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2024-10-06 35:56

「私たちの信仰の基本の基本、神の御声を聞く」2024年10月6日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2024年10月6日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)ヨハネ10:26-28しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。27.わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。28.わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。

メッセージ題 : 私たちの信仰の基本の基本、神の御声を聞く (ヨハネ10:26-28)
*神様を信じるというのは?神様を主人として拝み、神様に従うことを意味します。信じないというのは?自分が自分の人生の主人になって勝手に過ごしたいこと。誰が主人なのか!大事です。
*聖書は確かに言われます。申命記28,30章、私の声に従うなら?従わないなら?生と死・・・
*昔、初めに御声を聞くことを学ぶとき、ある本で? 私が出会った牧師たちの召命の証しで?
ギデオンの召命と確信の為に?士師記6:37 私の献身と神学校の学びで・・・聞いて行うなら!
*イエス様がヨハネ10:27。ところが、イエス様も神様に対しては小羊であったので、ヨハネ5:19#私たちの人生の大事な瞬間、御声を聞かなければ!大事なのは、御声を聞き従うなら聖霊が

1.では、どのように? 私は、このようにしています。 「神を体験する」本で・・・
*ヘンリ・ブラッカビ先生は・・・「神様は聖霊を通して、聖書と、お祈りと、環境と、教会を通して語られると。」
1)先ず、神様は聖霊を通して・・・Ⅰコリント2:10神様の深い御旨は聖霊様だけが。キリスト者には聖霊様が内におられるので。

2)聖書を通して・・・ロゴスとレーマを知っていますか?聖書を通して御声を聞こうとするなら、毎日聖書を読まなければ。聖霊様の働きは不思議、聖書も知らない私に、マルコ10:29、30この御言葉で迫害を耐えることが出来ました。 

3)お祈りを通して・・・お祈りを通して御声を聞こうとするなら、私の方から沢山しゃべってはいけません。問題点を申し上げ、それから静かに待ちながら聞こうとしなければ!ダビデの幕屋の礼拝から学ばなければ!
*神様は聖書と祈り、祈るとき聖書の御言葉で、一番沢山お話しします。是非、子供たちにQTを

4)環境を通して・・・環境は毎日変わります。変わる環境に神のサインが。しかし環境は参考だけで・・・事例、ヨナ1:2₋4神様の命令を受けて逃げようとするのに、折よく?間違えると大きな苦難が

5)教会を通して・・・教会は建物ではなく信徒の集まり。新約時代、神は共同体に、交わりの大事さ
*私は信徒たちの交わりの中で御声を・・・皆さんが大切!礼拝後、聖書学び後の交わりを大事に
*この以外、内的感動、霊感、直感などあるが・不確実、神秘的要素があるので公的には控えて
#御声を聞いて行うなら?神様が支える。vs 聞かないで行うなら?自分が責任を。マタイ7:24,26
2.もう一つ、分かち合いたいのは・・・
*神様との関係性が一番大事です。もし罪があるなら?イザヤ59:1,2 事例で、エゼキエル20章。イスラエル長老たちがエゼキエルに、いつ奴隷の生活から解放回復できるか聞いてくれ?祈ると神様が・・・31節、わたしはお前たちの求めに応じない。罪ばかりで必要なときだけ神様に?
*自分の考えが強すぎると神様が語られても聞く耳がない?イザヤ6:9,10なぜ、理解できないように?悟ることが無いように?悔い改めできないように?神様が裁きを定められるなら!同じことがイエス様と使徒たちの時代にも。マタイ13:14,15使徒28:26‐28神の御前で謙遜に自分の考えを下ろさなければ。@御声を聞こうとするなら、24時間、7日間、生きた信仰、神と同行する信仰

サマリー

神の御声を聞くことは信仰の基本です。神を信じることは神を主として受け入れ、御言葉に従うことを意味し、それが人生に深い影響を与えます。このエピソードでは、神の御声を聞くことの重要性に焦点を当て、聖霊の働きや祈りの方法について議論されています。また、聖書を通じた教えや教会の役割についても触れられ、信仰の深化を目指しています。イエス・キリストとの関係を通じて真の信仰生活を送り、共に天国へ導く姿勢が強調されています。

信仰と神の御声
今日は、信仰の基本の基本という題をもって、神の御声を聞かなければいけないということを一緒に分かち合いたいと思います。
皆さん、神様を信じるということは、神様がおられることを認めるということです。
また、その神様を私の主、主人として拝め、また、その神様に従いたいということは、全部含まれています。
だから、「私は神を信じます。」これは、こんな深い意味を含めて考えることですね。
私は神を信じないということは、神の存在を認めないということです。
だから、自分が主人になって、自分の人生を自分の思い通りに過ごしたいということ、これなんです。
だから、信じるか信じないかは、本当に大きな意味があるんですね。
じゃあ、神を認めるのか、誰を自分の人生の主人として拝んで生きるのか、これは非常に大事です。
聖書は言っています。
神を拝み、神の御言葉に従うなら、命と祝福。
また、神様を拝まないで、神の御声に聞き従わないなら、呪いと死ということで、ものすごい怖い話をするんですよ。
じゃあ、この大事なことのポイントはどこにあるのか。
神様の御声を聞くのか、聞かないのかに関わっています。
神の御声を聞く体験
以前、私は神の御声を聞くということに非常に関心を持って学ぼうとしました。
私が使ったこの本があるんですけど、本の一番初めに何かある事例が出てきます。
アメリカのある姉妹がいたんですけど、ご両親がいらっしゃいません。
みなしごと言いましょうか。かわいそうな姉妹です。
だから、ある高齢者の介護をしながら過ごしたんですね。
その高齢者、おじいちゃんの息子が、方と息子がいます。
その方と息子によって彼女は交換されてしまいました。
自分も願ってもない妊娠をしてしまったんですね。
だから、自分の人生はなぜこんなにつらいのか。
私の人生は悪いことばかり、嫌なことばかりだと思って、
自分の人生を悲観しながら、自殺しようと思っている。
その時、神の御声が聞こえた。
その子を産んで育ちなさい。
彼女はその御声に聞きしたがって、死なないで子供を産んで育ちましたけど、
その子供がどうなったのか、後になって牧師になったんです。
大勢の方々を救われる素晴らしい先生になったんですけど、
私はその本を前の教会に置いていって出ちゃったから、
その先生の名前を覚えたんだけど忘れちゃった。
私が申し上げたいことは、
その姉妹が神の御声を聞かなかったら、
その牧先生もいらっしゃらなかったし、
また大勢の方を救う働きもできなかったでしょう。
聖霊を通しての啓示
まあ、彼女が神の御声を聞きしたかったことによって、
神様の驚くほどの計画が成し遂げられた。
ああ、神の御声を聞くのはこれ大事だなって。
今まで私が出会った大勢の牧先生たちがいます。
その先生たちが神学の学びをして牧師になったところで、
その先生みんなが自分なりに神様から招かれた証明、
コーリングに対する証があります。
その証を聞いてみたら、
その先生たちはみんな神の御声を聞いたんですね。
その先生が神徒たちには、
神の御声とかこんなこと聞いてはいけない、と。
自分は聞いたのに神徒たちには聞いたらいけない、と。
間違えるから。
だから、御言葉を読んで悟られたことを従いなさい。
これはバリサイ人になりなさいということと違いがないですね。
自分は聞いたのに他の人は聞いてはいけない。
これは矛盾があるんですけど、
まあ、とにかく私たちの人生の大事な瞬間、
選択しなきゃいけない。
決定をしなきゃいけないことはいっぱいあるでしょう。
その時に私たちは神の御胸は何ですか。
また神の御声を聞かせてください、と。
祈るのは当たり前じゃないですか。
詩式6章でキリオンという人が出てきます。
6章中2節に主の御使いが彼に現れて、
勇者よ、主はあなたと共におられる。
それから、ミディアンの手からイスラエルを救いなさい、と。
ミディアンの手からイスラエルを救う働きが
自分にはできるはずがないんじゃないですか。
でも神様は共にいるからあなたはやれ、と言うんです。
私がどうすればこんな強いミディアンを打ち破ることができるか。
自分は自信がなかった。
だから、羊一匹の毛、一匹の毛だったら大分量があるんですね。
それをお庭に置いておいて、明日の朝、
梅雨がここだけ降りて、周りは乾いた地にしてください。
そしたら死んじます。
そう言ってみたら、そうですね。
次の日、この毛のところには梅雨が降りないで、
周りには湿気があるようにしてください。
その通りでできた。
そこで革新が行ったんですね。
今日の教会学のメッセージ、私にはすごく意味があったんです。
ヨーシワにカナーンの征服しなさい。
カナーンの地、どれほど難しいか。
もう40年前、カデスバニアで一回行って見てきたから、
カナーンはすごい強いということをわかっています。
自分はどうしてこのカナーンの征服戦争で勝つことができるか。
それで神様に祈ったところで、神様が
強く押し込まれと言いながら、私がモセと共にいたように、
あなたと共にいる。
それでヨーシワは力を受けたんですね。
そしてヨルダン川を渡るときに、今日のメッセージは素晴らしかった。
足を一歩踏み出したら、水が止まった。
信じて行動したところで、見技が行われる。奇跡が行われる。
今日のメッセージ、素晴らしかった。本当に。
いい勉強になりました。これから私も信じて足を踏み出す。
ここで奇跡が起こる。
はあ、素晴らしい。本当に感謝します。
私たちの人生の大事な選択の瞬間、決定の瞬間。
皆さん、この家を買うか買わないか。どこか引っ越しするかないか。
私たちの場合は、韓国に帰るか帰らないか。
いろいろ悩みがあるし、日本の生活難しいなと。
これから私の人生どうすればいいんだろう。
いろいろな選択の余地の中で、自分が選ばなきゃいけないとき、
皆さんはどうされますか。
いろいろな人の話を聞きますか。
大事なのは、神様に聞いてみなければいけない。
なぜこれが大事なのか。
神様に聞いてみれば、そして行うなら、神様が責任を取ってください。
神様に聞かないで、私が勝手にやったら、誰が責任を取りますか。
誰にも責任を取ってくれません。
また、神の御声を聞いて従うなら、精霊様が共に働きます。
神の御声を聞かなくて勝手にやったら、精霊の働きがありません。
これは、天と地の差があるんですね。
ですから、御声を聞かなければいけない。
イエス様はこう言われます。今日の聖書ですけど、
私の羊は私の声を聞き分ける。
私は彼を知っており、彼らは私を従う。
イエス様は私たちに羊の話をしますけど、神様に対してイエス様は御一児だった。
だからイエス様も神様に徹底的に従った。
それがヨアネチ後書中九世。
そこでイエスは言われた。
はっきり言っておく。
子は父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。
父がなさるなら私はその通りする。
父の御声を聞いてイエス様は従ったということでしょう。
これは牧師だけではなく、私たちみんなが聞かなければいけません。
皆さんはなぜ私を教会の牧師として使ってくださいますか。
その意味は神様からの御声を聞いて私たちに伝えてくださいということです。
それが皆さんが私に牧会を託された、委ねた理由です。
もし牧師が神様から聞いたことを伝えなくて、自分のことを伝えるなら、
皆さんは私より優れていらっしゃるのに、なぜ私の話を聞きますか。
そうです。牧師が神の声を聞くから牧師を使ってください。
牧師が神の御声を聞いて伝えなければ、牧師を使う理由があります。
皆さんが聞けばいいです。
だから牧師も私たちみんな神の御声を聞いていかなければいけない。
だから皆さんはそうでしょう。
では牧先生、あなたは神の御声をどう聞きますか。
私たちに説明してください。
だったら私たちが聞いて、あなたが本当なのか本当じゃないのか判断したいと評価したい。
当たり前でしょう。
だから私は今日その部分を皆さんに申し上げて、
私は御声を聞いているから、私たちみんなこれから聞きましょうということを皆さんに申し上げたいと思います。
では私はどのように聞くのか。
私は神を体験する本という本があるんですけど、
その本から私はたくさんの学びができました。
それから神の御声を聞くことを専念しています。
ヘンリー・ブレカビ先生がこう言いました。
神様は精霊を通して語られる。
精霊様は聖書を通して、お祈りを通して、環境を通して、業界を通して語られる。
ここが大事なんです。
ではまず具体的にこれをどうするのか。
まず神は精霊を通してお話しされます。
第1コリントン2章10節には、私たちには神が霊によってそのことを明らかに示してくださいました。
霊は一切のこと、神の深みさえも極めます。
神の深い奥にあるお考え、神の御意図は誰が知っているのか。
精霊様が知っています。
精霊以外誰も知らない。
この精霊様は今どこにいらっしゃいますか。
私の心におられます。
イエスキリストを信じる時、信じる人に、悔い改めてイエス様を信じる人には精霊様がここに心におられておられます。
だから私は私の心におられる精霊様から教えてもらうこと、これが大事、これが資格です。
この精霊様がおられる人は神の御声を聞くことができます。
精霊様がおられない人には神の御声を聞くことはできません。
ここが一番大事なポイントです。
では精霊様はどのように働くのか、まず聖書を通して教えてください。
聖書を通して神の御声を聞こうとするなら、必ずロゴスと霊魔がどんな意味か、これを考えなければいけません。
ロゴスは聖書です。
文書で書かれた聖書、これをロゴスと言います。
しかしロゴスを読むときに精霊様が照らしてある部分を私たちに強く悟らせてくださり、
強く教えてくださるときにその御言葉を霊魔と言います。
ロゴスの中で今日の私の霊魔になります。
これが神の御声になります。
これは非常に大事です。
じゃあ、聖書を通して神の御声を聞こうとしたら、私今までたくさん聞いたよ、意味ありません。
今日私が聖書を通して神様の御声を聞こうとするのか、毎日毎日聞こうとして聖書を開く。
今は携帯に入っているでしょう。携帯の聖書のアプローチを開く。
これをどのくらい度々、どのくらい頻繁に行っているのか、
それに関わるのではないかと思います。
ですから聖書をたくさん読むこと、たくさん読むよりは、
今度々読むことは非常に役に立つのではないかと思います。
とにかく聖霊様は聖書を通して教えてくださる。
聖書は誰が書いたのですか。
人が書いたのですけれど、霊の感動によって書かれたから、
聖書を書かれた方は聖霊様です。
だから聖霊様が、今私のすべての場面について、
聖書を通して私たちに私たちの身旨を教えてくださいます。
だったら聖書をたくさん知らなきゃいけないし、読まなきゃいけないのですけれど、
ある時は聖書を知らなくても可能という場合がある。
私が初めに聖霊を受けて、イエス様を信じて聖霊を受けたのですけれど、
その時、僕先生が、昔の先生は厳しかったですね。
先生が私に来いと、私がこれからどうすればいいですかと言ったら、
聖書と御言葉の重要性
あなたの家は聖女を拝むジェサ、韓国の言葉でジェサ、たくさんあるので、それをやめなさいと言いました。
聖女に対する儀式、これが私たちの家族の命のようなものなので、それをやめなさいと言われたから、
それをやめ始めたら、父がものすごく怒られて追い出されました。
その時、私は聖書を読んでいませんでした。聖書も知らなかったのです。
ところが、私の心に聖書がありました。
これがマッタ、マルコの十書の二十節、三十節。
イエスは言われた、ハケリトコ、私のため、また福音のために、
家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者は誰でも、今この世で迫害は受けるが、
家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も迫売受け、どっちの世では永遠の命を受ける。
私のこの見言葉を心にありました。
読んでもない、どこにあるのかわからないのにありました。
それをもって、約二十年、三十年ですかね、すべてを耐え忍ぶことができました。
この見言葉によって。
本当に、家から出て援助がないから、どういきますか、
すべて神様がこの見言葉を通して満たしてくださりました。
聖霊の働きは素晴らしいです。素晴らしいです。
2番目、聖霊様は祈りを通して教えてください。
ところが、祈りは非常に大事なんですけど、
祈りを通して神の見声を聞こうとするなら、祈りのやり方を少し変えなければいけません。
今まで私たちの祈りは、私が要求することをたくさん神様に、
これもやってください、これもやってください、これを祈ることは一般的ですけど、
神の見声を聞こうとするなら、私が語って要求することじゃなくて、
神の見声を聞こうとする祈りが大事です。
これをダビデがダビデの幕屋を通して、神の見返りを求める祈りをした。
自分のことを申し上げながら、そのことに対して神は何と言われるのかに対して、
待ち望む。沈黙して待ち望む。まだ賛美がいいですね。
賛美を持って神を褒めたたいながら、待ち望む。この時ダビデは必ず聞いたんです。
私たちもこれを通して、ちひとも聞きたいと思います。
多くの場合は聖書、祈りじゃなくて、聖書と祈りを含めてたくさん語られます。
祈る時に神様は聖書を通して教えてくださる。
そのことが一番大事なんです。ここが一番正確であり、
これで一番たくさん教えてくださるところではないかと思います。
祈りの方法と聖霊の働き
そのために皆さん何をされるんですか。そのために私たちは朝のデボーション、
QTを行います。聖書を皆さん、私はいつもこれを書いてあるんです。
この上、小さな字で書いてあることがあります。
この前、私はこの聖書を読むことです。これはメッチェイン方式だということで、
イギリスのメッチェインという僕先生が、その通して一年一度聖書を読む方式で、
これをマティン・ロイド・ジョンス先生が行ったということで、
私はこの方法でいつもやろうとしているところです。
この以外もここにホームページがいろいろ書いてあります。
そのホームページの中に入ったら、皆さん日曜のかて、
朝のデボーションができるような材料がいろいろあります。
その聖書を読んで、私は悟ったこと、悔い改めるべきこと、または決断するべきこと、
これを見言葉に反応してそれを行います。
なぜこれを私はいつもやっているのか。
聖書の中でヘブライション4章、中2節、中3節、このような言葉があります。
というのは、神の言葉は生きており力を吐きし、どんな諸刃の剣よりも鋭く、
精神と霊、観世と骨髄とを切り離すほど差し通して、
心の思いや考えを見分けることができるからです。
さらに神の御前では隠された秘聴物は一つもなく、
全てのものが神の目には裸剣になり、さらげ出されています。
この神に対して私たちは自分のことを申し述べなければならない。
これなんですよ。
神の御言葉は生きており力を吐きし、どんな諸刃の剣よりも鋭く私たちの全てを、
霊と精神的な部分と体の部分を全部切り離すんです。
それで悪いところを全部指摘してくださるので、
その御言葉に対して、精霊様が御言葉を通して語ることを通して、
私の悟られたこと、罪、いろいろなことを神の前で告白しなければいけない。
皆さん、これなんです。
私は毎日御霊をあります。
毎日精霊様の前で正直に行うなら、私の心肝は毎日回復されます。
皆さん、命が与えられます。
私は病気も癒されるんだと確信しています。
私は病院大嫌いで、神様、癒してくださるんじゃないですか。
気にしてくださればいいんじゃないですか。
なぜわざわざ病院まで行かなきゃいけないんですかと、私はいつも祈ります。
あなたが治してくださればいいでしょうと、神様に委ねます。
生きている力を発揮する神の御言葉が、毎日私を大手術されます。
それで私を活かしてくださり、癒してくださり、回復してくださり、パワーを与えてくださる。
だからこの朝のデボーションの時間、私は朝起きたらすぐこれを時間できる限りやります。
一番楽しいお時間です。
私は私の子供たちのために、神の御声を聞いて従うこのQT、または朝のデボーションを、
子供たちにぜひぜひ、子供たちの一生涯の人生のために、私たちはこれを教えていかなきゃいけないなと思います。
ですから皆さん、よろしければ、子供たちが朝のデボーション、QTをうまくできる、教えてくださる子供の本がありましたら、紹介してください。
私のお金で買って差し上げます。子供たちのために。
ぜひこれをやらなきゃいけない。ぜひ。
私はこれを一番力をいただいている部分が、聖書と祈りのこの時間です。
また神様は、聖霊様は、環境同士で私たちに教えてくださる。
私たちの周りの環境は毎日変わります。ある時はいい時もあるし、ある時は悪い時もあるし、
辛い時もあるし、涙を流す時もあるし、笑う時もあるし、環境が変わります。
この環境の中で神様の身群があるということ。これは非常にいいですね。
ところが、環境は参考にするだけ。結果的に環境が変わることを参考にすればいいです。
環境同士で神様の身群を知りたいと思ったら間違いやすいですね。
この大事な事例がヨナです。ヨナ1章の2節から4節まで。神様はヨナにこう言います。
あなたは大いなるニヌベに行って彼たちに呼びかけなさい。来い改めなさい。
皆さん、ニヌベがどこかと言いますと、アシシリアの首都です。アシシリアはイスラエルと敵です。
今イスラエルも戦っているんです。ヘスボラという上のシリアと戦ったりイランと戦ったりするんです。
昔々からイスラエルの敵なんです。一番嫌な敵、敵の首都がニヌベなんで、
ヨナにそこに行け、来い改めなさい、伝えなさいと言ったから、ニヌベが嫌で、神様の身声が嫌になって逃げようとしました。
そして港に行ってみたら、そこに折り寄く船があった。ダルシスンのところに逃げる船があったんです。それを乗ったんです。
それで彼は台風の中で、大きな魚の腹の中に入って、3日間苦しめながら来い改める、この場面が出たんですね。
だから環境をそこに参考にするだけで、あまり油断して、環境を通して何かいろいろ開いたりしてはいけません。
私は環境を大事にする理由は、業界の家族皆さんの生活とかいろいろな動きがあります。
今日の場合は、あゆみさんが少し体が調子が悪くなった。すぐ私は考えます。
ああ、主よ、この牧師が神の前で何か間違えたんですか。たびたび言います。
何かあったら、業界の家族の中で誰かにトラブルがあったり問題があったり、うまくできなかったりするなら、これは牧師の責任。
牧師が神様の前で正しくないからこんなことがあるかなと、私はいつも思って悔やるために、いつもやっています。
なぜなら、業界の家族を通して私を教えてくださるからです。
以前、業界で大宮アルディジャの監督であって、チャン監督がいらっしゃいました。その時私は死ぬと思いました。
毎週試合があるんですね。毎週試合があって、大宮はよく負けたんですね。
負けたら私の心に、ああ、私が何か間違えたんでしょう。もううまくやったら勝つべきなのに、できなかったから負けるべきじゃない。
それでまた神様、何か問題ですか、何か問題ですか。その時間が私にはたくさん悔やるための時間になって、これは本当に良かったんですけど、いろいろあります。
環境を通してどう神の御声を聞くのか、それは祈りを通して、聖書を通して、いろいろなことを通して、最後に環境として決着ということで考えたら、まあいいんじゃないかと思います。
教会との関係と神の声
また、聖霊様は教会を通して語る。 教会は皆さん建物じゃなくて、私たちが教会です。
2人また3人がおられるところには私もいる。 だからそこに追い取り追い取り、私たちのメンバーたちが教会です。
まあ旧約聖書では預言者を通して個人的にたくさんのことを語られました。しかし新約聖書は違います。
新約聖書は個人に語るよりは教会に語ることが多いです。 だから私たちがみんな聞いてそれを集まってみれば、
神様が私たちに何と言われるのかということをよくわかります。 だから私たちの教会は礼拝の後交わりの時間を持ちます。
これが非常に大事。メッセージも大事だけど、この後の交わりの時間も大事。 聖書を勉強会していれば必ず何かわかっちゃうでしょう。
その時間も大事です。 私は教会学校の先生のメッセージをよく聞きます。
注目します。 まず子供たちの反応。
子供たちが最近はみんな偉くなりましたね。先生の声に質問、クイズといって質問すればよく答えてくれるんですよ。
偉いんですよ。それを見ながら、うわぁ嬉しい嬉しいと思う反面、子供たちがこう見てるんだな、いい勉強になりました。
それで私はこの神の見越えを聞こうとする。 先週私たち男性がここで集まって聞きました。
ここである兄弟が質問してくれたんですけど、その質問を聞くときに、
あ、来週のメッセージをこうしなきゃいけないんだなと。 そうです。
分かっちゃう間にメッセージのテーマがちゃんと聞いてきた。
ああ、だから神様が私たちに何を願っておられるのかが、それよく見えてきます。
だから私は皆さんに感謝します。皆さんがおられるから私は神の声を聞くことができるんだと。
だったら皆さんおられなければ、私はどこから教会を通して語れる神の見越えを聞きますか?
そのことを考えたら私たちはお互いに感謝です。お互いに感謝。
ぜひとも皆さんのお声を聞いてみてください。それは大事です。
もう作ちゃんの声もこれから聞かなきゃいけない。それはみんなから聞きたい。
その覚悟、謙遜に聞き受ける、その姿勢が非常に大事。
以前私は内的感度、霊感、直感ということも皆さんにいろいろ教えましたけど、
私は今はそのことをやりません。なぜならそれは不確実なものであり、神秘的な要素がたくさんあります。
ですからこれは豪的には受ける、それを利用しません。
個人的に神の見越えを必ず聞かなきゃいけないと思ったときには、個人が聞くのはいいんですけど、
そのときにも伝道師とかは私に、私はこんな声を聞いたんですけど、これは分別してみてください。
これを言うのは非常に謙遜で非常に大事です。これから私たちはやっていきましょう。
皆さん、神の見越えを聞こうといろいろ調べてみたんですか?
戦ってみたんですか?いろいろ工夫してみたんですか?
なぜそれが大事なのか、神の見越えを聞いて行うなら、神様が責任を取ってください。
神の見越えを聞かなくて勝手にしたなら、誰も責任を取ってくれません。
神の御声を聞く重要性
神様が責任を取ってくださる、これはすごく素晴らしくありません?
ですからマタイ7章24節を見ていますと、
私の見越えを聞いて従うなら、岩の上に家を建てたような人。
皆さん岩の上に神様が岩という、神様に岩、この岩をもともとイエス・キリストを意味するんですけど、
岩の上に家を建てる、私の人生の毎日毎日を積み重ね積み重ねられる、その家はもうしっかりするでしょう。
砂の上に建てる家はすぐこぼれてしまいます。
ですから私の人生をどこから建てるのか、みんな熱心に頑張って熱心に過ごしているんですけど、
よく見たら岩の上に建てる人もいるし、砂の上に建てる人もいる。
後になってから私の人生なぜなんだろうかと言っても意味がないでしょう。
これを積み重ねがそこだったから。
だから私たちは神の御声を聞いて従うという、心からの決断をしてぜひ行ってください。
時間があまりないので、今日はこのぐらいにしておきましょう。
僕氏の説教は毎週毎週、日曜の仮定をしっかりやって、また神と皆さんのお声をしっかり聞いて、
また神と皆さんの生活から神様が教えてくださることをよく聞いて、
それで私なりにいろいろな本を読んだり、聖書を読んだりします。
それをもって神様の前にいるなら、今週のメッセージはこうするべきだ、これをやったらいいんだということがなんとか確実にきます。
そうするなら私は、私が考えてみたら2001年から僕会が始まったから24年目ですね。
24年間やってきたいろいろなデータベースとか、いろいろ読んだ本とかいろいろなことがたくさんあるので、
そこから私はいろいろ引き出してメッセージを作ったりします。
メッセージを作るときも、私が作るのか、聖霊様が作られてくださるのかがわかります。
私がこんな話をする言葉を使う可能性があまりない。
私は文系なんです。あ、文系じゃなくて理系。工大出身です。機械工学出身です。
だから私は文系ができないので、いつも国語ということはし、また私は文章とか言うことに弱いんです。
ところが今何十年間僕が知っていること、これは不思議だなと思うんですけど、とにかく聖霊の助けがなければ私はできません。
聖霊様に委ねて、でも毎週毎週皆さんとメッセージを通して、皆さんを天国まで導いていこう。
このようなイエス様の、次の私が牧者の役割を、羊飼いの役割をしっかりやらなきゃいけないんですけど、力が足りないところであります。
ですから聖霊様、聖書、また今日のお見事を通して、聖霊様を通して、聖書と祈りと環境と教会を通して語られるお見事をしっかり受け止めて、
それで私は毎週ついていきたいと思いますので、一緒にやっていきましょう。お互いに助け合って一緒にやっていきましょう。
以前の私は心痛いところから、これは言ってしまいましょう。以前、前の教会から出てくる時、ある姉妹がこういう話をしていました。
神の御声を聞いて従う教会と言っているのに、なぜこんなことが起こるんでしょうかと言った時に、私は本当に恥ずかしかった。
異論じゃないですか。今まで神の御声を聞いてやりましょうと言っているのに、なぜこの分裂の状態まで行ったのか。神様がうまく助けて、導いてくださなかったのか。
私はそれを考える時に今も恥ずかしい。今ももう心が痛くてたまりない。
ですから開拓する時から、今度はうまくやろう、うまくやろう。ぜひともぜひとも神の御声を聞いて従う。
私はイエス様の良い羊になるように、私を助けてくださいといつも祈っています。
皆さんぜひともイエス様にうまくついていく。御声をよく聞いてついていく。一匹の羊として私の役目をしっかりやっていきましょう。
聖霊の助けを求める
これを通して、皆さんが私について聞いてくださればありがたいんですけど、私はイエス様にしっかりついていって、それから天国まで行こう。
このような私たちになりましょう。
お祈りいたします。
主よ、今まで私たちは神を体験する信仰生活をやろうと、神の御声を聞こうと頑張ってみたんですけど、
非常に下手くそで恥ずかしいレベルを立ったことを認めます。これからはよく聞きたいです。
私の羊は私の声を聞き分け、私に従おうと言われたイエス様の御言葉通り、これからはうまくついていきたいと思います。
神様、恵みを与えてください。聖霊様、もっともっとしっかり教えてください。イエス様の皆を通してお祈りいたします。アーメン、アーメン。
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