00:00
今日は、信仰の家庭の陳本主義について 一緒に考えていきたいと思います。
私たちの人生で家庭ほど大事なところはありません。
一人の個人にとって家庭がなければ、
どこで安息を得ることができ、どこで幸せを味わうことができるのでしょうか。
お母さん、私はおふくろのことを言うときには いつも涙が出そうになりますけど、
それほど皆さん、お母さんという存在は素晴らしいですね。
またお父さん、兄弟、夫婦、子供、おじいさん、おばあさん、また親戚の皆さん、
このようなお方たちは、私たちに幸せをもたらしてくださる貴重なお方なんです。
ところが、私たちの家庭の幸せは、どこからくるのでしょうか。
誰が保障してくれるのでしょうか。
また、家庭の幸せのために、私たちはどのように過ごすべきなのでしょうか。
これは本当に大事な主題ではないでしょうか。
いつも申し上げますけど、私たちの信仰生活は神様との親しい交わりであり、
神様の見こえを聞いて従うことなんです。
私たちの家庭と個人の幸せのためにも、神様との親しい交わり、
神の見こえを聞いて従う生活が大事だということを、皆さんに今日お話ししたいと思います。
では、まず一番です。
家庭が幸せになるためには、信仰の家庭にならなければなりません。
信仰の家庭とは、家庭の主人として神様を受け入れ、
神様を拝み、神様と共に生きる家庭です。
そうするなら、神様がその家庭に共にご臨在してくださり、守ってくださり、
神様との恵みと祝福によって生きるようにしてくださいます。
この家庭が信仰の家庭であり、信仰の家庭は礼拝を大事にします。
この信仰の家庭の始まりは、アブラムの時からです。
まず神様がアブラムをこのように招き入れました。
創世紀中二章1節から3節までです。
主はアブラムに言われた、
あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。
03:03
私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源になるように。
あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者は私は呪う。
地上の種族はすべてあなたによって祝福に入る。
皆さん、アブラムの家庭を信仰に招き入れられたように、神様は皆さんの家庭も同じように招き入れようとされています。
この神様の招きに応じますか?
これが大事なんです。
アブラムは神様の招きをいただいた時、すぐ応じました。
12書4節、アブラムは主の言葉に従って旅立った。
ロッドも共に行った。アブラムはハランを出発した時、75歳であったと言います。
驚くべきことは、このような時、神様の保障と守りがあるということです。
12書3節、あなたを祝福する人を私が祝福し、あなたを呪う者を私が呪う。
皆さん、このようになるなら、アブラムは絶対にダメになることはないでしょう。
ここで2節の祝福の源ということは、イエス・キリストを意味します。
旧約聖書でもイエス・キリストがこのように現れます。
アブラムからダビデを通して、その経緯図を通して、メーシアであるイエス様が来られるんですけど、
このイエス・キリストは人類の救い主であり、私たちがどうすることもできない罪とサタンから私たちを救われ、天国に導かれるので、
祝福そのものであり、その御方が来られる経緯図に用いられるすべての人、すべての家庭は祝福の通り道と用いられるから、人類歴史上一番大事な大事な働きをすることなんです。
皆さん、イエス様は祝福、また祝福の源なんですけど、
信じる家庭はイエス・キリストによって一つ一つの祝福が与えられます。
まずイエス・キリストによって、罪の許しと救いの約束が与えられます。
またイエス・キリストによって、神の御言葉、その約束の成就が与えられます。
またイエス・キリストの皆によって祈るなら、神様が応えてくださるんだという約束があります。
イエス・キリストの皆じゃなければいけませんよ。イエス・キリストの皆によって祈るなら、大事です。
06:06
またイエス・キリストの霊、聖霊によって、保護と助け、導きの約束があります。
またイエス・キリストの皆によって、黄泉の力という悪魔に対する勝利が与えられるんですけど、
これはイエス・キリストを信じるぐらい、イエス・キリストの皆の力を使うぐらい、味わうことができるんです。
もちろん信じない人は使わないから、何にも味わうことができないから残念ですね。
このイエス・キリストを信じる信仰を通して、罪と悪魔が支配しているこの世の中で、
救いと恵みと祝福が流れ出されるこのような過程、これが信仰の過程なんですけど、
神様が見られるのにどれほど祝福ある過程でしょうか。
祝福がその過程から流れ出るというなら、その信仰の過程はいつも幸せになるでしょう。
ところが皆さんどうですか。今私たちの過程を信じているんですけど、
なぜ幸せになるのではないでしょうか。
この理由は何なのか、その理由の中で一つを今日一緒に考えていきたいと思います。
2番です。
幸せになるしかない信仰の過程に幸せにならない理由は何か。
不信仰である人本主義によるものです。
信じる過程の人本主義。
一体どんな話でしょうか。
人本主義は自分の方法、自分の道に従って生きることを意味します。
信じる人は当たり前として神様を主人として受け入れ、拝み、
また神の道と方法を聞いてその道に従って行うべきなんですけど、
神様に聞かない、自分が主人のように思いのまま生きること、これが人本主義です。
これが全ての災いのもとなんです。
その代表的な事例が今日読んでくださった、小世紀中六章に現れされています。
最近日曜の過程の時間で、小世紀のこの部分読まれたでしょう。
小世紀中二章からアブラムの家族が登場します。
アブラムとサライの家庭。
全てが豊かだったんですけど、一つの問題がありました。
サライが不倫の女であるので子供がいないということでした。
それがその家庭を苦しませていったんです。
いつも他の家庭に羨ましく思い、不満、嘆きをする要素だったんですね。
09:06
皆さん、神様が私たちに問題を与える理由は何でしょうか。
はじめは、神を求めなさいということです。
神を求めなさい。
皆さん、問題がなければ神様を求めますか。
全ての満足があるなら、人は神を求めません。
ところが私たちにある問題は、ほとんど使命と関連があります。
私たちが持っている問題で苦しんで、
苦しむとき、同じような問題を持って苦しんでいる人たちの痛みがわかります。
そして他の人々を助けなさいという意味で問題に担わせる場合があります。
聖書に赤ちゃんができなくて苦しんだケースが様々あります。
アブラムの場合、サライが不妊の女だったので、
しかしこのアブラムの家庭には、
曹石中二書二節に、
あなたには大いなる民が与えられるという約束が与えられていました。
みなさん、イサクの妻はレベカでした。
レベカも不妊の女だったんです。
赤ちゃんができなくて長く待たれたんですね。
ハンナ、サムエルのお母さんハンナを知っていますよね。
ハンナも赤ちゃんができなくてたくさん泣いた人でした。
ところが、サライが神様の約束をいただいて、
十年我慢して待っていた時のことでした。
みなさん、十年本当に長く待てたでしょう。
信仰がなければ十年待ちますか?
ところが、これが人間の限界でしょうか。
曹石中六書一節、二節、今日読んでおくところにはこう言っています。
アブラムの妻サライには子供が生まれなかった。
彼女にはハガルというエジプト人の女奴隷がいた。
サライはアブラムに言った。
主は私に子供を授けてくださいません。
どうぞ私の女奴隷のところに行ってください。
私は彼女によって子供を与えられるかもしれません。
その時、アブラムはサライの願いを聞き入れたと聖書を書いてあります。
子供を授けてくださいません。断定するサライ。
ですから、当時人々がやっている方法の通り、
赤ちゃんを得ようとするんです。
みなさん、この世で行われている方法でするなら、
12:04
自分が願う通り早く赤ちゃんを得ることができるんですけど、
なぜ十年間神様を願い、そして待っていたんでしょう。
その時、みなさん、信じることとか待つことが、
ある意味から見ますと愚かに見えることではありませんか。
しかし、このチンポン主義は神様の方法ではありません。
神様は喜びません。神様の祝福と異業はありません。
神様はその人たちは使いません。
結局、神様が創世紀21章10節を見ますと、
女奴隷とその息子を追い出しなさいと言われます。
彼らに草食させることはできないと言われるからですね。
とにかくチンポン主義によって、平安で幸せだったアブラムの家は大騒ぎになります。
子供を一人得れば幸せになろうと思っていたんですけど、
幸せは愚か、予想していない問題によって、家が大騒ぎになったんです。
まず、赤ちゃんを払ったハガルが変わります。
女奴隷が女主人を軽んじるんです。
そしたらサライは怒りますね。
そしてアブラムに逆らいながら自分の悔しさを訴えます。
そしたらアブラムはこう言います。
あなたの女奴隷ですから、あなたの思いのままにしてくださいと言います。
そしたらサライが奴隷ハガルを迫害します。
そしたらハガルは逃げてしまいました。
神様が与えてくださる赤ちゃんを待たないでチンポン主義をするなら、
早く赤ちゃんを得るようになるから良さそうに見えたんですけど、
それによって家庭の中でもっと大きな問題が生じ、
平和な家庭が戦いと分裂の家庭になってしまいました。
結局この問題を誰が解決してくださいますか?
神様です。
神様はハガルに種の見つかりを使わせて、
創世紀中六章九節十節に、
女主人のもとに入って服従しなさい。
あなたの赤ちゃんをどうして大きな民族を与えると約束してくださるから、
ハガルは戻ってきて謙遜に服従します。
そして赤ちゃんを産んだんですけど、
このようにチンポン主義によって生まれた赤子供がイスシュマイルです。
これによってアブラムの家はしばらく幸せになったんですけど、
15:03
しかしそれで終わりではありませんでした。
後になってサライがイサクを産んだ時、
創世紀二十一章九節に見ますと、
イシュマイルがイサクをからかえます。
殺そうとするんですね。
それによってサライがまた怒ります。
結局イスマイルとハガルを家から追い出すしかありませんでした。
幸せだったアブラムの家庭がなぜこのようになってしまったのですか?
サライのチンポン主義によってです。
ただ与えてくださるまで信じて待っていたら、
こんなことにならずに幸せになったはずなのに。
皆さんここで私たちは学ばなければなりません。
創世紀十六章で妻サライが神様を孤独子供を授けてくださいません。
私たちがこの世で行われている方法で子供を産みましょうと言うなら、
その時アブラムはどうするべきだったのでしょうか。
信じる夫婦の中で一人でも目を覚ましていたのなら、
この世に話をしたでしょう。
何というんですか。
私は神様があなたをどうして子供をくださるんだという神の約束を信じますよ。
私たち我慢して待ちましょう。
このようにお互いに励まして信仰の道で進んでいったとするなら、
幸せを守ることができたはずなのに、
曖昧なアブラムの態度、これによって過酷な代価を支払うようになったんです。
皆さん、神本主義によってできた全ては、結局全て捨てなければなりません。
全て追い出されなければなりません。
神様は絶対使いません。
ところが皆さん、この程度で終わることではありませんでした。
不信仰の先祖の不信仰、神本主義は永遠な不幸の種になります。
その時不信仰で生まれた赤ちゃん、イシュマイルは、イスラム圏の先祖になりました。
イエス・キリストの福音が血の果てまで延べされる時、
キリスト社たちの最後の戦いは誰との戦いですか。
イスラム圏との戦いです。
イエルサレムから始まった福音が、イエルサレムに戻ってきたら終わりなんですけど、
今最後の最後の段階で、中東また東南アジアで、
イスラム圏の人々との礼儀的な戦いがあるのではありませんか。
そこでどれほど多くの宗教の血を流さなければいけないでしょうか。
18:02
なぜこのようになったのでしょうか。
信仰の先祖アブラムとサライの不信仰、陳本主義によるものです。
この話を申し上げるのは難しいんですけど、
事実、私たちも結婚する時から陳本主義をやってきたのではありませんか。
神様の身分を聞いて、神様が定めてくださる人と結婚するよりは、
自分が好きな人、自分のままで、思いのままで結婚したのではありませんか。
事実はその時から、福音の要素をたくさん持って、
結婚と家庭が始まったと思っていいでしょう。
ではどうすればいいんでしょうか。3番です。
ここで私たちは、結婚と家庭の創設者である神様の御言葉をもう一度考えてみましょう。
結婚と家庭に関連する創世紀2章の御言葉は非常に大事なんですけど、
神様が一人で占めようになっているアダムに、
助けるものを与えると言いながら女性を作られたんですけど、
その時、神様が妻と夫に与えてくださった御言葉です。
創世紀2章18節中9節を見ますと、
主なる神は言われた、人が一人でいるのは良くない。
彼に合う、助けるものを作ろう。
妻は助けるものの役割なんです。
創世紀2章24節を見ますと、
男は夫婦を離れ、女と結ばれ、二人は一体となる。
夫は自立して、家庭の礼儀的なリーダーの役割をうまくやりなさいと言ったんですけど、
創世紀16章のサライは、助けるものではなく、滅ぼすものになってしまって、
アブラムは、礼儀的なリーダーとして、神の御前で、
自立的な信仰の過程を導くことができませんでした。
お互いが自分の役割をうまくできなかった結果が、不幸なんですけど、
それは自分たちだけではなく、死、死、損、損、不幸の種を残してしまったんです。
今日、私たちもこのような状態ではないのでしょうか。
キリスト社が信仰の方法ではなく、この世で行われる方法で行った結果、問題だらけではないでしょうか。
イエス・キリストが来られたのは、この全てを回復してくださるために来られたんですけど、
21:02
回復する方法は、マルコ1章中5節です。
悔い改めて福音を信じなさい。悔い改めて御言葉に従いなさいと言います。
そうするなら、聖霊様が助けてくださいます。
家庭の問題の解決のために、皆さんどうすればいいでしょうか。
家族の皆さんが悔い改めて、聖書に立ち帰ることです。
そうするなら、イエス様は恵みとして新しくしてくださります。
皆さん、創世紀34章で、ヤコブの家庭にどれほど物々しい問題が生じたのか知ってますか。
ヤコブの家庭がハランからカナンに戻ってくる時、中途半端的なヤコブの信仰によって、
神様と約束したベデロに行かないで、ベデロのすぐ近くの豊かなセゲモで留まる時、
全家族が全滅するかもしれないことがあったことを知ってますか。
創世紀34章にありますけど、ヤコブの娘ディーナがセゲモの地域の女たちを会うために出かけていた時、
その地域の首長の息子から息子に強姦されてしまいます。
その話を聞いた兄たちは、町の人々に嘘をついたんです。
結婚してあげるからみんな滑稽を受けなさいと言って、滑稽で苦しんでいる彼たちをみんな殺してしまったんです。
町の男をほとんど殺したと言うんですけど、
その後彼らは報復をしてきたとするなら、ヤコブの家族は全滅したはずです。
その時神様が創世紀35章1節、
あなたは私と初めに会った時の約束通りベデロに登りなさいと言います。
その神様の話通り、ヤコブの家族たちが自分たちが持っている偶像、また世辞的なことをすべて捨てて、
神様の約束したところベデロ、ベデロは神の家の意味ですけど、ベデロに登っていた時、神様が彼らを保護してくださったように、
今私たちが非聖書的、不信仰的なことによってめちゃくちゃになっている今私たちの家庭だとしても、
今からでも悔い改め、今からでも聖書的に行きますと言った時、
イエス・キリストの十字架の師匠が私たちの過去の罪、過ちをきれいにしてくださり、
24:03
今から聖霊様が、神様が喜ばれる道で私たちの人生、私たちの家庭を導いてくださり、幸せを取り戻してくださることを信じます。
皆さん、私たちは今まで数多く信仰の方法ではなく、この世で通用している人間的な方法で福を使いながら過ごしてきました。
しかし、今からでも聖書的な方法、神の道に進んでいきましょう。
私たちが誠に悔い改め、主よ、私たちを悔い改めます。私たちを新たにしてくださり、幸せな家庭を作ってください。
このように祈り決断するなら、神様はアブラウムとさらにイサックを与えてください。
ハンナにサムエルを与えてくださったように、私たちの家庭、私たちの人生の問題を解決してくださいながら、幸せな家庭で導いてくださると信じます。
幸せな家庭、子供たち、子孫たちのためにも、人本主義を直していきましょう。お祈りいたします。
神様、今日は祝福の源であるイエス様を信じる家庭が、なぜ幸せはなく、このように難しいのか考えてみました。
信仰の家庭らしく、神様との親しい交わりの中で、神様の御声を聞いて従う、私たちの家庭、私たちにならせてください。
また、私たちの家庭がこのようにして、神の国、天国になるように主を導いてください。イエス様の源を通してお祈りいたします。アーメン。