先天的な頭を 後天的な努力で
挽回しようとしていくら頑張るんだとしても 限界があるということです。
なぜ私が初めからそんな話をするのかと思うかもしれません。 昔皆さん
アマデウス・モーチャルという映画がありました。 日本でもあるんですかね。あったんですかね。
モーチャルと関係するそのような映画だったんですけど 天才的なモーチャル
そこに出るモーチャルは 非常に人が軽々しく
言葉遣いも本当に気持ち悪い言葉遣いをするんですけど 頭だけは天才という
そのような人として現れますね。 そのようなモーチャルを妬む
九通の楽師サリエルが出てきます。 サリエルという人はある程度の曲は作ります。
ところがモーチャルが現れたら自分の作った曲は 恥ずかしいレベルになるんです。ある日
国王の前でサリエルが一生懸命作った曲を国王に捧げます。 曲をピアノでやってみようと思ってるんです。
ところがモーチャルが現れてその曲を聞くか聞かないか
遠くから来るとき全部覚えてるんです。 サリエルが作った曲を。そして国王の前で
この曲を私だったらこれをやりますと言って編曲して曲を作るんですけど
瞬間 このようなあっという間に
サリエルが一生懸命作ったことは遥かに素晴らしい曲を国王の前で演奏するんです。
それを見てサリエルはどれほど 憎しみと妬みに満たされたのか
結局サリエルという人は憎しみ妬みそれに囚われて このモーチャルを徐々に殺すようなそのような働きをします。
彼は神様の前でこう言います。なぜモーツァルトには素晴らしい頭を与え
私にはこのような普通の頭を与えたのか なぜモーツァルトだけにはこの天才的な能力を与えたんでしょう
私はなぜ下さらないのか 神に逆らうこのような人になったんですね
怖い映画だったんですけど私はそこですごく共感されるところがありました
昔私は韓国のある民間企業の研究所から 私の職場の生活が始まりました
その研究所は本当不思議な研究所ですね
ほとんどの人がスウル大学出身 私みたい地方大学出身の何人しかいない
本当にそれを会社に入ったんです
私はその頭がいいし勉強も上手い その人たちの中で一緒に同僚として認めてもらうために
私は学校に勉強する時よりは会社に入ってもっと勉強しました すぐ勉強しました
でもスウル大学出身だってみんな天才ではありませんでした
ところが一緒に働いた私のグループの中で ある一人のリーダーだったんです
彼は大学院の授業の時間でメモでチャチャチャと書いたものが
韓国電子工学会の雑誌に論文として掲載されるほど 彼は本当に私が見て天才的な人でした
その人と一緒に勤めながら 頭がその人に何かついていけない 頭が上がらないそのレベルがたくさんあったんですけど
私は努力だから もう私は努力派ですから 一生懸命努力してそれを追いつけようと頑張りました
しかしなかなかできませんでした 頭が悪ければ謙遜になればいいんですけど 私は謙遜ではありません
ヤコブのように競争心 妬みが強いものです
いつも一員にならない私自身をいつも攻めながら 私は今まで過ごしてきました
だから私はこの映画の中でサリエルのような気持ちになって そのモーツァルト映画が終わったのにもかかわらず
私は席から立ち上がることができないほど 私はそのような気持ちになりました
いつも私の頭にはあります なぜ私は天才的な頭を持ってないのか
ごく普通の人しかなれないのかということ これが私では劣等感がたくさんあって
私自身は劣等感の塊という
それは私の父母が結婚する時から 既にもうある程度決められていました
母の遺伝子 父の遺伝子 それによって私ができたものですから
頭だけじゃなくて家計に流れるいろいろなこと また病気弱さまですべて見るようになっていったんです
その上私というものが存在します またこの状態でこの世の100年を過ごさなきゃいけない
本当に本当に 私に対しては本当にこの難しい人生
それが私 皆さん感じていることではないかと思います
いくら努力しても乗り越えることができない この違い
なぜ神様は不公平でしょうか 神様は不公平ですか
いいえ もともと人間は 創世紀1章27節にこう言います
神はご自分にかたどって人を創造された 神は神にかたどって創造された
じゃあもともと私たちの存在は 神にかたどって
聖なるもの 神にかたどって神の知識を持っているもの
神にかたどって霊的な存在として 神様は何にも欠けることがない私たちを創られたんです
ところが創世紀3章 人間が罪を犯してから悪魔の奴隷になってからすべてが変わりました
第2ゴリッド4章4節こう言います この世の神がこの世の神というものは悪魔を意味します
信じようともしない人々の心の目を眩ましている
悪魔の働きは私たちの目を眩まして 何か考えることを見ること
私たちの何かをやろうとする能力を これを一印しく低くする
悪魔の働きは私たちをバカにする そのような働きをしている
また イザヤ59章1節2節を見ています
むしろお前たちの悪が神様とお前たちの間を下手で お前たちの罪が神の御下を隠させすべてを妨げているんだ
これを見ていますと 罪を犯したら罪が神様から来るすべてを妨げている
私たちの能力を妨げている
だからサタンと罪によってもともと神の御姿で作られた私たちが 今 弱い存在 力もない存在 知識もない存在になるようにさせてしまったんです
それが塞がれているから 私たちが今の状態になってしまった
神の御姿も失って 神の恵みもない状態で 父母の遺伝子的な流れに従って
何か少し強い面もあるんですけど ほとんどの人が 罪 サタンによって塞がれている状態に過ごしています
皆さん 子供たちが勉強がうまくできないと 私たちがいつも何か この町で勉強ができるように 今 何かやっていきたいと思うでしょう
しかし 子供が勉強ができないのは 子供の責任ではありません
その頭を与えた親の責任があるのではないか
全ての原因を親が提供しておきながら 私の父は肯定的に 先天的じゃなくて肯定的に それを追いつくように 私に無知を打たれたりしました
熱心にやれば ある程度はついていくんですけど でも物足りない私たち どうすればいいでしょう
私たちがどうすれば頭も良くなく 勉強もうまくできる または世の中で他の人に負けない 素晴らしい人になれるでしょうか
この世的なことを乗り越えた 遥かに乗り越えた 神の道 神の方法があります
イエス様はこのすべての問題を解決するために この世に来られて 十字架で死んでくださることによって
罪とサタンによって塞がれている 神様との関係を 全部解決してくださりました
そしてこう言われます 第2コリント5章17節
だからキリストと結ばれている人は 誰でも新しく創造されたものなのだ
古いものは過ぎ去り 新しいものとなった
キリストと結ばれているなら 今まで古いものは過ぎ去った あなたは新しいものになった
この新しいものって一体何でしょう 新しいものになったキリスト者は
父母の遺伝子の流れとは異なる 神の知恵 能力 神の恵みによって生きる道が開かれたということです
私たちは初めに創造された 神の知恵 知識 能力で生きるようにイエス様がしてくださったということです
では どうすればそれを新しくなった それを全て私たちに回復してくださった
これをどのようにすれば 私たち手に入れることができるのか
これを聖書で教えてください まずはじめにお祈りです
今日読んでくださった 「ヤコビ一書五説」
あなた方の中で知恵の欠けている人がいれば
誰にでも惜しみなく 拒めたてしないでお渡りになる神に願いなさい
そうすれば与えられる
神様はすでに私たちに知恵が欠けている 知恵が足りないことを分かっておられます
じゃあ知恵が足りないものがいれば あなたは私に願いなさい
そうすれば私が与えるからと言います
神様が私たちの足りない知恵を分かっておられます
だから分かっているからあなたは願いなさい
そうすれば私の子供には 私が上から知恵を与えるからと言う
特に私たちの救い主イエス様は 知恵と知識の宝が全てある
第二コロサイの二書三説
知恵と知識の宝は全てキリストのうちに隠されている
じゃあキリストのうちに隠されているものを どうすればいいでしょう
求めなさい 探しなさい 叩きなさい
そうすれば与えられます
だから知恵を得る基本的な方法は何か 神に求めることです
子供を叩く必要はありません
私たちが子供のために神様に祈ればいいんです
また子供たちにもそれを教えて 子供たちが知恵が足りないときに
神様に切に求めるように 私たちが助けなきゃいけない
教えればいいんです
神様はこの予防的または遺伝子的に限界がある 私たちの能力を祈りを通して
それを解決してくださると言います
ところが私たちが神の知恵と知識を求める前に
まず考えるべきことがあります
私たちは何でもください 全てをくださいと言う
それをやりやすいんですけど
神様が私をどこに使うために私を作られたのか
私の人生の存在 意味と目的は何なのか
それを分かって そこにふさわしく知恵を求めるなら
もっといいのではないかと思います
皆さん 前回 ユナちゃんの働きぶりを見ました
ユナちゃんは美術をよくやりましたね
音楽もできるとは思いませんでした
でもびっくりしました 驚きました
美術の能力 音楽の能力 また勉強の能力