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2020-05-03 33:17

2020/05/03:わたしたちが信じて、告白すること(10)聖霊のバプテスマを受け

2020/05/03 聖日礼拝

尹善鎬牧師

コリント人への手紙第二 -22


00:01
今日は、シリーズ説教、わたしたちが信じて、告白することの第10回目です。
タイトルは、聖霊のバプテスマを受け、となり、
今日もこの動画をご覧になって、心をひとつにして礼拝を捧げる皆様の上に、
主の偉大な恵みと、ご臨在の主が共にいて下さいますことを、心からお祈り申し上げます。
一日も早く、このコロナ感染の事態が終わって、
私たちが皆、教会に集まって、思い切り参禮をして、
祈って、御言葉をいただく、その礼拝の日が早く早く来ることを切に、祈っております。
今日は、聖霊のバプテスマを受け、という部分ですけれども、
まず、神句告白の部分をお読みいたします。
私たちは、キリストの地によって、すべての罪から清められ、神の者とされ、
聖霊のバプテスマを受け、その内従義による全き支配によって、主の形に変えられていきます。
今日は、聖霊のバプテスマを受け、この部分に絞って話をしていきたいと思いますけれども、
この部分は、切り離せる部分ではないと思うんですね。
一つとしてお話をしたいと思いますけれども、時間がかけられていますので、
今日は、聖霊のバプテスマを受けることにフォーカスを当ててお話をしたいと思います。
まず、この聖霊のバプテスマを受けることはどういうものなのか、それを正しく聖書的に理解するために、
より幅広く、特に聖書がこの部分について何と語っているのか、
その聖書、神の御言葉を根拠にしてお話をしていきたいと思います。
まず、基本的な概念を一緒に整理していきたいと思いますけれども、
聖霊様は三面一体の神様です。神様の霊です。
基本的に、新約の時代、つまりイエス様が天に登られた後、
聖霊様はその神様によってイエスを主導信じる者にお使わせてくださりました。
03:10
これは、イエス様が昇天なさる前に、弟子たちに約束してくださったイエス様のお約束なんですね。
それが、「ヨマレノクイション十六章七節」にこのように書かれています。
ここを見ますと、
イエス様が天に登られたら、弟子たち、つまり信者たちに聖霊様を送ってくださいと約束されました。
この聖霊様は、また同じヨマレノクイション十四章十六節を見ると、
私は父にお願いします。
そうすれば、父はもう一人の助け主をあなた方にお与えになります。
その助け主がいつまでもあなた方と共におられるためにです。
つまり、神を信じる者たちとこの助け主、聖霊様は、神の霊は、いつも共にいてくださる神の霊であるということです。
聖霊様は、まるで風のような存在ではなく、人格を持っておられ、私たちと交わってくださり、私たちに感化を与え、恵みを与え、また悔やむために導く神の霊であられます。
さあ、この基本的な概念を知っていただいた上で、聖霊のバプテスマを受けることについてお話をしたいと思います。
今日は大きく二つに分けてお話をしたいと思います。
まず、聖霊のバプテスマを受けるということは、私たちが救われるとき、この救いの出来事に関係する聖霊のバプテスマです。
私と皆さんは、イエス様を救い主として信じて救われました。
06:03
私たちが救われたとき、神のことされました。
そして、聖なる神としてこの世とは区別されることが起きました。
聖霊のバプテスマは救いの出来事であって、油注がれる神の御技です。
ですから、本当に救われたならば、この救いの事実は変わりません。
ただ、その救いに対する私たちの気持ちというか、確信が揺れることはあり得ると思います。
しかし、私たちの気持ちや感情が揺れることがあったとしても、
本当に救われたならば、その救いの確実性、あなたは本当に救われましたよということを、この聖霊様が証して下さい、という言葉があります。
ローマ人への手紙、8章16節をお読みいたします。
私たちが神の子供であることは、三玉御自身が私たちの霊と共に証して下さります。
私たちが神の子供であることは、三玉御自身が聖霊様が私たちの霊と共に証して下さるんですね。
私たちはこのように、聖霊様によって、聖霊のバクテストを受けて、そして心からイエス様を信じて救われました。
皆さん、私たちが心から信じて救われるときに、何が起きたのでしょうか。どんなことが起こるのでしょうか。
まず、一番大きな変化はですね、罪を悔い改めるということです。
これは確実に聖霊の働きによらなければ、絶対に起こらないことです。
聖霊様が罪を認めさせました。気付かせて下さいました。
それで、この救われるとき、聖霊のバクテストを受けた人は、本当に自分が罪人であること。
神様を否定した罪、様々な罪を悔い改めて、そして神のものとされました。
そして、その聖霊のバクテストによってですね、イエス様は、ただの聖人ではなくて、
09:07
ネシアであると、救い主であると、神であると、信じるようになるんです。
ですから皆さん、私たちが救われるときに、この聖霊のバクテストによらなければ、
救いもなかったはずなんです。
この救いの出来事は、ただ聖霊の御業、すなわち聖霊のバクテストを受けて、
そしてそれが起きたということになります。
もどと掘り下げて話をしていきましょう。
救いに対して、この聖霊様はどんな役割を、働きをしてくださるんでしょうか。
まず、罪の悔いあらために対してです。
両派での福祉書、十六書八節に、こう書かれています。
その方なら来ると、罪について、義について、裁きについて、世にその誤りを認めさせます、とあります。
ここでその方、これが聖霊様ですね。
聖霊様が来られると、人々は自分の罪、それを認めさせられて、
そして自分が罪人だと告白して、悔いあらためる、そこに導かれるんです。
これが聖霊の働きによるものです。
聖霊のバクテストを受けた人の証なんですね。
だから、罪の悔いあらためは、明確な聖霊のバクテストを受けた証であります。
そして、この救いの出来事が、聖霊の働き、聖霊のバクテストを受けたことに喜ぶのだと教えてくれる大事な言葉があります。
コリトリトリの女神、十二書三節です。
読み出します。
ですから、私はあなた方に次のことを教えておきます。
神の見た目によって語る者は誰も、イエスは呪われよと言わず、
また、聖霊によるのでなければ、誰もイエスは主ですと言うことはできません。
聖霊によるのでなければ、誰もイエスは主ですと言うことはできません。
ですから皆さん、私たちが、イエス様が救い主だ、神様なんだ、三名体の神様なんだ、
12:01
私たちのために十二日で死なれて、三日目によりかえられて、天に昇られた、
そして今、神の右の裏についておられ、やがて去りなさる、そのイエス様であることを信じるようになった、
これこそ、聖霊の働きだ。
聖霊のパクテスを受けたも明らかな証拠であります。
この救われた時、聖霊のパクテスを受けたということは、
実はただ一度起きたことなんです。
なぜなら、私たちは毎日救われるわけではないんです。
昨日もイエス様を信じて救われて、今日もイエス様を信じて救われて、また明日も救われる、
その救いが毎日ずっと起きるわけではないんですね。
だから、皆さんの私たちの救いが本当であるならば、それはただ一度起きた出来事であります。
だから、救われる時に私たちは聖霊のパクテスを受けたんだけれども、
救いに関して言うならば、聖霊のパクテスは過去のことなんです。
救われた時に受けたわけなんです。
そして、これは既に過去に起きたことですから、それだけでは不十分なんです。
それがこの次に続くわけなんですね。
聖霊のパクテスマは、私たちが心の中から自分のこの魂が本当に徹底的に自分の罪を悔やむために、
罪の許しと神聖の恵みを経験させていただくことであります。
これはですね、起きることは神様の超自然的な神の御業と恵みによって起こることであります。
実はですね、この水で聖霊を受けるですね、パクテスマを受ける。
この聖霊式、パクテスマというものは、よく考えたらですね、イエス様を信じなくても、
あるいは信じているふりをしても、あるいは実は信じていないんだけれども自分は信じていると、
勘違いしてその人はいくらでも、いくらでもと言ったらちょっとおかしいんですけれども、
聖霊を受けることはあり得ると思うんですね。
15:00
実は神様は信じていないんだけれども、聖霊を受けることはあり得る。
そして教会院になり得るということだと思うんですね。
その人が信じますと言うからですね、福祉もですね、それを信じて受け入れるしかないんです。
しかし、この聖霊のパクテスマを受けることは、本当にイエス様を信じる人のみ、本当に罪を食い慣れた人のみ、
本当に聖霊のパクテスマを受けた人だけの話。
人を欺むことはできるかもしれませんが、神様を欺むことはできないからです。
そしてですね、この聖霊のパクテスマとこの水のパクテスマが起こるタイミングもですね、状況によってそれぞれ違うことなんですね。
特にこの新約聖書の使徒の働きを見たら、興味深い事件が何箇所あります。
まず、舌のだらき樹脂を見たら、ローマの百人大長のコルネリオがいるんですね。
この人は実は水のパクテスマを受ける前に、聖霊のパクテスマを先に受けたんです。不思議なんですよね。
また、舌のだらき橋を見たら、このサマリアの人々はですね、水のパクテスマの後に聖霊のパクテスマを受けました。
また、舌のだらき第二章のペテロの説教を聞いて、そこで罪を悔い改めた人々は、そこで罪を悔い改めてイエスサマを信じて、
水のパクテスマと聖霊のパクテスマをほぼ同時に受けたケースと言えると思います。
ですから皆さん、少なくとも、この舌のだらきの状況から申し上げますと、
水のパクテスマを受けなくても、聖霊のパクテスマを受けた。それが起きるということです。
あるいは、水のパクテスマを受けたんだけれども、聖霊のパクテスマを受けられないこともあるということです。
あるいは、水のパクテスマと聖霊のパクテスマを同時に受けることもあるでしょう。
なぜなら、聖霊様は神様ですから、何にもどんな状況にも誰にも縛られる、拘束されない方であられるからなんです。
まとめて申しますと、朝日は救われた時、聖霊のパクテスマを受けました。
18:02
救いが本当ならばの話ですよ。
そして、この聖霊のパクテスマは、救いのことに関わる聖霊様の働きですから、
救われた時、一回きり、もう一回だけの聖霊の働きであります。
そして、その後、続きが必要なんです。
だから、聖霊のパクテスマは、救われた時、一回受けて、それでいいよ、それで継続しますよ、そういうことではないんです。
2番目でお話をしたいということは、聖霊のパクテスマを毎日毎日、瞬間瞬間、聖霊に満たされること、
聖霊のパクテスマを毎日受けるということであります。
これは、信仰と人格の変化であり、聖化のことであります。
聖霊様は、人格を持ったお母さんです。
私たちを助けてください。
共感してくださり、慰めてくださり、アドバイスをしてください。
私たちと共に悲しんで、喜んでくださるお母さんです。
私たちの心の中に、霊の中に、神様を愛して、誓い求めて、霊廃したい、祈りたい、神にお会いしたい、その霊を熱くしてくださる方が聖霊様であります。
今はですね、このように教会道に一緒に集まって霊廃できないでいます。
このネットを見てですね、霊廃を皆さんが守ってあられることを感謝します。
そんな中でもですね、お家で、今この動画の霊廃を捧げながら、本当に切なる心を持って、神の臨在に満たされて、聖霊に満たされて霊廃を捧げる方もおられることです。
それはですね、聖霊の導き、聖霊様の満たしによって起きていることなんです。
私たちが毎日、毎日、瞬間、瞬間、聖霊のパフェスマを受けるならば、聖霊に満たされるならば、私たちの信仰に、人格に、人生に大きな変化な成果が起こるんです。
当然ですね、聖霊様が私の家におられる。そしたら、その方は生きておられるんですね。
人格を持っている、力を持っておられるわけですから、その聖霊様に影響を受けるはずなんです。
21:08
聖霊様が生きておられて、働きかけてくださるんですね。感度を与えてくださる、感化して影響を与えてくださるお方なんです。
聖霊様、新しい命を吹き込んでください。罪を気付かせてくださる方です。清めてくださる方です。
だから皆さん、聖霊のパフェスマを受けた、聖霊に下された、その証拠は何なのか、その人が変えられます。
イエス様のように変えられます。聖霊のあの日のように変えられます。
信仰が変えられ、清められ、人格が変えられ、生き方が変えられます。
聖霊様に満たされているから、当然影響を受けるはずなんですね。
言い換えますと、聖霊のパフェスマを受けているということは、この聖霊様に捕らわれることです。
その方が私たちを全て丸々収めてくださる。
だからその聖霊によって、私たちの信仰が、人格が、言葉が、行いが、新しくつくられるんですね。
聖霊様によって、聖霊のパフェスマを受けている人は、この罪の上に歪んでしまった神の形を回復してください。
打ち鳴る人を強くしてください。新しくしてくださいんですね。
その結果としてどんなことが起きるんでしょうか。
聖霊の御霊の身が結ばれるんです。
これが明確な聖霊のパフェスマを受けた結果であり証であります。
聖霊様が一人の人の心の中に、人生の中に生きておられ、働いておられるならば、この人は聖霊の御業に、働きにですね、従います。
そして、聖霊のパフェスマによって、この聖霊様の身が豊かに、豊かに結ばれます。
からでは一人の手紙五章二十二、二十三節に書かれていますね。
見たもの身は、愛、喜び、永遠、寛容、親切、善意、誠実、乳は、慈悲です。
24:02
このようなものを禁じる律法はありません。とあります。
一言で言うならば、イエス様の品格、品性、人格のように変えられるということなんです。
これを聖歌とも言えると思います。
ですから、聖霊のパフェスマを受けている人の証は何でしょうか。
それは、その人の人格が、品性が、信仰が、生き様が、イエス様のように変えられることです。
清められることです。聖霊の身を豊かに結ぶことです。
そして、この聖霊のパフェスマによるこの証というか、この変化はですね、一回きりで終わるのではないんです。
そういうものではありません。
まるで私たちがずっと息をしていることのように、毎日毎日、瞬間瞬間、続けて続けて、聖霊のパフェスマを受けなければならないんです。
生きている限り、聖霊のパフェスマをずっと受けなければならないんです。
この言から見れば、聖霊のパフェスマは、もう現在進行形です。継続的なものです。
今日は今日の聖霊のパフェスマを受け、明日は明日の聖霊のパフェスマを受けながら歩んでいくことなんです。
エペソリテの手紙4章30節には、神の聖霊を悲しませてはいけません。
あなた方は、贖いの日のために、聖霊によって承認をされているのです。
また、エペソリテの手紙5章19節には、煮玉を消してはなりません。
また、エペソリテの手紙5章18節には、また酒に酔ってはいけません。
そこには、宝塔があるからです。
煮玉に満たされなさい、とあります。
この御言葉は、実は全国、今、現在のことなんです。
今、消してはいけません。今、聖霊に満たされていなさい。
今、神の霊を悲しませてはいけません、ということなんです。
今日も明日もあらても、ずっと、ということであります。
毎日、毎日、聖霊の導きを受けて、聖霊様と共に歩んで、
聖霊のパクテスマを受けて、満たされて歩むことを切に願っております。
ローマ書8章14節を見ると、
27:00
神の御霊に導かれる人は、誰でも神の子供です、とあります。
だから皆さん、私たちは、聖霊のパクテスマは、
過去の何かの、あの瞬間、完成できる、そういうものではないんです。
毎日、毎日、聖霊のパクテスマを受けなければならない。
聖霊様に満たされていなければならない。
聖霊の支配を受けて、変えられる、ということなんですよね。
そのように、毎日毎日、聖霊のパクテスマを受けながら、
聖霊に囚われて歩む信者は、聖霊の人であり、神の人であります。
そしてこの信者は、愛の人、忍耐の人、神の人に変えられていきます。
清められていきます。
その人は、聖霊のパクテスマを受けた人であります。
今までの訓書16章8ペースを見ると、
その方が来ると、罪について、義について、裁きについて、
世にその誤りを認めさせますと、あります。
ですから、聖霊様に揺らがければ、人は自分の罪に気付くことができないんです。
認めることができないんです。
悔い改めができないんですね。
だから、若さ者が自分の罪に気付かされている、自分の罪を悔い改めている、
認めて、告白して、主の御前に自分の罪を悔い改めているならば、
そして清められているならば、その人は、その時、聖霊のパクテスを受けたということであります。
しかし皆さん、逆に見ますと、教会生活をいくら長くしたとしても、
聖霊のパクテスを受けていない人は、聖霊に満たされていない人は、
あるいは、聖霊の満たしを求めないでいる人は、
その信仰や品性や人格がなかなか清められない、変えられないということがあり得るということであります。
聖霊のパクテスも受けていないから、聖霊様に囚われていないから、
聖霊に従っていないからでしょう。
インスタグラムを救い主として受け入れた瞬間、私たちの品性や信仰は、
30:03
この聖霊によって変えられることが、変化が、スタートしました。
まだ完成はできていませんが、スタートできたわけなんです。
でも、スタートしたとしても、そこにずっと立っていたら、受けないんですよね。
スタートしたならば、走り続けることなんです。
聖霊に満たされ続けることなんです。
聖霊のパクテスも受け続けることなんです。
ずっとなんです。
そして、その聖霊様は、神の霊です。神様なんです。
だから、その方が変えることができない人はいないんです。
いくら弱い人だとしても、いくら強い人だとしても、
聖霊様が感度を与え、恵みを与え、変えることが難しいな、
そういう人はいないんです。
だから、聖霊に満たされていれば、
聖霊のパクテスが受けているならば、必ず清められます。
必ず変えられます。
聖霊様がそれを一生の間、私たちの一生の間、
それを働きかけて、一緒にいてくださって、
広めて、新しく作ってくださるんです。
最後に、無価の悔い書、十一書、十三節を見ると、
感謝の御言葉があります。
お読みいたします。
してみると、あなた方も悪いものであっても、
自分の子供には良いものを与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天の父が求める人たちに、
どうして聖霊をくださらないことがありましょう。
天の父が求める人たちに、どうして聖霊をくださらないことがありましょう。
とありますよ。
私たちが聖霊の満たしを求めるならば、
聖霊のパプテスマを受けたいと求めるならば、
いくらでも、私たちの天の父なる神様は、
子供なる私たちに、聖霊を見たまをくださるんですよ。
神様は、私たちを聖霊に満たすことを、
もう望んで熱く願っておられるお方なんです。
昨日は昨日、今日は今日、明日は明日の、
聖霊のパプテスマを受けて、
聖霊に時には砕かれて、
聖霊に時には慰められて、
聖霊に協力を得られて、
そして、その聖霊に従っていくならば、
聖霊様が私たちの人生に、家庭に、教会に、この国に、
私たちの想像を超える素晴らしいことを、
起こしてくださるんじゃないでしょうか。
33:00
これを神様が願っておられるということであります。
この神様は、一生の間賛美して、
聖霊に満たされて、
神のために歩んでいく私たちでありたいと切に願います。
33:17

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