その前にもう一度、信仰の定義ということを考えていきたいと思います。
信仰とはヘブナーション11章1節に、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することだと言います。
私もよく分かりません。この話だけではどんなことを意味するのか分かりません。
私なりに理解したことをいろいろ述べていきたいと思います。
信仰は何を信じるということですか。神様とイエス・キリストを信じることです。
神様とイエス・キリストはどんなお方なのか。
その方たちは私たちをどのように愛しておられるのか。
私たちを愛して何をしてくださったのか。これから私たちと共に歩みながら何をしてくださると約束されているのか。
これを一つ一つ覚えてこれを信じていくこと。これが信仰ではないかと思います。
今まで神様は天地万物を想像されました。または人間を想像されました。
人間を想像される前に大きな計画を持って神様は人間を想像されたのですが、
神様が作られた人間、神様の心に発するものになって、神様が人間をどれほど愛したかが聖書に書かれてあります。
ですから神様がこの人間を愛の対象として、また神様の代わり対立者として想像されたすべてを人間に任せるまででした。
しかしこの人間が創世紀3章で蛇の誘惑を受けてそのように愛してくださった神様を裏切って罪を犯してしまいます。
罪を犯す者は悪魔に直します。人間は悪魔の奴隷になって、そして神様がくださったエデンの園を失ってしまいました。
それで神様と人間の関係がダメになりました。神様は愛されたこの方を、人間を失うことが耐えられなかったので、
この人間を取り戻すために創世紀3章15節で女の子孫を送ってくださる約束をしました。その方がメシア・イエス・キリストです。
このメシア・イエス・イエス様の愛と寄生によって私たちを救おうとされるんです。
ヨアネ3章16節 神はその一人子を綿になったほどに要愛された。一人子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。
イエス・キリストの十字架の父を寄生と恵みによって私たちは罪と過ち、またサタンを滅ぼすことができ、
地獄に行くべき私たちを許して天国に行くようにしてくださったんです。これは一人子、イエス・キリストを信じる人は誰でも与えてくださる神様の恵みです。
これが聖書で書かれている内容です。私たちは聖書を信じますということは、神様とイエス・キリスト、また私たちに対して与えてくださったこの恵みを信じますということです。
信じるならそれが私たちのものになります。信じなければこれは全て私たちと関係なくなります。だから信じることが非常に大事なんです。
神様は全世界の人々を救うために具体的にどんな働きをされたのか。神様はアブラム一人の人を選びました。
そしてアブラムを通して信仰の民を作られました。もうカナンから始まってエジプトに下っていってそこでイスラエル人たちが増えていくんですけど、いくら増えていたとしても全世界の人々に比べて神明記7章7節には数が少なかった、また貧弱だったと言います。
イスラエル人たちは世の中の人々が見るときに数も少なく貧弱の民だったということです。しかし神様はこの少ない貧弱のこの民を通して神様の身業を行って、全世界の人々に神様が生きておられることを示していきたいと思っています。
じゃあ皆さん、少ない人数のイスラエル人たちが世の中の人々がびっくりするほどの大きな身業、大きな奇跡の働きをします。
そしたら世の中の人々はこのイスラエル人がやったことではない。イスラエル人と共におられる誰かがいらっしゃる。この方がどなたなのか。神様なのだ。
イスラエル人たちが信じる神様。その方がちいちこれすべてを成し遂げたんだ。それを貧弱な数も少ないイスラエル人たちを通して全世界に示してあげたい。これが神様のことです。
そしてその神様を信じて神様のところに来るなら、神様はその人を救っていきたい。
ひとつの例としてエリコ城のショウフ・ラハーブがいました。ショウフ・ラハーブは神様がイスラエル人たちと共に成し遂げたいろいろな働きを耳にします。
シチュエーションのところでどんなことがあったのか。あららの40年間のところで何があったのか。神様の宮城の噂ごといろいろ聞きます。それを聞いて彼女はこう言います。
ヨーシュは2章11節です。それを聞いたとき私たちは心はくじけ、もはや私たち、あなたたちに立ち向かうとする者は一人もおりません。あなたたちの神、主こそ上は天、下は地に至るまで神でおられます。
ショウフ・ラハーブは神様のことを噂を聞きながらイスラエル人たちと共におられる神様は素晴らしいと思いました。
その神の民になりたいと思ってイスラエル人たちが来たときに自分がイスラエル人の神を信じたいと言います。それによってラハーブは救われるんです。
皆さん、神様の願いはこれなんです。全世界が生きておられる、しかし目には見えないけど生きておられる神様を信じて進み出て、そしてその神様によって救われることを願ったんです。
その神様に用いられるために、このイスラエル人たちは何をしなければいけないのか、これが大事なんです。
事実は私たちも同じです。生きておられる神様、しかし目には見えない。全世界の人々はこの神様、イエス・キリストを信じなければ救われないんだけど、神を直接信じることはできない。
どうすればできるのか、神をまず信じる私たちを通して世の中の人々は神を見ることができます。
だからこの真ん中にある私たち、この私たちには必要なのは信仰なんです。
大事なのは、目に見えない神様を見たように、見るように信じて、この見声を聞く民が必要です。
また神様は神ですから、小さい働きができないから、神様のサイズの働きをしようとする時に、自分たちが理解できないからできませんということではなく、神様ならできます。
あなたならできます。私たちは理解できませんが、あなたならできますと言って信じてあげる民が必要です。
また神様はこうしなさい、ああしなさいと言ったら、その通り動いてくれる、従ってくれる人が必要なんです。
そうするなら神様はこの民を通して、いくらでも神様の御業を示し、いくらでも驚くほどの奇跡を行い、いくらでも全世界の人を変えていくことができます。
しかし真ん中にいる私たちが、信じません、わかりません、どうどう、私はダメです、ダメですと言っちゃったら、神様は霊ですから、皆さん、神様は全宇宙より大きなお方です。
だから神様は体を持っていくことはできません。だから神様は霊ですから、神様の手、足、口の役割をする何かが必要です。
だから人間の協力が必要です。人間の協力する人間の神様の御声を聞いてその通りやればいいのに、自分が理解できないからできませんと言っちゃったら、神はいくらでもできるのに、そうじゃありませんか。
だから自分はできなくても神様はいくらでもできます。信じます、信じます、どうぞお話ください、どうぞあなたが行ってください、いうことにできて、神様が指示とする通り語ったり行動したり行ったりしてくれることさえできれば、
神様が直接その働きを行い、全世界の人々が驚きながら神様の御前に来て、ああ助けてください、救ってください、そして救われるようになるんです。
今日のショーフ・ラーヴのように、神様に開かれた人々は、神様の御業を見たら誰も戻って神様の前に来るでしょう。
それをするために神様が今私たちを持ち入っています。その働きをドアがうまくやりました。ドアが120年間箱棟を作ったことを知っていますか。
私たち今70歳ですから、120年、私の今まで生きてきたことを、もっと長く長く訳もわからない箱棟を作った。
それは信仰によって作った。アブラムは75歳に子供一人くださるんだという話を聞いて、100歳まで神様に従っていきました。
モーゼもそのような働きをしました。ヨーシワ、サムエル、みんなその働きをうまくやりました。
その働きをうまくやった人たちを神様は全部覚えて、聖書でその名前を記録してくださいました。
事実私たちもその働きに用いられるために神様が命されて、作ってくださって神の子にしてくださったんです。
続きまして、中1章29節から、また他の信仰の人たちも信仰原稿録があったということを教えてくださいます。
29節にはイスラル民が航海の海を信仰によって渡った事件があります。
主人エジプトは知っていたのに、主人として出てきたところの前は海なんです。
後ろはエジプトの兵士たちが追いかけてきます。
もう前にもっと進もうとはできないから、そこで捕まえて、そして再びエジプトに行って奴隷として生活しなきゃいけない状態でした。
その時どうしたんですか。神様がボーセにあなた持っている杖を前に手を伸ばしなさい。
手を伸ばしたら海が分けられました。そして海を陸地のように歩いてこれを渡ることができたということです。
皆さんそこで船を作ろうとしたら、200万人を運ぶ船を作ろうとしたら、どんなことがあったんでしょう。
しかし神の御声を聞いて従うボーセがいたからその働きができました。
三十節にはエリコ城がどのように陥落したのか記録されています。エリコ城は世の中で一番強い城でした。
その城を攻撃しようとしたらイスラル人たちは戦略をたけて、いろいろな技術を用いて攻撃する武器を作るべきでした。
しかし神様が言われたのは技術は戦略ではありませんでした。神様は一日一回回って、七日には七回回って叫びなさいと言われました。
考えてみてください。そうするんだって南国不落の城が崩れ落ちるんでしょうか。
しかし彼らは従いました。従ったらウッソのように南国不落の城が崩れて奇跡的な勝利が与えられました。
先ほどショウフ・ラハブの話がありました。彼女はイスラル人ではありません。エリコ城の民です。
しかし神の噂を聞いたら彼女の心に信号が来ました。
だからその信号を持ってイスラルから来たこの偵察兵たちを隠してあげます。
彼女は自分の国のエリコに対しては裏切り者でしたけど、信号の人としてイスラル人たちを共にやりました。
だからエリコ城が陥落するときに彼女は救われました。
また彼女はそれだけではなく、ダビデ王のおばあちゃんになり、またキリストの経緯に名を載せる人になりました。
このすべてが信号によってできたことです。
32節からもこの一人一人の名前が書いてあります。
キデオン、パラク、サムソン、イッタ、またサムエル、ダビデ。
キデオンの300人がどのようにメディアの兵士たちを滅ぼしたのか。
またサムソンがどのようにローバーの顎のかご一本で1,000人を撃ち殺したと言います。
また今日、教会学校で少年ダビデ、どうして巨人コリアテを倒したのでしょう。
ダビデの心には神様に逆らうこのかちれみを受けていないこのイオージの獣のようなものが、どうして生きておられる神様をこの暴毒することができるのか。
それを我慢できない神様に対する愛の烈情をもって立ち上がりました。
その信号によってコリアテを倒しました。
今日絵で説明してくればよく分かりました。本当に素晴らしかった。
このダビデが持っていたこの考え方、この状況の中でいくら物理的に考えてもコリアテを倒すことはできないけど、
ダビデはこの状況関係なく神様の皆によって信号によってコリアテを倒しました。
素晴らしくありませんか。
みんな神様に対する信号、神の皆に対する栄光のために進み出て戦うから、その信号通り素晴らしい見業が行われました。
ヘブライ賞の記者はこのように一人一人を全部書こうとしたら、もうヘブライ賞中1章がものすごい長くなりかねないから、
だからこれからは名前を書かないで、その人たちが何をしたのかを書いていきます。
整理してみますと32節から38節に信号によって2つのことをやりました。
1つは外から来る敵を倒した。
もう1つは自分の心の中で動いているこの不信号のものすごい私たちをためにするこの者たちを勝ち抜いた。
みなさん、YouTubeで私は優れたメモを見ました。
アマチュアは他人を相手として戦うんだけど、プロは自分自身を相手として戦うんだ。
素晴らしいなと思います。
アマチュアは他の人と戦うんだけど、プロは自分自身と戦う。
みなさん、信号は、サタンはいつも教会を働くときに外部の人を通して教会を襲います、攻撃します。
それは教会がうまく耐えてやります。
しかし教会の中の分裂はうまくできません。
だからそこで教会が全部倒れてしまいます。
一人の人の信号も同じですよ。
私たちもいろいろな難しいことがあります。
経済的な難しさ、子供の難しさ、夫婦の関係の難しさ、また子育てをする人は格好とかいろいろなこと。
また私たちは会社とか、この外部的な難しさがいろいろあります。
それは教会が一致団結して信号を持ってずっとやっていけば、もうある程度それは乗り越えていきます。
しかしどこで倒れるのか、絶対外には言えないけど、自分の心にシャーッと生じてくる寂しさ。
牧師が私を見る目がおかしい、なんとかなんとか、教会に来たらなんとかこの教会、何か寂しい気持ちはするとか。
皆さん、これが何でしょう。
しかし教会から離れてしまいます。
怖いものですよ。
心の中で動いているこの不信仰的な要素、いろいろ妨げる要素、葛藤、また憎しみ、妬み、またいろいろな狂騒、
そのことが心の中でいろいろな騒ぎを起こして信号が駄目になり、教会から離れるようになります。
外から攻撃するのはこのやりやすいです。
うちの中でこの攻撃はものすごい難しくて、自分がそれが乗り越えることができなければ、我慢できなければ離れていきます。
だったら神様から離れ、教会から離れ、どうしますか。
私たちもこの外部からのことはなんとか力を合わせて、もう告白もできるでしょう。
みんなが祈りの題目がありますかと言ったら、私はもういろいろなことがあります、会社でいろいろなことがありますとか言いますけど、
心の中で生じるこの憎しみとか、妬みとか、葛藤とか、寂しさとか、これをどうして分かち合いますか。
これは親しくならなければ分かち合うことはできないんだけど、それを口に出さないで自分一人でいろいろ我慢しながら、
葛藤しながら問題が生じるんです。
サタンはそれを狙うんですよ、サタンはそれを狙うんですよ。
またサタンの働き、これは仕業は怖いです。
私たちは良い信仰を持っているなら、神様がすべて助けてくださって、すべてが良くなると思うでしょう。
しかし今まで信仰の働きを見ていますと、中1章36節を見ていますと、信仰が良かった人もいろいろな苦難がありました。
また他の人たちはあざけられ、鞭を打たれ、鎖で繋がれ、投獄され、また石打ちで殺され、
鋸で引かれ、剣で殺され、いろいろな苦しめられ、虐待され、
皆さん信仰によって生きるのに、神様に対して喜ばせようといろいろなことをやっているのに、
迫害を受けたり、上手く神様が助けてくださる、いろいろな印が見えなかったり、
するなら皆さん何をやりたいですか?信仰をあきらめたくなりませんか?
ところが信仰の先祖たちの働きをよく見ていますと、外部からの攻撃、内部に生じるサタンの働き、これを全部乗り越えたといいます。
素晴らしいです。
どうしてこのような乗り越えることができたのか、35節を見ていますと、
彼らはさらに勝った蘇りを達するために苦難をより我慢していったということです。
今世の中には迫害があるんだけど、自分はこの迫害を避けるんじゃなくて、迫害を担っていった。
どのように、これから神様をくださる素晴らしい蘇りを考えて、
自分たちはそれを受け入れて、それを乗り越えていったといいます。
ですから聖書はびっくりしながら、38節でこう言います。
世は彼らにふさわしくなかった。
世の中の人々が見たら、この人たちはこの世にはふさわしくない人だと。
この世の中でふさわしくない。どこですか?
天国にはふさわしいかもしれないけど、この世の中にはふさわしくない。
この世の中の人々はみんな、この世の中でうまく食べて、うまく生きて、出世して、安定した生活をするのに関心があるんだけど、
この人々はこの世の中でうまく食べて、生きて、安定の生活には関心がない。
彼らの心にはいつも神の国しか考えない。
その国に入るまで神様を喜ばせ、神の御業を成し遂げたい、そればかり考えている。
愚かな人じゃないか、馬鹿じゃないか、おかしい人じゃないかと言います。
ですから世の中の人々はその人たちを見て、この世にはふさわしくない人間だと言います。
みんなこう言ったということです。
だから世の中の人が見るときには失敗した人生、
悲惨な人生だけど、彼らたちはそこには関心がない。
この世が関心ってない。
彼らの心はいつも神様、神様の喜ばせる、そこに関心がある。
神様が見られるときには彼らが本当に誠な勝利者だったと言う。
39節にはそれにもかかわらず彼らは立派な信仰の人だという話を賞賛を受けたんだけど、
自分たちが願っていることはまた手に入れることはなかったと言います。
しかし彼らはこの世では報いをくださらなくてもいい、くださってもいいし、くださらなくてもいい。
私は天国に行ってもらいたい、天国に行って全てのことをもらいたいと思って、
彼らはわざわざこの世ではそれをもらいたくは思わなかったということです。
しかし彼らはこの世ではもっともっと信仰を持ちたいと思って、
イエス様をあがめながらパウロのようにキリストを得るために、
トマス・アキンパスのようにキリストの見習い、信仰を持って走り続けたと言います。
皆さん、この世の中で信仰を守るために一番大事なのは清さです。
私たちは清さがなくなったら精霊様が、精霊の御臨在がすっと消えてしまいます。
私たちは精霊の御臨在がなければいけられない存在でしょう。
しかし精霊様の御臨在が見えてない、消えてしまったとしたら、皆さん、信仰はためになります。
人間は悲惨な状態になります。
世の中で私たちは何を願っていますか?
神の御臨在が一番大事だと思いますか?
そうじゃなくても、信仰とか神の御臨在より、
お金、名誉、世の中の楽しみ、権力、それを求めたら、
皆さん、何がなるのか?
清さよりは堕落しやすいです。
だったら終わりですよ。
バラム預言者がなぜダメになりましたか?
イスカリテユダがなぜダメになりましたか?
彼らはいつもお金を目的にしたんです。
お金を狙ったから全部ダメになりました。
優れた先生たちがいます。
その先生たちがどうして倒れますか?
お金と、大抵女性の問題で、スケンダルで倒れてしまいます。
牧師も倒れてしまおうとしたら、
信徒たちはどれほどたくさん倒れてしまうでしょう。
そうしたらいけないんじゃありませんか?
ですから私たちは、この世に対する欲を捨てて、
この世は百年、天国地獄を永遠と、それを思って、
この世の富より信仰、イエス様に見習っていくことに、
もっと力を入れなければなりません。
最後に、ヘブラリー書中1章、中2章1節には、
聖遺書の信仰の働きを説明しながら、
私たちの信仰を応援してくださる見言葉があります。
ヘブラリー中2章1節。
こういうわけで、私たちもまた、
このように、おびだなしい聖人の群れに囲まれている以上、
すべてのおもには絡みつく罪を、かなり金繰り捨てて、
金繰り捨てて、という辞書を開いてみました。
これを、フーッと、すべて脱ぎ捨てろということです。
自分に定められている競争を、忍耐強く走り抜こうではありませんか、と言います。
皆さん、私たちは今、信仰の先輩たちが走ってきた、
信仰の競争の最後のランナーとして、
選手として、今、リレーになっていると聖書を言っています。
旧約時代の信仰の先輩たちは、
アベルから、また、アブラムから学んだ信仰を、
うまく継承して走ってきました。
旧約は、来られるメシアを信じて走ってきて、
新約の信仰の先輩たちは、
ペテロ、ヨアネ、パウルからいただいた信仰、
それをうまく継承して走ってきました。
信仰は、来られたメシアを信じて走ってきたんです。
この信仰の競争が、最後に私たちのところにまで、この競争が来たということです。
この信仰の働きの最後の良い結果を結ぶのか、
良い結果を結べないのかは、
私たちにかかっているよということを聖書は言っています。
私たちがうまくやれば、この信仰の競争の最後に優勝して、
トロピーを受けて、また栄光の冠を受けるようになりますけど、
私たちがうまくできなければ、トロピーもありません。
冠をいただこうともできません。
ですから、ヘブナイショ・チューイッショー1節には、
信仰の先輩たちが私たちを応援しているから、
最後に私たちの信仰、最後まで頑張れということを書いてあります。
これから見ていますと、
私たちは今、私自身が教会に通っていて、
私自身が信仰を持っているように見えるんだけど、
事実、私たちの信仰は、ずっとアベルから、アブラムから、
サーモエル、ダニエル、またシニアクには、
ペトロー、ヤコブ、ヨハネ、またパウルから、
ずっとつながっていった信仰の走りの最後の段階で、
私たちが存在していることがわかります。
ですから、私たちは、私たちだけの信仰ではなく、
今までずっとやってきた信仰の継承の最後であり、
私たちのために応援していらっしゃる方がたくさんおられるということです。
私はこれを考えるのに、
今年2025年度の箱根駅伝ということを皆さんご存知ですか。
テレビで出るでしょう、箱根駅伝。
その箱根駅伝で今度優勝したのは青山学院でした。
青山学院の働きを私はインターネットで調べてみました。
箱根駅伝は第1区間から第10区間まであります。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10まで。
そのランナーが一人ずつ継承して最後の優勝は決められるんですけど、
この青山学院第1区間では10位をやりました。
10と後ろです。
そうしたら、青山学院大学みんなが応援したでしょう。
第2区間では3位をやります。
第3区間では4位をやります。