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2023-12-17 35:22

「主の道を備えた洗礼者ヨハネの家族」2023年12月17日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年12月17日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら
https://listen.style/p/tokyovinechurch/

ルカ‐80 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。68. 「ほめたたえよ、イスラエルの神であ る主を。主はその民を訪れて解放し、69. 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。70. 昔 から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。71. それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手 からの救い。72. 主は我らの先祖を憐れみ、/その聖なる契約を覚えていてくださる。73. これは我らの父ア ブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、74. 敵の手から救われ、/恐れなく主に仕える、75. 生涯、主の 御前に清く正しく。76. 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、7 7. 主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。78. これは我らの神の憐れみの心による。この憐 れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、79. 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/ 我らの歩みを平和の道に導く。」80. 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ 野にいた。

サマリー

今日、メッセージをお伝えするために、洗礼者ヨハネの家族と一緒にしっかりと準備した主の道をお伝えします。結婚式の時には、司会者が「これから新郎が入場します」と宣言をしますね。同じように、イエス様がこの世に来られることも、「メッシャーが来られましたよー」と宣言する人が必要です。イエス様が紹介される前に、ヨハネの家族は予言を受け、選ばれた家族であることが示されます。ヨハネがイエスキリストのための道を整え、精霊に満たされていたのです。彼は自己中心的な欲望に染まることがなく、ヨハネはキリストの業に使われました。新しく現れ、神の使命を一生懸命果たした洗礼者ヨハネの家族は、人々が彼のメッセージに応えて悔い改め、ヨルダン川でバプテスマを受けることになったのです。

洗礼者ヨハネの家族の大事な役割
今日は、主の道をよく準備した洗礼者ヨハネの家族という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
結婚式の時に司会者が、「これから新郎入場します。」という宣言をするんですね。
同じように、イエス様が来られることも、この世に対して、「メッシャーが来られましたよー。」という宣言する人が必要です。
しかし、この宣言する、この紹介する人がヤクザとしたら、「メッシャーが来たよー!」
という話を世の中の人が聞いたら、「あ、メッシャーはヤクザかな?」
という気持ちになるかもしれません。
紹介する人が非常に大事です。
このメッシャーを、この世に紹介する役割を担うために選ばれた人がいました。
それが、洗礼者ヨハネです。 これは、私たちが福音を伝える時、非常に大事です。
福音を伝える人の、この生活、行い、
これが良ければ良いです。
福音も良いイメージとして受け入れられるでしょう。
しかし、福音を伝える人が、あんまり、この人々があまり良くない、行いが悪いような人だったら、
福音も同じように取り扱われる可能性もあります。
ですから、福音を伝える人は、福音にふさわしい生活、また人格をもって伝えなきゃいけないんですけど、
福音を伝える人は、福音にふさわしい生活、また人格をもって伝えなきゃいけないんですけど、
洗礼者ヨハネとその家族は、イエス様が来られることを準備する者として、ふさわしい生活をよくやりました。
そして、イエス様の道の準備を子の道を準備する働きがよくできました。
今、アドヴェントの期間は、再び、来られるイエス様を迎える。
その準備をする。
再び、来られるイエス様の道を準備する人たちがないのです。
アドヴェントの期間とは、その日もcul年的の日だけ後遂に、もう半年また行かなくなる、期日が続いています。
復帰式。
人と同じです
ですから私たちは
先霊者ヨハネのように
その家族のように
イエス様の再臨を
世の中の人々に紹介する
道を準備する働きをしなきゃいけないんですけど
私たちは今日
先霊者ヨハネとその家族たちの準備
またその姿勢
また生活を今日学んで
私たちもよく準備していきたいと思います
まずはじめに
ザカリアとエリサベットの清い生活
先霊者ヨハネの出生に対するストーリーです
ルカの1章の5節から25節までの記事です
先霊者ヨハネの父ザカリアは
祭司長でした
当時の祭司長は
祭司長の名前は
神殿で使える人ということです
神様に使えるよりは
神殿は
神殿税金があるので
神殿の収益金によって
よく食べてよく生きる
豊かな生活を行ってきた
祭司長という神様から与えられた
本来の目的より
清浄化されて
よく食べて生きる
即業になる
このような
不意義だったんですね
私たち牧師も
このような場合が多いんです
牧師は使命によって働くのか
生活するために牧会をするのか
これは非常にいつも問われることで
牧師たちはそのことを
いつも考えていかなきゃいけないところですけど
当時の祭司長たちは
生活のために
祭司長の役割をする人が
ほぼほとんどで
それが一般的な不意義だったということです
ではザカリアはどうですか
ルカの1章6節を見ますと
2人ともザカリアとエリサベットの夫婦は
2人とも神の前に正しい人で
主の掟と定めをすべて守り
火の打ち所がなかったと聖書は言っています
すべての祭司長たちが堕落して
世上化されているんですけど
その中で唯一
ザカリアとエリサベットの夫婦は
神様が見るのに
火の打ち所がなかった
じゃあ皆さんこのように過ごしていたとするなら
神様が祝福されるべきでしょう
ところが
その夫婦の間は子供がいなかった
これが自分たちの恥だったということを
エリサベットが後告白します
皆さん神様の見舞いで
火の打ち所がないほど
正しい生活
本当に立派な生活を
行うなら
神様がその人だけ祝福するべきじゃありませんか
しかし子供一人与えてくれなかった
だったら皆さんどうやりたいですか
神様の前で
よく正しい生活をしても
祈っても
何にもないんじゃないか
と思ったら
無闇に
自分勝手に生活するはずですけど
彼らはそうしてなかった
むしろ
むしろ子供をくださることを
きっかけくださらないことをきっかけで
長く祈り続けた
それで終わりですか
いいえ
必ず神様は報いがあります
時になって
ジャカリヤが最初の職務を担っているのに
くじを引いて役目を決めるんですけど
その時
主の聖女に入って
奉仕するようになった
仲介書を読んでみますと
当時最初の人数は
1万8000人ぐらいいた
1万8000人が
この組を作って
それで
でも何千人になるんでしょう
その人たちが神殿の中に入って
奉仕するんですけど
その役割をすべて
くじを引いて決めた
さあそのところで
神殿の中に入って
聖女の中に入って
神様が
神様に仕える働きをしてたんですけど
最初の中でも
そのような働きを一度したとしたら
もうそれが一番名誉
素晴らしい働きなんで
その後は
引退する
ということになっているほど
その働きはみんな憧れる
その働きはなかなか
くじを当たらない
このような働きに
自分が与えたってことです
じゃあ
その聖女に
入って
それで奉仕するんですけど
その時
天使が現れた
これはルカの1章9節から
2、3節です
こう耐えている間
主の天使が現れ
高壇の右に立って
ザカリアにこう言われます
恐れることはない
ザカリア
あなたの願いは聞き入れられた
あなたの妻エリサベットは
男の子を産む
その子をヨアネと名付けなさい
主の聖女に入って
そこで天使と出会う人は
場合があるかないか分かりませんけど
なかなかなかったことです
その中で入った時に
天使が現れて
自分の自分に
あなたの妻エリサベットが
男の子を産むということです
あなたたちが長く祈ったことが
聞き入れられた
その時ザカリアが
びっくりしてしまって
自分の妻は
不妊のおばあさんなんで
どうして子供ができるんですか
という不信仰の話を
知ってしまいました
その時天使は
これ以上
先例者ヨアネが生まれ
その6ヶ月後
イエス様が生まれる
神の御業の一番決定的な時期に
不信仰の話を
し続けたらいけないので
彼が口が聞けない
そのように訓練を受けるようになった
そのような過程を通して
神様が何を見せてくださるのか
先例者ヨアネの父母のように
清い生活
火の内どころがない生活をすることが
神の御業です
本当に大事だということ
また信仰を持って忍耐し
最後まで祈り続けることが
どれほど大事なのか
それを通して
神の御業は成し遂げられるよ
ということを教えてくださいました
ジャカリヤが予言するメシアの出現
ところが
長く口が聞けなかった
ジャカリアの口が
開けながら
彼が今まで
話ができなかったことを
語り続けるんですけど
その中でイエスキリストに対する
メイシャーに対する
予言を
ジャカリアが語るようになります
ジャカリアは
メイシャーでお生まれになるイエス様に対して
このように予言します
これはルカの1章の67節から71節
父ジャカリアは
聖霊に満たされてこう予言した
褒めたたえよ
イスラエル神である主よ
主はその民を訪れて解放し
彼らのために救いの角を
しもべダビデの家から起こされた
昔から聖なる予言者たちの
口を通して語られたとおりに
それは我らの敵
すべて我らを憎む者の手からの
救いであろうと言います
じゃあここで大事なのは
救いの角ってこと
救いの角ってことは何ですか
角ってことは
力ってことです
じゃあこれは私たちを救われる力を意味します
誰から救われますか
私たちを憎む
敵から
また私たちの
神様の御業を妨げる
すべての者から私たちを救うと言うんですけど
私たちを憎んで
私たちの信仰生活を妨げ
私たちに苦しみを与えるものは何ですか
私たちの敵である人間もあるんですけど
悪魔
悪魔の家来
その者たちが私たちを大きく妨げ
苦しみを与え
病気も与え
すべて悪いことを与える
この敵たちがいます
また私たちが一番苦しんでいる
この罪
人間の弱さによって
起こすことは仕方がない罪ですけど
罪を犯したら
皆さん教会行きたくなるんですか
罪を犯したら
神様の前に出るのに
躊躇させます
出るのが怖くなって
行けられなくなります
また罪によって
私は悪魔の奴隷として生きる
罪の結果ということは
最後に地獄に落ちてしまいます
だから人間は
この悪魔と悪魔の家来
またこの罪の問題のゆえに
世の中の人々が
みんな苦しんでいます
じゃあ救いの角として
くれるイエス様は
このすべてを解決してくださる
じゃあどのように
解決してくださるのか
明け者の光のように
私今日朝
川口から地下鉄に乗って
それで東京に来るんですけど
川口のこの橋を通るときに
川の上に
上からの強い光が
太陽の光が
チャーッと照らされました
今日メッセージを考えながら
ああ
明け者の光って
こんなものなのか
温かく
私を
くくる
照らしてくださるんで
気持ちがすっきりなって
どれほど素晴らしかったでしょう
当時の人々は
暗闇と呪いの中で
死の影の中で
カーッと
射している
この人々の上に
明け者の光が照らされた
という場面が
今日朝川口の橋の上で
私が感じたことでした
本当にそうです
この太陽の光が
照らされるときに
寒さが消えてしまうし
闇が消えてしまうし
死の地から呪いが消えてしまいます
この光に
もう絶える罪がありません
絶える悪魔がありません
絶える呪いがありません
すべてがきれいになる
つくり
それで私たちをきれいにしておいて
神様に
清い心を持って
神様に礼拝する
神様に使えるように
させてくださる
明け者の光
これが救いの募るということです
ヨハネの家族の選出と予言
このイエス様が起こってくださることは
縦で起こってくださるのではなくて
長い長い間の
予言
予言を通して
今日教会学校で言われましたね
何千年間の
この下部たちのこの予言
予言者たちの予言を通して
イエス様が来られることができる
その中で一番
素晴らしい予言者が誰か
ダビデなんです
ダビデが予言したこと
サムエルゲの22章
1節から4節
少し読んでみましょう
ダビデは自分がサウルの手から
神様が自分を救ってくださった時
サウルが自分を殺そうとして
もう十何年間追いかけていた
そのところから
解放された時に
彼はどれほど喜びが満ちあわれたのか
彼はどれほど喜びが満ちあわれたのか
このように言います
2節から
主は私の岩
取り手
逃れば
私の神
大岩
酒どころ
私の盾
救いの角
取り手の塔
私を逃れさせ
私を勝利を与え
不法から救ってくださるお方
ダビデは
メシアを考えて
語ったことではないんですけど
ダビデが神様へ
褒めたたえながら
サウルから
救われたということを
褒めたたえる時に
その御言葉が
メシアの徳にも
当てはまるような
この素晴らしい予言をした
だから神様は
ダビデの予言を
利用して
メシアを同じような
役割をできるお方として
送ってくださった
ここで大事なのは
神様がその
民を救ってくださる
動機なんです
なぜ救ってくださるのか
六話の1章72節から75節いきますと
この先祖たちを覚えて
私たちを救ってくださろうと
言います
これが非常に大事です
神様が私たちの子供たちを
助けてくださるのは
なぜ助けてくださるんですか
親の信仰を見て
私たちの先祖の信仰を見て
私たちを助けてくださいます
私たちのために
取りなし祈りを
たくさんしてくださった
この方々
取りなし祈りの方々の
信仰を見て
私たちを救ってください
ですから
私たちの信仰が
なぜ大事なのか
私たちの子孫たち
子供たちのために
親の信仰が何より大事
神様は必ず
親の信仰を見て
子供たちを助けてくださる
癒してくださる
救ってくださるから
だから親の信仰が
大事だと
いうことを申し上げたいと思います
またジャカリアは
天使から
予言を聞きます
それを予言を聞いたことを
また先霊者ヨハネのために
予言をするんですけど
これがルカの1章
15節から17節
私読んでみましょう
彼は主の御前に
偉大な人になり
これが天使が先霊者ヨハネに対して
このジャカリアに
教えてくださる
出された予言です
彼は主の御前に
偉大な人になり
不動子は強い酒を飲まず
すでに母の胎にいる時から
先霊者ヨハネの役割
聖霊に満たされていて
イスラエルの多くの子らを
その神である主のもとに
立ち帰らせ
彼はエリアの霊と力を
主に先立っていき
父の心を子に向けさせ
逆らう者に
正しい人のことを
人の分別を持たせて
準備できた民を
主のために用意すると
言ったんです
このように
天使が先霊者ヨハネのために
予言したことを
ジャカリアが聞いて
それを自分の息子
先霊者ヨハネのために
また予言するんですけど
その働きのために
先霊者ヨハネは
これからどんな生活を
するようになるのか
ルカの一章八十十節に
書いてあります
幼子は身も心も
健やかに育ち
イスラエルの人々の前に
現れるまで
アレノで行った
アレノに行ったと言います
ここで大事なのは
ミエシアの道を備えるために
神様が選ばれたヨハネ
本当にこの選ばれた
ということは素晴らしいですね
イスラエル人たちは当時
何百万人もいるはず
何千年続けて
大勢の人々がいる中で
ミエシアの道を備えるために
選ばれた一人の人
またその親
その家庭
その家庭の人たちが
どうするべきか
ということは書かれてあるんですけど
イスラエル人々の前に現れるまで
イエスキリストが来られる
そのイエス様ですよ
ミエシアが来ましたよ
紹介するまで
自分の一生涯
どこで過ごすのかと言いますと
あれので過ごす
後ほどミエシア姉妹が子供を産みますけど
子供を産んだ親の立場から見て
生まれた自分の子供が
あれので過ごすようにさせたい
親がいますか
生まれる子供
自分の子供だけは
幼い時から
この世の中で
全て良いことを味わわせて
あげたいんじゃありませんか
それが
イエスキリストの紹介とヨハネの役割
親の心でしょう
しかし
子供が生まれて
その時から
あれのに追い出して
あれのでずっと生活するようにさせる親の
このことは何でしょう
私はこれを見る時
本当に先霊者ヨハネと
このヨハネの父母である
その家族は
神様の使命の使命を
怖いほど忠実な
家族だなあってことを思われます
いよいよイエス様が
この世に紹介される時になった時に
先霊者ヨハネに対して
マルコの福音書はこのように書いております
マルコ1章3節から6節です
あれので叫ぶ者の声がする
主の道を整え
その道筋をまっすぐにせよ
その通り
先霊者ヨハネがあれので現れて
罪の赦しを得させるために
悔い改めのバブテスマを述べ伝えた
ユダの全地方とエルサレムの住民は
みんなヨハネのもとに来て
罪を告白し
ヨルダン川で彼から先霊バブテスマを受けた
ヨハネはラクダの毛の衣を着き
腰の腰に革の帯を締め
稲子と野蜜を食べていた
彼の前に
彼の生活は一言で言えば
この世の中
この世の中のことと全く区別した
本当にこの世の中で染まることはない
全く違う
清い性別の生活を30年間ずっとやってきた
皆さん清さってことは何か
この世辱に染まることがない
本当に本当に神様から
このもう何と言いますか
自然のまま区別
性別される生活をした
これがなぜ大事なのか
世の中の人々は
何によって影響を受けるのか
世の中の人々はたくさん罪を犯します
その人は同じ罪を犯す人の話は無視します
同じ人間だとしても
自分と違う人
自分は勝手に罪を犯す人は無視します
ある人は聖なる生活をずっと送り続けたとするなら
その人の話は重く受け取ります
区別され性別される生活がこんなに大事です
皆さん大事なのは
善悪の知識の木の実を食べたこの後
全てアダムの子孫には
原罪という罪が流れます
この原罪は自己中心的な欲です
むさぼりです
欲ということは
サタンが人を支配するときに使う道具です
あるテレビドラマで私が聞いた言葉があります
欲がある限り支配ができる
これはサタンが言う言葉です
皆さんが欲を持っていますか
サタンは皆さんを簡単に支配します
欲がない人は支配ができません
イエス様は欲がないので
支配ができません
支配ができません
欲がある限り支配ができます
だから第一ヨハネ2章15節16節は
世にある者も愛してはいけない
世に愛する人はいれば
御父の愛はその人のうちにありません
なぜなら全て世にあるもの
肉の欲目の欲生活の奢りは
御父から出ないで
世から出たサタンから出たから
だからサタンから出た
肉の欲目の欲生活の奢り
このようなことを求めて
それを切に求める人がいたら
これはもうサタンが簡単に支配するってことです
ですから
17節に世にある欲も過ぎ去ってしまいます
しかし主の御心を行う人は
永遠に生き続けますと言います
じゃあ皆さん私たちはどうすれば
この欲の問題を解決することができますか
この欲は現在の属性なんです
現在の属性
どう捨てることができるか
今日第一話の2章17節には
御言葉に徹底的に従う生活をするなら
欲から私たちは自由になります
またキリスト社に下さった素晴らしいことは
精霊によって満たされることです
私の中で精霊が100%いったら
私の欲が働く
この
隙間がないんです
だから精霊十万になるか
御言葉をいただいて私たちは従順するか
それが欲に勝つ方法なんです
先世者ヨハネの母のヨハネは
母の体内にいる時から
精霊に満たされていった
赤ちゃんは清いんですけど
赤ちゃんが精霊に100%満たされるから
先世者ヨハネの中には
精霊が満たされていった
欲がなかった
また彼はアレノでずっと生活したので
この世の中の人々が持っているこの欲ということで
染まることがなかった
彼はサタンが支配する余地がなかったから
彼は神の御業がよくできたということができるでしょう
そのところで彼が叫びます
マルコ一章三世紀です
アレノで叫ぶ者の声がする
アレノで叫ぶ者の声がする
アレノで叫ぶ者の声がする
なぜ声がするというのか
声は叫んだ後消えてしまいます
これが大事なんです
声は残らないんです
声は叫んだら消えてしまいます
大事なのは自分を表そうとしない
自分が言って私を信じなさいと言わないで
キリストを述べされて
みんなキリストに焦点を合わせ
キリストについて言って
自分は語っただけで消えてしまうような役割を
先天者よりはよくやったと
私たちは私は牧師ですから
私の役目をメッセージすれば
みんなが私を今日メッセージよかったです
先生に恵まれましたと
一言言ってくれることを
私はずっとお願い求めている
誰も言ってくれなければ寂しいと思うんですよね
私は叫ぶ声じゃなくて
私は叫ぶ者として
いつも私に何かポイントを合わせてくれる
という願っているんじゃない
これは絶対ダメなんです
キリストの御業に用いられる人は
自分に焦点が来てはいけません
自分は片手割り
この人々の関心は
イエスキリストにポイントを合わせて
イエスキリストについていくように
ヨハネのメッセージに応える人々
助ける役割
これを先天者よりはよくやったということです
じゃあその人たちが
このような姿勢
そのようなことで叫ぶから
彼はどのような反応を見せたのか
これはマルコ1章4節5節です
皆さん
人々が一番聞きたくないことは何ですか
悔い改めなさいということです
あなたは罪人だということを言うなら
気持ち悪いということで
絶対に悔い改めなさいということです
絶対に悔い改めなさいということです
絶対についていきません
しかし先天者よりは悔い改めなさい
罪人たちを悔い改めなさいと言ったのに
1章5節見ますと
ユダのジェン地方と
エルサレムの住民はみんな
ヨアネのもとに行って
罪を告白し
ヨルダン川で彼からバブデスマを受けた
一番気持ち悪い話をするのに
エルサレムとヨルダン川は
だいぶ離れていますよ
ヨルダン川はだいぶ離れていますよ
ユダ地方は大きいんですけど
ユダ地方のこの一番
この傍らにヨルダン川が渡ります
ユダ地方のすべての人が
ヨルダン川まで行って
気持ち悪い罪を
悔い改めなさいと言う
先天者ヨアネからバブデスマを受けたほど
ヨハネの使命と家族
先天者ヨアネの一言は
影響力があった
私が一番憧れの声なんです
私が牧師なんで
牧師がメッセージを語ったら
この大塚池袋の人は
みんな反牧師のもとに行って
メッセージを聞いて
悔い改めて
バブデスマを受けたと言ったら
どれほど素晴らしいでしょう
でも誰も来ない
かっかりする
何がないんですか
影響力がない
影響力はどこから出ますか
区別
性別
器用さから出るんです
本当にこの影響力は大事なんです
先天者ヨアネは何を持って
そのメッセージを伝えるのか
民たちを悔い改めさせることによって
イエス様に出会わせてあげる
皆さん悔い改めが
イエス様に出会う道です
イエス様に出会いたいですか
悔い改めてみてください
罪を悔い改めて
そうしたら
精霊の働きによって
イエス様に出会うことになる
もう一つ
イエス様をどのように紹介するのか
ヨアネの一生に
二十九節を超え
その翌日はヨアネは
自分の方に
イエスが来られることを見て
美を世の罪を取り除く
神のご一児だ
という宣言をしながら
この方たちは
世の罪を取り除く
神のご一児だ
悔い改める人に
このイエス様は救い主になるよ
ということを
みんなに紹介するようになりました
先天者ヨアネ
よくやりました
清さ
三十年間
この世の世俗的なこと
汚いことと
自分を徹底的に性別した
先天者ヨアネは
自分に与えられた
大事な大事な使命を
よく担いました
本当に素晴らしい働きです
そのために
三十年間
アレノで生活したということは
どれほど使命に
徹底した人なのか
考えられます
皆さんでも
そう思うでしょう
先天者ヨアネを考えたら
かわいそうだね
この世の中で
楽しいこともいっぱいあるのに
彼はこの楽しいことを
一切味わうことができなく
本当に人生って何だろうと
思うかもしれません
しかし皆さん
使命人の生活は
こうならなければいけません
使命人は
神様が
この世に贈られた
その使命を
全うすることに
専念しなきゃいけません
それが最優先的に
行わなきゃいけません
そうするなら
先天者ヨアネの幸せは
誰が持って
保証してくれますか
それが神様が
天国で
永遠に永遠に
幸せと報いを与えてください
本当に
先天者ヨアネのと
先天者ヨアネと
先天者ヨアネの父母は
自分の使命を
よく担って
今は天国で
全ての幸せ
全ての祝福を味わって
もう本当に
幸せな生活をしているでしょう
ここで
皆さんにいつも申し上げる
この世は100年です
天国地獄は永遠です
これだけは
ぜひぜひ
肝に銘じていきたいと思います
100年しか生けられない
この世の中で
この世の中は
うまく食べて
うまく生きるために
来たのではありません
使命があるから来たんです
100年間
その使命をうまく担って
私たちは私たちのふるさと
天国に行くのです
ところが
使命をうまく担うためには
欲が入ってはいけません
欲が入ってはいけません
欲が入っている限り
サタンが何て言うんですか
欲がある限り
支配ができる
牧師が欲があったら
ダメになります
欲があったら必ず
自分がダメになるだけではありません
使命を担うことはできません
だから私たちが一番大事なのは
欲がない人生
どう過ごすことができるのか
最後にイエス様の
再臨の道を備える人々も
同じです
欲を持って
その働きをしようとしてはいけません
じゃあ
欲がない
純粋な生活をどうしてできるのか
私たちも先例者よりのように
あれのように出てきましょうか
それはできないでしょう
ですから私たちができるのは
二つです
精霊に満たされること
本当に
御言葉に従うこと
またいつも私たちが分かち合う
神様の
親しい交わりの中で
PLOの生活をすること
これが
神様と性別する生活であり
欲がない生活をする
一番大事なことです
適当にやるんじゃなくて
徹底的に行われるなら
私たちの心のある
サタンがもう一言で
私たちが支配できる
この人間の欲
欲を私たちを
これを乗り越え
支配することができるでしょう
そのような働きを通して
私たちも先例者や
我々の家族のように
私たちに与えた使命を
よく担って
天国で永遠に
永遠に祝福される
私たちになりたいと思います
アドベントの時期
私たちの欲を捨てて
先例者に言われるように
使命をうまく担っていく
私たちになりましょう
お祈りいたします
神様
今はアドベントの期間です
世の終わりが近づいている今
私たちは
イエス様の再臨を準備するために
先例者ヨハネの家族から
性別できた生活を学びたいと思います
どうかどうか主よ
私たちに
聖霊10万を与えてください
本当に
主が一番願って
我々の働きができるように
私たちを導いてください
イエス様の御名を通して
お祈りいたします
アーメン
アーメン
35:22

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