しかし今度母の死と葬儀を行いながら、死のことが終わりではないということは実際的に確信するようになりました。
ですから今日は先週に引き続き、もう一度死のことで終わりではないというメッセージを伝えたいと思います。
このメッセージによって皆さん信仰が与えられ、本当に死んだ後の世界のために準備する私たちになれればと思います。
まずは始めです。なぜ死ぬことが終わりではないでしょうか。
もともと人間は、創世紀1章27節、神はご自分にかたどって人間を人を作られた、神にかたどって創造されたと言います。
人間は神様の見姿で作られました。神の見姿の特徴の中で一つは霊的な存在として作られた。
霊である神様は死にません。同じように人間も死にません。
しかしこの人間が創世紀3章でチェン役の知識の木の実を見て食べて罪を犯しました。
それによって創世紀2章と創世紀3章の間には大きな変化が生じました。
罪によって神様との関係がためになるから、神の命が離れてしまった。
その時神の子供であった人間が悪魔の奴隷として変わりました。
大地妖音3章8節です。また永遠の存在が死ぬしかない。創世紀3章19節。
土に過ぎないお前は土に帰れ。罪の罰として人間は死ぬしかない存在として変わりました。
これによって超自然的な存在が聖言を持っている存在として変わったんです。
皆さん、罪はこんなに怖いものです。神の命が離れるならこのようになってしまうのです。
すべての人類は罪によって死ぬようになり、死んだ後には地獄で罰を受けるような存在になりました。
ですから人類は生きても苦しみ、死んだらもっともっと怖い苦しみが受けるようになりました。
神様はこのような人類を愛して、大地妖音3章16節。神はその一人子を与えるほどに要愛された。
一人子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためであろうと言います。
私たちは神様の恵みによってイエス・キリストを信じ、永遠の命を持つ人になりました。
これはなんと素晴らしい恵み。どうやってどんな素晴らしい感謝でしょうか。
じゃあここでイエス様を信じて救われて永遠の命を持っている私たちに死ぬということはどんな意味でしょうか。
それは罪と呪いの中で生きた聖言的な体を脱ぐことです。
そして本来の神霊な姿を背負うこの過程です。
これは理論ではなく実際です。
ですからキリスト社にはこの世で死ぬことが悪いことではありません。むしろ祝福です。
では信じない人はどうなるのか。もちろん信じない人も永遠に生きます。
ただ弱音故障29説といいますと命の復活ではなく裁きの復活として永遠な罰を受けるために信じない人は復活するんです。
ここでもう一度先週申し上げたんですけどもう一度人生の100年の意味を申し上げたいと思います。
この世で住んでいる皆さんはみんな同じようなチャンスが与えられています。
この世で100年です。この100年の意味は何でしょうか。
みんな来る時空っぽで来ます。そして死ぬ時は空っぽで帰ります。
だったらなぜ生まれたんでしょう。ある人はこう言います。自分の名前を残すために来られた。
しかし小枝と伝道の章、禮章6説といいますとその名前を誰が覚えてくれるのか。何の意味もない。
名前を残そうとする。これは虚しいことだと言います。
では神様がくださったこの世の100年の意味は何でしょうか。
自由意志を持っている人間にチャンスを与えることです。
ヘブナイショキューション27説。人は一度死ぬことと次に裁きがある。
この裁きによって天国か地獄かによって決められるんですけど
皆さん人間は裁きを耐えることはできません。自分の努力自分の自己気によって神の裁きで
これを合格することができないからです。罪を犯さない人がいますか。
自分の努力で救われる人がいますか。いません。
ですから神様がこの世を愛して一人っ子を与えてくださり
一人っ子イエス様は十字架で私たちの罪の問題解決してくださったから
誰でも悔い改めてイエス・キリストを受け入れるのか。
これが私たちに与えられたチャンスなんです。
自分の力で救われる人は誰もいません。イエス・キリストに出会わなければなりません。
ですから人生の中で様々な苦難苦しみの中で