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今日は いつも真実で
イエス様のようにという対応を持って メッセージを分かち合いたいと思います。
今は四巡節、四分節の時間を過ごしながら イエス様がなぜこの世に来られたんですか?
なぜ忠実感を背負ってくださったんですか? それは私たちの罪を
あがなうために来られました。 ですから四巡節の期間の時に私たちがやるべき一番大事なことは何かと言いますと
自分の罪を悟ってそれを悔い改めることです。
自分の罪を悟って悔い改める。 そのために皆さん必要なことは何かと言いますと
聖霊様が見事場を通して照らしてくださって 自分の過ちと罪を悟ることです。
悟ることがなければ悔い改めることはできないですね。 ペンテコステのリバイバルの時に聖霊様が来られて何をされたのか
それが指導経典2章36節と37節にあります。 ペテロがこのようにメッセージをします。
だからイスラエルの善かははっきり知らなければなりません。 あなた方が十字架につけて殺したイエスを
神は主としまたベーシアとなさったのです。 このようにペテロが大胆にメッセージをしたら
聖霊様がそのメッセージを通して エルサレムの街の人々の心に歌えてくださいました。
だから人々はそれを聞いて大いに心を打たれ ペテロと他の人たちに兄弟たち私たちはどうしたらいいでしょうと言ったと言います。
このように神様が回復とリバイバルを与えてくださるたびに
聖霊様が真理を照らしてくださいます。
そうしたら今まで認識されなかったことが 聖霊によって照らされて分かって
それでああ私が大きな間違いの中に行ったのに分からなかったと思いながら 神様の見舞いで悔い改めることができるんです。
それを通して間違えた世界が正しい世界として変えていく 間違えた人が正しい人生を歩むことができる
これがすごく大事なリバイバルの効果であります 最近私たちの中で聖霊様をこだれて私たちの教会の中で大事なことを直してくださるんですけど
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これが救い論ということです 最近救い論について本当に立派な先生たちにたくさんのことを照らしてくださいます
今までは教理によって 信じるなら
これからどう生きても天国に行くんだという だから恵みだと言われたんですけど
そのことはまるで イエス様を信じて救われたと思ったらもう信仰生活は終わりだ
これからどう生きてもいいというそのような傾向で業界が流れていったんです しかし
聖霊によって新しく照らされてからは その信仰が正しい信仰
これが本当の信仰だとするなら その信仰を受けてそれでこの後の生活が変わることは当たり前だということです
また悔い改めということの意味は過去の生活を捨てて 取り戻される新しい人生を過ごすことの意味ですから
生活の変化が伴わない救い ただ愚痴だけの救い
そのことは正しくない
ですからヤコブ・ニショール 26世紀のようにそのような信仰は
死んだ信仰 また1割の信仰に過ぎないということが最近分かりました
ですから聖霊様の働きによって 人々の神様の見舞いで恐れ敬うことができて
また救いに対する慎重に思うようになりました これはどれほど良い見所でしょう
問題は 救われて直ちに天国に行くなら
信仰告白で 信じて救われる この言葉は簡単に行われるんですけど できますけど
救われた後も続けてこの世で生活しなきゃいけない 行かなきゃいけないとするなら問題は複雑になります
救われた後の変わった生活が伴うのか 伴わないのかによって
その救いは本当の救いなのか 1割の救いなのか議論されるんです
また勝手に信仰生活で救われたのにも 昔のように勝手な生活をするなら
救いを失うことになるのではないかという疑問も生じます ですからキリスト社だと言いますが
地獄に行くキリスト社という言葉まで 今出ているところです
これを見てますと 救われた後の生活の変化が伴うこと
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これは非常に大事なことです ローマの皇帝の中でコンスタンティヌスという人がいました
その人は洗礼を受けるなら この後人生の快楽
皇帝としての楽しみがなくなるんじゃないかと思って 彼はできればできるほど死ぬ前に直前洗礼を受けたいと思ってたんです
皆さんこのような信仰 正しい信仰でしょうか
私は知恵を聞きたいです その人は天国に行かれたかなと思われます
私はその皇帝は非常に愚かな人だと思うんですけど なぜなら
救われた人は神の子供になる特権が与えられています
マタイの16章で見てますと 救われた人には神様から与えられた天国の鍵を持っているんです
天国の鍵は祈りなんですけど 祈りによって繋ぐこともできるし 解くこともできます
世の中で様々なことについて 自分の祈りによってそれを繋ぐことも解くこともできる そのパワーを持って
神様のために 教会のために また大勢の人々のために奉仕するチャンスもあり
それによって大きな永遠な天国で報いもいただくことになるんですけど
それを見ることができなく ただこの世の中で楽しみを100年の人生で楽しみを
自分が楽しむことができるかできないか そればっかり考えた
その皇帝を愚かだというしかないなと私は思います
皆さん イエス様を信じた後 救われた後の生活の変化が伴うこと
非常に大事です 私は救われた後の考えが新たに生まれることも大事だなと思います
考えが変わらなければなりません ぜひともそれをこれからもまた分かっちゃいますけど
ぜひ理解していただきたいと思います
さて 今日読んでくださった ルッカの23章の38節から43節までには
コルボダという丘には3つの十字架があったと言います
イエス様の十字架 また救われた犯罪者の十字架
また救われなかった犯罪者の十字架 この3つの十字架がありましたけど
この世の人々は誰でもこの3つの十字架の中から 1つは自分が背負わなければなりません
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ここで私は今日皆さんと一緒に分かち合いたい 大事なメッセージがあります
一人の個人の最後の瞬間 自分自身を救ってくれる救い主に出会って
対話ができる絶好のチャンスが与えられるなら
皆さんはどうしたいんですかということが 私は今日分かち合いたいことです
今までいくら間違えて過ごしたとしても
一回のチャンスで全てが挽回できる
その機会を神様がくださったのに その素晴らしい機会を生かすのか生かされないのか
これは非常に大事です イエス様が来られた当時
イエス様が行くところどころには怯ただしい人々が イエス様に出会うために集まりました
そして自分の切実な人生問題を解決してもらいたいと思いました
その怯ただしい群衆の中で 皆さんイエス様に出会うのはよほどの熱心がなければ
イエス様に出会うこともできないし イエス様にじっくりお話しするチャンスもなかなかないでしょう
ところがルッカの23章の2人の犯罪者は イエス様のすぐそばで
十字架の十字架上でイエス様を出会うことができました また自分自身の事情をイエス様
救い主であるイエス様に詳しくお話しできる 長い時間を持つことができました
ここでイエス様に何を言うのかは 自分自身が天国に行くのか地獄に行くのかに対して大事なチャンスです
その時皆さんイエス様に何を言えばいいでしょう その2人の犯罪者の運命を左右する
信仰告白はその場でできるんですけど まず
左の方にいた犯罪者は何と言ったのか ルッカの23章39節でこう言います
十字架に架けられていた犯罪者の一人が イエスを罵ったと言います
お前はメシアではないか 自分自身と我々を救ってみろと言うんです
皆さん イエス様に罵った悪口をしたということです
どうしてイエス様にこんな話しかできませんか 多分この人は
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権者に対する上の人に対する反感を 傷がたくさんあるから
反感を持って上の人だと言ったら嫌だと思う このような性格を持っていたかもしれません
それは恵みの時期には良かったかもしれないけど 許されたかもしれないけど
今は自分の人生の最後の瞬間 裁きの瞬間です
裁きの瞬間まで自分の心の傷を 自分自身の人生を通して直すことができなく
そのような習慣を最後までやっていくなら
彼はイエス様から救われることはできないでしょう
イエス様はこの犯罪者に対しては沈黙されました
今度は右の方の犯罪者は何と言うんですか
ルカの23章40節から42節です
この犯罪者が向こうにいる犯罪者にこう言います
お前は神様かミスカを恐れないのか
同じ刑罰を受けているのに 我々は自分がやったことの報いを受けているのだから同然だ
しかしこの方は何にも悪いことをしていない
そしてイエス様あなたの御国においでになる時には 私を思い出してくださいと言ったと言います
この右の犯罪者は真心で謙遜に自分の罪を悔い改めながら
あなたの御国に入る時 私を思い出してくださいと切実にイエス様に求めるのです
イエス様はこの右の犯罪者にだけ43節を見ますと
はっきり言っておくが あなたは今日私と一緒にパラダイスにいると言われたと言います
皆さんこれによって二人の人生の永遠の運命が定められました
皆さん私が皆さんに申し上げたいのはこれなんです
決定的な瞬間は 自分が予測していないうちに来ます
その時 自分がどんな話をするかは
その人が普段 習慣的にいつもやってきた通りの話をするようになるんだということを申し上げたいんです
皆さんは普段何を考えていますか どんな話を優しく語っていらっしゃるのでしょうか
いつも傾いて見て いつも傾いて考えて いつも傾いてお話しするのではありませんか
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左の犯罪者のようにイエスよ あなたがキリストであるなら私を一回救ってみろ
そうするなら私は信じてあげるから
救い主の前でどれほど不誠実なお話でしょうか
人生の最後の最後 地獄と天国がかかっているこの状況で
どうして冗談話のようにあざ笑う話をすることができるんでしょう
もう一度人生を真剣に考えられないのでしょうか
しかし他の犯罪者は何と言うんですか 私たちは当然な罰を受けることだけだ
しかしこの方は何の罪もないんじゃないかと言いながら 自分の信仰を告白します
イエスよ あなたの御国においでになるときに 私を思い出してください
皆さん私たちは私たちの人生をいつも真剣に見て
真実に考えて言葉を選んで語ることを これから訓練しなければなりません
これと似ているケースがあります これは創世紀19章のソドモの地域が滅ぼされる地域です
そのところにはロットの家族もいました ロットの妻またロットの娘たちがいました
ソドモの街が神様の裁きを受ける瞬間 イオウの炎の裁きを受けるとき
アブラムの鳥なしの祈りを覚えてくださって 神様が天使を通してロットの家庭は恵みを施すことを定めて
彼らを救われるチャンスを与えたのに なぜ
ロットの妻と娘たちは滅ぼされ そして塩の柱になってしまったんでしょう
ここで大事なのは救いの恵みが与えられたとしても 普段その人が何を好きで
どのように生きたのか それが決定的な瞬間に現れるんです
世の中の風紀映画を好んだロットの妻は ロットの妻の名前は聖書に教えてくださらないんです
聖書で名前が教えられなかったということは 神様との親しみがなかったということです
彼女は世の中に対して未練を捨てることができなく 後ろを振り向いたところで塩の柱になったと聖書は書いています
またロットの娘たちは 神様の裁きが望むことを伝えたときに
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創世紀中級書中4節に見たら 冗談と思ったと書いてあります
自分自身が死んで永遠な地獄の裁きを受けることになるんですけど それを冗談と思ったと言います
どれほど軽率な人でしょうか
ここで皆さん大事なのは 普段
イエス様を愛して 見言葉を愛して 教会を愛して 隣人を愛して 天国の希望に満ち溢れているのか
私たちは真実で 神様のことを次第求めていかなきゃいけないことがここにある
また普段 人生を この世のことを純粋に見て
真剣に受け入れることが習慣になっていかなければなりません
そうするとき私たちは危機の瞬間 私たちの心から口から救いの道を選ぶことができるんです
結局この二人の犯罪者 優しく自分の心のままパッと語る一言が
一人は地獄 一人は天国に行くようになったということです
今日申し上げたいのはこれからです
皆さん今は至純節 また時間あります
時間あるときに普段私たちが 習慣的に行っていることを直すことができればと思います
私はこれをもって ずっと考えたことを皆さんに申し上げたいと思います
私は日本選挙のために来て 日本選挙のために来た選挙主が
自分の過ちと自分のこの足りなさがいっぱいあって
選挙してきて福音を伝えるよりは 日本の立派な方たちから教えてもらったことがまずたくさんあります
伝えるために来たのか教えてもらうために来たのかわからないほど
私は日本でたくさんの過ちを犯して 本当に立派な方たちからたくさんのことを教えてもらいました
私が日本に来ていろいろ苦しみを持って苦労することがあるんですけど
私自身が苦労することの中では 私自身の過ち問題のゆえに苦労することがたくさんありました
その中で 私の失敗の経験を皆さんと分かち合うことによって
至純節のとき私たちがいろいろ考えていただきたいということがあります
皆さんもご存知でありますけど
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私は韓国のある選挙団体にしばらく所属されて 一生に働いたことがありました
その団体の集会が年に2回ずっとありますけど
集会があるので私は韓国に行ってその集会に参加しました
その集会は1日3回集会するんですね
午後の集会の時間 メッセージに私はいろいろ打たれたことがありますので
その場で座って祈って悔い改める祈りをしていました
そのとき 全体の選挙団体の代表的な先生が 私を呼んでいるということで誰かが来ました
急に私は行ってみたら 大きな食事の場があって
そこでリーダーである先生たちがたくさん座っていました
そのときいきなり私が行ったところで
その代表の牧先生が私に
これから日本の働きを任せてくれませんか と言ったばっかりで
私は考えもした方以外のことを言われちゃって
ちょっと待ってください そう言われても
という 私自身
まだ準備できてないのにこんな大変なことを私に任せてどうするんだろう
私の中でもういろいろ意外な話を聞いて
ちょっと待ってください そのようなことはまず考えてみて
それで私なんか言うべきではないんですかという気持ちで
なんか口から出るこの下手くそな言葉が出てきました
そのとき雰囲気がもう冷たくなりました
その状況を私はいろいろ考えてみて まるでこの子たちじゃないかと思います
神様が世名預言者に あなたは二重に行って福音を伝えてくださいと言われたとき
世名が 神様ちょっと待ってください
二重ですか
私そこに行けません 準備できてないし私は無理です
この勝手に喋ることのこのこととほぼ同じことを私がやってしまったのではないかと
その夜の集会で代表的なこの先生のメッセージの中で
私がある人をよくわからなくて 過ちを犯すところだったのということを
口談でメッセージを語るんですけど 私はその話は私の話だということを分かりました
目の前が真っ暗になりて これ以上集会で座っていることさえもできない
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だから私は密かにその集会から出てしまいました
皆さんその時私が感じたこの気持ちは イスカリッドユーダーが
最後の晩餐式の中で 密かに逃げる逃げる
この姿 そのイスカリッドユーダーの気持ちが
ちょっとこの気持ちではないかと思いながら 私は密かにその集会から出てきました
その後結局私はその単体から離れてしまいました
私はこの場面をいろいろと考えているところです
もし私がその時 従いますという言葉を語ったなら
それができなければ黙っていたなら よかったのに
なぜ私が一言 何とか私の心にある
いつも私の習慣的にやる癖が出てしまって
まず私は断ってみて 慎重に考えてそれで答える
そのことに慣れていたから 私はその過ちを犯したんじゃないか
この偉い僕先生の前で この生意気な話をしてしまったのではないかと
私はこのイエス様の左の十字架にかけられていた この犯罪者のことをずっと思いながら
過去の痛い私の思い出が出てしまって
私は始終世知の中で 本当に辛い思いをしているところであります
例えば私はその段階には失敗したんですけど
それがきっかけになって これからは二度も神様の見舞いで
そのような過ちを犯さないように 気をつけていかなきゃという気持ちでいっぱいです
またそれをきっかけとして 最後の私たちの救いと関連して
また神様の見技に陥られることと関連して
私は大きな勉強ができたと思います
これからまたある大事なチャンスが いきなり与えられるかもしれません
その時私たちは 左の方に十字架にかけられた罪人 犯罪者とロッドの妻と
むっ子たちのようにならないために 私は普段正しい習慣を身につけなきゃいけないんじゃないかと思います
また私たちの人生を慎重に考えていかなきゃいけないなと思います
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ですから私は今日賛美を準備しました
わが心変えた衆に
似たものとなれるように
いつも真実で いつも正直に
いつも謙遜に いつも主を恐れ 敬う心で
いけるように私たちの人生を準備することです これこそ
イエス様に見習った人格 イエス様に見習った個人性の備えた
キリスト社にならなきゃいけないんじゃないかと思います
先週私は朝起きてある日 朝起きて顔を洗いながら
その時 精霊様が私にポッと言ってくださるような気がします
あなたはイエス様と人格的な交わりができているの? と言われるような気がします
そうだ イエス様との人格的な交わり 愛の関係性 ここに
救いがあり 命があり すべてがあるので
あえて私はイエス様と親しみ関係があるかなと
だから私は イエス様 イエス様
今 イエス様と私はどんな関係なのか
イエス様を読んでみました イエス様との人格的な関係性
純粋で 真実で 謙遜的
また 忠実な愛の心なら いつも関係性ができているでしょう
そうじゃなくて 利己的 自己中心的 また むさぼりに満ちあうれて
自分の何かを 育てているところであるなら
その関係が断ち切られている状態になるのではないでしょうか
その時 いきなり 何かが与えられた時
私たちは 前 私が失敗したような 困難な状況に陥らないように
ぜひともぜひとも いつも真実な心
純粋な心で 私は生意気的な話はしないように
私はそれをうまくやるんですよ うまくじゃなくて よくやるんですよ
それがないように
本当に冗談によって人生がダメにならないように
習慣的にうまく準備できる そのような心加盟を確かめる
これが至尊説になれればと思います お祈りいたします
30:01
主よ 今日は普段 牧師である私がとりほど
神様に対してイエス様に対して 信仰に対して
人生に対して また人々に対して
真実では真剣ではなかったのか 悟らせてくださってありがとうございます
イエス様の十字架の左の方の犯罪者のように ならないように
全てに対して真面目に生きる 私たちにならせてください
イエス様に見習った 人格 公平性を備えていきたいです
恵みを与えてください イエス様の皆を通してお祈りいたします
アメン アメン