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2023-10-29 26:43

「ヒゼキヤの心情で」2023年10月29日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年10月29日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
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https://listen.style/p/tokyovinechurch/

イザヤ38:1-8そのころ、ヒゼキヤは死の病にかかった。預言者、アモツの子イザヤが訪ねて来て、 「主はこう言われる。『あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい』」と言った。 2.ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主にこう祈った。3.「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって 御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」こう言って、ヒゼキヤは涙を流 して大いに泣いた。4.主の言葉がイザヤに臨んだ。5.「ヒゼキヤのもとに行って言いなさい。あなたの父祖ダ ビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたの寿命を十五年 延ばし、6.アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはこの都を守り抜く。7.ここに主によって 与えられるしるしがあります。それによって、主は約束なさったことを実現されることが分かります。8.「見よ、わ たしは日時計の影、太陽によってアハズの日時計に落ちた影を、十度後戻りさせる。」太陽は陰の落ちた日時 計の中で十度戻った。

サマリー

彼は「ヒゼキヤの心情で」という対応をもってメッセージを分かち合い、先週の礼拝の出来事を反省し、日本の礼儀を思い出しました。彼らは危機をチャンスに変え、主の命を求めることが大切だと考えています。言葉、祈り、賛美、礼拝の大切さとそれらを通して豊かに生かされることを信じながら、自分の使命を果たすために健康で生きたいと願っています。

00:00
今日は、「ヒゼキヤの心情で」という対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
反省と初心への戻り
先週、礼拝の時間にあったこと、皆さん覚えていらっしゃいますか? 本当に皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
また1週間、私は私なりにやられたという気持ちで、 主の前でぼーっとしていました。
私の高齢化になった体にも問題がありますけど、 ある反面、礼拝を邪魔しようとする敵の攻撃ではないかと思いました。
とにかく牧師として、牧師の一番大事な働きは、 手術礼拝をしっかり守ることです。
手術礼拝を最後まで捧げることができなかったことを恥ずかしく思います。 幸い天道寺さんがこの困難な状況を収拾してくださって、
賛美と祈りで礼拝を締めくぐりをしてくださったことに 本当に感謝します。
これから1週間、たくさん考えました。
たくさん反省しました。 そしてこれからどうすればいいのか、
いろいろ神様に尋ねました。 その中で私にくださった感動を今日メッセージとして伝えたいと思います。
何より、宣教師は礼儀的な戦いの現場にいるのに、
私がそれを忘れていたことを、 それを覚えて悔い改めることになりました。
その間、私は日本宣教を夢にしたその時からずっと学んできた 日本の礼儀的な現実を
その間私は忘れていました。 それをもう一度今度考えることになりました。
日本の礼儀と宣教
日本は宣教師たちのお墓だと言います。 なぜ日本を宣教師たちのお墓だというのか、
日本に来て宣教しながら成功した宣教師がほぼいないからです。 なぜほとんどいないでしょうか。
みんな宣教師は初めは献身の思いを持って、 精霊に満たされて何とか何でもやりますという気持ちできます。
しかし宣教活動をずっとやってみれば、 日本は難しいな、うまく伝道もできないんだということをわかります。
難しい中で教会の神徒がいないから、 僕たちがみんな生活の混乱になっているし、
また 家族と子供がいる人は
家族と子供の問題にさらされます。 その問題がどれほど深刻なのか、
それに溺れてしまうという言葉を使っていいでしょうかね。 その中で悩み続けるときに霊力に弱くなってしまって、
ついには死んでしまうということです。 その壁が難しすぎるので、
日本にはやおよろずの神々がいるから、 宣教ができないんだと言い訳をみんなしているところです。
私はその状況を4つの畑の例えで考えてみますと、
良い土できた宣教者たちが 茨の地になってしまうのではないかということです。
ルカの8章14節に、「そして茨の中に落ちたのは見言葉を聞くが、途中で人生の思い患いに覆い塞がれて、
身を熟するまで至らない人たちがいる。」と言いますが、 結局良い土できたとしても、
世の中の思い患い、世の中の様々な問題に、 それを上手く神様によって、精霊に満たされて、
恵みによって乗り越えることができなければ、 問題に囚われてしまうんですね。
その問題に囚われてしまったら、霊力の力がなくなり、 結局茨の地になってしまう。
それで身を結ぶまで熟することができなくて、 結局結果はダメになるんじゃないかと思います。
私の場合は1995年度、日本に来て、 今まで約28年ですかね、30年くらい働きながら、
はじめはみんな初心ということがあります。 献身の思いということはありますけど、それを保つことはなかなか難しくて、
それでまた人間的に疲れていたと言いました。 だから悪魔にやられたのか、
結局先週は礼拝の途中に邪魔をされて、 礼拝は最後まで守ることができない状態になってしまいました。
しかし、それで終わるわけにはいけないでしょう。 こんなことをきっかけとして、
もう一度聖霊に満たされ、また霊的な武装をしっかりして、 また今まで油断してしまったと言いましょうか。
だんだん礼拝が習慣的、習慣的になってしまう。 牧師もそうですよ。
いつも真面目に聖霊十万で、初心で働くことができなかったことを、
深く悔やあらためながら、これからもう一度神様の恵みをいただいて、
本当に初心に戻って、この牧会を、この葡萄の木の教会の働きを、 これから続けていきたいと思います。
ヒゼキヤの祈りと命の息
ではどうすればいいんでしょう。 先週思いました。
それでふっと思い出されたのは、 ヒジキヤの事例でした。
今日読んでくださった聖書、イザヤ38書は、 ヒジキヤが病気になって、それで神様によって癒やされるんですけど、
そのヒジキヤ王の記事が書かれてあります。 その1節から8節まで簡単に申しますと、
その頃ヒジキヤは死の病気にかかった。 死の病気になった理由は何でしょうと言ったら、聖書には書かれておりません。
とにかく死の病気にかかったということです。 その時神様から使わされて、預言者イザヤが訪ねてきて、
主はこう言われる、あなたは死ぬことになっていて、 命はないのだから家族に遺言をしなさいと言います。
どれほどびっくりしたんでしょう。 家族に遺言しなさい。あなたはこの病気によって死ぬよ。
だからヒジキヤ王は、 どれほど自分に何とか
神様に何か言わなきゃいけないと思ったでしょう。 顔を壁に向けて、それで主に祈った。
壁に向けて主に祈ったということは、もうこれ神様しかないよ。 この他のことは私一切考えていません。
全身全霊で神様だけに向かってということです。 どのように祈りますか。
主よ、私が誠を尽くして、ひたむきな心も持って、 御前に歩み、
御目にかなおう、良い業を行ったことを思い起こしてください。 と言いながら彼は
涙を流しながら大いに泣いたと聖書は書かれています。 その時神様は
イジャヤを通して ヒジキヤに行きなさいと言います。
それであなたの負草、涙の神、主はこう言われる。 私はあなたの祈りを聞き、涙を見た。
皆さん私たちが祈る時、神様は私に耳を傾けて聞きます。 また涙を流すなら、神様は見て下さい。
神様が見て下さるし、聞いて下さるということは、どれほど私たちに安心でしょうか。
じゃあ見よう。私はあなたの寿命を15年延ばし、 アシリアの王の手からあなたとあなたのこの都を救い出す。
またこの都を守り抜く。私がしっかり守り抜くから安心しなさい。 その印として私はこのようなことを与えるよということは書かれてあります。
ヒジケイは自分なりに主のために精一杯真実に働いているのに病気になった。
皆さん、罪を犯してから病気になることもあるんですけど、
そうじゃない場合もあるんだということもぜひ考えていきましょう。 じゃあその時、私は主のために精一杯
イスラエルで皆さん一番素晴らしい神様がこの褒められる王様が3人います。 ダビデ、ヒジケイ、ヨシア、3人です。
この3人の中に入るこのヒジケイが主の病気になったということをどれほど 自分は理解できなかったかもしれません。
だから神様に訴える気持ちで祈ったでしょう。 神様は命の主観される方です。
私たちが生きるか死ぬかは神様が決められるんです。 私が生きたくても神様がもう死ぬということは死ぬ。
私が死にたいでも神様がまた頑張りなさいと言ったら行かなきゃいけない。 私たちが勝手に自分の命をどうすることもできません。
だから全てが主の手に、主の御手にあるから イザエは顔を壁に向けて他のこと一切見ません。あなただけですという気持ちで祈ったでしょう。
また彼はイスラエルを愛する心がいたされていたから 今アシリアの攻撃の中ではありませんか。
まだ私の次の王様もまだ決まっていませんよ。 この時私が死んでしまったらこの国はどうするんですか。
涙を流しながら大いに泣きながら彼は祈りました。 その祈りを神様はどれほど喜ばれたのか。
その祈りを聞いてくださってヒジキアの病気を癒してくださり 寿命を15年間延ばしてくださった。
それだけではなくアシリアの王の手から あなたとこの都を救い出してあげる。
またその後もこの都を守り抜くことを神様が約束されました。 この約束の正しさの印を
時間を逆戻りをしてしながら全宇宙を逆戻りをする印を通して この約束を確かだということを示してくださりました。
これから見ていますと 危機はすなわちチャンスです。
ヒジキアに来たこの危機 死ぬこのような状況が
ヒジキアとイスラエルに対してはチャンスでした。 なぜなら
危機が来るならみんな初心に戻るからです。 初心に戻るからです。
そして神様と新たに出会って 神様の命恵み
神様すべてを始めからやり直しをする気持ちで 神様との働きができるからです。
ですから私も今このような危機の中でヒジキアのように
顔を壁に向ける心で祈りたいと思います。 私は一番悔しいと思っているのは
私は主の前に真実にやりましたということを までは言えないところですけど
神様今ブドウの木教会は礼拝堂もありません 教会も今できていません
まだ次の牧師もまだ定まってないんじゃありませんか この場面で私が働きができなければ神様どうすればいいんでしょうか
また私が少し思っているのは 30年前に日本に宣教師として私は日本のために
救うために来た 日本のアブラムドという名前もアブラム付けながら日本に来て信仰の先祖としての働きができるようにと
その間にうまくできなかったんですけど 私なりには精一杯頑張ったんですけど
緑もない今のままで虚しく 私の使役を終えようとしたら心が痛いです
だから私を憐れてくださって もう一度私にチャンスを与えてください
これが私の気持ちでこれがヒジェキアと同じような気持ちじゃないかなと思います
皆さんヒジェキアが祈ったこと内容は1節から8節だけではありません 9節から最後の20節までは
ヒジェキアが祈りの時に何を祈ったのかが書かれています これ非常に大事なんで私はそれを読みながら
私なりにこれをやりたいという 神様にもう一度チャンスをくださいと言いながら
そのチャンスをくださるまでひたすら主に求めるべきことが ここに必要じゃないかと思いながら
私はこの次に永遠の命を続けてもらうことができるような 働きも並行していきたいと思います
創世記2章7節にはこう言います 主なる神は土の塵で秘道を形作り
その花に命の息を吹き入れられた こうして人間は生きるものになった
じゃあ私は死にかかっています どうすれば生きますか
そうです神様から命の息を吹き入れられたら 私は生きるものになります
死にません だから大事なのはこれから神様の命の息を私は十分に
吸収できる命の息を十分に受け入れられるような体制を持って そのことをやっていきたい
じゃあ命の息を吹き入れられるこの手段ということは何でしょう これが御言葉です
祈りです 賛美です
礼拝です もし
私はもうこれから生きたいという気持ちで今まではもう習慣的にまた義務的に 礼拝を守ったとするなら
これは生きたくて生きたくてこれからやるやるやりますので 皆さん生きたいと思っていらっしゃる方は私と同じようにやっていきましょう
じゃあ初めに命の息を吹き入れられる方法 初めは神の御言葉です
天地万物の初めに神様は御言葉によって天地万物を作られました 御言葉が入るとき命が象徴され生かされました
神の御言葉は人を生かす力があります 御言葉が大事です
ですから神の御言葉を素直で受け入れ それを黙想し何か刺されたダメだ間違えたってことがありましたら悔い改め
またああと思われ悟られたことがあったらそれを実践する その時御言葉の命が私たちの中で働きます
御言葉、祈り、賛美、礼拝
ですから皆さん何より大事なのは御言葉です ですから毎朝私たち宗法には朝と晩に2節2節ずつ読むようになっていますけど
その日常の糧 この命を得るために日常の糧をこれからしっかりやっていきましょう
聖書を読みながらああ間違えたと思ったら悔い改めましょう また聖書でこんな言葉があったのかと思ったらそれを受け入れて黙想しながら実践していきましょう
それをうまくやっていくときに御言葉が命になって私たちを生かしてくださると信じます 何より御言葉です
2番目は祈りです 祈りは霊的な呼吸と言います
皆さん人は呼吸すれば死にません だから私たちはひたすら祈りをすることが大事です
聖書の中で私は祈りの人だと思っているのはもうみんなそうですけど その中で特にダニエル
ダニエルは1日3回祈った人として有名です 朝昼晩
朝起きたばかりで祈る 寝る前に祈る
また昼の時間で何とか時間を作って祈る 10分でもいいです5分でもいいです
少し余裕があれば30分でもいいです とにかく息をする
息を引き続ける そうするなら死にません
息を熱心にやりましょう また皆さん
威厳の祈りの力ご存知ですか 威厳の祈りは私の霊が聖霊様と交わりをしながら
聖霊様がこれを祈りなさいという通り私の霊が祈ることが威厳の祈りです だから威厳の祈りは
神の御胸を知って祈ることになるので神の御業がたくさん行われる 神様が喜ばれる祈りです
ぜひやりましょう 威厳ができる方はぜひやりましょう
また聖霊に満たされて聖霊に導かれて 聖霊様がその人を許しなさいと言われるなら許しましょう
またこの悔い改めをされているなら悔い改めましょう 許すことと悔い改めることが罪と過ちによって死んでいる全ての部分を生かしてくださるでしょう
祈りを通して祈りは呼吸ですから 酸素が入って胃酸化炭素が出てくる
酸素が入る胃酸化炭素 この働きは私たちは生かす働きなので
悔い改め許すまた悟られたことを神様に実践する このことを祈りの中でたくさんやっていきましょう
また3番目は賛美です 賛美は神様が一番喜ばれるという
イザヤ43章21節
神様が私たちに作られたのは神の栄誉を賛美するため 褒めたたえるためだと言われるほど賛美は大事です
賛美は神様が喜ばれ また賛美をするなら悪霊が出てきます
ダビデが賛美をする時 サウル王に臨んできたその悪霊が出ていたでしょう
賛美はパワーがあります リズムに合わせて気持ちよく賛美することは意味ありません
心を込めて歌詞に心を込めて神様に捧げる賛美はものすごい力があります
賛美をしましょう また礼拝です
健康で使命を果たす
礼拝は神様に出会う手段です もともと礼拝の時間には神様が来てくださるから
神の栄光の光 癒しの光を十万に受け入れながら
そして神様を拝み また褒めたたえることが礼拝です
ですから一人でも共同体の礼拝でも 神を賛美しながら礼拝をするなら
この礼拝の場所には悪霊が出ていきます 家で問題があるなら
牧師を招いてそして家で礼拝を捧げてください 家が綺麗になります
悪しきものが全部出てしまって 精霊によって満たされる場になります
悪しき霊が入っているなら様々な悪いことが行います 悪しき霊は追い出さなきゃいけない
神様は命の源ですから 命の源である神様が私の家に豊かに来てください
これは何より大事でしょう ですから賛美と礼拝をしっかり守っていきましょう
そうするなら私たちは神様の命によって 豊かに私たちの中で毎日毎日命の力が吹き入れられるので
人間は生きるものになったという聖書の見言葉通り 創世紀2章7節が今も実現できるんです
このように見言葉 祈り 賛美 礼拝 それで持続的に命を大事に大事に受け入れる働きをこれからやっていきましょう
今までは礼拝を義務的に 習慣的に今日も行かなきゃいけないのかと思いながらやったとするなら
正直に僕氏もある時は礼拝を習慣的に行う時があります 悔い改めます
これからは生きるために 生かしてもらうために礼拝を捧げていきたいと思い
死ぬようになっている秘籍やが神様から生かされたように さまざまな罪過ち問題によって死にかかっている私たちも
この見言葉 祈り 賛美 礼拝 それを通して神様と壁に顔を向けて祈る気持ちで 神様に切磋なる心で
神様を求めるなら 私たちにも豊かな 命の働きによって生かされると信じます
それをしながら 私が願っているのは自分の十字架をみんな持っています
自分の使命を全て果たすまで 健康に働きたいです
病気にかかって何とか苦しみながら 使命をやらなきゃいけないのにという悔しさを話したくありません
神様私を健康に生かしてください 猛瀬のように120歳まで目がキラキラするように体に問題がないように
だから123歳まで働いたでしょう 私は今まだ 回復とリバイバル 私に与えられた自分の十字架はまだ纏わされていません
そのなのに病気になって 息子の世話になってもらうとかね
こんなことするなら邪魔になるんじゃありませんか そんなことをやりたくありません
私は神の下人ではありませんか 上から力を与えてください 命を与えてください
私は私の使命を全て果たすまで 元気に健康な姿でその働きを全て果たしていきたいです
主は私を生かしてください 私をもう一度チャンスを与えてください
秘石家に危機が来た時 秘石家が命がけて神様を求めた
その時神様がチャンスを与えてくださったように 主を私にも15年
元気にいけるように この間に主の私に任されたすべてを完全に
うまくやって天国に行けるように 主をもう一度私にチャンスを与えてください
憐れんでください 救ってください 癒してください 助けてください
というような気持ちでいっぱいです ぜひとも教会の皆さん 私とともに
秘石家の心をもって神様に祈っていきましょう お祈りいたします
主よ先週集中礼拝を導くことができないほど 礼的に弱まっていった私を告白します
憐れんでください 憐れんに思ってください
願うわくはぜひともぜひとも 永遠の命を強く注いでくださって
これから主の御業をもっとうまく担うことが できるようにしてください
健康を与えてください あなたのために精一杯元々初心に戻って
頑張っていきたいと思います イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン アーメン
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