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2025-03-02 30:32

「先祖たちの信仰、信仰は生活です」2025年3月2日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2025年3月2日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書) ヘブライ11:8-22 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。9.信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。10.アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。11.信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。12.それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。 ・・・ 17.信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。18. この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。19. アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。20. 信仰によって、イサクは、将来のことについても、ヤコブとエサウのために祝福を祈りました。21. 信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。22. 信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました。

メッセージ題 : 先祖たちの信仰、信仰は生活です(ヘブライ11:8-22)
*先週、神様が喜ばれる信仰の人として、ヘブライ11章の初めに紹介された3人。アベルの信仰は?エノクの信仰は?ノアの信仰は?=真の礼拝+神様と親しく同行+最後の裁きを準備する
*先週の金曜祈祷会で、出エジフト32-33章でモセが陣営から離れたところに幕屋を備えた理由?主のご臨在を取り戻す為!そこで行われたこと?アベルの礼拝とエノクの親しみ?私たちも
#今日は、信仰の先祖、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの信仰について・・・アブラハムを信仰の先祖?なぜ
1)アブラハムの信仰は?従順する信仰であった。 アブラムは過ち、罪が多い普通の人であった。しかし悟るならすぐ従う信仰を持っていた。ヨシュア24:2ガルデア・ウルで偶像を拝んでいた普通の人、しかし神様が人類の救い、特に信仰による救いの為に呼ばれたとき、すぐ従う人であった。創世記12:1、2その従順はやさしくなかった。既に75才、安定的な生活をしているのに。しか信仰によって?行く所々、祭壇を築きながら主を求めた。このように神様は従う人を喜ばれる
2)アブラハムの信仰はテント生活をする信仰だった。 創世記12:6カナンに行ったが住む場所がなかった。よそ者としての生活を・・・テント生活?不安定、暫く、移りながら過さなければ。これは使命人の生活、旅人であることを示される。ヘブライ11:10アブラハムは神様が設計者であり建設者である天の都を念頭に置いて生活したから。アブラハムのその信仰を使徒たちとキリスト者たちが学んで、この世は仮住まい旅人、自分たちの故郷は天であると・・・天国の市民権に相応しい
3)アブラハムの信仰は?子供を産む信仰であった。元々創世記1:28産めよ増えよ!しかしアブラムの夫婦は不妊の状態であった。しかし創世記12:2で、彼らは子供を与えられることを信じた。しかし、いつ与えて下さるのか?75才から100才まで?妻サラに妊娠の可能性が完全になくなったとき、子供を与えて下さった。これによって、神様は不可能がないお方、約束されたことはどんな状況であれ必ず守られるお方であることを示された。子供イサクを与えてもらったとき?イサクの名前の意味?笑った。これによって不妊だったが信仰によって子を産んで創世記1:28成就
4)アブラハムの信仰は?イサクを捧げる信仰であった。アブラハムの信仰25年目、イサクが与えられた。喜び溢れる!本当に笑った。しかし、創世記22:2で?イサクを焼き尽くす捧げものとして捧げなさい?何と青天の霹靂!不合理な理由を言うときりがないほど。しかしそれは結局捧げたくない。神様よりイサクが大事であること。従って、次の日、早く指定された山に。殺そうとした。アブラハムは絶対善の神、殺すなら生き返らせる神を信じた。そうすると?創世記22:2,16-18神様の認めと、多くの祝福が、その中でメシアに対する予言も。敵の城門、悪魔!祝福の源、救い!
*アブラハムがイサクを捧げたように、神様は御子イエス様を全人類の為に・イザヤ41:8私の友
5)イサク、ヤコブ、ヨセフの信仰・・・ アブラハムから始まって、イサクは根を下ろし、ヤコブは展開し、ヨセフが花を咲く、信仰の先祖たちの働き!@神様は喜んで私は・・・神であると。

サマリー

このエピソードでは、アブラーム、イサク、ヤコプ、ヨセフなど信仰の先祖たちの信仰について考察されています。特にアブラームの信仰が神に喜ばれたことが語られ、信仰における従順さやテント生活、子供を持つことの重要性が強調されています。また、神の導きに従う姿勢についても考えさせられます。アブラームの信仰の成長とその重要性についても触れられ、特に彼が不妊の状況から神の約束を信じて子供を得る過程や、最愛の息子イサクを神に捧げる信仰が際立っています。先祖たちの信仰を通じて、神との関係を深め、信仰が生活そのものであることが学ばれます。アブラーム、イサク、ヤコブ、ヨセフの例を通じて、彼らの信仰が信仰の道筋となることが示されています。

先祖たちの信仰
今日は、先祖たちの信仰、また、信仰は生活ですという対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
先週、神様が喜ばれる信仰の人として、ヘブナイショの初めに出てくる3人の人を紹介しました。
その初めは、アベルの信仰でした。
じゃあ、アベルは何によって神様から認められたのでしょうか。
礼拝です。神様が喜ばれる礼拝を捧げました。
神様が喜ばれる礼拝は、ダビデが言いましたね。
打ち砕かれた心の礼拝だったということです。
次、エノクの信仰は、エノクは神様との親しみ、また、神様と共に歩む信仰でした。
彼はそのために神が存在しておられること、また、神様は求めるものに報いてくださる神様であることを信じたということです。
それによって、彼は死なないで天国に行く人になったんです。
3番目、ノアの信仰は、ノアは裁きがあることを分かって準備する信仰でした。
今、私たちは終わりの時を過ごしています。
今の時期が、ノアの時期、ソドムの時期と同じだと言います。
ノアはその時期に何をしたのか、箱舟を作ったんです。救いの箱舟。
今、私たちの時代に、救いの箱舟のようなものは何でしょうか。
これが、新しいカワブクロの教会です。
私たちもノアの信仰に学んで、私たちもそのようなことをやっていきたいと思います。
このように、礼拝、神様と親しい歩み、また最後の裁きを準備する信仰。
その信仰を、神様が喜ばれる信仰だということを先週学びました。
今日は、この信仰の2番目の時間として、
神様を喜ばせ、神様から認められた信仰の人として、
アブラーム、イサク、ヤコプ、ヨセプ、このような方たちの信仰を学びたいと思います。
彼らはどんな信仰を持っていたので、神様が信仰の先祖と認められる人になったのか、
今日、これを一緒に考えていきましょう。
アブラームの従順
アブラームの信仰は、ヘブラー遺書11章のほぼ3分の1にあたる聖書の記録があります。
神様がアブラームの信仰を大事に思われたことがわかります。
アブラームの信仰はどんな信仰だったのか、
今日、4つ考えていきますけど、ぜひ私たちもそれを学んでいきたいと思います。
アブラームの信仰は初めは、忠順する信仰でした。
アブラームは、過ちが多い人、罪過ちが多い私たちと同じですね。
しかし、アブラームの素晴らしさは、悟ったらすぐに従う。
悟るとすぐに従う。
もともとアブラームは、幼少期24章2節に、幼少学を言います。
カールデアウルという地方で空城を拝んだという、
アブラームと世の中の人々と同じように空城を拝んでいた人でした。
しかし、神様が人類救いのために、
また、信仰によって救われる民族を選ぶために、
アブラームを呼ばれるときに、彼はすぐに従います。
これが、創世紀中二章1節2節。
主はアブラームに言われた、
あなたは生まれ皇居、父の家を離れ、私が示す地に行きなさい。
私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、
あなたの名を高める、祝福の源となるようにと言います。
その話を聞いたら、すぐ従った。
アブラームは私たちも、昔は空城を拝んだり、世の中の人々と同じような生活をしました。
しかし、その中で神様が誰かに呼ばれると、
その人が従うのか、従わないのか、これが大事なんです。
皆さん、私たちも昔、世の中の人々と同じでした。
しかし、神様から呼ばれた、誰かが伝道を受けたときに、
すぐ従って信仰に入ったでしょう。
御言葉に従う決心をしたでしょう。
これがアブラームの信仰と同じなんですけど、
アブラームはこの信仰の人として、素晴らしい神様を認められた。
しかし、アブラームは従順は優しくありませんでした。
すでに75歳だった。今、私は70歳です。
何か新しいことが始まるとしたら、怖いんです。
だんだん、私ができるかなという。
昔は、あまりそんなことを気にしていなかったんですけど、
今、何か新しいことをやろうとしたら、躊躇しますね。
そうです。75歳。昔も今も同じです。
カルデアウルで、アブラームの父とアブラームの家の商売が空城を作る商売だった。
当時、カルデアウルには3000種類の空城があったと言いますから、
空城をたくさん作って売ったので、
アブラームの家は多分金持ちだったんじゃないかと思います。
金持ちの家と、家の長男として生活していたから、多分豊かだったと思います。
豊かな生活、安定的な生活をしてて、私が示す地に行きなさい、
どっちですか、分からない。とにかく行きなさいと言われた時に、
そこをついていく者がいるでしょうか。
しかし、アブラームはついていったんですね。
聖書はこれを高く評価して、アブラームは信仰によってついていったと言います。
しかし、アブラームはカナーまで行く、
まだカナーにいた時に、アブラームは度々祭壇を築いて、
主の皆を呼んだと言います。
なぜなら、行くたび、ところどころ不安だったんですね。
不安だから、神様を求めながら、神の助けを求めながら、
アブラームは従って行ったことが分かります。
とにかく、アブラームは初めに純純な人だった。
皆さんも、いろいろな過ち、罪がたくさんあると思います。
しかし、神様が言われた時、悟らせてくださる時、すぐ従う。
これをうまくやれば、神様が喜ばれる信仰になります。
2番目、アブラームの信仰は、テント生活をわざわざする信仰でした。
たぶん、カルデアウルではテントじゃなくて、
そこでは立派な家を持っていたかもしれません。
しかし、カナンにしっかりと行ったんですけど、
そこはすでに人々が住んでいました。
みんなカナン人たちが住んでいるところで、
自分たちが行ったら、自分はもうよそのものになります。
皆さん、ヘブライ人の意味は何か知っていますか?
よその人って意味ないです。
ヘブライ人として、そこに行って、カナンの人々と一緒に過ごそうとしたら、
みんな自分の土地を持って行って、みんな住んでいるので、
自分はどこに住めばいいでしょう?
誰も、何も神様からの備えが見えなかったんです。
その時、彼はその端っこに何かテントを作って、
そこで住み着くしかなかったんですね。
テント生活、これがアブラームの生活の特徴です。
皆さん、私たちも日本に来るんですよね。
外国から来ます。
日本に初めは、もう賃貸としていろいろやりますけど、
何か少しお金を稼いだら、家を買うんじゃありませんか?
みんなそのような生活、安定的な生活を求めるんですね。
しかし、アブラームはそこに行って、時間が経っても、
いつもテント生活をしました。
じゃあ、テントの生活の意味は何か?
これは、使命人、神様がどこに行けって言ったらすぐ行く、
その生活でもあるし、
私たちの人生は旅人だということを示す大きな意味もあります。
アブラームはこの後の金持ちになりますけど、
金持ちになってもテント生活をしました。
じゃあ、なぜそのようなテント生活をしたのか?
聖書はヘブナイショ・チュイイショ10節に、
アブラームは神が設計者であり建設者である、
厳厳な土台を持つ都を待望していた。
アブラームの願いがあったんです。
アブラームの願いはどっちなのか、
この世の国ではありませんでした。
神様が備えられた神の国、御国、天国、
それが自分のふるさとと思って、
自分はこの世の中は旅人の生活、カリスマインの生活をしたということです。
アブラームはこのような生活をしていたので、
信仰を持っていた信仰の人たち、
今も私たちのキリスト者たちは、
この世はカリスマイン、または旅人の生活、
私たちのふるさとは天国にある。
みんなこのような考えを持って、
この世の中で使命があったとしたら、
すぐ行って何か神様に従う生活をしていくでしょう。
これはみんなアブラームから学んで、
私たちがこれを実践しているものです。
これを神様が何と言うのか、
神様はこの人たちを天国の市民権を持っているという意図です。
私たちはこの世で住んでいますけど、
この世で住み着くものではなく、
私たちはいつでもこの天国に行く。
そこに私たちの本当のふるさとがあり、
私の本籍はそこにあるんだと思って、
この世は使命があるから、
この世は私たちが神様から示されたことがあるから、
それを成し遂げるためにいるだけだ。
このような生活、これがアブラームの生活だったんですね。
アブラームの使命
私たちは他の国から来て日本に住んでいるから、
大抵このような考えが深いんですけど、
このような考えがもともとアブラームが持っていた考えだった。
ですから皆さん、この世に住み着くような考えよりは、
いつも神の国、未国を望みながら、
この世では神様が何か任務があるから、
使命があるからここにいるんだと思って、
ここに集中できるようにやっていきましょう。
これが神様が喜ばれたアブラームの2番目の信仰だったんです。
3番目、アブラームの信仰は子供を産む信仰だった。
もともと神様が人間に創世紀1章28節に、
産めよ増えよ、地に満ちて地を従わせよ、
全世界を支配せよと言いました。
人間の存在理由は、産めよ増えよ、地に満ちて地を従わせよ。
これが人間の使命です。
しかしアブラームはそれができない人でした。
なぜなら、アブラームとサラは不妊の夫婦だったんです。
子供ができない夫婦です。
産めよ増えよはできない人だった。
アブラームの信仰の始まり
だったら私たちはこれはできません。
神様の使命はできませんと言うしかないんですけど、
神様がアブラームにこのような祝福の言葉をくださった。
これは創世紀12章28節です。
私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。
祝福の源となるようにと言った時に、
大いなる国民を与えると言った時に、
私はダメです。私は不妊の夫婦だからダメですと言わないで、
それを信仰を持って受け取ったということです。
大抵皆さんの御言葉があったとしても、
私はこの御言葉にふさわしくない。
だから私はこの御言葉を私にはできないでしょうと、
私たちは勝手に御言葉を拒否してしまいます。
しかしアブラームはそんなことではありませんでした。
自分の夫婦は子供ができていないことを分かっていながらも、
神様が大いなる国民を与えてくださると言った時に、
信仰を持ってそれを受け止めたんです。
これが大事です。
それでアブラームは75歳、サラは65歳の時に、
それを信じて神様についていくんです。
ところが神様は子供をいつ与えてくださったんですか。
これから25年が経ったサラの90歳、
アブラームは100歳の時に子供を与えてくださいました。
その時にサラは90歳で女のつきものもないし、
また子供を産むことは全く不可能な状態になってしまったんです。
しかしこの夫婦たちは主は不可能がない、神の力を信じました。
それで結局ヘブライション11章12節にイサクを産んだんですけど、
イサクの名前の意味は笑ったということです。笑った。
死んだ者と同様な女性を通して神様が天の星のように、
産むような砂のようにたくさんの子孫を与える、
産めよう、増えようというようなことができるようにしてくださったんです。
ここが大事です。
私は子供を産むことはできませんけど、
私は信仰によって子供を産むことを信じます。
それでアブラムは不妊の夫婦だったんですけど、
創世紀1章28節、産めよう、増えよう、それができると、
その見事な成就ができると信じて、
実際それを通してイサクを得ることができました。
不可能はない、神様が約束されたことは必ず与えてくださる、
上手されることを信じることによって、
子供を産む信仰、不可能を可能にする信仰、
命を産んで育てる信仰に変わりました。
イサクを捧げる信仰
4番目、アブラムの信仰のハイライトは、イサクを捧げる信仰でした。
アブラムの信仰の25年目、100歳の時、
町に待ちました息子、イサクを得ました。
どれほど喜んだのでしょう。
それが創世紀12章75歳から、
創世紀21章8歳までの、この信仰の生活でした。
しかし、創世紀22章2節に、神は言われた、命じられた、
あなたの息子、あなたの愛する一人子、イサクを連れて、
モーリアの地に行きなさい。
私が命じる山の一つに登り、
彼を焼き尽くす捧げ物として捧げなさいと言われます。
なんと、聖典の霹靂のような話でしょうか。
神様は、こんな命令をされてもいいでしょうか。
神様は不幸理です。
イサクを通して、数多く天の星のような子孫を与えてくださると約束したのに、
イサクを殺しなさいということは、捧げなさいということは、どんな理由でしょうか。
これを反抗するしかない。
これは神様は不幸理ですと言うしかないところでも、
アブラモアは一切言わないで従います。
アブラモアはとにかく命令に従うことをうまくやりました。
ここで神様に対抗して弁明するということは、
結局捧げたくないという意味になり、
神様よりイサクはもっと大事だということを言うことになり、
神様よりイサクを愛しているんだということになります。
そうじゃなくて、アブラモアは次の日朝早く起きて、
息子を連れて森屋さんに行きます。
彼は神様を信じました。
神様が一番良いことをくださる絶対全能の神様。
イサクを殺すなら、生き返らせてくださって取り戻してくださる復活の神様。
すべてが可能な全能の神様を信じました。
皆さん、従順が愛です。
これがヨガネ14章21節です。
従順が愛です。
また神様に捧げるということは、
私はイサクより神様をもっと愛しますという信仰告白にもなります。
そして彼はイサクを連れて行って、実際殺そうとします。
殺します。
その時、創世記12章12節に、
神主の御使いが言った。
その子に手を下すな。何にもしてはならない。
あなたが神を恐れる者であることを今わかったからだ。
あなたは自分の一人子である息子すら、私に捧げることを惜しまなかったと言います。
そして神様がアブラムに祝福をくださるんですけど、
神様の三つの祝福をください。
始めは創世記22章16節から18節です。
御使いは言った。
私は自らにかけて誓うと主は言われる。
あなたがこのことを行い、自分の一人子である息子すら惜しまなかったので、
あなたを豊かに祝福し、
神様を天の星のように、海辺の砂のように増やそうと言いました。
これによって神様がアブラムを信仰の先祖として、
世の中の全ての信仰者の一番上の先祖として、
アブラムをしっかり建てられました。
2番目。
神様が息子の代わりに、
ヤウェイイルエ、神の山に備えがあり、
生贄を捧げる息子の代わりに羊を備えられたんです。
それを通して神様に焼き尽くす捧げ物ができるようにしてくださった。
また最も大事なことがありますけど、
それが創世記22章17節の下の部分です。
あなたの子孫は敵の縄文を勝ち取る。
地上の庶民族は全てあなたの子孫によって祝福を得ると言います。
ここであなたの子孫ということはメシアを意味します。
メシアが来られて、あなたの子孫として来られて、
敵の縄文を勝ち取る。
これは悪魔を滅ぼすという意味なんです。
また信じる全ての人に天国の祝福を与える。
祝福の源になるという意味を言っています。
メシアが来られて悪魔を滅ぼし、
全ての人をイエス・キリストの皆によって天国に入るようにしてくださる。
この計画がアブラムがイサクを捧げた時に
神様がくだせた祝福の中に入っています。
私たちはこの黄泉の力が対抗できない。
信仰の深化
敵の縄文を勝ち取るということを
マタイの16章18節で読んでいたんですけど
これはすでにアブラムが神様との間に
創世紀22章の間に全てが成し遂げられたことでした。
それで私たちがイエス様を信じますと言った時に
私たちはこのアブラムの祝福を受け入れることができる。
アブラムが全て成し遂げたこの部分を
今私たちが真空告白をすることによって
アブラムの子孫になり
またアブラムの祝福を私たちが受け入れる。
それによって敵の縄文を勝ち取るように
黄泉の力が私たちに対抗できない。
ですから私たちはどんな力を持っているのか
悪魔出てけ!
悪色霊出てけ!と言ったら
悪色霊が出ていくようなパワーを
私たちが持つようになったんです。
皆さんこれが創世紀22章で
アブラムが神様からいただいた力が
私たちがイエス・キリストによって
アブラムの子孫になる時に
私たちもその力をいただいたんです。
この素晴らしい全ての働きが
アブラムが自分の一人子を捧げることから
私たちに与えられた祝福なんです。
驚くのはアブラムが一人子を捧げたように
神様が一人子イエス・キリストを
私たちみんなのために渡してくださった。
アブラムがイサ子を捧げたように
神様はイエス様を私たちのために捧げてくださった。
そして神様は何と言われるのか
イザヤ41章8節を見ますと
私の愛する友アブラムと言います。
皆さん非常物である人間が
神様の友になりますか?
しかしアブラムがイサ子を捧げる
素晴らしい信仰によって
神様がアブラムを愛する私の友よと言います。
これは人間としては想像もできないほどの
素晴らしい賞賛をアブラムが受け入れたのです。
アブラムの信仰はこんな素晴らしい信仰になりました。
ここで以上で皆さん
従順する信仰
御国を求める信仰
そして世の中には天と生活する信仰
またこう生むことができないけど
こう生むことができる信仰
またイサ子を神様に捧げる信仰
この全ての信仰は
アブラムが初めから持っていった信仰ではありませんでした。
アブラムは初めは
他の世の中の人々と同じように
苦情を拝んだり
世の中の人々と同じように
一味過ちがたくさんある人でした。
しかし神様と親しい交わりを通して
だんだん信仰は良くなって
そしてイサ子を捧げるレベルまで
アブラムの信仰が成長していきました。
そうです。
私たちの信仰も
初めは何の信仰もありませんですけど
だんだん神様との交わりの中で
従順従順従順従順を積み重ねることによって
ますます立派な信仰になる
これを神様が私たちに願っておられるんです。
そしてついに私の愛する友
皆さんというようになるほどのレベルまで
先祖たちの信仰の重要性
神様が私たちの信仰が成長するように
成熟するように願っておられるんです。
このようにアブラムから始まった信仰が
アブラムを開拓する信仰でした。
イサクは根を深く下ろす信仰です。
イサクは柔和な人で忍耐心が強い人でした。
それから信仰の根を深く下ろすことができました。
ヤコブの信仰は活発的な
他の人が真似できないほどの熱心な人でした。
そして十二侮辱を生む素晴らしい信仰でした。
そして信仰は拡大しました。
ヨセプの信仰はエジプトに行って
総理になって80年間エジプトを統治する
信仰の実を結ぶ素晴らしい信仰でした。
アブラムから始まって
イサクに根を深く下ろし
ヤコブに殿開し
ヨセプによって花を咲く
この信仰の素晴らしい先祖たちの働き
これがアブラムの信仰をずっと見習った
子孫たちによってできました。
最後のヨセプの信仰で一つ考えることがあります。
これがヘブラー書11章22節
信仰によってヨセプは
隣住の時イサイの子らの脱出について語り
自分の遺骨をついて指示を与えました。
ヨセプは何を持っていたのかといいますと
ヨセプはこの後何百年後に成し遂げる
シチュエジプトのことも予測していた。
ヨセプの冷静素晴らしいですね。
ヨセプは自分が死ぬ時に
このイスラエル人たちが
いつかエジプトから
シチュエジプトすることを考えながら
私の骨をエジプトに葬るんじゃなくて
私の骨を持っていて
先祖たちが葬られている
カナンに葬ってくれと言います。
これをモーセヨウシュアが実現します。
このヨセプの素晴らしい信仰
ヨセプは神様とすぐと交わりの中にいたので
これからイスラエル人たちの運命がどうなるか
すべてわかっていたでしょう。
そうです。
アブラムの信仰素晴らしかった。
イサクの信仰素晴らしかった。
ヤクブの信仰素晴らしかった。
ヨセプの信仰素晴らしかった。
新城の先祖たちの素晴らしい信仰
これがすべてアブラムから始まったんですね。
このようにアブラム、イサク、ヤクブ、ヨセプの信仰は
私はイエス様を信じますと
これで一言によって終わる信仰ではありませんでした。
アブラム、イサク、ヤクブ、ヨセプは
自分の人生をかけて
長い間神様と交わりをしながら
見事場に従いながら
見事場に従順を積み重ね積み重ね
成熟し成長した信仰の末に
終わりにやっと神様から喜ばれ
認められる信仰でした。
信仰の実践と生活
皆さん、私たちの信仰は
一言、口のリップスビスでできる信仰では
駄目です。
生活を通して神様から認められる信仰
神に喜ばれる信仰を持たなければなりません。
ですから信仰は生活です。
生活が信仰、信仰が生活
毎日毎日私は神様の御声を聞いて
従う信仰をするのか
それを毎日積み重ねることによって
ついに神様から
あなたは完璧、あなたは合格
あなたは素晴らしいと認められる
そして神様から導かれて天国に入る
このような信仰が正しい信仰です。
私たちは今日
信仰の先祖たちを通して
このような信仰を学んで
これから口リップスビスの信仰ではなく
生活を通して
神様に私たちの生活を見せてあげ
神様から正しい
よくやっていると認められる
信仰の人になれればと思います。
その時
アブラムによってイサクが祝福され
アブラム、イサクによってヤコブが祝福され
アブラム、イサク、ヤコブによってヨセブが祝福され
その先祖たちによってイスラエルが祝福される
このような信仰になります。
皆さん、今私はちょっと思っているのは
ダビデのようにソルモンも罰されなかった
皆さん、先祖の信仰が素晴らしい
私たちの信仰によって
私たちの子供の時代が救われるでしょう
祝福されるでしょう
ですから私たちが大事なんです
じゃあ先祖の信仰をうまくやっていきましょう
ただリップスビスがなくて
生活そのものが信仰になるようにやっていきましょう
お祈りいたします
神様、今日は私たちに一番大事な信仰について分かち合いました
アブラムが持っていたこの素晴らしい信仰
イサク、ヤコブ、ヨセブが持っていた素晴らしい信仰
神様を喜ばせ
神様に認められる信仰
私たちも持つことができるように
恵みを与えてください
そしてこの世の中で神様の見業をうまく用いられて
最後に私たちみんなが天国に入るものとしてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン
30:32

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