他のことを全部忘れてもいいから、
それだけはしっかり覚えて、
それだけはしっかりやって、
それで天国に行くべきではないですか。
私たちもそれを覚えるべきであり、
私たちの愛する子供たちも、
天国で会えるように、
子供たちもそれをしっかり覚えていかなければなりません。
21:00
世の中、誘惑はすごいですよ。
私たちの心を全部奪っていくような誘惑を、
本当にほっとするほど、
素晴らしいことがいっぱいあります。
そこから心を守って、
ただただイエス・キリストを
この街に臨むことができるのは、
これは希望、希望、
イエス・キリストに対する希望です。
天国を準備ができる人は、
天国に対する希望、
イエス・キリストに対する希望、
でもその希望をどう作るんですか。
それを聖霊様が与えてくださる。
希望の源である神様、
聖霊様の力によって、
それを与えてくださる。
韓国で大きな教会があります。
韓国では希望ソマンというんです。
波多摩君さんにも家族は、
そこを教会に通っていますけど。
ソマン教会という、
イメージが大抵はその教会出身です。
有名な教会です。
なぜその教会に行くのか。
天国に対する希望、
イエス・キリストの祭りを待ち望む希望。
その希望をその教会が、
キーワードとしてしっかりして、
覚えさせてくださったので、
その教会にたくさんの人が
行っているのではないかと思います。
3番目、愛です。
今、日本でも韓国でも、
教会の名前の中で、
何が一番多いかと言いますと、
愛の教会という教会が、
一番多いではないかと思います。
私の前の僕先生が、
コン先生という方がいました。
コン先生の教会は、
東京愛の教会でした。
その先生は、
愛の教会が欲しかったですね。
韓国のオカナ先生とか、
オジュヨン先生とか、
韓国でカンガモチという、
大きな大きな教会があります。
その教会は、
サランの教会という。
世の中では、
愛の教会は、
本当にたくさんあります。
なぜ、僕先生たちみんなが、
愛の教会という名前を付けたいと、
思ったんでしょうか。
それが、今日大きな意味があります。
皆さん、信仰と希望と、
愛を比較するとき、
信仰と希望は、
ある意味から見ていますと、
自分のために、
これを持つことです。
信仰はなぜ持つんですか。
自分の。
希望は自分のため。
しかし、愛は、
自分のためではなく、
他の人のために、
愛を持つんです。
もちろん、自分を愛することもありますけど、
神を愛する、
隣人を愛する、
この愛。
愛は、信仰と希望とは違う、
他の次元の言葉ではないかと、
24:00
思います。
また、世の中の全ての人々は、
悩みを持っています。
一番、世の中の人々の問題は、
愛がないから。
愛を受けることができないから。
特に、女性の方たちは、
旦那さんの愛を受けられなければ、
大変ですね。
私たちが語る言葉が、
たくさんあります。
私は、たくさん学んだから、
私は、なんとかあなたに教えてあげよう。
いろいろなこともあるでしょう。
いくら、正しい話としても、
愛がなければ、
その言葉に反発心があります。
その言葉から、
心に傷を受ける場合もあります。
私が息子に、なんとか語る言葉が、
息子が牧師なのに、
あまり愛を感じていないから、
ある時は、
私が何か言ったら、
反発する時もあります。
喜んで受け入れたり、
何かすることもない時が、
たくさんあります。
その時、反省があります。
私が息子に、
愛を持って語っていなかったな。
愛を持たないまま語るのは、
皆さん、
何の役にも立ちません。
私たちはいくら、
素晴らしい賜物を持っている、
いろいろな力を持っているんだとしても、
愛がなければ、
疲れるだけです。
また聖書には、
自分のすべてを持って献身したり、
救済の活動をしたり、
また自分が殉教するんだとしても、
愛がなければ、
何にもないと言います。
しかし、愛があれば、
愛によって行うなら、
それは大きな結果をもたらす。
実りはあるということです。
愛があれば、
愛がかかる。
皆さん、
お母さん、
私たちの家族が集まったら、
みんないつも、
お母さんのことばかり言いますけど、
いまだに、
母親に対する愛によって、
母に会いたい、
母に会いたいと、
私の弟はいつもこう言いますけど、
なぜ母に今も会いたいと言うのか、
今70歳近くになっているのに、
なぜこんな話をするのかと言いますと、
母はいつも愛を持って、
愛を持って私たちを接してくださった。
だから、
母の愛に、
いまだに感動がある。
心から感動がある。
愛を持って語る言葉には、
感動が伴います。
だから、
愛、愛、愛、
愛はすごいパワーがあるということです。
信仰の人格が幼いときも、
聖リー様が照らしてくださるなら、
強い信仰ができます。
信仰の人格が幼いとしても、
聖リー様が照らしてくださるなら、
強い希望を持つことができます。
しかし、
愛は、
聖リー様が照らしてくださるんだって、
いきなり愛はできません。
27:00
愛は、
愛の神様を出会って、
学んで、
一生に親しみを持って過ごしながら、
その中から学ぶことですから、
ある意味から見てますと、
信仰の訓練の、
完成の段階で、
やっと、
愛ができるということです。
聖書が言っている、
愛、
皆さんもちろん、
ある世の中の人々の中で、
ある人は、
心情深い人もいます。
わざわざ、
聖リー様とか、
神様の愛とか、
それを学ばなくても、
愛深い人がいます。
それは、
人生そのもの、
人格が、
愛ができる人もいるし、
私みたいに、
うまく愛ができない人間もいるし、
それと関係なく、
その愛は、
人間的な愛です。
しかし、
私たちが今、
学んでいるのは、
聖書が言っている、
神様の愛を意味します。
それは、
第一九輪と十三章、
四節から七節あります。
愛は忍耐強い。
愛は情け深い。
妬まない。
愛は自慢せず。
高ぶらない。
礼を失せず。
自分の利益を求めず。
苛立たず。
恨みを抱かない。
不義を喜ばず。
真実を喜ぶ。
すべてを忍び、
すべてを信じ、
すべてを望み、
すべてを耐える。
私は、
あえて、
この部分は、
説教ができない、
じゃないかと思われるほど、
意味が深いので、
本当に、
すべてを忍び、
すべてを信じ、
すべてを望み、
すべてを耐える。
もし、
私の妻とか、
私の息子に、
このような心を持って、
接しているとするなら、
わあ、
どうなったんでしょう。
私は、
それが、
うまくできなかった。
事実、これは、
私たちが、
努力するなんて、
できるものではありません。
なぜなら、
これは、
神様、
愛の持ち主は、
神は愛だということ。
愛は、
神にあるもの。
だから、
私たちは、
この愛を、
どのように、
私たちを受け入れることができるか、
神様との親しみの中で、
神様と、
ちょーっと、
共に暮らす、
共に生活し、
共に過ごすことによって、
これが、
だんだん、
だんだん、
だんだん、
その人格を、
学びつつ、
最後の最後に、
私たちが、
やっと、
その部分が、
ある程度、
できる、
この部分ではないかと、
思います。
この愛は、
神様の御心、
イエス様の御心、
30:00
なんです。
ここで、
私たちは、
神は愛、
絶対善、
という時に、
いつも、
神様の愛、
この、
第一コニト、
中三書の、
この、
四節から、
七節の、
この部分を、
よくよく、
黙想しながら、
神は愛だ、
絶対善だ、
と思ってくだされば、
私たちの、
まあ、
子供たちの、
後悔が、
あまりない、
神様の愛を、
理解できるのではないかと、
思います。
神様は、
愛です。
悪魔は、
頭が良すぎるんです。
狡猾です。
また、悪魔は、
強いんです。
しかし、
悪魔が、
真似できない、
ことがあるんですが、
これが、
愛です。
なぜ、
悪魔は、
愛ができないのか、
これは、
愛の神様との、
交わりが、
全く、
ないからです。
愛の神様との、
関係性が、
全くないから、
悪魔は、
愛ができません。
だから、
キリスト者の、
特徴、
愛を持つことの、
区別、
これは、
どれほど、
大事なのか、
キリスト者ができるのは、
神の愛の、
神様との、
交わり、
神様との、
関係性の中で、
私たちができる、
この、
愛、
悪魔が、
真似できない、
キリスト者だけ、
できるもの、
これは、
神の愛です。
もちろん、
まあ、
慈悲深く、
何かいろいろ、
施すことも、
うまくできる、
人間的な愛も、
ありますけど、
キリスト者は、
この人間的な愛より、
はるかに高い、
レベルの、
神の愛を、
私たちのものにしなければ、
キリスト者らしい、
何かが、
できないのではないかと、
思います。
第一コリント、
中三者、
中一節に、
このような言葉がある。
幼子だった時、
私は、
幼子のように話し、
幼子のように話し、
幼子のように思い、
幼子のように考えていた、
成人した時、
今、
幼子のことを捨てた、
なぜ聖書は、
幼子の時を、
教えてくださるのか、
愛を持って、
行う時、
愛を持たないで、
行う時が、
幼い時、
愛を持って、
働こう、
これが、
成熟した時です。
だから、
聖書は、
愛を持って働くのか、
愛を持たないで、
自分勝手に働くのかによって、
この人は成熟したのか、
してないのかを、
区別することが分かります。
皆さん、
シト・パウルも、
幼い時がありました。
その時、
シト・パウルは、
強い信仰、
学信、
立法に対する、
強い学信を持っていました。
信念を持っていました。
強い希望も持っていました。
33:00
そして、
たくさんの人を殺しました。
しかし、
シト・パウルは、
イエス様に出会って、
愛に触れて、
この愛の中で、
ずっと生活しながら、
成長するから、
神を愛し、
全世界のひどい人を愛して、
使えるために、
苦難を担いながら、
第一世界選挙、
第二世界選挙、
第三世界選挙まで、
善行良行になっていきました。
彼が、
善行良行になったその時は、
愛に満たされて、
この愛を持って、
人々に使えるためだったことを、
考える時に、
ああ、
昔とシト・パウルの後は、
愛によって違うんだな。
だから神様は、
愛を持って働く人が、
成熟した人、
愛を持たないまま、
自分勝手に働く人は、
またまた幼い人だということを、
判断されることが、
分かります。
結局、
まことの伝道の実りは、
愛によって可能です。
皆さん、
伝道はテクニックではありません。
何かいい方法を持って、
伝道ができる、
ということではありません。
伝道ができる方法は、
簡単です。
人を愛して、
痛くとき、
自分の心に痛くとき、
人々は、
集まるようになっています。
皆さん、どうすれば、
いい母親になりますか。
子どもたちを愛して、
子どもたちはいつも、
この、
お母さんのところに、
子どもたちをうまく、うまく、
抱いていくとき、
子どもは、
母親の愛を、
自分は知ることができます。
同じようです。
牧師が、
人々を愛するとき、
牧師の愛が、
見えてくるとき、
教会に人が来るでしょう。
私たち教会、
人人数が少ない理由は、
牧師の愛が、
まだ世の中の人々に、
見えてなかったんじゃない。
見えてないだけじゃなくて、
牧師の愛が、もともと、
なかったんじゃないかと、
これを反省しながら、
これから結局、伝道は愛だ。
人々に、
私の愛を示す、
人々が私の愛を、
理解してくれるとき、
私たちのところに、
人が来てくれたんだと、
無理やり教会に来てください、
来てください、
無理やり教養することではなく、
やっぱり愛による、
愛が、
人々を呼び集める、
この力のきっかけになるんだと、
分かります。
結局、私たちは、
信仰生活、教会生活を通して、
愛を学んで、
実践しながら、
それで、
神のもとに行きますけど、
36:02
パプチェン先生が、
天国地獄の証で、
イエス様は天国の入り口で、
天国に入る人に、
全部聞いていることを見た。
愛することを学んだのか?
これ、今はやっと、
愛することを学んだのか?
と聞いたそうです。
なぜなら、天国は、
互いに愛するところだから。
私たちも、
イエス様に見習った、
成熟した、
信仰人格を備えて、
天国に入る愛を持って、
他の人、
愛し合う、
愛する心を持っている人は、
天国に入る資格がある。
愛することを学んでいない、
まだ愛していない人は、
天国に入る資格がないことで、
言っていることではないかと、
思いますけど、
とにかく、
一番大事な、
信仰の感性は、
愛だ。
信仰生活、熱心にやりますけど、
信仰生活の感性は、
信仰でもなく、
希望でもなく、
愛だということを、
聖書が教えてくださるのではないかと、
思います。
私たちはイエス様に見習って、
イエス様を学んで、
イエス様から愛をしっかり教えてもらって、
愛を持つ人になって、
世の中で、
神様からよく用いられて、
最後に、
愛を持って天国に入る、
私たちになれればと思います。
お祈りいたします。
主よ、
信仰の結局は、
愛だということを教えてくださって、
ありがとうございます。
今まで、
信仰いいよ、私はたくさん知っているよ、
知識をたくさん持っているよ、
いろいろ、
傲慢して、
誇ったりしたんですけど、
本当に何より大事なのは、
愛だということをわかります。
しかし、
この愛は、私たちが頑張るんだって、
私たちが持つことができるものではありません。
愛は、
神にあります。
神様と親しい愛の中、
交わりの中で、
神様を習っていく、
イエス様を習っていく、
イエス様に見習っていく間に、
信仰がだんだんできて、
信仰、
愛が充満な私たちに、
できると思います。
どうかどうか、
イエス様をもっともっと知らせて下さい。
イエス様の愛をもっともっと示して下さい。
愛を持つ牧師、
愛を持つ教会になるように、
導いて下さい。
イエス様の皆を保護して、
お祈りいたします。
アーメン。
38:52

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