アドベントとは
今日のメッセージの題目は、先週のメッセージの題目と同じです。
しかし、内容は異なりますので、ですから、再び来られるイエス様を迎える準備、その2という題をもって、今日のメッセージを始めたいと思います。
対抗説をアドベントと言います。
アドベントは、クリスマスの4週間前から始まります。
4週間、準備をすることですね。
また、4月になれば、四旬節があります。
その時をレントと言います。
レントは、イースターの40日前から始まります。
なぜ、4週間前から、なぜ、40日の前から始まるのでしょう。
それは、私たちがクリスマス、またイースター、
これが、
本当に大事で、私たちに、準備をする時間を、神様が与えてくださることです。
エースター2章を見ていますと、
エースターが、王の前に出る前に、いつから準備をするのか、
1年前から準備するんです。
王様の前に出る時に、1年前からずっと準備して、1年後、王様の前に出るとするなら、
天地を、
天地を作られた、創造主神様、全世界の持ち主である神様が、私たちに恵みをくださるとするところに、私たちが出ようとするなら、私たちはどのくらいを準備をしていかなければならないでしょう。
全く準備なしのまま、神様の御前に出るということは、失礼ではないでしょうか。
じゃあ、大事な大事な、このアドベントの時期、準備する時期ですけど、
準備で一番大事なことは何でしょう。
これは、お祈りだということを、今日申し上げたいと思います。
神様の働きと予言
まずはじめですね、神様の働きには特徴があります。
神様は、必ず、そのずっと前から、何があるんだということを、私たちに教えてくださって、
それから、長い時間を通して、それから、ある日、神様の、
神様の職場が行われます。
ですから、聖書の中で特徴は、予言という言葉があります。
イエス様の働きと関連して、聖書で度々登場する御言葉が、
それは、預言者イザヤを通して言われたことが、実現するためだった。
イエス様の働きは、預言者イザヤが、預言した通り働いたということを、
マッタイの2章、4章、13章、21章、
何回も出てきますね
イエス様の働きは今いきなり働いたんじゃなくて
800年の前から
預言者イザヤが
預言し続けてきたことを
イエス様は行ったということです
だからいきなり何ができたというなら
これは神様の御業ではないんじゃないか
と思うことも可能です
神の御業は
ずっと前から約束されたことが
行われることです
大事なのは準備です
神様は焦るお方ではありません
長い時期の前に準備して言われて
その御業をこの後成し遂げるんですけど
ノアの豪水は
豪水を行う前
120年の前からノアに行っておけました
120年間ノアは準備していた
イサクを与える前に
アブラハムに25年間長く祈らせました
モーセを与える前には
約何百年間イスラエル人たちが祈った結果
モーセが現れました
サムエルを与えるために
お母さんであるハンナが
どれほど苦労しながら祈ったでしょう
私たち一人一人を救われるために
神様は誰かに
神様は誰かに
神様は誰かに
たくさんの祈りをさせたと思います
その結果私たちお祈りお祈り
救われたと思います
これから救われる人も同じでしょう
私が伝導していきなり伝導ができる
これはありません
長い間祈って祈って祈って祈った結果
ある一人の人が救われるんです
リバイバルを送ってくださることも同じだし
イエス様の再臨も同じです
イエス様の再臨も長い年月を通して
祈った結果
イエス様の再臨が行われるんです
ですからそれと関連して
神様が救われた私たちにくださった
祈りの大切さと霊的な法則
大きな武器と言いましょうか
独剣があります
これが祈りの独剣ということですけど
マタイ中六章中九節にはこう言います
私はあなたに天の国の鍵を授ける
あなたが地上にいるときに
あなたが地上でつなぐことは
天上でもつながれる
あなたが地上で説くことは
天上でも説かれる
天の国の鍵は何ですか
これはお祈りなんです
私が地上でお祈りをするなら
天国の扉が開かれます
また私たちが地上で祈るなら
天国の扉が閉じられます
天国の扉を開くか閉じるかは
私たちの祈り時代だということです
私たちの祈りを聞いてくださって
神様が働かれるのです
これから見てますと
神様のすべての身業は
祈りによってできるんですけど
神様は地上で祈る
祈りの声を聞いて
天上で働かれるんだ
ということが分かります
これが霊的な法則と言います
これがもともと考えてみますと
地上で祈るときに
地上で祈る祈りの人がいなければ
神様も働くことができない
ということも考えられます
なぜそれを言うのか
天地創造のときから
神様は人間を作られて
人間に全世界の管理権を任せたからです
創世紀1章26節
神は言われた
我々に勝手通り
我々に利せって人を作ろう
そしてこの人間に
人にこのすべてのことを
信じることができるのです
支配させようとしました
管理権を委任した
代理者として
人間を作られた
ですから
この人間に
神の身胸をあらかじめ
知らせて
この人間が地上で祈らせて
そして神様が
その祈りの答えとして
働かれることが分かります
アモス3章7節
こう言います
まことに主なる神は
その定めに
定められたことを
しもべなる預言者に示さずには
何事もなさらない
皆さん
何事もなさらないということは
この預言者である
世の中の人間が
神の御声を聞いて
祈らなければ
神様の働きはできないということを
言われることができます
ですからこの地上で
神の御声を聞いて
祈る人は
どれほど素晴らしい人であるかと言われます
神の道路者
神様がこの人がいなければ
ご自分の働きができなくなるんですね
これはすべて
移民したからです
だから悪魔が何を狙うんですか
悪魔が大嫌いな人が
祈りの人です
また
祈りをすることを
神様が大嫌いだから
祈りを妨げます
だから皆さん
霊的な力がないときは
祈ろうとしたら眠くなる
だから皆さん
祈ろうとしたら
いろいろ散漫になって
なんとか集中できない
すべて祈りの邪魔です
サタンの働きです
ダニエルが
イエルサレムの帰還
バビロンに奴隷になっている
イスラエル人たちが
イエルサレムに戻っていくために
ダビデが1日3回
イエルサレムに向かって祈るでしょう
ダニエルを
ダニエルを殺そうとして
この敵たちが
死死のホロ穴に投げ込むこともあったでしょう
しかし神様は守ってくださいました
だからサタンは
祈る人を嫌うし
祈ることが一番嫌うんです
しかし神様は
祈る人を一番喜ばれること
それを考えながら
私たちは祈らなければなりません
では2番目です
では私たちが
どのように祈りを準備すればいいのか
大勢の人が言います
特に若い人たちが
こんな話をたくさんやります
祈ってみた
しかし神様は聞いてくれなかった
ということ
また祈りの答えがないから
神様が本当にいるのか
という疑う人もいます
またある人はこう言います
信じてみた
何にもなかった
信仰ということは何の役にも立たない
ということを人も言います
なぜ神様がこんなに
何かいろいろ疑わせることもあるのに
なぜ神様がこんなに何かいろいろ疑わせることもあるのに
なぜ私たちの祈りに
答えてくださらないのでしょうか
求めなさい
そうすれば与えられると
言われたじゃないですかと言いたいでしょう
なぜ神様が
答えてくださらないのか
これは聖書で
神様のいろいろなことがあるからです
じゃあこれを少し考えながら
これから私たち
祈りの準備をしていきたいと思います
神様からの
祈りの答えを聞きたいなら
じゃあこれ5つの答えを
読むことですけど
これをよく覚えていてくださればと思います
まずはじめに
神様が約束もさてない
してないのに
祈るんだって答えができますか
約束してないのに
祈ります
だったら約束してないことを
答えることはできますか
これ難しいでしょう
ペトロが水の上を歩きました
じゃあマタイの
中4章28節29節
人間が
水の上を歩くことができますか
しかしイエス様が
水の上を歩いて
船にペトロが乗っている
船に来ます
だったらペトロがなんて言うのか
主よあなたでしたら
私に命じて
水の上を歩いて
そちらに行かせてください
その時イエス様が
来なさいと言われた
だからペトロは船から降りて
水の上を歩いて
水の上を歩いているところに
進んで行ったと言います
イエス様は来なさいと言ったから
ペトロが水の上を歩いたんです
来なさいと言ってないのに
私は祈った
だから私は水の上を歩くよ
と言ったら
皆さんどうなりますか
水に溺れてしまうでしょう
約束されたことを
私たちが実現する
行うなら神様が
支えてください
与えてくださいしかし
私は約束していないのに
勝手に祈って勝手に働く
そうしながら
神様はなぜと言ったら
私は約束していないのに
と言われるかもしれません
だからここで私たちが
学ぶべき人がいます
ジョージ・ミューロという人は
ドイツの人で
イギリスで宣教師として
働きました
彼は93歳まで働いたんですけど
彼は
5万回の祈りの答えを
頂いた
93歳まで
多分約50年間
宣教師として働いたとするなら
毎年
1000件ぐらいの
祈りの答えをもらったということです
だったら考えてみてください
1日3回ぐらいは
祈りの答えが
必ずあったということでしょう
1日3回
祈りの答えがあったら
すごいじゃありませんか
1か月1回祈りの答えがあったとしても
そう思うはずなのに
1日3回といったら
毎日祈りの答えの中で
過ごしたということです
だから神の力を
自分はいつも
感じて
奇跡を体験しながら生きたということですね
彼の秘訣は
何でしょう
どうして彼はいつも
祈りの答えを頂いたのか
彼は祈る前に
いつも聖書を読みながら
あちこち探しながら
約束があるのかないかを
探し続けた
そうしてみたら
彼は聖書を
100回以上読む人になった
それで
発見した聖書があります
詩篇の68章の
6節です
神は聖なる宮にいます
みなしごの父となり
やもめの謳いを取り上げて
くださいます
じゃあここで
みなしごの父なる
みなしごたちの父であるから
みなしごに仕えながら
父である神様
このみなしごたちを
助けてくださいと言うなら
必ず助けてくださると信じた
ということです
だからみなしごの父だということを
考えながら
祈ったから
みなしごの父の思いやり
みなしごの父がみなしごたちが
飢えているときに
食べるものを与えてくださった
これをいつも考えた
私はできれば
これくらいに
ジョージ・ミュールが
どうして神の御声を聞いたのか
神の御胸をどのように発見したのか
それをみなさんと分かち合いたいと思いますけど
まず大事なのは
約束があるなら
この約束に
根拠にして祈るなら
答えが来ますよということを
みなさんに申し上げたいと思います
祈りの条件と妨げ
じゃあ約束があるのか
約束がないのか
祈るときそれをまず考えていきましょう
2番目
何か改めがない祈りは
答えがありません
イザヤ59章1節2節に
こう言います
主の手が短くて
救えないというのか
主の耳が鈍くて
聞こえないというのか
むしろお前たちの悪が
神とお前たちの間をへたで
お前たちの罪が
神の御顔を隠させ
お前たちに
耳を傾けるのを妨げるのだ
私たちの祈りは
祈りの妨げがあります
これが私たちが犯した悪
私たちが犯した罪が
私たちの祈りを妨げるのです
神様に届くことができないようにする
祈りの要素と効果
だから悪を取り除き
罪を悔い改めながら
祈らなければいけません
これをしないまま
祈るなら
どうなりますか
みなさん旧約聖書では
罪人が神の前に立つなら
死んでしまいました
それほど神様は
罪を嫌がります
だから祈る前に
罪のことがあったら
悪いことをしたとしたら
必ず悔い改めてから
祈らなければなりません
これが前提条件です
だからヤコブ5章16節
だから主に
癒しをいただくために
罪を告白しあい
互いのために祈りなさい
正しい日のり祈りは
効果をもたらします
正しい日のり祈りは
力がある
効果をもたらす
エリアの力は
ここから出たんです
エリアは主の前で
罪悪すべてを悔い改めながら
主の前に祈ったんです
だから天から火が落ちる
素晴らしい奇跡ができた
奇跡を見たいんですが
罪悪を取り除き
神様に
祈ってみてください
ここに加えて
もう一つ
皆さんに申し上げたいことがあります
神様は私たちの心を
見ています
サムエル・ジョーの16章7節
人は目に映ることを
見るが主は心によって
見る
ですから私たちが
正しい動機
純粋な心を持って
神様に祈ることは大事です
誤った
自分自身的な動機を持って
祈るなら
神様が
聞いてくださらない可能性があります
純粋な心で主に祈る
神様が
見る時
神は心によって見るから
神の心を見る時に
その時に
正しい、素晴らしい
この人こそ素晴らしい人だと
神様から認められる
祈りとして祈るなら
答えるはずがないでしょう
是非とも悔い改め
心を清くして
祈りましょう
そうするなら答えがあります
3番目
感謝と賛美を持って祈ること
神様は喜ばれます
じゃあ
詩篇を皆さん
祈りと関連して大事な
聖書がピリポール4章6節
7節
私はこの聖書をたびたび皆さんに
送ったりします
でも思い患いはやめなさい
心配はやめなさい
何事につけ
感謝を込めて祈りと
願いと捧げ
感謝を込めて祈りなさい
求めることを
神様に打ち上げなさい
そうすればあらゆる
神の平和が
あなた方の心と考えと
キリストによって守るでしょう
感謝を込めて祈ること
皆さん詩篇は
すべてが祈りです
祈りですけど
詩篇はどんな祈りなのか
感謝と賛美の祈り
なんです
だからイエス・キリストも詩篇の言葉を
たくさん引用して
語られたことが分かります
詩篇の103章1節
私は
心を尽くして感謝し
主の御前で褒め歌を
歌いながら祈ります
感謝と賛美を
持って祈ることが詩篇です
だから詩篇の歌を
持って祈るなら神様は
すべて聴いてくださるんです
是非とも感謝と
賛美を持って祈りましょう
以前中尾先生は
私が祈りましょうと言って
私が祈ったら
先生はギターを持って賛美をするんです
彼はもう
祈りましょうと言ったらいつも
賛美ばっかりしちゃうの
先生が進んでいる人
私がもう古くなっている人間
本当に私は
もう古いことばっかり考えるんです
先生は素晴らしい
賛美を持って祈るんですけど
私はそれを知らなくて
なぜ祈りなさいと祈り
賛美をするのかと思っていた
間違えました
是非とも皆さんも
賛美と祈りを持って
神様に祈ってみてください
詩篇の約3分の1は
ダビデの祈りです
賛美 感謝と賛美の祈り
どれほど喜んででしょう
私たちも賛美 感謝 賛美
是非祈るときに
使っていただければと思います
また4番目 大事なことです
良い行いを行いながら
祈ること
これが大事なんです
祈りと良い行いが
関係がありますか
祈ることと良い行いをすること
関係がありますか
皆さん
良い行いは
第一の戒めを実現すること
第二の戒めを実現しながら
祈ることを
神様はどれほど呼ばれるのか
喜ばれるのか
イザヤ58章6節から8節
断食に対して
いろいろ聖書があります
私が選ぶ断食は
他の聖書では
私が好む断食は
断食するとき
是非これをやってほしい
ということです
祈りと良い行いを行いながら
悪口による束縛を断ち
首輪の結び目を解いて
虐げられた人を解放し
首輪をことごとく折ること
さらに
飢えた人に
あなたのパンを先与え
彷徨う貧しい人の家を
家に招き入れ
裸の人に会えば
衣を着け
衣を着け
衣を着け
衣を着け
衣を着せかけ
同胞の助けを惜しまないこと
同胞の助けを惜しまないこと
このような良い行いをしながら
断食するなら
8節に
そうすれば
あなたの光は
明け者のように差し入れ
あなたの傷は
速やかに癒される
あなたの正義は
あなたを先頭し
主の栄光が
あなたの信頼を守る
私の後ろを守ってください
だから後ろから私を打つ人が
誰もいない
皆さん断食は
ただ断食しながら祈ることが
大事じゃなくて
断食しながらやるべきこと
もっともっと断食の効果を
もたらすように
良い行いを重ねて
あなたたちは祈るなら
祈りの効果が
ますます大きくなるよ
だから速やかに
癒しがたき速やかに
全てが来る
全てが主によって守られる
これを言っているんですよ
断食はパワーがありますけど
断食の時に
良い行いを重ねてやりなさい
これを聖書が教えてくださることです
また5番目
今日一番大事なことです
大きな働きこそ
たくさんの祈りが必要だから
諦めないでください
早く成し遂げられない
だって祈りを諦めないで
諦めたらいけないってことです
早くできない
祈ってるのに早くできない
これは大きなものです
皆さん神の御業
大きい御業と小さな御業が
ありますけど
それは祈りの量によって
異なります
メシアが来られることは
4000年間に祈らせました
それほど大きな御業だから
ところが聞いてみましょう
皆さんは皆さんの子供のために
どのぐらい祈ったんですか
またこれからどのぐらい
祈るつもりですか
子供のために
親は一生祈ります
親は生きている限り
子供のための祈りは
もうやむことはできません
なぜなら
それほど愛してるからです
ルカの18章1節に
イエス様がこう言います
祈る時に
気を落とさずに
絶えず祈らなければならない
じゃあここで子供のために祈った
代表的な存在が
ウグスティンの母モニカです
ウグスティンの
コンフェッション
ドゥ・コンフェッションという
告白論とかありますけど
その一部を私が読みましょう
ウグスティンがこう言います
私は熱病によって死に至りました
彼が住んでいたのが
アフリカの一番上
カルタゴというところに住んでいたから
多分そこで熱病が
いろいろあると思う
私が熱病によって死に至りました
私の霊魂の
滅亡が近づきました
死ぬなら私は
地獄の炎に落ちるしか
ありませんでした
その時私の母は
私のために切に
祈られました
そして神様は
母の祈りを
聞いてくださって私に
恵みを施して
健康を回復してくださいました
しかし
神を冒涜する私の心は
変わりがありませんでした
皆さん
ウグスティンという人は
どんな人かわかりますね
お母さんの祈りによって
自分の病気が死の病気が治ったのに
神の恵みによって治ったのに
神様に対して
冒涜する心は
変わりがなかった
皆さん
こんな人を見たら
皆さんその人のために祈ってあげたいですか
神の恵みによって
神を冒涜されたのに
神を冒涜することができますか
これは人間ですか
私だったら
このような人には
これ以上祈らない
祈るのを諦めるでしょう
しかし絶対諦めない人がいます
お母さんです
お母さんは
自分の息子が
自分の子供が
いくら悪いことをするんだとしても
いくら神様を
冒涜する人間に
怒ってしまったとしても
お母さん親は
子供を諦めることができません
だからお母さんが
続けて続けて
祈る
オグスティンがわかっています
またお母さんは祈りの部屋に入った
自分は悪いことをしながら
お母さんが祈る部屋に行こうと
見ているのです
お母さんが祈るのに自分は
間違えた道にわざわざ行くのです
こんな悪い人間がいますか
しかし彼が結構
彼は変わります
The Confessionという本は
そこから書かれたので
私は時間があればその本を読みます
それを見てみたら彼が
昔どれほど悪いことをしたのか
今は神様に対して
この恵みにどれほど感謝するのか
これはずっと書いてあります
本当に涙が出るほどです
母親である
モニカは希望を
失わないで続けて祈った
結局オグスティンが
悔い改めて
彼女として
新たに生まれました
皆さん神様が
三位一体の神様だったことを
誰が証明したのですか
オグスティンです
オグスティンがいなかったら
私たちの信仰は
神様はできないでしょう
だったら間違えた信仰を
持って続けていくかもしれません
オグスティンの変化と諦めない祈り
オグスティンのおかげで
神様は三位一体の神様
父なる神様
子なるイエス様
同じような愛と力を持って
私を支えてくださることを
信じている
これが正しい信仰じゃありませんか
これを教えてくださった方が
オグスティンなのに
オグスティンがこのように変わりました
祈ったのに状況が
ますますもっと悪くなっている時
みんな諦めるんです
しかし
諦めないで
信仰の目で希望を持って
最後まで祈られる人が
母親で
父親もやりますよ
親です
だから
この親の心で
祈ること
これが非常に大事です
こんな母親がいるなら
皆さんこの子供は
どれほど幸いな子供でしょう
私たちも子供たちのために
最後まで祈り続ける
親になっていきましょう
お願いします
諦めない祈りは
非常に大事です
もしアブラハムが
いくら待っていても
子供をくださらない
私はハラに戻って行こう
カルデオールに戻って行こう
と言ってしまったら
皆さんイスラエルもいなく
イサクもなく
キリスト教もありません
もしハンナが
神様をくださらないと思って
祈りを諦めたら
サムエルは存在はいません
ダニエルが
ドーハクに負けてしまって
祈りを諦めたら
イスラエルが
エルサレムに帰還されることは
どうなったのでしょうか
しかし祈ることは
必ず成し遂げられると信じて
諦めないで
最後まで続けて祈ること
必ず
結果をもたらしてくれ
諦めないほど
もっと大きな答えが
来るんだということを
アドベントの時期とイエス様の再臨への準備
ぜひ覚えてください
私たちが
約束を信じて祈ること
悔い改めながら祈ること
感謝と賛美で祈ること
善を行いながら祈ること
最後まで諦めないで
落胆しないで
祈り続けること
これさえ行うなら
神様から大きな大きな答えが
いつも与えられるでしょう
これが
ジョージ・ミュールが
体験したことではないでしょうか
3番目です
アドベントの時間
私たちがやるべき祈りがあります
アドベントの時間は
イエス様の再臨を準備する時間です
皆さんイエス様の
再臨と言ったら
必ず覚えるべき御言葉があります
これがマタイ24章14節です
そして
御国のその福音は
あらゆる民への証として
全世界に
宣べ伝えられる
それから終わりが来る
再臨の前に
地の果てにまで
福音が述べ伝えられることが
前提条件です
それから終わりが来ます
しかし地の果てにまで
福音が述べ伝えるためには
最後のリバイバルが来なければ
最後のリバイバルの力で
大収穫が行われて
それから
イエス様は再臨なさるものですから
再臨を求める人は
リバイバル
大収穫を
準備していかなければなりません
イエス様が始める
来られる時にも
何千年間祈りが必要だとするなら
イエス様の再臨のことも
私たちが祈らなきゃいけないんで
祈りの大切さと信仰の確信
今2000年続けて
祈ってるんじゃありませんか
最後に私たちも力を加えているでしょう
だから最後の最後のために
私たちは祈り続けることが
必要です
これが私たち教会のビジョンです
マルコ2章22節
新しいブドウ酒
新しいブドウ酒リバイバルは
新しい皮袋に入れるんだよ
だから新しい皮袋
準備をしなさいよ
ってことです
じゃあここで
皮袋の準備も大事ですけど
そこにもっと大事なのは
お祈りなんです
ですから今の時期にも
シメオンとアンナのような
最後まで祈り続ける
メーシアが
来ることを見るまで
祈り続ける人が必要です
イエス様の再臨を見るまで
私は決して祈りを止まない
祈りを休むことはないと
覚悟して祈る人が
必要だということです
この役目シオンとアンナの役目を
私たちがやりましょう
ということは
私たちの教会です
メッセージを終わりたいと思います
世の中の人々は
ただクリスマスということを
喜ぶかもしれないけど
準備する人がいなかったら
クリスマスがあったでしょうか
祈りの素晴らしさは
お金がなくてもできます
年寄りができるのは
祈りです
なぜなら
私は夜早く寝ます
12時過ぎたら起きます
12時から朝まで
何もやることがない
寝ながら
12時から
祈るしかない
ああ、年寄りになったら
祈る時間がたくさん与えられますね
天国に行く前にお前に
熱心に祈ってきなさい
と言われることかなと思いますけど
シメオンとアンナの時間
すべてを尽くして
メシアを待ち望む祈りをしました
私たちは
イエス様が再び来られることを
待ち望みながら
私たち年寄りたち
みんな頑張って祈りましょう
私たちは最後のリバイバルのために
イエス様の再臨のために
祈りましょう
世の中がいくら忙しいとしても
神様は
神の御業を成し遂げるために
代価を支払いながら
自分の時間を犠牲しながら
祈る人を
最後まで見守ってください
私は信じます
マタイ6章33節34節のことを
もう一度考えてみてください
何よりもまず
神の国と神の気を求めなさい
そうすればこれらのものを
みんな加えて与えられる
また、明日のことは
心配するな、思い悩むな
明日のことは明日を
思い悩む
その日の苦労はその日だけで十分だよ
明日のことを思い患うな
明日は私が
責任を取るからということです
私は最後の時の
災い
ものすごい怖い時期が
来ると言っているでしょう
聖書は
私一切心配しません
なぜなら
まず神の国と神の気を求めて生きるなら
明日のことは神様が
責任を取ってくださると言ったでしょう
心配する必要はないじゃないですか
何よりもまず
神の国と神の気を求めなさい
神様喜ばれることばかりやりなさい
そうすれば明日は心配しなくていいよ
私はそれを信じます
ぜひとも
それをやっていきましょう
だったら終わりが明日来るんだとしても
心配ありません
神様がちゃんと守ってくださり
全部責任をもって
私たちを導いてくださるでしょう
アメン
皆さん
人を見て落胆しないで
環境を見て落胆しないで
自分の弱さ
自分の過ちを見て落胆しないで
まず神の国と神の気を求める
また
新しい顔袋の教会
正しい働き
正しい信仰を求める
私たちのこの働きを
これからも熱心に
明けいきましょう
そうするなら神様はすべて
満たしてくださると信じます
イエス様の再臨が近づきました
私は
マラナタ主よ
来てください
アメン主よ
来てください
というマラナタの信仰
このアドベントの時期
私たちはぜひ持っていきたいと思います
お祈りいたします
私たちの祈りを喜んでくださる神様
イエス様の再臨のために
回復とリバイバルのために
シミオンとアンナのように
祈りを持って
神様に用いられる人にならせてください
祈りの霊をもっともっと
たくさん注いでくださり
また担うことができる
恵みを与えてください
イエス様の御名を通して
お祈りいたします
アーメン