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2025-03-09 44:14

「モーセ、決断する信仰」2025年3月9日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2025年3月9日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)ヘブライ-28 信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。その子の美しさを見、王の命令を恐れなかったからです。24.信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、25.はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、26.キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。27.信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいたからです。28.信仰によって、モーセは滅ぼす者が長子たちに手を下すことがないように、過越の食事をし、小羊の血を振りかけました。

メッセージ題 : モーセ、決断する信仰(ヘブライ-28)
*ヘブライ書11章は信仰の書と・・・神様が認められる信仰の僕たちを紹介しますが、アベル、エノク、ノア、アブラハム・・・今日は、モーセについて。モーセはどんな信仰を持てたので神様は彼を?
*モーセの信仰の秘訣は決断!決断の大事さ?モーセが成人して決断するように、どんな助けが?

1.モーセの話をしようとするなら、先ずご両親の信仰から・・・
*モーセは生まれながら死ぬべき運命を?出エジフト1章でその背景が・・・総理ヨセフ、ヤコブの家の移住、400年の時間、数えきれない人口、創世記1:28?エジフト王の悩み、イスラエル民を奴隷として、出産率を減らす方法として、出エジフト1:22。しかしモーセの母は2:2モーセを隠した。ここで、「かわいかったので!」どんな意味? 3か月後、なき声で隠すことができなく・・・パピルス籠に入れてナイル川に流した。 親として子供に対してどうすることもできないとき?詩編55:22 参考
*神様に委ねるとき、奇跡が・・・ファラオの王女が発見、自分の子とする、にゅうぼとして生母が。
#モーセの母は、短い時間、モーセを育ちながら何をしてたでしょう。イスラエル民族の正統性、神の約束、またお祈りを? その後エジフトの教育を受け、使徒7:22すばらしい話や行いをする者に

2.モーセの信仰の決断(ヘブライ11:24-26)
*その後、モーセは成長しながら・・・人生の深い葛藤!正体性の問題。一体、私は何者なのか?エジフト人?イスラエル人なのに、なぜ宮廷で過ごすようになったのか?同族は苦難を受けているのに、なぜ私は宮廷での豊かな生活を?←殆どの人は自分の正体性を隠してエジフト人ふりを!しかしモーセは、ヘブライ11:24,25ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで?気が狂ったのか? *ファラオの王女の子の身分を持ちながら、いくらでもイスラエル民を助ける働きが出来るのでは?しかし、モーセがこれからやるべき神の御業は、そのようなことでできる御業ではなかった。
#また、モーセの決断の裏にある価値観? 1)25節、宮廷の生活は罪の楽しみに過ぎない。詩編90:10 2)26節、与えられる報いに目を向けた。<-しかし、どのように、そのような霊的価値観を?
#その決断の代価は・・王女の子が→奴隷に。数多くの特権がなくなり、代わりに鞭と苦しみが
*そんな決断ができたのは11:24モーセが成人したから。神様は私たちが成熟することを願われる。

3.そのような決断をした後のモーセの生活は?
*イスラエル人にも、エジフト人にも受け入れない状態?荒野に!メデイアン人に身を委ね羊飼いとして、神様の霊的な訓練の時間40年。いよいよ神様に呼ばれ再びエジフトに!10項目の災いを通して出エジフトの御業が・・・決定的な事件は、10番目の長子の災い。そこで過ぎ越し事件
#救いの旅程。エジフトでの生活?ファラオの存在?ご羊の血と過ぎ越しの事件?紅海を渡る?荒野の40年?ヨルダン川を渡る?カナンの意味?=すべてモーセの人生を通して救いの旅程を。@神様がモーセを通して働かれたきっかけ?モーセの信仰の決断!その決断に役に立った母の働き

サマリー

このエピソードでは、モーセの信仰と彼の決断が語られ、彼が神にどのように用いられるかが紹介されています。また、モーセの両親が直面した状況と彼らの信仰の重要性が強調されています。モーセがエジプト宮廷での生活と神の民としてのアイデンティティの葛藤に直面し、その結果、信仰に基づいた決断を下す過程が述べられています。モーセの母親の教育と祈りが彼の成長に与えた影響や、彼が人生で直面する選択の重要性にも焦点が当てられています。このエピソードは、モーセの信仰決断の重要性を探求し、彼が迎える困難と神の約束を実現するために必要な成長について考察します。また、モーセの決断における母親の祈りや教えの重要性が強調され、子どもたちのための支えが将来の信仰にどれほど影響を与えるかについても語られています。

信仰の重要性
今日は、「モーセ、決断する信仰」という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
ヘブラリー書中1章は信仰の章です。 信仰の章、ヘブラリー書中1章は、神様が認められる信仰の人たちがたくさん書かれてあります。
私たちみんな信仰信仰と言いますけど、私は信仰によって救われましたと言いますけど、
神様が認める信仰、神様が喜ばれる信仰が大事です。
神様が嫌がれる信仰、神様が認められない信仰、それをもって神様と言ったら、神様が喜ぶでしょうか。
そうじゃないでしょう。
ヘブラリー書中1章は神様が認める信仰、喜ばれる信仰、
是非信仰の人、皆さんはこのヘブラリー書の中1章の人のような信仰をもってほしいと言われる人たちの名前がちゃんと書いてあります。
その一人一人は信仰が全て良かったんじゃなくて、信仰の大事な大事なファクトがありますけど、
そのある部分に優れた人もいました。
例えば、アベルの信仰、その人は礼拝ですね。
エノークの信仰、これは神様との親しい交わり、共に歩むこと。
また、ノアの信仰は最後の時の裁きをよく準備する信仰。
先週のアブラムは従順する信仰。
このある人の名前が出たら、この人の大事なポイントがパッと出てきます。
この人にはこれを学ばなきゃという。
今日もう一人の方を紹介しますけど、モーセです。
モーセはどんな信仰を持っていたので、
旧約聖書で一番大事な働きをされたと言われるほどの素晴らしい働きに
用いられることができました。
私は作家が生まれて考えたんですけど、
一人の人が世に生まれて、それで後になって天国に行きますけど、
この間に、一人の人が神様によく用いられる人になる可能性、確率、これはどのくらいだと思いますか。
世の中で今60億ですかね。
モーセの誕生と両親の信仰
その中で神様が喜んでおられる人になる可能性がどれほど低いでしょうか。
それほど世の中には誘惑があります。
苦難があります。
試練があります。
いろいろなことがあって、そこで妥協して、妥協して、やめて、やめて、
それでまあごく普通な人のように、まあとにかく食べて生きよう、
うまく食べてうまく生きることが一番大事だと思って、平凡な人生になってしまいます。
だから本当に主が思われる、願われる、そのような信仰を持って生きる人の可能性がどれほど低いでしょうかね。
だから一人の人として生まれて、100年過ごして、どこかに行きますけど、
100年の間にどんな生活をするのか、とにかく食べて生きる生活人として、
まあ死んだ時にはこれはどこに行くのかわからない、その存在なのか、そうじゃなくて、
100年の短い時間ですけど、その中で神様を喜ばせて、死ぬ時に天国に対する確信、
神様から栄光の冠が与えられるこの喜びを持って天国に入る、
これで永遠に祝福される、
そのような人になる可能性がどれほど低いのか、
その中で今日このような神様から喜ばれ、認められる、
そのようになるために大事なファクターがもう一つありますけど、
それが信仰の決断なんです、信仰の決断。
いやもうアブラモンも決断しましたよ、他の人もみんな決断しましたよ、
しかしモーセはどんな決断をしたので、神様は彼を喜ばれ、
旧学生数で一番大事な働きを彼に任せられたのか、
その部分を一緒に考えていきたいと思います。
モーセの話をしようとしたら、まずモーセのご両親の信仰をまず考えなければなりません。
事実はモーセは生まれながら殺されるべき運命の中で生まれました。
これがシュチュエットの1章に書かれてあります。
シュチュエット1章はヨセフという人物がカナンからエジプトに奴隷として売られてきて、
総理になって、総理になったことを聞いたヤコブの家がエジプトに移住するところから始まります。
初めに70人が移住したのですが、400年時間が過ぎるとあたって200万人くらい、
人間が70人から200万人くらいに人口がものすごい増えていきました。
イスラエル人たちは何を考えたのでしょう。
創世記1章28節、
埋めよ増えよ地に満ちて地を従わせよ、埋めよ増えよということがあったのでしょうかね。
エジプトの女性よりイスラエルの女性が強いですか健康でしょうか、分かりませんけど、
人数はエジプトの人よりはるかに増えていきました。
その時エジプトの王の悩みがありました。
このくらいイスラエル人の人口が増えていくなら、
エジプト人がイスラエル人たちに支配されるんじゃないかということもあり、
また戦争が起こった時にイスラエル人たちができに味方になってしまえば、
我々みんなダメになるんじゃないかと思ってエジプト王が悩みに陥りました。
どうすればイスラエル人たちの出産率をもっと減らすことができるか。
それで考えたのが、イスラエル人たちをエジプトの奴隷にしよう、
そして奴隷にして労働をかけました。
そうしながらイスラエル人たちの人口をとにかく減らすように、
いろいろな政策を考えるんですけど、なかなかできない。
神の計画とモーセの運命
それで最後にパラオが、エジプトの王が考えたことが、
シジプト1章22節です。
パラオは全国民に命じた。
イスラエル人たちの赤ちゃんが生まれる時、
男の子が生まれたら、一人残らずナイル川に投げ捨て、放り込めと言います。
女の子が生まれたらみんな生かしておけ。
男の子は全部ナイル川に放り込む。
これは王の命令なんです。
ですから、モーセが生まれた時、
モーセは男の子だからナイル川に放り込んで、殺されるべき存在でした。
ところがモーセのご両親は、ヘブラリショ中1章23節でこう言います。
その子の美しさを見て、王の命令を恐れなかったから、
モーセを3ヶ月間隠したと言います。
最近、伝道師さんから、サクちゃんがどれほど可愛いかという話を聞いて、
自分の子供は可愛くない親がいるでしょうかね。
みんな可愛いと思うでしょう。
しかし、モーセのご両親が考える時に、
モーセを見たら美しかったと言うのです。
これを私は他の聖書を色々調べてみました。
この他の聖書の中でどんな解釈があるのか。
何か、Something special。
何かスペシャルな何かがあるんだということを親は感じるのです。
そして、子供を殺さない、殺すようにしないで隠していきます。
皆さん、自分の子供を殺すのに渡す人がいますか。
しかし、王の命令だから、他の親たちはみんな自分の子供を産んだ男の子だったら、
もう殺すようにエジプトの軍人たちに渡すべき、渡してしまいました。
しかし、モーセのご両親はそれをやめました。隠しました。
もしそれが発覚されたらどうしますか。
殺されるでしょう。王の命令だから。
このような危険性にも関わらず、隠しておきました。
しかし、3ヶ月になれば、泣き声がますます大きくなって、これ以上隠すことができない。
そのところでモーセのご両親は、パピルスの籠を作って、
ここにアスファルトを塗り、その籠をナイル川に流されたと言います。
これは捨てたことではなくて、神に任せたと思っていいでしょう。
親として子供を育てるのに非常に難しい場面が来ます。
今、皆さん考えていらっしゃるじゃないですか。
思春期になって、親の話をこれ以上聞いてくれない正体もあり、
またモーセのような、今、王の命令がある場合があり、
また他のいろいろな事情によって、子供を親の何か力によってケアできない状態になったら、
皆さんはどう思いますか。
この時、今、私もそのようなことを一生考えています。
工夫工夫しながら祈っている時に、私に四編の五十後編の二十二節が与えられました。
あなたの重荷を主に委ねよう。主はあなたを支えてくださる。
主は決して正しいものが揺るがされることをなさらない。
あなたの重荷を主に任せなさい。主はケアしてくださる。支えてくださる。
そのところで大事なのは、神様は決して正しいものが揺り動かされることを許さない。
私はこれを今非常に考えているところで、
私がどうすれば神様が、私が任せられた子供の問題を神様がよく知ってくださるか考えたら、
私が主の前に正しい人になれればいい。
私が主が見られるときに、正しいものなのか正しくないものなのか、
これをずっと考えます。
とにかく主の見舞いで正しいものになろう。正しいものになろう。
それがヘブライショが私たちに教えてくださる。
主が認められる。主を喜ばせる。正しい信仰。
これがどんな人なのかがずっと名前が書いてあるように、
私たちもヘブライショの信仰の人々から学ぶべきことがここにあるのです。
驚くのは神様の手に任せたら、この後驚くことが起こります。
親が何か隠そうとして、
猛瀬を隠して、その地域から他のところに逃げ出したりする。
いつかは捕まえるでしょう。捕まえたら皆殺しなんです。
皆殺されてしまいます。
しかし主に任せたら、主が素晴らしい働きをされるんですね。
まず子供をパピルスで作ったカゴに入れて、
アスファルトを塗り、それでナイル川に流されたんですけど、
それが宮廷の近くに流されていきます。
ちょうどその時、パーロの王女が水浴びをするために川に下ってきたと言います。
それで猛瀬を発見します。
そのカゴを開けてみたら、赤ちゃんじゃないか。
しかしこれはヘブライ人のイスラル人たちの赤ちゃんということはすぐ分かります。
それにもかかわらず、その王女が私が育てようと思います。
それほど何かスペシャルな何かを考えたでしょう。
それで自分が育てようとします。
しかし自分はもうまた子供を育てる準備ができていない状態で、
猛瀬の姉が行って、
ここにいい人がいますよと紹介してくれたのが猛瀬のお母さんでした。
それで猛瀬のお母さんがこの猛瀬の乳母になって、
そして猛瀬を育てるようになりますけど、
宮廷から保育費をいただいてもらって、
そして王女の息子を育てるから、もうエジプトの人たちも何にもできないでしょう。
モーセの育成
お母さんの母養を飲ませながら、一番安全な状態で猛瀬を育てることができた。
やはりみなさん、これが神様がなさる御話です。
神に任せたら、一番いい環境、一番安全な環境で、
完璧に猛瀬を助けることができたんです。
猛瀬という名前は王女がつけたものです。
水の中から引き上げたという意味です。
ところがみなさん、猛瀬の母親、今日朝、天道寺さんと話をしながら、
その名前はヨゲベッドという人なんですけど、
猛瀬の母親は、猛瀬を王女様から育ててくれと任せられて、
そのところから、猛瀬の母親は、猛瀬をどのように育てたでしょう。
何をしていたでしょう。
猛瀬よ、お前は宮廷からこれから育てることになりました。
あなたは必ず生き残らなければいけないよ。
旧エジプトの中で出世しなければいけないよ、と言われたでしょうか。
たぶん、お母さんは、あなたは神の民だ、イスラエルの子供だ、
先民としての民族の正当性、神様の身群と神の子いと、
また、信仰の先祖アブラム・イサック・ヤコプから、
神様が私たちにくださった約束、
これを任せられて、王女様に引き渡す時期がどのくらいかわかりませんけど、
短い時間預けてもらったその猛瀬に対して、
お母さんとして言いたいすべてを話したでしょう。
赤ちゃんが何かわからないんじゃありませんか。
ちっちゃい赤ちゃん、何にもわからないかもしれないけど、
その赤ちゃんに対して、あなたは私の子だよ、イスラエルの子供だよ、
あなたは神様の子だよ、神様の身群はこれだよ、これだよ、これだよ、
あなたは王宮廷でこれから成長しますけど、
実はあなたの大事なのは、あなたのアイデンティティはこれだよということを、
ずっと教えられたと思います。そうじゃありませんか。
そうしながら、猛瀬を抱いてどれほど祈ったでしょうか。
猛瀬のためにも、必死に必死に必死に祈ったでしょう。
それで、ある決められた時間になって、王女様に、
猛瀬を、当時はあなたの子供ですと言いながら引き渡したでしょう。
私はこれを考えながら、私たちの教会学を考えました。
教会学は今皆さん、お母さんお父さんが教師です。
もう私たちの子供たちが今、子供としています。
お母さんお父さんは、メッセージを準備するとき、どんな考えでメッセージを準備しますか。
私の子供たちが、神様の御胸を一番よく知っているように、
神様の御声が本当に子供に届けるように、どれほどどれほど準備して、
私の子供、他の人じゃない、私の子供だから、
何か心を込めてメッセージを準備して、
心を込めて子供たちにこれを食べさせようと、飲ませようとするでしょう。
その心、親の心で教えるんじゃありませんか。
また、子供たちのためにどれほど祈るでしょうか。
私は教会で育てられる子供たちは、みんな猛瀬と同じような、
このような環境で今、教会学をやっているんだなと思いながら、
私はこれで本当に大きな意味をもたらすことができる。
みなさん、他の人だったら、
まあ、適当に私は教師だからメッセージを準備するでしょう。
そして、子供たちに時間ができたから、私が同伴だから、
私がメッセージしようという気持ちかもしれないけど、
自分の子だから、自分の子だから、私はもうとにかく、
一番聖書をよくよく解釈して、
自分が噛んで、これを子供の口に入れてあげるような気持ちで、
メッセージをされるんじゃありませんか。
だから教会学のメッセージで、私が恵みを受けているところなんですよ。
本当にみなさんお疲れ様です。
それで王女様に引き渡しました。
アイデンティティの葛藤
その後、使徒行伝7章22節を見ますと、
そして猛瀬はエジプト人のあらゆる教育を受け、
素晴らしい話、またおこないをするものになりましたと言います。
そして猛瀬はもう世の中、人間的に見ては完璧な人になった。
定洋学を学んで一番素晴らしい人になったと言います。
じゃあ次は猛瀬の決断です。
その後猛瀬は成長しながら、深い人生の葛藤がありました。
何が葛藤ですか。
自分のアイデンティティー、一体私は何者なのか。
私はエジプト人なのか、イスラエル人なのか。
イスラエル人なのに、なぜ私は宮廷で生活しているのか。
イスラエル人たちはみんな奴隷として今労働しているのに、苦労しているのに、
なぜ私は宮廷でこんなに楽な生活をしているのか。
イスラエル人なのにそれを隠して、私はなぜここで逃げているのでしょうか。
私だったらイスラエル人だとしても、とにかく宮廷でエジプト人のようになったから、
エジプト人を不利にして、とにかくエジプトの中でうまく出世するために、
もともと私はヘブライ人を大嫌いと言いながら、
本物のエジプト人のように私が生活するように、
そうしたらうまく食べて、生きて、出世して、成功するでしょう。
だからイスラエル人だということは、徹底的に隠していきたいと思うんですけど、
しかしモーセは違った。
素晴らしい聖書、ヘブライ書、中一書、24節、25節、
信仰によってモーセは成人した時、
ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、
儚い罪の楽しみにふけるよりは、
神の民と共に虐待される方を選んだ。
ファラオの王女の子だということを、いや、捨てたということです。
神の民と共に虐待される。
虐待が何ですか。
虐待されることを選んだ。
気が狂ったんじゃありませんか。
私はモーセの人生で一番素晴らしい決断、素晴らしい場面がここにあるんじゃないかと思います。
モーセは葛藤がありました。
その葛藤に対する決断をやりました。
支配者であるエジプトの王女の息子として生きるか。
奴隷である神の民として生きるか。
エジプトの栄光なのか。
神の子供としての身分なのか。
この世の中の栄光なのか。
神様に対する信仰なのか。
モーセはものすごい葛藤の中で工夫工夫しながら人生に対する決断をしました。
王女の子だということを拒んで、私はイスラエル人だ。
奴隷として取り扱われてもいい。
私は元々の私のアイデンティティのところに行きたい。
ある方はこう言うかもしれません。
パーロの王女の子だとしても、いくらでも神の働きはできるんじゃないか。
今まで育ててくれた王女をこんなに裏切っていいのか。
二つともにできる道がないのか。
パーロの王女の子として、またイスラエル人たちを、ヘブラ人たちをよく助ける道はあるかもしれません。
皆さん聖書でオバダオバディアという章があります。
アハブの家来としてイスラエルの預言者たちを生かしてあげた人です。
今、韓国では、日本でも同じでした。
お医者さんなのに牧師です。
大学教授なのに牧師をやっています。
また、ある人は社長をやりながら牧師をやっている先生もいます。
しかし、モーセンに対する神様の計画は、そのような働きによってはできるものではありませんでした。
ここでモーセンがなぜ決断したのか、聖書は二つを教えてください。
ここにモーセンの礼儀的な価値観が現れます。
これが中一章の25節、26節です。
25節に、儚い罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待されるを選んだ。
モーセンは40年間宮廷で過ごしながら、
モーセの決断
宮廷での生活は結局、罪の楽しみにふける生活だということが分かりました。
この世に直して、この世を愛して、この世の楽しみと栄光を求めながら、
その生活は結局、罪を実りしかない。
その快楽はしばらく、この後、ものすごい虚しいことと苦悩があることを分かりました。
これを宮廷で生活しながら、ずっと見ていたからです。
モーセンが書いた詩編があることを知っていますか。
これが詩編の90編です。
詩編の90編の10節にこう言います。
人生の年月は70年ほどのものです。
健やかな人は80年数えても、得るところは苦労と災いに過ぎません。
瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去っていきます。
人生の楽しみの中で残るのは、結局苦労と災いしかない。
また、その人生100年もあっという間に過ぎてしまうんだと分かりました。
モーセンの悩みは、このあっという間に過ぎてしまう100年の人生の中で、
一番大事な人生は何なのか、それを悩んだということです。
素晴らしいでしょう。
神様の計画、神の御胸をして、その人類救いの宮康のために、
神様に用いられることは、人生に一番素晴らしい人生であり、
生き甲斐があり、命の実りがあり、それだけが永遠に残るんだということを、
モーセンが悟ったということです。
これがモーセンの例的な価値観でした。
もう一つは、26節にありますけど、
神様の報いがあるんだということを分かりました。
自分がこのように献身して、自分が決断するなら、
神様の必ず報いがあって、そのことは永遠に続くんだということを分かりました。
皆さん、神様から報いがあることを分からなければ、決断は難しいでしょう。
聖書のあちこちで、私たちに必ず報いがあるんだということを、
ヘブラー書中1章6節に最後に書きます。
また、神はご自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、
信じていなければならない。
なぜ?報いがあるから、あなたの働きはすべて報われるから、
心配しないで頑張れということです。
これはあなたの今やっていることの遥かに超える、
ものすごいたくさんの神様の報いがあなたを待っている。
これは永遠に続くものだということを分かります。
世の中の楽しみは、結局むなし、罪しかないけど、
神の御業のために用いられるのは、最高の意味があり、
命の実り、永遠の祝福を与えられる、
最高の価値がある働きだということを、
モーセが悟ったということです。
モーセの信仰と決断
皆さん、どうしてこんなことをモーセが悟ることができたんでしょう。
私はそれ、赤ちゃんのときに短い時間、
自分のお母さんから教えてもらったこと、
これは赤ちゃんだから全くわからないように見えるんですけど、
モーセはこのお母さんの切なる切なるこの教えを、
モーセが何とか聞いていったんじゃないか。
また、お母さんのお祈りの力が、
モーセをいつまでも支えてくれたんじゃないかと思います。
それによってモーセが決断したんですけど、
その決断が聖書の中で一番素晴らしい人として、
神の大きな下人になるようにしてくれました。
私たちの教会で、聖書勉強会をしたら、
必ず書簡を発表するように、書簡は何をしますか。
悟ったこと、悔い改めること、決断することです。
なぜ決断するか知っていますか。
決断は、私たちが決断すれば神は働きます。
私はこのメッセージを聞いて、
ああ、どうしても私の力ではできない。
しかし私が決断するなら、神様がこの決断を受け入れて、
それができるように神様が働いてください。
恵みが与えられるんです。
私の力ではできないけど、主よ決断しますから、
あなたが助けてください。
その意味で私たちは決断します。
でも、このような大きな決断をしたとしたら、
神様がよくやった。
あなたは決断したから、
特にあなたの道は私が保障してあげようとするべきなんですけど、
その決断に対する代価はものすごい大きなものでした。
皆さん、王像の子が奴隷になりました。
王像の子として持つべき独権、権制、栄光、富、名声が一気に消えてしまいました。
代わりに無知、恥、飢えの生活が与えられました。
これからも苦難の茨の地を歩むようになりました。
これがまるでイエス様が天の栄光を捨ててこの世に来られて、
貧しさ、非難、十字架の苦しみを受けられることと同じだと聖書は言っています。
ですから聖書はこのような孟子の生活を、
中一章26節にキリストのゆえに受けるあざけりだと書いてあります。
孟子の苦難をイエス様の苦難と同じように聖書は評価していることを見るとき、
孟子のこの決断を神様がどれほど大きく評価しておられることがわかります。
モーセの逃避と成長
どうして孟子はこれができたのか、中一章26節には孟子が成人したからということです。
何が正しい、何が正しくないか、これを判別する、分別できる年になったということです。
ですからこのような優れた決断ができたということです。
神様は私たちの信仰が成長することを願っています。
ただ神様信じます、これで終わりじゃなくて、私たちの信仰はますます成長して、
イエス様の成長したレベルまで私たちがこのように成長していくことを願っております。
なぜなら、そうするとき神様が持ちられることができるからです。
そうするとき私たちが神様との対話ができるし、神の身群をわかるし、
私たちが神様が願っておれる働きができるからです。
いつまでいつまで赤ちゃんみたいで泣き御礼で泣き続けるなら神様がどうしたらいいでしょうか、気の毒だと思うでしょう。
私たちは成長しなければ、成長しなければ神様が喜ばれることはできません。
じゃあ決断した孟子はこの後どうなったんでしょう。
イスラエル人たちが歓迎してくれたんですか。
いいえ、シチュエル2章11節からイスラエル人たちが労働しているとき、
エジプトの兵士がイスラエル人たちを無知を投げることがあります。
それを見るとき、孟子はこのイスラエル人たちを救わなきゃと思いながらエジプトの兵士と戦いました。
もう殺してしまいました。
これほどだったらイスラエル人たちが私の心を理解してくれるし、
私を受け入れてくれるだろうと思いました。
しかし、イスラエル人たちは孟子を受け入れてくれませんでした。
神の約束と救済の象徴
いや、エジプト人からも追い出され、ヘブライ人たちからも追い出され、
自分の居場所がなくなったとき、孟子はアラノに逃げていきます。
アラノで、そしてミディアンの人たちに自分の身を任せて、
そこで40年間、羊飼いの生活をします。
孟子の人生は完全にためになったと思われるそのところ、
神様の計画がありました。
神様のせちりがありました。
孟子は人間的には優れた知識、優れた知能、優れたものを全部持って、
判断力を持っていました。決断力もありました。
しかし、孟子は礼儀的なところには全く何にもできていませんでした。
だからアラノで40年間、神様と共に歩みながら、
もう孟子は神様と共にいることは分からなかったでしょう。
しかし、40年間、神様と共に歩む時間を過ごしました。
40年が過ぎた後、時になって、神様は孟子を呼ばれます。
そして、孟子を再びエジプトに戻りなさいと言います。
なぜエジプトに戻らなきゃいけないのか、それは大きな意味があって、
創世紀中号章中三節、アブラムと神様の約束があったから、
アブラムと神様の約束を実現するものが孟子だったのです。
では、読んでみます。
主はアブラムに言われた、よく覚えておくがよい。
あなたの子孫は異国の異邦の国で起留者となり、
400年間奴隷として使え、苦しめられるでしょう。
しかし、私は彼らを奴隷として使えるその国を裁く。
その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。
アブラムと神様が何をされたのか、
400年後、イスラエル人たちがエジプトでどんな生活をするか、
また、苦しめられたエジプトを滅ぼして、そこから脱出することまで、
アブラムと神様の間ではすべて約束されていました。
その約束を実現するしもべとして、神様が孟子を選ばれ、
孟子をずっと育てられたのです。
40年前、よ逃げをするように脱出したエジプトに、再び戻ってきた孟子。
イスラエル人たちから歓迎されたのですか?
歓迎されませんでした。
しかし、パラを相手として、十国目の災いをずっと広げていくときに、
イスラエル人たちは孟子を受け入れました。
また、そのところで、エジプトで一番王様のパラオ、
パラオのことを神様が裁かれ、
パラオが神様に屈辱する、このような事件がありました。
それで、そこを出張するようになりますけど、
その中で、十国目の中で決定的な場面が、十番目の災いでした。
これは、長子の災いです。
長子の災いは、エジプトの全ての老い子、初め生まれた者は全部殺すことでした。
しかし、エジプトの全ての老い子は殺されるのですけど、
イスラエル人たちの老い子は誰も死にませんでした。
なぜ?
イスラエル人たちは、神様からの指示によって、
羊の血を、この玄関の門の傍らに塗れたからです。
だから、死の死者が各家に入るときに、
その中で羊の血を塗ったところには、それを過ごしをした、
ペスオーバーしたということです。
これは何を意味するのか?
これが、イエス・キリストの十字架の血を意味する。
この十字架の血を塗ったところには、死の死者がここを攻撃することができない。
災いを下すことができない。
この肌だけを見せてください。
そして、エジプトの老い子は全部死んで、
イスラエル人たちは誰も死ななかった。
その場面、パーラオの息子も死んだんですね。
だから、パーラオが怖くなって、「出ていけ!出ていけ!早く出ていけ!」
それで、シチュエリティの記録ができました。
皆さん、モーゼの人生を通して、神様は何を見せてくださったのか?
一人の人間が救われる、救いの両手を全て見せてくださいました。
皆さん、簡単に申し上げます。
エジプトの生活は何を意味するのか?
これが、私たちは救われの前の人生を意味します。
その中で、パーラオは何ですか?
これが、サタン。サタンを意味します。
昔、私たちはサタンの支配家で、
昔は神様をわからない、そのような人生を過ごしました。
それで、私たちは、杉越の羊の地によって、救われるように迷いました。
この杉越の羊の地は、イエス様の十字架の地下を意味します。
それから、イスラビットはシチュエージとして、後悔を渡るようになります。
後悔を渡ることは何でしょう?
第一コリン島の中心を二節に見ますと、
これが、洗礼を受けたということです。
そして、アラノの生活、40年間、
これは、今、私たちがやっている境界生活を意味します。
そして、ヨルダン川を渡ります。
これは、死ぬということを意味します。
それで、カナンに入る。
カナンは天国を意味します。
じゃあ、エジプトの生活をした、昔の私たち悪魔の奴隷として救えた、
私たちが、イエス・キリストの父親によって救われ、
洗礼を受け、境界生活をし、それで、この世を去って、
それから天国に入る、全ての過程を、
シュチュエジプト、またカナンに入る、そのような両手を通して、
王政が見せてくれたんです。
素晴らしい、王政の人生は、人類の救いの全てが書かれてあるものでした。
ここで一番大事なのは、10番目の災い、コイチジの地震でした。
これが、イエス・キリストの十字架の地震を象徴して、
その地震によって、私たちは救われた。
そして、私たちが救われた後には、洗礼を受け、
アラノの生活を通して、天国に入る。
これ全てが、私たちが分かるようになりました。
王政の人生を、私たちの救いの全てが一目瞭然と見せてくれる働きでした。
王政がこのような人生を偉大に持ち入れられた決定的なきっかけは、
王政の信仰の決断でありました。
神様は私たちに自由意志があるから、私たちを勝手に何かさせておきません。
私たちが決めたら、神様がそこに働くんです。
そこに大事なのは決断ですけど、
モーセとその決断
その王政が決断するその裏には、お母さんの祈り、お母さんの教えがありました。
皆さん、私たちが子どもたちに一言教えること、
子どもたちのための祈りには大きな大きな意味があることをぜひ理解してください。
私たちの祈りと教えによって、子どもたちがいつか主の前で決断するとき、
神様はその決断を喜んで受け入れ、
私たちを神様の大きな御業に用いてくださいます。
私たち子どもたちも同じです。
ここで王政の決断、イスラエルの救いのために、
アラノの出地エジプトとアラノの40年間を導いた王政は、
イスラエル民族の指導者でした。
偉大な下部、王政。
神様はその一人を注目して、その一人を立てて、成長させて、
その一人をずっと導いて、
神様の御業に用いられるまで、王政を祝福してくださいました。
私たちの一人一人も同じです。
今、私たちの子どもたち。
今、私たちが見るとき、子どもたちが何ができるかと思うんですけど、
神様は大きな計画の中で、今、子どもたちがいます。
この子どもたちのために何が必要ですか。
私たちの教えと祈りと支えを見守ってあげる。
このすべての働きが、子どもたちがこれから主に大きく持ちられることに意味があるでしょう。
天道さんが毎日、作ちゃんを見るために行かれる。
多分、どれほど祈るんでしょうかね。
作ちゃんに対して信仰の話をとにかく、
分かるか分からないか教えるでしょう。
これがいつか大きな意味がある働きだということを、いつか私たちが分かるようになるでしょう。
また、私たちの子どもたちにも、私たちがいろいろ教えたり、
信仰のアドバイスをしたり、模範を見せてあげたり、
そのことがどれほど、これからの子どもたちの人生に大きな意味があるか。
主が一番大きく使ってくださる、
孟子のような信仰の人々が、私たちの教会からたくさん現れることを祝福します。
是非とも、神様が私たちの教会、また子どもたち、二世たちを祝福してくださいますように。
孟子のように大きく使ってくださり、
永遠な祝福を、いつまでもいつまで与えてくださいますように。
私たちの教会が、このような孟子を育てる信仰の教会になりますように。
お祈りいたします。
信仰の影響
神様、2025年度初めから信仰に対して教えてくださってありがとうございます。
今日の孟子の信仰、本当に素晴らしい信仰ができたことを感謝します。
孟子のこの礼儀的な価値観、これを孟子のお母さんから学んだと考えるときに、
私たちが子どもたちのために一言一言、また祈りの中で、
本当に子どもたちがこれから主にもちられる素晴らしい人になるように、
私たちの祈りと教え、助けがどれほど大きな役割ができるのかをわかりました。
どうかどうか主よ、小さい教会ですけど、私たちを使ってください。
私たちは教会の子どもたち、ニセたちを大きく祝福してください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン。
アーメン。ありがとうございます。
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