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2021-11-21 24:44

「導いてくれる人がいなければ」2021年11月21日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年11月21日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄   聖書の箇所/使徒-31 帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。すると、「霊」がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。

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今日は導いてくれる人がいなければという対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
先週私たちは子ども祝福式を行いました。 同じように日本の伝統文化の中で
七五三という教示があります。 私はインターネットでその七五三という教示の由来を
調べてみました。少し読んでみます。 お子様の健やかな成長祝い
祈願する七五三はその名の通り3歳5歳7歳で行われます。 七五三の由来には諸説がありますが平安の頃から
救助で行われていた。 県内に比べて医療の発達が未熟で衛生上でいろいろ問題があったので
子どもの死亡率がとっても高く 7歳までは神のうちとして取り扱われ
7歳になって初等として一人前であることを認められたと言います。 子どもが無事で育つことは大きな喜びであり
親として健やかに成長を願わずにいられなかったからです。 それゆえ3歳5歳7歳の節目に成長を神様に感謝し
お祝いをしたことが七五三の由来とされており やがて江戸時代に現在の七五三の原型として武家や商人の間に広まったと言われています。
それが明治時代には七五三と呼ばれて庶民にも広まり 大正時代以降に現代のような形が出来上がったという説が有力です。
なぜ七五三なのか 3歳に言葉を理解し
5歳に知恵がつき 7歳に入手は早かえるという成長の段階を考えて七五三と決められたそうです。
七五三は地域によって独自に発展したので 少しずつ地域によって文化が違う場合もありますということですね。
これから見てますと子どもが健康に健やかに成長することを願う親の心 そこから七五三という教示が定着されたということがわかります。
私たちの教会も同じ趣旨で先週子どもの祝福式を行いました。 私はここで皆さんと今日分かち合いたいことがあります。
宗教も同じ理由で始まり 人々が宗教の神々を拝むようになったということです。
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また私たちキリスト社はここで 宗教と福音の違いを必ずしておかなければいけないということです。
なぜならわからないまま無闇に拝むなら これあと深刻な結果が招くようになるからです。
では今日一緒に読んでくださった シドギョーデン八将のエチオピア後患
他のところにはカンガンというかって書いてありますけど その方が救われたことを事例から考えていきましょう。
シドギョーデン八将のエチオピア後患は エルサリムまで礼拝に来ているんです。
そして戻っていく馬車でイジャヤ書を読んでいた。
聖霊様は彼にサマリアの主席のために非常に忙しい ピリポ七次を使わされます。
そしてピリポ七次に馬車についてきなさいと言います。 ついて行ってみたら本を読んでいるんですね。
読む声が聞こえたんです。 よく聞いてみればイジャヤ書を読んでいたんです。
そして彼は馬車の隣で追いかけて行きながら聞きます。
あなた読んでいることを理解しますか? その時エチオピア後患が言います。
教えてくれる人がいないんでどうしてわかりますか?と言います。 そうです。
私たちは教えてくれる導いてくれる人がいなければ 私たちはよくわかりません。
彼が読んでいたイジャヤ書、その聖書が示しているその方は誰でしょうか?
それはイエス・キリストなんです。 そして馬車に乗りなさい。ここに座りなさい。そこに対して教えてくださいと後患が言ったので
ピリポ七次が隣に座ってから詳しく説明します。 人間が罪を犯したこと
人間の状態 神イエス様が憐れみをもってこの世に来られたこと
中直であがなってくださったこと 復活の大事さ
それを全て信仰によって救われるんだということ それが最近エルサレムで行われたいろいろな中直の出来事だということを説明します。
そしたらエチオピア公館は イエス様の中直が私のゆえだ
そして悔いを改めて 信じるこの表しとして洗礼を受けることがわかります
それでエチオピアと国はアフリカの最初のキリスト教国になりました
皆さんエチオピア公館の宗教信 これは本当に高く評価しなければなりません
エチオピアからエルサレムまで来て礼拝を捧げたからですね しかし
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ただ宗教信だけでは救いは得られません 誰かが真理を教えてあげなければなりません
導いてくれる人がいなければ教える人がいなければ どうしてそれがわかりますか
じゃあここで宗教と福音の違いについて一緒に考えてみたいと思います
まず宗教はどのように始まったのか この礼儀的なことを是非知っていただきたいんですけど
真ことの神様はお一人だけです その神様は三味一体で存在される神様です
神様は目に見えるものまた目に見えないすべてを想像されました 神様が想像された目に見えない中で天使もいました
皆さん 天使を信じますか ヘブナイショー1章7節と14節を見ますと
天使は神様と人間に使えるために作られた礼物です
ところが礼儀的な世界でこの天使が堕落したんです 天使長であるルシファーが堕落したんです
これは牧師録中人書9節に書かれてありますけど 堕落した天使長はルシファーがそれでサタンと呼ばれます
悪魔と呼ばれます サタン悪魔は単数です
なぜサタンというのか神様に敵対したからサタンです また人間に対して悪魔です
だからこの同じものですけど単数です この家来たちが悪霊という復讐でいつも用いられています
その奴たちが創世紀3章で神の代理者 人間を誘惑したんです
人間に善悪の知識の木の実を食べさせ 罪を犯すようにさせたんです
皆さん非常に大事な聖書の御言葉が第一要音3章8節です 罪を犯す者は悪魔に属します
悪魔は初めから罪を犯したからです 悪魔の働きを滅ぼすためにこそ神の子イエスキリストが来られたと言います
皆さんその時から人間は神から離れ 悪魔に属されてしまったんです
じゃあそうしたら悪魔は人間が持っていた この世の管理権支配権を奪って
自ら自分自身がこの世の神だと言っています そしてこの世の中の隅々までを支配するようになりました
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その時から各地域には地域霊として世の中で 悪霊が隅々まで働くようになりました
日本では八百万の神々と言います 八百万という言葉は漢字で800万と書きます
これは無数で多いということです 人間は罪の罰の中で苦しみの中で
どうしたら幸せになるかどうしたらこの苦しみから逃れるかと思って 何でも熱心に拝みます
このような人間の宗教心を利用して この世の中で満ち溢れているこの悪魔悪霊が
自分が神不利をしながらその礼拝を受け取ります これが宗教の始まりです
皆さんご存知ですか 宗教は拝めば拝むほど大きな問題がきます
神様は空城を一番嫌われるので裁きがあります なぜなら神様がおられるのに神以外のものを神だと拝むからです
第一古霊堂九舌二十舌 私は何を言おうとしているのか
空城に供えられた肉が何の意味を持つように持つということでしょうか それとも空城が何か意味を持つということでしょうか
いや私が言おうとしているのは 空城に捧げる備え物は神ではなく悪霊に捧げているという点です
私はあなた方に悪霊の仲間になってほしくありません 空城を拝む人は四編の110後編の8節に空城のようになります
空城は何もないんです空っぽです 木で作ったまた石で作ったそのようなもので
バカになります 木で作ったものが話ができますか見ることができますか
何ができますか 空城はバカだと同じように空城を拝む人もバカになります
それだけではありません10回の九舌二十舌後節を見ますと あなたがそれらに向かって悲劇したりそれに使えたりしてはならない
私は主あなたの神 私は情熱の神である
私を否む者には仏祖の罪を子孫に3代4代までも問わと言います 空城を拝む人には3代4代まで続く呪いがあります
皆さんこれは経験してみなければわかりません 空城は神様が一番嫌われるものなんです
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神様は神様ご自身がまことの神様だったことを見せてあげるためにあらかじめ 創世紀3章15節で女の子孫としてメシアを送ってくださることを予言し
具体的にアブラウムを通して信仰によって生きる民族イスラエルを建てられ そして救い主イエスキリストを送ってくださいました
マタイの福音書1章でずっと書いてある経図 それはどのような経図を通してイエスキリストが来られたのか
救い主が来られたのかそれを説明しておられることです イエス様は十字架と復活を通して人類の問題である罪と罪の罰である呪い
また罪を犯すように誘惑する悪魔を滅ぼし 救いの道を開いてくださいました
そして誰でも信じるならイエスキリストの功労によって 恵みによって救われるようになるんだということです
これが皆さんグッドニュース 福音です
福音はグッドニュースなんです イエスキリストの福音 イエスキリストによるグッドニュースなんです
ここで福音と宗教の違いを考えていきましょう 宗教は人間が持っている宗教信から
幸せを願って 自分より強い何でも拝むんです
自分より強いものがあったら何でも拝むんです 753の教示もそこから出てきたのではないかと思います
人間は堕落して霊的な目が暗くなっているから その霊的な目が暗くなっているそれを利用して働くものが悪魔です
悪魔は神様不利にしてそれを受け取るんです そこに拝むなら問題が解決し
幸せになるかと願いながら祈るんですけど それは宗教信を満たすだけで
むしろ呪いがあります また悪魔にもっともっと強く縛られるだけなんです
宗教は自分が頑張って神を求めていくことなんですけど 霊的な目が暗くなっている人間は決して神に出会うことはできません
では神様をどのように出会うことができますか 神様は神の御言葉に従って行うとき出会うことができます
ヨワネ4章23節 しかし真っ事の礼拝をする者たちが霊と真理をもって父に出会いする時が来る
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今がその時である なぜなら父はこのように出会いするものを求めているからだ
神はどのように出会いますか 御言葉と精霊によって出会うことができるんです
人間は霊的な目が暗くなって自分の力では神を探すこともできることはできないし 出会うこともできないから
哀れに思って神様が自ら来てくださったんです そして十字架と復活で救いを成し遂げられました
それを聖書で全部書いております 記録しております ですから私たちはこの聖書の御言葉に従ってその内容を信じることによって
神様は救いを得られるようになってくださったんです これが福音なんです
福音と宗教のまた違いは 誰気救いなのか自力救いなのかです
これは神様が来てくださったのか 自分が神様を探していくのかの違いです
命である神様がただで与えてくださる命を受け取るのか 命を得ようと自分が頑張るのかの違いです
誰が誠の神様であり誰が一割の神ですか 命があるのかないのかそれが関わっています
皆さん命はどこから与えられるのか 十字架と復活
それは十字架の復活の神秘なんです 以前私は九州で勃開するとき私が住んでいたこの町内会の会長さんが
ちょうど新州ということを信じているんですけど その方が教会に来ました
礼拝終わってから教会も愛ですねと言いながら 一つ聞きました
自分たちも自力救いはできないと言います 他力救いじゃなければいけないと思います
だからキリスト教の神学者の本を買ってそれを読んでいるということです しかし一つ理解できないことがある
復活が理解できない 復活だけは
皆さん復活が命です 復活ということは死んだ人に命を与えることですから
復活が大事なんです 福音の神秘は十字架と復活から出てきますけどここで命が与えられるんです
福音は命があり宗教は命がありません では誰がキリストの福音の恵みを受け取ることができますか
それをイエス様が三蔵の推訓でよくよく教えてくださいました 誰が天国を得ることができるか
マタイ五書三節から 心貧しい人々は幸いである
天の国はその人たちのものである 悲しむ人たちは幸いである
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その人たちは慰めを受ける 木に植えかわく人々は幸いである
その人たちは満たされるという 皆さん心が貧しくなりましたなぜなら世の中のものでは満たされない
神様のものじゃなければ満たされないと思って心が貧しくなった人 また悲しむ人なぜ悲しむんですか
自分の罪自分の弱さ罪を犯すしかない自分自身を見て悲しくなります どうしようと思います
木に植えかわく人 何が真理なのか求める人
その人に恵みが望みます 詩編の34編の中級説
主は打ち砕かれた心に近くいまし 悔いる霊を救ってくださろうと言います
エチアピア公官は木に植えかわく人でした ですから聖霊様はピリッポを使わせて
救いの恵みを施してくださいました 私は大学時代にデモを私の大学時代はほとんどデモだったんですね
その時私は考えました今この世の中で真理はあるのか 私今の韓国を見ながら
韓国は正しいものがあるのか真理があるのかと今政治家たちを見て問われるしか ないんですけど
深く悩みました 私はその真理があるのかというなんとか宗教信で
神様を求めたいんだけど 父が怖くて教会にはいけない
だから蒼天の祈りに行きました 蒼天の祈りの時間それで導く天道師女性の天道師だったんですけど
一つ見言葉をくださいましたヘブライ賞11章6節です
信仰がなければ神に喜ばれることはできません 神に近づく者は神が存在しておられることまた神はご自身ご自分を求める者たちに
報いてくださる方であることを信じていなければならないです 私はその見言葉が私の心を捉えてしまいました
そこに精霊様が離れたんです 私はこの見言葉に導かれて
教会に行きました そして僕先生から教えてもらってイエスキリストの福音を聞きました
そして受け入れて救われるようになりました 誰が自分の熱心で救われることができますか
私の母は宗教心があって もうボロボロの宗教を全部行ってみます
仏教に通って行ってこの次見てみたら天理教に通って行って それから父親が怖くて宗教全部辞めて
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今は私の姉に導かれてカソリックに行っています 私がいつも家に行ったら母に言います
イエスキリストが救い主ですよといつも言うんですけど 前回言ったらカソリックで祈るロザリオということがあるでしょう
それを持って私に祈りをしてくださいました 福音書の内容を持ってこれ一つ一つ
パン5つ魚2匹で5000人を食べさせてくださったイエス様を信じます 病気を癒してくださったイエス様を信じます
一つ一つで福音の内容が全部入ってますね 福音書の内容
見事まで祈りました ああやっぱり大丈夫だなぁと思いました
皆さん 宗教心だけで救いはできません
宗教心だけで求めるのが宗教です そこには悪魔悪霊が働きます
私たちは見事ばと精霊によって イエスキリストの福音に出会うとき私たちには救いがあります
最後に 私たちは誰かの祈り
ご指導を受けて助けによって救われたように今も 昔の私たちように彷徨っていらっしゃる方がいます
貧しい心を持っている 悲しい心を持っている 木に植えかわく心を持っている方がいます
どうしたらいいんでしょう 大地ペトラ3章中古説にはこう言います
あなた方の抱いている希望について説明を要求する人がいれば いつもそこに説明を答えることができるように備えていきなさいと言います
私たちがよく準備して本当に渇いている 本当に貧しくなっている心 木に植えかわいている人たち 悲しむ人たちを助ける役目が
私たちの神様からいただいたこの恵みに恩返しと言いましょうか それを返す働きになるのではないかと思います
その働きをすることが第一の言いましめ 神様の切なる願いであり 第二の言いましめ 隣人を愛する働きになります
このように私たちは受けた恵みを 人々を助けることによって神様に願いを叶えていく私たちになっていきましょう
お祈りいたします 主よ
かわいい私たちの子供を愛して 先週
子供祝福式を行いました 日本でも同じ753という教授がそれから出てきたことがわかります
この世の中の問題解決幸せを願って その心から宗教が出てきたことがわかりました
24:08
宗教信は誰にも誰も持っています それを狙って人々を自分の虜としている悪魔に騙されないようにしてください
私たちは見事ばと精霊の導きによってイエス様に出会って みんなが救いの恵みを味わうことができるように
みんなが救われるようにしてください 日本の1億3000万人の魂をどうかどうか主を救ってください助けてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします アーメン
24:44

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