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2021-06-06 25:42

「誰でも私のところに来て飲みなさい」2021年6月6日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年6月6日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

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今日のメッセージは 誰でも私のところに来て飲みなさいという対応を持って
メッセージを分かち合いたいと思います。 2週間前 私たちは 聖霊への降臨
ペンティコスでの礼拝を捧げました。 皆さん 聖霊様が来られたということは
どれほど大きな意味があるのでしょうか。 聖霊様は助け主です。
乾いている私たちの人生に 神様からの満足を与えてくださるために来られたんです。
今日の聖書にイエス様が 乾いている人は誰でも私のところに来て飲みなさいと言われています。
意図ではなく 私のところに来て飲みなさいと言われたんですけど 皆さん 乾いておられますか。
神様からの満足を味わいたいですか。
ではイエス様がくださる生きた水 聖霊を受けなければなりません。
私たちキリスト社は 世の中の人のように
世の中のもので満たそうとしてはいけません。 私たちは聖霊によって完全な満足を得なければいけません。
今日は聖霊によって神様がくださる満足を得るために 私たちはどうすればいいのか分かち合いたいと思います。
まず一つ目です。 イエス様が大声で言われたというその時の意味をまず考えていきましょう。
その日はカリイオ祭でした。 神様がイスラエルのために三つの祭りを守りなさいと言われました。
シュチュエジプト 34章23節に 年に3度 男子はすべて主なるイスラエルの神 主の御前に出なければならないと言いました。
ユダヤ人の三大祭り 杉越の祭り 古巡祭 カリイオ祭です。
杉越の祭りをチョコ祭と言い 古巡祭をナナシュ祭と言います。
またカリイオ祭を鳥入れの祭りという時もあります。
12歳以上の男性はみんな イエルサレムに登って守らなければいけなかったんです。
この三つの祭りを守りなさい。 なぜ命令されたのでしょうか。
感謝の生活も大事ですけど、各々の祭りの深い意味を覚えさせるためだったんです。
まず杉越の祭りは救いを記念することです。
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エジプトの杉越の祭りは コイツジの血を塗ることによって
エジプトの奴隷生活から解放されることになり
神薬のイエス様の十字架の血潮によって
私たちが罪とサタンの奴隷から解放された時を記念することです。
杉越の祭りは救いを記念する祭りです。
みなさん、救いの恵みを忘れては信仰がためになります。
ですから私たちもいつも覚えて感謝しなければなりません。
杉越の祭りから50日目
また神薬の時代にはイエス様の十字架と復活から
50日目になるこの日を古巡祭と言うんですけど
旧薬の古巡祭の時には支内さんで立法をいただきました。
立法によって神様と契約を結ぶようになりますけど
例えば神様が安息日を守りなさいと言うなら
私たちは守りますということ
それで神様といされる民の間に契約を結ばれたんです。
この契約協同体の始め
これが古巡祭の意味です。
新薬の古巡祭は聖霊をいただいた日です。
聖霊が来られて初代業界が始まった日です。
皆さん、業界がどんなに大切なのでしょうか。
霊的な家庭です。
神の国のこの世におけるモデラースのようなものです。
神様は協同体を通して働くんだという意味は
業界を通して働かれるんだということです。
ですから業界が大事です。
業界から離れた信者は家庭から離れた子供と同じです。
牧者から離れた一匹の羊
狼に食べられるでしょう。
同じように業界から離れた信者は
この羊のように危険になるかもしれません。
ですから私たちは業界中心的な
信仰生活をしなければいけない。
これが古巡祭の大きな意味なんです。
では三つ目に今日の聖書の背景であるカリイオ祭です。
イスラエル民がエジプトから出て40年間アラノで
テント生活をしたことを記念して
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草と木でカリスマ湯を作って
7日間外で生活しながら
その時のことを思い起こして感謝する祭です。
皆さんアラノで何が一番問題だったでしょうか。
食べるものもちろんそうですけど
もっと問題になるのは水だったんです。
アラノで水がなくなったとき
彼らは出土エジプトの官邸もなくなり
モーセを殺そうとしたんです。
その時モーセが神様に祈ったら
神様が杖で岩を叩きなさいとして
岩から水を出してくださったことがありました。
ですからカリイオ祭の期間にはアラノで
水がなくて苦労した経験を生かして
祭司長が毎日シロアムの生贄に行って
水を汲んで祭壇に注ぐ儀式を行いました。
ですから毎日毎日人々は
水を汲んでくる祭司長たちを看護して迎えながら
7日間祭を味わいました。
では2つ目ですが
祭が最も盛大に祝われる終わりの日に
イエスは立ち上がって大声で言われたと言います。
では何と言われたのでしょうか。
ヨワネの7章37節38節です。
乾いている人は誰でも私のところに来て飲みなさい。
私を信じるものは聖書に書いてある通り
その人の内から生きた水が川になって
流れ出るようになると言われました。
では終わりの日に
なぜイエス様がそのように叫ばれたのでしょうか。
イエス様は彼らの上渇きを見ておられたんです。
華麗な祭が彼らの上渇きを満たしてあげることができなく
みんな楽しんで戻るように見えるんですけど
満たされない彼らの内面を見ながら
気の毒だと思って言われたでしょう。
みなさん祭りを楽しむばかりで
救い主に出会うことができなく
上渇きが解決できなければどうなると思いますか。
人々は罪を犯します。
罪を犯すということは
霊と魂と体の上渇きを満たそうと
そのようにすることなんです。
その実際の事例として
09:00
今日のヨワネの7章のこの次の8章に何が出てきますか。
関院の現場で捕まった女が出てきます。
イエス様が彼女に婦人よと言ったのを見てますと
彼女は主婦だったんですね。
主婦が立法的に厳しかったその時代
なぜ関院の罪を犯したんでしょうか。
満たしてもらうために来たのに
満たされないから
この世の方法で満たそうとして
罪を犯したんです。
イエス様の良き牧者の心
生きた水の源ですから
その民たちに神様からくる真事の飲み物
真事の飲み物で彼らを満たしてあげたかったんです。
体の渇きがあるなら水をたくさん飲めば解決できますが
霊魂の渇きはどのようにすれば満たされることができますか。
神様から与えられる生きた水を飲まなければなりません。
もう一度ヨワネの福音書7章38節39節を読んでいます。
私を信じるものは聖書に書いてある通り
その人の内から生きた水が川となって流れているようになる。
イエスはご自分を信じる人々が受けるようにしている
精霊について言われたのであろうと言っています。
皆さん精霊十万に対する上渇きがありますか。
体の欲望だけではなく
霊魂霊と魂を豊かに満足してくださる精霊の十万。
精霊の十万は信約のキリスト教徒たちにはいくらでも許されていることなんです。
救われて新たに生まれる時から
精霊様は私たちの内に内受しておられます。
ですから私たちは私たちの内から満ちあふれ
また頭の上から注がれる精霊様に対して
目を覚まして精霊によって満たされようとする
渇望、熱望、希望を持たなければなりません。
皆さん生きた水、精霊の流れを塞ぐ最大の敵が何だと思いますか。
それは罪なんです。
罪意識に煩わされるなら
12:02
天からのこの流れが詰まってしまいます。
例えばシシキのサムソンはナジルビットでした。
はじめから精霊によってどれほど力強かったのか
シシキ中古書で見てますと
精霊が望むなら老婆の顎の骨で
ペリシテの兵士千人を打ち殺したりします。
しかし違法の女と快楽に陥って罪を犯した時は
体が抜かれ奴隷として転落してしまいました。
ダビデも同じでした。
神様の御心にかなう人としてどれほど祝福されたんでしょう。
彼が願うなら神様は何でももっと与えたはずだと言っています。
しかしウリアの妻バッセバットの快楽に陥って罪を犯した時
その時からダビデの全ての祝福は事実上終わりました。
その後は家の中がダメになりました。
子供同士で戦ったり子孫互いに戦ったり
戦いしかないこの家の状況が続きます。
その原因は何ですか。
罪です。
神様から親しいから多めに見てくださるんじゃないか。
そんなことありません。
いくら親しいとしても罪を犯すなら全てがダメになります。
アダムとエーヴァが罪を犯したならエデンの園が消えてしまうことと同じです。
ですから罪が怖いんです。
皆さん私たちみんなには上階があります。
イエス様はどうして精霊の充満を求めて進んでいくのか。
この世を通して満たそうとして
肝炎の女のように罪を犯してしまうのか。
選択です。
私たちは選択しなければなりません。
では私たちは当たり前として
イエス様がくださる精霊で満たされなければならないでしょう。
世の中の誘惑
この世の中に心を奪われないためには
私たちは精霊の充満
イエス様によって充満になることが大事です。
ですからイエス様がカリー要塞の祭りが終わっても
内面が満たされなくて
上階が残っている彼たちに
私のところに来て飲みなさい。
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生きた水を与えると言われるのです。
皆さん私たちは精霊によって満たされなければなりません。
肉欲は満たされてもしばらくだけです。
また渇きは続きます。
永遠に永遠に満たしても満たされません。
しかし精霊によって満たされるなら
私たちを本当に満足してくださり
神様のすべての祝福の中で
私たちを導いてくださるから
信仰の本当の味は
精霊の充満から始まるのです。
ですから私たちは
精霊によって満たされるだけではなく
神様のすべての恵みと
祝福で満たされようとする
熱望をしなければなりません。
三つ目です。
では私たちがどのように
生きた水、精霊に満たされることができるでしょうか。
はじめに何より大事なのは祈ることです。
祈り求めることです。
ルカの福音書中1章中3節に
このようにあなた方は悪いものでありながらも
自分の子供には良いものを与えることを知っている。
まして天の父は求めるものに
精霊をくださらないのかと言われています。
イエス様は昇天しながら
上から来る精霊を待ちなさいと言われた時
弟子たちは10日間
何をしたのか知ったのですが
祈りました。
祈った時
上から精霊の豊かなリバイバルが来ました。
まだ精霊によって満たされているリーダーたちが
哀愁祈りをしてくれる時
精霊注慢を受けることができます。
精霊注慢の秘訣は
祈ること、祈ってもらうことです。
しかし祈りながら
必ず解決していかなきゃいけないことがあるのですが
精霊注慢を妨げる
精霊注慢を消滅する
罪を捨てること
罪を悔い改めることです。
なぜ私たちが祈っても
精霊注慢にならないのか
悔い改めなく祈るからです。
悔い改めなく祈るのは
答えがありません。
この問題を軽く考えるから
面白くない祈りが続けられるのではないでしょうか。
イザヤ59章の1節2節
主の手が短くて救えないというのか
18:03
主の耳が鈍くて聞こえないというのではない
むしろお前たちの悪が
神とお前たちの間を下手で
お前たちの罪が
神の身下を隠し
お前たちに耳を傾けることを
妨げるのだと言っています。
個人の祈りは
自分の罪を悔い改めるなら
使えるものはなくなるでしょう。
悔い改めて祈るなら
祈りの答えとして
精霊様が望まれます。
心から満ちあうれる精霊の充満
頭の上から降り注ぐ精霊の充満を
味わうことができます。
しかしもっと大事なのは共同体です。
神の御業は共同体の働きだと言います。
神様は共同体が
精霊によって満たされることを願っておられます。
共同体が祈るとき
共同体の罪を悔い改めて
祈らなければなりません。
ところが共同体は
共同体のメンバーお互いの関係の中で
積み重ね積み重ねられたことがたくさんあって
どうすればいいかわからなくなります。
以前の教会で
韓国の李先生が来られて
集会をするときに
李先生が私にこう言いました。
福祉さんこの教会はお互いに
確執が多く
癒されるべきことが多くて
どうすればいいかわからないですねと言いました。
それで私は悩みながら
開拓することを決心しましたけど
今私たちの共同体は
開拓初期なので
そんなことはありません。
これから伝道師さんと私がやるべきことは
このようなものです。
心を一つにして
いつも祈る教会になることです。
修行伝1章で
共同体の中で心痛い問題がありました。
それはイスカリティ・イスカリオテユダの
裏切りの問題でした。
その問題をペトロが見事場を持って解決して
皆さんの心が一つになって祈ることができたとき
リバイバル、精霊の大きなリバイバルが
来たのではありませんか。
私たちもこれをうまく学んで
よくできればと思います。
また精霊の中盤は見事場と関係があります。
21:02
精霊は真理の霊だと言います。
精霊様は見事場を聞く間に
見事場を聞いて恵みを受ける間に
臨まれます。
使徒行伝1章44節に
ペトロがこれらのことを
なおも話し続けていると
見事場を聞いている一堂の上に
精霊が下ったと言います。
コネリオスの家で
ペトロがメッセージを伝える途中
精霊が降臨されたんです。
どれほど強く望まれたのか
ペンテコステの時に
マルコの家で来られた精霊の降臨
そのリバイバルが
コネリオスの家にも来てくださったんです。
また見事場を従うとき
見事場に従うとき
精霊様が望まれます。
イエス様はいつも
神の御声を聞いてしたかったから
いつも精霊様が豊かに
望んでくださいました。
四つ目です。
特に神様を愛すること
信仰の本質を求めるとき
精霊様が望まれるんですけど
イエス様を愛し
慕い求め
交わりをするときに
精霊様が望まれます。
先ほど私たちは賛美歌を歌いました
イエス愛します
愛します
心を注ぎ
ただあなただけ
死体求めます
皆さんこのような賛美を歌うとき
イエスの霊
精霊様が来られて
豊かになります。
ですから信仰の本質を求めるとき
精霊十万が
成し遂げられるんです。
イエス様の切なる希望は
誰でも私のところに来て
飲みなさいということです。
その内面から満ちあうれる
満足をくださる
精霊の十万を
受けることができるように
してくださいます。
じゃあそうするなら
今まで私たちは
信仰生活を
生活を考えているときに
どうなんでしょうか
信仰生活の期間は
何十年長いんですけど
神様がくださる
このような満足を
経験されたのでしょうか
もしそのような満足を
経験されていないなら
これからでも
精霊十万になって
神様からの
完全な満足をいただいて
そのような立派な
信仰生活ができればと思います。
キリストシャーの霊と魂
体の完全な満足
エデンの園では
24:00
アダムとエーヴァは
それを味わいました。
それを信約の私たちにも
くださいます。
イエス様の
忠実化と復活を通して
すでに許されていることです。
その働きのために
精霊様も来られました。
これからは私たちも
精霊に満たされ
完全な満足を得て
過ごしていきましょう。
今はコロナのために
非常に難しい時期です。
しかし私たちキリストさんたちは
精霊十万によって
コロナを乗り越えましょう。
罪をいつも気をつけながら
イエス様が言われた
誰でも渇いているなら
私のところに来て飲みなさい
飲みなさいと言われる
この御言葉を覚え
いつも実践して
精霊十万な私たち
精霊十万な私たちの
教会になりたいと思います。
アメン
お祈りいたします。
神様から離れた私たちの人生
上渇きしかありません。
それを満たそうとために
いろいろ工夫頑張りますけど
なかなかできなくて
苦しんでいる私たちです。
精霊十万によって
それができるんだということを
今日学びました。
主よ来てください。
私たちに豊かな精霊の油注ぎを
与えてください。
イエス様の源を通して
お祈りいたします。
アーメン
ありがとうございます。
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