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2023-04-24 30:14

「十字架と復活、そして聖霊様」2023年4月23日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年4月23日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 動画によるメッセージ:https://www.instagram.com/tv/CrXMk2NJKh6/?igshid=ZjE2NGZiNDQ=
教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com

エゼキエル37:1‐13主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そ こは骨でいっぱいであった。2. 主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それ らは甚だしく枯れていた。3. そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。 「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」4. そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯 れた骨よ、主の言葉を聞け。5. これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。する と、お前たちは生き返る。6. わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返 る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」7. わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、音 がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。8. わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその 上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。9.主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさ い。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返 る。」10. わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな 集団となった。11. 主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れ た。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。12. それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの 墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。13. わたしが墓を開いて、お前たちを墓から 引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。
神様の計画とメッセージ
今日は、忠実家と復活、そして聖霊様という題をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
その間、四巡説の期間、キリスト教の一番大事な忠実家と復活を 深く黙想することができて本当に感謝します。
創世紀3章以来、神様から離れて苦労している人類に対する 神様のこの愛に
そして神様が救われると思って、私たちに与えてくださった 神様の方法は何ですか。これが忠実家と復活なんです。
忠実家と復活という意味は 死んだら生きるということです。
死んだら生きる。 何によって死ぬのか
罪と悪魔と悪魔が支配しているこの世に対して死んで 神様に対して生きることです。
死んだら生きる。これが神様の方法です。 ですからイエス様が私についていきたいと思っている人は
自分を捨てて自分の忠実家を背負って私に従いなさいと言われました。
これで私たちが死ぬということを言いますけど 死んで終わりではありません。
この死の象徴である忠実家、イエス様の忠実家には力があります。
また死ぬなら生きるんですけどイエス様の復活には力があります。
この忠実家と復活が理論ではなく実際になってその力を体験するために
私たちに必要なのは精霊様の助けです。 今日はこのような見言葉を申し上げたいと思います。
このことを神様は旧約聖書でも既にわかりやすく予言してくださいました。
これがエジケール37章の枯れた骨の幻です。
今日は皆さんがよく知っておられる枯れた骨の幻を分かち合いながら
イエス様が来られて成し遂げてくださったキリストの御業、また精霊の働きの大事さを
今日一緒に考えていきたいと思います。神様がアブラムを呼ばれました。
枯れた骨の幻とイスラエルの信仰
そのアブラムを通して一つの民族を作られたんですけどそれがイスラエルです。
このイスラエルをエジプトに送られ、エジプトの奴隷の状態であった彼たちを神様が救われます。
エジプトに下っていくときは70人だったんですけど、エジプトから出地エジプトされるときには200万人までこの人数が増えてきました。
このエジプトから救い出しながら神様が言われた出地エジプト中級書5節6節にはその目的がよく現れています。
一言で言いますと、イスラエルを通して全世界を救いたいということが、神様がアブラムを呼ばれて
大きな民族を作られ、そして王政を通して出地エジプトさせた理由なんです。
じゃあ全世界をイスラエルを通して救いたいということ。
しかし旧約聖書から見てますと、イスラエルはその御業にふさわしい民族として準備されることはできませんでした。
なぜ準備できなかったのか、主な原因は偽りの信仰のゆえでした。
自己中心的な信仰生活をしました。 自分の目的のため、自分の方法で、自分の熱心で、それを
ご利益信仰、人本主義、立法主義と言うんですね。 そうしながら自分たちは神様から選ばれた先民、
また私たちは優れた民族だと傲慢したんです。 神様はイスラエルを通して全世界を救いたいんだけど、
自己中心的、ハイター的な信仰を持っている彼らを使うことはできませんでした。
ではどうすればいいんでしょう。 ですから神様は旧約聖書に
数多くの人数の預言者たちを使わしながら、彼らを悟らせようと思いました。
しかしいくら語っても彼らは聞いてくれません。 私たちは選ばれたためだ。
私たちは神様から祝福された優れた民族だと 傲慢で
神様からの預言者の御言葉が彼らの心には入れなかったんです。
また皆さん、自己中心ということは罪です。 罪には必ず裁きがあります。
結局神様は彼らを70年間 違法人の手に渡され
彼らをこの奴隷の状態から新たにしようと思いました。
これがバーベロンの捕虜になった理由なんです。 その時建てられた預言者がエジケールです。
バーベロンがイスラエルを何回攻撃したんですけど、第2回目の攻撃、BC598年度
その時にエジケールは25歳でした。 25歳の時に捕虜として連れて行かれ、バーベロンに来ました。
そして30歳の時にゲバル川のほとりで神様の招きをいただいて、彼は預言者になります。
それから22年間、バーベロンでイスラエルのために 神の御言葉を伝える役割をしました。
彼が預言者の働きをし始めて間もないうちに イスラエルは完全に滅ぼされて
神殿は破壊され、民たちは捕虜になりました。 イスラエルはエジケールが見た
枯れた骨のような民族になってしまったんです。 完全な絶望の中に陥ってしまいました。
その状況の中で エジケールにイスラエルは枯れた骨の状況だけど
あなたたちを生かして 復活させて大きな手段になる幻を見せてくださったんです。
神様は枯れた骨の幻を通して イスラエル人たちが信仰を諦めることではなく
続けて続けて神様を見上げるように助けてくださいました。 私たちも同じです。
至純説を通してイエス様の忠実化と復活をいろいろ深く考え学び それを通して礼拝も捧げましたけど
皆さんの現実はどうですか? 枯れた骨のような状況ではありませんか?
しかし今日エジケールに見せてくださったこの枯れた骨の幻
これは結局死んだイスラエルをリバイバルさせる 復活させる幻です。それをどうして私たちも希望をいただくことができればと思います。
信仰を失う状況
皆さん 国が滅ぼされて
この民全体が捕虜になった その捕虜になったイスラエル人たちの心はどうだったでしょう
私たちは終わった 絶望
落胆 そして
守ってくれなかった神様に恨みがあったでしょう その時が
信仰を失いやすいこの状況でもあります
子供たちはどうでしょうかね 教会に来て何とかメッセージを聞いていろいろ信仰の話を聞いたんですけど
私の人生に何か役に立たなかった 祈っても答えられなかったと言ったら
優しく信仰から離れる人もいるんじゃありませんか イスラエル人たちは自分たちが今まで拝んできた
恋愛してきた神様が自分たちを見捨てたと思われる時に 彼らは信仰を失いやすかったということです
しかし神様は預言者たちを通して 私はあなたを見捨てんじゃない
私はあなたたちをこんなことをやるのは理由があるよということ それを続けて教えてくださったんですけど
神様がイスラエル人に対する計画がありました これを同じ時代のエレミアに教えてくださるんですけど
エレミア29章11節に神様がイスラエルに対して持っておられるお考えを教えてください
神の御計画とイスラエルの復興
私はあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている 私はあなたたちのための私の思いがしっかりあるよということを教えるんです
これは何かとそれは平和の計画であって災いの計画ではない 将来と希望を与えるものであると言われます
また神様がイスラエルの捕虜の時間を いつまでも永遠に捕虜として生きるんじゃなくて
70年ということを検定されて それであなたたちをしばらく試練の時期があるんだということを
エレミア25章11節でも教えてくださいました 神様をこのようにイスラエル人たちが捕虜になることを許された理由は
ためになれということではなくやり直しなんです 新たにされるためだったんです
ですから預言者たちを送ってくださって 神の身むねを続けて語られてくださいました
その中でエジケールもいました
エジケール37章では枯れた骨の幻ですけど その中身やストーリーは皆さんよく理解していらっしゃると思います
神様がエジケールを 枯れた骨がいっぱい見つまっているある谷に連れて行きました
それで37章11節を見ていますと この骨はイスラエルの未熟だと言います
現在イスラエルの霊力な状況を見せてくださったんです 事実はPC586年度
パヴェレノ王ノブカネツアルは エルサレム城を滅ぼし
神殿で使徒者たちと若者たちを殺して そのすべてを燃やしてしまいました
当時のユダヤの王であったヨヤキンを鎖で縛って パヴェロンまで連れて行きました
貴族民族みんな捕虜にされて連れて行かれました
イスラエルに残されたのは年寄りと 病んでいる人たちだけでした
だからイスラエルはもう二度も再生できない国として それでさせられたんです
その時イスラエルは自分たちを見てこう言います 11節です
我々の骨は枯れた 我々の望みは失せ 我々は滅びると言いました
まさに枯れた骨のように希望がない国 希望がない民族にさせてしまいました
その時神様エジケルにこう言われます エジケル37章3節です
人の子よ これらの骨は生き返ることができるかと聞かれます
もし皆さんに言われたら皆さんどう思いますか 現実を見て絶対生き返ることはできませんと言うべきでしょう
その時エジケルはこう言います 主なる神よ あなたのみがご存知です
これはどう解釈しましょうか あなたのみがご存知です
これはあなたがこのイスラエル人を生かすことはできます あなたがご存知ですという意味です
皆さん神様がこれができるかと思った時 絶対無理ですと言われる人は神様が使えることができないでしょう
あなたならできます あなたが働いてください 何とか我が民をあなたが救ってくださいという
願いを持っている人を神様が使われるでしょう ぜひとも希望を失うことがないようにお願いします
じゃあそのようなエジケルに神様がこう言われます 37章4節です
そこで主は私に言われた これらの骨に向かって予言し彼らに言いなさい
枯れた骨よ 主の言葉を聞け
じゃあここで主の言葉 これを今私たちに例えられるとこれは十字架と復活の福音です
その十字架と復活の福音を伝えたら 反応があります
反応があってカタカタ そして骨がつけられ そしてこの上に筋肉皮膚そして何か生きるような姿が見えます
しかしその中で命はなかったと言います ですから37章5節にこれらの骨に向かって主なる神はこう言われる
見よ私はお前たちの中に霊を吹き込む するとお前たちは生き返る
この御言葉は十字架と復活の福音で理論はできます 形は作られます
しかしその中に精霊の働きがなければ彼らは生き動くことはできないということ
それで命じられた通りエジケルが予言すると 37章7節に霊は彼らの中に入り彼らは生き返って自分の足で立った
彼らは非常に大きな手段となったと言います この幻は1割の信仰によって神様が使うことができなかったイスラエルを
御言葉と精霊を通してやり直しをして 神様が用いられる神の軍隊として新しい作ろうとする神様のビジョン
神様の計画を見せてくださった ここで大事なのは御言葉
十字架と復活の福音それをいくら教えてあげても 命である精霊がなければ
生きて働く信仰はできないということを教えてくださいます 皆さん私たちがいつも分かち合っているこの御言葉
信仰の力と精霊様
これを中身は十字架と復活の福音でしょう それを聞いている間に皆さん何ができるかと言いますと皆さんの信仰の形
信仰の体系がしっかりできます その中に精霊が入ると
驚くほどの大きな手段になる力になる軍隊になるということを 聖書が私たちに教えてくださいます
ここで 体的にはしっかりしているんですけどその中で命がない力がない
それをどのように説明するか その精霊の働きの大事さをどのように説明するかということです
神様はイザヤ40章31節にこう言われます 主に望みを置く人は新たな力を得
ワシのように翼を張って登る 走っても弱ることなく歩いても疲れない
じゃあここで主に望みを置く人は ワシのように翼を張って登る
ここに大きな意味があります 皆さんスズメ
スズメ知っているんですよね スズメの飛び方とワシの飛び方を知っていますか
スズメは パタパタとしながらパパパパパと動きます
あちこち飛びますが ワシの飛び方は違います
ワシは翼を張っているだけなんです 台風の中でも
風に乗って 台風の上に行くんだそうです
それで 翼を張って風に乗って上に行って
全てを見下ろす 眺めながら余裕を持って自分がやりたいことをシャッとやるんだそうです
ここで ワシのような信仰は自分の力でやる信仰ではありません
風に乗ることです 精霊の風に乗って
そして自分の尻尾の上に高く 台風の上まで飛ぶということですから
神様が私たちに願っておられる信仰は スズメのようにパタパタあちこちに行って
パタパタこっちに行ってパタパタあっちに行って このような信仰ではなく
ワシのようにこの風に乗って 翼を張って
余裕として飛ぶ信仰を願っておられます
罪の清算と聖霊様
じゃあここで イエス様が来られて成し遂げてくださった
忠実家と復活 忠実家によって精霊様が来るようになりました
皆さん 罪ある人は精霊を受け取ることはできません
イエス様が忠実家の父親によって 罪を清く洗ってくださったから
清くなった心に精霊様が来るようになったということが カラディア3章14節の御言葉です
まさに忠実家と復活 そして来られた精霊様が
私たちにワシのような信仰を与えてくださる この働きです
神様がイエス様を来られて私たちのために成し遂げてくださった 忠実家と復活の働きはものものしいものです
まず忠実家の力は何ですか 何より罪の許しです
罪の許しによって神様と私たちの間に敵の関係だった私たちが 神様と和解するようになりました
イザヤ五十十章1節2節
主の手が短くて救えないと言うのか 主の耳が鈍くて聞こえないと言うのか
むしろお前たちの悪が神とお前たちの間を経て お前たちの罪が神の御化を隠させ
お前たちに耳を傾けるのを妨げるのだ 罪と悪によって神様と私たちが敵の関係になりました
このように断ち切られた関係性を その中では何にもできません
神に何を願うことができる 罪人が神の前に立つことができますか できません
その罪の許し罪を清く洗ってくださって 神様との私たちの間が和解することができました
これからはイエス様の父親によって 愛される神の子供としての地位を回復され
子供は父に何でも願いができます お祈りを通して神様から全てを全部いただく
祝福された存在になりました これが忠実家の力です
復活の力は何ですか 死んでも生きるということです
悪魔は死の力を持って罪と過ちを通して 私たちを続けて殺し続けました
また罪のゆえに私たちは罪の奴隷 それで支配してきました
しかしイエス様が忠実家の死によって この死を滅ぼし復活されたことによって
私たちもイエス様に背負って 死の力悪魔を勝ち抜き再び生きるようになりました
悪魔は立法と罪を通して 続けて私たちを殺そうとするかもしれないけど
私たちはイエス様によって 続けて勝利して生きるようになります
聖霊様の働き
みなさん罪を犯して死んだんですけど 許しをいただいて再び生かされた人の内面性心を知ってますか
彼らは恵みに感謝する心でいっぱいです また罪を犯してダメになってみたから
罪を犯してダメになるならどれほど苦しみがあるのか それを誰よりよく知ってます
だからこれからは軽く罪を犯すことではなく 恵みに感謝する心で生きるから
その人生がどれほど立派になるのか もっと確かな信仰
感謝が満ちあうれる信仰 そうしながらそれが理論ではなく実際生きている信仰になります
これが聖霊様が与えてくださる信仰です 聖霊様は助け主ですけど
聖霊という元々の言語は 命という意味と風の意味として翻訳することができます
聖霊は風なんです 聖霊の風に乗るとき
私たちは 鷲のような信仰になります
この世の台風観覧 それが襲ってきても
台風の上に登って 余裕を持ってすべてを眺めながら
超越的限界を超える信仰生活ができます
聖霊がない信仰は雀のような信仰です 毎日行ったり来たりパタパタしながら泣いたり笑ったり
良かったり悪かったり楽観したり この世の中の波風を逃れることはできません
鷲のような信仰の素晴らしさ 皆さん 忠実家と復活は物々しい素晴らしいことです
罪の許し 和解 回復 また死の力を勝ち抜き
死んでも生きる 永遠の命の力が忠実家と復活に与えられます
しかし 聖霊様がいなければすべて理論に過ぎません
私たちは聖霊によってそれが本当になれるのです
聖霊様の力強さ
ですからイエス様が40日間この世に滞在しながら 弟子たちに教祖されたのが聖霊様です
6巻24章49節 私は父が約束されたものをあなたたちに贈る
高いところからの力を覆われるまでは都に留まりなさい
高いところからの力 聖霊様です
首都行道1章4節5節 そして彼らと食事を共にしていた時
こう命じられた イエルサレムを離れず前に私から聞いた
父の約束されたものを待ちなさい 父の約束されたものは聖霊です
弱音は水でバープテスマを施したが あなた方は間もなく聖霊によるバープテスマを授けられることになる
あなたたちの上に聖霊が下るとあなたたちは力を受ける そしてイエルサレムばかりではなく
ユダヤサマリアの前途 また地の果てに至るまで私の承認となる
この聖霊様大事ですけど 私たちは聖霊様をどのように待ち望みますか
これは祈りなんです ですから首都行道1章14節
彼らは皆婦人たちやイエスの母マリア またイエスの兄弟と心を合わせて熱心に祈っていた
またルカの福音書ではイエス様はこう言われます ルカの11章9節からです
そこで私は言っておこう 求めなさいそうすれば与えられる
探しなさいそうすれば見つかる 門を叩きなさいそうすれば開かれる
13節 このようにあなた方が悪いものでありながらも 自分の子供には良いものを与えてくれることを知っている
まして天の父は求めるものに 聖霊を与えてくださらないかと言います
私たちの教会が準備しているのは 新しい葡萄酒を新しい皮袋に
回復とリバイバルです 最後の時信徒たちを生かし血の果てにまで福音を伝えるために
新しい皮袋 その新しい皮袋は約束された聖霊を受けるための
私たちができることです ところが皆さんこう思われたなかったんですか
私たちはずっと十字架の福音を勉強してますけど 何か目に見えることがないんじゃないかと皆さん思われるかもしれません
それは皆さんの信仰の形を作ることです 見事ばを延べしたいときに
骨と骨が付けられ上に筋肉が付けられ皮膚が付けられ そしてただただ生きるものになる
これは十字架と福音のこのメッセージ 見事ばによって皆さんの信仰の形ができます
信仰の形ができた上 聖霊様が吹き込むと
生きた大きな手段となったと言われるように 私たちが今十字架の福音によって今信仰の形はよくできています
じゃあこれから大事なのは何でしょうか 聖霊様です
命の力 命の息 聖霊様です
私たちに聖霊の力が吹き込むと 私たちは生きて働く神の大きな軍人と兵士になると信じます
今まで私たちが学んだ十字架と福音の 復活の福音をもっと確かに使いましょう
覚えていきましょう これから聖霊の力強い
この息が私たちの中で教会の中で吹き込まれるように これから私たちは祈っていきましょう
聖霊の風が吹き込むと 雀のような信仰ではなく
聖霊の働きの大事さ
和紙のような信仰になることを信じます 今日枯れた船の幻は私たちに見事ばの大事さと
この上にさらに聖霊の働きの大事さを教えてください
それをいただいた時 私たちは和紙のような素晴らしい信仰になるでしょう
ぜひともぜひとも聖霊様来てください 期待します
来てください聖霊様 その心で私たちはこの4月5月をずっと準備して
聖霊の来臨を私たちは準備していきたいとおもいます お祈り致します
主よ 私たち今まで十字架の福音を熱心に学びました それを覚えさせてくださった神様ありがとうございます
これから大事なのは聖霊の働きです どうかどうか聖霊様来てください
見事ばうえ 聖霊の力によって私たちは和紙のように
台風の上に登って全てを眺めながら 主に用いられる私たちにならせてください
イエス様が十字架と復活として成し遂げてくださったこの素晴らしいことが 聖霊によって完成できるように私たちの中で働いてください
イエス様の皆を通してお祈り致します アメン アメン
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