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2022-10-23 33:56

「この家に平和があるように」2022年10月23日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年10月23日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

ルカ 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。

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今日は、この家に平和があるようにという題を持って メッセージを分かち合いたいと思います。
先週、創世紀3章以来、 罪を犯して神から離れ、悪魔の奴隷の状態にある人間は
祝福がないとお話ししました。 人生は苦しみだけです。
失敗と事故、病、災いだけです。 しばらくの楽しみがあるかもしれませんけど
神様からの祝福はありません。 ですから、世の中のすべての人の共通的な願い、希望は
祝福を受けたいということです。 私たちの教会に毎月
献金をしてくれる韓国の幕兄弟がいます。 彼は私と昔の会社の同僚です。
彼はソウルの原木工業出身です。 それでソウル大学に出たんですけど
彼が私に一言言ってくれました。 自分たちがこの帽子をかぶってるでしょ、覚醒は。帽子の前に服って書いてあるんです。
だから幸福があるんですね。ここにパッチも福です。 ボタンが全部福と書いてあります。ここのボタンも福と書いてある。
またカバンにも福と書いてある。 覚醒の飾っているすべてが福です。祝福。
そのことを笑い話で私に言ってくれたことがありました。 それほど世の中の人々は祝福を願っています。
祝福がないこの世の中で祝福を願っている人間。 だから世の中の人々が何を祝福だと思うのか
お金、名誉、権力、成功、出世して豊かに生きること、これを祝福だと思い
それを手に入れようとして今すごいです。 だからこの世の中は修羅場になってしまいました。
これはこの世的なものです。 良いことはいいんですけど問題が多いんです。
大事なのは この富と成功が私たちが死なないようにしてくれない。
また私たちを天国に入れてくれることはできない。 これはこの世の100年限りの有用なものです。
神様がアブラムを選ばれた理由は 彼を祝福の源として
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その子孫によって全世界のすべての人に 神様の祝福を与えてくださるためでした。
このアブラムの子孫として来られた方がイエス・キリストです。 カラディア3書中4節には
イエス・キリストが来られて 十字架で死んでくださった理由をこのように書いてあります。
アブラムに与えられた祝福がキリストイエスにおいて 違法人に及ぶためであり
また私たちが約束された聖霊を信仰によって受けるためでした。
すなわち違法人である私たちさえも アブラムの祝福を私たちが受けるように
そしてイエス様が十字架で死んでくださったと言います。
ではアブラムの祝福は何ですか? これがアブラムの創世記中2章1節から3節にあります。
2節3節 私はあなたを大いなる国民として
あなたを祝福し あなたの名を高める
祝福の源になるように あなたを祝福する人は私が祝福し
あなたを呪う人は私が呪う 地上の私族はすべてあなたによって祝福に入ろうと言います。
祝福がなくて苦しんでいるこの世に 神様の祝福をくださるために
旧約時代から今に至るまで 神様は熱心に働いています。
ところがアブラムとイエスキリストを通して 回復してくださったこの祝福とは何でしょうか?
これが先週分かっちゃいました。 これがイマヌエル
イマヌエル 神様が私たちと共におられる
孤輪際を意味します。 皆さん孤輪際の祝福をご存知ですか?
神の恵みが共におられることを知っていますか? また神様と共に永遠な天国で生きること
これが私たちにくださる祝福です。 これはこの世だけではなく永遠に続く祝福です。
これをくださるためにイエスキリストが 十字架で死んでくださったんですけど
私たちはイエスキリストの地の大化によって与えられた この祝福を良くして
精霊の助けによってそれを守り 大勢の人々に述べ伝えて
みんなが祝福に預かることができるように していかなければなりません。
私たちはルカの十種を通してその祝福を得て 味わうために大事なことは何なのか
それを今日一緒に分かち合いたいと思います 皆さんこの世の中の祝福は
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熱心にやって他の人と競争して 勝ってまたそれを得るために戦ってとにかく自分の手に入れる
それによって世の中の祝福を与えられるかもしれませんけど 神様がくださる祝福は私たちの熱心
私たちはそれを得るために戦う それと関係がありません
神様の御言葉に従うことによってできますけど 今日神様が何と言われるのか
この家に平和があるように祈ってあげなさい これが祝福の道だと言います
じゃあこれがどんな意味なのか これを今日一緒に考えていきたいと思います
イエス様はルカの九章では十二使徒を 十章では72人の弟子たちを天道のために使わされるんですけど
その天道のために使わされるその人が生きながら何と言うべきなのか ルカの十章個説にこう言います
どこかの家に入ったら まずこの家に平和があるようにと祈ってあげなさいと言います
ところが十章六説に見てますと その相手が私が平和があるようにと祈ったら
その平和があるようにその御言葉を受け入れる このふさわしい人なら私が祈るこのことがそこに臨むんだけど
その人が私が言う言葉が臨むのにふさわしくない方だったら それが私に戻ってくる
皆さんこれをよく見てみますと 私が祝福してその祝福は私に当てはまる場合もあります
これが大事な礼的な祝福です ここで平和と書かれてあるこの言葉は
ギリシャ語でエイデネと言います
これは ジョイン繋がる
結び合わせるという言葉の言語から派生された言葉です これを今の言葉で言いますと
イエス様と結び合わせられて 繋がられて与えられる平和安全繁栄祝福を言います
この世の中には 罪と過ち悪魔と病によって様々な問題があって苦労しているのですが
そのすべての唯一の解決案はイエス様と繋がることによって 神様から与えられる平安
エイデネを受けることです 伝道者がある家に行ってこの家に平安があるようにと祈るとき
09:11
ルカの宮城でイエス様を下さる あなたたちは行ってそのことを伝えなさい
その時あなたたちはこんな力を持つようになるでしょう 悪霊を追い出し病気を癒やされ
病の問題を解決できる そのパワーを下さいました そのパワーがその家に臨んで
その家が救われ生かされ その家に神の国が臨んだはずです
そうしたとき彼たちはその恵みに感謝して 伝道者を自分の家に受け入れ
そのところを拠点としてこの地域に続けて福音を述べ伝える 働きができるようにしてくださった
ですからイエス様がルカの宮城3節にこう言います 食べには何も持っていってはならない
杖も袋もパンも金も持っていったらいけない 下着も2枚は持っていったらいけない
下着も2枚持っていったらいけない 大変ですね
なぜこう言ったんですか あなたが福音を正しく述べ伝えたら必ず奇跡が起こる
そうしたらそれを受け入れた人が感謝の心で あなたの必要すべて提供してあげるだろうと言われる
だから伝道者がやるべきことは福音を確かに述べ伝えること 正しく述べ伝えることが望ましいということです
ところがこの見言葉を今日はこの深く考えていきたいんですけど 先ほど礼的な法則
私が平安を祈ってあげるなら その家がそれを受けるのにふさわしければ平安がその家に留まる
その家がふさわしくなければ その平安が私に戻ってくるということです
では私が祝福してあげてその祝福を私に望むんです だったら皆さん
祝福をたくさん祈ってあげるべきでしょう ところが同じように
私がある人に悪口をしたりある家を呪ったりするなら その呪いをその家がふさわしくなければその呪いが私に戻ってくる
これは怖い話ですね 間違えたら私が呪って私が呪われる
場合もあると ですから私たちは祝福と呪いのことを勝手に語るのではなく
相手をよくよく見て私たちがこの言葉を使うべきだということです ところが
イエス様はすべての人に平和を述べしたい平安を述べしたい エイレネを述べしたいと言ったんですけど今私たちはどうですか
12:06
皆さん毎日子供たちに何と言いますか あなたの祝福があるようにあなたに平安があるように親が祈ってあげますか
そうじゃなければ怒ってから何とか悪口をしますか 旦那さんに妻に何と言いますか
この世の中が激しく問題がたくさんあるから ほとんどの人たちは苛立ちをします
非難悪口呪いを勝手に語る時代ではないでしょうか また生活が苦しくなれば心が固くなになって
もっともっと自己中心になるんです そうしたら自分にプラスになる人は祝福するんですけど
自分にマイナスになる人は勝手に呪ったり悪口をしたりするのではないでしょうか
そうしたら私は一体祝福されるんでしょうか呪われるんでしょうか 例えば
皆さんが神様をイエスキリストを非難したり呪ったりするならどうなるんでしょう 以前の私の子供たちは
父が会社に勤めながら新学校に行ったらいきなり生活環境が悪くなった 難しくなった
だから子供だから
パパが 独身になって私たちはダメになった
また神様によって私たちはダメになった言いながら2人が そこそこ自分なりに
神様のゆえに私たちはダメになったという言葉を使い始めた 皆さん神様が私たちの非難
私たちの呪いを受けるべき方ですか そうではありません
神様は木で満ちあうれ火の内どころもありません 神様のすべては絶対善の神様です
非難するのにふさわしい方ではありません 神様を非難するならその非難が神様に臨むと思いますか
いいえ すべて自分に戻ってきます
だから 私たちの子供たちが非常に長い間苦しみを受けました
家全体が苦しみを受けました
私たちのためにたくさん祈ってくださり 礼儀的にいろいろ助けてくださって
大勢の方々が苦労しました そして今は良くなりましたが
皆さん聖書の御言葉でレビキン24章15節にこう言います
あなたはイスラエルの人々に告げなさい 神を暴毒する者は誰でもその罪を負う
その次の御言葉は怖くて読めません
15:03
皆さん大一致の忌ましみ 私たちの心を尽くし力を尽くしすべてを尽くして
あなたの主である神を愛しなさいと言われるんですけど 私たちは勝手に神様に恨み不満
悪口を勝手に語るのではないでしょうか
第1古霖堂中二書3節 ここであなた方に言っておきたい
神の霊によって語る人は誰もイエスは呪われようとは言えないし
また聖霊によらなければ誰もイエスは主であると言えない
聖霊 神を恐れ敬う霊が望むなら
神様イエス様に絶対呪いをしない 悪口をしない
神様を賛美し礼拝し感謝するようになったんですけど
そうする時に神様が栄光を受けられそれを礼拝する人は祝福されるということです
皆さん 神様に礼拝することができるということは
こんなに大事なことであり祝福されることである
パウル・ペテルを書いた書簡を読んでみますと
人たちは手紙を書きながら神様の皆が出てくるなら
カラディア一書5節にこれがあるんですけど
私たちの神であり父である方にようやく限りなく栄光がありますようにアメン
これを語りながら手紙を書き続けたんです
神様は賛美を受けるのにふさわしい
神様に礼拝する人感謝賛美する人は祝福されます
これほど神様に対する私たちのこの言葉遣い
これが非常に大事それが祝福受けるのに一番大事な条件だということを
ぜひとも考えて もし私たちは大丈夫かもしれません
子供たちが 少し環境が悪くなったり少し自分に合わない
いろいろなことがあったら勝手に語ることを親がよく教えていかなきゃいけないなと思います
ぜひともお願いします また私たちが
罪人たちを非難したり呪ったりするならその人たちはどうなるでしょう
罪人たちは呪われるべき存在ですね だから私たちは優しく呪ったりします
私たちが呪うならその人が呪われるでしょう
ところが 神様は呪われるべきだとしても罪人としても
その方たちが呪いを受けることを願っておりません
むしろ祝福されて救われることを神様が願っておられるんです
18:05
ですから聖書は 悪を行う人に悪を悪で返すのではなく
悪を善で返しなさい 罪人のために平安を祈ってあげなさいと言います
ローマ書公章8節 しかし 私たちがまた罪人であった時
キリストが私たちのために死んでくださったことにより 神は私たちに対する愛を示された
昔私は罪人でした しかし神様が罪人を愛してインスキリスの十字架の地死を
死を通して私たちが救われたように 私たちも悪を行うその人たちのために
祝福を祈ってあげて その人たちが救われるようにしてあげなさいということです
それが罪人である私たちを救われた理由なんです ですから聖書は繰り返し祝福を祈ってあげなさい
悪を悪で返すことではなくむしろ 善を持って返しなさいと言います
ローマ書中二章14節 あなた方が迫害する者のために祝福を祈りなさい
祝福を祈るのであって呪ってはなりません 愛する人たち自分で復讐せず神の怒りに任せなさい
なぜそうするべきですか 彼らが私たちは祝福するなら感動を受けて
悔い改めて救われることができるようにということです そうしたらその人たちが罪人なのに救われた
神の愛によって救われた 私が証をしてそしてまた他の人に福音を伝えることができるでしょう
もし私たちが悪を悪で返すなら その人も気持ち悪いから私に悪いことをするでしょう
だったらまた私がもっと大きな悪を行ってしまうなら この世の中どうなると思いますか
悪魔の働きが拡張していって 全世界が悪魔の世界になってしまいます
しかし悪を善で返すなら あちこちに神の国 御国が成し遂げられるでしょう
私たちはいつも主の祈りでこう言うんじゃありませんか 御国が来ますように
私たちが悪を善で返すなら すべての世界が御国になります
神様がその後とキリスト社である私たちに 悪を善で返しなさい 他の人が悪口をするんだって私が悪口をするのではなく
悪口をする人をために祈ってあげ 愛しあげなさいと言われているのです
21:06
イエス様がルカの出書3節にこう言います 行きなさい私はあなた方を使わす
それは狼の群れに子羊を送り込むようなものだ 結局私たちは狼に祝福あるようにと祈ってあげるようにイエス様が言われることと同じです
皆さん罪人だとして無闇に呪ったり非難したりしてはいけません
神様はそのようなことを願っておりません 罪人のために平安を祈ってあげる
そうするなら神様が喜ばれて私たちに祝福を与えてください
これからある人が私に悪口をしたとしてそれを悪口で言い返してはいけません 悪を善で返すなら神様が祝福を与えてください
その祝福を全員とも私たちはいただきたいと思います
3番目また私たちがキリストシャー達を呪うならどうなるんですか 皆さんキリストシャー達としても罪過ちだらけでしょう
だからある人から非難される呪われる場合もあると思います ところがキリストシャーを呪うなら
呪いがキリストに望んだと思いますか ガラディア3書27節にこう書いてあります
バーヴテスマを受けてキリストに結ばれたあなた方はみんなキリストを斬っているからです キリストを斬っているという意味はキリストの木の衣を斬っています
これは何ですか私たちの防御の壁 保護膜です
キリストが私の私はキリストを斬っているから ある人が何を言ってもキリストが私の
防御 保護の保護膜になってください
だからキリストシャーに呪うなら彼に望むではなくそれが 呪うその人に戻ってくる
ですから私たちはキリストシャー神の子供をうやみに呪ってはいけません それが創世紀中二章3節です
あなたを呪う祝福するものは私が祝福し あなたを呪うものは私が呪う
なぜ神様はそうされるんですか 地上の種族はすべてあなたによって祝福に入るからです
キリストシャーが福音を伝えて世の中の人々が祝福に預かるようになるので キリストシャーがいなければ
呪われて断ち切ってしまうなら誰が福音を伝えますか 誰が神様の恵みを伝えますか
24:07
キリストシャーがいなければいけないんですこの世の中は だからキリストシャーは神様が守ってくださるんです
だからキリストシャーは勝手に神の子供を勝手に悪口をしたり非難したり呪ったりする人は 神様がその人を呪ってしまいます
神様から守られるんです 本当にこれが神様からの恵みではないかと思います
この上の3つの方を考えてみますと 私たちは神様に対してこの世の人々に対して
またキリストシャーに対して 語るべきことはただ一つです
これは彼たちに祝福 平安を祈ってあげることだけです
キリストシャーは誰も誰も非難してはなりません そうするなら私たちは神様の祝福をいただくことができます
気をつけましょう いつも祝福をする たったら祝福は私に戻ってくる
神様が祝福してください これが神の祝福をいただく秘訣なんです
しかし世の中は非常に厳しい 正常競争が激しい
だから 自己中心的な私たちは乱れに呪いをかけやすくなります
皆さん アレルのイスラル人たちが 四国の地カナンに入れなかった理由は言葉のゆえでした
不信仰の言葉 恨みの言葉 非難の言葉
それを語った時 民数記14章28節にこう言います
主は言われる 私はお前たちが言っていることを耳にしたが その通りお前たちに対して必ず行う
その人たちは私たちはカナンに入れない カナンには巨人たちがいる だから私たちはこの人の前には何もないんだと
入れないんだと だったら入らないようにしなさい
なってしまいました 入りますと言った
ヨーシャーとカレープ二人が入るようになる 自分の言葉に肩と通りになります
何を語りたいんですか 祝福を語りたいんですか 呪いを語りたいんですか
絶対不信仰 呪い 悪口 これをこれからやめましょう
約部3章6節にはこう言います 舌は火です 舌は不義の世界です
27:02
舌を無闇に使うなら地獄の火によって燃やされます
ですから私たちは言葉を制御する これは日本語 素晴らしい日本語ですね
言葉を選んで語る この方は言葉を選んで語るような人だと
すごくいい言葉ですね 私たちが言葉を選んで語る私たちになりましょう
その人は祝福されます しかし皆さん
私たちが悪口を言いたくて言うのではありません ルカの6章45節を見ますと
人の口は心からあふれていることを語る なぜ悪口をするんですか
その人の心が臭くなっているからです 汚いからです
枕だからです だからもういくら祝福話をしようとしても心から出てくることが
暗いことしかないから悪口を語るんです だから私たちは祝福されるためにはまず心を清くしましょう
どうすれば心を清くなりますか 見言葉をいただいて悔い改め
悔い改めを通して心が清くなります そうするなら心が清い人は神を見る
心が清い人は神様から祝福される ぜひとも自分の心が今汚いのか焦っているのか
どんな状態なのか見てみていきましょう 心が清い人は祝福の話をしやすくなります
だったら至福する人になります もう一つは
三蔵の水句は真体の七書中二節だから人にしてもらいたいこと思うことは何でもあなた方も人にしてあげなさい
それが預言者である立法であると預言者であると言います 皆さん
他の人に何をしてもらいたいんですか 愛されたくありません
褒められたくありません 認めたくありません認めてもらいたくありません
祝福され慰められ励まされ 恵みを豊かに与えてもらいたくありませんか
それをもらいたいなら私が先にその人を愛します祝福します 恵み慰めの話をしなさい
そうするならその人も私にこう言うでしょう お互いに祝福される素晴らしい方法が三蔵の水句で与えられています
皆さん神様から祝福される方法わかりましたか 言葉です言葉使いです
30:05
この言葉は心から出るから 心をまず清くしましょう悔い改めましょう
なんか悪いなんか良くない心が少しでもあったら 神様に悔い改めましょう
清くしてもらいましょう そして心いつでも誰が何を言っても私の心からは清い言葉
祝福の言葉平安な言葉が出てくるようにしていきましょう それが私と私の家族が祝福される秘訣です
結論を申し上げます言葉は信仰成熟の表現です 私たちは言葉で祝福されます
ですからダビデはこう祈りました詩編の141編の3節です 主よ私の口に見張りを置き
唇の唐を守ってください 主よ私の口に見張りを置き唇の唐を守ってください
ダビデはそれをわかってから自分の口に見張りを置いて私に口から悪いことが出てこないように
祝福の話ばかり出てくるようにしてくださいと祈りました そのようなダビデは祝福されました
ぜひとも私たちも唇に見張りを置いて いつも祝福の言葉だけが出てくるようにしていきましょう
それで私たちが祝福に預かる神様の祝福に預かるものになりましょう またこれを子どもたちに教えましょう
そして子どもたちもこの人生いつでも主の祝福に預かるものにしていきましょう 私はこの場を借りて悔い改めます
私は私の息子 私は散々苦しめている心を苦しめている場合が多いので
その時私の言葉から感情的なことが出てきたり 悪口が出てきたり
でやりました恥ずかしく思います 悔い改めてこれからは平安
エイレネの言葉だけを 祈って語ることを私は
決心します ぜひ私たちの子どもたちに
この子どもたちが祝福に預かる子どもになるようにいつも私を心から この子どもに平安があるように
エイレネ 祝福あるように
いつも祈ってあげる親になっていきましょう お祈りいたします
ハレルヤ天皇お父様 今まで
本当に 業界の家族に対してまた他の人々に対して
33:04
悪口 不満の言葉
本当にたくさん語ったことを悔い改め 主の
本当に許しをお願いしたいと思います イエス・キリスト主治家の父親によって
私の心を清くしてください そして心に満たされていることが口から出てくるものですから
ぜひとも私の心が清くなって いついかなる場合でも清い言葉 祝福の言葉 慰めの言葉
恵めの言葉だけが出てくるようにしてください そして全ての人に祝福を
本当に祝福される 祝福に導く私たちにならせてください イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン
33:56

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