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2022-11-07 27:17

「祝福される人生の為に」2022年11月6日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年11月6日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

マタイ-27 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」

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今日は、祝福を受ける人生のためにという対応をもって メッセージを分かっちゃいたいと思います。
先週、あったハロウィンデイ。
全世界で行われたんですけど、韓国では
100人を超える視聴者が出て、その声優賞によってみんなが胸が痛き、
また国が難しい状況に置かれています。 大抵このようなことが起こったら
世の中の人々は、これは誰の責任なのか、それを調べて その原因を提供した人を
食材の生贄として 厳しく裁きながら人々の怒りを収めようとします。
しかし深く考えてみますと、それは ある一人、二人の人の問題ではなく
人間の本質的な問題だと思います。 またそれを解決する方法は
私たちの人間にはないのではないかと思います。 コロナの帰省が解除されたことをきっかけに
久しぶりに迎えたハロウィンデイ。 ハロウィンデイのもともとの意味より
その日をきっかけとして その間抑えてきた帰省から
自由を味わいたい。 そのような心でみんな集まったのではないかと思います。
特に若者たちがたくさん集まったんですけど ちょうど
環境的に非常に狭い空間にたくさんの人が集まることによって 100人以上の死傷者が出た大事故になったのではないかと思います。
では今度の事故の責任は誰にあるのでしょう。
集まってきた人たちが責任を取らなきゃいけないですか。 空間を狭くしたこの商店街の業者たちの
責任でしょうか。 申告を受けたのにも緊急対策を取らなかった
警察の責任でしょうか。 そうじゃなければ国の総責任を背負っている大統領の責任でしょうか。
どうすれば このようなことを行わなく幸せで過ごすことができるのでしょうか。
この時神様は聖書はどんな答えを下さるのでしょうか。 私たちが考えるべきことは
このイテウンの事故の原因には 私たちの過ちはないのかということです。
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皆さんキリスト社たちは このような事故が起こったら
起こる度に 神様が私たちに下さった使命を考えなければなりません。
創世記1章26節です。 神は言われた
我々に偏り、我々に似せて人を作ろう。
そして 全てを支配させよう。
管理させよう。 そうしながら神様は人間を創造されました。
そうです 私たちの人間はこの世の管理者です。
管理者として私たち 管理をうまくなさったのでしょうか。
管理がうまくできなかった責任があります。 ですからこのような事故を見るときに私たちは
これは誰の問題なのか 誰が責任を取らなきゃいけないという話をする前に
神様私たちは管理者なのに私たちが管理がうまくできませんでした。
全てが私のせいですと言うべきだということです。 また私たちはこの世の管理者らしく
大勢の人々にこのようにしましょうというメッセージを発信しなければなりません。
私たちが出すべきメッセージは何ですか 天地万物を作られた主見者統治者である神様が一番願っていることは
神様を愛することですよ 隣人を愛することですよ
神様との親しい交わりの中で神様の見声を聞いてしか従わなければいけませんよ
これが創造主神様に対する非常物である人間がやるべき正しいことであり
そうする時に祝福されますよと私たちが伝えなければなりません 事実人生にこれよりもっと大事なことはありません
ですから今日は イテオンの事故と事故の解決とは少し距離があるのではないかというように見えるんですけど
根本的に私たちの人生どうすれば祝福される人生になれるのか それを一緒に考えてみたいと思います
それは三条の推訓である御言葉が私たちに教えてくださっています
皆さんご存知のように三条の推訓は マタイの5章からマタイの7章までの御言葉です
それはその内容は神の国にふさわしい人になるためには このような生活をしなければいけませんよと
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イエス様が教えてくださった御言葉です
旧約聖書で神様の立法がたくさん書かれてあります それをまとめて10回として10項目で私たちを教えてくださり
またイエス様はこれを2つの大きな今締めとして私たちに教えてくださいました
これが神様を愛しなさい 隣人を愛しなさい これが聖書全体が私たちに明示することだということです
それを具体的にどのように実践すればいいのか それが三条の推訓でよくよく書かれてあります
ですから私たちは三条の推訓 御言葉をよくよくかみしめてその通り生きるなら
神様も喜ばれ神様の祝福をいただき 本当に幸せな人生を過ごすことができます
その三条の推訓で結論的に私たちにくださるメッセージが 今日読んでくださったマッタイの7章24節から27節です
私がもう一度読みましょう そこで私のこれらの言葉を聞いて行うものは
みな岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている 雨が降り川があふれ風が吹いてその家を襲っても倒れなかった岩を土台としていたからである
私のこれらの言葉を聞くだけで行わないものは みな砂の上に家を建てる愚かな人と似ている
雨が降り川があふれ風が吹いてその家に襲いかかると倒れて その倒れ方がひどかったと言います
結局砂の上に家を建てたのか 岩の上に家を建てたのか
それは三条の推訓の御言葉にどのように反応したのかに書かれてあります
それによって100年人生をすべて過ごしてある人は永遠な祝福に預かるものになり ある人は人生そのものがすべて崩れてしまうということです
大勢の方がこう言います 1年を過ごしていくそして今年は多事多難だったと
まだ波乱万丈な人生だったと 言う方は
自分なりに精一杯立派に家を建てようとしたんだけど その家が砂の上に建てられた家ではなかったのかと考えなければなりません
皆さん私たちみんな自分の人生の家を建てるためにどれほど苦労していますか 熱心に勉強して学歴を積み
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また良い職場そして成功しようと頑張ります それができなければ宝くじを買ってでも
安全安心 もう本当にしっかりした人生幸せな人生を求めています
ところが神様は私たちが努力して家を建てるんだけど その家をどこの上に建てているのかよく考えて
それを考えながら家を建てなさいと言います 皆さん人生を過ごしながらお金をたくさん稼いだ
出世した成功したと言うかもしれないけど それが神様の見事ばに従って岩の上に立てているのか
自分勝手に砂の上に立てながら私は成功したと思っているのか
それによって祝福の人生になることもあるし 呪いの人生になることもあるということです
ところが問題は 神の御言葉に従うことができる人がいますか
私たちの力では神の御言葉に従うことは難しいんです ですからみんなが諦めて
自分勝手に過ごしながらも幸せになりたい 永遠に変わりがない人生になりたいと願っていることではありませんか
だから誰もまことの祝福 幸せの人生になれないのではないでしょうか
どうすればいいのでしょうか
ところが神様は 山上の水君の初めあらかじめこの答えをくださっています
じゃあどうすれば幸せな人生になれるのか マタイの古書1節から12節にすでに答えをくださっています
じゃあ2節読んでみます そこでイエスは口を開き教えられた
心貧しい人々が幸いである 天の国はその人だけのものである
悲しむ人々は幸いである その人たちは慰められる
6節には 木に植えかわく人々は幸いである その人たちは満たされる
10節には 木のために迫害される人々は幸いである 天の国はその人たちのものである
私のために罵られ迫害され 見ぬ覚えのないことであらゆる悪行を浴びされられる時
あなた方は幸いである 喜びなさい大いに喜びなさい 天には大きな報いがあると言われます
じゃあここで貧しい心 悲しむ心
木に植えかわく心を考えてみましょう なぜ貧しいんですか
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自分には何にもないからです 自分の力では何にもできないからです
ですから貧しい人は謙遜になるしかないでしょう なぜ悲しむんですか
私が犯すのは罪しかありません 頑張ろうとしても罪を犯すしかありません
どうすればいいんでしょうか 罪であることを告白し救い主イエス様の助けを切に求める人
その人が悲しむ人です それにも大事なのは
木に植えかわく人です 神の御言葉を主体求める人です
そして木を求めて神の国を求める人に来る 迫害を大胆に担おうとする人です
神様の御言葉が正しい その通り行きたいんだけど
私は物足りないものでそれを通り行うことができない それによって悲しむ
その前でどうしようという人に 神様は恵みで聖霊様を送ってくださり
聖霊様がくださる力で 山上の水雲を守ることができるようにしてください
みなさん神様のリバイバルが強く望んだ すべてのところにはこのようなことがありました
指導行伝2章36節から38節 このことはイエルサレム市内で行ったことです
イエス様は十字架の後 ペンテコステの時に
全世界に散らされているユダヤ人たちが みんなイエルサレムに集まりました
その時ペンテコステが私たちが罪がないイエス様を 十字架で殺してかけて殺したといった時に
全世界に集まってきた人が 自分たちが直接イエス様を殺したのもないのに
自分たちの罪がイエス様を殺したと悟って 兄弟たち私たちはどうすればいいんでしょう
そうするんです その時ペトロがイエス様を信じて悔い改めなさい
そうするならあなたたちに聖霊様が来るでしょうと言います
じゃあみなさん貧しい心 悲しむ心に聖霊様が来てくださったことが
これがイエルサレムの時にペンテコスにあったことでした
まだ1977年度 平壌の大リバイバルの時も
平壌にあった当時のジャンデヒョン教会というところで 集会の中でキリシソン寿長老の方が悔い改めをきっかけになって
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みんなが悔い改める時に力強い聖霊のリバイバルが望んだ事件も同じです
木に植えかわく人々 その人たちが御言葉を聞いて自分の罪を悔い改める時
聖霊が力強く望んだんです そして平壌だけじゃなくてその影響がヨーロッパまで行ったという話を聞いています
大事なのは木に植えかわく人 そして悔い改める人
その時にリバイバルが来る 山上の水君の心にリバイバルが来るということです
また皆さんケッセマネソノデ イエス様を祈られる時弟子たちは何をしてたんですか
眠っていたんです その眠っている弟子たちにイエス様は何と言うんですか
マタイ26章40印説 誘惑に陥らないよう目を覚まして祈りなさい
心が燃えても 力体は弱いと言いました
皆さんここで大事なのは心は望んでいたんです しかし力体が弱いんです
心は求めています イエス様はそうです祈りたいです しかし力体は弱いんです
という貧しい心 悲しむ心に
神様が精霊を通してその人たちの体を強くするために ペンテコステの時にリバイバルが来たということを考えていきましょう
だから誰が悲しむ心を持っているのか 誰が貧しい心を持っているのか
誰が気に上がる心を持っているのか その人たちを神様が祝福されるんです
神様は彼らをどのように祝福されるのか 神様はこのような人々に精霊を送ってくださるんです
精霊を送ってくださるんです この精霊様が私たちにはできない
神様の御言葉を私たちが聞いて守ることができるように力を与えてくださいます そして結局祝福されるようにさせてくださるんです
私たちの力では山上の水君 神の御言葉を聞いても守ることができません なぜなら私たちは弱いからです
しかし私たちが貧しい心 悲しむ心 気に上がる心を持っているなら
神様が精霊様が送ってくださって その恵みによって御言葉を守ることができるようにしてください
本当に私はここで神様の熱心に感謝したいと思います
ピリッポ一書六説 あなた方の中に良い技を始められた方が キリストイエスの日までその技を成し遂げてくださると私は確信していますと言います
18:13
私たちに御言葉をくださるだけじゃなくて その御言葉を聞いて悲しむ心
貧しい心 そして気に上がる心を持っている人に 神様は精霊を送ってくださり私たちを守らせてくださるんです
その神様の熱心に感謝します 神様は私たちがイエスキリストの忠実家の父を恵みによって
祈祷されるだけではなく 聖火 栄火 そして最後に天国に入るまで私たちを見守って導いておかれます
ここで神様が導こうとする熱心に私たちが自由意志を持って
従ってあげる協力してあげることが非常に大事です なぜなら神様には主権があるかもしれないけど
私たちは自由意志があるからです 自由意志を持って神の主権に協力する
従ってあげる これが大事です 神様は決して私たちの自由意志を侵す方ではありません
尊重してくださるからです しかし気をつけていきましょう
私はすでに立っていると思ったら倒れるかもしれません 神様がきっとされてくださったと
そしてそこに油断して高慢になるなら 来て終わってしまうんです
そのような人が大勢いたから聖書はあちこちでいろいろな警告してくださいます
マルコ10章31節 しかし先にいる先にいる多くの者が後になり
後にいる多くの者が先になる 私は先にいると思っているならその人は後になる
謙遜になっている人が先になるということ 第一コリント10章12節
だから立っていると思う者は倒れないように気をつけなさい 私は立っている
私はすでにできていると思っているわ お前は倒れないように気をつけなさい
また22章14節には招かれる人は多いが選ばれる人は少ない
招かれたということは教会に出席する人を意味します 教会に出席する人は多いけどその中で本当に救われる人は少ないということです
なぜなら神様はきっとされてくれるから 自分は全てができたと思って油断して傲慢になったからです
ですから私たちができる一番大事なことは 初めも謙遜2番目も謙遜3番目も謙遜です
21:07
いつも十字架を背負って悔い改めながら 主の御声を聞いて従おうとする
そのような生活をしなければなりません 皆さんこれがコランデオーという生活です
ある人たちはこのような人たちは神様が喜ばれる人であり 世の光と塩の役割をできるし
このような人たちが神の祝福天国の祝福を この世で受け入れ味わうことができるんです
このように 精霊によって満たされ見事ばに言ったされる私たちになれればと思います
結論的に申し上げたいことがあります 私たちがこのような生活をするなら
伊天恩事故のようなことは起こらないでしょう
ところがみんなが神を信じて神様に従っていないから 事故はあることなんです
では人々は創世記3章で人間が他の人のせいにしたように 事件が発生するときにいつも
これは誰の責任なのかと問いたたいます
エバはヘビのせいにしてアダムはエバのせいにしました 自分は罪がないと言いながらすべてが罰されてしまいました
この時神様は創世記3章15節に女の子孫として 一人子を送ってくださることを約束しました
女の子孫としてイエス様は来られて全世界の人から嘲笑いながら 十字架であがないの死 血を流してくださいました
イエス様は十字架上でこのように祈られました ルッカの23章34節
父よ彼らをお許しください 自分が何をしているかわからないです
イエス様は自分を迫害し自分を十字架にかけて殺している人々の罪まで 全部背負って犠牲されて私たちが救われる道を開いてくださいました
今の時代私たちは誰のせいか誰のせいかと言わないで 私のせいです
と言うことができればと思います 私のどんなせいですか
まず祈らなかったというせいもあります また私たちの子供たちに神を愛する隣人を愛することが一番大事であり
それを私たちが教えながら見せてあげなかったことが このような大事故を起こしたということを認めて
死の前にひざまずいて悔いを改めましょう そうするなら第二第三のイテウン事故は塞ぐことができるでしょう
24:10
ぜひとも神様の恵みが共におられ 二度もこんなことが起こらないようにしてくださることを祈りましょう
また私は今度の事故のニュースを接しながら 私が一番心が痛いそして気の毒だと思っているのは
韓国を愛してくださったリオンの姉妹2人の方が イテウンの事故で帰省されたということです
その2人の方は立館管理地有効のために非常に大事な役目をしてきました
ぜひとも韓国を愛してくださる日本の方々 今度の事故によって韓国を憎しまないようにお願いします
続けて立館管理地の有効関係をうまく持っていけるように ご自分の働きを切実にやってくださることを切実にお願いいたします
今度の事故が両国関係がもっと発展するきっかけになることを祈ります
またこれからも私たちは社会で行われる大きい事故 小さな事故 その事故に対して
創世紀1章26節 この世の管理者として私たちを立てられたこと
神様の小糸を私たちがうまく担うことができなかった 責任を持って悲しむことができればと思います
そうするなら神様が私たちの涙を見てくださって 哀れに思ってくださって
どんな方法であれ全てのことが恵みによって取りまとめられ この全てのことを通して
イエス・キリストを出会って信じるきっかけを作ってくださると信じます
今度イテウォン事故によって犠牲された方々を慰め また死傷者の方々のご冥福をお祈りいたします
お祈りいたします 神様今度イテウォンに大きな事故がありました
それによって犠牲された大切な大切な命を 神様が取り入れてくださることをお願いします
そして二度もこんなことがないようにお祈りします このためにみんなが神様との親しい交わりの中で
神様の御声を聞いて従う私たちにならせてください 犠牲された方々によって心を痛んでいる
全ての方々の上に神様の恵みが共に与えられ 神様の慰めが共にありますように
27:03
私たちみんな神様の祝福をいただいて 幸せになることをできるように導いてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします アーメン ありがとうございます
27:17

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