1. そんない理科の時間
  2. 第503回 東経135度の歴史と謎 ..
■オープニング・500回記念イベントへご参加ありがとうございました・明石市立天文科学館にも行きました・二条城と寸劇・緯度と経度・経度のはかり方 ■135度が決まるまで・標準時が決まる・135度の意味・海の上で経度を求める...
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理科っぽい視点で、身の回りのことを見てみませんか。 そんない理科の時間B、第503回。
そんない理科の時間B、お送りいたしますのは、よしやすと、 かおりです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 今回は、まさとさんはお休みです。お休みです。 きっとね、ひな祭りだからね、ひなあらで食べ過ぎてね、お腹壊したんだと。
お仕事が忙しいって言ってました。 そうですか。
この収録をしているのは、500回記念イベントの 連休が明けた後のタイミングでやっておりまして、
大阪アカシ、私はアカシとナルトまで行ってきました。 大阪市立科学館では80人を超える方のご参加いただきまして、
すんごい多かったんですけど。 本当にありがとうございました。また、手際があったというかですね、人がたくさん居すぎたのもあったんですけれども、
お話とかできない方もいらっしゃったんじゃないかと思うので、 嬉しいやら申し訳ないやらという感じです。
その前のオープンチャットで、なんとなく参加表明をしていただいて、 必須ではなかったんだけど、
だいたい50人前後かなって思っていたのが全然って感じでしたね。 私はオープンチャットで65人くらいかなと思って。
それなんで言わないわけ? 言わなくても。 私ちゃんとそこで予想したじゃない。誰もその予想に対して他の反応がなかったんだけど。
というか、私は70部分ぐらい作ってたからね、配布機と。 でもほら、作ってたってことはそこまでは来ないけどってことでしょ?
だから、60は行くけど70はいかないっていうぐらいなので、70セット作ってたんで。 だから65ぐらいかなと思ったっていう。
私は53だと思ったんだけど。 ということで、ありがとうございました。
大阪市立科学館では、ケンさんという方がご案内をしていただいて本当にお世話になりました。 ありがとうございました。
あとですね、私はその翌日に赤橋天文科学館に行ってきました。 カオリさんと解散した後ですね。
いくつ回ったの?
今回の旅行でですか? 場所としては、キッズプラザ大阪、大阪市立科学館に触れる太陽の塔。
民泊に行きたかったんだけど、それは行かなくて。 赤橋天文科学館、これで5個目ね。
その日はそこまでで、翌日徳島に私は渡りまして。 渦潮系の観光と、ナルト大橋記念…何だっけな? 花京記念館かな?っていう、渦潮とセットのところと。
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あと大塚国際美術館で、私は7箇所かな? 場所としては。 かなり充実してお腹ポンポコリンって感じですね。
そうです。で、カオリさんには本当に申し訳なかったんですけど、お昼の時間もちゃんと取らないぐらいの強行運のスケジュールにしまして。
いやいやいや、それは別にいいんだけど、ダイエッターだからね。きっと吉安さんがお前痩せろって言ってるのかなと思って、もうしくしくとそれは受け止めました。
次の回とかに、または次の回とかに、イベントでこんなことがありましたよみたいなお話をしようと思ってるんですが、
今回はネタ回というか、話題の回なので、赤市天文科学館には135度の守護船が通っていますっていうのは、売りというかですね、135度の守護船状に作ったんですよ、わざわざ。
わざわざね、そりゃね、135だからね、134でも136でもないからね。
そうなんです。 135だからね。
でも、例えば国土地理院とか、あと経度が入っている地図で見ると、地図上の135度から130メートルぐらいずれてるんだよね。
今日はそのわけというか、なんでそんなことになってんのっていう話をしていこうと思っていて。
きっとね、徳川家康と豊臣秀吉の争いから来てると思うな。
二乗乗が三度傾いてるのとなんか関係あるんですかね。
え?何の話?
京都の二乗乗が東西南北にバッチリ向いてなくて、ほんのちょっとだけ傾いてるんですよ。
なんですか?日本の技術はエジプトの技術よりか劣っていたってことですか。
一説には、方位磁石で東西南北を測ってしまって、その頃は3度ぐらいずれてたんじゃないかっていう。
なんでかっていうと、そもそもの平安京が作られたときにはほぼ東西南北が合ってるんで。
昔は技術があったのに、この時期に技術がなくなってるのはおかしいから、これはこれで正しかったんだろうって。
もしかしたら、弦を担いで少しだけ傾けたのかもしれませんけどね。
何、弦って。2だから3?
よくわかんないです、そんな辺は。
一番大事な2だから3とか。
意味がわかんない。
ほら、どっかの柱を逆さまにした方がいいとかいろいろあるじゃないですか。
いろいろあるんですか?
それはどこだっけ。陽明門の柱か。一本だけ逆さまにデザインしたんだよね。
あー、なんか聞いたことあるな。
完成しちゃうとそこからは落ち込んでいくだけなので、完成させないっていうために。
完璧にしないとかがあるんですけど。
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完璧ね。完璧の璧は玉だからね。
あれ違ったっけ。
中学校の時だ。
ことわざを使った劇っていうのをやったわけよ。寸劇をね。
で、最王が馬と完璧と矛盾だったっけな。
その言われを劇にするのね。
そうそう。
なるほど。
最王が馬は結構長いんだよ。
自分が何をやったか覚えてないけど。
馬じゃないの?
馬じゃない。本当に覚えてない。
本当に覚えてないけど、とりあえずそれで完璧の璧は玉っていうのだけ覚えたね。
はい。
はい。ですよ。
で、異度と経度の話をするんですけど。
統計、整形、左右ね。地図で言うと。
と、北位南位っていう地図で言うと上下の方角ですけど。
異度を測るのはそんなに難しくないんですよ。ある場所の異度を測るっていうのは。
北極星の見かけの高さを測れば、ほぼそれが異度と同じなので。
赤道ではほぼ水平線。北極では真上。
だから、北位45度のところだと北極星は45度のところに見える。
それも毎日夜になって晴れてれば見えるし、とても便利なんですね。
便利ですね、北極星は。
北半球だったら、そこの異度を求めるのは楽ちんなんですが、経度は大変なわけですよ。
大変なんですか。
経度は何かを測っても、時々コクコクと回っていっちゃうじゃないですか、経度方向って。
だから、今どこにいるかを測るには、いろんな工夫が必要だっていうのがありまして。
A地点とB地点の経度がどれくらい違うかって、どう測ればいいと思います?
歩く。
地球の大きさが分かっていれば、地上だったら測量していけばいいんだよね。
東方向に何キロメートル行ったってことは、経度がどれくらいずれたかっていうのが分かると。
なんだけど、経度が難しいのは、そういう測量ができない場合は、なかなか大変なんです。
海ってことね。
なので、一番最初にそれが問題になったのは大航海時代。
船がアメリカに行きたいみたいな時に、ヨーロッパからね、今どの辺まで来たんだろうっていうので、
北に何度は分かるけど、東系何度じゃないや、その場合は西系か。
西にどれくらい行ったかが分かんないから、あとどれくらいで次の大陸に着くかが分からないと。
とりあえず着いたとしても、これがヨーロッパから船で何日離れたか分かるけど、
場所として何度ずれたかがなかなか分からないというのが最初の問題だったわけです。
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そんな感じで、経度の話と、日本の中の経度の話と、何で135度かっていう話を織り混ぜてお話をしていけたらなと思っております。
織り混ぜるってことは、いろんな話が入ってくるってことですね。
いろんな話が入ってきます。
なるほど。じゃあ、私の話もどっかに入れましょう。
分かりました。関係することを話してみましょうね。
私の中では関係するかもしれない。
ということで、本編の方に行ってみようと思います。
よろしくお願いします。
さて、経度の話ですが、まず最初に時計の話をしたいと思います。
江戸時代の頃は、日の出があけむつ。
なんちゅうすると、九つ。
あ、違う。四つだ。減っていくから。六五四って減っていって。
お日様が沈むときがくれむつ。はい。
はい、いいですか?
いいんですか?
まあ、そうなってるんですけど。
そうなってたんですね。
ということは、東京と大阪、江戸と大阪で時計がずれてるわけですよね。
日の出の時間と日没の時間が違うから、日本の中でも時間が違ったわけね。
うん。だけど、誰もコントロールしてないから、それが一番自然なわけですよ。
朝が来て、お昼になって。
そうそう。なんちゅうも。
なんちゅうも違う?
なんちゅうも違いますよ。だって、経度が違うんだから。
時間が違う?
タイミングが違います。
今の時計で、全国が一緒な場合は、なんちゅうするタイミングが違うわけですよ。
そうだっけ?
だって、太陽が東京でなんちゅうしてるときには、大阪はまだ行ってないし。
ああ、そっか。
そうなんです。
なんちゅうこった。
で、いつそれが揃ったかっていう話なんですけど。
うん。
これはね、法律である日、ある日じゃないか。
標準時っていうのを決めまして、明治17年に国際守護戦会議っていうのがありまして。
これはね、アメリカのワシントンDCかなっていうのがあって、日本では明治19年に法律ができて、
明治21年の1月1日に標準時っていうのを決めて、そこで日本の時計は一つにしましょうってことになりました。
この時間が違ってるってことは知っていたよね、日本人は。
12:01
知っていたけど、誰も決めてなかったからね。
結構その前に、豊臣秀吉ぐらいの時代からいろんなもの単位を統一していったじゃないですか。
はい。
その貿易の貿易っていうのかな。
はいはいはいはい。
だけど、時間っていうのはそこに入んなかったんですね。
時間は入るけど時刻が入ってなかった。
一時っていうのは、どこも日の出から日の入りまでを6分割したやつが一時で、
だから時間はあれだけど、時刻は一緒にしなくてもいいよねってことになったわけ。
だって時刻が気になることなんてないんだもん。
江戸の中では時刻気になりますよ。
でも江戸と大阪で時刻を合わせなきゃいけないってことないじゃないですか、その頃は。
じゃあお互い6時に家出ようぜって。
うん。でもほら、すごい離れてる人たちだから。
お前ほんと6時に出たかよ。
日の出の時に出たから、ちゃんと明けむつに出たよってことでいいんじゃない。
でも俺たちのほうが早かったよ。
歩いていくしかないからね。
そうなんですよ。
なんですが日本で皆さん、時間を気にし始めた、時刻を気にし始めたのは、
列車、汽車が運行し始めて何時何分に出発しますよっていう定時運行を始めたので、
そうするとみんなが何時までに駅に行かないといけないってなってるんで、
そこでやっと時刻を意識し始めると言われています。
で、なんでこれが大事かっていうと、この国際四五線会議っていうのが明治17年にあったんですけど、
日本はじゃあ四五線っていうのと時間をどのタイミングにしようかっていうのをみんなで悩んで、
国際四五線会議っていうのはグリニッチ天文台、
グリニッチ王立天文台を本書四五線っていう四五線の中でも一番メインのものにしましょうってことが決まりました。
本書って何?
本書はブックの本に初めての書で本書四五線っていう風に言うのが基準となる四五線なんですね。
ぶっちゃけ四五線なんてどこが例度かってどこでもいいわけですよ。
決めちゃえば。
決めちゃえばね。
実はその時にはフランスもうちのパリで問題をゼロにしようっていうのを進めてたんですけど、
パリ負けた。
パリ負けました。
もしパリが本書四五線、地球の中の皆さんの中で本書四五線になっていたら、
赤市の135度ってなかったわけですよ。
まあそうね。でも他のところで何かラインがクロスしたんじゃない?
2度ちょっとずれてるんで調べたら富山とか豊橋あたりかなが日本の基準になる四五線になっていたんですけど、
15:01
グリニッチ天文台になったんで統計135度のところを日本の標準時とすることが定められました。
法律で定めたわけですね。
さて、なんで135度なのか。
普通にカウントしてったんじゃないの?
これ霧がいいからですよね。
なんで135が霧がいいかって話なんですけど。
霧良くないよね。
これ霧がいいんですよね。
でもほら140とか150とかの方がなんか霧良くない?
これは日本の標準時を決めるわけじゃないですか。
ってことは時差は1時間ごとが楽ちんなので、1時間の時差は15度ずつなんで、15、30、45、60っていう風に切っていくから、
そうすると120の次は135なんですよ。
つまりグリニッチの時刻に9時間足したのが日本の標準時にしましょうってことで135度がベースになるということに決まりました。
じゃあ140にしてもいいんだけど、そうすると時差が…
9時間20分になっちゃうの。
なるほど。
分が入っちゃってってこと。
そう。多くの国では1時間単位で時差を決めてるんで、たまに30分ずれとか15分ずれありますけど、
日本は世界標準時に9時間プラスっていうことで135度を中心にしましょうってなりました。
120でも良さそうだけどね。
120だと台湾あたりなんですよね。
実は明治28年に西部標準時、日本の西部標準時っていうのがありました。
要は1時間遅い西部標準時っていう、
日本の中に時差があったってこと?
そうそう。タイムゾーンが2個あった。
これは台湾が支配下になった時に台湾では西部標準時。
なるほど。日本の本土ではなくて台湾も日本だったから、その中ではずれてたっていうことね。
なのでその時にそれまでの標準時、日本の標準時が日本中央標準時になりました。西部ができたからね。
日本言葉としてね。
そう。で、西部標準時は昭和12年に廃止になります。
それは台湾が独立したの?
台湾が統治下じゃなくなったというか。
なるほど。
で、なんですが中央標準時は未だに中央標準時っていう。
言葉だけ残ってるってことね。
そう。これ多分ですね、法律を変えるのがめんどくさいんだと思うんですよね。
あーめんどくさいね。結構めんどくさいね。
はい。
そうね。
ということでですね、135度が日本の標準時のところになりますっていうのはここで決まりました。
はい。
で、問題はじゃあどこが135度かっていう話なんですけど、さっきも話をしたように海を越えて経度を測るのは大変です。
18:08
うん。
じゃあ大航海時代どうやって経度を測っていたか。経度をはっきりさせるにはどうすればいいでしょうか、ある場所の。
速度から距離を求める。
そう。船の速度をどんどん積分していけばどれくらい進んだかがわかるから、船の速度をうまく測って、船の速度はあれだよね、巻きを紐に一定間隔に巻きをくっつけたものを流して、それがどれくらいのスピードで引っ張り出されていくかでスピードを測るのかっていうのをやられていて。
へー。
そうそうそう。でも海流があるとわかんないじゃないですか。
流されちゃうから。
そのスピードもいい加減なところがあって。
あ、そうです。だから紐に巻きが、巻きというか木の棒が結びつけてあるんで、一定間隔にね。それがログハウスのログって丸立てじゃないですか。
なのでログの速さを測るっていうか時間間隔を測るっていうのを記録したのをログブックって言って、今のいろんなものを記録していくのとログブックっていうのの語源になってるんですよね。
ログを取るね。
そう。
おーログってそうか丸太か。
丸太。それはこぼれ話なんですが、それでもあんまり精度が良くないと。
でどうするかっていうとタイミングさえわかればいいんですよ。正しい時計があればその時の太陽の方向とか星の方向を測れば経度がわかる。
そうでしょ。
太陽が真南に来たっていう時に時計を見ればそこの経度がわかるのと同じように、ある場所で時刻と星または太陽の方向がわかればいいんだけど、海の上で正しい時刻を測るっていうのがなかなか大変だったっていうのがありまして、
何度何分何秒って言うじゃないですか。一度が一周の360分の1、その60分の1が1分っていうやつなんですけど、やっぱり時計がね、何分も狂っていると時計の時間が、そうすると何十キロもずれちゃうんですよ、場所が。
なので、何とかして正しい時刻を共有しなきゃいけないっていういくつかの方法が提案されています。一番わかりやすいのは正確な時計を持って、それを船に乗っけて出ようっていうのがありまして、これがねクロノメーターっていうのを開発につながるんですけど、その他に同じタイミングを船の上で知るにはどうすればいいかって、どんなことができると思いますか?
ドン。
21:00
ドンは?
大砲。
そうなんです。
ヒルドン?
大西洋の100キロごとぐらいに船を並べて、1時間ごとに大砲を撃って時砲にしようっていう案とかがあったんですけど、お金がかかる割に効果が少なそうなのでやめましょうってことになりました。
じゃあダメってこと?
他に何かないですか?
え?
タイミングがわかる方法。
太陽が真南に来た時間はダメか。
だから時計がないといけないし、タイミングがわかんないといけない。
え?
ほらね、いろんな人がいろんな方法を考えて、月で距離を測る月挙法っていうのが考え出されました。
月?
月は1ヶ月で天空というか星座の中を一周しますよね。
うん。
で、太陽との関係性も1ヶ月で一周するじゃないですか、大体。
うん。
それはいいですよね。
はい。
ってことは、ある星と月の方角とか、太陽と月のなす角度を正確に調べれば、計算をすればその時が何時何分かっていうのがわかるはず。
それは地球上のどこにいても、星と月の関係とか太陽と月の関係性はほとんど変わらないから。
距離が遠すぎちゃってってことね。
そう。新月のタイミングがしっかりわかれば、その時の時刻がわかるはずだっていうやつとか、それが採用される可能性もあったんですけど。
それも却下?
先んじて値段は張るけど、狂わない時計っていうのが供給されたので、負けちゃったの。
クロノメーターとの開発と、さっきの船並べるとか、月の距離云々っていうのが。
そうそう。
月の距離云々っていうのは、だって概念っていうか考え方さえ出ちゃえば、その考えをなかなか思いつかなかったってことか。
まず大変だったのは、正確に測る測定器がなかった。
結局何でも正確じゃなきゃダメってことね。
そう、それを1700年代に八分儀とか六分儀とかそういうのがあるんですけど、そういうのを発明されて、太陽と月の角度とか星と月の角度が正確に計測できるようになって、
今度は計算式が大変で、計算をすると3,4時間かかったっていうのがあるらしく、最初。だから3,4時間経たないと時刻がわからないっていうね。
そうすると3,4時間分船進んでるわけじゃないですか。
今のっていうのがわからないってことね。
そうっていうのがあって、それをいろいろ工夫があって、太陽と月とか星と月の位置関係を何月何日の何時にはこの角度になってるはずだっていう表を先に作って、それを船に積んでおけば計算が短くて済むだろうっていう工夫をしたりして、いろんな工夫があったんですけど、
24:23
結局ね、その1700年代にあまり狂わない時計ができて、船の上で時刻が測れるようになって、経度がわかるようになりましたと。
はい。
そこまではいいでしょ?
はい。
じゃあ、今度は日本の中の135度はどこだったんだろうって話があって、まず日本っていう国が地球の中のどこにあるかっていうのを決めなきゃいけないわけですよ。
え?だってもうあるじゃん、そこに。
あるあるある。あるけど、要は大陸からどれくらい離れてるかっていうのを、やっぱり何十…
住所を決めるってこと?住所っていうか、東京の場所は北緯何度、何度何度っていう風に地図のドットをつけてくってことね?
そう、島国だから、日本のどっかに天文台作るとしても、そこが北緯何度はわかるけど、東経何度かってわからないわけですよ。
なのでどうしたかっていうと、これは時代を遡るんだけど、さっき言った明治17年から遡るんだけど、明治政府が天文台を置いて日本の位置を測るっていうのをやり始めて、
東京に天文台を置いて、そこで星の観察とかをして、
三鷹?
三鷹に移る前ですね。
どこにあったの?
ロシア大使館の裏。東京タワーの…
と言われてもさ、ロシア大使館がどこにあるか。
東京タワーのちょっと向こう側。東京タワーに小学生が見学とかに行くと案内してくれるらしい。上から見てあそこですよっていう。
今まで東京タワー行ったけど誰も教えてくれなかったよ。
日本経緯度原点っていうのがありまして、そこに天文台があって、
まず仮に天文台を置いたわけね。
そこで星の観察とかをして、あとさっき言った海外と同じ時計を持ってこなきゃいけないわけじゃないですか。
それを測るのにどうするかっていうと、時計を持ってくの大変なんでどうするかっていうと、
時計ってまだ大きかったわけだよね。
大きいのもあるし、あとはせっかく天文台なので、
例えば月食のタイミングとかね、あとさっきやった同じ時刻を確かめる方法っていうのに、
木星の周りに衛星が回ってるじゃないですか。
ガリレオ衛星的なやつね。
そう、4つ。それが木星の裏に隠れるタイミングって地球上のどこから見ても同じタイミングじゃないですか。
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遠いからね。
遠いからと言ってか、なので木星の衛星の触を使うと、
そこがヨーロッパで観測した木星の衛星の触と同じタイミングが測れるわけですよ。
いいですか。
はい。
木星の衛星の何とかが何日に木星の裏に隠れたタイミングでどの星が何中してるかを確かめれば、
その場所の経度がわかるとかっていうのをやって場所を決めていくわけ。
全部のところに天文台があるわけじゃないから、そこから日本国中の場所を決めるには、
今度はそこからは測量を使って求めていくわけ。
歩かないのね。
歩きますけど、その頃はもう犬をたたたかの時代と違って。
でもさ、彼は歩いてほぼ正確な地図作ったんだからね。
そう。でもやっぱり経度方向はズレが結構あって。
でも当時は経度関係ないし。
関係あるでしょ。平たい地図なんだから。
でもあんまりいいじゃん。
東京と横浜が歩いてこんくらいっていうのがわかる。
ただ江戸幕府は正確な地図が欲しかったからね。
とはいえそのズレはパッと見わからないぐらいですけどね。
素晴らしい。
今の地図と重ねると北海道で20キロぐらいズレてるのかな左右というか。
20キロって隣町ぐらいよね。
そうそう。事実上全く問題なかったんですけど。
この135度を決めるためにはしっかりと135度の場所がわかってなきゃいけなかったんで、
日本全国を測量して正確な地図を作ると、東京の経緯度原点が139度何分何秒なので、
こっちに測量した数字を足し込んでいくと明石あたりに135度が来るってことがわかったわけ。
やっとこそそこで135度が出るわけなんですけど。
日本の中のここっていうのが決まったわけね。
明治の17年で実際の施工は21年だけれども、そのタイミングで135度のところにお日様が来た時が日本のお昼にして、
そこをメインにして日本国中の時計を合わせましょうってことになったわけ。
明治19年の7月12日に出た直例第51号本書守護宣、これ日本の本書守護宣ね。
本書守護宣経度計算法および標準時の件っていうのが法律になって、
30:06
135度のところが日本の標準時にしますよということになったんですが、
135度が明石を通ると言っても何のことはないわけですよ。
その場所が時刻の標準にはなってるけど、そこに何があるわけでもないというか、何があってもなくてもいいわけ。
何か作ろうよ。
この明治19年とか21年なんですけど、明治の43年に明石郡小学校長会っていう、
明石の小学校の校長先生の人たちが、せっかく135度がこの辺にあるんだから、
そこに標識を立てようじゃないかっていうアイデアを出しました。
それまでそういったものがなかったわけ?
せっかく記念すべき135度になったにも関わらず。
結局大事だったのは、イギリスと9時間の時差があるってことだけ分かっていれば別によかったわけ。
日本国内で時刻が同じだったらいいわけ。
別に明石じゃなくてもよかったわけだよね?
明石じゃなくてもいいし、今でも一番北側京都から、
いくつかの市を経て明石があって、
淡路島の中にも135度通っているし、
和歌山の島のところにも通っているので、どこでもいいんです。
なんですが、この明治43年、1910年に、
明石が先にここだと、135度合うここだって言ったわけね?
小学校長会の人たちが、教育直後が発令されて20周年記念なので、
せっかくだからこの20周年記念で135度の石碑を建てましょうということで、
当時の相生町の国道、現在の明石町天文…明石天文町2丁目。
天文町っていうのがあるんですよ、名前が。
町の名前?
そうそう、明石の中に。
いつできたの?その町の名前は。
これが経った後じゃないかと思いますけどね。
なるほど。
隣の平野村黒田、今は神戸市になってるらしいんですけど、
の2カ所に石碑を建てました。
この前、私は明石の天文科学館が5時に閉館したんですけど、
その後にこの教育直後発令20周年記念石碑っていうのがまだ残ってるんで、
実は場所を移動してるんですけど、そこを記念写真撮ってきました。
33:00
この時の標識は地図で追っかけてたのね。
日本地図で135度のところに建てたんですけど、
なんとこの135度がずれていくんです。
なぜ?
その後、経度計測の結果、
大正4年に日本の地図原点である東京アザブの東京天文台の経度がずれていることが分かり、
じゃあその当時の精度が低かったってこと。
さっき言った東京天文台の経度を測るのも実は大変だったわけですよ。
なので、大正7年に角度でいうところの10.4秒仮距離にして267メートルの修正が行われました。
どういうことかというと、
赤字の2つの標識は地図上の統計135度から10.4秒ずれることになりました。
なんと。
これが135度の歴史で、あちこちに勝手にずれたり勝手に戻ったりするんですけど、
さて、今の135度ってどうなってんのって話なんですけど、
昭和3年、こっからは明石市市立天文科学館のページの資料から読むんですけど、
明石中学校の校長先生が四五線標識を正しいところに立てたい。
小学校の先生がせっかく立てたけどずれちゃったから、中学の先生としてはちょっと直したいと。
昭和3年に正しい位置に立てたいってことはどういうことかっていうと、
東京の麻布の天文台の経度を測るのも大変だったけど、それがずれてるっていう話もあって、
そっから三角足場で追っかけてって決めた場所っていうのが本当に135度なのかって話と、
もう一つは、そこがグリニッチ天文台から天文学的に135度ずれてるところっていうのにしたいわけじゃないですか。
ということはどうすればいいか。
正確にこだわったってことね、その小学校の先生は。
より正確に。大変だね。完璧有者かしら。
昭和3年に天体観測を、昭和3年の夏に明石中学校の校庭で天体観測を実施しました。
その先生が、それとも周りの人たちを巻き込んで。
京都大学地球物理学教室の野光さんかな、野原野に三鶴で博士に頼んだ。
その結果、天文経度ね、天文学的な経度135度の四五線は、
明石の名勝一丸山の月照寺境内を通ることが分かりました。
そこで、さっき立てた標識は、天文経度の135度より4秒、これ角度の4秒ね、距離にして103m西に寄っていることが分かり、
36:12
103m東に引っ越しました。これが明治の3年。
愛宵町を巡査駐在所前というところに、この時に移動されたんですけど、今も交番がありまして、
135度の標識が立っているところには交番がありまして、この交番がですね、
ちょっと待ってね、何交番だっけな。
交番の名前が、これだ。交番の名前が兵庫県明石警察署大倉交番というのがあるんですけど、
交番の入り口のところに別にプレートがバーンと張ってあって、四五線交番と呼ばれているらしいです。
へー。
そうなんですよ。
ということで、これが天文学上の正しい135度ですよってことになりました。
はい、決まりました。
決まりました。
やっと。
で、地図上でどうなっているかって話があるんですけど、地図もどんどん精度が上がるじゃないですか、計測のね。
で、今や世界測地計って言われている、世界の中でバランスが取れた位置情報になっていて、
GPSとかもそれを使っている世界測地計っていうのがありまして、これは地球を楕円が回転した、回転楕円体っていうので近似します。
これが地球の形ですよっていうのを地球には凸凹があったり、あとはところによってジオイドっていっていろんな凸凹があったりとか、
あとあっちこっちで地面の下にある物質が違うんで、垂直方向を全部集めても地球の真ん中に行かなかったりするんですよ。
うん。
そんなのもあるんですけど、それを幾何学的に楕円として近似したっていうものがあって、それを今使っていて、
図形に整えたってことね、いろんなものがあるけど。
そうそう。それをそのモデルの地球の中心に投射したものをメッシュとして地球に貼り付けたものを地図上のイドケートにしましょうっていうのが使われていて、
それでいうと、今の天文学的135度は少しずれていて、数百メートル地図上の135度よりも東側にずれています。
なんですが、実は日本では日本測地形っていう日本独自で使っていた回転楕円体を使ったモデルもあって、
39:00
それは昭和の時代に使われていて、平成に入って少しまで使われていたのかな。
だからここ何十年かで変更になったんですけど、っていうのがあって、その時と今の世界測地形は東京エリアでは400メートルぐらいずれがあるんですよ。
はい。
赤足の135度の縦に通っている守護船は天文学的にグリニッチの天文台のところから135度分、天文学的に離れているけれども、
地図でいうと日本測地形だったり、世界測地形でいうと何百メートルかずれるっていう状態に今なっています。
なんとグリニッチ天文台も100メートルぐらいずれています。
地図上の0度より。
なんて、もう、いいじゃん。
この番組でよく言っている、こうやってやっていこうって決めて、だんだん細かくしていったら、最初に言ったのはそこがずれてたから、
後から考えたやつでいいってことにしようって言って、もともとのやつがずれていっちゃうっていうね。
悲しいね。
1日は24時間だよね。
だから、1日を24分の1にしたやつが1時間にして60分の1にしてってやってたのが、正確な1秒が測定できましたって言って測っていったら、
1日は24時間ちょうどじゃなくて、0.000段秒ずれてるよねみたいなことになって、それもゆらゆらするから、
時計の方を正しくいってして、地球がずれていったらウルー秒を入れようみたいな話になっているのと近いことが起きるわけですよ。
地球も生きてるからね、生大炎体ではないからね。
そうそう。
あるけどさ、生き物は生物だね。
ということで、神戸の135度のものは、さっき言った駐在所の横、今や交番の横です。
もう一つ、昭和5年に月照寺、月明かりの寺で月照寺の正面にもう一つ新しい標識を立てました。
これは今の天文科学館のすぐ裏手になるんですけど、
これはですね、すごい金属製のポールがピューって立っていて、一番上にトンボが取り付けられています。
トンボ?
トンボの模型というか形のものが。
トンボの標識、これがですね、日本はアキツ島というふうに昔名前を付けていて、
アキツ島の象徴であるトンボ、トンボの古い呼び方はアキツなんですよ。
42:01
へー。
なのでアキツ島の象徴であるアキツののせようというのはトンボが上に付いています。
ということで、トンボの標識っていうのが科学館の裏にあって、駐在所の横に明治の標識が写っているってことになっていて、
それを結ぶ線の135度線の上にいくつかの標識があったりとか、駅のホームにはここが135度ですよっていう線が入ってたりとかっていうふうになっています。
でですね、また昭和26年、
昭和26年、京都大学宇宙物理学教室の上田先生が、
上田先生。
今度は月照寺、さっきのお寺の中で観測を実施して、
天文経度の135度守護線はトンボの標識の11メートル東であることがわかり、
昭和31年に現在の位置に移動しました。
もう標識で全部取っ払おうよ。
てか、だいたいでいいじゃないかっていうものもあるんですけど。
そうそうそうそう。もうなんていうのかな、またずれるんじゃない?
で、ぶっちゃけ。
いいじゃん、証っていうこの辺りで。
地震とか大きい地震があると、そういうのが数メートルずれたりすることもあるんですよね。
なんか今回の、どこだっけ、トルコの地震だって、結構ずれたって。
そう、だからこういう、なんていうの、何度何分何秒の指標ってなかなかね、難しくて。
でも日本の中では、そんなに地図的にはずらしたくないわけじゃないですか。
ゆくゆくは地図も変更しなきゃいけないかもしれないんだけど。
あとはこの神戸の135度の標識はあくまでも天文学的守護線なので、135度の。
地図と合ってるか合ってないかはとりあえず置いといていいと。
と言っても数百メートルしかずれてないんだけどね。
数百メートルって言ったら、地球を10メートル、3階建ての建物ぐらいの直径の玉にしましょう、ぎゅーっと。
そうすると数百メートルずれるっていうのは、その10メートルの玉の中で1ミリもずれないんですよ。
ほう。
そうでしょ。
確かに。
地球上の地図の中の数百メートルしかずれないって、なんとなく細かいとかわかると思うんで。
その辺は誰かが固いことを言って、誰かがまあいいじゃないかっていうところの狭間にいるところなんですけど。
で、赤獅子は我こそは135度の町だよというのを売りにしていこうということでですね。
この135度の線に合わせて赤獅子の天文科学館を作ろうということになって、1960年に作り始めて、その年の6月10日に天文科学館が開館しましたと。
45:18
なので天文科学館の展望台の中には135度がここを通ってますよっていうそこにも線が書いてあります。
はい。
もういっぱい線だらけ。
そう、線だらけなんです。
で、その科学館の展望台の上には正確な時刻を示す時計が載っていて、
つまりその時計は天文学的にも135度のところにいて、時刻的にも正しいものを指しているよっていうのが売りの天文科学館になりましたとさ。
とさ?
で、これが昭和35年、1960年なんですが。
もういいんじゃない?
もういいでしょ。
これ実談がちょっとだけあって。
もういいんじゃない?
1995年、平成7年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災ありましたよね。
で、観測室の天体望遠鏡は点灯し、外にひび割れ、で、その時計は地震発生時刻を指したまま止まってしまいました。
で、これの新しい時計がスタートするまで3年かかったそうです。
その止まった時計はそのままどこかに保存してあるんですか?
保存はしてないんじゃないかな。ただ、新しい時計にリニューアルされて、時計のシステムを新しくしたんだと思います。
なので、天文科学館の中には、天望台の上にある時計の時刻を、時を刻んでいる正確な時計っていうのも見ることができます。
ということで、今、赤市に行って見られる135度という線は、天文学的135度ですっていう話と、地図上の135度とずれていますけれども、
さっきカオさんが言っていた、こだわりがある人はこだわりのところを信じればいいんじゃないのっていうので、いいと思っています。
私そんなこと言った?
あ、ていうか、カオさんはいい加減でいいんじゃないかって言ったんですけど、それだと身も蓋もないので。
私そんなこと言ってないよ。びっくりした。すごいなんか、私が今交渉のことを言ったようにまとめられたんだけど。
そんなこと、私一言も言ってないんだけど。
もういいよ、もう線がいっぱいでさ、どうせやったらちょっと私も今度線引っ張ってきていいですか?
正しいところに観測して引っ張ってってください。
なんで観測すればいいんじゃない?
アカシーの天文台のウェブサイトにはですね、公園の中のトンボの標識レプリカとか、いくつかの標識の一覧があったりします。
48:09
売ってるの?お土産で。
お土産でですね。
トンボのさ、トンボ鬼山のレプリカを。レプリカじゃない。
原寸大のやつつけとくと輝いてこない話ね。
そうそうそうそう。いいんじゃない?それで。
私の興味のある方の話していい?
はい。トンボの話からね。
私が天文科学館で買ってきたお土産は、ゴトウチマンホールラバープレートっていう名前でですね。
マンホールの話、どこにも出てこなかったでしょ、今まで。
赤石市のマンホールフタのデザインは、なんと四五線の街、赤石っていうので、デザインは135度、赤石天文科学館がデザインされてるんですよ。
ぜひ皆さん調べてください。
赤石市マンホールで調べると、天文科学館がデザインされているマンホールフタで、赤石の市の市庄は丸の真ん中に線がぴゅって入っている、ここが四五線の街ですよっていうのを表すためのマークになっています。
そんなこんなで、135度の線の歴史をお話をしてきました。
前々はですね、四五線の街ヒーロー、機動戦隊、四五戦者っていうのもいるらしくて、みたいなことでですね、135度を決めるのも大変だけど、みんなが一生懸命調べると微妙な修正とかが入ってまた大変っていう話と、
あとは、グリニッチの天文台ももはや地図上の軽度、0度のところにないっていう話も含めてですね。
もうさ、その、じゃあ変えようよグリニッチから。
という感じで。
またさ、みんなで集まって。
でもグリニッチは実はラッキーなことがあって、結局ね、時刻を示すための時差がそこからスタートになるわけじゃないですか。
ということは日付変更線をどっかに入れなきゃいけないっていうのがあって、イギリスの逆側にはほとんど陸がない、その四五線の中に。
なので日付変更線が決めやすいっていうラッキーなことがあったんですよ。
でもさ、ほらもしかしたらまたそこにさ、島ができるかもしれないじゃない?
その時に考えましょう。
ねえ、もうさ、もうずれてずれてずれてさ、だからそのずれるんじゃなくて、ここが線って決めちゃおうよ。
でも日本で決めちゃうとね、また揺れたりするからね。
ということで。
だから揺れ動かしとけばいいわけよ、線も。
51:00
今日は135度の話をしてきました。
えっとね、2月24日のアカシ天文科学館の展望台で、この今日話した中の私が覚えている分だけ皆さんに解説をしました。
でもプラスで私は調べ物をして今日のお話をしております。
はい。
はい。
じゃあそのアカシ、アカシで聞けた人は復習ってことかな?
そうですね。アカシで聞いた方は15人くらいしかいないんで。
あら、レアですね。
生解説はそのくらいで。
はい。
で、ぜひね、行ける方は天文科学館の上だったり、そのアカシを通るとき、JRからも見えるし、新幹線からも天文科学館の塔は見えるんじゃないかな?
なので、アカシ市を通り過ぎるときにはぜひチェックしてみてください。
はーい。
ということで、135度のお話でした。
135度のお話でした。線をいっぱい引いて、ぼやっとしましょう。
あの、くっきりはっきりしましょう。
どうせずれるからまた。
ということで、この番組では皆様からのメッセージを募集しております。
メールの宛先はrica at mark 0438.jp rika at mark 数字で0438.jpです。
また、そんないプロジェクトというグループでは、この番組のほかそんなことない市長、そしてそんない雑貨店という番組を配信しております。
sonnai.comのウェブサイトから過去の配信まで聞くことができます。
またですね、有料配信サービスaudiobook.jpでの聞き放題でこの番組を聞くこともできて、そちらで聞いていただくと、
お聞きいただいた時間によって私たちの方に報酬が入るということになっておりますので、ぜひそちらもよかったら聞いてみてください。
audiobook.jpではおまけコンテンツが少しだけ入っております。
意味のないね。
ということで、次回とその次の回は2月にいただいたメールやら、500回のイベントの報告やらをしようと思っております。
あと500回記念のグッズを鈴売りで販売しておりますので、ご興味がある方はアクセスしてみてください。
よろしくお願いします。
ということで、そんないりかの時間第503回、この辺にしたいと思います。
お送りいたしましたのは、よしやすと、かおりでした。
それでは皆さん、次回の配信でまたお会いしましょう。さようなら。
ごきげんよう。
54:09

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