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今日は幸せの家庭、聖書的な家庭ということを 皆さんに申し上げたいと思います。
4月1ヶ月間、復活について分かち合うことができて 非常に良かったと思います。
復活は死んでから与えられるだけではなく、現実的、実際的な復活も 信じなければいけないと先週申しました。
そして、5月は家庭の月です。 キリスト教の家庭は、復活信仰という信仰を持って始まるんだ ということを私たちが考えるとき、
これは大きな意味があるんだなぁということを考えていますけど、 皆さんはどうでしょうか。
5月を始めながら、最近気になるニュースがありました。
以前、皆さん覚えていらっしゃいますか? 台湾のイケメンの卓球選手と結婚された、 日本の卓球のスターがいるんですね。
スター同士の結婚、羨ましかったんですけど、 最近、いろいろな良くないニュースがあるんですね。
不倫と離婚と、子供の親権問題によって 裁判とか何とかという話があります。
コロナの中で話題になっているところなんですけど、 子供の時から応援して愛してたその方なので、気の毒だなと思います。
その方たちのために祈る心でいっぱいですけど、 私は彼らの姿が今の時代、
私たちの家庭と夫婦関係に対する 普遍的な、典型的な問題ではないかと思います。
最近、結婚と家庭、本当に難しいです。
お父さんたちの問題はたくさんありますね。
それだとしても、今までは家庭を支えておられたお母さんたち、 本当に頑張ってたんです。
年取っておられるお母さんたち、 例えばコンサリームとか伝道師さんとか、
昔は我慢しました、お母さんたちが。
私が我慢したら家庭が平和になろうという気持ちを持って、 家庭を支えていってくださったんですけど、
最近の女性たちはあまり我慢なさらないですね。
家庭、家族も大事だけど、これは違うと思われたら、 その思い通りにやらなさることではないかと思います。
ですから、最近は本当に壊れやすい家庭と言いましょうか。
私は息子から聞いた話なんですけど、 最近の言葉のこの流れということがあるそうです。
結婚、離婚だけじゃなくて、 卒婚ということがあるんだと皆さん、ご存知ですか。
離婚ではないんだけど、事実上、 結婚生活を卒業したという気持ちなんでしょうかね。
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こんな言葉まである今の時代です。
この時代の流れの中で、私たちの夫婦、 また子供、家庭、どうすれば幸せになれるか、
そのことを5月で私たちは分かち合いたいと思います。
答えはただ一つです。
私たちは聖書通りやらなきゃいけないということです。
そうするなら神様が、神様の恵みが、 私たちの夫婦と子供と家庭の将来まで、
幸せに守ってくださるでしょう。
では、聖書通りを行うということは何なのか、 これを今日一緒に考えていきたいと思います。
5月は子供の日もあり、母の日もあり、 いろいろ分かち合うことがたくさんありますけど、
まず私たちの幸せのために、 家庭の根本についてまず分かってから、
その解決策を考えていきたいと思います。
その内容が全世界のベストセーラーという聖書の中の、 一番初めに創世記1章、2章、3章でその答えが出ています。
それをまず今日一緒に分かち合いたいと思います。
まず一番ですね、創世記1章、2章、ここには家庭の起源、 また聖書的な家庭はどんな姿なのかが書かれてあります。
創世記1章、2章を読みますと、神様が天地万物を創造なさいながら、 人間を作られた目的を読むことができます。
創世記1章、26節。
人間を作られた目的、何ですか?
神は言われた、我々に偏り、我々に似せて、人を作ろう。
そして、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地の葉を、 物全てを支配させようということです。
神様は人間を作られた理由は、 神様との親しい交わりが欲しかったですね。
そのために、神に偏りということがあります。
また、全ての創造物を任せるためにということがあります。
人間に作られた全世界を任せて、 全世界が神様を知り、拝み、従う神の国になって、
みんなが美しく豊かで幸せに生きる御国になること。
これが神様が人間を創造されながら、 持っておられた考えではないかと思います。
ですから、詩編115編の16節には、
天は主のもの、地は人への賜物、 地は人に任せられたということです。
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大きな企業を立ち上げて、 それを愛する子供に信じて任せるように、
神様は全世界を作られ、人間に任せたんです。
また、その愛する人間たちに、 神様は豊かなそのエデンを、
ただで与えてくださいました。
皆さん、エデンの祝福は、 人間が努力して得るものではありません。
神様との親しい交わりの中にいる時、 神を愛し与えられた使命を担っている時、
神様がただで与えてくださったことです。
また、神様がアダムには美しい妻も与えてくださいました。
これから見ますと、完全な幸せはこのように、
創業主、絶対主権者である神様が、 私たちに与えてくださるものなんです。
私たちが努力して得られるものではありません。
ここで大事なのは、 神様が立てられた創業の秩序を従うことです。
いつも神様、人間、万物という優先順位を、 私たちがしっかり覚えていかなければなりません。
何より先、神様との関係、これが一番大事です。
その後、人間同士に関係をうまく守り、 そして万物をうまく治めることです。
この優先順位と秩序を破る罪を犯してはいけません。
このような正しい関係の中にいる時、 神様はエデンの園を与えてくださったということです。
エデンの園の祝福の内容を見ますと、 これは豊かさと満足です。
創世紀29世紀には、主なり神はビルからにも好ましく、 食べるのにも良いものをもたらすあらゆる木を地に生え入れさせ、
また園の中央には命の木とチェイアークの知識の木を 生え入れさせられたといいます。
人間には人間に必要なすべての満足、 ビルのにも好ましく、食べるのにも良い、
また健康、何より健康ですね。
また正しい礼儀、これまで神様がしっかり与えてくださって、
その上へ家庭の祝福、夫婦の祝福まで与えてくださりました。
このすべての祝福を神様はいくらでも与えてくださるんです。
この中で夫婦の中の倫理ということは、 神様が結び合わせてくださったことを思い、
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自分の役目をしっかりすることなんです。
神様がなぜアダムにはエヴァを与えてくださったんですか?
創世紀2章18節、19節を見ますと、
この世で神様から与えられた使命をお互いに助け合って、
うまく担いなさいということで、 神様がくださった、助けるものなんです。
このように神様との親しい関係の中で、
神様をうまく拝み、任せられた使命をうまく担うとき、
エデンの園の豊かさの中で、 人間の完全な幸せがあるのです。
では2番です。
しかし、壊れた家庭、ダメになった幸せ。
これが創世紀3章です。
悪魔の誘惑によって、神様から禁じられた 善悪の知識の木の実を食べて、
不従順の罪を犯した後、 罪によって人間はどうなりましたか?
神様との秩序が破られて、
この後、人間、神様、人間、万物というの全ての 関係がダメになってしまいました。
これを連輿的に見て、よく教えてくださる聖書は、
第一ヨワネの手紙3章8節です。
罪を犯す者は悪魔に直します。
悪魔は初めから罪を犯しているからです。
悪魔の肌らきを滅ぼすためにこそ、 神の子イエス・キリストは現れたのです。
そうです、罪によって人間は悪魔に直するようになりました。
イエス・キリストをこの世に堪えた理由は、 私たちを救うためだけではなく、
罪によってダメになった全ての関係性を 回復してくださるために来られたのです。
さて、人間が悪魔に直していきながら、
悪魔の属性である傲慢、むさぼり、 自己中心性が入ってきたのですが、
これを原罪と言うものでしょう。
みんなが自己中心的な人間になりました。
みんなが自分の利益を求めます。
利益になるなら愛します、愛しますと言いながら、 利益にならないなら裏切ります。
そうしてみれば、夫婦の間としても 壊れやすい関係になってしまいました。
ご覧ください、罪が入ってきたら、 アダムが神様に自分の妻について批判するのです。
アダムは答えた、
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あなたが私と共にいるようにくださった女が 木から取って与えたので、私は食べました。
はじめは私の骨の骨、私の肉の肉、 愛する、好きだと言いながら、
そのような感情はどれほど変わりやすいのか。
結局、神様との親しい関係がダメになって、
神様からの恵みが消えてしまえば、
エドムも消えてしまい、
夫婦は傷の中で生活の苦しみだけが 残ってしまいました。
創世紀3章16節から19節は、
女と男がどんな罪の罰を受けるようになったのかが 詳しく書いてあります。
夫婦の中で男性は女性を支配し、治めようとするのです。
また子供を産むのも苦しく、産んで育てるのも苦しく、
また世の中で食べて生きることも苦しく、
傷を受けながら、汗を流して苦労しながら、
年取って病気になって、結局死んで節に戻っていく、
虚しい人生になってしまいました。
ところが、それで終わることではありませんでした。
創世紀4章を見てみますと、
アダムの子供たちに問題が生じます。
兄貴カインが弟アベルを殺して、神様に反客します。
アダムはどんな問題が生じるか、
まさか考えもなかったと思いますけど、
その後、カインの子供たちはもっと悪い罪を犯しながら、
みんな神様から離れてしまい、
この世の中はもう無法の世界になってしまいました。
親の罪がこの子供たちにどれほど早く拡張していくのか、
これを私たちに教えてくださいます。
皆さん、アダムとエバは、
チェンアクの知識の木の実を一回だけ取って食べたのに、
こんな不幸が入ってきたんです。
私たちは毎日、一日にも何回も、
神様が禁じられたチェンアクの知識の木の実を取って食べているのではありませんか。
そうしながらも、私たちは聖書的、礼儀的な法則を知らないまま、
家庭と家族と子孫たちが幸せになることばかり考えているから、
情けないと言いましょうか。
言葉が変です。ごめんなさい。
それを見て、コエレト書、他の聖書には伝道の書、伝道者の書と言いますけど、
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コエレト書は私たちの人生の虚しさをよく見せてくださいます。
コエレト12章8節です。
なんと虚しいことかとコエレトは言う。
すべては虚しい。すべては虚しい。
ところが、このような虚しい人生の中で、それなりに一つの楽しみがあります。
これが夫婦なんです。
コエレト9章9節、今日読んでくださったところですね。
太陽のもと与えられた虚しい人生の日々、
愛する妻とともに楽しく生きるがよい。
それが、太陽のもとで老屈するあなたへの人生と老屈の報いなのだ。
ところが、この楽しみさえも長く持つことができないんです。
愛しますと言って結婚するんですけど、その愛がどのくらい持ちますか?
本当に愛が大事だと思っているのは、私たちが愛する時は、その愛する人の中心になります。
すなわち他人中心になります。
しかし、愛が冷めてしまえば、直ちに自己中心として戻ってきます。
ですから、自分の利益を守るために夫婦喧嘩したりします。
先ほど申しましたけど、昔の人々はそれなりに家庭を優先して、家庭を守ろうとする心があって、何があっても我慢しました。
だから、その幸せは何とか守られたんです。
しかし、今の人たちは我慢しません。
自己中心、自分の考えでこぼしてしまいます。
産んだ子供は愛して大切にするから、真剣、早々、早生をしても子供の養育権をもらおうとするんですけど、その間に夫婦の間は敵になってしまいます。
今、この世の中がこんな流れなんです。
そうしてみれば、傷つけられたシングルマザーの家庭がいっぱいあります。
皆さん、この世の中で、ただ一つの楽しみが夫婦なんで、その夫婦の間がダメになって、今、私たちはどのように生きればいいでしょうか。
これを解決するために、神様が想像からなさったその始めから、もう一度考えてみて、問題がどこから来たのかを調べなければなりません。
そして、それを回復しなければなりません。
このために、神の子、イエス・キリストがこの世に来られたというのではありませんか。
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3番です。
また、家庭の問題が何にもないと言ったら、本当に恨みましいです。
幸せです。予防するために聞いてください。
もし、今問題がたくさんありますと言っても、これからどのようにして幸せな家庭を取り戻すことができるか。
答えは、聖書的な家庭、神中心的な家庭になれば、神様がその幸せを取り戻してくださいます。
コエレットは、人生は虚しいと言いながら、虚しくない人生を生きる道を教えてくださいます。
これはコエレット書の12章13節、コエレットの一番最後の結論なんです。
すべてに耳を傾けて得た結論。
神を恐れ、その忌ましみを守れ、これこそ人間のすべてと言います。
神を恐れ、拝む、礼拝する夫婦なら可能性があるということです。
なぜなら、神様を恐れて礼拝する人なら、神の御言葉に注目するようになるでしょう。
神の御言葉に従おうとすることではありませんか。
そうするなら、おのおの自己中心よりは、神中心として心を定めるようになるでしょう。
神の目的のために自分の目的を下ろし、神の道、聖書の御言葉に従って生きようとすることではありませんか。
また、神様が決めてくださった夫の役割、妻の役割を担おうとすることであり、
このように神様を自分の家庭の主人として拝んで生きるなら、
神様がその家庭の主人として家庭を正常的に回復してくださり、
幸せな家庭として作ってくださるのは、当たり前のことではないでしょうか。
皆さん、神様は私たちを愛しておられるから、私たちが不幸の中で続けて苦労して生きることを願っておりません。
エリミア29章中1節に、私はあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。
それは平和の計画であって、災いの計画ではない、将来と希望を与えるものであると言います。
夫婦が神様を拝み、神の御胸通り生きようとする家庭になるとき、
神の恵み、神の保護、神様が与えてくださる祝福によって、
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幸せな家庭を取り戻し、また幸せができるように御言葉を持って導いてくださるでしょう。
皆さん、幸せな家庭を願いますか。
今からでも、イエス・キリストを信じ、悔い改めながら、イエス様を主人として受け入れ、従う家庭になってください。
イエス様が私たちの家庭の主人として受け入れるなら、私たちが不幸の中にいるようにほったらかしておきません。
またその働きも、家族みなさんが信じるなら、この働きがうまくできるでしょう。
もし信じない家族がいるなら、先に信じた家族が祈りを持って助けなければなりません。
大事なのは、神様に礼拝し、神を恐れ敬う人たちが結婚するなら、それは一番いいでしょう。
その方たちは、神を神に従おうとする。
また、悔い改めもしたり、従順もしたり、神のみむね通り生きることを考えるでしょう。
そうするなら、神様の保護膜の中で、恵みと祝福が共にあることを信じます。
はじめに申し上げた、ある打球選手の家庭、私はこの姿が、今私たちの周りの家庭の普遍的な姿だと思います。
壊れてしまった家庭、別れてしまった夫婦、これからの幸せはどこにあるのでしょう。
また子供もいるでしょう。その子供の将来はどうなりますか。
子供は親に似ている状態で、親の傷が流れて、その方たちの将来を患わせると思うんですけど、その人たちの人生はどうなるでしょうか。
また、私たち人間を通して働かれる、神様の創造計画、救いの計画はどうなるんでしょう。
神の創造計画に対して、家庭は一番確信であり、礼的な家庭である教会も同じです。
教会の中で各家庭が傷だらけだというなら、そのような教会はこの世を救う働きができるでしょうか。
家庭がダメになれば、教会もありません。神の国もありません。
ぜひとも、5月、家庭の月を迎えて、このように重要な家庭、夫婦関係、親子関係、その中で呪いの流れではなく、祝福の流れが流れるように、各地区各地区を中心的な主張、考えを下ろしておいて、
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謙遜に神の御言葉、聖書が何を言われるのかを聞いて、聖書に従うとき、エデンのその家庭を作ってくださった神様が、すべてを改善してくださり、家庭の幸せを神様が保証してくださると信じます。
このような聖書的な家庭を深く考える5月になれればと思います。お祈り出します。
罪を犯す者は悪魔に直します。悪魔の肌らきを滅ぼすためにこそ、神の子イエス・キリストが来られたのです。
本当に私たちは、いろいろな誘惑によって、過ちによって、それが夫婦の間の問題になり、家庭の問題になり、私たちの元になる幸せを全部破るような状態になってしまいました。
これからどうすればいいのか、人生一番大事なのは、家庭、夫婦関係、親子関係です。
これを5月を通して、しっかり取り戻す私たちにならせてください。
誰が間違えた、誰が間違えたではなく、まず私が神の前で正しく取り戻されるなら、全ては神様がやってくださると信じます。
神様に従う私たちの家庭になっていきましょう。イエス様の皆を通してお祈り致します。アーメン。