1. 目からウロコの理科ラジオ #めかラジ
  2. #77 伊能忠敬の地図はなぜズレ..
2025-10-17 32:34

#77 伊能忠敬の地図はなぜズレているのか

<ハイライト>

万歩計

伊能図は誤差0.5%

導線法で地図を書こう

GPSアート

緯度は北極星で、経度は時計が

自転軸の北と磁気の北のずれ

ダイナモ理論

球面の測量を平面の紙に書く

秋は導線法で地図を書いてみる?


<参照>

伊能忠敬の地図をよむ、渡辺一郎他、河出書房新社、2010


すごいぞ!江戸の科学 : 時代を動かした地図・暦・和算の力、群馬県立歴史博物館、2018


伊能忠敬の地図作り

https://www.ripro.co.jp/yamaoka/k-hanashi/kamishibai/kamishibai.htm


伊能図中図におけるずれに関する考察、金澤敬、「地図」Vol.38,No.1,2000

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca1963/38/1/38_1_13/_pdf


地球の電磁気Q&A、気象庁地磁気観測所

https://www.kakioka-jma.go.jp/knowledge/qanda.html


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サマリー

江戸時代の井上貴による精密な日本地図の作成を通じて、測量技術と時代背景が探究されます。特に、井上図が現代地図とどのようにずれが生じているか、その理由について考察されています。伊能忠敬の測量技術と地図作成の過程を通じて、距離や位置を正確に測る方法が探求されています。特に、緯度と経度の測定手法や、地図上のずれの原因について詳しく解説されています。また、伊能忠敬の地図には、測量の際の問題や地球の曲面を平面に投影することによる歪みが影響していることが語られています。地図のズレの原因や、現代における地図の見方についての考察が展開されています。

00:00
目からウロコの理科ラジオ #めかラジです。
こんにちは、目からウロコの理科ラジオ、通称めかラジオをお送りします。
パーソナリティは、仕事をしている平日と休日の歩く数が違いすぎるカリウムと、
仕事終わりに散歩をしている死のエッセイと、
毎日7000歩以上歩いている細胞です。
よろしくお願いします。
このラジオは、オンラインコミュニティ、理系とーくラボの話し好きの3人が
身近にある科学、科学の辞児ネタ、歴史上の出来事を科学で読み解いたりする番組です。
ということでして、今回の冒頭挨拶は、歩く数の歩数の話とかにしております。
これは本編にちょっと関わってくるので。
ひえさんは、仕事終わりに散歩をしているということでしたね。
はい、家帰ってから着替えて、その辺を30分ぐらい歩いてます。
最近は、ちょっとだけ走り始めたりとかをしてます。
仕事終わりに散歩する体力がまだ残ってるって言ったら羨ましいこと。
あんま残ってないんで、気合で入りに出てって感じですね。
雨の日は嫌すぎてやってないですけど。
雨の日まで無理してることもないと思いますけども。
さんぽーさんは毎日何千歩?土日とかでもですか?
今半年間の平均歩数で見たら7113だったんで。
平日休日問わず平均すると毎日7000歩以上歩いてるっぽいですね。
すごいな。
今計算したんですけども、一歩30センチと見積もったとしても1日21キロ歩いてるんですよね。
思ったよりすごいな。
30センチってことはないでしょ?
ないと思うんですけど、足のサイズが1センチじゃないですか。
だから足のサイズが30センチじゃないですか。
だいたい男性の平均として。
それで計算すると21キロなんで、最低でも21キロ歩いてることになるなと思って。
それはすごいね。
そうなんですよ。
昔は絶対1万歩歩くようにしてたんですけど毎日。
でもやっぱり実験しなくなると1万歩歩くのがしんどいんですよね。
伝わるのかな?
伝わるのかな?
いやいやいや、わかりますわかります。
わかりますわかります。
オフィスワークする前、毎日実験してる頃はあっちのバイオウキに歩いてって、
こっちに戻ってきて、こっちでやらなきゃいけない作業があって、
うろうろしてたら勝手に1万歩歩いてたんですけど。
1万歩まで行かなくても8500歩とかだったんで、
あと1500歩、冷えさみたいに仕事終わったらちょっと歩くか、
1500歩上乗せして1万歩歩いてきたんですけど、
3000歩上乗せするのきっついなーと思って、
7000って甘んじております。
毎日の平均で7000行ってるってすごいなと思ってて、
私もたぶんそのぐらい行ってるかもしれないんだけど、
スマホの中に保守系の機能があるから、
スマホ持ってる間はカウントしてくれるんですけど、
私、鶏の世話する仕事作業してるときはスマホ持ち歩いてないんで、
そこ濃厚感なんですよ。
なのでトータルの数はわかんない。
わかんないけど、通勤の行き帰りで平日は6000から9000、
いよびによってダボのに行って戻ってとかいうところが
たぶん余分に入ってくるから、
そういうときは8000、9000行くみたいなんだけど、
そうじゃなくても6000以上はあって、
ただし土日はほとんど外で歩かないので、
そうすると100行かなかったりとか。
100行かないのはすごいですね。
買い物とか行くとね、多いんだけど。
家の中で家事してるときとかスマホ持ち歩かないからじゃないですか。
それはそう、それはその通りです。
スマホを体に身につけてたら邪魔くさいじゃないですか。
それはそれは。
なのでそういうところはカウントしてないとはいえ、
ちょっと差が激しいなとは思ってはいます。
ちなみにマンポケに言いますけど、
1万は歩くと健康にいいとかっていう話はないらしいですね。
見たいですね。
それ多分因果関係逆なんですかね。
1万歩歩くからじゃなくて、1万歩歩くような人は健康で、みたいな。
1万歩いて健康な生活とか言ってるのは、
特に根拠なく1万っていう数字が出たらしいっていう話が、
前にテレビでちょっと見ました。
ゴロが良かったとか言うことかな、だったような気がします。
マンポケってちょうどいいですもんね。
千歩系、億歩系に比べると。
億は無理だけどちょうどいい。
マンポケっていうのは多分言葉としては、
喋りやすい、話しやすい。
天然とかにも耳に根残りやすい感じがします。
ということで今日はちょっと歩く話が、
若干本編に出てくるかなと思います。
ということで、今回のメカラジもぜひ最後までお楽しみください。
井上貴の紹介と背景
今回は江戸時代の科学のネタということで、
井上貴の地図、大日本沿海誘致全図についてお話しします。
通称井上図とかも言われている日本地図の話ですね。
井上貴は江戸時代の1745年生まれ、徳川でいうと11代目の頃ですね。
今で市場県出身で、亡くなられたのが1818年で71歳ということです。
もともとは名主であり商人もやってたという方でして、
49歳までは現役時代の時まではそれをやってたんですが、
49歳で院教しています。この頃49歳で院教というのは妥当ですね。
平均年齢から考えると。49歳で院教した後、
50歳で勉強をちゃんとしたいって話になって、
歴学、小読みについての学問とか、天文学とか促領とかを学ぶようになって、
江戸に出てきて幕府の天文型っていう役所のところに勉強させてもらって、
実際のところその天文型の偉い人が自分よりもだいぶ年下の30代の方に教えてもらってたらしいんですけど、
55歳とか50代になってから、そんな自分よりぐっと年上の人にも
物を教えるなんてちょっと無理って言われたらしいんですけども、そこを何とか頼み込んで。
その後、地球の大きさをちゃんと調べたいっていうのが多分目的だったらしいんですが、
55歳から71歳の間に日本全国を促領して日本地図を作ったという、そういう方です。
最初は江戸の街中だけで調べようとして、実際に自分で歩いて距離を測って、
それを地図に書いたりとかして、江戸の一度の距離を調べれば地球の大きさがわかるでしょうっていう、
そういうことをやってたんですけど、やっぱり江戸の街の中だけで作る、
それを調べて計算するのは制度的なものがあったりするから、
もっと広い範囲で促領したらいいんじゃないのっていう風に先生に教えてもらって、
じゃあ日本地図を作るってことにして、それで幕府の方に許可をもらおうかということで、
江戸から江戸まで行って、北海道の地図を書いていってっていうことをやってたのです。
江戸から北海道まででちょうど井戸一度分だったってことですかね。
いや、もっとあったと思うんだけど。
そうなんですね。
距離があればあるほど。東京の井戸が36とか7で、秋田あたりで40じゃなかったかな、井戸は。
そうなんですね。
ような気がする。今何も調べないで記憶だけで頼っていったので、
正確なところはちゃんと調べたほうがいいなと思うんですけども。
関係する歴史的背景
一応それが目標だったと言われていますが、時代背景を考えるとですね、
実はこの頃ですね、今のロシアの前がソビエト、その前が帝政ロシアって言って、
王様がいた時代のロシアですね。
この帝政ロシアが江戸地に対して根室に勝手に港に入ってきて、通称を城というように要求してきたりしたのが1792年で、
江戸地を防衛するために測量が必要になってきたから、幕府としても江戸地を測量するという許可を出したのではないかというふうにも言われていますが、
この説、この見方っていうのは実は明治以降にこの説が出たって話もあるので、実際のところはあんまりよく分かってない。
どうして地図を書くことを許したのかという理由が分かってないんですけども。
ちなみにアメリカの黒船来航、これはイノーズができた後1853年です。
その時にアメリカの黒船って4隻船があったんですけど、そのうちの3隻は実は測量の船だったそうで、
日本をいろいろ測量したいんですけどもっていうふうに、フェリーとかが幕府に言って、
いやうちちゃんともう地図あるからって言ってイノーズを出したという。
で、それを見て、え、こんなに正確な地図があるのって、日本の科学技術結構強いんじゃないの、
これあんまり指摘にしない方がいいかもしれないっていうふうに思ったという、いう見方もあるそうですよ。
イノーズで割とそこら辺は侵略とかされずに済んだんじゃないかという説もあったりします。
まあそんだけアメリカから見ても正確な地図だなっていうふうに見られてたということのようですね。
そのイノータアタカの描いた地図、彼一人で描いたわけじゃなくてチーム戦でしたけども、
とっても精度が高くて誤差が0.2%、まだ西洋の技術がそこまで、今は別としてですね、
まあヨーロッパ現地に比べると、ヨーロッパとかアメリカ現地に比べるとまだまだ遅れていたこの時代において誤差0.2%って相当良くって、
イノーズだけ見てたらもう十分今でも使えるぐらい綺麗に描かれているんですが、
測量技術と誤差の考察
現代の地図と重ねてみると東西方向にちょっとずれがあります。
どうずれているかというとですね、江戸とか京都のあたり大体同じですけども、
江戸と同じぐらいの関東とか近畿、瀬戸内海のあたりっていうのはあんまし東西にずれてないんですけども、
江戸よりも井戸の高い東北とか北海道、あと江戸の中よりも井戸が低い九州あたりだと東方向にちょっとずれが発生しています。
重ねた図っていうのをちょっとネットで調べてもらえば分かるかと思いますが、ちょっとずれてて形はだいたいあってるんですけども、
それはなぜかというところをちょっと私は気になったのでいろいろ調べてみました。
地図の描き方っていうのはどういうふうに描きますかっていうところなんですけど、GPSとか衛星とかない、
使えないという場合の時ですね。地図を描く基本で一番基本になるところは、今自分がいる位置、
次そこの位置に行きたいっていう場所を決めて、そこまでの位置が方向と距離がちゃんと分かって調べておくこと。
それをちゃんと記録する。それを縮尺つけて作図をすれば地図ができますねという。
これが一番基本になるもので動線法って言います。
動線の道は金属と道じゃなくて導くですね。導く線の方法の方で動線法って言います。
その距離をどうやって調べたかっていうと、歩くことですね。
井上隆は自分の一歩当たりの距離が必ず同じ距離になるようにすごく歩く訓練をしたらしいです。
なんで歩けるところは全部自分なしで基本的に。
あとそれ以外に鉄の鎖って書いて鉄査とか、あとは縄に印をつけた剣縄、
間の縄って書いて剣縄って呼ぶんですけど、剣縄を使って距離を調べるとか、
測量技術の探求
あと平らなところであれば両停車っていう歯車と車輪がついてて、
引っ張るとその歯車がカタカタカタって一定の距離ごとに動いて、
メモリが動くことによって距離を測ることができる、そういう装置とかを使ったらしいです。
両停車についてはですね、やっぱりガタガタしてるところはなかなか測りづらいんで、
基本的には補足とか鉄査剣縄あたりを使ってたらしいです。
距離はそれで測って、あと包囲地芯。
包囲地芯は杖の上にラシンバンみたいなものがついて、杖先ラシンとか、
あとはワンカラシン、これ漢字で書くと非常に難しいんですけど、
基本的には杖先ラシンって考えておけばいいんですが、
これ杖の向きによって水平がずれないように、ちゃんと必ず水平になる、
包囲地芯の乗っている板の部分が必ず水平面が取れるように工夫されている、
そういう包囲地芯を使ったりして、基本的にはこの方法ですね。
ちなみに私、学生の時に地学をやってたんで、
この動線法で地図を書くという実習をやったことがあります。
こんな方法ではあまりしないんだけども、補足はやりました。
歩いて、何歩歩いたから何メートルっていうのと、
あと水準記のついているクリノメーター、包囲地芯とはちょっと違う。
包囲地芯と基本的には同じなんですけど、東西単木の東西が逆向きに書かれているんですよ。
それを使うと地層の走っている方向と傾きっていうのを調べられるんですね。
これを使って、自分で方眼視に今の場所、向こうの場所までの方向と距離を測って記録するっていうのをやって、
最終的に自分が通ってきたロードの地図を書くっていう練習をやったりしました。
これに近いようなことかなって、水準記があるから水平で必ず方向が正しく求められるんですね。
基本的にはこれなんですけど、でもこれやると誤差があった時にどうしようかっていうことになるんで。
積み重ねるとだんだんちょっとずつずれてきますよね。
数個押しだけずれてたものがいっぱい何回もどんどんずれてたりするんで、このずれを補正する必要があって、
緯度と経度の測定
それは自分の見ている位置で一番高い山の頂上の方向を測る。
また別のところで同じ山の頂上を測る。
その時の角度が、例えば北から東に何度とかいうのをそれごとに測っていって、
自分の通ってきたルートがちゃんと同じ山のルートの角度が合っているかどうかっていうのを補正していくっていう。
交界法、交わると合うと書いて交界法っていう方法があるそうです。
あとなんかそれに似たようなやつで、遠山仮目当て法っていうのもあって、遠山って遠い山で仮ですね。
目当てっていうのは目的って書いて目当てって読むらしいんですけども、こういうのを使って、
例えば富士山、富士山は結構色々、たくさんの範囲で見ることができるんで、
ここA地点から見た富士山の角度、B地点から見た富士山の角度、C地点で見た富士山の角度っていうのを、
角度って言うなら自分の立ち位置から見て、北から南のところに富士山の頂上があるっていうのをたくさん測って、
自分の書いていった記録と場所が合っているかどうかの補正を得るっていうのをやってたそうです。
相当な富士山から、富士山を目標にしたそういう公開法をやってたっていう記録が残ってます。
私の時にはそういうのやってませんけど、そんな広い範囲を卒業してるわけじゃないんで。
井上隆さん一人でやってたんじゃなくて、最初は本当に数人の隊員をつけてもらってたんだけど、
そのうち幕府の公式な仕事ってことになって、グループで10人とか20人とかチームになったりすると、
的を自分の位置のところに的という棒の上にフサフサがついてるやつですね。
それを持って次の場所のところに、次を卒業する場所のところにまたもう一本的を立てて、
角度を測ってっていうのをチーム戦でやったりとかって書いてたらしいです。
今度、地図にある緯度と経度という話をしたいと思います。
今、日本は世界中で緯度と経度っていうのがあって、地図には必ずマス目が書いてありますね。
今だったら、それこそスマホで、GPSとかでいつでもこの場所の緯度と経度っていうのを知ることができますけれども、
だからスマホに自分の移動した経路をGPSの記録で取っていって、地図の上に書かせるっていう、
そういう遊びっていうか、遊びって言っちゃいけない、そういうソフトがあって、
でかい絵とか字とかを自分がそのルートを歩くことによって書くことができるっていうGPSアートっていうものがあったりしますね。
これ調べてみると面白くて、ソフトバンクの白い犬のイラストを地図上に書けるように、
みんなで手分けしてGPSアートソフトをやって書きましたっていうのをちらっと見ました。
あとなんかそのプロポーズをするために、しばらく旅に出ますって言って、
そのアイラブユーっていう風に書けるように自分で実際に歩いていって、
それをGPSの記録に残しておいて、君にラブレターを書きましたよって言ってその画像を見せるとかいう話とか見たことがあります。
そうやってGPSを使って自分の位置を書くっていうことは今ならできるけど、
昔はそんなもんないんで、緯度と経度をどうやって江戸時代調べましたかっていう話になるんですけど、
緯度の測り方は割と簡単で、北極性の高度が分かればいいんです、自分の位置からの。
北極性が自分の位置から何度の高度にありますかっていうのを調べていけば自分の位置の緯度が分かる。
その地平線と、北極性と地平線を見比べて、
角度を求めたら、それがそのまま緯度になるってことですか?
そうです。地球上の一番北のてっぺんのところが北位90度なので、
北極性も自分の頭の上にちょうど来るようになっていて、
赤道は北位0度なので、北極性も水平線上にある。
そうか。それで分かる。
緯度ってそういうもんなんで、日本だったら緯度だと北位が36度だから、
大体36度ぐらいのところに北極性が見えるはずなんです。
南半球は?
それで測れませんね。北極性ないから。日本ではそれで問題ないということです。
一応、江戸時代の日本だったら北極性は全然見れるんで、
伊能玉とかの測量のときにはほぼ毎日、天気が雲にとか雨とかで全然北極性見れなかったら無理ですけど、
ほぼ毎日夜測って緯度の確認をしていたそうです。
軽度はどうやって測りますかというところなんですが、
軽度は南中の時刻が分かれば測れます。時刻が問題なんですけどね。
江戸時代の最新の時計というのがありました。
振子時計で水溶球儀という時計があったそうなんですけども、
水溶というのは垂れ下がるに揺れるで玉、儀は地球儀の儀ですね。
水溶球儀という振子があって、これで何とか時計として使うことはできたんですけども、
今ほどの精度があるわけではないので。
これで南中、太陽が一番真南に来た時の時刻が分かれば、
今、軽度いくつというのが分かるんですけども、
南中というのも意外と難しくてね。
真南を調べるのはもちろん、包囲地震で求めることはできるんですけど、
その間ずっと太陽を見続けるかというわけにもいかないので、
その辺は割と難しかったらしいんですけど、
一番一般的な時刻なんですよね。
日食・月食というのは江戸時代にもあったので、
これを観測地点と江戸と大阪、江戸と大阪には天文型という役所があるので、
そこで同じように水溶球儀を持って、
同時に日食とか月食の観測をすれば、
地域によって日食・月食の掛け方というズレが発生しているので必ず。
これを計算すれば、江戸の方も計算ができるんですけれども、
これなかなかできなかったということのようです。
なんでできないかというと、まず時刻ですね、さっきから言っている。
時刻をちゃんと測ることが難しいというのと、
あと天候条件が揃っていないと無理という。
どこかが天気が悪くて日食とか月食が見れなかったら測れませんので。
ということでやろうとはしたんだけどできなかったという記録があるようです。
あと電話とかもなくて、直接連絡取れないからやりづらいですよね。
手紙で何時何分にやろうねって言って。
なんかね、向こうやってないかもしれないし、別の仕事あるかもしれないし。
公式だったらそういうことはないと思うけど。
ないかな、ないかな。難しそうな感じはすごいプンプンしますね。
あと振り子の時計なんで、筆の上で使うのはちょっと無理という問題もあったりするので。
そういうのがあったりするのもあって、結局日食月食を使って
経度というのを調べるというのはなかなかできなかったという話があるんです。
地図上のずれの理解
あともう一つ地図を書く上で測量上の難しさというのが、
方位地震の北というのと地球の地点の北というのは若干ずれているという。
ありますね。何秒ぐらいでしたっけ?
これ時代によって結構違うんですけど。
あ、そっか。場所によっても違いますね。
そうそうそう。そういうのもあったりするので。
これ偏角って言って、角が偏が偏っているで角が角度ですね。
これ偏角って言うんですけど、これの方位地震の北と地軸、地点軸の北がずれているというのが
いつぐらいに分かったんだろうというのがありまして。
江戸時代のヨーロッパでは、1700年代にはずれているということが知られるようになったらしいんです。
伊能忠敬が活躍していた時代もだいたいこのぐらいではあるんですけれども、
この話がどこまで江戸に伝わっていたかというのはちょっと分からない。
測量当時のこの時期の偏角の推定値と作図方法とかをいろいろ考慮すると、
その偏角を考慮して作図するとだいたい今の正しい地図とほぼ同じものが描けるという話があるので、
偏角は考慮されていなかった可能性があるという論文がありました。
それはちょっと概要欄の方にリンクつけておきますので。
ちなみに、なぜ地軸は地点軸の北と一緒じゃないのかという話になると、
ダイナモ理論というのをちょっと知っておかないといけないんですが、
これダイナモ理論の説明はここではできません。難しすぎます。
読んでそれで入れようかなと思ったのにちょっと難しすぎたので、
簡単に言うと地球の中には一番外側が地角という硬い岩石の部分、
その下にマントルと言われている部分、最後一番中心部分が角と言われている部分があるんですけれども、
角の内側と外側で内角と外角というふうに分けられるんですけれども、
その内の外角というのは溶けてドロドロの鉄とニッケルとかあといくつか成分があるんですけど、
これが入っているんですね。地球がぐるぐる回ることによって鉄もぐるぐる回っていて、
これが地軸を、地勢を作っているというふうに考えられています。
この液体のぐるぐる回っているというのが計算がなかなか難しいのと、
地図のずれの原因
非常に複雑な動きをしているので、これによって包囲地震の期間というのはずれちゃうということのようです。
これ以上はちょっと説明ができません。各自気になったら調べてみてください。
測量上の問題がこの問題と、あともう一つですね、地図を実際に紙に書くときの問題というのがありまして、
測量結果は平面の紙に書きます。
でも、私が書いていたのは別で、日本地図とかになってくると、そのぐらいの範囲になるとどうしても地球って平面じゃなくて急面なので、
急面のものを平面の紙に書こうとすると、やっぱり何かちょっとずつ違ってきますよねという話です。
投影法とか図法とか言われているんですけれども、聞いたところあるのはメルカトル図法とか、
サンソン図法とか、請求包囲図法とかいろいろ地図の書き方があるじゃないですか。
これがちょっとずれの原因じゃないかという話もあるようです。
急面を平面に書くのだからね、完全に書くのはやっぱりちょっと難しくて。
伊能図では請求、節約と図法というものを使っていたらしいというところまではわかっているんですが、
伊能太田川が晩年に地図の書き方も、投影法も変えてみようかというふうには検討していたらしいんだけれども、実施はできなかったという話もあるようです。
私ら現代人が世界地図を見るときに、ロシアとかアラスカの方とかグリーンランドとかすごい広く書いているんだけど、
これ実際地球儀で見るとだいぶ小さいという、あの歪みの問題ですね。
グリーンランドって日本より小さかったですよね。
実は小さいんですよね。
平面地図だとすごく広く書いているんですけど。
ロシアもすごいでかいんですけど、実際とこはあそこまでは広くはないよっていう。
なんとね、でかい地図で、しかもロシアってちょっとわかんないからすごく脅威を感じるけど、地図がその実際の大きさで考えると、
そこまで怖がらなくてもいいのかなって気が若干しないこともない。
人がちゃんと住める地域も限られてますからね、ロシアは。
永久統頓みたいなのがあったりしてね、耕作農業がちゃんとできない場所がいっぱいあるとなるとやっぱり、
いろいろ不利なところあるんだろうなーっていうのは思います。
はい、ということで、なんか最後ちょっとずれた気もするけど、まあいいや。
というわけで、イノオタアタカの地図がどんだけ正確でどういうふうにずれているのかっていうのは、
ちょっとネットで調べるといろいろ出てくるんで、ぜひその辺もちょっと見てみたら面白いんじゃないかなと思います。
地図作成の難しさ
今日は私がちょっと苦手にしている地学系の話をしてみました。
どっちかっていうと測量とか地理の方の話かなって気はするんですけども、
お楽しみいただけたら幸いでございます。
はい、そしてこの後どんどん気温が下がっていくので、
ちょうどいい日にその辺の川とか自分で測量してみて、
どれだけずれるかってやると多分どれだけすごかったか実感できます。
そうね、答えのあるものを実際自分で書いてみると地図を書くのって難しいんだっていうのがね。
よくわかります。
それこそ自由研究にもいいんじゃないかってまた素晴らしいですね。
もう夏休み終わってましたよ。
夏休み終わりましたよ、とっくに。
でもどっちかっていうと外でやる作業って今ぐらいからがいいんじゃないかなって気はしますね。
そうですね、確かに。
ということでした、以上です。
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ということで今回のメカラジはここまでです。
お聞きくださりありがとうございました。
お相手はリケートグラボ、ラジオ部、メカラジのひのえひえと、
さいもと、
カディウムでした。
さようなら。
次回もお楽しみに。
32:34

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