神様が計画を持って救われ またキリスト者にしてくださいました。
それは私たちが資格があるからではなく その理由が私たちはわかりません。
これから大事なのは救われた後のことが大事です。 神様がなぜ私たちを救ってくださったのか
救われたところにはどんな計画を持っておられるのか それを私たちが神様に問い聞いて
またそれをして救われたものとして確かな生き方を 目的を持っていくことができればと思います。
これが大事です。 私たちを救われたのには基本的に2つの理由があります。
1つは 私たちみんなは悪魔のもとから生まれます。
アダムが罪を犯して罪を犯す者は悪魔に直しますと言ったから アダムの子孫として生まれるすべての人は悪魔に直されて
悪魔のもとから生まれます。 一番必要なことは悪魔のもとにいる私たちを悪魔のもとからそれを救ってくれなきゃいけません。
それが一番大事なことです。 また悪魔のもとで生まれて悪魔の属性に従って
汚い欲望を持って穢れた人生を過ごしてきた私たちが そこから逃れてこれからは神の子供らしい
清い生活 正しい生活をさせるために神様が私たちを救われたんです。
これが何より大事な目的で私たちが最優先的に救われなきゃいけないし 救われた者として清い生活を行う
このために神様は私たちを救われた。 二番目
私たちみんなは神様から何か各々使命があるから神様は私たちを救われた。
一つはまず悪魔のもとから救われ 清い生活をするために
生まれた。もう一つは私たちは神様からいただいた使命があるからこの世に来て この世で今私たちは生きているんだとこの2つ
神様から与えた使命を担うときに神様は栄光を受けられると言っています。 ここで大事なことです。
私たちは清く変わった生活がなくても 主のために頑張って大きな実績
また偉い偉そうな見技何かいろいろなことをたくさんやったら これで神様が喜ぶんじゃないかと私たちは思い勝ちです
しかし私たちが清くならなければ いくら主のためにたくさんの働きをしたとしても
神様は喜びません なぜなら神様は私たちが行った結果を見るんじゃなくて
なぜこのような働きをしたのか心の動機とその過程 過程を見るからです
心の動機が清いその過程が正しくやるなら この結果は神様がなさいます
しかし私たちがいくら頑張るんだってもう悪い動機を持って あまり良くない動機を持ってその過程も
人本主義立法主義たくさん使いながら私たちが働くなら 神様はそのような働きは受け入れてくださいません
なぜなら神は清い清くないものを受け入れることはできない 神様のご自身の属性があるからです
ですから私たちは何か良い結果を残すよりは 正しい動機また清い過程を通して働くことが大事です
そのためにまず私たちが救われなきゃいけないし 清い生活をしなければなりません
その清い生活を通して私たちは主の御業に用いられる時に 神様が喜んで受け入れ そのすべてに対して大きな報いを私たちに与えてくださるんです
さて使徒ペトロはペトロ書館を書く時 ペトロは立派な先生 使徒として素晴らしい人物でした
しかし昔々ペトロはどんな存在だったのか 仮は仮来の海辺で漁師として魚に全てを懸けて生きる人でした
魚をたくさん捕れれば笑うし たくさん魚を捕れることができなかったら泣く
魚によって泣いたり笑ったり泣いたり笑ったりする人生 毎日の目的は魚は今日は少しもっとたくさん捕れるように
魚を捕れたら家に行って喜んで喜んで過ごすんですけど 次の日魚が捕れなかったら泣きながら挫折して落胆する
魚一匹で泣いたり笑ったりする人生でした しかし彼がイエス様に出会ってから救われ
もう人がゴロッと変わって そして初代業界の主役として偉い
霊力に導き 十万な人としてペトロ召喚を書いたんですね
皆さんペトロ召喚を聞いて書いたのはマルコを書いたんですけど そのペトロ召喚ほど霊力のパワーが強いものはありません
素晴らしいでした 彼はそれで初代業界の大勢の人に影響力を及ぼし
それで彼は行く時にある時は死んだ人が生かされ 病気が癒やされ悪霊が追い出され大きな身業を行われるようになりました
そのすべてを経験したペトロとして ローマの白外の中にある初代業界の人たちにお勧めします
あなたたちは神様とイエスキリストによって 十字架の恵みによってあなたたちは
尊い恵み 救い また天国を預かるように与えるように定められた人です
神様あなたたちに大きな約束を与えてくださったんですけど 一つはイエスキリストがあなたたちを救うために再び来られる
またあなたたちは新しい天と新しい地に入って これから永遠に栄光の中で過ごされる人だよということを言います
皆さん私たちはイエス様が再現なさったら 神の子一児の婚礼があります
子一児の婚礼が誰のためですか これはみんな私たちのためです
私たちはイエスキリストの花嫁として 神父としてその結婚式のために準備されます
もともと結婚式は神老のためではなく 神父さんのために結婚式があります
神父さんは結婚式のために美しいドレス美しい姿で一番 女性の人生の中で一番美しい状態が
結婚式の花嫁ということです 神父たちがご一児の結婚式のために準備するときに
世の中の人々はどうなりますか 地獄に行くための裁きを準備しています
私たちはもうイエス様との結婚式を準備するときに 信仰ない人たちは裁かれて地獄に行くために準備している
皆さんこれを考えるときに私たちはどれほど素晴らしい約束 素晴らしい将来が与えられていることでしょう
これから私たちにはイエス様の再臨があります またご一児の婚礼に参加することがあります
その間に地上では地獄に行くために裁きを行われます その後すべてが終わったら新しい天と新しい地が与えられます
私たちはその新しい天と新しい地 天国に入ってこれからイエス様と共に永遠に永遠に祝福の中で生きるものです
考えてみてください これが後ほど私たちに与えられる素晴らしいことです
5年ほど私たちは素晴らしい約束が与えられているものとして 最後の人生の最後にこの地上の中で私たちがやるべきことがありますけど
それがキリストの花嫁としてふさわしい すべてを備えることです
また22章にはご一児の婚礼に対するたとえが出てきます 22章2節に天国はある王が王子のために婚礼を催したのと似ています
ある王様が自分の息子王子のために結婚式を準備します そして結婚式のために大人しい人たちを招いたのです
しかし結婚式に招いた人は誰も来ていません いろいろな理由があって誰も来ていません
それがユダヤ人たちがイエスキリストを受け入れなかったことをこのように表現しています ですから王様は
この招待した人じゃなくて他の人たちは全部呼び出しなさい 他の人ということは違法人たちを意味するし
みんな私たちを意味します 違法人たち資格は関係ない誰でもいいから王子のための結婚式に呼び出しなさい
そして他の大勢の人々を招待しました それでおびただしい人たちが
王子との結婚式に参加しました ところが結婚式が行われる時によく見ていますと
ある人は結婚式に必ず必要な礼服を着ていないまま来たのです
ですから王様は 私の王子の結婚式なのにどうしてこの人は礼服を着ていないで参加するのかと
思いながらその人たちをこの人に対して マタイの22章11節から13節を見ますと
この男の手足を縛って外の暗闇に放り出せ そこに泣き喚いて吐きしりをするだろう
違法人たちを招いたんですけど その違法人の中である人を見たら
結婚式に必ず着るべき礼服を着ないまま 結婚式に参加してるんですよ
じゃあこれが何かと言いますと 私たちがいくら恵みとして恵みで救われ
まあ資格がないんだけど神様が招待してくれて 婚礼のパーティーに招待されたとしても
婚礼のパーティーに参加するためには 相応しい礼服を着るべきではないかということです
いくら私は資格がいらない 救われるのに恵みとして救われるんだとしても
ご一人の婚礼のためには礼服が必要じゃないか なぜそのことを備えられなかったのかということを
王様が今怒っていることです 私たちが必ず着るべき
相応しい礼服を備えるために イエス・キリストが十字架で死んでくださいながら
私たちの罪を全部清めてくださいました また聖霊様は怒られて聖霊の心地の実りを結ばせてくださり
それで祈祷されるだけではなく 聖火・栄火の糧を通して私たちを神の本性に預かるような
この素晴らしい働きをしてくださいました
それでキリストの花嫁としての 私たちの全てを備えてくださったのに
それを無視して私たちはもう恵みで救われることだから 私たちはもう行いはいらないと思いながら
礼服を着ていないまま結婚式に参加する人がいたということを 今日の聖書が教えてくださいました
みなさん神様がなぜ私たちを救われたんでしょう なぜイエス様は十字架で死んでくださったんでしょう
なぜ聖霊様を送ってくださったんでしょう それは後一時の金霊に礼服を着らせてくださるために来た
神の本性に預からせてくださるために 神様もイエス様も聖霊様も私たちのところに来られて
いろいろ働きをしてくださったんです ところがキリストを支派だと言っているのに
教会に通って礼拝を捧げているのに キリストの花嫁としてふさわしい神の本性を持つことができなかったら
神様がどれほど気の毒だと思われるでしょう 今まで待っていたのに
神の本性に預かることができなかったら これからまた何年かかったらあなたは
キリストの神父としての準備ができるだろうか 神様は本当に気の毒だと思っておられます
ですから使徒ペテロは 信じる私たちがなぜそのような準備ができなかったのか
これから私たちは神様が願っておられる 神の本性に預かる準備をしましょうということで
初代教会を迫害されている初代教会の皆さんに書き送った手紙が ペテロ第一の手紙とペテロ第二の手紙です
第二の手紙1章1節1章の5節7節こう言います だからあなた方は力を尽くして信仰には毒を
毒には知識を 知識には知性を 知性には忍耐を 忍耐には信心を 信心には兄弟愛を 兄弟愛には愛を加えなさいと言います
皆さんこの一つ一つ非常に大事なことです 私が新学校に通っているときにあちこちから集まった新学生たちが大勢いました
特に私みたいな韓国から出身の新学生もいました 日本の新学生たちはあまり信仰信仰という話はあまりしません
韓国から来た人はね 信仰信仰キリストキリストと言いながら信仰信仰
強すぎるんです しかしよく見てますと信仰と言うことは強いんだけど
よく見たら生活はあまり ついていかない
この部分があって私はその部分でこっちには信仰だけど 生活は全く信仰じゃないんじゃないかと思って私はつまずいたことがたくさんありました
これが問題です 信仰にふさわしい毒がないんです
信仰に必要な毒 だから神様は信仰信仰言うだけじゃなくて毒が必要だよと言っています
ところが信仰と毒はあるのに 知識がないんです
皆さん 福井書で見てますとユダヤ人たちがイエス様を落とし穴に入れるために高価値な質問をします
会員の現場で捕まえた女を連れてきて モースは石で打ち殺せと言いました あなたはどう言いますか
石で打ち殺せと言っちゃったら これは植民地であるイスラエルは人を殺す権利がないからローマに捕まえることになります
また許してあげなさいと言ったら 怒っている群衆からイエス様は怒られるかもしれません
本当に高価値な質問ですね またある時にはローマのシーザー皇帝に税金を払うべきですか払わないといけませんか
税金払ったらいけないと言ったらローマに捕まえていくでしょう 税金を払わなきゃいけないと言ったらイスラエル人たちが怒るでしょうね
いろいろ難しい質問をする時に その時イエス様が間違えて答えてしまったら イエスはキリストとしての御業がこれで終わりです
本当に大事な 知恵が必要です知識が必要ですイエス様はうまく答えられました
だからお年寄りにいようとする人たちはみんな逃げてしまったということはあります 私たちは信仰に徳を 徳に知識を備えなきゃいけない
また知性 忍耐が必要です 信仰もいいし普段方針を熱心にしてるんだけど
たびたび教会で爆発する人がいます 何とか怒っちゃってそれでもうフィルムが切れちゃったのか
いい人だと思ったのに怒ることを見ちゃったら この人違うんだなと
その時私たちはたびたび失望する時があります 今までうまくやってたのに一回爆発したらもう全てがダメになってしまう
だから私たちは知性忍耐が必要です でもその上
信仰生活を今何十年やってるのに未だに 未信者たちが信仰者はタバコお酒飲まないんじゃないですかと言ってるのに
かっさかに何とかそれを断ち切ることができない また信仰者なのにまあ乱な何とかがあっていろいろ悪いこと
牧師たちの間にいろいろな事件が起こりますね そのことを起こっちゃったら
教会から信者たちがもうさーっと去ってしまいます なぜなら世の中の人はそんなことをしない
なんか表には偉そうにやりながら裏にはこんな汚いことがあるんだとしたら どうしましょうかね
だから信仰生活の中で私たちはこの経験な生活 これが非常に大事です
またその上 兄弟愛と愛がなければ神は愛だと言いながらその人を見たら愛が全く見えない
その時に教会につまづきまた信徒たちにつまづく場合があるでしょう これがすべて結局五一寺の婚礼に入る
礼服を着てないことなんです 私はそのままそのような姿のまま最後に五一寺の婚礼に参加したら
神様からあなたはなぜ礼服を着てないのとして そして礼服も婚礼から追い出されるかもしれない
だから私たちは今私は婚礼のこの礼服を準備しているのか よく考えてみなければなりません
私は1990年 何でしょう
牧師としての知識は持っています 知識は他の牧師より負けないように頑張って知識を得ているんだけど
他の牧師先生たちが持っているこの人格 イエス様に見慣れたこのような姿勢を持っているのかと言ったら
礼服を持っていない私ではないかと思います 終わりが近づいた今
イエス様が再臨なさる時も近づいているし それよりもっと早く私が死ぬ時も近づいているところであります
その時に私たちはイエス様が願っておられる 神の子供とらしい神の本性に預かる者としてのこの
人格また内面性を持つことができればと思います 神様は私たちが偉そうな立派な働き立派なことをやるよりは
イエス様に見習った 神の本性に預かる者としての内面性を持つことを願っておられます
これからどうすればいいのか 聖書は2つを教えてください
私たちの模範であるイエスキリストを知ることに 熱心にやりなさいと言います
どうすればいいのか これから他のこと 知識を持つことに これ今まで熱心にしたとするなら
これからはイエス様ともっと親しく イエス様と共に時間を過ごすこと
そしてイエス様を知り愛し その中でイエス様に聞き従う
この生活をするように私たちが熱心にやらなきゃいけない この時イエス様だったらどうされるかなということを考えながら
人に話をするし行動もするしそのすべてを行うことが大事です それを通してイエス様はこの時にこんな働きをされた
だから私もやってみよう 一つ一つ練習して実践しながらイエス様の後についていく
見習っていく生活を繰り返し練習していく そうするなら神の恵みが与えられてイエス様がなさったことを
私たちも真似できるようにしてくださるかもしれない それで私たちがますます清くなっていくでしょう
その時私はただ祈祷されただけじゃなくて 聖火栄華の過程をずっと進みながら神の本性に預かるものになるでしょう
もう一つは聖霊に満たされることです 皆さん聖霊10万ということは非常に大事です
私の自我が死んで私のうちに聖霊様が100% 聖霊様100%
だから聖霊様が私を支配して私の自我がイエス様に従うことができれば その状態を聖霊10万と言います
その時皆さん聖霊様は謙遜なお方です 聖霊様が私に100%10万となったら私はどうなりますか
謙遜な人になります 柔和な人になります美しい人になります
神様はこれを願っておられます 聖霊10万10万聖霊10万をやって足切れを追い出し病気を癒し
ああ素晴らしい素晴らしい私はこんな偉いこともできるんだよ こんな聖霊10万じゃなく
聖霊様は謙遜なお方だから聖霊10万になる時に私自身が謙遜になる また聖霊様は神を恐れ敬うお方だから
聖霊に10万される時に神を恐れ敬いながら礼拝者に変わります 誠の礼拝者がここに来て
ああ礼拝参加して祈るなら神様今週私を助けてくださり何とか成功して ああもう何とか何かお金を稼がせてくださるしこんなことじゃなく
心から何にも他のもう何の自分の自信欲がない 誠に神様だけを愛し神に礼拝する誠の礼拝者になる
また聖霊様は神に祈り求めるお方だから 聖霊10万になる時に心から祈りたい
神との深い祈りの中に入る 本当の祈りの人になるんです
本当の祈りの人は神の御心を要して神の御心を行う人になるでしょう そうです謙遜な人神を恐れ敬う人神様に真心のもって祈る人になるように
聖霊様を助けてください このような人になるなら神様はどれほど喜ばれるでしょう
皆さん ダビデが
神を愛して 神の神殿の1日が宮廷に1000日よりもっと素晴らしいと思いながら
神殿に留まりたい 神殿で神様を礼拝することを切にながって そこで賛美と祈りを持って神様を褒めたたえたように
その心で私たち神を求めるなら 神様はどれほど喜んで喜んで私たちを使ってくださり
神の御業を私たち全て示し全て行われるようにしてくださるでしょう そのようななる時にただ祈祷されただけじゃなくて
聖歌 栄歌を持って私たちが中一説を見ますと
こうして私たちの救い主 イエスキリストの永遠な御国に確かに入ることができるようになります
これがまことの救いなんですよ ただ私がイエス様信じるから天国に行く
こんな口だけの信仰じゃなくてこの世の神の本性に預かるものになった時に
やっと救いに至ったというほどのまことの救いになることができます それがなければ第一ペトロ一生九説には
神徒でありながらこんなことがなければ霊力な亡人だと言います これから7月私たちがやるべきこと
神の本性に預かるものになりたい ただ知識の信仰知識で何か使ってみる他の人よりもっと聖書よく分かっているよう
わくわゆるで偉そうなメッセージをするこんな偉い 口だけの偉い牧師じゃなくて
心が神様から受け入れられる あなたは本当の牧師だと言われるほど
このような心が変わった牧師になりたい このような私たちに清い集まりになるなら
これがまことの教会であり私たちが夢見ている新しい河袋の教会になるでしょう この時神様は喜ばれ私たちはよく使ってくださるし
最後の時の神の御業を私たちを通して全部成し遂げてくださるんじゃないかと思います じゃあ7月神の本性に預かるものになりたい
その願いを持って7月を最も年と近く イエス様に見習っていく精霊十万になっていく私たちになりたいと思います
お祈り出します 神様神様私たちを救われた理由は
救われて神の本性に預かるものにさせる また与えられる使命があるからだと
私たちを教えてくださいました 本当に今まで私たちは自分の心からのこの清さ
神の本性に預かるために私たちは何をしたのか考えるときに恥ずかしいことばかりです どうか神の恵みを与えてください
私たちは人生の残りの時間をこれから主を喜ばせる 心が変わるこのような牧師になりたいです
どうかどうか清い神徒としての主に持ち入れられる私たちにならせてください イエス様の皆を通してお祈り出します
アーメンアーメン