1. 東京ぶどうの木教会 メッセージ
  2. 「あなたがたは心を騒がせては..
2025-08-03 30:13

「あなたがたは心を騒がせてはなりません」2025年8月3日のメッセージ

spotify apple_podcasts youtube

東京ぶどうの木教会 2025年8月3日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)ヨハネ14:1-6 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 

メッセージ題 : あなたがたは心を騒がせてはなりません(ヨハネ14:1-6)

*イエス様の公生涯の最後のとき、十字架の事件を前にして、弟子たちの共同体に不安感が・・・
なぜ騒がすようになったのか?イエス様が十字架で亡くなる?あなたたちと別れる?私が行くところには一緒に行けない・・・など、分からないお話を!今まで3年半、イエス様がメシアだと思ってついて来たのに?これからどうする?深刻になり騒がしました。 *恐れ、騒がすことは聖書が一番禁止していること。なぜ?ローマ8:15悪霊を恐れに陥れる霊と。恐れに捕らわれると大変に・・・
1.イエス様は弟子たちに、騒がしてはなりませんと! ヨハネ14;1
なぜでしょう? 
1)恐れを軽く考えておいておくと、それが大きくなります。担えなくなり鬱になります
2)恐れが長引くと霊的に塞がれます。神様も、使命も、目に見えなくなります。その問題ばかり・・・
3)恐れは害しかありません。恐れるんだって、できることはありません。むしろもっと悪くなるだけ。→どんな恐れであれ、直ちに!やめなければなりません。 #そうしながら、二つの解決案を!
1)14:1,神様とイエス様を信じなさい。なぜ、神様は私たちを愛して?一人子の惜しみなく?これからのことも!また、イエス様は私たちを愛して?私たちの罪を背負って死んで下さった?それほど愛してくださった方が、これからの弟子たちに対して無責任でいかれない!Ⅱペトロ5:7
2)14:2,3、究極的な希望である父の家に住むところが沢山あるよ! 父の家=天国、エデンの園
*創世記2章、エデンの園では良かった。しかし罪を犯してエデンが消えたとき、貧困と恐れが!しかしイエス様が父の家で居場所を備え、連れに来るから心配するなと。父の家、天国はどんなところ?→これを確かに知り期待しなければ!この世は百年、天国地獄は永遠、これから私たちは天国か地獄かどちらに!先ず、地獄は?永遠な罰、熱い火の池で永遠に罰される所。天国は、永遠な祝福、愛するイエス様と豊かさの中で永遠に幸せに過ごす所!準備しなければ#百年しかいけないこの世で必ず準備するべきこと?天国に行く準備。これ以上大事なことはない

2.理解できないトマス、どうしてその道を知ることができますか? 最も重要な 14:6“私は・・・ ”
1)私は真理である。 イエス様は真の真理、御言葉を聞いて悔い改めるなら?すべて赦され父の家に入るようになる。他の話を聞いて?不可能! 2)私は命である。 罪の故に死んでいる私たち、しかしヨハネ3:16? イエス様の十字架の血潮によって、私たちのすべての罪の代価を支払われ、命を得ることが出来ました。その永遠な命を持って父の家に! 3)私は真理である!イエス様は真理であり、命であることを通して、神様と私たちを繋いてくださり父の家に入る道に!
#先週、悟られ黙想した御言葉! 創世記3:23-24人間はエデンから追い出されたのですが、その後、エデンの園はどうなったでしょう?父が別に保管されておられる。それをどう得るのか?
→その道がイエス・キリスト!ただ唯一の道!従って、エルサレムの宗教指導者の前で大胆に!使徒4:12⇔しかし、終わりになって教会が変質、宗教多元論?サタンの!今の時代は

サマリー

このエピソードでは、イエス・キリストによる心の平安についての教えが中心テーマとなっています。弟子たちの不安の中で、イエス様が与える希望と信仰の必要性が語られています。また、天国と地獄、イエス・キリストを通じた救いの重要性についても述べられています。天国は永遠の祝福であり、しっかりとその準備が必要です。加えて、イエス・キリストが唯一の道であり、他の道では神のもとには行けないことが強調されています。本エピソードでは、イエス・キリストの独自性と信仰について論じ、信者がどのように心配を克服し、神の国に入ることができるかを探求します。これにより、信仰の重要性と真理が再確認されます。

弟子たちの不安
今日は、「あなたたち方は心を騒がせてはなりません」という対応をもってメッセージを分かち合いたいと思います。
イエス様の交渉会の最後の時、十字架の実験を前にして、イエス様と弟子たちの共同体に不安が襲われました。
この不安の中でどうしようもこともできない弟子たちと弟子たちになりました。
なぜ弟子たちはイエス様の最後の時に、彼らは不安になったのか。
弟子たちは今までイエス様がメシアだと思ってついてきたんです。 すべてを捨ててイエス様をついてきました。
イエス様がついてきたのに、今イエス様は理解できないお話をするんです。
私はイエルサレムに行ったら苦難を受ける。 そして十字架にかけて殺される。
また私はあなたたちから離れる。 私が行くところにはあなたたちは来れない。
どうしても理解できない話を弟子たちにイエス様が言われるんです。
今まで信じてついてきたのに、今まですべてを面倒見てくださったのに、
このイエス様がいなくなったら、私たちはどうすればいいでしょう。
これは今やっと3歳4歳になった赤ちゃんに、お母さんがいきなりいなくなることと同じです。
赤ちゃんどうすればいいでしょう。 ですから弟子たちは不安になり深刻になっていったんです。
イエス様がいなくなったら私たちどうする。 だから弟子たちの間に大騒ぎをしているところです。
悪魔と心配
ところが皆さん聖書の中で一番禁じられる言葉があります。
これが心配、恐れ、騒がせる、これは聖書は禁じられています。
なぜなら、なぜ心配、恐れ、このことが入ってくるんでしょう。
この手どころはどこでしょう。 これは悪魔からです。
ローマ書8章15節に、恐れに陥れる霊と言います。 これは悪魔です。
悪魔は私たちを恐れに陥れる霊です。 神様は私たちに平安を与えてくださる神様です。
シャロームと平安、天国の安息と平安です。
しかし悪魔は何をするんだとしても恐れを入れます。 心配、不安を入れます。
ですから悪霊に取り憑かれたじゃなくても、世の中で悪霊の支配下にある人の独長は不安です。
心配、悩み、どうしよう、どうしよう。 また精神病に近い鬱病とか問題がある人は震えます。
見たことありますか。私はいろいろ見たことがあります。 体が震えて何にもできないようになります。
これは悪魔に捉えられた人の独長です。 何にもできません。
いくら頭が良いとしても精神的に不安症が入ってきたら何にもできなくなります。
私たちもたびたびそのことがあるでしょう。 病気にかかった、子供に問題が生じた、家にいろいろなトラブルが来た。
その時私たちも不安になるんじゃありませんか。 これが長引いてはいけません。
イエス様はそれを早くやめなさいと言います。
私たちが心配をやめるためにはどうすればいいのか。 これを今日一緒に皆さんと分かち合いたいと思います。
イエス様は弟子たちにあなた方は心を騒がせてはなりませんと言います。
なぜ心を騒がせたり心配したり悩んだりしてはいけないのか。
心配をそのまま置いておけばだんだん大きくなります。
不思議に心配が大きくなって、 皆さん心配を持っている人はいつも最悪の状態を想定します。
ああこれが生じたらどうするか、これが来たらどうするか。 だんだん膨らんでしまって、
あとは自分がもう勘になることはできないようになり、 ついにダービーたら鬱病になります。
ですから21世紀は鬱の時代だというのは当たり前。 最後の時になればもっともっと悪魔の働きが強くなる。
2番目、心配が長引いたら礼儀的にダメになります。 全てが塞いでしまいます。
だから心配を持っている人は神様も思い出しません。 使命も目に見えません。
ただただ今の目の前の問題、これ解決、これどうしようどうしよう、こればっかり考えます。 だから礼儀的に何にもできない人になります。
また心配は私たちに何の役にもなりません。 心配するんだって問題解決できますか。
むしろできることもできなくなります。 私たちは大抵罪とは戦わなきゃと思います。
しかし心配には心配するのは当たり前じゃないかと思います。 そうではありません。
罪と戦うように心配とも戦わなければなります。 イエス様心配するなと言います。
イエス様心配をしてはなりませんと言いながら2つ解決案を教えてください。
神の国の希望
これがヨドハネ14章1節です。 心を騒がせるな、神を信じなさい、そして私を信じなさい。
心配を乗り越える、心配を勝ち抜く方法は何ですか。 神を信じることです。またイエス様を信じることです。
心配は神を信じイエス様を信じることじゃなければ心配を乗り越えることはできません。
永遠に心配ばかりする人になります。 では神様は私たちのために何をされたんでしょう。
神様の一人っ子も私たちのために惜しみなく与えてくれた。 じゃあ皆さん私に聞いてみてください。
私の息子を皆さんのために 渡してあげる。
難しいですね。私は牧師だとしても私の息子を皆さんのために犠牲してあげるということはなかなか難しいことではないでしょうか。
しかし神様は私たちのために 神に逆らう私たちのためにご自分の一人っ子を犠牲にしてください。
一人っ子まで犠牲してくださった神様が何をしてくださらないと思いますか。 神様は全てやってください。全てやってください。
だから神様を信じるなら神様は私たちを全てやってくださり最後まで守ってくださいます。
だから神を信じることによって心配はやめなさいということを始めます。 またイエス様を信じなさい。イエス様は私たちに何をしてくださったんですか。
私たちを愛して私たちの罪を全部背負って 十字架で代わりに死んでくださりました。
偽人ではなく罪人のためにイエス様が死んでくださったとするなら イエス様は私たちのために何をしてくださったんですか。
ああ神様イエス様は私を助けてくださるはずがない。 なぜなら私は神様に罪を犯したんだよ。
イエス様は罪を犯した。罪を犯した私のために何がしてくださるのか。 違います。罪人だと分かって私たちのために身代わりとして死んでくださったんです。
この神様イエス様が私たちの人生を責任を取ってくださらないと思いますか。 責任を取ってくださるんですよ。
それを信じなければ。 イエス様は赤ちゃんのような私たちを置いていてイエス様は離れてしまう。
イエス様はもうほったらかして無責任に離れてしまうと思いますか。 いいえ、私たちのために全てを面倒を見てくださいながら全てを整えてくださいながらイエス様はしばらく離れていらっしゃる。
イエス様がいなくなっても何の問題がないようにちゃんとしてくださる方がイエス様なんです。
ですからイエス様を信じなさいということです。 イエス様は私たちを最後までケアしてくださるお方です。
そうではどうすればいいんでしょう。 では私たちは神様とイエス様に祈りをもって
任せ助けを求めなければなりません。ですからタイニペーテル5章7節
思い患いは何もかも神にお任せしなさい。 神があなたたちのことを心にかけてくださるからです。
心にかけてくださるという英語で聖書ではケアしてください。 ケアフォー、ケアしてくださる。
皆さん、看護師さんが看護師さんをケアしてくださるように。 神様は私たちを全てをケアしてくださるんだということを信じてください。
私たちも過去、罪が多かった。 罪が多かった私たちを憐れんでくださって、恵みを与えてくださって、救ってくださり
今まで導いてくださったんじゃないですか。 今まで私たちを顧みてくださったんじゃないですか。
私の人生を振り返ってみますと、私が神様にやったことはもう罪しかありません。
この私たちを神様愛して恵みを施してくださり、今まで安全に全てを満たしてくださいながら、今まで導いてくれる。
今までやってくださった方がこれからはやってくださらないと思いますか。 これよりもっともっと私たちを安全に守ってくださるでしょう。
ですから私たちは神様とイエス・キリストに任せて祈らなければなりません。
結局私たちが委ねるお方は神様とイエス様しかいません。 これを信じなきゃいけません。
また2番目、心配を勝ち抜く2番目の方法は、私たちの究極的な目的である神の国、
父の家のことをよくよく毎日考えなければなりません。 2節3節です。
私の父の家には住む場所がたくさんある。 もしなければ私はあなた方のために場所を用意して行くと言っていただろうか。
行ってあなた方のために場所を用意したなら、戻ってきてイエス様は再臨なさってあなたたちを私のところに迎える。
こうして私がいるところにあなたたちもいつも共にいるのである。 イエス様が再び来られる理由は何ですか。
私たちは天国に導くために来られる。 イエス様の再臨がもう近づいたと言います。近づいたです。
だから私たちはもう後ほど天国に行く。 天国の素晴らしいところに行く私たちです。
だからあんまり騒がせるな、心配するな、悩むなと言われていることなんです。
もともと私たちは創世紀2章で人間はエデンの園で非常に良かったです。 その時には心配ありませんでした。
ところが、チェイアークの知識の木の実を食べて神様から離れるところからエデンの園が消えてしまい、
もう貧困ということが訪れ、その時から悲しみが始まりました。 しかしイエス様はこのエデンの園よりはるかに良い父の家を私たちのために備えるために
昇天されたんです。 またイエス様が私たちを連れに
天国と地獄の比較
再臨されるんです。ですから心配するな。 私がやるすべてはあなたのためだよ。あなたたちのためだよ。だから心配するなと言います。
皆さん父の家、天国はこの世よりはるかに良いところです。
神の家、父の家、神の国、天国はこの世と比べられのほど素晴らしい。
だけど私たちは神の家、父の家、神の国、天国を考えたらいつも嬉しくなる喜びが満ちあうれる。
ああ素晴らしい素晴らしいところ。 それでいつも考えるべきです。
今皆さん私は70歳です。 70歳から私はこれからどのぐらいもっと生きると思いますか。
大抵80何歳かわかりません。 今皆さんに私たちは今出会っているところですが、10年後私がここにいるかいないかはわかりません。
私は確信しています。私は神の国、 素晴らしい天国に行くことを私は確信しています。
皆さん、10年後は今私は賃貸で住んでいるんですけど、10年後は
天国の宝石で作ったマンションで インスタマトと共に豊かに豊かに財閥のように生きること
財閥と比べられないほど素晴らしいところで生きる私たちになります。 10年後かもしれません。
だから私は心配しません。後ほど私は財閥ですから。 今もうお金があるかないかそんな関係ありません。今日も一食食べればいいかなと。
これでいいです。 天国はどれほど素晴らしいところです。
皆さんこの世でいくら うまく過ごしたとしても100年はすぐ消えてしまいます。
その後私たちには2つ 天国か地獄か残っています。
地獄は何ですか。永遠な罰です。 ものすごい熱い火の池の中で
水一滴与えられるところで、これは悪魔のために備えられたところだから、悪魔と共に永遠に罰を受けるところです。
神様はそこには誰も行かないように、1000年を1日のように神様は待っておられる。悔いを改めることを待っておられると言います。
また天国は永遠な祝福です。愛するイエス様と共にパラダイスで永遠な祝福と幸せの中で永遠に豊かに生きるところが天国です。
地獄は永遠に罰されるところ、天国は永遠に祝福されるところです。
ですから私たちは100年もいけないこの世の中で私たちがやるべき一番大事な準備は
天国に行く準備です。 皆さん天国に行く準備できていますか。
この世でどのように過ごしても天国は行かなければいけません。
世の中でいくら苦労するんだとしても天国に行くならその人は成功した人生です。
もうこの世でいくら豊かに過ごしたり立派に過ごしたとしても地獄に行くならその人は完全にダメな人生、一番かわいそうな人生です。
天国への準備
ですから私たちは天国に行く準備をしっかりやっていかなければなりません。
また私たちを愛する皆さんを天国に行くように導く役目が私たちにはあります。
ですから私たちはこの周りの人たちに天国に行く道、イエス・キリスト、イエス様の福音を伝えなければなりません。
その時トーマスがイエス様の御言葉が理解できないと言って質問をします。
14章5節です。トーマスが言った。主よ、どこに行かれるのか私たちにはわかりません。
どうしてその道が知ることができるでしょうか。
その時イエス様は最も大事な御言葉を教えてください。
14章6節です。イエスは言われた。私は道であり真理であり命である。私を通らなければ誰も父のもとに行くことができない。
皆さんこのように素晴らしい天国、神の国、父の家、これはどのように入ることができますか。
イエス様は私を通らなければ、私はそこに行く道だよと言います。
英語の聖書を見てますと、これはThe Wayと書いてあります。
これ唯一の道、その道、この道しかないということです。
どうしてイエス様だけがその道になりますか。
じゃあここでイエス様が私は真理であると言いました。
真理だと言う時にも最初にThe Truthと書いてあります。
イエス様はまことの真理です。皆さんイエス様の御言葉を聞いて悔い改めるならどんな罪も許されまた救われます。
世の中でどんな話を聞いて悔い改めたら天国を入りますか。罪を許されますか。
世の中で他の人たちとの話、いろいろな本がたくさんありますけど、どんな話を聞いて悔い改めれば救われ天国に入りますか。
これはイエス・キリストの御言葉しかありません。聖書しかありません。
ですからイエス様がマルコ一書15世、時が満ち亀の国が近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい。イエス・キリストの福音を信じなさい。
真理の御言葉であるイエス様の御言葉を聞いて悔い改めることさえできれば、どんな罪人も救われ父の家に入ることができます。
ここで大事なのはイエス様だけです。イエス様の御言葉だけです。
イエス・キリストの唯一性
また2番目、私が命である。これもDo Lifeと書いてあります。
イエス様はその命です。
私たちは罪によって礼儀的に死んでしまったので、エデンの祖の父の家で永遠に生きる永遠の命が失いました。
しかしイエス様が言わね3書15世、16世。
神はその一人子をお与えになったほどに、両愛された一人子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためであろう。
そのためにイエス様は十字架で、御自分の知性によって私たちの罪の代価、罪の問題を全部解決してくださいました。
ですからイエスキリストを受け入れ信じる人にはその罪が許され、永遠の命を得ることができます。
この永遠の命を持っている人が天国で永遠にイエス様と共に生きるんです。
この永遠の命はイエス様にです。
またイエス様は私はその道だと言います。
The Way
イエス様は真理と命によって父と私たちをつないでくださるこの唯一の道になります。
また神の国、天国、父の家に入る唯一の道になります。
先週私はこのメッセージを準備しながら、見言葉を読むときびっくりした見言葉があります。
皆さんご存知のものですけど、私はその時、今まで知っていたと思ったんですけど、私はその見言葉が改めて私にパンとぶつかってきました。
それが創世紀3章23節24節です。
主なる神は彼をエデンの園から追い出し、彼に自分がそこから取られた地を耕せることにされた。
こうしてアダムは追放され、命の木になる道を守るために、エデンの園の東にケルビムときらめく剣の炎を置かれた。
要するに天使たちによって天国にエデンの園に行く道が塞がれた。
守られた神様がちゃんと保管されていたということです。
アダムとエバがエデンの園から追い出された後、そのエデンの園は一体どこに行ったんでしょう。
神様が別に保管しておられるんです。
ではこの豊かなエデンの園、この祝福のエデンの園をどのように取り戻すことができ、
どのようにすればそこに行くことができるのか、その道がイエス・キリストなんです。
私は皆さんご存知の、これは当たり前だと思っているのに、なぜ先週私はこのメッセージを準備するときに、
なるほど、このエデンの園に行く、これが塞がれている、どこに行くかわからない。
しかしそこに行く道がイエス・キリストなんだ。
イエス・キリストを通して天国に行く、エデンの園に行く、神の家に行く、
それがバカのように私には照らされてしまいました。
そうだ、そうだ、皆さんイエス様はそこに行く唯一の道です。
イエス様以外、何によってもそこに行くことはできません。
ですから、使徒行伝2章から4章に、イエルサレムにペンテコスとリバイバルを聞いて、
それで、威厳を通して神の偉大な働きを述べ伝え、そして足が使えない人が癒やされ、
1日3千人、1日5千人が救われ、そして各家に人々が集まり、初代業界が始めようとするときに、
宗教使徒たちが大変だと思いながら、使徒たちを捕らえて、それで牢に入れていました。
この牢に入れたこの使徒たちに、あなたたちはこれからイエスという名前でこのようなことを伝えてはいけない。
殺すんだよと言って、そのとき使徒たちは何と言ったんですか。
使徒行伝4章中です。他の誰によっても救いは得られません。
私たちが救われるべき名は、天下にこの名の他、この名イエスキリストの他、人間に与えたことがありません。
イエスキリスト以外、私たちが救われる名前を与えたことはないということです。
これを使徒たちが、宗教使徒たちがイエルサレムでそれを明かしする。
イエルサレムはそのときどれほど怖かったでしょう。
明かしするんです。
そうしたら、この使徒たちの上に第二のリバイバル、第三のリバイバルが来て、彼たちが精霊に満たされて、
そして、イエルサレムだけじゃなくて、小アジア、ヨーロッパまで福音を伝えるようになるんです。
ところが、終わりの時になったら、教会が変質してしまう。堕落してしまいました。
そして、教会の信学者、牧師たちが何を言っているのか、宗教打言論を言っています。
これが、現代キリスト教の主流だと言います。
彼たちはこう言います。
山に登る道はいろいろあるけど、山の頂上に登ったら全部同じだ。
仏教は、シャカモニがキリスト、イスラム教はマオメトがキリスト、キリスト教はイエスがキリストだけだ。
頂上に登ってみなさい。全部同じじゃないか。
登る道が違うだけだ。
どんな宗教でも真理があり、どんな宗教でも救いがある。
だから、どんな宗教でも熱心にやればいいんだと言います。
イエス・キリストの独自性
これが誰が言っているのか、キリスト教の信学者と牧師たちがこんな話をするんですよ。
今、先ほど神様が何と言うんですか、他の誰によっても救いは得られません。
私たちが救われるべき名は、天下にイエス・キリスト以外には与えたことはありませんと言っているのに、
今の信学者、牧師たち、キリスト教のリーダーたちがこのような話をするんです。
そうしながら、イエス様だけだという人は、もう死んだと、これは傲慢すぎだと、キリスト教は傲慢すぎだと言っています。
皆さん、これをどう理解すればいいでしょう。
これが悪魔の話であり、
皆、人々を惑わされて、天国に行けないように導かれる、これは悪魔の声なんです。
だから、パウルはこう言います。
パウルはこんなに厳しく言っています。
イエス・キリスト以外に道がない。
イエス・キリスト以外に命がない。
イエス・キリスト以外には、この真理、命、道がない。
これを人たちは、昔、このエルサレムの一番怖いところで、宗教者たちはまして、これを宣言したんです。
ところが、今は牧師たちがその話をしていません。
傲慢だ、キリスト教は独占だと、こんな話をします。
なぜこうなるんでしょう。
信仰は霊力にすることです。
信仰は知性、理性でするんです。
頭でするんです。
だから、聖霊様を否定し、イエス・キリスト、十字架を否定し、イエス・キリスト、復活を否定します。
今も復活するのか。
だから、昔もなかった。
霊が見えない聖霊様。
だから、聖霊の働きを否定し、十字架と復活を否定するから。
信じることは、もう倫理、道徳しかありません。
理性、知性的なこのリーダーたちが、今、教会を本当に堕落させているところです。
私たちはイエス・キリスト、イエス・キリストだけが道を、真理を、命だということをしっかり覚えて、
私たちはイエス・キリストを通して、神の国、天国、父の家に入るんだ、その道しかないことをしっかり覚えていかなければなりません。
心配の解決
惑わす時期が来ますよ。
いろいろなことが来ますよ。
しかし、私たちの信仰はこれだ。
しっかり覚えていく私たちになりましょう。
今日は、心配、悩み、騒がされることを、どう解決するか分かっちゃいました。
神様とイエス・キリストを信じることです。
神様とイエス・キリストは、私たちを愛して、ご自分を犠牲にしてくださいました。
犠牲にしてくださった神様、イエス様が、これから私たちに何をくださらないでしょうか。
皆さんが祈るなら、すべてを解決してくださると信じます。
信仰を持って、お祈りを持って、神様とイエス・キリストを信じて、心配を乗り越えていきましょう。
また、神の家にはどのように入りますか。
唯一の道、真理、命はイエス・キリストです。
ただ、イエス・キリストだけです。
私たちに与えられた救いの名前は、イエス・キリストだけです。
イエス・キリストを信じていきましょう。
この世の中で、イエス・キリストを信じて、私たちは力を受け、すべての問題から勝利し、
それから、イエス・キリストの福音を広く述べたいながら、天国に入って、永遠の祝福をいただく私たちになれればと思います。
お祈りいたします。
潮、暑い夏、この世をどのように生きるべきか心配が多い私たちに、
すべての問題の解決になられるイエス様を知らせてくださってありがとうございます。
この世の最高の勝ち、イエス・キリストを信じることによって、
神の国に、父の家に入ることを希望することによって、この世の中のすべての問題を乗り越え、
勝利し、イエス様を証ししながら、最後まで信仰を守ろう、私たちにならせてください。
イエス・キリストの皆によってお祈りいたします。
アーメン、ありがとうございます。
30:13

コメント

スクロール