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2023-02-19 30:39

「神の口から出る一つ一つの言葉によって」2023年2月19日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年2月19日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

マタイ4:4 イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」 申命記8:2,3 あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるので はなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。
00:00
今日は 神の口から出る一つの一つ一つの言葉によってという対応をもってメッセージを分かっちゃいたいと思います。
今私たちは正しい信仰が何なのかを一緒に考えているところであります。 正しい信仰は
ただ恵み、ただ精霊、ただ忠実か、ただ信仰、ただ見言葉による
この器、五つの面を持っている器の中に この中身は神を知り、神を愛する信仰の本質を豊かに入れて
それで神様との交わりをし、神様と共に歩む この生活が正しい信仰の姿です。
先週はただ見言葉によってに対して分かっちゃったんですけど 皆さん見言葉がどれほど大事なんでしょう。
一度限りの人生 その人生が幸せになるのか
これを呪いになるのかは 神の見言葉に従うのか、従わないのかにかかってあります。
ですから神様がイスラエル人たちがカナーからこれからカナーに入るとき 何をされたのか
新明紀27章の中2節から中4節を見ますと イスラエル200万人の中二部族の民を
半分分けて この半分はケリシム山という山に
これを行かせ、もう半分はこのエバル山という山に行かせて
その間にレビュー人たちが立法を朗読するんです 宣言するんですよ
そうするなら
神の見言葉に従うなら祝福されますと言ったら ケリシム山に行った人々がアメーンと言うんです
神の見言葉に従わなければ呪われると言ったら このエバル山にいるこの半分のイスラエル人たちがアメーンと言う
これは1日中聖書を朗読しながら ここからアメーンここからアメーン
それを国民的な行事としてそれを行われようにしたんです なぜ国民的な行事としてイスラエル人たちがカナーに入る前に
神の見言葉に従うなら祝福 見言葉に従わなければ呪い
それをみんなに 国全体にこれを知らせたんでしょう
見言葉に従うこと見言葉に従わないことがこんなに大事だ 人生の生きるか死ぬか祝福なのか呪いなのかがここに書かれてある
神様の願いはぜひとも見言葉に従っていきなさいってことでしょう 神様は私たちを一番愛しております
03:05
私たちも神様を愛しているでしょう では私たちは神を愛しているということをどのように表しますか
これは神の見言葉に従うことによって神様に私たちの愛を示すんですよ これから要は14章21節です
私の掟を受け入れそれを守る人は私を愛するものである 私を愛する人は私の父を父に愛される
私もその人を愛してその人に私自身を表す イエス様は神様は神を愛する人に自分自身を表してください
神様会いたいですか 愛すればいいです
神様会いたいって愛すればいい愛はどうするんですか 見言葉に従うことが神を愛することだ
しかし現在のもとにある私たちの人間の限界があります 現在のもとにある人は神から離れようとする傾向があります
また神様の見言葉を最後まで守り抜くことができない どうしようもできない人間のこの姿
だったら私たち人間呪いしかないんですか いいえ
神様は私たちのために呪いを受けじゃなくて幸せ祝福の中で生きるように 神様が愛する私たちのためにいろいろなことを備えてください
じゃあこれを今日一緒に分かち合いたいと思います じゃあまず
創世紀3章 アダムとエバが神様が食べるなぁと言われた
Jアークの知識の木の実を食べてしまいました その後アダムとエバの過程はどうなったのか
皆さん 想像したことがありましたか 私は先週ずっと想像しました
じゃあ私の想像が正しいのか 聞いてみてもらいます
皆さん創世紀2章は祝福を豊かな祝福にいました 創世紀3章でそれが全部なくなりました
貧しい 何にもない貧困の状態に陥ってしまいました
ものすごい金持ちが 物語になってしまった
祝福の過程が呪いの過程になった その怖いほど変わったこの変化
考えてみてください たくさん思ってました 全部なくなりました
その中で誰のせいですか それがもともとエバのせいなんです
他の人のせいをうまくよくやるアダム 神様が私にくださったこの女が
06:02
私に食べませんわと言ったら 私が食べましたと 女のせいをたくさん知ったこのアダムが
毎日何をしたと思いますか 以前は働かなくても食べるものが豊かにあったのに
今は何にもないでしょ お前のせいだ お前のせいだ
お前のゆえに私たちの家庭がダメになった あなたのあなたのせいだと思い出されるたびに妻を責めたでしょう
たぶん私はエバがうつ病にかからなかったか 私はいろいろ考える場面があってした
そうです 一生涯過ごしながら貧しい時 苦しむ時 お仕事でつらい時
いつもアダムはエバに お前のせいだ お前のゆえに
その家庭で誰が生まれて育てられたんですか カインとアベルが生まれて育てられた
夫婦喧嘩がいっぱいあったんです 聖書は書いてないんですけど 私なりに考えたら
夫婦喧嘩がたくさんあったのではないかと思います その子供たちの心に何が芽生えさせられたと思いますか
カインは神様に対する恨みが生じました そんなちっぽけの善悪の知識の木の実が何で
それを食べたとしてエデンの園を全部奪ってしまったのか カインとアベルはエデンの園を見たこともありません
それを見た人はただ アダムとエバだけなんです しかしその話をずっと聞いたからその想像ができるんじゃありませんか
神様が私たちを愛してなかった 神様に対する恨み
何とか何とか反発感がカインにはあったと思います しかしこのアベルは
親の不受順によって神様の見心がどれほど傷つけられたのか 神様はご自分の全てをくださったのに親が従わなかったのでそれが全部なくなって
神様が私たちに対する心がどれほど辛かったのか 神様はごめんなさいごめんなさい
アベルは多分そのような心を持てたと思います じゃあその二人が神様に礼拝を捧げています
神様はカインの礼拝は受け取ってくださいませんでした アベルの礼拝は受け入れてくださったんです
礼拝は礼拝を守る形式 儀式が大事じゃなくて その心が大事なんです
カインとアベルの心は全く違ったってことです
そうしたら それじゃなくてもカインは神様に対する恨みがいっぱいあったので
それを礼拝さえも受け取ってくれない 神様にどれほど腹が立ったんでしょうか
09:02
腹が立ったのか それを受け入れられたアベルは羨ましかったのか
カインはアベルを殺して 神様に悔い改めないで
続けて続けて反抗ばっかりしてたんです
じゃあ皆さん なぜカインは反抗する心を持つようになり
弟を殺すまで生きてたんでしょう
聖書は何というのか 第1要年3章12節にこう書いてあります
カインのようになってはなりません 彼は悪いものに直して兄弟を殺しました
なぜ殺したのか 自分の行いは悪く 兄弟の行いは正しかったです
皆さん チェンヤクの知識の木の実を食べるところで サタンの誘惑 ヘビの誘惑があったんでしょう
同じように カインがアベルを殺すところにも サタンが働いたということがわかります
皆さん気をつけなければなりません 神様に対して
兄弟姉妹に対して 悪い心 恨みを持って 戦いを持ち続けるなら
必ずその隙をサタンが狙って入ってくるんだ
入ってきて捕らえられたら この後はサタンが指示する通り
殺したり神様に反抗したりするしかないんだということです
ここで皆さんの心を守ることが大事
カインは自分の心を守ることができなかったってことでしょう
結局カインの子孫たちは 創世紀4章以降
みんな神様から離れます
神様を認めない世界 神様を折られない世界を作ったんです
そうしたらいけないから神様は アベルの代わりにセットを生まれさせ
そしてエノス ノアを生まれさせて
それで救いに対するその系統を 引きつけられるようにしてくださいました
神様は前悪の知識の木の実を食べて エデンから離れるアダムとエヴァに
創世紀3章21節には動物を殺して 動物の皮で衣を作って生きさせられた
このカインに対してはどうしたんですか
神様は創世紀4章15節を見ますと
カインに出会う者が誰もカインを討つことがないように
カインに特別な保護のための 印をつけられたと言います
ここで罪は憎まれるんですけど 必ず罰しなきゃいけないんですけど
人間を愛して生かそうとする 神様の愛の心が現れています
12:03
アダムには皮の衣を着けされて
カインには保護の印をつけられてくださった神様 それだけではありません
ヘブライ賞9章22節を見ますと
旧約時代には数多くの動物を殺しながら その地によって贖いの罪の許しをいただくように
神様は立法を作ってくださいました
こうしてほとんどすべてのものが立法に従って 地で清められており
地を流すことなしには罪の許しはありえないのです
神様が罪の呪いによって不幸になる私たちを生かすために
罪の問題を解決できる方法を 始めから与えてください
これが地を流すことです
地を流すということは 私が死ぬということの意味ですから
私が死んだらもう意味がないじゃないですか
だから罪がない動物の地を代わりにして
神様に食材の礼拝を捧げることで
イセラリ人たちは罪から逃れる道を備えてくださった
この動物は来られるイエス様を象徴するのです
イエス様は罪がない人として来られ
私たちの身代わりに死んでくださることを これで私たちは教えてくださった
またもう一つはソロモンがソロモン神殿を作って
その神殿を奉献するとき彼は祈ったんです
この祈りの中に神様が現れて何と言われるのか
それが歴代経の7章中4節です
もし私の名をもって呼ばれている私の民が
ひざまずいて祈り私のかを求め 悪の道を捨てて立ち帰るなら
私は天から耳を傾け罪を許し彼の大地を癒す
ソロモン神殿これは皆さん神様を求めて
ソロモン神殿は神様がおられるところだと思っては
これは大間違いですね
なぜなら神様は全宇宙より大きいお方なんで
全宇宙より大きいお方が陸上部屋の中でおられることはできないでしょう
その神殿の意味は神様の名前を置くところ
神の名を置くところ
またこの神殿は神様を求めるとき
どこに行けばいいですかという人にここに来なさい
神様に出会う場所としての神殿の概念があります
今もそれは同じですけど
だから神様に出会う場所が必要
15:03
その場所でこれはソロモン当時はソロモン神殿になった
私たちはこの六十部屋です
ここに来て神様に
歴代家の七十十四世にひざまずいて祈り
私の顔を求め悪の道を捨てて立ち帰るなら
ここで神様にこのように祈って悔いを改めて
自分の生活を変えるように決断して死を求めるなら
私は天から聞く
そして罪を許してあなたたちを癒してあげる
という約束をしてくださったんです
ここで見てますと
皆さん 手術礼拝ということはどれほど大事なのか
見えてきますか
私たちは一週間一週間数多くの罪を犯した
牧師も犯します
たくさんの過ち罪
皆さんエピソード2章1節
過ちと罪によって死んでいたと言いました
過ち罪によって死んでいくのが人間の姿です
このたくさんの罪と過ちをどうすればいいんでしょうか
主の名を置いておくこの場所に来て
主にひさまずいて悔い改めて
これから主の見事場に従っていきますという
決断して主に従うことさえなさるなら
神様が私たちの罪 過ち 病気
全てを癒してくださると約束されたことです
この約束は私たちにもあります
この神殿ということは大事ですね
ですから神を恐れおやまう
この心で集まるこの礼拝の時間は
また礼拝行為 礼拝を捧げる全ての行為は
失われたエデンの園を取り戻してくださる
その神様の心
祝福がそこから始まるんだという
この意味で非常に大事なところです
また神様がそのようにして私たちを生かしてくださり
一番大事なのは救い主 イエス・キリストを送ってくださること
創世紀3章15節の約束通り
女の子孫としてイエス様が来られたんですけど
弱音3章16節にはこう言います
神はその一人子を渡りになったほどに
よ愛された一人子を信じる者が
一人も滅びないで永遠の命を得るためである
イエス様の十字架の死 その意味は
神様の無限な許し 無限な愛
私を信じて悔い改めさえするなら
私はあなたのすべてを許して
あなたを回復し あなたを祝福してあげるという
神様の御心が十字架に全部書かれてある
18:01
ですから 方と息子が悔い改めて戻ってくるなら
すべてを取り戻してくださり
下院の刑場で罪を犯しながら捕らえられた女が
イエス様のもとに来たとき
私もあなたを罪に定めない 許してあげたり
また私たちこう言います
何回許してあげましょうか 7回でしょうか
いいえ7回を70回も許してあげます
無限の愛と許し 祝福
その象徴がイエス様の十字架なんです
イエス様の十字架に出会って
すべてが回復できるように
神様は私たちに
そのすべての道を備えてくださったことが
どれほど素晴らしいでしょう
これから見ていますと
私たちが捧げる恋愛行為
すべての恋愛の行為は
罪を許してくださり
祝福を回復してくださろうとする
神様の御心なんです
ですから 慈悲にかなって
神様の助けをいただくために
恵みの邪の前に進み出るべきではないか
ヘブライ賞のこの言葉通り
私たちは礼拝参加することを
熱心にしなければなりません
ところが人間が悲劇に陥って
人間がエデンの園を失って
問題になった原因は
創世紀2章17節
ただしチェンアークの知識の木からは
決して食べてはならない
食べると必ず死んでしまうという
神の御言葉に不従順することを
それによって それができた
ですから私たちを救うために
また私たちの模範として
来てくださったイエス様は
徹底的に御言葉による生活をされました
じゃあイエス様の御言葉による生活
どのようにされたのか
私たちもこれが模範ですから
私たちも従っていきたいんですけど
まずイエス様は
イエス様自身が御言葉だった
ヨハネ1章1節と中4節でこう言います
初めに言葉があった
言葉は神と共にあった
神は言葉であった
言葉は肉になって
私たちの間に宿られた
私たちはその栄光を見た
それは父の一人子としての栄光であって
恵みと真理とに満ちていった
イエス様は御言葉そのものです
じゃあもし私たちの教会で
ああ彼は御言葉そのものだと言われる人がいたら
皆さんどんな人にこう言いますか
御言葉をよく知っている
よく理解している
また御言葉通り切る
御言葉の人だと言いたいんでしょう
イエス様がそのようになったと同じなんです
21:02
イエス様は御言葉そのものでした
しかし御言葉そのものであるイエス様が
神様の霊魔の御言葉を聞くためにどうされたのか
マルコ1章35節に
朝早くまた暗いうちにイエスは起きて
ひどさと離れたところに出て行き
そこで祈っておられた
御言葉そのものであるイエス様が
神の今の言葉
生きた言葉霊魔の言葉を聞くために
朝早く起きて
人々がいないところに行って
そこでずっと祈っておられた
御言葉であるイエス様が
霊魔の御言葉を聞くために
神の前で皆さん
霊魔の御言葉を聞くためにこんな熱心するんです
これだけではありません
ルカ1章15節16節にはこう書いてあります
イエスの噂はますます広まって
大勢の群衆が教えを聞いたり
病気を癒していただいたりするために集まってきた
だがイエスはひどさと離れた通りに
退いて祈っておられた
世の中の人々はイエス様の前に集まってきます
集まってくるんですけど
その人じゃなくてイエス様はどこか行って祈られた
人々の要求より神様からの霊魔の御声が聞きたい
その聞いて働きたいと思っておられるイエス様の姿勢
またイエス様は聞いた霊魔の御言葉を
成し遂げてあげることが御自分の勝手だと思った
食べ物だと思った
ヨハネ4章34節
イエスは言われた
御言葉に対するイエス様の姿勢
イエス様自身が御言葉でありながら
神様の霊魔の御言葉を聞こうと最優先として
またこの御言葉を成し遂げてあげることが
自分の勝手だと思いながら
一生御言葉に従って生きた
これが私たちが学ぶべき御言葉によって生きる生活
これがなぜ大事なのか
イエス様がアラノで40日間断食しながら
悪魔から試みをいただいた
そのとき悪魔は何と言うんですか
すぐお腹空いているときに悪魔が来て
あなたが神の子供なら
この石をパンにして食べたらどうだと言いました
そのときイエス様がまた四書四説
イエス様はお答えになった
人はパンだけで生きるものではない
神の口から出る一つ一つ
24:01
言葉によって生きると書いてあるじゃないか
それで死にそうになった
皆さん 人はパンだけで生きるものではない
生活に必要なことがたくさんあるでしょう
それだけで生きるものではない
神の御言葉 一つ一つ御言葉
これは霊魔の言葉
それによって生きるんだよということを
私たちに教えてください
またこれが大事なのは
この御言葉はどこから出た言葉ですか
これはイスラエル人たちが40年間アラノで
訓練を受けているときに
神様がアラノの訓練の意味を教える
神明記8章3節にこの言葉があるんです
主はあなたたちを苦しめ
飢えさせ
あなたも先祖も味わったことがない
マナを食べされられた
その理由は
人はパンだけで生きることではなく
人は主の口から出る
すべての言葉によって生きることを
あなたたちに知らせるためだ
イスラエル人たちが40年間
アラノでマナを食べました
その意味は
今私たちは住んでいる
今教会生活しているこの世の中
これがアラノの生活
アラノの生活の中で
私たちに一番大事なことが何か
神の口から出る
一つ一つ言葉によって生きる
この生活をしなければいけないよ
ということを教えてくださることであり
またイエス様がアラノで
悪魔の試みを受けながら
その御言葉を引用した理由は
悪魔の試みがたくさんある
誘惑がたくさんあるこの世の中で
私たちが安全に
祝福を奪われることができなく
悪魔の攻撃に一番安全にするためには
パンだけで生きるのではなく
神の口から出る
御言葉御言葉によって生きるんだよ
このようなことを私たちに教えてくださること
御言葉によって生きる
このことがこんなに大事です
結論的に皆さんに
アラノのようなこの世の中で
私たちはどう生きればいいですかというとき
どのように過ごすなら悪魔に勝つ
そして第2第3の禁薬の知識の木の実を食べる
このような事件が起こらないように
また御言葉に従って祝福を受けること
また神の御胸がこの地の中で成し遂げられ
神の御国が建てられる
素晴らしい御業がどうすればできるのか
その秘訣は
ただ御言葉によって生きることですけど
それは神の口から出る
一つ一つの言葉によって
生きることを生活すればできます
27:02
イエス様が御言葉と言ったように
私自身が
私は御言葉の人
御言葉だと言われるほど
神の御言葉に親しんで
そして神の御言葉をよく覚えて
よくして覚えて生きること
是非ともやっていきたい
また毎日毎日
毎日神の令和の御言葉を聞くために
イエス様のように静かな時間をわざわざ作って
そこで神に耳を傾ける
この時間をたくさん持ちながら
また美味しい料理を楽しんで食べるように
御言葉を楽しんで食べ
神様の御声に従うことを楽しんでやっていく
このような生活をすること
これが奪われた 失われたエデンの園を
回復することになり
死し損損
祝福を受けたとしても
悪魔に奪われないことであり
神の御声が
御胸が成し遂げられ
神の御国が建てられることができるんですけど
これはこれから私たちが
神の口から出る一つ一つの御言葉に
どのように従っていけるのか
どのように従順して生きることか
これで書かれてある
イエス様はこの世に来られて
御言葉通り行けたと
それを模範を見せてくださいました
ですからこれから私たちも
イエス様のように
神の御言葉を喜んで受け入れ
喜んで御言葉に従うこと
それが私の楽しみであり
私の糧だと思われるほど
美味しい料理を食べるように御言葉を食べる
楽しく行動することのように
御言葉を実践していく
この生活を私たちが毎日毎日
実際行っていくなら
エデンの園が回復できます
すべての問題が回復できます
サタンに勝ちます
神の与えられた祝福は
祝福はいつまでも保つことができるし
それによって私たちの家庭
私たちの子供たち
ししそんそん
神様の祝福の人生を過ごすことができます
ぜひとも今日覚悟しましょう
これから私は
毎日毎日神の口から出る
一つ一つの言葉によって
生きるものになりたい
それが祝福の道です
それを教えるために
イエス様が来られました
お祈りいたします
神様今日は
御言葉から離れて
苦労しているアダムの家庭を
考えてみました
30:00
また祝福を取り戻してくださるために
神様の熱心を学びました
また祝福の生活ができるように
イエス様が来られて
御言葉によって生きる生活を
模範を見せてくださったことも
学びました
今年は
神様の口から出る
一つ一つの言葉に
うまく受け入れ
従うことができるように
それによって
家庭と子どもたちと
教会が祝福される
私たちにならせてください
イエス様の皆を通して
お祈りいたします
アーメン
30:39

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